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国立新美術館で「88th国展」を観た!

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美術の春、公募展は日本の文化。


国立新美術館で「88th国展」を観てきました。毎年、知人から案内を頂くので、5月の連休頃になると、観に行くのが恒例になってきました。「国画会」はかなり歴史のある団体で、過去には近代日本美術の先駆者として活躍した先達を輩出したようです。


いつも思うのですが、絵画・版画・彫刻・工芸・写真の分野で、これほどの労力を使って作品をつくり続けるモチベーションは一体どこから来るのか、ということです。たしかにひとつの歴史的な作品が生まれるのには、無数の無名の作品が存在し、必要なのでしょう。これほどの大量の作品を並べられると観る方も疲れますが、出す方はもっと心血を注いだ労力がかかっているのでしょうが・・・。


それはそれとして、こうしてブログを書いているのも、膨大な作品の山のなかから、自分の好きな作品の傾向を探るという意味では、観る価値があるかと思います。いずれにせよ、僕の好みは、絵画も彫刻も、抽象よりは具象の方が好きなようです。下に気になった作品を載せておきます。ほんの一部ですが・・・。


会場風景(彫刻部)

koku5

彫刻部





絵画部







koku4 「88th国展」

絵画・版画・彫刻・工芸・写真

案内はがき

会場:六本木国立新美術館

2014年5月1日(木)~5月12日(月)

主催:国画会








「国画会」の成りたち:ホームページより
1918年(大正7年)文展から自由な制作と発表の場を求めて、京都の青年日本画家・小野竹喬、土田麦僊、村上華岳、野長瀬晩花、榊原紫峰、入江波光らは在野としての「国画創作協会」をおこし、その通称を「国展」とした。
 創立宣言・・・「各自ハ各自ノ自由ノ創造ヲ生命トス」
 (要旨)   「芸術ノ創作ハ極メテ自由ナラザル可カラズ」
        「本会ハ創作ノ自由ヲ尊重スルヲ以テ第一義トナス」
同協会は1925年(大正14年)土田麦僊と交流のあった梅原龍三郎を招き、さらに川島理一郎を加え第1部を日本画部とし、第2部として洋画部(現絵画部)を設置した(翌1926年が第1回国展に相当)。そして1928年(昭和3年)国画創作協会の解散に伴い、第2部は名称を「国画会」として独立し、通称の「国展」もそのまま継承した。草創期の国画会の果たした在野団体としての役割は、福島繁太郎の影響もあり、毎年のように諸外国の優れた作家たち(マチス、ボナール、ロダン、ブールデル、バーナード・リーチ、ルオー、モネ、ルノワール、シャガール、ピカソ、セザンヌ等々)を特別陳列して世に広く紹介したことが特筆される。この事は内部的に研鑽の資となったのは勿論、対外的にも海外作品に触れることの少なかった当時の美術界には非常に有益な企画でもあった。以後、絵画部に版画部・彫刻部・工芸部・写真部を加え、5部による美術団体として、戦争激化のためやむなく中止した1945年(昭和20年)を除き、毎年春期に都美術館にて「美術の春・国展」を開催し、2005年(平成17年)には79回展に至る。現在、国画会は創立精神である「創作の自由」をモットーに、個性を重視し多様化する表現様式と新しい世代にも呼応する総合美術団体として、広くファンの支持を得ている。なお、会の運営はすべて合議制である。


「国画会事務局」ホームページ


過去の関連記事:
美術の春「国展87th」を観た!
美術の春「国展86th」を観た!
国立新美術館で「第85回 国展」を観た!
国立新美術館で「第84回 国展」を観た!
国立新美術館で「第83回 国展」を観た!






ポーラミュージアムアネックスで「EXHIBITION OF WONDERWALL AR」を観た!

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ポーラミュージアムアネックスで「EXHIBITION OF WONDERWALL ARCHIVS 02」を観てきました。前回観たのは、まったく偶然にポーラミュージアムアネックスに立ち寄った時に観ることができました。それまで片山正通という人をまったく存じ上げませんでした。近いところで仕事をしているようで、だいぶ離れているなというのが第一印象でした。その時の様子は、以下の通りです。

「EXHIBITION OF WONDERWALL ARCHIVS 01_10・・・」 を観た!


今回、始めて僕が行ったことのある“場所”が出てきて驚きました。それはJR代々木駅からすぐ近くの「代々木VILLAGE」です。変形の敷地に、通り抜けられるように、上手い具合に建物を配置し、そのほとんどが“コンテナ”を積み上げたものでした。なかなかうまく出来ていて、感心しましたが、このプロジェクトのコンセプトプロデュースは、小林武史氏が率いる「kurkku(クルック)がかかわっており、片山だけでなく、多くのアーティストや、そして植木屋さんまでが参加し、協同していたようです。事実、そのプロジェクトのことを僕が知ったのは、植木屋さんからの情報によったものでした。いずれにせよ、こうしたプロジェクトは、多くの専門の人たちとの協同の成果であることは言うまでもありません。
「代々木VILLAGE」








片山正通率いるワンダーウォールの展覧会、待望の第2弾。

ワンダーウォール初の展覧会「EXHIBITION OF WONDERWALL ARCHIVES 01」から4年。その活躍の場と規模はさらに拡がりと深まりを見せている。インテリアデザインのみならず、建築デザインディレクションなどにおいても類まれなる視点でその力を発揮し、デザイン本来の可能性と未来を可視化している。そんな彼らのデザインプロセスに、そして可能性と未来を可視化する煮煮欠かせないのが模型である。極めてアナログなツールである模型によって、最前線のデザインが生まれるという面白さ。10のプロジェクト模型が並ぶ本展は、世界各国のクライアントから支持されるワンダーウォールの魅力と実力、そして史稿のプロセスをつぶさに見ることのできる絶好の機会だ。


片山正通:

インテリアデザイナー

ワンダーウォール代表

武蔵野美術大学空間演出デザイン学科教授

1966年岡山県出身。2000年ワンダーウォール設立。クライアントのコンセプトを具現化する際の自由な発想や、伝統や様式に敬意を払いつつ現代的要素を採り入れるバランス感覚が国際的に高く評価されている。インテリアデザインを軸にプロジェクトを総合的に構築し、現在まで日本、欧州、北米、豪州、中東、アジアでプロジェクトに従事している。

www.wonder-wall.com


「ポーラミュージアムアネックス」ホームページ


won10 「WONDERWALL ARCHIVES 02」

PARCO出版

A4判変形/224ページ

バイリンガル仕様(日・英)
3600円+税/6月上旬一般発売


大江健三郎賞第8回で幕!

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歴代大江健三郎賞 受賞作・受賞者

講談社からの発表に、「今回は公開対談は行いません。なお、大江健三郎賞は第8回をもって終了いたします。」というのを見て、ほんとうに残念に思いました。まあ、それも時代の流れかと、納得せざるを得ません。

大江健三郎賞に岩城けいの「さよなら、オレンジ」が!

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大江健三郎賞第8回で幕!

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しかし「公開対談」は行われなかったが、大江さんと第8回大江健三郎賞の最後の受賞者岩代けいの対談は行われたようです。その様子を伝えているのが、上の載せた朝日新聞2014年5月14日の記事です。
岩代けいの「さよなら、オレンジ」は、大江賞を受賞する前に第29回太宰治賞を受賞していますが、なんと第27回三島由紀夫賞の候補にも取り上げられていました。選考会は5月15日、選考結果発表は「新潮」7月号誌上(6月7日発売)各選考委員の選評も併せて掲載されるようです。僕が読んだのは本谷有希子の「自分を好きになる方法」も、同じ三島賞に取り上げられているので、どちらが受賞するか、楽しみです。

岩城けいの「さようなら、オレンジ」を読んだ!
本谷有希子の「自分を好きになる方法」を読んだ!


なお、先日僕が読んでこのブログに書いた佐伯一麦の「渡良瀬」が、読んだあとに第25回伊藤文学賞を受賞しましたが、その伊藤整文学賞も今回で最後だそうで、佐伯一麦は最後の伊藤整文学賞受賞者ということになり、これも大変残念なことです。


“大江健三郎賞”関連記事:

岩城けいの「さようなら、オレンジ」を読んだ!

