Quantcast
Channel: とんとん・にっき
Viewing all 2506 articles
Browse latest View live

壱語屋三軒茶屋店で「焼き肉ランチ」を食べる!

$
0
0
itigo4

まったくもって“地元ネタ”です。壱語屋三軒茶屋店で「焼き肉ランチ」を食べました。ランチですから今日のお昼、昼食です。地下のお店なのですが、前を通ると並んでいるのが見えて、けっこう流行っているんだなと思い、行ってみようと思ったわけです。10数年前はよく行ってたお店ですが、なぜか最近は足が遠のいていました。どこかで書きましたが、以前はこのお店では必ず「カルビクッパ」を食べました。最近のメニューにはなぜか載っていません。


いつもならまずは“生ビール”といくのですが、今日はちょっと思うところがあって、なんとか我慢しました。隣の席の家族連れのご夫婦は、生ビールからワインをご夫婦でがぼがぼ飲んでいました。このお店は日本酒やワインの銘柄ものが置いてあり、ご託を並べる人には良さそうですが、僕はそんな趣味は毛頭ありません。ただただビールが飲めればいいのですが、今日は控えました。


頼んだのは「特盛ハラミ定食」と「特盛和牛切り落とし定食」でした。名前こそ仰々しいのですが、どちらも1000円のランチです。韓国料理らしく、韓国海苔やサラダ、小皿にキムチや豆腐などたくさん出てきてテーブルがいっぱいになりました。もちろん、わかめスープもありました。お肉の味や値段からしても、何度も行ってみたいお店だと思いました。


itigo3

itigo2

itigo1

「壱語屋三軒茶屋店」食べログ


「佐藤泰志生の輝きを求め続けた作家」が届いた!

$
0
0

sat2

アマゾンに注文していた「佐藤泰志 生の輝きを求め続けた作家」(河出書房新社:2014年2月20日発行)が今日、届きました。4月3日の朝日新聞朝刊の記事、「没後24年 佐藤泰志に光 国分寺ゆかりの作家 文庫・映画化相次ぐ」を読んで、この本のことを知り、さっそく注文したというわけです。ですからまだ読んではいません。ざっと目を通しただけです…。


映画は昨年、ドキュメンタリー映画「書くことの重さ~作家佐藤泰志」(稲塚秀孝監督)を観ました。またもうすぐですが、4月19日からは「そこのみにて光り輝く」(呉美保監督、出演・綾野剛、池脇千鶴)が公開されるので、心待ちにしています。


「佐藤泰志 生の輝きを求め続けた作家」

内容紹介
没後20年をへて復活した作家・佐藤泰志。いまなぜその作品が多くの読者をひきつけるのか。その魅力にせまる待望の試み。

【目次】
・佐藤泰志未刊行初期小説
 退学処分
 青春の記憶
・評伝抄
 中澤雄大
  死んで花実が咲いた人 作家と家族の物語
・対談
 堀江敏幸×岡崎武志
  佐藤泰志ルネサンス
・インタビュー
 文 弘樹
  金鶴泳がいて、佐藤泰志がいた
・エッセイ
 西堀滋樹
  中野の犬たち 泰志との時間
 高專寺赫
  記憶を辿って
・佐藤泰志の映画をめぐって
 菅原和博
  佐藤泰志文学を映画にする
 『海炭市叙景』から『そこのみにて光輝く』まで
 熊切和嘉
 『海炭市叙景』を監督して
 越川道夫
  街はまだあるのか
 稲塚秀孝
  佐藤泰志の衝撃
 呉美保×高田亮×星野秀樹
  映画『そこのみにて光輝く』をめぐって
・エッセイ
 岡崎武志
  上京者としての佐藤泰志
 村井康司
  「この市街戦は前衛ジャズそのものだ」
  佐藤泰志の文学とジャズ
 瀬々敬久
  本棚には佐藤泰志の本は一冊もない
 番場早苗
  海と砂と夏のアジサイ
 金子彰子
  手渡された光を見つめて
 青井元子
  海炭市に生きて
・論考
 福間健二 すべてを宙づりにする
 世良利和 渇望する夏 佐藤泰志の輝きに寄せて
 加藤健次 佐藤泰志の余白へ 青春小説論ノート
 井坂洋子 明暗を泳いで
 石川忠司 佐藤泰志の青春小説 地の文への「抵抗」
 陣野俊史 人生の休暇と視線の低さ
 阿部公彦 佐藤泰志の主人公たちが痛い目に合うわけ
 川口正和 優しさの由来 佐藤泰志の代表的作品を味読する
 暁方ミセイ 美しい夏の、鉱脈
 桜井晴也 佐藤泰志のせつじつさ
 中里勇太 半身は、ここへ置いてゆけ
・佐藤泰志作品ガイド 中里勇太
・佐藤泰志 略年譜


福間健二(ふくまけんじ 1949年 - ):
新潟県出身の詩人、翻訳家、映画評論家、映画監督。東京都立大学(現首都大学東京)人文学部英文学科卒業。同大学院人文科学研究科修士課程修了。首都大学東京大学院人文科学研究科教授。


「没後24年 佐藤泰志に光」

朝日新聞:2014年3月4日朝刊

sat1


映画「そこのみにて光り輝く」
soko 「そこのみにて光り輝く」

監督:呉美保

出演:綾野剛、池脇千鶴












映画「そこのみにて光輝く」:公式サイト
映画「そこのみにて光輝く」:シネマトゥデイ


関連記事:

佐藤泰志の「移動動物園」を読んだ!
佐藤泰志の「そこのみにて光輝く」を読んだ!
ドキュメンタリー映画「書くことの重さ 作家 佐藤泰志」を観た!
佐藤泰志の「きみの鳥はうたえる」を読んだ!
佐藤泰志の「海炭市叙景」を読んだ!
熊切和嘉監督の「海炭市叙景」を観た!



さあ、お花見だ!

$
0
0

kinu2

少し肌寒いですが、
お天気になり、
お花見、
という飲み会が始まります。
大きな桜の木、都立砧公園です。

桜の木の下で

$
0
0

kinu1

まさに桜の木の下に陣取り、

飲み会が始まりました。


砧公園より

大江健三郎賞に岩城けいの「さよなら、オレンジ」が!

$
0
0
iwaki


講談社からのお知らせ

講談社主催による第8回大江健三郎賞は、2013年1月1日から12月31日までに日本で刊行された、「文学の言葉」を用いた作品約140点の中から、選考委員・大江健三郎氏によって、岩城けい氏『さよなら、オレンジ』(筑摩書房刊)に決定しました。今回は公開対談は行いません。なお、大江健三郎賞は第8回をもって終了いたします。

2014.04.07



大江健三郎賞に岩城氏

ノーベル賞作家の大江健三郎さんが一人で選考する第8回大江健三郎賞(講談社主催)に、岩城けいさんの「さよなら、オレンジ」(筑摩書房)が選ばれた。賞金はなく、外国語への翻訳刊行が賞になる。若手作家の新作を対象とし、「文学の言葉」の可能性に光をあててきたが、大江さんの意向で今回が最後になる。岩城さんはオーストラリア在住で、受賞作は昨年、太宰治賞を受けた。

2014年4月7日:朝日新聞朝刊


砧公園のお花見の帰り、用賀駅の本屋に立ち寄り、岩城けいの「さよなら、オレンジ」筑摩書房刊)を買って帰りました。それほど大きな本屋ではないので、まさか置いてあるとは思っていなかったのですが、すぐに見つかり、拍子抜けしました。なかったら家に帰ってからアマゾンに頼もうと思っていたのですが・・・。


本の帯をみると、2014本屋大賞ノミネート!、2014第150回芥川賞候補、2013第29回太宰治賞受賞、とあります。不覚にも僕は、この本のことはまったく知りませんでした。


本の帯の裏側には、以下のようにありました。

サリマの物語に寄り添うのは、はるかに時間をさかのぼり、誕生したばかりの言葉の原子に耳を澄ませるのに等しい。――小川洋子

まるで親しい友だちに対するように、読みながら応援したりハラハラしたり悲しんだり噴ったりした。――三浦しをん


「大江健三郎賞は第8回をもって終了」ということは、大江さんの言葉などから、うすうす気がついていました。が、はっきりと「第8回をもって終了」と言われると、初回からずっと読んできた僕にとって、いささかショックでもあります。また「今回は公開対談は行いません」ということもショックでした。実は朝、新聞の朝刊は読んでいなくて、それでも大江賞のことは気になり、朝から講談社のホームページをチェックしていました。やっと昼近くになって、受賞作を知り、そして公開対談は行わないことを知りました。残念でなりません。


過去の関連記事:

「第7回大江健三郎賞・公開対談」を聞く!
第6回大江健三郎賞発表、綿矢りさ「かわいそうだね?」
綿矢りさの「かわいそうだね?」を読んだ!
「第5回大江健三郎賞、大江健三郎と受賞者・星野智幸の公開対談」を聞く!

第5回大江賞に星野智幸さん 受賞作は「俺俺」!
星野智幸の「俺俺」を読んだ!

「第4回大江健三郎賞 大江健三郎と中村文則の公開対談」を聞く!
中村文則の「掏摸」を読んだ!

大江健三郎賞に中村文則の「掏摸」が!

芥川賞受賞作、中村文則の「土の中の子供」を読む!

「第3回大江健三郎賞 大江健三郎と安藤礼二の公開対談」を聞く!

第3回大江健三郎賞選評と、安藤礼二の「光の曼陀羅」を読んだ!
安藤礼二の「光の曼陀羅 日本文学論」が大江健三郎賞に!

「第2回大江健三郎賞公開対談 大江健三郎×岡田利規」を聞く!
岡田利規の「わたしたちに許された特別な時間の終わり」を読んだ!
第2回大江健三郎賞に岡田利規さん!

