出光美術館で「板谷波山の夢みたもの」を観てきました。観に行ったのは1月14日でした。板谷波山と言えば、泉屋博古館や講談社野間記念館でも波山の優品を持っています。それぞれの美術館では、「優品展」などでは必ず波山の作品が展示されています。僕が波山の作品を纏まって観たのは、泉屋はっ古館分館で観た「板谷波山をめぐる近代陶磁」展でした。
泉屋博古館分館で「板谷波山をめぐる近代陶磁」展を観た!
講談社野間記念館で波山の作品を観た時には、以下のように書きました。
板谷波山の「葆光彩磁妙音紋様大花瓶」、波山がヨーロッパ窯業の技術を取り入れ、白磁や青磁など東洋の伝統技法にも創意を加え、近代陶芸の衣裳改革を目指してきた波山の、大正初期の一つの結論として完成させた様式である、と解説にあります。光沢のないマット釉の採用で、紋様が線としてよりも色彩のグラデーションとして表現されたもので、大きくて安定感のある堂々とした作品です。
振り返ってみると、出光美術館でも「麗しのうつわ―日本やきもの名品選」を観ていました。図録を見てみると、そのなかで波山の作品が7点出されていました。
チラシには、以下のようにあります。
板谷波山は、明治・大正・昭和の美術思潮に応えながら、困難な時代を乗り越え、最高の美を求め続けました。美しさを夢みる力は、高い理想と誠実な技術に貫かれた作品のすべてに、魂のように籠められています。生涯をかけて自己への厳しい姿勢で追求された陶芸は、波山を、そして私達を至福の世界に包み込むものに他なりません。波山が世を去って半世紀の今、出光コレクションの波山陶芸約180件と、その肉筆画波山の息吹を伝える素描約120件を一堂に展観し、私たちの時代へ、夢みる力を問いかけます。
以下、図録の作品解説による。
「彩磁玉葱形花瓶」、玉葱をかたどる小さな花瓶は、実はアール・ヌーヴォーの意匠であり、エミール・ガレのガラス器などにもあらわされている。薄紫や緑などの色彩が溶け合い、ガラス器と見まがうばかりの本作は、波山がまだ「波山」銘を記さない、最初期の習作である。
「葆光彩磁紅禽唐草文花瓶」、波山の独創的な技法である葆光彩は、艶消しの葆光釉をかけることで、薄絹を透かしたような淡い光を放つ。「葆光」とは光を包むという意味で、波山の命名による。葆光彩の技術は、この小品で最初に完成の域に達したといわれる。
「葆光彩磁草花文花瓶」、波山の葆光彩磁のなかでも、もっとも軽やかで優美な作品のひとつ。平坦な口縁から、胴の中央がふくらみ、底に向かってすぼまる器形は、花の意匠を効果的に見せる形としてつくられたもの。口縁と胴裾に帯文様をめぐらせ、中央の広い余白には、淡い色彩で逆S字曲線をなすチューリップが等間隔に配される。逆S字曲線は、江戸時代後期の『更紗図譜』「白ケシ更紗」をもとに考案された意匠である。
「葆光彩磁花卉文花瓶」、波山の葆光彩のなかでも傑作に数えられる優品で、木蓮や紅梅など、早春の花があらわされている。臙脂、青、淡い緑の花々は、端正な彫刻文様の上に彩色され、葆光彩の淡いヴェールのようなかがやきに包まれて、朝霧に匂い立つかのようである。明治末期から始められた葆光彩の技法が完成期を迎えた頃の作で、波山芸術の到達点ともいわれている。
「彩磁八ッ手葉文手焙」、アール・ヌーヴォーの植物図案の中で、波山がもっとも好んで使ったモチーフが八つ手であった。うつわを包み込むように広がる葉のデザインは、素描集にも残されている。本作では艶やかな八つ手の葉に、四六可憐な花が添えられている。手焙は手を温めるのに使う小型の火鉢。手取りのずっしりと重い、堂々たる作である。
