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東京国立博物館で「クリーブランド美術館展」を観た!

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「日本美術の祭典」
2014年、上野の新春は「日本美術の祭典」で幕を開けます。東京国立博物館と東京都美術館のコラボレーションにより、両館で開催される3つの展覧会を結ぶ特別なプロジェクトが実現しました。時代を超えて輝きを放つ絵画や工芸の名品に触れることで、さまざまな日本の美を再発見していただこうという新しい試みです。当館では2つの特別展を同時開催します。「クリーブランド美術館展―名画でたどる日本の美」は、全米屈指といわれる同館の日本美術コレクションから、仏画や肖像画、花鳥画、山水画などを選りすぐって公開するものです。日本伝統工芸展60回記念「人間国宝展―生み出された美、伝えゆくわざ―」では、歴代の人間国宝や先人が残した古典の名作を展観し、日本が誇る工芸の精華を紹介します。一方、東京都美術館で開かれる日本美術院再興100年特別展「世紀の日本画」には、近代日本画の巨匠たちの代表作が勢揃いします。 日本美術の粋が上野に集結するまたとないこの機会、素晴らしき三重奏をお楽しみください。


東京国立博物館で「クリーブランド美術館展 名画でたどる日本の美」を観てきました(この展覧会は終了しました)。


クリーブランドという街がアメリカのどこにあるのかは知らないのですが、「クリーブランド美術館展」と聞いて、たしか過去に展覧会があったように思い調べてみたら、やはりありました。六本木の森アーツセンターギャラリーで2006年9月9日(土)~11月26日(日)、「クリーブランド美術館展」が開催されていました。僕は残念ながら、観に行っていません。


「女性美の肖像 モネ、ルノワール、モディリアーニ、ピカソ  ~ この秋、あなたはどんな女性美の肖像と出遭いますか。 ~」という長い副題がついていました。2011年の完成を目標に美術館の増改築工事が行われていて、その期間、作品の貸し出しが可能になりました。増改築工事の設計は、東京国際フォーラムの設計者である建築家ラファエル・ヴィニョーリでした。どんな素晴らしい美術館になったか、興味津々です。


前回はモネ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなどの印象派・後期印象派の作品から、近代彫刻の先駆者ロダン、そして、マティス、ピカソ、マグリットなどの20世紀美術まで、西洋近代美術の流れを概観するという展覧会でしたが、今回は一転、「名画でたどる日本の美」です。


今回の展覧会の見どころは、まず全米屈指の規模と質を誇るクリーブランド美術館の日本美術コレクションが里帰り、ということにあります。そこには、雪村、始興、蘆舟、蕭白に暁斎。人気の絵師が勢ぞろいしました。作品は平安から明治まで、日本絵画の流れと魅力を約50件の名品でたどっています。一部、「近代西洋の人と自然」ということで、ピカソ、モネ、ルソーなど、西洋絵画の名品も数点、展示してありました。


展覧会の構成は、以下の通りです。


第一章 神・仏・人
第二章 花鳥風月
第三章 山水
終章 物語世界



第一章 神・仏・人
日本の絵画は中国からその主題と表現を学びました。神仏の姿や人のかたちの表現もまた、その影響のもとにありました。それらは、日本の信仰感情や風土にあわせ、時代ごとに変遷していきます。平安末から明治までに描かれた仏画や物語絵巻、肖像画などの優品を通して、日本絵画がどのように人体をとらえ、表現したのかをご覧いただきます。





第二章 花鳥風月
自然は人々に豊かな恵みと潤いをもたらすものとして憧れの対象であると同時に、天災を引き起こす怖れの対象でもありました。日本の絵画では生命を育む自然や動物は、人々の暮らしと密接なものとして表されています。さまざまな表現の花鳥画や走獣画(動物画)を通して、日本における自然観が、どのように絵画にあらわされたのかを明らかにします。





第三章 山水
日本の風景画―山水画も、中国絵画から多くを学びました。水墨画という、風景を目でみたままに描くことができる技法を手に入れたのです。しかし、その後日本では、独自の表現の展開がみられるようになります。室町から江戸時代に描かれた山水画をご覧いただくことで、日本における「理想の世界」がどのように表現されたのかを探ります。




終章 物語世界
日本に伝わる物語は、人と自然が対立するものでなく、いわば渾然一体のものとして語られてきました。そこでは、生き物や植物をとりあげることで、登場人物の心情まで表されました。近世に広く広まった『伊勢物語』にかかわる絵画を展示し、人と自然がどのような関わりをもって表されたのかをご覧いただきます。





特別展示 近代西洋の人と自然



「クリーブランド美術館展 名画でたどる日本の美」

全米屈指の規模と質を誇るクリーブランド美術館の日本美術コレクションより、平安から明治に至る、選りすぐりの日本絵画40件余に、中国や西洋絵画の優品を加えた総数約50件を紹介します。本展は、仏画に描かれた神仏や肖像画の人物などの人体表現、咲き誇る花々や鳥などの花鳥画、名所や胸中の理想の情景を描いた山水画、そして人と自然が融けあうように表わされる物語絵画の4つのテーマで構成します。日本の絵画のなかで、人や自然の姿が時代ごとにどのように描かれてきたかを、平安から鎌倉、室町、江戸、明治時代までの名品と、雪村周継( 生没年不詳)、渡辺始興(1683~1755)、深江蘆舟(1699~1757)、曽我蕭白(1730~1781)、河鍋暁斎(1831~1889)など人気絵師の作品から概観し、日本美術の流れとその魅力に迫ります。

「東京国立博物館」ホームページ


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ジェームズ・グレイ監督の「エヴァの告白」を観た!

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監督は、デビュー作[「リトル・オデッサ」でヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を獲得、その後の全監督作がカンヌのコンペティション部門に選ばれたジェームズ・グレイ。 撮影は「ミッドナイト・イン・パリ」のダリウス・コンジ。そして主演はマリオン・コティヤール、マリオンの美に圧倒された監督が、彼女のために書き下ろした作品、だという。これだけ出そろえば、作品の成功は間違いなしと思われるが、こんなことを言っちゃなんですが、どうも僕はこの作品の出来栄えに納得できない、いまひとつもの足りませんでした。


テーマも重いし、仕上がりも重厚、映像は暗いが、どれをとっても第一級の映画です。時代は1921年、戦火のポーランドからアメリカへと、妹と二人で移住してきたエヴァ(マリオン・コティヤール)。夢を抱いてやっとの思いでたどりついたニューヨーク。背後には自由の女神が見えます。しかし、入国審査で病気の妹は隔離されます。エヴァ自身も、理不尽な理由で入国を拒否されます。強制送還を待つ列に並んでいると、つごうよく、お決まりの助け船が・・・。彼女の美しさに目を付けたブルーノ、移民の女たちを劇場で踊らせ、売春を斡旋する男です。


元々エヴァは、叔母さんがニューヨークに住んでいるので、それを頼って出てきたのですが、入国審査の時には叔母さんが見つからないと言われます。ブルーノのところを逃げ出して、やっとの思いで叔母さんを訪ねて行くと、叔母さんの夫が当局に通報してしまったりします。結局また移民局に収監されて、元の木阿弥。


移民局での慰問ショーで妹を探しますが、見つけられなかったエヴァ。慰問ショーに出演していたマジシャン・オーランドがエヴァの美しさに、花を一輪差し出して退場していきます。ブルーノの他に男がもう一人、エヴァに想いを寄せるマジシャンのオーランドです。ブルーノとオーランドが従兄弟同士だということも、二人の間で昔いざこざがあったことも、その関連がよく分かりません。


話の筋はこれまたお決まりのありふれた話です。妹の薬代が必要なエヴァは、カトリック教徒でありながら、娼婦に身を落とす、という筋書きです。エヴァは、ブルーノの許可を得て教会に行き、告解室に入ります。物陰に隠れて、ブルーノはエヴァの告白を盗み聞きします。エヴァは叔母からは「信仰を失わないように」と励まされていました。


しかし、祈ってはいても、自分の身体を売らなければならない状況に追い込まれていきます。エヴァを陥れた男ブルーノには、馴染めないが恨むこともなく、人間の尊厳を見出そうとするエヴァ。ブルーノを愛せないが、彼の元を逃げ出すこともできなかったエヴァの微妙な心の動きを、この映画は描いているように思います。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:マリオン・コティヤール、ホアキン・フェニックス、ジェレミー・レナーらが豪華共演を果たした人間ドラマ。より良い人生を求めてアメリカに移住してきた女性が、さまざまな出来事に振り回されながらもたくましく生き抜く姿を映し出す。監督は『アンダーカヴァー』でホアキンと組んだジェームズ・グレイ。社会の裏側で、決して諦めることなく前進するヒロインのりんとした強さが胸を打つ。

ストーリー:1921年、エヴァ(マリオン・コティヤール)と妹マグダ(アンジェラ・サラフィアン)は戦争の影響で情勢が不安定な祖国ポーランドを離れ、ニューヨークに到着する。だが、入国審査で医師に肺病と診断されたマグダは隔離され、二人は離れ離れに。入国を拒否されたエヴァは、ブルーノ(ホアキン・フェニックス)という見知らぬ男性のおかげで強制送還を免れる。


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「エヴァの告白」公式サイト



千葉市美術館で「江戸の面影」を観た!