長嶋有の「夕子ちゃんの近道」を読んだ!
第1回大江健三郎賞に長嶋有さんの「夕子ちゃんの近道」

講談社が「大江健三郎賞」創設 選考は大江氏1人


「いらか道(用賀プロムナード)」を歩く!

$
0
0

ira19

お花見が終わって、砧公園から東急田園都市線用賀駅まで、「いらか道(用賀プロムナード)」を通って帰りました。お天気もよく、時間もタップリあるので、いらか道の瓦で舗装してあるところに彫られている百人一首の和歌を詠みながら、のんびりと帰ってきました。もちろん、百人一首ですから百首ありますが、ここではほんの少しだけ、下に載せておきます。


ira18 ira17

人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は:後鳥羽院
我が袖は しほひに見えぬ 沖の石の 人こそしらね かわくまもなし:二条院讃岐


ira16

ira15 ira14

村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ:寂蓮法師

世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる:皇太后宮大夫俊


ira11

ira13 ira12

思ひわび さても命は ある物を うきにたへぬは 涙なりけり:道因法師

淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いく夜ねざめぬ 須磨の関守:源兼昌

ira10

ira9 ira8

春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそをしけれ:周防内侍
夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ:清少納言


ira4

ira3 ira2

やすらはで寝なましものをさ夜更けて かたぶくまでの月を見しかな:赤染衛門
あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな:和泉式部




過去の関連記事:

いらか道(用賀プロムナード)を歩く!

伊藤隆の「日本の内と外」を読んだ!

$
0
0

itotaka


伊藤隆の「日本の内と外」(中公文庫:2014年1月25日初版発行)を読みました。「シリーズ日本の近代」という本です。以前、鈴木博之の「都市へ」を読みました。それと同じシリーズになります。索引まで入れるとなんと525ページにもなる分厚い文庫本です。「日本の近代(16) 日本の内と外」(中央公論新社、2001年)を文庫化したものです。


シリーズは今もまだ刊行中です。「都市へ」と「日本の内と外」以外の既刊は、「逆説の軍隊」(戸部良一)、「官僚の風貌」(水谷三公)、「メディアと権力」(佐々木隆)、「企業家群像」(宮本又郎)、「新技術の社会誌」(鈴木淳)です。


本の帯には、以下のようにあります。

「世界」の一員として生きるため日本が懸命に切り開いた道とは?


本の裏表紙には、以下のようにあります。

開国で国際社会に編入された日本は、欧米が牛耳る「世界」を必死に生き延び、日清・日露の戦を勝ち抜いて20世紀を迎えた。だが新しい世紀は、世界大戦の惨禍と、共産主義という新たな局面で大きく揺すぶられていた。第1部「列強への途」、第2部「共産主義の世紀」と二部構成で描く近代日本の歩み。


目次:

第1部 列強への途―1853‐1918

  1.「世界」への編入

  2. 「大国」の地位を賭けて)

第2部 共産主義の世紀―1917‐1991

  3.共産主義という素晴らしい未来

  4.革命を遠く離れて

参考文献

関係年表

索引


伊藤隆:
政策研究大学院大学教授。1932年(昭和7)年東京生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科国史専攻修士課程修了。東京大学文学部教授、埼玉大学大学院教授などを経て現職。近代史史料の編纂及び刊行にも数多く携わる。著書に『大正期「革新」派の成立』『昭和初期政治史研究』『近衛新体制―大政翼賛会への道』『近代日本の人物と史料』『牧野伸顕日記』(共編)『佐藤栄作日記』(監修)『鳩山一郎・薫日記』(共編)など多数


第一部の終わりに、伊藤は以下のように書いています。

さて、日本にとって19世紀半ばから20世紀初期にかけては、西欧文明と接触し、試行錯誤を繰り返しながらその文明を摂取し、当時の「世界」であった西欧社会に自らをその一員とすべく全力を挙げて取り組んだ年月であった。そして日露戦争と第一次大戦によって、日本は世界の列強の一員であることを自他共に認識することとなった。ここで、日本の近代は第一幕を終わる。今日に至る1世紀足らずの年月は、第一次大戦中にロシアで勃発し成功した共産主義革命によって局面を変えた世界を生きることとなった。


そしてこの本の最後に、以下のように書いています。

さて過去150年の日本を、第1部では欧米がすなわち世界であった状況で、その世界に参入するための必死の営みとして、第2部では今世紀の大半、世界を揺るがした共産主義、社会主義、その鬼子であったナチズム、ファシズムの中で生きた日本および日本人を描くことで、日本が世界に参入し、世界の中の一つのアクターとして生きてきたことを示した。そして、共産主義の実験が完全に失敗に終わった今日、世界とともに日本も新しい段階を迎えようとしている。・・・日本はこの150年間に多くの経験をし、多大の蓄積をしてきた。それが何であったかを債券投資、積極的に評価することこそ、日本および日本人が新しい世界を切り開く原動力になるという大きな希望を持ってよいのではなかろうか。


過去の関連記事:
鈴木博之の「都市へ」を読んだ!

世田谷美術館で「岸田吟香・劉生・麗子 知られざる精神の系譜」を観た!

$
0
0




世田谷美術館で「岸田吟香・劉生・麗子 知られざる精神の系譜」を観てきました。今までまとまって観た「岸田劉生」展は、二度ほどあります。一度は損保ジャパン東郷青児美術館で、もう一度は八王寺夢美術館でした。八王寺夢美術館で展示された作品は、笠間日動美術館が所蔵する作品でした。それぞれに特徴がありました。記憶をたどってみると、損保ジャパンの方は、自画像が多く、一方、八王子の方は、岸田劉生を幅広く掘り下げていたように思います。八王子で劉生の日本画を始めて観ました。


今回の世田谷美術館では、「岸田吟香・劉生・麗子―時代を超えて個を貫いた親子三代の物語」とある通り、劉生の父親・吟香、そしてあまりにも有名な娘・麗子の3人を、それぞれに取り上げています。吟香は激動の幕末・維新期に、開明派の文化人として各方面で活躍しました。また、劉生が38歳で早世した後、麗子は演劇人として画家としての生涯を生き、晩年には父・劉生の評伝を書き上げました。今回の展覧会は、それぞれの個を貫いた親子三代の物語、と言えます。


また、「吟香と美術」の章では、チャールズ・ワーグマン、高橋由一、五姓田義松、渡辺幽香、山本芳翠、川村清雄、小林清親、等々の作品も展示されています。


劉生の「画家の妻」と「支那服着たる妹照子之像」も良い作品でした。今回の目玉はなんといっても「麗子像」であることは言うまでもありません。まず最初に、世田谷美術館のメインホールである1/4円の展示スペースに、7つの「麗子像」関連の作品が展示されています。以下、7つのタイトルを載せておきます。


・「麗子座像」

・「二人麗子図(童女飾髪図)」

・「野童女」

・「童女図(麗子立像)」

・「麗子立像(未完)」

・「麗子立像(お手玉をとる)」

・「麗子十六歳之像」



展覧会の構成は、以下の通りです。(「出品作品資料目録」による)


第1部 岸田吟香

  第1章:吟香その人

  第2章:吟香の活動

  第3章:吟香と美術

第2部 岸田劉生大正洋画壇の異色の星

  第1章:銀座生まれ・銀座育ちの劉生

  第2章:洋画家・劉生の仕事

  第3章:多芸多才の人・劉生

第3部 岸田麗子劉生の愛娘・昭和を翔る

  第1章:劉生とともに

  第2章:表現者としての麗子



第1部:幕末・維新の先覚者、岸田吟香
美作国(現・岡山県)の山間の地に生まれた吟香は、津山・江戸・大阪に出て学問修行に励みましたが、幕末の動乱期には思想上の嫌疑をかけられ市井の一隅に身を潜めるなど、波乱万丈の青年期を過ごしました。やがてローマ字を考案した医師・ヘボンに出会い、和英辞書編纂の手伝いや新聞の発行、上海への初渡航や新航路開発の計画など、にわかに活動の幅を大きく拡げてゆきます。その後、さまざまな事業を興しつつ維新を迎え、40歳のときには『東京日日新聞』(毎日新聞の前身)の主筆となって人気を博しました。幕末より手がけてきた液体目薬「精錡水」の製造販売に本格的に乗り出したのも、この頃のことです。東京・銀座に薬舗「楽善堂(らくぜんどう)」を構え、そこを拠点に事業家、出版人、思想家、文筆家として八面六臂の活躍を見せ、明治という新時代の建設に大きく貢献しました。盲学校を設立したのもその功績のひとつです。しかし 日露戦争のただなか、病に倒れて72年の生涯を閉じました。





第2部:父親ゆずりの反骨の士、岸田劉生
東京・銀座の煉瓦街で大きな薬舗「楽善堂」を営んでいた父・吟香のもと、14人兄弟姉妹の第9子として生まれた劉生は、21歳になるまでの青年期をそこで過ごしました。銀座生まれ・銀座育ちの都会っ子だったのです。その後、結婚を機に都心を離れ、代々木・駒沢・鵠沼へと居を移して、画家としての成熟期を迎えます。「内なる美」を求めて写実を極めんとし、次々と〈麗子像〉を描き重ね、やがて「東洋の美」へと大きく傾斜してゆきました。震災を機に移り住んだ京都では、宋元の絵画や浮世絵など古美術に魅せられつつ、自身は南画風の日本画を多数描いています。若くして官展からは遠のき、旧来の芸術には背を向けて、大正期の特色を示す「個の表現」を求め、また、多くの独創的な芸術論をしたためました。そして最晩年には洋画という枠すら飛び越えてしまった劉生は、まさに破格の画家であったといえるでしょう。初の海外渡航となった満州からの帰路、山口の地で客死し、毀誉褒貶の激しかった生涯を38歳の若さで閉じました。