大江健三郎賞に岩城けいの「さよなら、オレンジ」が!
本谷有希子の「自分を好きになる方法」を読んだ!

本谷有希子の「嵐をピクニック」を読んだ!

本谷有希子「嵐のピクニック」軽さへの冒険、新境地!
大江健三郎賞に本谷さん!

「第7回大江健三郎賞・公開対談」を聞く!
第6回大江健三郎賞発表、綿矢りさ「かわいそうだね?」
綿矢りさの「かわいそうだね?」を読んだ!
「第5回大江健三郎賞、大江健三郎と受賞者・星野智幸の公開対談」を聞く!

第5回大江賞に星野智幸さん 受賞作は「俺俺」!
星野智幸の「俺俺」を読んだ!

「第4回大江健三郎賞 大江健三郎と中村文則の公開対談」を聞く!
中村文則の「掏摸」を読んだ!

大江健三郎賞に中村文則の「掏摸」が!

芥川賞受賞作、中村文則の「土の中の子供」を読む!

「第3回大江健三郎賞 大江健三郎と安藤礼二の公開対談」を聞く!

第3回大江健三郎賞選評と、安藤礼二の「光の曼陀羅」を読んだ!
安藤礼二の「光の曼陀羅 日本文学論」が大江健三郎賞に!

「第2回大江健三郎賞公開対談 大江健三郎×岡田利規」を聞く!
岡田利規の「わたしたちに許された特別な時間の終わり」を読んだ!
第2回大江健三郎賞に岡田利規さん!

長嶋有の「夕子ちゃんの近道」を読んだ!
第1回大江健三郎賞に長嶋有さんの「夕子ちゃんの近道」

講談社が「大江健三郎賞」創設 選考は大江氏1人


三島賞は本谷有希子の「自分を好きになる方法」に!

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第27回三島由紀夫賞は、本谷有希子の「自分を好きになる方法」(講談社)に決定しました。

本谷有希子の「自分を好きになる方法」を読んだ!


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■第27回 三島由紀夫賞 候補作品
 自分を好きになる方法 本谷有希子
 さようなら、オレンジ 岩城けい
 太陽 上田岳弘
 マダム・キュリーと朝食を 小林エリカ
 徘徊タクシー 坂口恭平


■三島由紀夫賞 選考委員

 川上弘美

 高村薫

 辻原登

 平野啓一郎

 町田康


「第27回三島由紀夫賞」新潮社



本谷有希子(もとや・ゆきこ)
1979年生まれ。2000年、「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。2006年上演の戯曲『遭難、』により第10回鶴屋南北戯曲賞を史上最年少で受賞。2008年上演の戯曲『幸せ最高ありがとうマジで!』により第53回岸田國士戯曲賞受賞。2011年に小説『ぬるい毒』で第33回野間文芸新人賞、2013年には『嵐のピクニック』で第7回大江健三郎賞を受賞。他の著書に『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』『あの子の考えることは変』『生きてるだけで、愛』『グ、ア、ム』など多数。


「劇団本谷有希子」  


過去の関連記事:

「第7回大江健三郎賞・公開対談」を聞く!
本谷有希子の「自分を好きになる方法」を読んだ!

本谷有希子の「嵐をピクニック」を読んだ!

本谷有希子「嵐のピクニック」軽さへの冒険、新境地!
大江健三郎賞に本谷さん!
本谷有希子原作の映画「乱暴と待機」を観た!

本谷有希子の「幸せ最高ありがとうマジで!」を読んだ!
第141回芥川賞「候補にイラン人女性、劇作家・本谷氏も」!

本谷有希子の「あの子の考えることは変」を読んだ!

本谷有希子の「生きているだけで、愛。」を読んだ!
本谷有希子の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を読んだ!
吉田大八監督の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を観た!




国立西洋美術館で「ジャック・カロ リアリズムと奇想の劇場」を観た!

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国立西洋美術館で「ジャック・カロ リアリズムと奇想の劇場」を観てきました。西洋美術館での版画といえば、思いだすのはドーミエ、デューラー、ブレイク、ピラネージ、等々です。「過去の関連記事」を集めてみると、自分が思っていた以上に西洋美術館で版画を観ていたことに気がつきました。もちろん、西洋美術館の版画コレクションは多岐に渡り数多く収集していて定評があります。


今回のジャック・カロ(1592-1635)、僕は今まで知らなかった17世紀初頭の版画家です。若い頃にローマに出て修行をし、またフィレンツェでも活動しました。フィレンツェでは、トスカーナ大公コジモ2世のデ・メディチに才能を認められ、宮廷付き版画家として活動しています。同じ時期、即興喜劇コメディア・デラルテの役者を取材した作品や、細密描写を駆使した「インプルネータの市」も残しています。


1621年頃には、主君の氏を受けて故郷ロレーヌ地方に戻りますが、以降も宮廷や聖職者たちのための作品を手がけます。1630年代には、17世紀ヨーロッパの戦争に取材した「戦争の悲惨(大)」連作や、奇怪な悪魔たちが跋扈する「聖アントニウスの誘惑(第2作)」等の大作も制作しました。「腐食銅版画(エッチング)」の技法に新境地を開き、版画史上に名前を残しました。ジャック・カロはわずか40年の生涯ですが、1400点以上もの作品を生み出しました。


展覧会の構成は、以下の通りです。


Ⅰ ローマ、そしてフィレンツェへ

Ⅱ メディチ家の版画家

Ⅲ アウトサイダーたち

Ⅳ ロレーヌの宮廷

Ⅴ 宗教

Ⅵ 戦争

Ⅶ 風景



Ⅱ メディチ家の版画家





Ⅳ ロレーヌの宮廷


Ⅴ 宗教



Ⅵ 戦争


Ⅶ 風景


「ジャック・カロ リアリズムと奇想の劇場」

ジャック・カロ(1592-1635)は、17世紀初頭のロレーヌ地方が生んだ、優れた技量と豊かな創造性を兼ね備えた版画家です。若い頃に滞在したイタリアでは、メディチ家の宮廷附き版画家に抜擢され、1621年の帰郷後も、ロレーヌの宮廷や貴族たち、聖職者たちのためのみならず、周辺諸国の貴顕たちの注文にも応えて制作を行うなど、華やかなキャリアを築きました。わずか40数年の生涯に残した作品の数は1400点以上にのぼります。当時の喧騒が今にも聞こえてきそうな祝祭や市の様子、民衆喜劇(コメディア・デラルテ)の役者たちや道化たちを描いたもの、対抗宗教改革の潮流を映した作品群、社会を暗い影で包んだ戦争に取材したもの、イタリアや1630年頃に滞在したパリ、故郷ロレーヌの風景・・・、多彩な主題を扱った画面の中では、現実に向けられた鋭いまなざしと、想像力に富んだ着想が交錯する、独特の世界が作り上げられています。また、カロは試行錯誤を重ね、腐食銅版画(エッチング)の技法に新境地を開いたことでも知られます。この新しい技法から生み出された、ときに明暗を鮮やかに対比し、ときに柔らかな空間の広がりを詩情豊かに描き出す線の表現の美しさは、見るほどに深い驚きをもたらします。本展覧会では、国立西洋美術館のコレクションに基づいて、初期から晩年に至るカロの作品を、年代と主題というふたつの切り口からご紹介します。カロの活動の軌跡をたどりつつ、リアリズムと奇想が共演するその版画世界をご覧いただきます。さらに、作品を通して、当時の芸術的潮流や社会の諸相に対するカロの姿勢を探っていくことも、この展覧会の狙いです。


「国立西洋美術館」ホームページ


cal12 「ジャック・カロ リアリズムと奇想の劇場」
入場チケット

2014年4月8日(火)~6月15日(日)
国立西洋美術館











過去の関連記事:

国立西洋美術館で「イタリア版画展―新収作品を中心に」を観た!
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国立西洋美術館で「19世紀フランス版画の闇と光」展を観た!
国立西洋美術館で「アルブレヒト・デューラー版画・素描展」を観た!
「オノレ・ドーミエ版画展」
国立西洋美術館で「かたちは、うつる」展を観た!



初夏の「新宿御苑」へ行ってきました!