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千葉市美術館で「江戸の面影 浮世絵は何を描いてきたのか」を観てきました。たまたま用事があり、観に行ったのは2月26日のことでした。 千葉市美術館の浮世絵の所蔵品は定評があります。浮世絵は、江戸絵画と並び、千葉市美術館の得意の分野でもあります。例えば「千葉市美術館所蔵 浮世絵の美展」として、全国の美術館を巡回したりしています。たまたま僕が持っている「浮世絵の美展」の図録は、2008年7月に岡山県立美術館で開催された時のものです。


浮世絵といっても、その切り口はさまざまです。今回はいわゆる「章だて」が異常に多い。プロローグとエピローグの他に8章もあり、都合10章で構成されています。やや細分化されすぎかとも思いますが、逆に言えば、観る方からすれば焦点が絞られていて分かり易い。タイトルの「江戸の面影」は、明治期に入ってからの錦絵、小林清親の作品やヘレン・ハイド、ジョルジュ・ビコーの作品が入っているからでした。


今回の特徴は上に挙げたようなことですが、展示品が浮世絵ですから小さいと言えば小さい。従って、浮世絵の展示はけっこう難しい。よく詰まってしまい、観客が流れなくなってしまいがちです。しかし、驚いたことに、会場構成が今までの、いつ行っても変わらない野暮ったさ、大部屋スタイルが、今回は浮世絵の展示に合うように、会場構成がグルーピングに合わせて、こまめに形作られていました。これは千葉市美術館にとっては、長足の進歩です。


それにしても凄い数です。出品目録によるとなんと総数272点です。まさに「歌舞伎、遊里、岡場所の芸者、江戸名所、娘たちのおしゃれなど、浮世絵は江戸という特別な都市に育まれた美意識や文化を余すところなく伝え、今では失われつつある日本の美徳のありかを思い起こさせてくれようとしているようです」と、千葉市美術館は述べています。


展覧会の構成は、以下の通りです。


プロローグ 江戸の繁栄

第1章 吉原の粋―四民のいっち上にいてもてぬなり

第2章 江戸の盛り場―橘町の踊り子と辰巳芸者

第3章 江戸娘の闊達さ

第4章 歌舞伎への熱狂と団十郎贔屓

第5章 江戸っ子の好奇心

第6章 愛しき日常と子どものパラダイス

第7章 花を愛でる人々

第8章 冨士の絶景

エピローグ 江戸の面影



プロローグ 江戸の繁栄

第1章 吉原の粋―四民のいっち上にいてもてぬなり




第2章 江戸の盛り場―橘町の踊り子と辰巳芸者





第3章 江戸娘の闊達さ



第4章 歌舞伎への熱狂と団十郎贔屓


第5章 江戸っ子の好奇心
第6章 愛しき日常と子どものパラダイス



第7章 花を愛でる人々
第8章 冨士の絶景
エピローグ 江戸の面影

「江戸の面影 浮世絵は何を描いてきたのか」

太平の世—その繁栄を象徴するかのように江戸文化の中心に花開いた浮世絵は、流行風俗を描いて当時の人々の関心を引き、高度な木版画技法=錦絵によって安価に広く普及しました。大衆を享受者に巻き込んだ、世界でも稀なこの芸術が、現代にまで生き生きと伝えてくれる江戸の姿を、我々はどのように理解するべきなのでしょうか。この展覧会は、幕末~明治初期に来日した外国人達の日本旅行記や、江戸時代の狂歌や随筆の中の言葉をきっかけに、浮世絵が表現してきた事象を丁寧に解き明かし、その理解を深めようとするものです。歌舞伎、遊里、岡場所の芸者、江戸名所、娘たちのおしゃれなど、浮世絵は江戸という特別な都市に育まれた美意識や文化を余すところなく伝え、今では失われつつある日本の美徳のありかを思い起こさせてくれようとしているようです。江戸時代中•後期の優品約250点を通して、浮世絵が描いてきた江戸の美の本質に迫ります。


「千葉市美術館」ホームページ


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東京都美術館で「世紀の日本画」(前期)を観た!

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東京都美術館で「日本美術再興院100年 特別展 世紀の日本画」を観てきました。岡倉天心らが創立した日本美術院を、横山大観らが再興してから100年となるのを記念した特別展です。僕が観に行ったのは2月13日、前期ということになります。もう3月1日からは後期が始まっています。前後期で作品を総入れ替えするということなので、後期も観に行きたいと思っています。「日本美術再興院」については、いろんな美術館で、さまざまな角度から取り上げられています。


日本美術院、あるいは再興院、日本美術のどこを切ってもこの名称が出てくる、これらは日本美術の源流といえます。岡倉天心が、その多様な活動のなかでもっとも理想主義をかかげ取り組んだのが、日本美術院における芸術活動でした。東洋思想を根本とする伝統主義と新たな造形を生み出そうとする革新主義を融合した日本美術院の活動は、近代以降の日本画を生み出していく大きな原動力となりました。


岡倉天心の理想主義実現のために生涯をささげた横山大観と下村観山。日本美術院草創期に活躍した橋本雅邦、寺崎広業、菱田春草、川合玉堂、そして大正3年日本美術院再興以降頭角を現した木村武山や川端龍子、昭和初期から戦後にかけて院展を発展に導いた小林古径、前田青邨、奥村土牛、等々、大観、観山を源流としたその水脈は長く現代にまで続いています。


ちなみにこのブログで「日本美術院」、あるいは「再興院」という名称がブログのタイトルに入ってものを、以下に拾い出してみました。

栃木県立美術館で「大正期、再興院展の輝き」を観た!
講談社野間記念館で「横山大観と再興院展の仲間たち展」を観た!
山種美術館で「日本美術院の画家たち―横山大観から平山郁夫まで」展を観た!
山種美術館で「再興院展100年記念 速水御舟―日本美術院の精鋭たち―」を観た!
松岡美術館で「大観・観山と日本美術院の画家たち」展を観た!


また、天心が創設した日本美術院の第一部(絵画)が明治39年に五浦に移されると、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山らは、この地に移り住み制作活動に没頭します。日本近代絵画史上に遺る傑作を生み出しています。映画「天心」は、若き画家たちと天心との交流辺りを描いたものです。

松村克弥監督の「天心」を観た!


今回の展覧会の見どころは、重要文化財が6点、出品されること、前後期で作品を総入れ替えし、総数120点もの日本画の名作が観られるということ、その名作は全国約60カ所から集められたものであること、また、現役同人の出品作は、日本美術院賞(大観賞)を受賞作を中心に選ばれています。なにしろ近代日本画を牽引した院展オールスターズによる夢の競演で、院展の全貌が観られるというわけです。たしかに、またとない機会です。


展覧会の構成は、以下の通りです。


第1章 名作で辿る日本美術院の歩み
第2章 院展再興の時代 大正期の名作

第3章 歴史をつなぐ、信仰を尊ぶ

第4章 花。鳥。そして命を見つめて
第5草 風景の中で
第6章 幻想の世界
第7章 人のすがた



第1章 名作で辿る日本美術院の歩み




第2章 院展再興の時代 大正期の名作



第3章 歴史をつなぐ、信仰を尊ぶ





第4章 花。鳥。そして命を見つめて




第5草 風景の中で



第6章 幻想の世界




第7章 人のすがた





「日本美術再興院100年 特別展 世紀の日本画」

日本美術院の歴史、それはまさに近代日本画の歴史そのものです。本展は、大正3年(1914)に日本美術院が再興されてから100年になることを記念し、草創期から現在まで院展を彩った名品の数々によって、その歴史を振り返ろうとするものです。明治31年(1898)に岡倉天心によって創立された日本美術院は、大正初年には事実上の休止状態にありましたが、天心の一周忌を期して再興されました。以後、「再興院展」の名で親しまれた展覧会は今日まで継続して開催されています。その長い歴史には、狩野芳崖、横山大観、菱田春草、安田靫彦、小林古径、前田青邨、平山郁夫ら近代日本画の巨匠たちが名を連ねます。彼らの代表作に現役同人の作品を加えた重要文化財6点を含むおよそ120点を前後期で作品を全て入れ替えて紹介する、文字どおり「世紀の日本画」展です。


「東京都美術館」ホームページ


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三菱一号館美術館「ザ・ビューティフル―英国の唯美主義1860-1900」ブロガー内覧会!

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三菱一号館美術館で開催された「ザ・ビューティフル―英国の唯美主義1860-1900」の、青い日記帳×「ザ・ビューティフル」展“ブロガー・特別内覧会”に行ってきました。「開催概要」は以下の通りです。


開催日時:2014年3月6日(木)18:00~20:00

場所:三菱一号館美術館(千代田区丸の内2-6-2)

スケジュール:

  18:00~     受け付け開始

  18:30~19:00 本展覧会担当学芸員がピックアップした

             おすすめの作品の前で解説します。

  19:00~20:00 三菱一号館美術館特別鑑賞会

  20:00       終了
展覧会の概要: http://mimt.jp/beautiful/


18時30分に、3階展示室「古代という理想」のコーナーに集合。

まず始めに高橋館長より、今回の展覧会は、たまたま六本木の森アーツギャラリーで開催している「ラファエル前派展」と同じ時代を扱っていたこと、2011年にパリやロンドンで開催された巡回展であること、三菱一号館美術館は1894年に建てられた美術館で、これほど似合う美術館は他にないこと、あまりに合いすぎて変だなとも思ったこと、などという話がありました。また、今後の開催予定としては、6月から「ヴァロットン―冷たい炎の画家」、10月から「ボストン美術館ミレー展―傑作の数々と画家の真実」、そして来年2月から「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展~アメリカ合衆国が誇る印象派コレクションから」が開催されるという話がありました。


ギャラリー・トーク

作品解説:加藤明子(三菱一号館 本店担当学芸員)

ナビゲーター:中村剛士(弐代目・青い日記帳)


「唯美主義」とは

さまざまな様式と芸術理論が乱立する19世紀半ばの英国。古い慣習や堅苦しい約束事から解き放たれて「新たな美」を見出したい、という欲求が、若手芸術家のあいだから湧き起こります。視覚的・触覚的な悦びを重視する唯美主義の傾向は、やがて日用品のデザイン改良運動と一体化して、一般家庭の室内をも美しく刷新しました。


まず、案内されたのは、ローレンス・アルマ=タデマの「目に見えている結末」(1885年)という小さな作品の前でした。ギリシャやローマの古代遺跡にあこがれた「グランド・ツアー」の時代、遺跡にもたれかかる古典的な衣裳を身にまとった女性を描いています。


以下、解説された作品

・アルバート・ムーア「黄色いマーガレット」1881年

絵の背景や額にも花がデザインされている。描かれているのは古代ギリシャ風の服を着ている。真ん中左側の扇は、日本の扇のよう。当時のフランスやイギリスでは、日本やアジア者が人気が高かった。マーガレットの色、服の色、扇の色、どれも黄色で、よく調和している。

・フレデリック・レイトン「パヴォニア」1858-59年

パヴォニアはラテン語で孔雀の意味。孔雀の羽の扇が広げられている。描かれているのは、イタリアのローマ出身の女性モデル。孔雀の背景に何が見えるか?