第3部:劉生没後の岸田麗子、表現者としての生涯
父・劉生が代々木へ居を移してまもなくのこと、麗子は誕生しました。溢れんばかりの愛情を受けて成長した麗子は、鵠沼の地で4歳のときから、以後10年あまり、父のためにモデルを務めました。単にモデルというにとどまらず、麗子は劉生にとってのミューズ、芸術創造の源泉となったのです。その父が1929年に急逝したとき、麗子はいまだ15歳の少女でした。しかし、絵を描きはじめるとともに、父の旧友であった武者小路実篤に私淑し、「新しき村」の演劇部に入って役者として舞台に立つようにもなりました。その後、家庭を持ち、三児の母となってのちも、そこにはつねに演劇や絵画、戯曲や小説などを作り出す表現者としての日々がありました。父が遺した膨大な量の日記を精読し、それをもとに魅力溢れる評伝を書き上げたのち、麗子は急逝、48年の生涯を閉じました。






「岸田吟香・劉生・麗子 知られざる精神の系譜」

─時代を超えて個を貫いた親子三代の物語
愛娘をモデルとした〈麗子像〉の連作で広く世に知られている画家・岸田劉生は、独自の美を求めて葛藤を重ねた大正洋画壇の巨星でした。その劉生には、傑物ともいうべき父がいました。その名は吟香。激動の幕末・維新期に、洋の東西を遠く見すえた開明派の文化人として、各方面で活躍しました。また、劉生が38歳で早世したのち、長女・麗子は演劇人・画家としての生涯を生き、最晩年には詳細にわたる父・劉生の評伝を書き上げました。本展では、吟香にまつわる稀少資料や、吟香と交流のあった同時代人の作品に加え、劉生の代表作〈麗子像〉やそのモデルとなった麗子の遺作などを一堂に集めて、それぞれの個を貫きとおしたこの稀有なる親子三代の物語をたどります。独りわが道をゆくことを恐れなかった生き方は、明治・大正・昭和を通して、吟香・劉生・麗子に等しく見られる資質です。本展の目的は、時代を超えたこの知られざる精神の系譜を、日本近代史に照らして探るところにあります。

「世田谷美術館」ホームページ


過去の関連記事:

八王子夢美術館で「画家 岸田劉生の軌跡」展を観た!
損保ジャパン東郷青児美術館で「没後80年 岸田劉生 肖像画をこえて」を観た!



茨城県近代美術館で「フランス万華鏡」を観た!

$
0
0



東京より少し遅れて桜が満開の水戸、茨城県近代美術館で「フランス万華鏡」を観てきました。今回は、茨城県近代美術館のコレクションの中から、近代フランス絵画や、フランスに関わりを持つ作品を選び、紹介するというものです。「フランス万華鏡」というくらいですから、作品数がやたら多い、なんと193点もの作品が展示されていました。そのなかで圧倒的の多いのはオノレ・ドーミエの作品です。およそ10点もありました。また、藤田嗣治の「小さな職業人たち」というシリーズもの、22点もありました。ドーミエと藤田の「小さな・・・」は、別に項を設けて載せるつもりでいます。


茨城県近代美術館のコレクションというと、中村彝や小川芋銭だけではないんですね。フランス絵画だけでも、クールベ、ピサロ、マネ、シスレー、モネ、ルノワール、カリエール、シニャック、等々、驚くほど幅広く集めていました。なかでもルノワールの「マドモワゼル・フランソワ」は、ルノワール作品の傑作の一つといえます。


今回、木内克のテラコッタの作品「女の顔」(1929年)が出ていました。茨城県近代美術館へ行くと、ロビーには木内克の「エーゲ海に捧ぐ」(1972年)が展示してあり、いつでも観ることができます。図録をみてみると、茨城県近代美術館で「木内克展」を観たのは1992年のことでした。図録には佐藤忠良が「克先生」という文章を寄せていて、木内がルーブル通いをしているうちにギリシャのアルカイック彫刻に深い衝撃を受けて、帰国後「女の顔」がそれを伝えていると、書いています。


展覧会の見どころは、以下の通りです。(美術館HPによる)


(1) ドーミエ、クールベ、ピサロ、マネ、モネ、ルノワール、シスレーといった、レアリスムや印象派などの,フランス絵画コレクションの名品を一堂に展示。
(2) 政治や社会、パリの人々の生活などを卓越した観察力とデッサン力によって描いて風刺版画家として名を馳せたドーミエの版画作品をまとめて展示し、その魅力に迫る。
(3) 日本にいながらルノワールなど西洋絵画を摂取して独自の画風を築いた洋画家・中村彝の作品における"フランス的なるもの"に注目。
(4) 「山羊の画家」として注目された後、1920~21年の欧州旅行の頃より風景画家に転じた洋画家・辻永の、荒い筆触と強い色調によって描かれたフランスの風景画を紹介。
(5) 渡仏してマネやルノワール、セザンヌ等の模写に励み、ドラン、マティス、ブラック等同時代の画家にも注目して和洋融合に努めた洋画家・熊岡美彦の滞欧作を展示。
(6) フランスでブールデルに師事した彫刻家・木内克の滞欧作と、約15年にわたったフランス生活の成果がうかがえる後年の作品も紹介。
(7) エコール・ド・パリの画家として、戦前のパリ画壇の寵児となった藤田嗣治の油彩画と版画を展示。
(8) 20代で渡仏し、当時廃れていた銅版画の版画技法マニエール・ノワールを復活させ、一度も帰国することなくフランスの版画家として生きた長谷川潔の作品を紹介。
(9) 戦後のパリで活躍し2013年に逝去した2作家、パリでアンフォルメル運動に参加した堂本尚郎と、潮来出身で半世紀にわたりフランスの風景を描き続けた村山密を紹介。


展覧会の構成は、以下の通りです。


フランスの光と風

パリ生活

フランス便り



フランスの光と風








パリ生活


*ドーミエとフジタに関しては別項で載せます。




フランス便り




「フランス万華鏡」

当館のコレクションの中から近代フランス絵画やフランスと関わりを持つ作品を選び、フランスの香りただよう作品の数々を紹介します。当館は、折にふれ、水戸市出身の中村彝(つね)をはじめとする近代日本の美術家に多大な影響を与えたフランス近代美術の作品をコレクションに加えてまいりました。本展では、クロード・モネやオーギュスト・ルノワールの作品をはじめ、変わりゆく19世紀フランスの世相を映し出したオノレ・ドーミエの風刺画、ドーミエと同時代に活躍しレアリスムを代表するギュスターヴ・クールベ、そして戦前のパリ画壇の寵児となった藤田嗣治の作品等、当館所蔵のフランス近代絵画をまとめて」ご覧いただきます。同時に、日本人作家、とりわけ茨城の美術家たちの、印象派をはじめとするフランス美術に向けた憧憬の念をそれぞれの作品の内に探りながら、茨城における“フランス贔屓”の多彩な表れ方をご覧いただきます。芸術の都パリは、多くの日本人が旅行者として訪れるのみならず、そこに身を投じて制作・発信を行った美術家も少なくありません。本展では、美術家たちがフランスの風と光の中に嗅ぎ取った煌めきと、個々の作品の中で輝き放つ大小のフランスのかけらを、万華鏡のようにお楽しみいただけます。


「茨城県近代美術館」ホームページ


過去の関連記事:
茨城県近代美術館で「聖なるものへ―ひそやかな祝祭―」を観た!
茨城県近代美術館で「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」を観た!

茨城県立近代美術館で「常設展」を観た!
茨城県立近代美術館で「ストラスブール美術館展」を観た!
茨城県立近代美術館で「常設展」を観た!
茨城県立近代美術館で「アンソールからマグリットへ」を観た!
「キスリング展 エコール・ド・パリの華」を観る!
「茨城県立近代美術館」の常設展と中村彜!



ミシェル・アザナヴィシウス監督の「アーティスト」を観た!

$
0
0

art1


あなたはなにを基準に映画を選んで観ているのか?そのような問いに対して、アカデミー賞を取るような映画は観ない、と答えていました。ミシェル・アザナヴィシウス監督の「アーティスト」は、なんと第84回アカデミー賞、作品賞、主演男優賞、監督賞、衣装デザイン賞、作曲賞、5部門受賞作だという。それじゃあ絶対に観るわけにはいきません。また、ハリウッドの映画とも答えたりもしました。つまりは大ヒットするような映画は、なるべく観ないようにしてきました。


ということで、つい先日まで観なかったわけですが、ある人から「良い映画だよ」と言われたものですから、ついついTUTAYA で借りてきて、観てしまったわけです。“信念”はないのかい、と言われそうですが。そのときにもう一本、「エディット・ピアフ~愛の賛歌~」も推薦されましたが、それは別項にて書きますが・・・。


「アーティスト」、2011年、フランスで制作されたものです。日本公開は2012年4月です。それから2年も経ってしまいました。モノクロ映像で、サイレント作品。もうこれだけでレトロ調をねらった作品かと思いきや、意外や意外、けっこう現代的な作品に仕上がっています。物語は1927年、サイレントとトーキー映画のギリギリの時代の分かれ目です。かたやサイレント時代、人気絶頂の大スターだが、サイレントにこだわりいまや落ち目、人々から忘れ去られていきます。


こなたトーキー新時代、駆け出しの大部屋女優ですが、なにをやっても上り坂です。二人の出会いはオーディション会場でのちょっとしたこと。こんな話は映画ではよくあるのですが、それを乗り越えて、良い意味での“普通”な作品になっています。ワンポイントの“つけぼくろ”も効果的です。当時のファッションも、もちろん音楽も良い。圧巻はなんと言っても二人で踊るタップダンスでしょう。最初と最後にこの見事なタップシーンが観られます。愛犬の活躍も見ものです。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:サイレントからトーキーへと移り変わるころのハリウッドを舞台に、スター俳優の葛藤(かっとう)と愛を美しいモノクロ映像でつづるサイレント映画。フランスのミシェル・アザナヴィシウス監督がメガホンを取り、ヨーロッパのみならずアメリカの映画賞をも席巻。芸術家(アーティスト)であることに誇りをもち、時代の変化の波に乗れずに凋落(ちょうらく)してしまうスターを演じるのは、『OSS 117 私を愛したカフェオーレ』のジャン・デュジャルダン。ほかに、ジョン・グッドマンなどのハリウッドの名脇役が出演。サイレントの傑作の数々へのオマージュが映画ファンの心をくすぐり、シンプルでロマンチックなラブストーリーも感動を誘う。

ストーリー:1927年のハリウッドで、サイレント映画のスターとして君臨していたジョージ・ヴァレンティン(ジャン・デュジャルダン)は、新作の舞台あいさつで新人女優ペピー(ベレニス・ベジョ)と出会う。その後オーディションを経て、ジョージの何げないアドバイスをきっかけにヒロインを務めるほどになったペピーは、トーキー映画のスターへと駆け上がる。一方ジョージは、かたくなにサイレントにこだわっていたが、自身の監督・主演作がヒットせず……。


art5

art4

art3

art2

「アーティスト」公式サイト

茨城県近代美術館で「常設展」等を観た!

