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代々木競技場「最年少」重文に!

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1964年の東京五輪を機に建設され、つり屋根構造の外観が特徴的な国立代々木競技場が、国の重要文化財の指定される見通しになったという記事が、朝日新聞に載っていました。

また建築関連では、重要文化財に前川國男の処女作「木村産業研究所」(青森県弘前市)が選定されていました。

 

 

朝日新聞:2021年5月22日

 

以下、参考までに…

 

国立代々木競技場(東京都渋谷区)

1964年の東京オリンピックの水泳会場として建設されたこの建物は、丹下健三の名を一般社会の中で決定的の確立するとともに、それ以後の世界的な活動を約束する契機ともなった。

1960年代の建築は、世界的に見ても構造的な存在感を表現の主軸に据えたものが多いが、この建物はそうした世界の潮流の中で、日本が残した大きな成果である。

丹下健三は、建築に要求される機能・構造・表現を、明快に一義的にまとめ上げるという希有な能力を持っていた。それは彼が戦後に建築にかかわり始めて以来、一貫して保ち続けた特質であり、彼に比較し得る強さを持った建築家としては、わずかにI.M.ペイが考えられる程度である。

そうした丹下健三の軌跡のピークに、この建物配置する。高張力ケーブルおよび鋼材による吊屋根の構造は、いわゆるHPシェルの大架構には見られない、空間を内包しながらも絞り込み、そして竜童紀あさせる力を持っている。これは、多少類似性のあるエーロ・サーリネン設計の「イェール大学ホッケーリンク」(1958)と比較してみると一層明瞭になる。「国立屋内総合競技場」は、規模においてはるかに大きいが、そのためだけではなく、サーリネンの作品に見られる軽快さがない。これはこの建物の欠点ではなく、この建物の特質である。この建物の棟の線は、日本の民家の棟を思わせる落ち着きを漂わせているとしばしば評されるが、つまり丹下の空間の流動性は、大きな安定した枠組みの中での流動性なのであり、言い換えるならば、日本の建築的伝統の中で解釈し得る近代空間なのである。

この作品以降、丹下はインターナショナルな空間性の度合いを強めてゆく。

仮に丹下健三の作品を前期と後期に分けるならば、この建物は確実に前期の締めくくりとピークとを成す作品である。同時にそれは、日本の建築が西欧に時差なく参入し終えたことを示す存在ということでもあるのだ。

(「新建築 建築20世紀PART2」鈴木博之より)

 

木村産業研究所(青森県弘前市)

昭和7年(1932)竣工、前川國男27歳

フランスに留学後、ル・コルビュジエのもとで学び、帰国後手がけた前川國男最初の仕事。2年間のパリ留学の帰途の船上で、母方の父母と同郷の木村隆三の依頼により設計した。前川がル・コルビュジエのモダニズムの理念を実現した記念すべき建物である。昭和10年(1935)に、ここを訪れたドイツの建築家ブルーノ・タウトが、著書「日本美の再発見」で、「コルビュジエ風の新しい白亜の建物」と記している。玄関の縁取られた青いタイルなど、前川のこだわりが随所に感じられる。

平成15年(2003)6月DOCOMOMO100選に選定、平成16年(2004)国の登録有形文化財に登録。

(「弘前 前川國男建築を訪ねる」より)

 


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