・フレデリック・レイトン「母と子(さくらんぼ)」1864-65年

描かれているのは母と子ども、その後には日本の屏風と百合の花。屏風には津留が。絨毯はペルシャ絨毯。細かい模様まで描かれている。

他に

・アルバート・ムーア「花」1881年

・トマス・アームストロング「干し草の野」

・ウィリアム・ブレイク・リッチモンド「ルーク・アイオニディーズ夫人」1882年


解説から、

百合は女性、向日葵は男性

ジャポニスム

唯美主義を支えた人は上流階級

主題を持たない―「母と子(さくらんぼ)」が典型


最後に案内されたのが、ジェイムズ・マクニール・ホイッスラーの「ノクターン:黒と金―輪転花火」(1875年)という、画面全体がほとんど真っ黒な作品でした。ホイッスラーが上りつめてから破産するまでの経緯は、その前に展示してあるゴドウィンによる「飾り棚」や「壺」等の意味が解説を聞いてはじめて分かりました。









「ザ・ビューティフル―英国の唯美主義1860-1900」

19世紀、英国で巻き起こった壮大なムーブメント!

19世紀後半の英国では、唯美主義者と呼ばれる前衛芸術家たちが追い求めた「新たな美」が大衆にまで広がって、壮大なムーブメントへと発展しました。本展は、好評を博した国際巡回展をもとに当館のために新たに構成した日本初の唯美主義展です。ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館所蔵作品を中心に、油彩画、家具工芸品をはじめとする約140点によって、独創的な美と悦楽の世界を展観します。


「三菱一号館美術館」ホームページ


注:会場内の画像は主催者の許可を得て撮影したものです。


mitu5 「ヴァロットン―冷たい炎の画家」
2014年6月14日(土)~2014年9月23日(火・祝)
スイスで生まれ、19世紀末のパリで活躍したナビ派の画家、フェリックス・ヴァットロンの日本初個展。油彩画とともに、白と黒のコントラストの木版画によって、20世紀以降の芸術に影響を及ぼしました。独特の市展と多様な表現を持つヴァットロン作品は、斬新で現代的であると同時に、まるで解けない謎のように重層的で、観る者に様々な感情を抱かせます。本展は、パリのオルセー美術館およびローザンヌのフェリックス・ヴァットロン財団の監修による国際展覧会として世界巡回を経たのち、2014年という日・スイス国交樹立150周年の記念すべき年に当館にて開催します。当館所蔵のヴァロットンのグラフィック・コレクションを含む約120点の油彩・版画により、冷淡な表情の裏に炎のような情熱を秘めた芸術家像を浮かび上がらせます。

mitu4 「ボストン美術館ミレー展―傑作の数々と画家の真実」

2014年10月17日(金)~2015年1月12日(月・祝)
たくましく働く農民や自然の様子に温かいまなざしを向け、ありのままの姿を描いたジャン=フランスワ・ミレー(1814-1875)。ミレーはフランスのノルマンディー地方の農業を営む名家に生まれ、19歳で画家を志しシェブールで修行をはじめます。その後パリで画家として活躍した頃は、生活のために風俗画や裸婦像も手がけ、1849年、パリ郊外のバルビゾン村に家族で移住しました。1850年代にボストン出身の画家がバルビゾン村に定住し、その後ミレーの名品を母国に持ち帰ったことからミレー愛好熱が広まり、フランスを凌ぐほど優れた作品を市民が愛藏、その多くがボストン美術館に所蔵されています。本展では、ミレー生誕200周年記念として、「ボストン美術館3大ミレー」といわれる「種をまく人」、「刈り入れ人たちの休息(ルツとポアズ)」、「羊飼いの娘」など選りすぐりのミレーの作品25点を中心に、バルビゾン村で活動したコロー、ディアズ、ルソーらの作品、またミレーの影響を受けたクロード・モネらフランスの画家の作品など、総点数64点を展覧します。



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西村賢太の「寒灯・腐泥の果実」を読んだ!

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西村賢太の「寒灯・腐泥の果実」(新潮文庫:平成25年12月1日発行)を読みました。「陰雲晴れぬ」「肩先に花の香りを残す人」「寒灯」「腐泥の果実」の、短編4篇が収録されています。いわゆる「秋恵もの」です。


「陰雲晴れぬ」は、念願かなって貫多と秋恵は共同生活をはじめますが、新居の管理人がゴミの出し方など、あれこれ言ってくるので、貫多は結局爆発して管理人室にどなり込む、という話。「肩先に花の香りを残す人」は、タクシーに乗った秋恵が、貫多の嫌いな整髪料の香りをうつされ、その整髪料のことで二人は言い争いをする、という話。「寒灯」は、秋恵との初めての正月を迎える貫多だが、秋恵の母親から帰郷の切符を一枚送ってきたことから、大晦日の夜、言い争いになる、という話。そして「腐泥の果実」は、邪険に扱っていた秋恵が貫多の元を去っていくが、それから8年後、初めての誕生日に秋恵からもらったペン皿のことを思いだして、未練とともにそれをゴミ集積所に放り捨て留、という話です。


そんな感じで短編4篇がありますが、言うまでもなくこれは西村流の「私小説」であり、北町貫多=西村賢太であるわけで、その極端な性格が何かと災いを引き起こします。秋恵はモデルはいるものの、何ごとにも頑固なところがある半面、他者への思いやりも滅法強く、自身の骨折りに関してもわりと厭わぬ性格です(と、解説の中江有理は述べている)。


これだけ読めば全体が分かる、そのポイントとなる箇所を、以下に抜き書きしてみました。


貫多は24歳時以降の、およそ10年に及ぶ長の期間を、全く異性からの愛情に恵まれることなく虚しく経ててしまっていた。それだけに彼は、ようやく手に入れることがかなった女・・・初めて同棲にまで漕ぎつける事態となった、この明恵と云う女には、生来の病的な短気さ、最早矯正も利かぬ我儘駄々っ子根性に依る、小言を端緒とした暴言、そして暴力へと発展する流れはたまさかあるものの、しかし一方では常に離れがたき未練と愛しさも確とあり、彼女をかけがえのない存在として、絶えず感謝と尊敬の念も抱き続けてはいる。(寒灯)


毎年、北町貫多は木枯らしの季節が近付くにつれ、せんに同居していた女のことを思い出すのが常であった。・・・その女とは僅か1年ちょっとの同棲にしかすぎず、知り合った頃を含めてもたった2年程の交わりでしかなかったが、貫多にとってそれは異性との生活を経てた唯一度の記憶である。そして彼の方では、その暮しがこの先も永遠に続くとばかり思い込み、これに何んらの疑念も抱かぬお目出度さであった分、はな、そんな自分を裏切り弊履同然に捨て去った女への怒りはなまなまなものではなかった。(腐泥の果実)


無論、それから8年の歳月が経った今では、さしも粘着気質の貫多といえど、その女に対する未練は殆ど断ち切れた状態になっている。その間に彼は柄にもなく小説を書き始め、それが自らの身辺に材をとったものであるだけに、女のこともかなりデフォルメを施したモデルの一人に使わざるを得ず、するとイヤでも往時のかの面影の想起に至る羽目にもなってゆくのだが、しかしそれは一面、当時の暮らしをやや客観的に眺められる心境になったと云うことの証じみたものでもあった。(腐泥の果実)


思えば、随分なことをしたものである。そうしてあのとき、女の深情に素直に感謝できなかったのだろうか。今、改めてその革のペン皿を眺めれば、貫多は激しい後悔と女に対する憫諒の念で、どうにも臥し転びたいような気持ちになってくる。ひいてはかような言動以外に、女に再三ふるった暴力の点にも膚受の慚愧が湧いてくる。・・・貫多は、女に手をついて、心底からの謝罪の言葉を述べたかった。(腐泥の果実)


遅ればせながら、使ってみようかと思ったのである。机上に置いてみると、暗く殺風景な陋室にあって、それはみずみずしくもほろ苦い香りを放つ、一個の果実たる錯覚をもたらしめた。・・・あの誕生日の頃には、おそらく女は例のパート先で知り合った男と親密になっていたであろう事実が、忽然と脳中に蘇ってきたのである。・・・すると途端に、またぞろ貫多はあの女の全てが汚らわしくてたまらなくなり、ついで8年越しの遺る瀬ない憤りが激しく再燃してきてしまった。いかにこちらにそもそもの非があり、それが積み重なった結果と云えど、所詮、あの女は不貞をはたらき、平然と彼を裏切ったのである。(腐泥の果実)