$
0
0



「茨城県近代美術館で「常設展」等を観た!」とタイトルに書きましたが、前に書いた「フランス万華鏡」で、オノレ・ドーミエの「リトグラフ作品」と藤田嗣治の「小さな職業人たち」をこちらの方に追加しておきます。その他に、いわゆる「常設展」で展示してある作品をこちらに載せておきます。


ドーミエの作品は、国立西洋美術館や三鷹市美術ギャラリーで纏まって観たことがあります。また藤田の「小さな職業人たち」は、ポーラ美術館の油彩画ですが、Bunkamuraザ・ミュージアムで観ました。

三鷹市美術ギャラリーで「ドーミエとグランヴィル展」を観た!
「オノレ・ドーミエ版画展」
Bunkamuraザ・ミュージアム「レオナール・フジタ―ポーラ美術館コレクション」!


オノレ・ドーミエは19世紀半ばにパリを舞台に時代を象徴する作品を生み出しました。その視点を都市の社会風俗におき、翻弄されながらもしたたかに生きる都会人や労働者の姿を描きました。藤田嗣治は、19世紀になって台頭したブルジョワ階級とは対照的な、下層民や周縁的な人々の仕事、いわゆる「プティ・メテイエ」(しがない職業、職人仕事)の仕事に着目しました。連作「小さな職人たち」は、藤田の職人仕事に対する敬意、そしてパリという街への特別な思いが凝縮されています。


「フランス万華鏡」―パリ生活

オノレ・ドーミエの「リトグラフ」





藤田嗣治の「小さな職業人たち」




第1展示室

常設展―日本の近代美術と茨城の作家たちⅦ

茨城県は、横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山ら「五浦の作家」や、牛久沼のほとりに住み自然とともに生きる人々や動物たちを描いた小川芋銭などの日本画家、また、大正期に活躍した中村彝らの洋画家など、日本の近代美術の展開において重要な役割を果たした作家を多く生み出しております。現在、茨城県近代美術館では、このように歴史に名を刻んだ郷土作家をはじめ、国内の近現代美術の名品を中心に収集しております。当館ではまた、中村彝をはじめとする日本の多くの画家たちに大きな影響を与えた印象派など、ヨーロッパの美術作品も収集しております。日本の近代美術とともに、それらの西洋美術を鑑賞することにより、影響関係なども楽しんでいただけるものと思います。五浦の作家たちや小川芋銭の春に因む作品、小野竹喬の「武陵桃源」、安田靫彦の「源氏若紫」、安藤信哉の「早春」などをご紹介します。それぞれの作品から感じ取れる春をお楽しみください。
主な出品作家:
横山大観 安田靫彦 小野竹喬
黒田清輝 永瀬義郎 岡本太郎


日本画



油彩画



版画


彫刻


第2展示室

コレクション形成の物語5 水彩画、大集合!

茨城県近代美術館は、平成25年度に開館25周年を迎えました。所蔵作品展では、年間を通じてコレクションの成り立ちを振り返ってきました。最終回となる今回は、当館が誇る水彩画の数々をご紹介いたします。日本に水彩画が広まった明治時代から、他の画材と併用され多様な表現を見せる現代まで、多彩な水彩画の魅力をお楽しみ下さい。
主な出品作家:
浅井 忠 三宅克己 藤田嗣治 小出楢重
中西利雄 富田通雄 小堀 進 互井開一
堀井英男 鏑木昌弥 柳田 昭




「茨城県近代美術館」ホームページ


昭和39年頃の渋谷駅東口付近のジオラマを発見!

$
0
0
shi1

昭和39年頃の渋谷駅東口付近のジオラマを発見しました。東急百貨店本店の高級ブティックが並ぶ通路から文化村に抜けるところ、HERMESやFENDIのあるあたりです。正式な名称は「思い出の街、渋谷、~昭和39年(1964年)頃の渋谷駅東口付近~」とあります。


昭和39年頃の約1/150の渋谷の風景です。五島プラネタリウム、東急文化会館、東横百貨店屋上の遊具など、懐かしい風景が再現されています。この作品は1985年頃から構想を練り、資料・調査を進め、1997~2002年にかけて制作に取り組んだそうです。2002年に月刊「鉄道模型趣味」に発表しました。


作者は、ジオラマ歴40年以上の富沢瑞夫・昭子夫妻です。著書に、「鉄道モデラーのためのデジタルクラフト入門」(主婦の友社)があります。


shi3

shi2

shi5

「60年代 懐かしの宝箱」



アンジェイ・ワイダ監督の「ワレサ 連帯の男」を観た!

$
0
0

walesa


岩波ホールで、アンジェイ・ワイダ監督の「ワレサ 連帯の男」を観てきました。3年前、東日本大震災のとき、つまり3.11ですが、岩波ホールで「サラエボ、希望の街角」を観ているときに大地震に遭遇しました。半蔵門線が不通で、しばらくはドトールで時間をつぶしましたが、午後11時過ぎまで神保町駅の改札口前で座り込んで過ごしました。


アンジェイ・ワイダ監督の作品は、ほとんどはブログを始める前に観ているので、といってもポーランドのワルシャワ蜂起にかかわる「地下水道」「灰とダイヤモンド」「大理石の男」「鉄の男」などワイダの代表作ですが、ブログに載せたのは「大理石の男(再見)」「カティンの森」のわずかに2作品だけです。いまさらながら、全作品を観直したい監督の一人です。


アンジェイ・ワイダは1926年、ポーランド東北部のスヴァウキで生まれます。父はポーランド軍大尉で対独戦中に“カティンの森”事件に巻き込まれて亡くなったという。初期のワイダの代表作は、ワルシャワ蜂起時のレジスタンスや、戦後共産化したポーランド社会の末路を描いた作品で、「抵抗三部作」と呼ばれています。またワイダは、ポーランドの“連帯”運動に参加したため、1981年に引かれた戒厳令で、ポーランド映画人協会長などの職を追われ、フランスなど海外での映画制作を余儀なくされます。(「ウィキペディア」による)


こうしてみると、ワイダの作品はほとんどすべてが自分が体験した自伝的な作品だと言えます。


「ワレサ 連帯の男」は、「カティンの森」(2007)「菖蒲」(2009)に続く、アンジェイ・ワイダ監督の最新作です。元〔連帯〕委員長、元ポーランド共和国大統領レフ・ワレサの伝記映画です。描かれる時代は、グダンスクのレーニン造船所職員だったワレサが、食品値上げに抗議するストに加わる1970年12月から、ベルリンの壁崩壊直後、ノーベル平和賞を受賞者として米国議会で演説を行う1989年11月までを描いています。87歳の巨匠が作り上げた、迫真力ある記録的劇映画は、ヴェネツィア映画祭で初公開され、絶賛を博したという。(「ポーランド広報文化センター」より)


wa5

wa4

wa3

wa1


「ワレサ 連帯の男」公式サイト


「岩波ホール」ホームページ


過去の関連記事:ワイダ関連

アンジャエ・ワイダ監督の「カティンの森」を観た!
アンジェイ・ワイダの「大理石の男」を再び観た!


過去の関連記事:岩波ホール関連

岩波ホールで「ハンナ・アーレント」を観た!
岩波ホールで「最初の人間」を観た!
羽田澄子の「遙かなるふるさと 旅順・大連」を観た!
ヤスミラ・ジュバニッチ監督の「サラエボの花」を観た!
ヤスミラ・ジュバニッチ監督の「サラエボ、希望の街角」を観た!
岩波ホールで「冬の小鳥」を観た!
アンジャエ・ワイダ監督の「カティンの森」を観た!
岩波ホールで「ポー川のひかり」を観た!
ハスチョロー監督の「胡同の理髪師」を観た!
ドキュメンタリー映画「ベアテの贈りもの」を観た!
映画「山の郵便配達」を観た!



岩城けいの「さようなら、オレンジ」を読んだ!