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初夏の「新宿御苑」(環境省国民公園)へ行ってきました。行ったのは5月14日のことでした。なぜか今まで行く機会がなくて、実は僕は今回始めて新宿御苑へ行きました。ツツジやサツキも終わっていたので、人出はそれほど多くなく、のんびりと一周して楽しんできました。意外にも外人さんが多いのには驚きました。


新宿御苑は思っていた以上に広くて、その場所場所によっていろんな顔を持っていました。見どころはやはり「バラ花壇」周辺で、バラマニアで賑わっていました。「大温室」では、熱帯植物や絶滅危惧植物の展示がありました。代々木駅前にあるトンガリ屋根の「ドコモ・タワー」が、新宿御苑のどこからでも見えました。


新宿御苑は、徳川家康の家臣・内藤氏の江戸屋敷の一部がそのルーツといわれています。明治に入り、農事試験場を経て、明治39年(1906)に皇室の庭園となり、戦後昭和24年(1949)に国民公園として一般公開されました。園内には、フランス式整形庭園、イギリス風景式庭園、そして日本庭園が巧みにデザインされ、明治を代表する近代西洋庭園といわれています。(「新宿御苑サービスセンター」資料より)


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バラ花壇

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重要文化財指定「旧洋館御休所」

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大温室(設計:日本設計)

この温室では、気候に応じて多様に展開する熱帯の植物や、絶滅危惧植物の展示を行っています。

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平野啓一郎の「決壊(上・下)」を読んだ!

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平野啓一郎の「決壊(上・下)」(新潮文庫:平成23年6月1日発行)を読みました。上巻(480ページ)はフランス旅行中に読み、下巻(504ページ)は日本へ帰ってから一週間ぐらいで読み終わりました。現在、国立西洋美術館で「平野啓一郎が選ぶ西洋美術の名品」展が開催されており、まだブログには書いていませんが、4月17日に観に行きました。この本を読んだ直接のきっかけは、この展覧会を観に行ったことによります。


平野啓一郎については、1999年、現役京大生として芥川賞を受賞した「日蝕」を読み、続けて「一月物語」や「高瀬川」を読んだことがありました。しかし、その後はなぜか読むことがなくなり、「日蝕」「一月物語」に長篇「葬送」(第一部上・下、第二部上・下)を加えて、これらが「ロマンチック三部作」と呼ばれていたことは、ウィキペデイアを読んで、今回初めて知りました。平野啓一郎について検索してみましたが、自分のブログには書かれていないことがわかりました。当然ですが、まだブログを始めていない時期だったからです。


さて、「決壊」の表紙には、以下のようにあります。


2002年10月、京都を始めに全国で次々と犯行声明付きのバラバラ遺体が発見された。被害者は山口県宇部市で平凡な家庭を営む会社員沢野良介。事件当夜、良介はエリート公務員である兄・崇と大阪で会っていたはずだったが──。〈悪魔〉とは誰か?〈離脱者〉とは何か? 止まらぬ殺人の連鎖。ついに容疑者は逮捕されるが、取り調べの最中、事件は予想外の展開を迎える。明かされる真相。東京を襲ったテロの嵐!“決して赦されない罪”を通じて現代人の孤独な生を見つめる感動の大作。その衝撃的結末は!?


平野啓一郎が「日蝕」でデビューし、「決壊」(発売日:2008年6月26日 )は10年目に書かれた、今から6年前の作品です。正直言って「決壊」の読後感は、あまりいいものではありませんでした。逆に、なんでこれほどまでに嫌悪すべき事件ばかりを取り上げているのか、非常に不快な感じだけが残りました。新聞やテレビなどメディアで取り上げられているものばかりです。どのような意味があるのか、よくわからなかったこの作品ですが、著者のインタビューなどで、平野が作品の意図を語っていることに助けられて、なんとか理解するようになりました。


時代設定は2002年、どういう時代だったのか?2001年には「9・11」が起きて、自分たちが理解できないような事件が数々出現します。1997年の神戸連続児童殺傷事件(犯人:酒鬼薔薇聖斗・逮捕時14歳)や2000年の西鉄バスジャック事件(逮捕時17歳)を始めとする一連の少年犯罪や、2008年3月の土浦連続殺傷事件、そしてそれを参考にしたという2008年6月の秋葉原の通り魔事件、等々を知っています。


また、2002、3年頃からブログができて、一般の人でも容易に表現者になり得る時代になります。「決壊」の良介も密かに「すぅの日記」という自身のブログを持ち、良介の妻佳枝もそのブログを見ていて、コメントした人を兄の崇ではないかと誤解したりもします。14歳の北崎友哉は「孤独な殺人者の夢想」というブログを書いたりもしていました。そのブログに書き込んだ篠原勇治とオフラインで接触を持ち、ついには殺人を犯すまでになります。しかし他人とのコミュニケーションはますます難しくなります。


平野は、今の時代の問題について、次のように言います。


今の日本には非常に複雑な問題が起きています。特に僕の世代は経済的な格差が強調され、一方でワーキングプアという深刻な状況に陥っている人もいれば、他方では大きな組織で、それはそれでいろんな矛盾を抱えながら必死に働いていても、悪しき「勝ち組」のように呼ばれてしまっている人たちもいる。どちらの立場に対しても冷淡な社会に対して、信頼感をもてずに、「自分とは何だろう」という事を手探りで考え続けて、三十代を過ごしている。


決壊」というのは、ダムとか堤防とかそうですけど、ギリギリまでがんばってるものが、とうとう限界を超えて一気に壊れてしまう現象ですよね。そういう危うさというのは、日々の生活を通じてみんな感じてるんじゃないかと思います。・・・どんなに幸せそうに見えても、それぞれの人間がギリギリのところで自分を維持している。そして、人間の耐性は限界があるというのが、僕の考えです。・・・乱暴なことをすれば、当然のように人間は壊れるし、コミュニケーションは「決壊」する。それを改めて知ってもらいたい。


そもそも自分が小説というものに魅了されてきた根本に立ち返って、今こそ社会に訴えたいテーマで、小説に関心のない人が手に取ったとしても、読者を引きずり込んで問題を共有出来るような作品を、文学というものの強い力を信じて書きたいと思ったんです。・・・そうした同世代の人に向けて、そしてその世代のことが「よく分からない」という人に向けて、自分の言葉を届けたい気持ちがありました。・・・現代という困難な時代に生きているすべての人に、僕は、小説の醍醐味を十分に味わってもらい、その感情の一番深いところまで、作品の中に生きている人たちの言葉を届かせたいと願いながら、この作品を書きました。


平野啓一郎:
1975(昭和50)年、愛知県生れ。京都大学法学部卒。1999(平成11)年、大学在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により芥川賞を受賞。著書に『日蝕・一月物語』、『文明の憂鬱』、『葬送』(第一部・第二部)、『高瀬川』、『滴り落ちる時計たちの波紋』『あなたが、いなかった、あなた』、『決壊』(上・下)、『ドーン』、『かたちだけの愛』などがある。


「著者インタビュー」



河添房江の「唐物の文化史―舶来品からみた日本」を読んだ!

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河添房江の「唐物の文化史―舶来品からみた日本」(岩波新書:2014年3月20日第1刷発行)を読みました。


「唐物(からもの)」とは本来は中国からの舶来品、もしくは中国を経由した舶来品をさす言葉であったが、それが転じて、広く異国からの舶来品全般を総称するものとなった。「唐物の文化史―舶来品からみた日本」は、舶来品すなわち唐物が、古代から近世までどのように日本文化史に息づいているのか、美術品や歴史史料や文学作品なども取り上げて明らかにしています。


唐物交易の時代的変遷とその実体からみた異国との交流史を縦軸とし、それにとどまらずに、それぞれの時代の権力者たちの権威と富の象徴としての唐物のあり方にスポットを当てています。聖武天皇や嵯峨天皇にはじまり、信長、秀吉、家康、吉宗まで、キーパーソンとして取り上げられています。唐物というモノに注目することは、唐物にかかわるヒトの政治的権力と文化的権威の関係をあぶり出すことにつながると、川添は言います。


面白かったのは、唐物の日本的変容です。舶来の唐物であっても、異国での本来の用途とは違った使い方が日本でされて、もてはやされた例が紹介されています。室町時代の唐物茶入、中国では香油入れに過ぎなかった小さな壺が、室町時代に高価な茶道具となり、「つくも茄子」「初花」など日本的な銘をつけてブランド力を増し、茶道の権威となったこと。