西村賢太の標準的な言い回し、つまり貫多の性格(根)は以下の如し。

・元来の根がひどく誇り高くできている彼には

・根がスタイリストにできている彼は

・ぼく、こう見えて根はかなりインテリにできているんだから

・元来の根が人一倍儒弱にできてる貫多は

・元来の根がひどく誇り高くできている彼には

・根がスタイリストにできている彼は

・ぼく、こう見えて根はかなりインテリにできているんだから

・元来の根が人一倍ヌレ弱にできている貫多は

・根がひねくれ者にできている偏屈な彼の胸にも

・互いに根はひどく大甘にできているフシがあるだけに

・根がワガママ気質にできている貫多は

・根が北向き天神にできている貫多は

・根がかなりスタイリストであり、自尊心だけは人並みに高くもできてる貫多は

・根が甘にできている貫多はいたく感動し

・元来の根はひどく好色にできた男であり

・根が坊ちゃん気質で我儘者にできている貫多は

・根がどこまでも駄々っ子気質にできている彼は


以下、本の裏表紙には・・・。

初めて恋人との正月を迎える貫多。だが些細な行き違いから険悪な雰囲気になり、大晦日の夜ついに爆発する。二人の新生活に垂れ込める暗雲の行方は―「寒灯」。いくら邪険に扱っていようと、秋恵への気持ちは微塵も変わっていなかった。しかし暴言や暴力は続き、ついに彼女は去ってゆく。そのあとに残されたものは―「腐泥の果実」。他二篇を収録する私小説集、待望の文庫化。


西村賢太の略歴は・・・。
1967(昭和42)年、東京都生れ。中卒。2007(平成19)年「暗渠の宿」で野間文芸新人賞、2011年「苦役列車」で芥川賞を受賞。刊行準備中の「藤澤希清造全集」(全五巻別巻二)を個人編輯。文庫版「根津権現裏」「藤澤清造短篇集」を監修。著書に「どうで死ぬ身の一踊り」「二度はゆけぬ町の地図」「小銭をかぞえる」「廃疾かかえて」「随筆集 一私小説書きの弁」「人もいない春」「西村賢太対話集」「随筆集 一日」「一私小説書きの日乗」「棺に跨がる」「歪んだ忌日」「けがれなき酒のへど 西村賢太自選短篇集」ほか。


過去の関連記事:

山下敦弘監督の「苦役列車」を観た!
西村賢太の「歪んだ忌日」を読んだ!
西村賢太の「苦役列車」を読んだ!


「井浦新、日本美術応援団 入団記念トークショー」!

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「日本美術全集」刊行企画

日本美術全集vs日曜美術館

井浦新、日本美術応援団 入団記念トークショー

対談:山下裕二(明治学院大学教授)、井浦新(俳優)


日時:3月9日(日)

  開場13時30分

  開演14時00分 15時30分終了予定

会場:スパイラルホール

  東京都港区南青山5-6-23


対談:山下裕二vs井浦新


山下:二人でトークショーを行うのは3回目ですね。山口の県立美術館で「五百羅漢」をやったときに、山口まで来てもらいました。今日は、日本美術応援団入団記念トークショーということです。「日本美術応援団」と「京都、オトナの修学旅行」の本がスクリーンに。

井浦:「応援団」も「修学旅行」も、随分前に読んでいます。

山下:本来なら学生服で出てくるべきでした。この本のスタイリストは南伸坊さんです。赤瀬川さんは病気療養中です。「日曜美術館」はどういうスケジュールで?

井浦:やっと1年が経ちました。いくつかチームがあり、仕上がってきた順に出ていきます。スケジュールは大変だけど、僕自身が求めているので。今年も続投になりました(会場から拍手)。

山下:1冊目(応援団)は北齋、2冊目(修学旅行)は金閣寺が背景です。お茶目な発言で、文庫の表紙に金閣寺は使えませんでした。あの頃は若かったですね。井浦さんは?

井浦:今年で40歳です。

山下:今日はスライドをたくさん用意して、抗議しながら井浦さんのテストを!「日本美術全集」は、刊行が2012年12月ですが、その前に2~3年かかっている。1番目は奈良の「法隆寺」、王道です。

井浦:円空が好きです。円空も法隆寺へ行きました。

山下:法隆寺は新規に撮影しました。30年ぶりです。「応援団」の時は却下されました。美術全集は写真のクオリティが命ですから。子どもを修学旅行で奈良や京都へ連れて行ってもしょうがない。だから「オトナの修学旅行」って言っている。仏像の背面の写真も見られます。法隆寺のスタイル、日本美術と言うけど、東アジアのスタイルです。学生時代、元になる中国美術を研究しなければと言われました。でも日本美術は特別なものがあります。夢殿の「救世観音像」、フェノロサと天心が開けさせた。純粋に造形として入ってもいい。みうらじゅんの「見仏記」は、写真を一枚も使っていない。みうらじゅんのイラストです。芸大の「仏頭展」でも出ていました。

井浦:今日は「仏頭」のループタイです。あの展覧会はシンプルで、よかった。

山下:薬師寺は行かれましたか?前の管長は修学旅行生に話をするのがうまかった。2巻目は伊藤若冲、「動植綵絵」は元々若冲が相国寺へ寄進したもの、あとで皇室が購入して、現在三の丸尚蔵館にあります。若冲の絵はアップに耐える絵です。紫陽花の部分、輪郭線は塗り残しです。葉っぱの虫食いまで描いています。

井浦:相国寺で見ました。2時間、3時間待ちで、並びました。山下先生が並ぶのは想像できない。

山下:三の丸尚蔵館は、開いてたり締まっていたりで、注意していかないと。その時はベビーカーを押して行った記憶があります。2000年、狩野博幸さんの企画で「若冲展」やりました。若い人がネットで流して評判になり、若冲ブームが。鶏のトサカを拡大すると、草間彌生でしょ。若冲のお墓、行ったことある?

井浦:行ったことあります。「五百羅漢展」も見ました。

山下:目黒の椿山荘にも10個か20個あります。「郡鶏図」、鶏の視線がバラバラです。1羽だけ、正面を見ています。これは若冲だと思います。深層心理が滲み出ています。生理的曲線と呼んでいます。簫白と若冲、どっちが好き?

井浦:簫白を見て、車に正面衝突したような衝撃を受けました。若冲は一周して死ぬと命がけで描いていますね。

山下:映画をつくってよ。若冲、簫白、芦雪の出てくる・・・。

井浦:つくりたいですね。

山下:若冲の絵を見て、プライスさん、泣いてました。プライスさんは84歳、元気ですよね。展覧会の間中、ずっと会場にいました。今、小学館で「日本美術史」(2800円)を作っています。表紙に若冲の絵を使おうと思って・・・。プライスコレクションの「虎図」、実は模写だったが、実物よりよく描いてあり、こちらの方が断然いい。

「葡萄図」、プライスさんが始めて買った日本画です。フランク・ロイド・ライトと一緒に行きました。スポーツカーを買おうと思って。ライトはプライスさんのお父さんの社屋を設計したかで・・・。ミホミュージアムの「象」と「鯨」、随分安く買った。

井浦:NHKで簫白をやったときに、山下先生に予習として講義を受けた。芦雪の「虎図」、無量寺へは日曜美術館アートの旅で行きました。

山下。簫白の中の絵、自画像、ビンラディンにそっくりです。屏風の裏には、猫と魚が描いてある。

井浦:その物語性に、感動しますよね。

山下:プライスコレクションの牛と象、黒白図、屏風を開くときに仕掛けが・・・。応挙、大乗寺の・・・。芦雪の展覧会、やります、愛知県立美術館で。孔雀の絵だけは、応挙にかなわない。映画の柱だね。応挙には国宝が一つもない。不思議です。応挙は人格も円満です。おおもとには応挙がいるんですね。3巻、「風神雷神図」ですね。「栄西と建仁寺」に出ます。伝宗達の「蔦の細道図」。「燕子花図」は、実物を見ないと良さがわからない、印刷では・・・。4巻、「桂離宮」。狩野永徳の「洛中洛外図」上杉本。等伯の「松林図屏風」。井浦さん、等伯でオールバックで写真撮ってますね。

井浦:空気感、実物を見ないと分からないですね。

山下:利休が作らせた「待庵」。赤瀬川さんと3~4時間、いましたよ。狭くないです。次の巻、「東大寺、正倉院」。「梵天、帝釈天」は三月堂にある。興福寺の「阿修羅像」、真央ちゃんに見えてしかたない。フィギア、5個買ったので、1個あげますよ。「正倉院展」、毎年大混雑です。「琵琶」、いかに中国、8世紀ごろ、進んでいたか。次の巻、「激動期の美術」、幕末から明治にかけて、「鮭」ですね。狩野一信の「五百羅漢」、2011年江戸博で始まる4日前に東日本大震災があり、会期が遅れました。仕立て直して、ついこの間山口でやりました。その時、新さんとトークショーをやりました。川鍋暁斎ですね。この巻にたくさんの作品を収録しました。狩野派を卒業しました。暁斎は、芸大を出て漫画家になったようなもの。東博で、まだ暁斎、やっていません。これはパリの儀目美術館にあるもの。キリスト像だが仏像みたい。「大和美人図」、コンドルが持っていたもの。暁斎は風俗も描けるし、狩野派も描ける。「幽霊図」、福富太郎が所蔵しています。静嘉堂文庫の「地獄極楽めぐり」があります。工芸に力を入れてます。「生き人形」、山本亀八、等身大の人形です。石川雲蝶、天井が凄い。装飾彫刻です。新潟県魚沼にあります。並河康之、「七宝の壺」。4月から三井記念で「超絶技巧」村田コレクション展、大々的にやります。山口晃クンにイラストを頼んだ。運慶の「大日如来」。最新刊は「源氏物語絵巻」。岩佐又兵衛「洛中洛外図屏風」舟木本。「山中常盤」衝撃的。狩野山雪、工芸的な蒔絵的手法。次の巻、「前衛とモダン」、黒田清輝「湖畔」。次、「浮世絵」。次、室町時代。水墨画以外でもやまと絵が凄いものがあります。次、「密教美術」。次、「東アジアのなかの日本美術」。次、「戦争と美術」。伝頼朝像、作者が違っていた。次、「拡張する戦後美術」。つげ義春、そして田村一村。テーマ巻、「白隠」「円空」。根津美術館「那智の滝図」。次の巻、「日本美術の現在・未来」。これからも続々刊行されます。日曜美術館とコラボできれば…。

