佐久間文子の「ツボちゃんの話 夫・坪内祐三」(新潮社:2021年5月25日発行)を読みました。この本を書いている佐久間文子さんは、坪内祐三の配偶者?、連れ合い?、ともに離婚経験者(入り組んでいるのでよくわかりませんが)、もともと朝日新聞文化部の記者、文章が上手い、ぐいぐい読ませます。朝日新聞の書評欄には、あの辛口の横尾忠則が「輪っかになって想いは転生する」と題して、好意的な書評を述べています。それにしてもツボちゃんは、恵まれた幸せな人生でした。
博覧強記の東京っ子。
類まれな同時代史の書き手が急逝して1年半。
妻が語る25年の記憶。
そう、みんなツボちゃんのことを忘れない。
「もうすぐ死ぬから」のあとで、「ぼくが死んだらさびしいよ?」と言うこともあった。そんなのわかってる、と思っていたけど、想像した以上に彼のいない毎日はさびしい。
生活圏が僕とかなり重なっています。過去に以下のように書きました。
坪内祐三には、一度もお会いしたことがありません。恥ずかしながら、坪内祐三の著作は、一冊も読んだことがなく、持ってもいません。もちろん、古くからその名前は知っていました。世田谷線沿線で育ち、現在も三軒茶屋にお住まいで、事務所もその周辺にあることは以前から知っていました。
僕も長年、三軒茶屋に住んでいて、世田谷線をよく利用していました。世田谷線松原駅周辺では、「生活クラブ赤堤館」へはよく行っていたので、周辺のことはよく知っていたし、角の増田屋では昼食にお蕎麦を食べたりもしました。
今回「ツボちゃんの話」を読んだら、ますます重なっていました。僕も「味とめ」にはよく行ってたんですよ。
三軒茶屋のすずらん通りにある「味とめ」には、しょっちゅうではないけど、30年以上通っていた。三茶・すずらん通りの「味とめ」と、神保町・すずらん通りの東京堂に出没する自分を「すずらん通りの男」と言っていた。「味とめ」のお母さんからは、「お兄ちゃん」と呼ばれていたのに、雑誌「鳩よ!」の坪内特集の撮影で写真家の荒木経惟さんと一緒にお邪魔してからは、「先生」に格上げされた(その後も時々、「お兄ちゃん」に戻っていたけど)。・・・「味とめ」のお母さんや料理人である息子さん、従業員のかたたちも、通夜と葬儀に来てくださった。
過去に読んだ坪内祐三の書籍は、思いのほか少ない、以下の通りです。
坪内祐三:
1958年5月8日東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。同大学院英文科修士課程修了。雑誌「東京人」編集者を経て、1997年初の単著「ストリートワイズ」(晶文社)刊行。2000年より単独編集した「明治の文学」25巻(筑摩書房)を刊行。2001年「慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り」(マガジンハウス)で講談社エッセイ賞受賞。文芸誌「en-taxi」編集同人を務める。著書に「シブい本」「靖国」「古くさいぞ私は」「文庫本を狙え!」「文学を探せ」「三茶日記」「後ろ向きで前へ進む」「一九七二」「まぼろしの大阪」「文庫本福袋」「私の体を通り過ぎていった雑誌たち」「『別れる理由』が気になって」「古本的」「考える人」「変死するアメリカ作家たち」「人声天語」「文庫本玉手箱」「酒中日記」「探訪記者松崎天民」「父系図」「文藝綺譚」「東京タワーならこう言うぜ」「大相撲新世紀2005-2011」「昭和の子供だ君たちも」「右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない」「新・旧銀座八丁 東と西」「本の雑誌の坪内祐三」「みんなみんな逝ってしまった、けれど文学は死なない」「玉電松原物語」「文庫本千秋楽」等。共著に「暴論・これでいいのだ!」(福田和也対談)「東京」(写真・北島敬三)「倶楽部亀坪」(亀和田武対談)等。2020年1月13日、心不全のため急逝。
佐久間文子:
1964年大阪府生まれ。1986年、朝日新聞社に入社。文化部、「AERA」、「週刊朝日」などで文芸や出版についての記事を執筆。2008年から書評欄の編集長を務め、2011年に退社。著作に「『文芸』戦後文学史」(河出書房新社)。
朝日新聞:2021年6月19日
これまで読んだ、これから読もうとしている購入済みの坪内祐三の著作を、下に挙げておきます。
「玉電松原物語」
2020年10月15日発行
2020年11月20日二刷
著者:坪内祐三
発行所:新潮社
「最後の人声天語」
文春新書
2021年1月20日第1刷発行
著者:坪内祐三
発行所:文藝春秋
「慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り」
講談社文芸文庫
2021年1月8日第一刷発行
著者:坪内祐三
発行所:講談社
「文庫本千秋楽」
2020年11月25日初版第一刷発行
著者:坪内祐三
発行所:本の雑誌社