$
0
0

iwaki


岩城けいの「さようなら、オレンジ」(筑摩書房:2013年8月30日初版第1刷発行、2014年2月5日初版第5刷発行)を読みました。全体で166ページのこの作品は、岩代けいのデビュー作です。単行本の巻末に書かれている略歴によると、大阪生まれ、大学卒業後、単身渡豪。社内業務翻訳業経験ののち、結婚。在豪20年。本作で第29回太宰治賞を受賞。KSイワキより改名、とあります。そしてこの作品は第8回大江健三郎賞を受賞しました。大江は「私は『さようなら、オレンジ』の瀟洒なフランス装の本がパリで平積みされた光景を想像します」と述べています。


太宰治賞の選考過程が、以下のように載っています。

2013年5月8日、第29回太宰治賞の最終選考が、加藤典洋、荒川洋治・小川洋子・三浦しをんの四氏によっておこなわれ、満場一致にて「さようなら、オレンジ」は選出されました。選考委員全員が「この作品しかない!」という思い出決定された史上初の受賞作です。


本の帯の裏側には、以下のようにありました。

サリマの物語に寄り添うのは、はるかに時間をさかのぼり、誕生したばかりの言葉の原子に耳を澄ませるのに等しい。――小川洋子

まるで親しい友だちに対するように、読みながら応援したりハラハラしたり悲しんだり噴ったりした。――三浦しをん


また、第150回芥川賞候補作品の選考過程が、以下のように載っていました。

岩城さんの作品も、推す委員は『言語をいかに獲得していくか』ということの切実さと、逆に獲得していくことで失われるものがきちんと描けていて、感動があった。それに物語としても面白い、と。反対する選考委員はそれらの意見を認めつつ、アフリカ人のサリマ(登場人物の一人)をもっと深く描かなければ、物語として説得力を持たせることができないのではないかと指摘しました。
第150回芥川賞選評、川上弘美の談話(産経新聞:2014年1月20日 )

「さようなら、オレンジ」は、シャワーを浴びるサリマの様子を描いた文章で始まります。

サリマの仕事は夜が明けきらないうちから始まり、昼近くに帰宅した。家につくと洋服をむしり取って裸になり、すぐにシャワーを浴びた。この習慣は仕事を始めてからついてしまったもので、昼のさなかからたっぷりとお湯をつかってからだを洗うなんて贅沢を覚えた自分に腹を立てた。/シャワーの中で彼女はよく泣いた。


次の段落からは、サリマは自分が置かれた状況にしっかりと適応していきます。

仕事に就いてひと月たつと、サリマは泣くのをやめた。相変わらず生肉や魚の臭いがからだに染みついている気がして仕事から帰るとまっさきに」シャワーを浴びたが、もう泣くことはなかった。・・・それを横目で見やりながら、夫は出ていった。やっとの思いでここにともに逃れてきたというのに、夫はいともあっさり妻と子供を捨ててしまった。ついて来いとも待っていてくれとも言い残さなかった。


一方、恩師である「ジョーンズ先生」宛の「S」からの手紙は、次のようです。

いかがお過ごしでいらっしゃいますか。まさか、先生からお電話を頂けるなんて夢にも思いませんでした。それに先生の第一声が、「書いてるの?」。涙が出そうになりました。気に掛けてくださっていたこと、本当に嬉しかった。/早いもので、こちらに来てから半年が経ちました。住み慣れた都会からの移動は決して気乗りがしませんでしたが、夫の仕事とあっては仕方がありませんでした。


「さようなら、オレンジ」は、オーストラリアの田舎町に暮らす2人の女性を主人公とし、2人の視点が交互に出てくる形式で書かれています。一人は生死の危険をおかして脱出したアフリカ難民のサリマ、もう一人は高等教育を受けた日本人女性の「私」、サリマは「ハリネズミ」と呼んでいますが・・・。夫に逃げられたサリマは、精肉作業場で働きながら、なんとか二人の息子を育てています。母語の読み書きすらままならない彼女は、職業訓練学校で英語を学び始めています。


そこで出会ったのが、研究者の夫について渡豪した、生後4ヶ月の娘がいる日本人女性、彼女は母語ではない英語で小説を書こうとしています。サリマから見れば、彼女は主婦のかたわら勉強という恵まれた境遇に見えます。しかし彼女はすでにこの地に数年住みつつ、なお順応できない苦しみを抱いています。


この作品の1/3のところで、ある痛ましい出来事をきっかけに、二人は急速に接近します。「私」の幼い娘が突然亡くなります。「私」に起こった娘の死という悲劇をきっかけに、サリマと「私」の間の関係が深まります。サリマは「お国のことを子供たちにお話ししていただけたら」と、下の息子の担任教師に声をかけられます。「私の故郷」というテーマでシナリオをつくり、写真などを織り交ぜてプレゼンテーションを行うというものです。教師は題名の「私の故郷」をフェルトペンで消し、「サリマ」と直しましたが・・・。


サリマは作文を読み上げ始めます。

砂のうえで私は育った。お父さん、お母さん、弟たち。はたけの作物はぴかぴかしていて、もう食べられる。そんなゆめを見ていたと思うことにした。オレンジ色のおひさまがいつもうかんでいる、ゆめ。

サリマが読み終えると子供たちはしずまりかえったままでした。教師はあまりにも個人的すぎて役に立つ内容ではないという意見でしたが、子供たちはつぎつぎに質問の手を上げます。サリマは長い放浪の旅をおえてようやく自分の居場所に落ち着いたような心持ちがしました。


その手伝いをしたのが、時間と労力を惜しまないハリネズミである「私」でした。幼い娘を失った後、いったんはサリマと同じ職場で働き始めます。英語のクラスでおどおどして天気予報ばかり読まされていたナキチもいました。職場では堂々たるチーフで、ナイフの持ち方から肉魚の裁きかたなどすべてを教わりました。彼女の母語は部族語ですが国のごたごたで勉強できずに、ほぼ文盲の状態です。サリマは「あなたはダイガクへ行くべきだわ」と「私」に言います。悲劇を乗り越えた「私」に、新しい命が宿ります。


「夫婦の友人たちへの告知と、悲劇を乗り越えての新しい出産の報告とは、小説の二つの文体のなかに英文で二葉挿入されて、視覚的な効果もあげます」と、大江健三郎は述べています。続けて、この「私」に起こった悲劇をきっかけにサリマたちと「私」の間に新しく深まった関係が、小説の展開をみちびきます、と。


永住を決意したことを節目として夫と一緒に娘の灰を海に撒く「私」、水平線のかなたに夕日が沈み掛かっています。壺の蓋をあけ、手のひらに載せた灰はほんの一瞬だけあたりを煙らせて夕日の色に染まり、風に乗ってどこかへ消えました。さようなら、私の愛しい子、と最後に心の中で叫びましたが、これからはあの夕日のなかにあの子がいるような気がして、さようならを言いながら、わたしが見ている夢のようにうつくしいオレンジ色はたったいま特別になったのだと思うと、それは心慰められることでした。


夫の仕事が契約から正規採用になったのを機に、夫の勤務地にほど近い築30年の小さな家を購入します。大学の履修届に行ってみると、てっきり除籍になっていると思っていたが、「私」学の生番号が学籍簿に残っていました。


フラットへ戻る道を歩きながら、私はナチキのことを思います。フラットの前まで来て、階上へ続く鉄の階段を駆け上がったとき、もうひとりの私が私に耳打ちする声が聞こえました。私の大切な友達のことを書こう、書かなければならない。ドアノブにキーを差し込み、ロックが外れる音を聞いたとき、ヒロインの名は「サリマ」だ、と思いました。ナキチは戦火でお母さんと生き別れになっています。だから、もし自分に娘が生まれていたら、お母さんの名をもらってこの名をつけるつもりでいたそうです。


先生。いまから私がここに書くことは、英語という私にとって第二言語から学んだこと、英語で書くことによって、徹底的に壊し、作り直し、新たに躾なおした思考と行為を決して無駄にはしない、つまり先生への感謝の言葉だと思って受け取ってください。私が「先生」と呼びかけるのは、ジョーンズ先生だけなのですから。実は、あのあと部屋に入るなり、いてもたってもおられず数行の出だしを書いてみました。


ところが、英語にならないのです。日本語にしかならないのです。先生、私は自分の言葉で書くのがこわい。心理的に正直に書くことが恐ろしくてたまらないのです。私はいままで、そういった人の心の奥底にある感情の沼を恐れるあまり、真摯に受け止めることができず、表面だけを器用にとりつくろうことしかできない不器用な言葉、第二言語である英語を隠れ蓑にして綴ってきました。それが今回はできそうにありません。してはいけない気がするのです。


そしてこの物語は、「S」からの、ジョーンズ先生への感謝の手紙で終わります。


大江健三郎は、「晩年様式集(イン・レイト・スタイル)」が文庫本になるとして、自分が80歳を超えていることを考えて、細部の検討をこの間まで続けてきたという。「晩年様式集」を読み直しながら、晩年をきわまっての生き方を考えもしたが、大江健三郎賞を今回で終えることに思い至ったのは、これからなお本を読み、なんらかの仕事をするにしても、それは自分が新しい(若い)作家たちと同時代の作家としてではないはず、と覚悟せざるをえなかったからです、と述べています。そして岩波文庫から「短篇自選集」を出す準備をしていて、最初の短篇「奇妙な仕事」に新鮮な印象を受けたことを告白します。そして「奇妙な仕事」の末尾を57年ぶりに書き写して、私たちに提示します。


歴代大江健三郎賞 受賞作・受賞者


ooe1


ooe2 「群像 2014.5」
2014年5月1日発行

発行所:株式会社講談社

「第8回大江健三郎賞発表」










関連記事:

大江健三郎賞に岩城けいの「さよなら、オレンジ」が!

本谷有希子の「自分を好きになる方法」を読んだ!

本谷有希子の「嵐をピクニック」を読んだ!

本谷有希子「嵐のピクニック」軽さへの冒険、新境地!
大江健三郎賞に本谷さん!

「第7回大江健三郎賞・公開対談」を聞く!
第6回大江健三郎賞発表、綿矢りさ「かわいそうだね?」
綿矢りさの「かわいそうだね?」を読んだ!
「第5回大江健三郎賞、大江健三郎と受賞者・星野智幸の公開対談」を聞く!

第5回大江賞に星野智幸さん 受賞作は「俺俺」!
星野智幸の「俺俺」を読んだ!