井本:初めて本を出版します。東博だけを徹底的に探ったもの。東京美術から出ます。

山下:通史的な本を出します。「日本美術史」小学館、2800円です。


以下、画像は順不同








過去の関連記事:

山下裕二の“日本美術”の誕生!~幕末から明治時代「激動の美術」~を聞いた!


niho8 「超絶技巧!明治の工芸の粋」

2014年4月19日(土)~7月13日(日)

三井記念美術館





久保田直監督・編集の「家路」を観た!

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久保田直監督・編集の「家路」を観てきました。


2011年3月の震災と原発の事故から3年。3か月後に気仙沼、6か月後に石巻に行って、被災地の惨状を目に焼き付けて帰ってきました。テレビで流れる被災地の映像を見ても、ほとんど何も進展しているようには見られません。震災復興の予算も、見えないところで流用されるという、いかにも姑息な実情が露呈されたりもしています。一方で、労務費や材料費の急激な値上がりで、役所は工事を発注することすらできない状態です。震災後の一時期、手弁当で震災関連の建築を設計していた良心的な建築家も、とても付き合ってはいられないと、実入りのいい実務に戻りつつあります。


文学でいえば、原発事故を踏まえていち早く旧作をリメイクした川上弘美の「神様2011」があり、震災後文学の代表作といわれる、いとうせいこうの「想像ラジオ」がありました。映画では、これと言った震災後の作品はまだ生まれていないように思われます。そのなかで園子温監督の「希望の国」があり、また奥田瑛二監督の「今日子と修一の場合」がありました。 そして、久保田直監督・編集の「家路」が出てきました。


この映画の主題は、東日本大震災の直後ではなく、一定の月日を経た今、「放射能汚染地域への帰還」です。舞台は、東京電力福島第一原子力発電所の事故後、帰宅困難となった福島県沿岸部の町です。すべてを失った農家の跡取りの兄(内野聖陽)と、兄のために故郷を離れていた血のつながらない弟(松山ケンイチ)、この二人を軸に、物語は進展します。二人の父親は地方の政治家で、家はそれなりの名家でもあります。たぶん、選挙違反でもあったのか?


弟は兄の身代わりで故郷を出たようだが、どうして急に生まれ故郷に戻ることになったのか。郷里とは音信を絶って、都会で独りで生きてきたのではないのか。兄は何を生業にしているのか、今一つ生きる目標がはっきりしません。兄は妻との折り合いが悪く、妻は外でいかがわしい仕事をしていたりもします。その辺りがよくわからないままに、物語は進行します。仮設住宅での暮らしは息がつまりそうです。一方、弟はモミから苗を作ります。汚染された居住制限区域内の田に水を引き、母親とともに田植えを行い、そうなればもう、豊かな自然はそこで暮らす人たちの味方です。認知症かもしれない症状が見えた母親も、田植えをすれば元気いっぱい、認知症はどこかに吹っ飛んだようです。


こういうテーマの主人公に松山ケンイチは、もってこいの俳優です。人なつっこそうな、はにかんだような笑顔は天下一品です。麻生久美子と共演した「ウルトラミラクスラブストーリー」での松山ケンイチの津軽弁は最高でしたが、今回の福島弁も似合っていました。ちょっとボケが入った田中裕子、上手かったですね。兄の妻役の安藤サクラ、あの投げやりな演技は、これまた上手い。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:テレビドキュメンタリーを中心に活躍し、ギャラクシー大賞を筆頭にさまざまな賞を獲得してきた久保田直がメガホンを取ったヒューマンドラマ。東日本大震災によって故郷を失ってしまった家族が、さまざまな試練を乗り越えながらも絆を強めていく姿を追い掛けていく。『マイ・バック・ページ』などの松山ケンイチ、『共喰い』などの田中裕子、『今日子と修一の場合』などの安藤サクラら、実力派が共演する。自然や家族を深く見つめたテーマ性に加えて、オールロケを敢行して捉えられた福島の緑あふれる風景も見もの。

ストーリー:東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故によって、先祖代々受け継いできた土地を失ってしまった一家。そこを離れて、未来を想像することすらできない毎日を送っていた彼らの前に、20年ほど前に故郷を飛び出したまま連絡すらしてこなかった次男が現れる。戸惑う家族を尻目に、彼は一人で苗を育てては、誰もいない田んぼにそれを植えていく。その姿に長男と母親は故郷で生きていく彼の決意を感じ取り、バラバラであった彼らの心と絆が少しずつ再生されていく。


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「家路」公式サイト


過去の関連記事:映画

奥田瑛二監督の「今日子と修一の場合」を観た!
園子温監督の「希望の国」を観た!


過去の関連記事:文学

いとうせいこうの「想像ラジオ」を読んだ!
川上弘美の「神様2011」を読んだ!


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仙台の「国宝・大崎八幡宮」を見学した!

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仙台にある「国宝・大崎八幡宮」を見学してきました。東北3県の美術館を3日間の予定で観て回り、最終地仙台で「光のページェント」が次に日に開催されるのを知り、滞在を1日延ばし、「国宝・大崎八幡宮」他を見学することができました。
「仙台光のページェント2013」を体感!


仙台に「国宝建築」があるのは以前から知っていましたが、なかなか行く機会がなく、残念に思っていました。たまたま1日滞在を延ばしたので、「国宝・大崎八幡宮」へ行くことができました。残念ながら、中へ入ることはできませんでしたが、外観を観ただけでも国宝だけあって、凄い建築だということが実感できました。「御社殿の内外にはふんだんに極彩色で彩られた彫刻が施され、随所にきらびやかな飾金具が取り付けられた黒漆塗りが絢爛豪華の中に落ち着いた風格を現し、全体的に美しい調和をなし」と、「参拝のしおり」に書かれています。


以下、境内に掲げてあった案内板から

由来:

室町、戦国時代の大名大崎家兼が、源義家の造営と伝えられる胆沢郡八幡邑(現岩手県水沢市)の八幡宮を遠田郡八幡邑(現宮城県田尻町)に遷宮し、大崎八幡と呼ばれた。その後、大崎領は伊達政宗公の所領となり、引き続き尊ばれた。政宗公は米沢時代の成島八幡と共に、その別当寺龍宝寺に祀らせていたが、岩出山を経て仙台へ移るとこの地に社殿を造営し、守護神とした。慶長12年(1607)完成。


建築様式:

社殿は、本殿と拝殿をつないだ石の間で構成された権現造りの様式である。総体の黒漆と極彩色の彫刻が美しく、後期桃山建築の遺稿としては、我が国最古のもので、国宝である。長床(割拝殿)は、国の重要文化財で、素木造りの落ち着いた風格となっている。本殿は5間(9.8m)に3間(6m)、拝殿は7間(13.8m)に3間(6m)の大きさでともに屋根は入母屋造り、石の間は切妻造りになっている。建築は棟梁に梅村三十郎頼次、同じく刑部左衛門国次、御大工は梅村家次、絵師は狩野左京の作事であり仙台城本丸大広間、松島の瑞巌寺もこの名工たちにより造られている。


祭事:

1月14日・どんと祭/正月14日の夕方から15日の朝にかけて、大崎八幡神社に参拝し、境内で正月の門松や〆縄を持ち寄って焚きあげる正月送りの行事。多くの人々が、鈴を振りながら裸参りをして一年間の無病息災、商売繁盛を祈願する。9月14日、15日・例大祭/14日夜、長床で8番の能神楽が舞われる。15日には神幸祭が行われ、神輿の渡御と共に流鏑馬神事が聖大に行われる。


「国宝・大崎八幡宮」の全体像を知りたいと思い、小冊子「図説 国宝 大崎八幡宮」を購入して帰りました。知りたいと思っていた拝殿、石の間、本殿や、それに附随する内部の装飾や壁画が、色刷りでがたくさん載っていました。


