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多和田葉子の「ヒナギクのお茶の場合、海に落とした名前」を読んだ!

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多和田葉子の「ヒナギクのお茶の場合、海に落とした名前」(講談社文芸文庫:2020年8月6日第1刷発行)を読みました。読んだはいいが、もう1ヵ月以上、ブログに書けないで、棚ざらし。多和田葉子の小説は、どうしてかいつもこうです。

 

本の案内には、以下のようにあります。

「女には無理」と断られた重いコードを毎日百回引きずって獲得したパンクな舞台美術家と作家の交流を描く「ヒナギクのお茶の場合」(泉鏡花文学賞)、飛行機事故で名前も記憶も失った「わたし」が、ポケットに残るレシートの束を手掛かりに自分を探す「海に落とした名前」、男性3人の遠距離恋愛のずれを描く「時差」など、言葉とユーモアで境を超える全米図書賞作家の傑作9篇。

 

「作者から文庫読者のみなさまへ」には、以下のようにあります。

1990年代後半、ヨーロッパ、とくに東欧とドイツにしか関心がなかったわたしは、アメリカに頻繁に行くようになり、長期滞在も経験した。また、インターネットを使い始めたことで、ベルリン、ニューヨーク、東京が同時につながるようになった。ドイツにいても日本やアメリカと「今」を共有することができるようになったために逆に様々な「ずれ」が目につくようになった。「時差」は時間のずれを指すが、今ここにいる自分と自分がそもそもずれているという感覚が強まっていった。複数の自分の誕生である。

 

解説の木村朗子は、以下のように言う。

多和田葉子はドイツが東西に分かたれていた1982年にハンブルグに渡っているのだ。80年代の終わりに冷戦が終結するまで、東側への往来は今ほど自由ではまったくなかった頃を記憶する作家の肌感覚は、いかにグローバル化が進もうと境界を越えることを決して楽観視はしてこなかった。したがって、この感覚は、最新作にいたるまで多和田葉子の小説に潜在恐怖のようにして繰り返し描かれることになる。

 

そして木村はその例として、「ヒナギクのお茶の場合」を取り上げる。

冒頭に収められた「枕木」はそうした潜在恐怖の極みのような作品だ。主人公は、ロッテルダムに向かう長距離列車に乗っていたはずが、途中「駅だと思っていたら海に来ていた」とあって海に行き、気づくと猪突に駅の窓口に立っている。切符を買おうとすると「奥から身体のがっしりした年配の男が出てきて、わたしを睨みつけた」。そこで主人公は次のように述べたてる。

「それは誤解ですよ。」とわたしはすかさず言った。「あなたは、わたしのような職業を持つ人間を見たことがない。だから、わたしたちの職業では当然の日課となっている仕草などが、性的なものに見えて、それでいかがわしく思えるわけでしょう。でも、これは、ごく日常的なことなんです。」わたしは必死で説明しようとした。じぶんでも、何か滑稽だなと思う。色気でもなんでもないものを色気だと誤解されると、どうも気が落ち着かない。

 

さらに木村は多和田の文学を、「クィア」という言葉で表そうとしています。

「クィア」とは、アメリカの英文学者、セジウィックによって広く知られるようになった文学の分析概念だという。

「枕木」で、主人公が「それは誤解ですよ」と抗弁するとき、その直前の海の場面に描かれていた「性的」と「誤解」されるような出来事というのは、女性主人公と女の車掌との裸の関係であった。砂浜では女の車掌が制服を夢中で脱いでいる。・・・ここでの女同士の肉体接触は、たとえばレスビアンであるとかバイセクシャル出るとかいった揺るぎない同一性をもったセクシャリティとしてあらわされるわけではない。それは「クィア」としか表現し得ない欲望のあり方だ。

 

キース・ヴィンセントは多和田作品のクィア性を「形態」の問題だとしている。実際に、本書に収められた短編群は、さまざまな書き方が試された文体の実験場のようであるとして、以下のような例を描ています。

「U.S.+S.R. 極東のサウナ」では、ところどころに挟み込まれた箇条書きの選択肢が、この小説の一義的いみを解体する試みであるし、「ヒナギクのお茶の場合」に収められた「目星の花ちろめいて」は、江戸戯作調の文j体を採用し、古典文学の「伊勢物語」のような雰囲気がある。「雲を拾う女」の語り手が、まるかっこつきの(わたし)とあらわされるのは、私小説らしい一人称をズラす試みでもある。

 

残念ながら、僕には「クィア」という概念を多和田文学に当てはめて解明するに は力不足ですが、なかなか有効な概念のようであり、木村は「解説」では、もうちょっと「クィア」性について続けています。

 

  

 

多和田葉子(1960・3・23~)

小説家、詩人。東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、チューリッヒ大学博士課程修了。1982年よりドイツに住み、日本語・ドイツ語両国語で小説を書く。91年、「かかとを失くして」で群像新人文学賞受賞。93年、「犬の婿入り」で芥川賞受賞。96年、ドイツ語での文学活動に対しシャミッソー文学賞を授与される。2000年、「ヒナギクのお茶の場合」で泉鏡花文学賞を受賞。同年、ドイツの永住権を取得。03年、「容疑者の夜行列車」で伊藤整文学賞及び谷崎潤一郎賞を受賞。05年、ゲーテ・メダル受賞。09年、早稲田大学坪内逍遥大賞受賞。11年、「尼僧とキューピッドの弓」で紫式部文学賞、「雪の練習生」で野間文芸賞、12年、「雲をつかむ話」で読売文学賞及び芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。16年、クライスト抄受賞。18年、英訳版「献灯使」で全米図書賞を受賞。20年、朝日賞を受賞。

 

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