「第4回大江健三郎賞 大江健三郎と中村文則の公開対談」を聞く!
中村文則の「掏摸」を読んだ!

大江健三郎賞に中村文則の「掏摸」が!

芥川賞受賞作、中村文則の「土の中の子供」を読む!

「第3回大江健三郎賞 大江健三郎と安藤礼二の公開対談」を聞く!

第3回大江健三郎賞選評と、安藤礼二の「光の曼陀羅」を読んだ!
安藤礼二の「光の曼陀羅 日本文学論」が大江健三郎賞に!

「第2回大江健三郎賞公開対談 大江健三郎×岡田利規」を聞く!
岡田利規の「わたしたちに許された特別な時間の終わり」を読んだ!
第2回大江健三郎賞に岡田利規さん!

長嶋有の「夕子ちゃんの近道」を読んだ!
第1回大江健三郎賞に長嶋有さんの「夕子ちゃんの近道」

講談社が「大江健三郎賞」創設 選考は大江氏1人


Bunkamuraザ・ミュージアムで「ミラノ 華麗なる貴族コレクション」を観た!

$
0
0



ミラノには1990年前後に2回、そして2004年に1回、計3回行ってます。2004年3月2日、日本への帰国前日、半日時間が空いたので、僕はスフォルツアの城にあるミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」を観に行くために、一人でミラノの街を歩いていました。なんか美術館らしい標識を見つけて、吸い込まれるようにその邸宅に入りました。あまり目立たない入口でした。今思うと、それがポルディ・ペッツォーリ美術館だったようです。


階段室の写真を観たら、まず間違いなく僕が行った美術館でした。リーフレットがあったのですが、いくら探しても出てきません。美術館の名前も控えていませんでした。でも今回の展示品をみると、たしかに僕が観た美術館です。武具や甲冑、時計や宝飾品など、狭い室内に所狭しと並べられていました。小部屋が幾つもあって、どこをどう歩いているのか、ほとんど足の向くままに歩いていました。残念ながら絵画の展示してあるのを観たという記憶がありません。


そんなわけで、Bunkamuraザ・ミュージアムで「ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館 華麗なる貴族コレクション」を観てきました。美術館の名前を聞いたときに、ミラノに、しかもオペラ座のすぐ近くにこんな美術館があったんだと思っただけで、僕が行った美術館だとは思いませんでした。だが、まてよ、地図を見てみると、僕がぶらりと入った美術館の位置です。階段室の写真を見ると、思いだしました。たしかに僕が行った美術館でした。


今回の「ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館 華麗なる貴族コレクション」、約6000点以上もあるコレクションの中から約80点を選りすぐり、出品作のほとんどが日本初公開、だそうです。絵画や彫刻、工芸品や宝飾品など、先祖代々の財産を受け継いだポルディ・ペッツォーリ家の末裔ジャン・ジャコモの遺言により、すべての美術品は永久に公開するとして、美術館が誕生しました。


ポルディ・ペッツォーリ美術館となっている館は、もともと17世紀に建てられた貴族の邸宅です。ジャン・ジャコモは、コレクションにふさわしい趣向を凝らしてしつらえました。そして目玉は言うまでもなく、ピエロ・デル・ポーライウォーロの傑作である「貴婦人の肖像」です。15世紀に流行した横顔スタイルの肖像画で、裕福な上流階級の女性ですが、モデルが誰かわかっていません。そしてジャン・ジャコモが生前最後に購入したとされるボッティチェッリの「死せるキリストへの哀悼」も、今回の目玉と言っていいでしょう。


他に観ておくべき作品は、グリゼルダの物語の画家の「アルテミジア」とベルゴニョーネの「アレクサンドリアの聖カタリナ」があります。会場ではこのふたつの作品を対比的に展示していました。また、ジャンバッティスタ・ティエポロの「美徳と高潔の寓意」や、ジュゼッペ・モルテーニの「レベッカ」もありました。


展覧会の構成は、以下の通りです。


第1章 ポルディ・ペッツォーリ・コレクション

第2章 ロンバルディア・コレクション

第3章 タペストリーと14・15世紀イタリア絵画コレクション
第4章 「黄金の間」コレクション

第5章 15・16世紀の美術と時計コレクション

第6章 ヴェネツィア美術および17世紀以降の美術コレクション



第1章 ポルディ・ペッツォーリ・コレクション



第2章 ロンバルディア・コレクション




第3章 タペストリーと14・15世紀イタリア絵画コレクション




第4章 「黄金の間」コレクション



第5章 15・16世紀の美術と時計コレクション





第6章 ヴェネツィア美術および17世紀以降の美術コレクション




「ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館 華麗なる貴族コレクション」

ヨーロッパで最も優雅な邸宅美術館と言われているポルディ・ペッツォーリ美術館。ミラノ有数の貴族ジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリが先祖代々の素晴らしい財産を受け継ぎ、また蒐集した美術品からなる珠玉のコレクションを誇ります。1881年、彼の死から2年後、「全ての美術コレクションは永久公開されるものとする」という遺言のもと、美術館が設立されました。本展はこの優美な美術館から、まだ少女らしいあどけなさの残る横顔、初期ルネサンスを代表するポッライウォーロの傑作であり、美術館の代名詞ともいえる《貴婦人の肖像》、ジャン・ジャコモが生前最後に購入したとされるボッティチェッリの《死せるキリストへの哀悼》、ラファエッロ(帰属)の《フランチェスコ会の聖人が描かれた行列用十字架》――邸内に飾られていた絵画をはじめ武具、工芸、蔵書など貴族の美意識あふれるコレクションの数々約80点が日本で初めてまとまって紹介されます。ルネサンスから19世紀に至るヨーロッパ美術の系譜をたどりながら、華麗なる貴族文化をご堪能ください。


「Bunkamuraザ・ミュージアム」ホームページ


過去の関連記事:

Bunkamuraザ・ミュージアムで「シャヴァンヌ展」を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「山寺後藤美術館展 バルビゾンへの道」を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアム「レオナール・フジタ―ポーラ美術館コレクション」!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「アントニオ・ロペス展」を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「白隠展」を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「巨匠たちの英国水彩画展」を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「レーピン展」を観た!

Bunkamuraザ・ミュージアムで「レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想」を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「フェルメールからのラブレター展」を観た!

Bunkamuraザ・ミュージアムで「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」を観た!
Bunkamura ザ・ミュージアムで「モネとジヴェルニーの画家たち」展を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「フランダースの光」展を観た!
Bukamuraザ・ミュージアムで「ベルギー王立図書館所蔵 ブリューゲル版画の世界」展を観た!

Bunkamuraザ・ミュージアムで「語りかける風景」展を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「ロートレックコネクション」展を(再び)観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「ロートレックコネクション」展を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代」展を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「ベルギー幻想美術館」展を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「奇想の王国 だまし絵展」を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア」を観た!
Bunkamura ザ・ミュージアムで「アンドリュー・ワイエス 創造への道程」展を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」を観た!
Bunkamura で「アンカー展」を観る!
「ヴェネツィア絵画のきらめき」展を観る!
「ポンペイの輝き」展を観た!
「ピカソとモディリアーニの時代」展を観る!






三菱一号館美術館で「ザ・ビューティフル」を(再び)観た!

$
0
0


三菱一号館美術館で「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860-1900」を再び観てきました。3月6日夜、青い日記帳×「ザ・ビューティフル」展“ブロガー・特別内覧会”で一度観ていましたが、前売券を購入してあったので、再度、観てきたというわけです。ギャラリートークで、指定された箇所を学芸員の解説で観るのと、解説がなく自分の目で作品を観るのと、どこがどう違うのかの実験でもありました。いや、それほど大げさなものではなく、単に自分の観たいものを観てきただけですが・・・。


「唯美主義」、「物語」を語るためではなく、ただ視覚的な喜びを求めたい―。従来の絵画への反動として新しい美を求める心は、立場も表現も異なる人々を結びつけました。核となった一人が、詩人で画家のロセッティです。初期ルネサンスへの回帰を提唱したロセッティは、「愛の杯」で官能的で華やかな女性半身像を描きました。ムーアは「真夏」で、オレンジ色のローブをまといまどろむ女性を描きました。一貫して色彩の調和と緊密な画面構成を目指しました。


19世紀後半、産業革命がもたらした繁栄が続く英国で、色彩や形の美しさこそ芸術の目的だ運動が興りました。それは生活様式にまで及びました。当時の調度品は工場で大量に作られた決して美しいとはいえないものばかりでした。「何かが間違っている」。この分野では、日本美術の愛好家であった建築家ゴドウィンや、陶芸家ド・モーガンらが活躍します。芸術サークルに発した、生活全般に「美」を求める動きは、富裕層、中流階級へと大衆化の道をたどりました。


ウィリアム・モリスは1861年に会社を設立し、ロセッティ、バーンジョーンズらを協力者に家具やステンドグラスをデザイン・製造します。それらはやがて、アーツ・アンド・クラフツ運動となります。ロイヤルアカデミーの開帳レイトンは、人を惑わすような女性の魅力を描く「パボニア」、ラテン語で題名にもしたクジャクは、美の誇りの象徴として、唯美主義では好んで使われたモチーフです。歳末期の90年代は、早世した天才挿絵画家ビアズリーでした。浮世絵や唯美主義の画家たちの表現を消化し、独自の表現を獲得しました。


「唯美主義」とは?