以下、「図説 国宝 大崎八幡宮」より

大崎八幡宮を造った人々

大崎八幡宮の建設に従事した人々は、さまざまな経歴を持っていました。総責任者である奉行のひとりの真山式部少輔継重は、伊達政宗公が仙台領へ進出する際に攻め滅ぼした大崎氏の家臣でした。政宗公は大崎と伊達の橋渡しをした継重を、大崎の人々の伝統とこころを知る人物として、彼らが信仰をささげていた社の仙台での再生という意味合いもこめて、抜擢したのです。継重は、仙台城本丸の建設にも奉行の一人として加わっていて、建築や美術にすぐれた知識を持っていたことがわかります。建築や彫刻に彩色をほどこし、獅子や草花、各種の模様を描いた絵師の佐久間(狩野)左京は、20歳代に大崎八幡宮造営の仕事につくために近畿から来仙しました。当時の主流であった狩野派の美術を京都で学び、伊達家大阪屋敷の絵仕事などを行っていた左京は、仙台開府の絵画部門を推進するために、本場の美術をたずさえて参加し、ここ大崎八幡宮をかわきりに、仙台城本丸、瑞巌寺で見事な画面を創りつづけています。彼はその後も仙台にとどまり、代々が仙台藩の抱え絵師を受け継ぐことになりました。大工の代表である梅村日向守家次は、京都の伝統技術を持つ本格派で、ふたりの息子とともに仙台に招かれました。


左甚五郎が手がけた最初の建築、大崎八幡宮

江戸寛永寺や日光東照宮の豪華な建築を手がけた名工、左甚五郎。この伝説上の人物を生み出すモデルとなったのが“伊達政宗公の大工”として、大崎八幡宮、仙台城本丸、松島瑞巌寺の建設に見事な手腕を発揮した紀州根来出身の刑部左衛門国次でした。仙台での仕事に並外れた成果を発揮した国次は、江戸幕府に大統領という厚い待遇でむかえられ、以後、数々の名建築を造り上げて、名人の名をほしいまなにしたといわれます。この不世出の名工の出発点になるのが大崎八幡宮です。権現造りの当宮を飾りたてる「鳳凰」「にらみ猫」などの国次特有の彫り物は、日光東照宮の「鳳凰」「眠り猫」などと共通な作風を持ち、瑞巌寺の「葡萄にリス」「鳳凰」とともに、大きくはばたこうとする彼のつよい意志を知らせます。仙台から江戸、日光へと発信された文化の担い手のひとりがここにいます。源流としての大崎八幡宮がここにあります。










「国宝・大崎八幡宮」ホームページ


oosaki2 「図説 国宝 大崎八幡宮」


発行日:平成16年9月20日

発行者:小野目博昭

監修:濱田直嗣

発行所:大崎八幡宮

宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6-1









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「重要文化財・仙台東照宮」を見学した!

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「重要文化財・仙台東照宮」を見学しました。日光の東照宮とほとんど同じつくりで、徳川家康を祀っています。残念ながら、中には入れません。


仙台東照宮

仙台市の北東に位置するこの丘陵は玉手崎とよばれ、遠く蒼海を望む風光明媚な場所である。天正19年(1591)、徳川家康公が葛西大崎一揆の視察を終えて帰途のおり、この地で休息され、御祭神ゆかりの地として鎮座地に選ばれたという。二代藩主伊達忠宗公は、東照大権現を伊達家の守護神としてお祀りするため、慶安2年(1649)5月に、東照宮造営を三代将軍徳川家光公に願い出て許しを得、同年8月に普請始を行い本殿、唐門、透塀、弊拝殿、本地堂、御供所、御厩、鐘楼、隋身門、石鳥居、別当等仙岳院、御旅宮等が完成したのは着工以来5年後の承応3年(1654)3月である。大工棟梁は梅村彦作之三で、造営に携わった総人数83万4835人、総工費小判2万2443両を要した。


御祭神

徳川家康公。徳川家康公は天文11年(1542)12月26日、三河国(愛知県)岡崎城で誕生された。幼少より生田の艱難辛苦に耐え抜き、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いに勝利を収め天下を統一し、幕藩体制を樹立して江戸時代260余年の泰平の基を築き、産業を興し学問の振興に努め、近世日本の発展に偉大な功績を残されました。元和2年(1616)4月17日、駿府城(静岡)において75歳の生涯をとじられた。御遺訓は家康公の生き方、考え方をまとめたものであり、時代を越えて私達に深く感銘を与える人生訓である。


御遺訓

人の一生は重荷を負いて遠き道をゆくが如し

急ぐべからず

不自由を常とおもへば不足なし

心に望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし

堪忍は無事長久の基

いかりは敵とおもへ

勝事ばかり知てまくる事をしらざれば

害其身にいたる

おのれを責て人をせむるな

及ばざるは過ぎたるよりまされり


重要文化財建造物

石鳥居

伊達政宗公の奉納によるもので笠石の反りの緩やかな、明神鳥居形式の美しい鳥居である。鳥居の部分は花崗岩で、忠宗公夫人振姫の郷里備前国大島から運搬して建てられた。


随身門

三間一戸の楼門形式で、屋根は入母屋造銅板葺きであるが、当初は銅瓦葺きで要所には錺金具を付けていた。内外部とも透漆塗りで、下階は金剛柵で囲み、左右に随身像を安置する。各所に唐様、和様の手法をとりいれ複雑な斗組で構成するが、形態の釣り合いがとれた重厚な門である。


本殿

本殿は御神体をお祀りする、社殿の中で最も重要な建造物で、内部は内陣と外陣にわかれる。大きさは桁行三間、梁間二間で入母屋造銅瓦葺き。建物は欅の木目を現した透漆塗りで内外とも塗装を施している。棟に千木、勝男木を載せ、高欄、木階は朱漆塗り、外部板壁は黒漆塗り。内陣の天井は折上げ小組格天井。木鼻には唐獅子、蛙股には松に鷹の彫刻、五箇所の扉の内外百二十面には、天女、龍、唐獅子を浮き彫りし、各所に精巧な鍍金金具を付け、御厨子の金梨地の蒔絵や扉の七宝金具等、工芸の粋を結集した極めて華麗な建造物である。


唐門と透塀

唐門は一間一戸、向唐門形式で銅瓦葺き。透漆塗り、扉には鳳凰、麒麟、唐獅子の彫刻を付ける。天井と垂木の間、蟇股、扉の綿板に金箔を押す。形態均衡をえた流麗な門である。本殿を囲む透塀は1周延長四十間(79メートル)、透漆塗り、銅瓦葺き。連子窓、欅文は黒漆塗り、長押には錺金具を付ける。










「国指定重要文化財・仙台東照宮」ホームページ


過去の関連記事:
「仙台光のページェント2013」を体感!

「伊達政宗公の霊屋 瑞鳳殿」を見学した!

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「伊達政宗公の霊屋 瑞鳳殿」を見学しました。


仙台藩祖伊達政宗公は永禄10年(1567)米沢城に誕生し、18歳で伊達家を相続しました。以来、卓越した武将として南奥羽を支配し、「独眼竜政宗」の異名を天下に轟かせました。天正19年(1591)豊臣秀吉の命により、米沢から岩出山(宮城県北)に移り10年を過ごした後、慶長6年(1601)徳川家康の許しを得て、35歳の時仙台城を築き、以後、仙台藩の政治、産業、文化の振興に尽くし、また、スペインとの通商貿易を試み、家臣支倉六右衛門常長を使者としてヨーロッパまで派遣するなど、伊達62万石の基礎を築きました。


瑞鳳殿境内の霊屋など

瑞鳳殿

瑞鳳殿は1636(寛永13)年、70歳で生涯を閉じた仙台藩祖伊達政宗公の遺命により、その翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)です。桃山様式の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として1931(昭和6)年、国宝に指定されましたが、1945(昭和20)年の戦災で惜しくも焼失しました。現在の建物は1979(昭和54)年に再建されたものです。


涅槃門:瑞鳳殿の正面門は「涅槃門」と呼ばれています。「涅槃」とは「煩悩を取り去った悟りの境地となる状態」を意味し、広くは「来世(死後の世界)」という意味にもなります。瑞鳳殿の涅槃門は、樹齢数百年の青森檜葉を用いて焼失前と同様の豪華なかざり彫刻が施されています。扉正面には菊紋があります。菊紋は、皇室の御紋として知られていますが、皇室に功労があった者に下賜される場合もあります。豊臣秀吉が下賜されたものを、伊達政宗が拝顔したといわれ、伊達家の家紋として用いました。

感仙殿

感仙殿は二代藩主伊達忠宗公(1599~1658)の霊屋であり、瑞鳳殿と同等の華麗なものでしたが、明治初年に本殿を除いて取り壊され、残った本殿も昭和20年の戦災で焼失しました。現在の霊屋は瑞鳳殿に続いて再建が進められ、昭和60年に完成したものです。

善応殿

善応殿は三代藩主伊達綱宗公の霊屋で、感仙殿と同様に造営されましたが、昭和20年の戦災で焼失し、昭和60年感仙殿とともに再建されました。善応殿には焼失以前の資料が乏しかったので、種々検討の結果、綱宗公が好んで描かれた「鳳凰」と「牡丹」を装飾に採用しました。












「伊達政宗公の霊屋 瑞鳳殿」ホームページ


zui2 「瑞鳳殿」入場チケット




















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ブリヂストン美術館で「ブリヂストン美術館コレクション展 画家の目、彫刻家の手」(絵画)を観た!