「彩磁唐花文花瓶」、東洋陶磁の王道ともいえる染付の美を、波山らしい清新な表現であらわした優品である。外反する口縁に短い頸がつき、胴は上部を心もち膨らませた姿となる。口縁には細かい連続文様をつなぎ、胴には、空間をいっぱいに使って大きな唐花が花開く。花や蕾は、丸味のある形にデザイン化され、花群が上から下に大きく風に揺らされた瞬間のように見え、動きを感じさせる。
板谷波山(1872-1963)は、茨城県下館市の生まれ、号の「波山」はさもありなん、故郷の筑波山にちなむという。上京して東京美術学校彫刻科へ入学、岡倉天心、高村光雲らの指導を受けます。横山大観・下村大観・菱田春草・木村武山などの日本画家も机を並べていたようです。美術学校卒業後、石川県工業高校の彫刻の教諭として採用されます。高校で陶芸の指導をすることがきっかけで、自身も作陶の道に入ります。高校を退職して上京後、本格的に作陶の道を進みます。河井寛治郎や濱田庄司は、この頃の波山の弟子だったそうです。
波山は、次第に数々の賞を受けるようになります。大正6年の日本美術協会展で、波山は「葆光彩磁珍果文花瓶」が1等賞金杯に輝き、日本陶芸界の頂点に立ちます。「葆光」とは、光沢を隠し、物の線界をやわらかく薄く描くことで、つや消し釉で淡い幻想的な色彩を創り出しました。この作品が平成14年に、宮川香山の作品と共に、近代の陶磁器としては初めて「重要文化財」に指定されました。昭和28年には陶芸家として初の文化勲章を受賞しました。
展覧会の構成は、以下の通りです。
序章 <波山>誕生―生命主義の時代と夢みる力
第1章 波山の<眼>と<手>―陶芸を掘る、陶芸を染める
第2章 波山の夢みたものⅠ―色彩と白、そして光
第3章 波山の夢みたものⅡ―鉱物・天体・植物・動物
第4章 あふれる、夢の痕跡―図案と写生
終章 至福の陶芸
第1章 波山の<眼>と<手>―陶芸を掘る、陶芸を染める
第2章 波山の夢みたものⅠ―色彩と白、そして光
第3章 波山の夢みたものⅡ―鉱物・天体・植物・動物
終章 至福の陶芸
「板谷波山の夢みたもの」
近代日本を代表する陶芸家、板谷波山(いたやはざん 1872~1963)は、激動の明治・大正・昭和を生きぬき、比類なく美しい、精妙な陶芸の数々を遺しました。その功績は高く讃えられ、昭和9年(1934)に帝室技芸員に任命され、昭和28年(1953)には陶芸家として初の文化勲章を受章します。東京美術学校彫刻科で学んだ波山は、明治時代末期から大正時代にかけて頭角をあらわします。彫刻の技を生かした「薄肉彫(うすにくぼり)」で文様を精緻に浮彫し、そのうえに色を与え、きらめく釉薬をかけた「彩磁(さいじ)」や、光を柔らかく包む艶消し釉をかけた「葆光彩(ほこうさい)」など、独創的な陶芸世界を切りひらいてゆきました。アール・ヌーヴォー様式の西洋陶芸を研究したことが知られる波山ですが、その作品には、実は同時代の近代日本芸術との共通性が多く見出せることに驚かされます。西洋絵画の刺戟(しげき)を受けて色彩や光を追求した黒田清輝(くろだせいき)や小杉放菴(こすぎほうあん)といった画家たちなど、美術の領域はもちろん、夏目漱石や泉鏡花の小説に指摘される生命礼賛の「生命主義」や、宮沢賢治の詩や童話にみられる星と結晶への憧憬など、波山の陶芸は、美術・文学を包含した近代日本芸術の土壌に育まれ、花開いたことがわかります。本展では波山を陶芸家としてのみならず、一人の芸術家としてとらえなおし、近代の芸術・科学と奏であう響きに耳を澄ますことで、波山芸術の豊饒さへと深く分け入ってゆきます。数度の戦争や震災を経た91年の生涯を、ひたすらに美しいもの無垢なものを夢みつづけて歩みとおした波山。波山が世を去って半世紀の今、遺された作品をふりかえり、至福の陶芸世界と、その源泉にある夢みる力を感じていただければ幸いです。
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