時代に蔓延する醜悪さや物質万能主義から逃れ、新たな美を見出したいという欲求。唯美主義運動は、「芸術のための芸術」を創りだそうとしました。これはただ見る人の目を歓ばせるために存在し、大胆にも官能の悦楽までほのめかそうと願うような芸術です。


最新の芸術運動が生み出した作品を愛好した富裕なパトロンは、唯美主義者たちの洗練された生活様式にも魅せられて、そのエッセンスを自邸の装飾や服装にまで採り入れようとしました。


展覧会の構成は、以下の通りです。


「美術職人集団」

新たな美の探求

攻撃―「詩の肉体派」論争

遠い過去、遙かなる場所Ⅰ

 ジャポニスム

遠い過去、遙かなる場所Ⅱ

 古代文化という理想

ホイッスラーとゴドウィン

ホイッスラーのエッチング

唯美主義運動とグローヴナー・ギャラリー

「美しい人々(上流人士)」と唯美主義の肖像画

「ハウス・ビューティフル」

「美術産業製品」―唯美主義のデザイナーと営利企業

オスカー・ワイルド、唯美主義運動と諷刺

「美しい書物(ブック・ビューティフル)」

唯美主義におけるデカダンス

輝かしい落日―唯美主義後期の絵画と「ニュー・スカルプチャー」





新たな美の探求




遠い過去、遙かなる場所Ⅰ

 ジャポニスム


遠い過去、遙かなる場所Ⅱ

 古代文化という理想



ホイッスラーとゴドウィン


唯美主義運動とグローヴナー・ギャラリー



「美しい人々(上流人士)」と唯美主義の肖像画




「ハウス・ビューティフル」



唯美主義におけるデカダンス



輝かしい落日―唯美主義後期の絵画と「ニュー・スカルプチャー」

「ザ・ビューティフル―英国の唯美主義1860-1900」

19世紀、英国で巻き起こった壮大なムーブメント!

19世紀後半の英国では、唯美主義者と呼ばれる前衛芸術家たちが追い求めた「新たな美」が大衆にまで広がって、壮大なムーブメントへと発展しました。本展は、好評を博した国際巡回展をもとに当館のために新たに構成した日本初の唯美主義展です。ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館所蔵作品を中心に、油彩画、家具工芸品をはじめとする約140点によって、独創的な美と悦楽の世界を展観します。


「三菱一号館美術館」ホームページ


過去の関連記事:

三菱一号館美術館「ザ・ビューティフル―英国の唯美主義1860-1900」ブロガー内覧会!

三菱一号館美術館で「浮世絵Floating World」第3期を観た!
三菱一号館美術館で「浮世絵Floating World」第2期を観た!
三菱一号館美術館で「浮世絵Floating World」第1期を観た!
三菱一号館美術館で「奇跡のクラーク・コレクション」を観た!
三菱一号館美術館で「シャルダン展―静寂の巨匠」を観た!
三菱一号館美術館で「バーン=ジョーンズ展―装飾と象徴」を観た!
三菱一号館美術館で「ルドンとその周辺―夢みる世紀末」展を観た!
三菱一号館美術館で「トゥールーズ=ロートレック展」を観た!
三菱一号館美術館で「ヴィジェ・ルブラン展」を観た!
三菱一号館美術館で「カンディンスキーと青騎士展」を観た!
三菱一号館美術館で「マネとモダン・パリ」展を観た!



呉美保監督の「そこのみにて光輝く」を観た!

$
0
0

soko7

2013年11月27日のこのブログに、以下のように書きました。
ドキュメンタリー映画「書くことの重さ作家佐藤泰志」を観ました。その時に、佐藤の作品「そこのみにて光輝く」が映画化され、「2014年春 テアトル新宿他 全国ロードショー」という情報を得たので、映画を観る前に読んでおこうと思い立ちました。

佐藤泰志の「そこのみにて光輝く」を読んだ!


テアトル新宿で、呉美保監督の「そこのみにて光輝く」を観てきました。「2014年春」、つまり今日4月19日が映画の公開日でした。これを逃すわけにはいかないと思い、何とか都合を付けて18時40分の回に行ってきました。まだ映画を観た余韻がさめやらぬ、もう少しこのままでいたい、ここに書くのがもっていない気持ちです。まあ、書くといってもたいしたことは書けませんが・・・。


佐藤泰志原作の映画化された作品「海炭市叙景」を観てから、函館には2回ほど行きました。その雰囲気が、蘇ってきました。この映画も、つまり佐藤泰志原作の映画化第二作目となりますが、当然の如く背景として函館の市街地や海の風景が出てきます。特に奇をてらったこともなく、ほぼ小説と同じように進行しました。季節は函館の短い夏、です。


達夫(綾野剛)と拓児(菅田将暉)はパチンコ屋で出会い、ライターの貸し借りから意気投合します。拓児はそのお礼にと、達夫に食事をご馳走するため、家に連れ帰ります。バラック同然の拓児の家には、寝たきりの父親と、その世話をしている母親、そして拓児の姉千夏(池脇千鶴)が住んでいました。拓児には高山植物を育てるというやさしい一面もありました。千夏は達夫のために心のこもったチャーハンをつくります。達夫は次第に千夏に引かれていきます。しかし千夏には、中島(高橋和也)という中年の愛人がいました。


佐藤泰志の原作、物語として巧くできているのは、幾つかのポイントがあります。拓也は仮釈放の身で、千夏の愛人中島に身元保証人になってもらっていること、中島の会社の造園業に雇われていること、千夏の職業は水商売とはいえ、実質は売春婦であること、寝たきりの父親は性欲があまりにも強く母親だけでは足りずに千夏にも求めていたこと、など、底辺で生きる家族、拓也の側のさまざまな事情があります。


それに絡めて、達夫は元砕石現場で発破師をしていたこと、砕石現場で誤って人を殺してしまったこと、妹からは両親のお墓を何とかするようにと手紙で催促されていること、そして火野正平演じる採石場の上司が砕石場の仕事に戻るようにとちょくちょく顔を出していること、砕石場の仕事に拓也が興味を示して二人で採石場の現場へ行くことが決まっていたこと、等があります。


函館の短い夏を舞台に、これらが巧妙に絡み合い、結び付いて、物語ができています。主役の綾野剛、押さえた控えめの演技でよかったですが、それと比して菅田将暉の演技はややオーバーで、五月蠅い感じがしました。綾野剛と対比的に扱ったのでしょうが・・・。池脇千鶴、文句なくよかったですね。なんとなく投げやりなところ、生きる目的を見失った役柄、「千夏役は池脇千鶴で間違いない」。以前、こんなことを書きました。


映画の千夏役は池脇千鶴でした。実は「爆心 長崎の空」で脇役でしたが池脇千鶴を観たのを思い出して、黒いスリップ姿が似合うと思いました。かつての清純な少女役から、やや太った、捨て鉢で、投げやりな、だらしのない姿の池脇千鶴に大きく変わっていました。千夏役は池脇千鶴で間違いない、と確信しました。そうだ、一昔前だったら荻野目慶子、ですよ。


文庫本の「そこのみにて光輝く」は、第一部「そこのみにて光輝く」、第二部「滴る陽のしずくにも」となっています。第一部は、拓児と千夏、そして達夫の3人を軸に進んでいきます。第二部は達夫と千夏は結婚し、子供も授かり、それなりに幸福な家庭を作っています。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:『海炭市叙景』の原作者、佐藤泰志の三島由紀夫賞候補となった小説を基に、北海道函館を舞台に生きる場所のない男女の出会いを描くラブストーリー。仕事を失った男がバラックに住む女と出会い、家族のために必死な彼女をいちずに愛し続ける姿を描く。主演は、『シャニダールの花』などの綾野剛。主人公と惹(ひ)かれ合うヒロインを、池脇千鶴が演じる。メガホンを取るのは、『オカンの嫁入り』などの呉美保。美しい函館を背景につづられる、男女の愛の軌跡と人生の過程が心に突き刺さる。

ストーリー:仕事を辞めて何もせずに生活していた達夫(綾野剛)は、パチンコ屋で気が荒いもののフレンドリーな青年、拓児(菅田将暉)と出会う。拓児の住むバラックには、寝たきりの父親、かいがいしく世話をする母親、そして姉の千夏(池脇千鶴)がいた。達夫と千夏は互いに思い合うようになり、ついに二人は結ばれる。ところがある日、達夫は千夏の衝撃的な事実を知り……。


soko2

soko6

soko3

soko4

「そこのみにて光輝く」公式サイト


朝日新聞:2014年4月18日

性・暴力を活写 新境地

「そこのみにて光輝く」監督の呉美保

soko1

過去の関連記事:

「佐藤泰志 生の輝きを求め続けた作家」が届いた!
佐藤泰志の「移動動物園」を読んだ!
佐藤泰志の「そこのみにて光輝く」を読んだ!
ドキュメンタリー映画「書くことの重さ 作家 佐藤泰志」を観た!
佐藤泰志の「きみの鳥はうたえる」を読んだ!
佐藤泰志の「海炭市叙景」を読んだ!
熊切和嘉監督の「海炭市叙景」を観た!


sato 「佐藤泰志―生の輝きを求めつづけた作家」

2014年2月28日初版発行

監修:福間健二

発行所:河出書房新社





THE POLDI PEZZOLI MUSEUM

$
0
0

ミラノには1990年前後に2回、そして2004年に1回、計3回行ってます。2004年3月2日、日本への帰国前日、半日時間が空いたので、僕はスフォルツアの城にあるミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」を観に行くために、一人でミラノの街を歩いていました。なんか美術館らしい標識を見つけて、吸い込まれるようにその邸宅に入りました。あまり目立たない入口でした。今思うと、それがポルディ・ペッツォーリ美術館だったようです。


階段室の写真を観たら、まず間違いなく僕が行った美術館でした。リーフレットがあったのですが、いくら探しても出てきません。美術館の名前も控えていませんでした。でも今回の展示品をみると、たしかに僕が観た美術館です。武具や甲冑、時計や宝飾品など、狭い室内に所狭しと並べられていました。小部屋が幾つもあって、どこをどう歩いているのか、ほとんど足の向くままに歩いていました。残念ながら絵画の展示してあるのを観たという記憶がありません。


そんなわけで、Bunkamuraザ・ミュージアムで「ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館 華麗なる貴族コレクション」を観てきました。美術館の名前を聞いたときに、ミラノに、しかもオペラ座のすぐ近くにこんな美術館があったんだと思っただけで、僕が行った美術館だとは思いませんでした。だが、まてよ、地図を見てみると、僕がぶらりと入った美術館の位置です。階段室の写真を見ると、思いだしました。たしかに僕が行った美術館でした。


と、先日、このブログに上のように書きました。


なんと、驚いたことにポルディ・ペッツォーリ美術館のリーフレットが偶然、見つかったのです。書類の山のなかからポロリと出てきました。記憶に残っていた「階段室」の写真もありました。なにはともあれポッライウォーロの「貴婦人の肖像」がリーフレットの表紙になっています。邸宅ですからそんなに広いわけではありませんが、2階の平面図をみると、迷路のようだったということがお分かりになると思います。ちなみに僕が観に行った時は、他の観客は一人もいませんでした。もう一度訪ねてみたい美術館の一つになりました。



pol2








「Bunkamuraザ・ミュージアム」ホームページ


過去の関連記事:

Bunkamuraザ・ミュージアムで「ミラノ 華麗なる貴族コレクション」を観た!