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ブリヂストン美術館で「ブリヂストン美術館コレクション展 画家の目、彫刻家の手」を観てきました。前回は、美術館の趣旨とは関係なく、彫刻だけに限ってこのブログに載せておいたのですが、よくよく考えてみると、ブリヂストン美術館のコレクションは絵画も相当数、展示されていました。何度か書いたことがあるのですが、僕自身、美術館といえばブリヂストン美術館でした。そして、絵画について多くを学んだのがブリヂストン美術館のコレクションからでした。そんなわけで、「画家の目、彫刻家の手」では、コレクションの優品が網羅されていました。思い直してその時に観た絵画の何点かを、部屋毎に整理したので、下に載せておきます。



展覧会の構成は、以下の通りです。


第1室 バルビゾン派

第4室 印象派

第5室 印象派とポスト印象派

第6室 日本の近代絵画

第7室 世紀末芸術

第8室 マティスとピカソ

第9室 エコール・ド・パリ

第10室 20世紀美術1

第2室 20世紀美術2



ここでは、絵画に限って、以下に画像を載せておくことにします。


第1室 バルビゾン派




第4室 印象派



第5室 印象派とポスト印象派



第6室 日本の近代洋画


第7室 世紀末芸術


第8室 マティスとピカソ




第9室 エコール・ド・パリ




第10室 20世紀美術1



第2室 20世紀美術2



「ブリヂストン美術館コレクション展

 画家の目、彫刻家の手」

画家と彫刻家。画家は絵画を描き、彫刻家は彫刻を制作します。1889年、パリのジョルジュ・プティ画廊では『モネ・ロダン展』が開催され、クロード・モネの絵画とオーギュスト・ロダンの彫刻が展示されました。そしてその展覧会を見た批評家オクターヴ・ミルボーは、「彼らは絵画と彫刻というふたつの芸術を今世紀でもっとも見事に、究極的に演じてみせた」と絶賛しました。エドガー・ドガのように、絵画だけではなく、彫刻も重要な表現手段とした芸術家もいました。絵画と彫刻をあわせてご覧いただくことで、それぞれの特徴が際立ってきます。本展では、ブリヂストン美術館の所蔵する絵画と彫刻、合計約160点をご紹介します。ロダンやブールデル、ザツキン、アーキペンコ、ブランクーシなど、当館の彫刻ギャラリーに常設されている作品にもご注目ください。

「ブリヂストン美術館」ホームページ


とんとん・にっき-buri 「Masterpices from the Collection of the Ishibashi Foundation」
2006年4月2日初版発行

2007年2月1日3刷発行

編集:財団法人石橋財団

発行:財団法人石橋財団







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静嘉堂文庫美術館で「描かれた風景~絵の中を旅する~」を観た!

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静嘉堂文庫美術館で「描かれた風景~絵の中を旅する~」(後期)を観てきました。会期が終了間近なので、大慌てで観に行ってきました。二子玉川からのバスも混んでいて、静嘉堂文庫前のバス停でかなりの人が降り、ほぼ全員が静嘉堂文庫へ向かって坂道を登っていきました。静嘉堂文庫美術館はいつもはのんびりと観て廻れるのに、今回は見事に混んでいて、チラシも早々と無くなったということでした。「本展修了後、美術館改修工事のため、約1年半休館いたします」という案内がありました。改修工事前の最後の企画展、ああ、なるほど、と思いました。再オープンは2016年秋になるようです。


「描かれた風景~絵の中を旅する~」、北は日本三景の一つである松島から、南は大分県の耶馬溪まで、各地の名所を描いた名所絵や風景画を中心に展観します。他に版本や蒔絵、茶道具、煎茶道具、文房具なども含め、前後期合わせて全70件を紹介します。


今回の見どころはというと、まずは「都の賑わい」です。前期(2月1日~16日)は「江戸名所図屏風」が展示されていたようですが、後期(2月18日~3月16日)の目玉は、重要文化財「四条河原遊楽図屏風」(2曲1双)でした。この作品を楽しめるのが、大型ディスプレイを使った「見どころルーペ」です。タッチパネル式で屏風の各所を拡大できるので、詳細に観ることができます。


次の見どころは、静嘉堂でしか観ることのできない、保存状態のよい色鮮やかな浮世絵です。東海道の宿場町を描いた「双筆五十三次」は、閉経の風景を歌川広重が、前の人物を三代豊国が描いた合作です。この作品は門外不出です。蛇腹状にたたまれていたので状態が極めてよく、また発色も素晴らしい。2010年6月には「錦絵の美―国貞・広重の世界―」がありました。


次の見どころは、名所の筆頭、古くから信仰の対象でもあった富士山です。世界遺産登録でも話題になりました。各地から見た肉筆作品の富士、版本による富士。富士山のいろいろな顔を楽しめるような優品がありました。なにを隠そう、静嘉堂文庫美術館のラウンジから多摩川ごしに、正面に富士山がしっかりと見えるのです。そしてもう一つ、「堅田図旧襖絵」の久々の公開です。中国絵画からの影響もみられる「堅田図旧襖絵」は、もと京都・大徳寺 瑞峯院の襖絵でした。伝雪舟の「西湖図」とともに、室町時代の水墨主体の風景を味わいます。他に鈴木芙蓉の水墨画、「那智山大瀑雨景図」があります。


都の賑わい

桃山時代から江戸時代の初めにかけての四条河原界隈は、歌舞伎小屋、見世物小屋が軒を連ねる一大歓楽地でした。この屏風は、その繁栄ぶりを描いた四条河原図の代表的な優品です。左隻の右上には竹矢来をめぐらせた歌舞伎小屋を配し、鼠木戸の上の櫓に富士山や一の字に「うきよさと嶋大かふき」と染め抜いた朱色の幕が翻っています。佐渡嶋は六条三筋町の遊女歌舞伎の一座です。その隣は山荒の見せ物、道路を隔てて下方には、大女、犬の曲芸、皿まわし、風流笠を着けた尺八の演奏と見所が重なります。藍色と墨で描かれた鴨川の両岸では、鮎漁の人々、楊弓場、心太売り、瓜売り、一服一銭が描かれ、活気にあふれています。左隻の左上にも歌舞伎小屋が拝され、こちらは桔梗紋と巴紋を染め抜いた幕を掛け、看板に「西洞院道喜かふき」とあり、六条三筋町に増設された西洞院町の遊女歌舞伎の興行です。虎革を敷いた曲彔に腰かけた一座のスターの和尚の三味線に合わせ、その回りを兵庫髷の遊女が踊っています。賑わう往来の向かいの小屋では、しずしずと舞が演じられています。既成の流派に属さない、すぐれた町絵師による見応えのある当世風俗画です。


浮世絵にみる名所


富士山図


「堅田図旧襖絵」

現在この作品は屏風装ですが、もとは京都紫野の大徳寺の塔頭、瑞峯院の檀那の間の襖絵でした。東京国立博物館にある「片田景図」はこの作品を模写したものであることが確認されました。堅田は、比叡山の麓の琵琶湖に面した漁村で、中世には琵琶湖の湖上権を掌握する自治都市として発展しました。瑞峯院は、天文21年から24年頃、大友宗麟を檀那として成立し、開山の微岫宗丸のあとを引き継いだ第二世の怡雲宗悦が近江の出身で、堅田の祥瑞寺に住した経歴があることから、そのゆかりで堅田の景観が檀那の間に描かれた可能性がある、と解説にあります。ただ、水墨淡彩で描かれた日本の都市風景図としては類例が乏しく、制作期や筆者については今後の研究がまたれる、としています。


風景表現の変遷~江戸後期から近代まで
鈴木芙蓉は、中国文化に対する教養と理解を持ち、「酔芙蓉」と呼ばれたように、酔興に乗じて描いたともいわれていますが、大幅の絹を用いた「那智山大瀑雨景図」は、酔興による紙本の作品とは異なり、時間を費やして謹直に描かれたことが明らかな作品です。樹木や岩はもちろん、人物や拝殿もそれぞれに応じた異なる筆線、墨色で描き分け、再度の低い代赭と藍を用いてそれぞれを彩っています。通常の山水画であればそれで完成をみるのですが、本図はさらに技巧を凝らしている点で、より思いのこもった作品ということができます。トクに注目されるのは、那智の滝から落下する水しぶきが、画面左からの強風によって霧状となり、上空にあおられる状況を描写していることです。滝の流れをあらわす垂直線の延長上に、濃度を微妙に変化させた面的な淡墨が、ゆらぎをもちながらU字形の弧を描いて画面の右上へと流れていきます。二重の水幕が表現をより複雑にし、息苦しさを感じさせるような重々しい空気感、そして神域としての異空間を演出しています。



ロビー展示


「色絵吉野山図茶壺」。桜満開の吉野山、その景を闇夜に見るかのような色絵茶壺。丸く張った器面を覆う漆黒の釉が、金・銀・赤の桜花や葉の緑を艶やかに浮かび上がらせています。


「描かれた風景~絵の中を旅する~」

古来日本では、四季の移り変わりの中で自国の風景を愛で、多くの名所絵・風景図が描かれてきました。本展では、室町時代の名品「堅田図旧襖絵」を久々に公開するとともに、近世初期風俗画の傑作として知られる重要文化財「四条河原遊楽図屏風」をはじめ、世界文化遺産登録で話題となった富士山を描いた作品、門外不出のため鮮やかな色彩の残る歌川国貞(三代豊国)・広重の浮世絵などを出品。古今東西の描かれた名所を一堂に展示することにより、日本人が愛した風景の様相を探ります。普段見慣れた景色やまだ見ぬ日本の風景がどのように描かれてきたのか…美術館で、時空をこえた旅をお楽しみください。


「静嘉堂文庫美術館」ホームページ


fuu1 「静嘉堂文庫美術館」

リーフレット
















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園子温監督の「気球クラブ、その後」を観た!

