アリス・マンローの「ディア・ライフ」(新潮社:2013年12月10日発行)を読みました。 マンローの「小説のように」を読んで、このブログに書いたのが2011年3月のことでした。実はそのすぐ後に、マンローの代表作である「イラクサ」を購入して読もうと思っているうちに、マンローのノーベル賞受賞の報道がありました。そこで急に、最新で最後の短篇集「ディア・ライフ」を購入して、こちらを先に読むことになりました。ほぼ半分は昨年末までに読んだのですが、それからがなかなか進まない。全部読み終わるまで、結局、3月末までかかってしまいました。
アリス・マンローは、2013年ノーベル文学賞を受賞しました。当時の新聞は村上春樹が受賞確実と報じていましたが、また先走って「村上春樹がノーベル文学賞受賞」という誤報が流れたりもしました。結局のところ「ノーベル文学賞」は、マンローが受賞してしまいました。僕は村上春樹の本は一冊も読んでいませんし、たぶん、これからも読まないでしょう。日本でただ一人のノーベル文学賞受賞者である大江健三郎の本は、ほとんど読んでいます。
ここからは小竹由美子の「訳者あとがき」に多くを従って進めます。アリス・マンローの受賞理由は、「短篇の名手であること」だったという。日本では短編小説がよく読まれていますが、英語圏では短編小説の位置づけが総じて低いという。アメリカでもイギリスでも、新人作家は短篇集でデビューして、次に長篇小説に挑むのが暗黙の了解になっているという。
アメリカの作家エイミ・タンはブログで、以下のように記しているという。ノーベル文学賞はともすると政治的姿勢を明確にしている作家に与えられる傾向があるが、今年は文学的価値のみによって決定されたこと、これまで家庭はキャンバスが小さすぎ、本当に素晴らしいものは書けないと見なされてきたが、今回の受賞は、家庭生活を描いた物語の価値を認めたものだ、と。
パーキンソン病に苦しむ母の代わりに12歳のときから家事を担い、若くして結婚して22歳で母親となり、4人の子を産み育て、子供たちを昼寝させているあいだにタイプライターに向かい、掃除洗濯をしながら物語の構想を練り、さまざまな世代のさまざまな女たちの人生を主な素材として、ひたすら短篇という形式を磨き上げてきました。
松下仁之は、以下のように言う。普通の人々のどうすることもできない境遇や、偶発的な出来事によって左右される人生をモチーフに選ぶのは、マンロー自身がそのような日々を送ってきたからではないか。世界をあらたにつくる長篇ではなく、すでにある世界を切りとり見つめる短篇の形式を選んだのは必然のなりゆきなのだ、と。
現在のところマンロー最後の短篇集ということになっている「ディア・ライフ」は、10の短篇に加えて、作者が「気持ちとしては自伝的な作品だが、実のところそうとは言い切れない部分もある」という4篇が「フィナーレ」として括られて末尾を飾っています。「ディア・ライフ」は、計14の短篇集ということになります。一つ一つ論評したいところですが、到底僕の力ではなし得ません。
例えば「列車」という作品。第二次世界大戦が終わり、ひとりの帰還兵が列車から飛び降ります。彼は歩き出し、ベルという女性が家畜小屋で動物たちの世話をしているのに出くわします。彼女の父は新聞のコラムニストで、母は1918年にインフルエンザが流行して以降、精神を病んで閉じこもって生きています。しかし両親が相次いでなくなり、ベルは天涯孤独の身の上になってしまいます。家の中はあちこち補修が必要で、男はその手伝いをしながらベルとともに暮らし始めます。彼がまずやらなければならなかったのは、寒さの到来に備えて台所とはべつの就寝用の部屋を作ることでした。ベルといるときは、彼はなにも話さなくてよかった。ベルは彼より16歳年上でした。ベルの父親は列車に轢かれて死にました。同じ列車から男は飛び降りて、ベルの家にやってきました。彼はなぜそんなことをしたのか、最後になってわけを知らされます。
ほとんどのマンローの作品は、町のはずれ、「売春婦やたかり屋が住んでいるような一種のゲットー」に近い生家が舞台です。巻末にある「フィナーレ」は、マンローの意志が示されていると考えられています。その中の一つ「ディア・ライフ」の最後は、以下のように突然終わります。何かについて、とても許せることではないとか、けっして自分を許せないとか、わたしたちは言う。でもわたしたちは許すのだ――いつだって許すのだ。
本のカバー裏には、以下のようになります。
キスしようかと迷ったけれどしなかった、と言い、家まで送ってくれたジャーナリストに心を奪われ、幼子を連れてトロントをめざす女性詩人。片田舎の病院に新米教師として赴任した女の、ベテラン医師との婚約の顛末。父親が雇った既婚の建築家と深い仲になった娘と、その後の長い歳月。第二次大戦から帰還した若い兵士が、列車から飛び降りた土地で始めた新しい暮らし。そして作家自身が“フィナーレ”と銘打ち、実人生を語る作品と位置づける「目」「夜」「声」「ディア・ライフ」の四篇。引退を表明したアリス・マンローが、人生の瞬間を眩いほど鮮やかに描きだした、まさに名人の手になる最新にして最後の短篇集。
アリス・マンロー(Munro,Alice):
1931年、カナダ・オンタリオ州の田舎町に生まれる。書店経営を経て、1968年、初の短篇集Dance of the Happy Shadesがカナダでもっとも権威ある「総督文学賞」を受賞。やがて国外でも注目を集め、ニューヨーカーに作品が掲載されるようになる。寡作ながら、三度の総督文学賞、W・H・スミス賞、ペン・マラマッド賞、全米批評家協会賞ほか多くの賞を受賞。おもな作品に『イラクサ』『林檎の木の下で』『小説のように』など。チェーホフの正統な後継者、「短篇小説の女王」と賞され、2005年にはタイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選出。2009年、国際ブッカー賞受賞。2013年、カナダ初のノーベル文学賞受賞。『ディア・ライフ』は2012年刊行の最新にして最後の短篇集。
小竹由美子:
1954年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。訳書にアリス・マンロー『イラクサ』『林檎の木の下で』『小説のように』、ネイサン・イングランダー『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』、ジョン・アーヴィング『ひとりの体で』ほか多数。
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