泉屋博古館分館で「ちょっとパリまで ず~っとパリまで」を観た!

$
0
0


泉屋博古館分館で「ちょっとパリまで ず~っとパリまで」を観てきました。副題は「渡欧日本人画家たちの逸品」とあります。観に行ったのは4月1日、目黒川のお花見をしてから、泉屋博古館分館へ観に行きました。


明治時代に住友グループの礎を築いた住友家は、実業のかたわら芸術や文化事業にも高い関心を示しました。住友家の絵画コレクション形成の経緯はメセナの精神が基盤にありました。その精神を個人レベルで発揮したのが画家への支援であり、また留学の支援でした。若くして渡欧し近代洋画の父とも呼ばれた黒田清輝や、西洋絵画の根幹であったリアリズムを移入しようとした鹿子木孟郎たちを、住友家は積極的に支援しました。


黒田や鹿子木を起点に、19世紀末から20世紀前半期にパリに留学し、帰朝後に日本の「洋画」を切り拓き、またはパリに居続けた異邦人画家として活躍した画家たちの作品が住友家に収蔵されました。また戦後に各社が独自に収集した作品も多数あります。今回の展覧会は、これらの作品をグループの文化的象徴である泉屋博古館に集めて公開するものです。


第1セクションでは、外光派のラフェル・コランに学んだ黒田清輝や、住友家の支援によってパリ留学を果たした鹿子木孟郎、印象派の巨匠ルノワールに指示した梅原龍三郎、同門の安井曾太郎など明治洋画を牽引した画家たち。第2セクションでは、エコール・ド・ボザールの一員として知られる藤田嗣治(レオナール・フジタ)やフォーヴィスムの巨匠ヴァラマンクの刺激を受けた佐伯祐三から坂本繁二郎など1920年代に日本的洋画の確立につとめた画家たち。第3セクションでは、1930年代以降第二次世界大戦間際のパリに留学し現代絵画への架け橋となった画家から、戦後の自由都市パリに行って個性を研いた画家たちの知られざる逸品をそれぞれ紹介します。

(以上、図録「ごあいさつ」による)


今回の展覧会で、比較的大きな作品が2点ありました。ひとつは鹿子木孟郎の「ノルマンディーの浜」という作品。鹿子木の二度目の滞欧中、師ローランスの別荘があったノルマンディー地方の断崖の名所イポールの浜を舞台に、漁夫一家の情景を描いた作品です。潮騒のなかで永遠に続く庶民の穏やかな営みを正当な写実表現に基づいて描ききった記念碑的代表作です。


もうひとつは坂本繁二郎の「二馬壁画」という作品。パリから帰国した坂本は、馬を描き始めます。それは、馬の毛並みが陽の光や自然の様々条件によって美しく変化することに関心を示したからだという。画面の主調色えおエメラルド・グリーンでまとめ、その配色の度合いで「物感」を出そうと試みました。単純化した色調を駆使することによって深い存在感を示すことを目指したという。この大作は住友家の依頼で制作され、麻布別邸の壁に据え付けられたという経緯をもちます。


チラシなどで目を引くのは、女性像です。和田英作の「こだま」、藤島武二の「幸ある朝」、そして山下新太郎の「読書の後」の3点です。ひっくるめて言えば「アンニュイ」な感じが漂っている女性像です。また小磯良平の「踊り子二人」、そして木下孝則の「バレリーナ」、ともに清楚で穏やかな、かつ知的な構成で、引き締まった緊張感が漂っている女性像です。木下孝則は、前田寛治らによる「一九三〇年協会」の会員でもあります。

八王子夢美術館で「前田寛治と小島善太郎 1930年協会の作家たち」を観た!


ひとつだけ異質な作品に見えたのが、信州木曾の職場を描いた木下義謙の「妻籠」、題材といいまるで日本画のようです。滑らかな色彩による伸びやかな艶、光と影の温和な調子、明庵のミリのない奏合に酔って、破綻のない風景画再現されていると、図録にあります。「バレリーナ」を描いた木下孝則は実兄です。


展覧会の構成は以下の通りです。


セクションⅠ:明治洋画の牽引者たち

セクションⅡ:沸騰する時代のエトランジェ、パリ豚児の群れ

セクションⅢ:クールなパリ個性を研く

         ―1930年代以降の留学、現代への架け橋として



セクションⅠ:明治洋画の牽引者たち







セクションⅡ:沸騰する時代のエトランジェ、パリ豚児の群れ





セクションⅢ:クールなパリ個性を研く

         ―1930年代以降の留学、現代への架け橋として




「ちょっとパリまで、ず~っとパリまで 渡欧日本人画家たちの逸品」

明治時代に住友グループの礎を築いた住友家は、実業のかたわら芸術や文化事業にも高い関心を示し、特に事業所にも絵画を飾ってビジネスに花を添えてきました。長年にわたってグループ各社が収集した様々な絵画作品は、しかし一般の皆様には余り知られることなく今に伝えられています。グループの文化的象徴である泉屋博古館では、昨年よりグループ各社に収蔵されている絵画作品の数々をご紹介すべく、第1回展は「花」をテーマに選んで公開いたしました。第2回目となる今展は、19世紀末から20世紀前半期にパリに留学し、帰朝後に日本の「洋画」を切り拓き、またはパリに居続け異邦人画家として活躍した画家たちをご紹介いたします。外光派のラフェル・コランに学んだ黒田清輝や、ルノワールに指示した梅原龍三郎、同僚の安井曾太郎、フォーブの巨匠ブラマンクの刺激を受けた佐伯祐三、エコール・ド・パリの一員として知られる藤田嗣治(レオナール・フジタ)などおなじみの画家たちの知られざる逸品約60点を特別公開いたします。


「泉屋博古館分館」ホームページ

pari4 特別展住友グループの企業文化力Ⅱ
「ちょっとパリまで、ず~っとパリまで 渡欧日本人画家たちの逸品」

図録

編集:野地耕一郎(泉屋博古館文館学芸課長)

発行:公益財団法人泉屋剝古館







過去の関連事:

泉屋博古館分館で「木島櫻谷―京都日本画の俊英―」を観た!
泉屋博古館分館で「テーマにみる近代日本画―その豊かな世界―」を観た!
泉屋博古館分館で「住友グループ秘蔵名画展―花―」を観た!
泉屋博古館で「吉祥のかたち」を観た!
泉屋博古館分館で「中国絵画 住友コレクションの白眉」を観た!
泉屋博古館分館で「近代日本洋画の魅惑の女性像」を観た!
泉屋博古館分館で「近代洋画と日本画」展を観た!
泉屋博古館分館で「幕末・明治の超絶技巧」展を観た!
泉屋博古館分館で「近代日本画にみる東西画壇」展を観た!
泉屋博古館分館(東京)で「住友コレクションの茶道具」展を観た!

泉屋博古館分館で「春の妝い」展を観た!

泉屋懐古館分館で「高島屋史料館所蔵名品展」を観た!

泉屋博古館分館で「板谷波山をめぐる近代陶磁」展を観た!
泉屋博古館分館で「近代の屏風絵」展を観た!




ちょっとパリまで、行ってきま~す!

$
0
0

fura


4月23日から30日まで8日間、フランスへ行ってきます。


フランスといっても、パリ周辺のことです。

もちろんルーヴルとオルセーへは行きます。

他に、ジベルニーとオベールシュルオワーズかな。

そしてモンサンミッシェル観光といったところでしょうか。


1990年前後に何度かフランスへは行っているので、

その時撮った写真を、今までブログに使っています。

(サヴォア邸はパリからちょっと離れていますが)


ルーヴル美術館
ルーブル美術館 入り口のピラミッド

来年のオルセー美術館展、「オルセー美術館」を観たことなど!
エクトール・ギマールの「カステル・ベランジュ」
エクトール・ギマールの「メトロ駅」
ル・コルビュジエの「サヴォア邸」!


今回の旅行中、8日間、ブログに空白が出ると困るので、

上記以外にパリで撮影した建築の写真を使って、

毎日の記事を埋めることにします。順不同


1.エッフェル塔

2.ベルサイユ宮殿

3.ポンピドゥー・センター

4.アラブ世界研究所

5.フランクリン通りのアパート

6.パレ・ロワイヤル中庭

7.ラ・ヴィレット公園

8.テッド・デファンス(新凱旋門)


観に行ったけど、まだブログに書いてない展覧会、

フランスから帰ってから、ブログにアップします。
ran1

ran2

ran3

ran4

ran5


Viewing all 2506 articles
Browse latest View live