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テレビで放映された園子温監督の「気球クラブ、その後」を、録画しておいたものを観ることができました。端的にいえばイマドキの青春映画、五年ぶりに再会したサークルのメンバーたちが、それぞれの青春を振り返りつつ現在の自分を見つめ直すほろ苦い青春ドラマです。やたら「ケイタイ」が出てくるのもイマドキです。なにしろ会を解散するときに、電話番号とメルアドをけしてください、というのですから。時代は過ぎて、今はスマートホンですが。やたらとカットバックが挟み込まれて、逆にそれが新鮮だったりして・・・。


いいよね青春ってめんどくさくて」と絶交した女の子が声をかけてくる。「別れたよ」「なんで?」「だるいよ 男なんて」「男子より ダンス!」と踊りだすドコモのCMがありました。


全篇を通して映画の中でみんなで合唱するのが、荒井由美の「翳りゆく部屋」です。ユーミンの歌はキーが低くて低音なので、比較的男でも歌いやすい。僕はエレファントカシマシのバージョンで、ユーチューブで何回も聞き直しました。


翳りゆく部屋

作詞:荒井由美 作曲:荒井由美

窓辺に置いた椅子にもたれ

あなたは夕陽見てた
なげやりな別れの気配を
横顔に漂わせ

二人の言葉はあてもなく
過ぎた日々をさまよう
ふりむけばドアの隙間から
宵闇がしのび込む

どんな運命が愛を遠ざけたの
輝きはもどらない 
わたしが今死んでも

ランプを灯せば街は沈み
窓には部屋が映る
冷たい壁に耳をあてて
靴音を追いかけた

どんな運命が愛を遠ざけたの
輝きはもどらない 
わたしが今死んでも

どんな運命が愛を遠ざけたの
輝きはもどらない 
わたしが今死んでも

会の名前がいい、「気球クラブ、うわの空」。気球クラブの代表だった村上、その恋人だった美津子役の永作博美が、色っぽい、というか、小悪魔ですよね。こんな女の人にちょっといい顔されると、男はついつい・・・、ですよね。ラスト、ずっと待っているけどなかなか気球が降りてこない。降りてきたらすぐに連絡して欲しいの、と、美津子は涙を流しながらみどりに言う。


あらすじ
サークル“気球クラブ・うわの空”には、本当に気球が好きな人、寂しさを紛らわしたい人、恋愛や友情を求める人など、さまざまな想いを抱いた若者たちが集っていた。5年後、ガールフレンドのみどり(川村ゆきえ)と微妙な関係を続けている二郎(深水元基)のもとに、かつての仲間から1本の電話が入る。サークルのリーダーだった村上(長谷川朝晴)が、突然の事故で亡くなったという。このことをきっかけにバラバラになっていたメンバーは再び集まり、村上を偲んで大宴会が行われることになった。これが最後の、一夜限りのバカ騒ぎだということに、彼らは気付いていた。二郎はそこで、村上の恋人だった美津子(永作博美)と再会する。そして美津子の村上への深い想いを知るのだった。


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柯隆の「中国が普通の大国になる日」を読んだ!

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とんとん・にっき-cha1

興梠一郎の「中国 目覚めた民衆」を読んだのは、2013年3月、ちょうど1年前のことでした。その時にもこのブログに書いたのですが、三井住友トラスト基礎研究所主席研究員の伊藤洋一が、TBSラジオの「森本毅郎・スタンバイ」で、興梠一郎の「中国 目覚めた民衆」と、柯隆の「中国が普通の大国になる日」を、2冊紹介していました。この2冊を同時に購入したのですが、「中国が普通の大国になる日」(実業之日本社:2012年10月20日初版発行)の方は、読めないままで今に至りました。今回、読もうとしたキッカケは、つい最近、中国の「全国人民代表大会」が開催され、その報道に接したことによります。


柯隆(か りゅう):略歴

1963年中国南京市生まれ。1994年名古屋大学大学院経済学修士課程修了。1994年長銀総合研究所入所。1998年富士通総研経済研究所へ移籍。現在、富士通総研経済研究所主席研究員。静岡県立大学特任教授。広島経済大学客員教授。東海日中貿易センター客員研究員。財務省外国為替審議会アジア専門部会委員、財務省財務総研中国研究会委員などを歴任してきたほか、日中両国において講演、メディアへの寄稿等で活躍。著書に「チャイナクライシスへの警鐘」(日本実業出版社)、「中国の不良債権問題」(日本経済新聞出版社)などがある。中国中央電視台(CCTV)財経チャンネルコメンテータ。


本の帯には「指導者は普通の人・静かに進む民主化・相応の経済成長」とあり、そして「成長モデルの終焉に伴う経済成長の鈍化と政治腐敗に起因する社会の不安定化が国家崩壊に結びつく可能性があることを、自らいちばんよく知っている中国には“普通の大国”へと変わる以外に選択肢はない」とあります。


2012年11月、習近平総書記をトップとする中国共産党の新指導部が誕生しました。習近兵体制で中国はどうなるのか。経済成長は持続できるのか、中国は民主化するのか。日中関係はどうなるのか、等々。なにしろこの本は、平易な文章で読みやすい、分かり易い。この本の中には、中国問題のほとんどが網羅されています。そして最後に、日本へのアドバイスも載っています。


いま認識されているチャイナリスクの実情

1 政治的公平性の欠如

2 共産党幹部の腐敗

3 民主主義政治体制構築の遅れ

4 所得格差の拡大

5 国民の不満と怒りの蓄積

6 国有企業による市場独占

7 金融制度改革の遅れ

8 国際経済の不均衡

9 人民元の為替改革の遅れ

10 研究・開発(R&D)の遅れ

11 知的財産権保護の欠如

12 生態環境の破壊


改革がなければ、終末に向かうしかない

イデオロギーや政治が弱体化し、指導者のカリスマ性が低下してきたなかで、中国はこれからどのような方向を目指していくのか。おそらく、共産党一党独裁という政体を維持しつつ、経済は資本主義を導入するという、現状のままの中途半端な形でいこうとすると、ますます中国はおかしな方向に進んでしまうとみるのが妥当だろう。次期政権による改革がなされなかった場合の中国の行く先は、かつて強力な独裁者が采配を振っていたものの、民主化の兆しが現れて徐々に権力が弱体化していった、いくつかの国の末路と重なってみえる。・・・そうならない道を探るとすれば、新しく国家主席の座に就く習近平が、強いリーダーシップを発揮しながら改革を進め、民主化に近づくような路線を自ら導入するしかない。それができなければ、習近平は中国共産党の歴史のなかで、最も弱い指導者として、中国社会がますます不安定化していくのを眺め続け、場合によってはその末路を自らの時代に目の当たりにするだろう。(本文より)


目次

序 章 中国の将来を考える2つの視点
第1章 中国の「失われた10年」
第2章 共産党一党支配が終わる日
第3章 少数民族問題の本質
第4章 中国経済の成長は持続可能か?
第5章 人口減少という中国が抱える最大の問題
第6章 人民元は広く流通する通貨になれるのか
第7章 中国の行方と日本企業の対応法


3月14日の朝日新聞によれば、「習主席、際だつ集権 李首相は無難な答弁」という見出しで、中国の全国人民代表大会の閉幕を報告しています。李克強首相は、始めて担った政府活動報告が圧倒的多数で裁決されたが、閉会後の記者会見では慎重な言葉を選んで「安全運転」に終始した、とあります。習近平主席の存在感が際だち、首相とのツートップ体制も色あせている、としています。流れが顕著になったのは、昨年11月の党中央委員会第3回全体会議からで、習氏自らが組長に就任。他にも3中全会で発足が決まった「国家安全委員会」と「改革の全面深化指導小組」のトップにも就任。国家主席、党総書記、中央軍事委員会主席と合わせ「5権の長」と呼ばれる「集権化」が進んだ、とあります。全人代の冒頭、李首相が読み上げた政府活動報告は、大手国有企業や軍などにある抵抗勢力を念頭に「凝り固まった既得権益の垣根を突き破る」とうたった。しかし、李首相の会見を見た外交筋は「今後の改革の主役は習氏と党。首相は国の安定の基礎である経済運営などに専念するということだろう」と話したという。


柯隆は、「なぜ胡錦濤・温家宝政権はなにもできなかったのか」として、リーダーの組み合わせについて述べています。つまり「ロマンチスト+リアリスト」がトップの理想、としています。経験からいえば、ナンバーワンである国家主席がロマンチスト(理想主義者)であり、ナンバーツーである首相がリアリスト(実務主義者)という組み合わせのときが、最も機能的に政治がワークするようにみえる、という。ポスト胡錦濤の次期政権を展望してみると、次期国家主席の習近平がロマンチストであるかどうかはわからないが、次期首相がリアリストであることは何よりも重要だ、と柯隆はいう。果たして習近平・李克強政権が柯隆の予想通りでったかどうかは、今後を待つしかありませんが・・・。


過去の関連記事:

興梠一郎の「中国 目覚めた民衆」を読んだ!

朽木ゆり子の「ゴッホのひまわり 全点謎解きの旅」を読んだ!

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朽木ゆり子の「ゴッホのひまわり 全点謎解きの旅」(集英社新書:2014年3月19日第1刷発行)を読みました。僕が朽木ゆり子を知ったのは「フェルメール全点踏破の旅」でした。同じ頃、有吉玉青の「恋するフェルメール 36作品への旅」もあり、この2冊が“フェルメールブーム”を巻き起こしたと言っても過言ではありません。もちろん美術研究者のフェルメール本もありましたが、やはり一般人への波及効果は、この2冊と言っていいでしょう。その後朽木は「盗まれたフェルメール」を出し、そして「東洋の至宝を世界に売った美術商― ハウス・オブ・ヤマナカ」を出すに至りました。


朽木は美術研究者でもなく、美術評論家でもなく、自身は“ジャーナリスト”だと言ってはばかりません。


そもそもなぜゴッホの「ひまわり」に興味をもったのだろう。最初のきっかけはフェルメールだった。そう説明すると、みんなに戸惑ったような顔をされる。フェルメールとