中村文則の「去年の冬、きみと別れ」(幻冬舎:2013年9月25日第1刷発行)を読みました。 一目見て、あまりにもロマンチックなタイトルなので、芥川賞受賞作の「土の中の子供」や、大江健三郎賞受賞作の「掏摸」を書いた人なのかと驚きました。が、そんなはずはない、本の帯には「日本と世界を震撼させた著者が紡ぐ、戦慄のミステリー」とあります。
「日本と世界を・・・」ということは、「掏摸」の英語版の評価が高く、LAタイムズ文学賞最終候補や、ウォールストリート・ジャーナル2012年ベスト10小説に選ばれたことによります。そのきっかけは、受賞作を翻訳して出版するという、大江健三郎賞受賞でした。なんと「掏摸」は世界10ヶ国に広がっていて、英訳は3冊目になるという。
本の帯には、以下のようにあります。
愛を貫くには、こうするしかなかった。
ライターの「僕」は、ある猟奇殺人事件の被告に面会に行く。彼は、二人の女性を殺した容疑で逮捕され、死刑判決を受けていた。調べを進めるほど、事件の異様さにのみ込まれていく「僕」。そもそも、彼はなぜ事件を起こしたのか?それは本当に殺人だったのか?何かを隠し続ける被告、男の人生を破滅に導いてしまう被告の姉、大切な誰かを亡くした人たちが群がる人形師。それぞれの狂気が暴走し、真相は迷宮入りするかに思われた。だが・・・。
これは、冷酷な狂気か、美しき純愛か?
物語はライターの「僕」が一審で死刑判決を受けた被告に拘置所に会いに行く場面からはじまります。「あなたが殺したのは間違いない。・・・そうですね?」と言うと、男はアクリル板を隔てて逆に「覚悟は、・・ある?」と視線を逸らさずに言います。「僕はあなたについての本を書くと決めたのです」と言うと、男は去り際に言う。「きもと二人で、考えていくことになるかもしれない。僕がなぜ、あんなことをしたのか、ということを」。
木原坂雄大、35歳。二人の女性を殺害した罪で起訴され、一審で死刑判決を受け、現在は高等裁判所への控訴前に被告になります。職業はアート写真しか撮らないカメラマンで、母方の祖父の遺産で生活していました。幼い頃、母が失踪し、父親は避けに溺れていたので、姉と共に児童養護施設で暮らしています。カメラマンとしての評価は高く、無数の蝶が乱れ飛んだ「蝶」を撮った写真は、海外で賞を受賞しています。「蝶」を推したロシアの写真家は「真の欲望は隠される」と評しています。
「僕」は、殺人者の姉、木原坂朱里に会う。「あなたでは無理ね」「私達の領域にまで、来ることはできない」と言う。そしてカポーティの「冷血」を読んだことあるか、と言う。「カポーティはあのノンフィクションを書いて、心を壊してしまった。一家を惨殺した、あの犯人達のノンフィクションを。でも彼はそれを書き上げることができた。だけど・・・、あなたは途中で投げ出すでしょう」と。
弟は言う。「姉さんには、悪い癖があるんだよ。人を駄目にしたくなるような、いや、人を駄目にすることで、自分を駄目にしたくなるようなところがある」。「姉さんは、一人では決して堕ちていかない。人を巻き込むんだ」。
木原坂雄大の、唯一ともいえる友人、加谷は言う。「芥川龍之介の『地獄変』という小説を、あなたもご存知でしょう?」。僕は頷きます。「絵に狂った絵師が、自分の娘が実際に焼け死んでいく様子を見、それを絵に描く。その後絵師は自殺しますが、残ったその地獄変の描かれた屏風は凄まじい芸術性を放つ・・・。」「でも彼は違う。ただ燃やしたんです。芸術家であるのに写真も撮らずに」。僕は言う。「二人も殺している。一人目の時は火事、つまり事故として処理されましたが、二人目を殺した時、全てが明るみになった。片方が事故で片方が殺人なんて、そんな都合のいいことがあるわけがない。両方とも彼がやったことが明らかになった」。
「彼は昔、こんなことを言ってましたよ。写真とは模倣であると。写真は模倣であるけど、模倣以上のものだと」。「あと、芸術とは一種の暴露であるとも」。僕は「文学とは、世界、ことに人間を、世界に向かって暴露することである、というようなことをサルトルは書いてました」と言います。
「・・・僕はね、ちゃんと死刑になろうとしている。だけど、時々、揺らぐことがあるんだ。・・・最近幻覚が酷いんだ。姉さんだって助けてくれない」。「あの二つの事件は、僕のせいじゃないんだ。彼女達が悪いんだよ。・・・一回目の事件、吉本亜希子のこと。彼女は美しかった。僕は目が見えない彼女の支えになろうと思った。・・・二件目の事件の、小林百合子のことは、あれはね、彼女の方から僕に近づいてきたんだ。本当だよ。彼女はね、死にたがっていた」。「僕は逮捕された」。
画面は彼女と彼女の向き合うそのカメラを、右側から捉えています。「男がしゃがみ込み、トランクを開ける。巨大なトランク。中に女が入っている。木原坂雄大の姉。小林百合子はそれを見ると、安心したように男に何かを言い始める。彼女と男は、トランクから朱里を出す。彼女は深く眠っているように見える」。油を注ぐ。ソファにも、ソファの下の絨毯にも。男はマッチをすり、朱里に向かって投げる。ドアが開く。別の男が入ってくる。煙が噴出し、火がさらに激しくなる。男は不意に、固定されたカメラに飛びつき、シャッターを切る。何枚も何枚も。彼が小林百合子の名を叫んでいるのがみえる。でももうこの場所には、彼と姉しかいない。
画面が一台の車に近づく。車内には小林百合子と男がいる。男が、小林百合子に木原坂雄大の姉の部屋の鍵や、保険証、年金手帳などを渡している。偽造した写真も、字体を覚えるための彼女の日記なども。車がゆっくり走り出す。映像はそこで不意に終わる。
「脳天気な明るさは僕の小説にはいらない。悪を見ながら、善を書く。冷酷さや残酷さを踏まえた上で、希望を描くのです」と、中村文則は言う。「物語はミステリー、人間の内面を描いていく手法は純文学」という、書き下ろしの長篇です。
中村文則:略歴
1977年愛知県生まれ。福島大学卒。2001年「銃」で新潮新人賞を受賞しデビュー。04年「遮光」で野間文芸新人賞、05年「土の中の子供」で芥川賞、10年「掏摸(スリ)」で大江健三郎賞を受賞。「掏摸(スリ)」は世界各国で翻訳され、アメリカ・アマゾンの月間ベスト10小説、アメリカの新聞「ウォール・ストリート・ジャーナル」で2012年の年間ベスト10小説に選ばれ、さらに13年、ロサンゼルス・タイムズ・ブック・プライズにもノミネートされるなど、国内外で話題をさらった。他の著書に「何もかも憂鬱な夜に」「悪と仮面のルール」など。
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