あるいは、本国で価値のないものに価値を見出した例、曜変天目は南宋時代に製作された茶碗で、黒秞茶碗の内側に大小の斑文があり、その周囲に瑠璃色の虹彩があらわれ、万点の星のように神秘的な美しさをたたえています。曜変天目は世界をみわたしても日本に3点しかなく、すべてが国宝になっています。ところが生産地の中国ではまったく残っていないどころか、忌み嫌われたようです。


本の表紙には、以下のようにあります。

日本人はなぜこれほど、舶来品が好きなのか? 正倉院の宝物、艶やかな織物や毛皮、香料、書、薬、茶、珍獣・・・。この国の文化は古来、異国からの舶来品、すなわち「唐物」を受け入れ吸収することで発展してきた。各時代のキーパーソンとの関係を軸に、唐物というモノを通じて日本文化の変遷を追う、野心的な試み。図版も多数収録。


目次

第1章 「唐物」のはじまり

     ―正倉院と聖武天皇―

第2章 百花繚乱、貴族があこがれた「異国」

     ―「国風文化」の実像―

第3章 王朝文学が描く唐物趣味

     ―「枕草子」「源氏物語」の世界から―

第4章 武士の時代の唐物

     ―福原・平泉・鎌倉―

第5章 茶の湯と天下人

     ―中世唐物趣味の変遷―

第6章 庶民が夢みる舶来品へ

     ―南蛮物・阿蘭陀物への広がり―

終章  「舶来品」からみた日本文化


河添房江:略歴

1953年生まれ。1985年東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。現在―東京学芸大学教授、一橋大学大学院連携教授、博士(文学)。専攻―平安文学、平安文化。著書―「性と文化の源氏物語」(筑摩書房)、「源氏物語時空論」(東京大学出版会)、「光源氏が愛した王朝ブランド品」(角川選書)、「古代文学の時空」(編著、翰林書房)など。


出光美術館で「日本絵画の魅力」(後期)を観た!

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出光美術館で「日本絵画の魅力」(後期)を観てきました。観に行ったのは5月22日のことでした。今回の展覧会は、出光美術館の総集編のような展覧会なので、前期、後期とも観ないわけにはいきません。出光美術館では珍しく、大勢の観客でにぎわっていました。 以下、朝日新聞の記事、「楽しい鑑賞のススメ」という、出光美術館の黒田泰三学芸部長へのインタビュー記事によります。


「日本絵画の魅惑」は、鎌倉時代から江戸時代にかけての日本絵画史をたどる構成になっています。テーマを設けず、時代を負う展示は出光美術館ではなんと31年ぶりだという。この30年間の美術展は、あるテーマに沿った企画展が主流でした。たしかに企画展は、分かり易いといえば分かり易いといえます。その方式に従わなかったのは、「素直に作品を見て楽しむことにこだわった」からだと、出光美術館の黒田泰三学芸部長はいう。


「だれが決めたんですか、正しい絵の見方なんて・・・」、こんな挑戦的な副題を企画段階で提案したという。長すぎて採用されなかったが、「日本絵画の面白さを自由に感じてもらいたい」と、黒田はいう。31年前の展示は、作家の紹介、日本絵画史上の作品の位置づけなど、教科書的な展示で「生真面目さが絵を見る楽しさを損なっていたのかもしれない」と反省します。


今回、作品によっては黒田独自の視点を盛り込んだ「鑑賞のツボ」というミニ解説を付け、一味変わった鑑賞方法も紹介しています。独自の視点を盛り込んだ解説を付けられるようになったのは、観客の変化も大きいという。この30年で美術館も増え、成熟した目で多角的に絵を見る人が増えたと感じている、という。何かと難しいといわれがちな日本絵画だが、「日本の美意識とは何なのか。美意識が連なって今の日本が出来ている。若い人たちが将来の日本を考えるうえで、よりどころになるでしょう」と、黒田は話します。


展覧会の構成は、以下の通りです。


第1章 絵巻―アニメ映画の源流

第2章 仏画―畏れと救いのかたち

第3章 室町時代水墨画―禅の精神の表現が芸術へ

第4章 室町時代やまと絵屏風―美麗なる屏風の世界

第5章 近世初期風俗画―日常に潜む人生の機微を描く

第6章 寛文美人図と初期浮世絵―洗練されゆく人間美

第7章 黄金期の浮世絵―妖艶な人間美

第8章 文人画―自娯という独特の美しさ

第9章 琳派―色とかたちの極致

第10章 狩野派と長谷川等伯―正統な美vs斬新な美

第11章 仙厓の画―未完了の表現

〈工芸〉


「色絵松竹梅鳥文輪花皿」解説

典型的な柿右衛門様式の花形皿。型打ち成形により花形に作り、口端は平らに切り口紅を施す。乳白色素地に、赤・緑・黄・金・黒線により、松竹梅に太湖石(たいこせき)と双鳥を描く。構図は右下の梅花に基点を置き、他の梅花や太湖石を結ぶ水平線と、それに対し、49度の線上に松・竹・鳥の重心となる文様を描く。この線間で白地の中に飛鳥を配す。裏面は無文で高台内にはハリ支え跡がある。


以下、各章毎に、代表的な画像を載せておきます。


第1章 絵巻―アニメ映画の源流



第2章 仏画―畏れと救いのかたち



第3章 室町時代水墨画―禅の精神の表現が芸術へ



第4章 室町時代やまと絵屏風―美麗なる屏風の世界



第5章 近世初期風俗画―日常に潜む人生の機微を描く



第6章 寛文美人図と初期浮世絵―洗練されゆく人間美



第7章 黄金期の浮世絵―妖艶な人間美



第8章 文人画―自娯という独特の美しさ



第9章 琳派―色とかたちの極致



第10章 狩野派と長谷川等伯―正統な美vs斬新な美



第11章 仙厓の画―未完了の表現


日本美・発見Ⅸ「日本絵画の魅惑」

当館では「日本の美・発見」というテーマで、館蔵品のうち日本美術を選び、従来には見られなかった新たな視座に立った切り口で紹介してきました。今回はそのシリーズの9回目にあたります。本展は、「日本絵画の魅惑」と題して、出光美術館の日本絵画コレクションの内、鎌倉時代の絵巻物、室町時代の水墨画とやまと絵屏風、近世初期風俗画、桃山時代の長谷川等伯、狩野光信、江戸時代の寛文美人図から肉筆浮世絵、琳派、浦上玉堂・田能村竹田・渡辺崋山などの文人画、そして仙厓など、代表的なジャンルおよび作家の作品を選りすぐり、展示しています。
その見どころは次の3点です。
1.「出光美術館日本絵画名品展」として、当館日本絵画コレクションの中でも、鎌倉時代から江戸時代までの最も充実したジャンルの名品を一堂に集めています。おなじみの名品や知られざる逸品を集めた豪華な内容です。
2.日本絵画史を作品史として理解するために、絵巻・仏画・室町水墨画・室町時代やまと絵屏風・近世初期風俗画・浮世絵・琳派・文人画・狩野派と等伯・仙厓とジャンルを分けて、それぞれの代表作品を紹介しています。時代を彩った作品をとおして、日本の美の力を伝えます。
3.各ジャンルから代表的な作品を選び、従来の正統的な絵画鑑賞をふまえた上で、担当学芸員がおすすめする鑑賞のツボを紹介します。従来気づかれてこなかった新たなおもしろさを伝えます。
以上のテーマを2部構成で83件の作品によって展観します。どうか、日本絵画を自由に楽しくご鑑賞ください。なお、各時代を彩った日本のやきものを随所に展示しています。あわせてお楽しみください。


「出光美術館」ホームページ


ide1 日本美・発見Ⅸ

「日本絵画の魅惑」

図録

平成26年4月5日発行

編集・発行:

公益財団法人出光美術館








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出光美術館で「琳派芸術 第2部 転生する美の世界」展を観た!
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「エル・チャテオ三軒茶屋店」でランチを食べる!

