津野海太郎の「百歳までの読書術」(本の雑誌社:2015年7月24日初版第1刷発行)を読みました。「本の雑誌」2012年2月号~2015年2月号に連載された「百歳までの読書術」を加筆・再構成したもの。
たとえば、こう。
3年前に70歳をこえた人間として言わせてもらうが…。
読書にそくしていうなら、50代の終わりから60代にかけて、読書好きの人間のおおくは、齢をとったらじぶんの性(しょう)にあった本だけ読んでのんびり暮らそうと、心のどこかで漠然とそう考えている。現に、かつての私がそうだった。
しかし65歳をすぎる頃になるとそんな幻想はうすれ、たちまち70歳。そのあたりから体力・気力・記憶力がすさまじい速度でおとろえはじめ、本物の、それこそハンパじゃない老年が向こうからバンバン押しよせてくる。あきれるほどの迫力である。のんびりだって? じぶんがこんな状態になるなんて、あんた、いまはまだ考えていないだろうと、60歳の私をせせら笑いたくなるくらい。
こう書きながら、いつの間にか、大岡昇平の「成城だより」や、正宗白鳥の「白鳥白話」に引っ張り込みます。そこら辺りが博覧強記の津野海太郎の名人芸、凄いところです。
幸田文のエッセイを通しての幸田露伴の読書法など、学ぶところはハンパじゃない。露伴の「八方に広がってパッと凍る」を引き合いに出して、津野流のお祭りのやり方として、こんなことを書いています。
①一冊の本の「まごまご」こだわるのをやめる。
②大量の本、ときには映画や音楽まで、やたらに手をひろげる。
③それらがお互いに引き合う。
④そして時いたると一瞬にしてそれらがひとつにつながる。つまりは凍る。
⑤それこそが「知識」というものなの
若いころの読書には無限の未来があった。その錯覚は60代の半ばぐらいまでは辛うじてつづいたが、70歳をこえればもういけない。じぶんの死がすぐそこに迫っている。のこされた限りある時間に、はたして私はあと何冊、本が読めるだろうか…。
いうまでもなく、老いというのは老人自身にとってもはじめて体験するできごとなのだから、つよい好奇心をいだかずにいることのほうがふしぎ。とはいうものの、よもや人生のこの段階で、そんなふうに感じているじぶんと不意に出くわすことになるとは。そんなこと予想していなかったぞ。そうか、老人になるとは、こういうことであったのか。
ラストに、赤瀬川原平さんの代表作、いわずと知れた大発見の「老人力」を取り上げています。
目次
老人読書もけっこう過激なのだ
壱
本を捨てない人たち
減らすのだって楽じゃない
路上読書の終わり
新しいクセ
遅読がよくて速読はダメなのか
月光読書という夢
「正しい読書」なんてあるの?
本を増やさない法
近所の図書館を使いこなす
退職老人、図書館に行く
渡部型と中野型
弐
背丈がちぢまった
ニベもない話
私の時代が遠ざかる
もの忘れ日記
漢字が書けない
老人演技がへたになった
八方にでてパッと凍る
<死者の国>から
本から本へ渡り歩く
老人にしかできない読書
ロマンチック・トライアングル
参
映画はカプセルの中で
いまに興味がない
病院にも「本の道」があった
幻覚に見放されて
友だちは大切にしなければ
書くよりも読むほうがいい
むかしの本を読みかえす
怖くもなんともない
古いタイプライター
もうろくのレッスン
あとがき
津野海太郎:
1938年福岡県生まれ。早稲田大学卒業後、劇団「黒テント」で演出家として活動する一方、晶文社の編集責任者として、植草甚一やリチャード・ブローティガンなど、60年代、70年代の若者文化の一翼を担う書物を次々世に送り出す。のち「季刊・本とコンピュータ」編集長、和光大学教授・図書館長をつとめる。現在は評論家。
著書に「おかしな時代 『ワンダーランド』と黒テントへの日々」、「花森安治伝 日本の暮らしをかえた男」「したくないことはしない 植草甚一の青春」、「ジュエローム・ロビンスが死んだ」、「電子本をバカにするなかれ 書物の第三の革命」などがある。
(たぶん)次に読む津野海太郎の本
「読書と日本人」
岩波新書
著者:津野海甚郎
発行所:株式会社岩波書店
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