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伊藤比呂美の「読み解き『般若心経』」(朝日新聞出版:2010年1月30日第1刷発行)を読みました。この本、ずいぶん前に購入してあったのですが、難しそうなので後回し、なかなか手に取ることが出来なくて、「ショローの女」を読んで、やっと読んでみる気になりました。表紙の左上に、小さく「エッセイ+お経+現代語訳」とあります。これが大変な労作です。すごい本です。そんじょそこらの作家・詩人では、簡単には書けません。「伊藤比呂美も先人たちの手を借りて、テキストをしつこく読み込んだらしい」と津野海太郎は言う。
たまたまいま、津野海太郎の「最後の読書」(新潮文庫:令和(2021)3年9月1日発行)をパラパラと開いてみると、伊藤比呂美を幾つかの箇所で取り上げています。例えば、ごく一部ですが「古典が読めない」という箇所。
というのも、じつはこれとおなじ時期に、古典の現代語訳という領域でいくつかの新しい動きが生じていたからです。そこでまっさきに思い浮かぶのが伊藤比呂美訳による仏経典や中世の民衆的な「語りもの」。すなわち2004年の「日本ノ霊異(フシギ)ナ話」にはじまり、「読み解き『般若心経』」、「たどたどしく声に出して読む歎異抄」、「新訳説教節」をへて、「日本文学全集」(池澤夏樹編)に収録された説教節「かるかや」や「日本霊異記」や「発心集」などにいたる雄渾な流れ…。
なかでも個人的には「新訳説教節」から受けた衝撃が大きかった・・・。
しかし本来は、この退屈な「道行き」こそが「語りもの」としての説教節のいわばキモだったのではないだろうか。と、そう伊藤は考えた。
そこを伊藤比呂美は現代詩人の手のうちにある「行かえ」のワザによって突破しようとするこころみ、それに成功した。活字組み散文の原点ではあれほど退屈だった「道行き」が、ひいては説教節という中世の「語りもの」の底ふかくに埋もれていた力が、伊藤の現代語訳によって、堀田善衛のいう「読んでいると肉体的なまでに快くなる」ものとして、みごとに掘り起こされたのです。
伊藤比呂美の本、今までたくさん読んできたような気持ちでいましたが、読んだのはまだ4冊にすぎません。「読み解き般若心経」が5冊目になります。
実はあと4冊購入済み、読まれるのを待っています。(津野海太郎の挙げた古典の現代語訳も購入して、もちろんですが読んでみたい)。
「女に一生」
「閉経記」
「たそがれゆく子さん」
「良いおっぱい悪いおっぱい」
読み解き「般若心経」目次
読み解き「懺悔文」
女がひとり、海千山千になるまで
読み解き「香偈」「四奉行 」
おはいりください
読み解き「般若心経」
負うた子に教えられ
新訳「般若心経」
読み解き「発願文」
忘れること忘れないこと
読み解き「大地の歌」
浄土をさがして
読み解き「ひじりたちのことば」
いぬの話
読み解き「白骨」
ほらほらこれがぼくの骨だ
読み解き「観音経」
あなたにはかんのんがいる
読み解き「地蔵和讃」
母が死んで、父が残った
読み解き「七仏通戒偈」「無常偈」
いつか死ぬ、それまで生きる
読み解き「四弘誓願」
ぼんのうはつきません。あとがきにかえて
以下、勝手にアンコール。
(「あとがきにかえて」より)
「四弘誓願」
衆生無辺誓願度
煩悩無尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成
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伊藤比呂美:
1955年、東京都生まれ。詩人。78年に現代詩手帖賞を受賞してデビュー。80年代の女性詩人ブームをリードし、『良いおっぱい悪いおっぱい』にはじまる一連のシリーズで「育児エッセイ」という分野を開拓。「女の生」に寄り添い、独自の文学に昇華する創作姿勢が共感を呼び、人生相談の回答者としても長年の支持を得る。米国・カリフォルニアと熊本を往復しながら活動を続け、介護や老い、死を見つめた『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(萩原朔太郎賞、紫式部文学賞受賞)などを刊行。2018年より熊本に拠点を移す。
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