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うちの近所の「エル・チャテオ三軒茶屋店」が、5月末で閉店になるというので、ランチを食べに行ってきました。


あまりないスペイン料理のお店なので、このお店が出来たときからよく食べに行ってました。ランチも安くて美味しいので、女性に人気のお店でした。ドリンクバーをつけて、長く話し込んでいる女性のグループが目立ちました。今日も女性グループのお客がいましたね。地下へ降りてゆくので、ちょっと不便ですが、天井も高く、ドライエリアから差し込む光は、なかなかいい雰囲気を醸し出しています。


思い残すことがないようにちょっと踏ん張って「パエリアランチ」(1400円)を頼んだのですが、出来上がるのに30~40分かかるというので、残念ながらパス。普通の「ランチ」(930円)にしました。僕は「ビーフシチュー」、ついでにランチビールも、家人は「牛肉のキノコソース」を頼みました。


姉妹店には「エル・チャテオ銀座店」と「エル・チャテオ・デル・ブエンテ」があるそうです。


エル・チャテオ階段部分と店内風景

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ビールとサラダ・スープ

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ビーフシチュー

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牛肉のキノコソース

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食べログ

エル・チャテオ 三軒茶屋店(EL CHATEO)


三井記念美術館で「超絶技巧!明治工芸の粋」を観た!

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三井記念美術館で「超絶技巧!明治工芸の粋」を観てきました。観に行ったのは5月11日でした。そういえば思いだしました。もうすぐ台北故宮博物院の「翠玉白菜」や「肉形石」が東京国立博物館へ来るんですね。超絶技巧の原点ですね。それが観たくて台湾へ行ったことを思いだしました。2007年3月のことです。

国立故宮博物館を観る!

この展覧会の“前振り”である山下裕二監修の「超絶技巧美術館」を読んだ時に、このブログに以下のように書きました。

山下裕二監修「超絶技巧美術館」を読んだ!

僕が「超絶技巧」を初めて知ったのは、泉屋博古館での「幕末・明治の超絶技巧」展でした。そこでは主として「金工」、「自在金物」などの「超絶技巧」作品でした。そこでの金工や自在金物が気になって、その後、京都の清水三年坂美術館を訪れたりもしました。毎年のお正月には、東京国立博物館で、自在金物を観ています。先日も、大倉集古館で自在金物が何点か出ていました。

泉屋博古館分館で「幕末・明治の超絶技巧」展を観た!
清水三年坂美術館で「鍛鉄の美 鐙、鐔、自在置物」を観た!


「超絶技巧美術館」では、大胆にも「超絶技巧」の意味するところを拡大して扱っています。「時流やマーケットの動向などとはさらさら関係なく、ただひたすら修行僧のように、自らの表現を突き詰めている作家たちがいます」。読者が本書を通じて初めてその存在を知る人です。「どうぞ、まずは何の予備知識もなくその作品のビジュアルに接して、ガーン、とショックを受けてくださいますよう」と、山下裕二はいう。岡本太郎や赤瀬川原平を例に出し、戦後美術の歴史の中で、「うまくて、きれいで、ここちよい」日本画などは、ほとんど絶滅しました。私は超絶技巧を追求するそんな作家たちと出会って、その凄さを多くの人に知って欲しいと思ってきた、という。


もちろん美術館での展覧会と書籍化されたものでは、テーマは同じでも、その取り上げた作品は異なるのは当然のことです。「超絶技巧美術館」の方は、池田学を筆頭に、現代作家を多く取り上げているところが特徴でしょう。また円山応挙や長澤芦雪、伊藤若冲や河鍋暁斎など、山下裕二の専門とする分野の画家も細かく取り上げられています。今回の三井記念美術館にその所蔵品を出している“清水三年坂美術館”も数ページですが取り上げられていますが、今回のようにそれが主たる取り上げ方ではありません。しかし山下が言う「超絶技巧を追求するそんな作家たちと出会って、その凄さを多くの人に知って欲しい」ということについては同じです。


背景には日本工芸の歴史があります。明治政府が工芸を輸出産業として育成したこと、そして帝室技芸員制度があります。三井記念美術館、ということで、展示室1には当然、優品がガラスケースに入って展示されますが、展示室2には何が展示されるのか、興味津々でした。結果は安藤緑山の牙彫「竹の子、梅」が展示されており、結局これが今回の展覧会の目玉ということになるでしょう。 なにしろ展示室に1点のみ、ガラスケースに入って展示されていたのですから・・・。今回の展示で予想も付かなかったのは「刺繍絵画」でした。実際に観てみると、絹糸が光のかげんで反射し、得も言われぬ美しさを醸し出していました。



村田理如氏とそのコレクションについて

村田理如(まさゆき)氏(1950年生まれ)が明治工芸と出会ったのは、1980年代後半。出張で訪れたニューヨークのアンティークショップで購入した印籠がきっかけでした。その後もしばらくは会社員として国内外に勤務していた村田氏ですが、47歳で当時、専務を務めていた村田製作所を辞め、明治工芸の収集に邁進することを決意します。印籠、蒔絵から始まったコレクションは、以来またたく間に膨大なものとなり、2000年には清水三年坂美術館を設立。以後もさらに質の高いコレクションが増殖しつつあり、現在総数約1万点を越す作品が所蔵されています。間違いなく世界最高の明治工芸コレクションが築き上げられているといえるでしょう。


本展では様々なジャンルの最高のクオリティーの作品、約160点を選りすぐって、村田コレクションの粋、明治工芸の粋を展観します。出品作には、国内ではほとんどみ紹介である、驚くべき精緻な刺繍絵画も含まれます。近年コレクションに加わったこれらの刺繍絵画は、本展に先駆けて開催された英国のアシュモリアン博物館での展覧会で公開され、注目を集めました。


これらの瞠目すべき超絶技巧の作品の多くは、万国博覧会などを通じて輸出され、長らく海外のコレクターが所蔵していたものです。村田氏は、ここ四半世紀ほどの間に、オークションなどを通じてそれらを買い戻し、明治工芸の驚くべき達成を日本人に知らしめたいという熱意を持って収集を続けてきました。本展を通じて、多くの観客に村田氏の熱意が伝わり、明治の工人たちに対する敬意が、ひいては日本人のものづくりの真の底力が検証されることを望んでいます。


今回展示された作品は、すべて清水三年坂美術館の所蔵品です。

ジャンルを並べると、図録によれば以下のようです。

七宝

金工

漆工

薩摩

刀装具

自在

牙彫・木彫

印籠

刺繍絵画

絵画



七宝




金工



漆工



薩摩



刀装具




自在



牙彫・木彫




印籠



刺繍絵画



「超絶技巧!明治工芸の粋 村田コレクション一挙公開」

近年、美術雑誌・テレビ番組などで、頻繁に取り上げられるようになった明治の工芸。なかでも、超絶技巧による、精緻きわまりない作品が注目を集めています。しかしながら、それらの多くが海外輸出用であったため、これまで日本国内でその全貌を目にする機会は、ほとんどありませんでした。本展では、村田理如氏の収集による京都・清水三年坂美術館の所蔵品のうち、並河靖之らの七宝、正阿弥勝義らの金工、柴田是真・白山松哉らの漆工、旭玉山・安藤緑山らの牙彫をはじめ、驚くべき技巧がこらされた薩摩や印籠、近年外国から買い戻された刺繍絵画など、選りすぐりの百数十点を始めて一堂に展観いたします。質・陵ともに世界一の呼び声が高い、村田コレクション秘蔵の名品が三井記念美術館に勢揃いします。

これぞ、明治のクールジャパン!


三井記念美術館」ホームページ


gikou1 「超絶技巧!明治工芸の粋」

図録

編集:広瀬麻美(浅野研究所)

    小林祐子(三井記念美術館)

    藤田麻希(明治学院大学大学院)

    朝山衣恵(清水三年坂美術館)

発行:浅野研究所






zetu5 「超絶技巧美術館」

発行日:2013年12月25日第1刷
監修:山下裕二

編集:高橋実和、望月かおる、来嶋路子、

    安田美樹子(美術出版社)

発行:株式会社美術出版社

*「美術手帖」2012年10月号「超絶技巧!」

  を再編集し、記事を増補・改訂の上収録。








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映画「言葉のきずな」を観た!

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立川のアイム大ホールで映画「言葉のきずな」を観てきました。 家人が失語症のボランティア(失語症会話パートナー)をやっているので、この映画の案内がきました。僕はまったく失語症のことは知りませんでした。まさしく、明日はわが身、です。他人事ではありません。


映画「言葉のきずな」は、以下のような映画です。


病気や事故で脳の一部が傷つき、読み書きや会話が不自由な人々の演劇活動にカメラが密着。短いセリフにも苦しみながら、内に秘めた思いを舞台で表現する団員たち。彼らの生き方を通して、人が人らしく生きる意味を改めて問います。


失語症はある日突然にやってきます。意識不明になり気が付くと、言葉が出ないのです。利き腕側に麻痺もあり、当人も家族も絶望の淵を彷徨います。しかし人間は素晴らしい。長野県で活動する「ぐるっと一座」は、障害を逆手にとり、演劇活動を続けています。


わかば包括上映会資料(開場:アイム大ホール)


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田村周監督の挨拶


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「言葉のきずな」公式サイト


koto7 自主上映会「言葉のきずな」

本編107分

推薦:(特非)全国失語症友の会

日程:平成26年5月28日(水)

会場:立川市女性総合センター・アイム

開場・・・13時30分 開演・・・14時00分

先着196名・事前申込不要・入場無料

主催:立川市北部東わかば地域包括センター

有識者会議「国立競技場設計案を承認」!

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横浜中華街

高校生レストラン「まごの店」について!

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今回は三重県多気町から、高校生レストランの仕掛人・岸川政之さん(多気町まちの宝創造特命監)が来京くださり、話してくれます。高校生レストラン「まごの店」はご存知ですね。先日、Iさん(カメラマン)と相可高校調理クラブに撮影に行きました。高校生たちのハツラツぶりと、しっかりした調理技能、さらにオリジナリティに感嘆しました。そんな高校生たちのサポートをしてきた岸川さんは、さらに高校生の発案による化粧品開発・販売や、町に自転車サーキットをつくるなど、まちと人の活性化に尽力しています。その発想やまちの宝創造の秘訣などを語っていただきます。全国から「まちの宝発掘・創造」の講演に引っ張りだこの岸川さんの話、ぜひお聞きください。


テーマ:まちの宝を探し出せ
日時:5月29日(木)午後7時~
会場:(いつものS邸)


以上のようなメールが幹事役のMさんから届きました。



岸川政之:略歴

昭和32年8月15日うまれ、56歳。

履歴: 昭和48年3月31日 三重県立伊勢高等学校卒業

    昭和57年3月31日 京都産業大学経営学科卒業

    昭和57年4月 1日 多気町役場就職

    平成23年4月 1日 多気町まちの宝創造特命監

                 総務省「地域人材ネット」登録

    平成25年4月11日 ふるさとづくり有識者会議委員

    (全国23名の委員からなる安倍総理主催の委員会)(2年程度)

    平成25年7月24日 三重県文化審議会委員(2年任期)

著書: 「高校生レストランの奇跡」(伊勢新聞社)



まごの店は平成14年10月26日、五桂池ふるさと村「おばあちゃんの店(農産物直営施設)」の食材を利用した、相可高校食物調理科生徒が運営する調理実習施設としてオープンしました。この実習施設は相可高校・ふるさと村・多気町(産・官・学)が協働して実現したもので、開店以来“生徒たちのきびきびとした元気な姿”や“美味しいうどん”などが話題を呼び、ふるさと村への入場者数の増加とともに「おばあちゃんの店」の売り上げアップなど波及効果も大きく、地域の活性化につながっていきました。


以下、岸川さんのお話(要旨)

いただいた資料はたくさんありますが、ここでは岸川さんの話のみを以下に載せておきます。


大学を出て、町へ帰って、何もないことにがく然とした。

当時の人口は1万人、今は1万6千人。

行政マンとして、誇りを持てなかった。

自分は一度も団体の代表にはなっていません。

すべて人にやってもらった。目立ちたくなかった。

いろんな人が輝き始めた。

応援団として、頑張れと言っていました。

40になって少し光があたって、出ていくようになりました。


田舎の行政マンは「なんでも屋」、反論はできない。

高校生が店を持つことなど、考えられなかった。

ある県ではできません、前例がない、

高校生が商売をするなんてありえない、と。

私は出世とかは興味がない。

好きなことをやってきました。



農業、林業の高校、補助金をたくさんもらっていた。

会計検査のため1ヶ月くらい残業します。なんかおかしい。

家は農業ではないが、友人に農業は多かった。

地元の農業を活性化できるか?

農業の「業」、ほとんどが兼業農家、

サラリーをつぎ込んで、なんとか成り立っている。

これって農業なのか?


皆さんが作る作物にスポットが当たるようにイベントをしました。

「料理ライブショー」をやった。楽しかった。

午前中は、特産の「伊勢イモ」を使った「とろろ麺」。

「相可(おうか)高校」、役場の近くだけど遠かった。

行政は縦割りで、管轄が違うから、高校は勉強するところ。

相可高校の高校生は、地元の材料で、30品目が出てきた。

ホテルの結婚式と見まがうほどの料理の数々。

すごい高校生と、それを指導するすごい先生がいた。

当時は誰も知らない。語った夢はほぼ達成した。

学校が出来ないこと一つはコスト管理、もう一つは接客。

生徒にとってはすべてが教材。



「先生、やりましょう」、やったら土・日がなくなるよ。

生徒のためになるから。

行政はOK、自分のホームグランドだから。

希望する自治会に手を上げてもらった。

ぜんぜん相手にしてくれない。

高校生を使って商売したくない。

「研修させてください」と頼み込んだ。

「あの子たち、すごいな」、大人が真剣になった。


平成17年2月19日 新しい相可高校食物調理科の調理研修施設「まごの店」オープン

「料理家を目指す高校生の夢を建築家を目指す高校生が形にする。それを周りの大人たちが応援する」をテーマに県内の建築科のある4つの工業高校に設計コンペをお願いし、創作料理の出せるレストランを建設した。


1ヶ月半後にオープンした。

校長に言うのを忘れてた(笑)。

校長は守りの人、定年まで守りの姿勢。

言いに行ったらOKが出た。英断でした。

前例がないと言われるんじゃないかと心配した。

残るは教育委員会。黙ってやると覚悟を決めた。

学校に迷惑はかけません、と。


フライングでスタートしました。

前夜、NHKの取材が入った。生中継もあった。

ヤフーにも流れた。ついていた。

文科省が「めざせスペシャリスト」として、認めてくれた。

県の教育委員会からはお褒めをいただいた。


平成22年5月 相可高校生産経済科生徒がプロデュースした「まごジェル」(ハンドジェル)の製造

名前は「まごころteaハンドジェル」、通称「まごジェル」。テーマは「孫のような高校生が、おじいちゃん、おばあちゃん、あるいはお父さん、お母さんへの感謝の気持ちを込めてプレゼントできるようなハンドジェル」と生徒たちが考えました。生徒たちがコンセプトからパッケージデザイン、ネーミング、入れ込む成分まですべてをプロデュースし、町内の万協製薬(株)が製品化しました。



テレビドラマ「高校生レストラン」

五桂池ふるさと村「まごの店」をモデルにした連続ドラマ「高校生レストラン」が、2011年5月より日本テレビ系列で放映されました。主演は松岡昌宏さん。料理人としては一流だが教師としては未熟者の新米臨時採用教師「村木新吾」と高校生たちが、ぶつかり合いながらも料理を通じて共に成長していく姿を、「高校生レストラン」が生徒と社会を繋ぐ真の教育の場であることに気付いていく姿を、爽やかな感動とともに描きました。


観光三重・高校生レストラン「まごの店」


高校生レストラン「まごの店」多気町


taki6 「高校生レストランの奇跡」
著者:岸川政之

発行:2011年7月7日

出版社:伊勢新聞社





神田神保町「第28回 すずらんまつり」へ行ってきました!

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神田神保町「第28回 すずらんまつり」へ行ってきました。どうして1日だけなのか、どうして神保町古本まつりと一緒じゃないのか、「ブックフェスティバル」とどう違うのか、その辺のことはよく分かりません。が、なにしろお天気に恵まれて、「神田すずらん通り」は沢山の人で賑わっていました。「おさんぽ神保町」は、すずらん通りで長く割烹居酒屋をやっている息子さんが、是非「すずらんまつり」に来てくれと、わざわざ僕に持ってきてくれました。お店は弟さんが継いでいますが・・・。


「すずらん通り商店街振興組合 」会長の開会宣言を見ていたら、なんと横に知人が立っていて、お互いにビックリしました。知人のリュックには、購入した本がキッシリと詰まっていました。人と待ち合わせているという知人とドトール・コーヒーに入って話し込んでいると、すぐに待ち人が来ましたが、その人も旧知の仲、3人でますます話が弾みました。







「神田すずらん通り商店街」ホームページ


su8 「おさんぽ神保町第17号」

平成26年5月1日発行

(年2回発行 春号5/1 秋号10/1)

企画・編集・制作:

おさんぽ神保町編集部

編集長:石川恵子

発行元:おさんぽ神保町編集部









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損保ジャパン東郷青児美術館で「オランダ・ハーグ派展」を観た!

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損保ジャパン東郷青児美術館で「オランダ・ハーグ派展」を観てきました。観に行ったのは5月9日のことです。西新宿の損保ジャパン本社ビル42階にある美術館、高速エレベーターを降りると、なんとそこにはアート・ブロガーの大先輩「とら」さんがいるじゃないですか。以前はTakさん主催のオフ会でよくお会いしていましたが、久しぶりにお会いしたので立ち話を少々・・・。5月10日の「とら」さんのブログ(Art & Bell by Tora )にはその時の様子を、以下のように書いていました。


ホールで下りのエレベーターを待っていると、旧知の美術ブロガーの「とんとん」さんが、そのエレベーターから出てこられた。ニアミスならぬ高層ビル42階での空中衝突である。互いに久闊を序し、近況を述べあった。

「オランダ・ハーグ派 @損保ジャパン東郷青児美術館」


損保ジャパン東郷青児美術館、長い美術館名でしたが、またまたの合併により、2014年9月1日より「東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館」に名称変更されるという。


それはさておき「オランダ・ハーグ派展」。19世紀、オランダのハーグを中心に、屋外での自然観察をもとに、風景と田園生活を描き出すことに挑んだ画家たちがいました。彼らは「ハーグ派」と呼ばれ、オランダの黄金時代の巨匠たちが築いた伝統に学んで、オランダらしい作品を創りだしました。また同時代フランスの「バルビゾン派」からの影響もありました。


「ハーグ派」の画家たちは、自然主義的な絵画を描いてきた自国の伝統と、バルビゾン派から受けた近代的な自然主義絵画から多くを学び、発展させました。オランダに特徴的な景色―運河や風車、放牧地の牛、水面の光、高く輝く空や広大な海、そして日々の労働、慎ましい過程の日常を、独自の静謐で詩的な方法のもとに描き出しました。


僕が特に注目したのは、「ハーグ派と海」です。海に対する感覚は、オランダ人の感受性の根本にあります。海そのものや沿岸の生活は、ハーグ派絵画の主な主題でした。海の威厳を表現したのは、誰よりもメスダッハでした。メスダッハは1869年にブリュッセルからハーグへ移った際、彼はスヘフェニンゲンの海に近いところに居住することにしました。「目の前に海が見えなければならない、海とともに生きなければならない。さもなければ、なにも得られないのだ」と語ったという。


「スヘフェニンゲン海岸とパノラマ・メスダッハ」については、次項で書きます。


今回の展覧会は、「オランダ・ハーグ派」を日本で初めて本格的に紹介しようとするものです。またハーグ派の美術は、後にオランダにとどまらず、世界の絵画史に大きな変革をもたらした2人のオランダ人画家、ファン・ゴッホとモンドリアンに影響を与えた点でも重要です。彼らは伝統的造形を大胆に改変し、新たな造形を20世紀にもたらしました。


僕は2011年4月に10日間、「オランダ・ベルギー・ルクセンブルグ」を回るツアーに参加しました。まず最初に宿泊したのが、ハーグ郊外の海辺のリゾート地のホテルでした。もちろん、次の日に「マウリッツハイス美術館」へ行くためでした。「ベルギー王立美術館」や「クレラー・ミューラー美術館」、「アムステルダム博物館」や「ゴッホ美術館」等々を観て回った、素晴らしいツアーでした。そんなわけでゴッホとモンドリアンの作品は「クレラー・ミューラー美術館」でまとまって観ることができました。


言うまでもなく、ゴッホの「ひまわり」(1888年)は、損保ジャパン東郷青児美術館が所蔵している作品です。


展覧会の構成は、以下の通りです。


Chapter 1

序章:バルビゾン派

Chapter 2 

ハーグ派

Chapter 3 

終章:フィンセント・ファン・ゴッホと

ピート・モンドリアン



Chapter 1

序章:バルビゾン派


Chapter 2 

ハーグ派

風景画


大地で働く農民


家畜のいる風景


室内と生活


風景画


Chapter 3 

終章:フィンセント・ファン・ゴッホと

ピート・モンドリアン



「近代自然主義絵画の成立―オランダ・ハーグ派展」

19世紀後半のオランダで、ポスト印象主義の画家ゴッホが「大物(マストドン)」とよんだ画家たちがいました。彼らは活動の拠点であった都市の名にちなんで「ハーグ派」とよばれていました。本展覧会はこのハーグ派に焦点をあてた日本で最初の展覧会です。ハーグ派はフランスのバルビゾン派の影響を受けながら、17世紀オランダ黄金時代の絵画を再評価し、屋外における自然観察を基盤として風車や運河、海景や船といったオランダならではの風景、漁業や農業に従事する人たち、室内など身近でありふれた光景を、透明感のある繊細な光とともに描きました。本展覧会ではオランダのハーグ市立美術館の所蔵作品を中心に、ハーグ派の作品だけでなく、クレラー=ミュラー美術館、ならびに国内に所蔵されているバルビゾン派の作品、そしてハーグ派の影響を受けたゴッホと抽象画家ピート・モンドリアンの初期作品もあわせてご紹介いたします。

「損保ジャパン東郷青児美術館」ホームページ


hag3 近代自然主義絵画の成立

「オランダ・ハーグ派展」

図録

監修・執筆:

アン・デュマ(ロンドン、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ学芸部長)

ベンノ・テンペル(ハーグ市立美術館館長)

ハンス・ヤンセン(ハーグ市立美術館学芸部長)

古谷可由(ひろしま美術館学芸部長)

編集:(株)ブレーントラスト

発行:「近代自然主義絵画の成立―オランダ・ハーグ派展」カタログ委員会

©2013

制作:印象社



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「パノラマ・メスダッハとスヘフェニンゲン海岸」!

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損保ジャパン東郷青児美術館で「オランダ・ハーグ派展」を観たとき、上の写真が目に入りました。パネルのタイトルは「世界一の絵画パノラマ・メスダッハとスヘフェニンゲン海岸」とありました。最初はなんのことかよく分からずに掲示してある文章を読んでいると、「もしかしたら・・・」と思いだしました。写真ではスケール感がよく分からないのですが、大きいです。真ん中の島状の所から廻りを見ると砂の敷いたところの向こうに360度、巨大な壁画が、風景画が描いてあるんですね。見たんですね、「パノラマ・メスダッハ」を。もちろん、そんな名称が付いていたとは知りませんでしたが、たしかに見ました。


2011年4月11日に成田を発ってアムステルダム着、すぐに45km離れたハーグに向かい、宿泊したホテルが「ビルダーベルグ ヨーロッパホテル」、これがスヘフェニンゲン海岸のすぐそば、ホテルの窓から海岸が見えました。スヘフェニンゲン海岸には2度歩いて行きました。一度は散歩がてらスーパーマーケットで買い物を、もう一度はツアーの皆さんと一緒に食事に行きました。実は「スヘフェニンゲン海岸」という名称は、今回展覧会を見て初めて知りました。突然思い立って、グーグルアースで調べてみたら、すぐに下の画像を表示することが出来ました。



図録によると、以下のようにあります。

ハーグには、カンヴァスに描かれた世界一の大きさの絵画がある。「パノラマ・メスダッハ」と呼ばれる、円形の建物の壁面全体が絵画で埋められているものである。見る者は一旦地下にもぐって中央の櫓から、360度のパノラマ景観を楽しむ仕組みである。これは、ハーグ派に数多くの画題・主題を提供してくれたスヘフェニンゲン海岸の風景を再現したものであった。

スヘフェニンゲン海岸はハーグの中心部からは、歩いても2時間ほどの距離にあり、19世紀中頃までは小さな漁村が点在する場所でした。1880年の海岸を整備してリゾート地にするという話が自治体から持ち上がります。当然反対の声は上がったが、それを止めることはできませんでした。当時各地で町の風景をパノラマ風の見せ物にしていたベルギーの会社が、ハーグでもパノラマを描いて欲しいとメスダッハに依頼してきました。

メスダッハは抗議の一環として、巨大なスヘフェニンゲンの風景を描くことに応じました。メスダッハは画家仲間と共に、4ヶ月という短期間で、縦約14m、幅約120m、総面積1680㎡という巨大な絵画を完成させました。1886年業者が倒産した後、メスダッハ自身が買い取って「パノラマ・メスダッハ」として現在に伝わり、この海岸には現在、クアハウスと呼ばれるホテルとカジノを中心に、巨大なリゾート地として多くの人々を集めています。

ハーグ派:風景画

描かれたスヘフェニンゲン海岸




現在のスヘフェニンゲン海岸




「パノラマ・メスダッハ(メスダグ)」


「メスダグ『パノラマ・メスダグ』」美の巨人たち


「損保ジャパン東郷青児美術館」ホームページ



山種美術館で「クールな男とおしゃれな女―絵の中のよそおい」を観た!

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山種美術館で「クールな男とおしゃれな女―絵の中のよそおい」を観てきました。


今回展示されているのはもちろん、ほとんどが日本画と錦絵です。が、しかし、和田英作の「黄衣の少女」と林武の「少女」、この2点はカンヴァスに油彩で描かれています。「黄衣の少女」のモデルは、和田英作の弟子・薄拙太郎の三女・茂子です。背景の赤い布と少女の黄色いワンピースがコントラストを生み、少女のきゅっと結んだ口元に利発で芯の強そうな彼女の性格が見られます。


チラシでは、江戸の絵画や浮世絵の粋なよそおいから、近代・現代の日本画や洋画に描かれたモダンなよそおいまで、各時代のスタイリッシュな男女の着こなしを紹介する、としています。その流れで最も「イケメン」はというと、大方の人が指摘している通り、猪飼嘯谷の「楠公義戰之図」に描かれた男でしょう。


目に付くのは、チラシに載っている4点の男女です。男は、守屋多々志の「慶長使節支倉常長」と安田靫彦の織田信長を描いた「出陣の舞」です。支倉常長は、仙台藩主・伊達政宗が派遣した慶長遺欧使節の大使で、イスパニアを経てローマで教皇パウロ五世に謁見し、ローマ市公民権を与えられます。この作品は、ローマ滞在時の常長をモダンな感覚にあふれた清新なイメージに仕上げています。背景にはフォロ・ロマーノやサン・ピエトロ大聖堂が詳細に描き込まれています。織田信長は桶狭間の一戦を前に、清洲城内で幸若舞「敦盛」を舞ったと言われていることにちなんで描かれたものです。


女は、伊東深水の「吉野太夫」もいいですが、深水は「婦人像」、上村松園は「春のよそをい」です。「婦人像」のモデルは女優の木暮実千代、白い帽子、赤い手袋、そして胸の開いた大きな白襟がついた赤い花柄のワンピースという、いかにも女優らしい華やかな出で立ちです。金屏風を背にし、黒漆塗りの机の表面に、艶やかなその姿が映り込んでいます。この展覧会のテーマ「絵の中のよそおい」は、松園の「春のよそをい」からきていることは言うまでもありません。


そしてこの展覧会のテーマであるところの「クールな男とおしゃれな女」のすべてを表していると思われるのは、池田輝方の「夕立」でしょう。「ザ・ベスト・オブ・山種コレクション」でも取り上げられていました。夏の夕刻、突然の雨に見舞われ、神社の額堂と門前で雨宿りをする人々を描いています。彼らの表情や仕草を見ると、一人一人にドラマがありそうで、芝居の一場面を見ているようです。右隻は真横から、左隻は斜め上からのアングルになっています。右隻左端に立っている粋な男と、中央で裾をたくし上げ手拭いを絞っている女、この二人、曰く因縁がありそうです。


展覧会の構成は以下の通り、至ってシンプルです。


第1章 クールな男

第2章 おしゃれな女

第3章 よそおう男女



第1章 クールな男






第2章 おしゃれな女







第3章 よそおう男女






「クールな男とおしゃれな女―絵の中のよそおい」

「クール・ジャパン」が一つの流行語にもなりつつある昨今、流行がめまぐるしく移り変わるファッションの世界においても、日本人の美意識を活かした洋装や、伝統的な和装を楽しむ人が増えています。特に最近は、美術館が和服を着て出かける場所としても好まれ、当館でも年間を通して、多くの美しい着物姿の来場者を迎えています。こうした現象は、日本人が古くから培ってきた美意識や文化が注目され、そこに新たな価値観が見出されてきた証といえるでしょう。
一方、西洋文化が入ってきた近代以降は、洋装に身を包むダンディな男性、トップモードで着飾る女性も時代のファッションリーダーとして常に注目される存在でした。こうした各時代の特徴あるファッションは、画家たちをも魅了し、近世から現代にいたる様々な絵画作品の中に描かれていきました。日本の絵画の中の 「よそおい」もまた、時代とともに変遷し、流行を敏感に映し出しているのです。
本展では、江戸絵画や浮世絵の粋なよそおいから、近代・現代の日本画や洋画に描かれたモダンなよそおいまで、各時代のスタイリッシュな男女の着こなしをご紹介いたします。小林古径の雅な平安装束姿の色男、安田靫彦や前田青邨の独創的な出で立ちの戦国武将。写楽や豊国が描く役者たちの舞台衣装に、池田輝方の江戸っ子の粋な着流し姿―。各時代の最先端を行くクールな男たちのよそおいに、現代の私たちも大いに刺激されることでしょう。
女性像では、伊東深水が描く女優・木暮実千代の華やかな洋装、鏑木清方の艶やかな女性や上村松園の清楚な娘の和装。さらに、洋画家・安井曽太郎や林武が描く小粋な衣服―。こうした作品には、顔の表情だけでなく装身具や髪形、色の組み合わせにも、人物の個性や魅力が巧みに描き出されています。随所に表れた画家の美意識や色彩感覚を味わい、着こなしのヒントを発見しながら、絵の中のファッションを思い思いにお楽しみいただける展覧会です。

「山種美術館」ホームページ


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東中野「いと ito」でランチを食べる!

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東中野「いと ito」でランチを食べてきました。いわゆる街の「洋食屋さん」です。お店はJR東中野駅の南側、線路と並行してある道路に面してあります。僕がちょくちょく行く「歩レポレ東中野」の、線路を挟んで反対側です。


僕たちが行ったのはちょうどお昼時で、カウンターしかない店内は満員でした。僕たちが食べたのは聞いたことがない名前の「ボンボーヌ」、カップスープとサラダがつきます。陶器の耐熱皿にバターを敷き、挽肉をぺたぺた両手で捏ねて鍋に張り付け、なぜかトマトとせん切りのチーズを上に載せて、オーブンでじっくり焼きます。注文があってから作るので、ちょっと時間がかかります。なぜ「ボンボーヌ」というのか聞き漏らしましたが、お客さんの8割はボンボーヌを頼んでいました。オープンキッチンというヤツで、年老いたお二人が厨房を取り仕切っていました。若い頃、名門ホテルで修行したそうで、デミグラスソースがこのお店の特徴だそうです。次に行ったときには、「ビーフストロガノフ」を頼んでみようと思っています。


実は僕が家人と知り合った頃は、家人は東中野に住んでいました。この近くの仏教系の女子中学・高校を出ています。いわば地元です。たぶんテレビで知った情報だと思いますが、東中野ということで家人が記憶していたお店でした。JR東中野駅もオシャレな駅ビルができて、環状6号線側は駅前広場が整備中で、昔の東中野の写真が展示してあり、家人は懐かしそうに見入っていました。


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食べログ「いと ito」


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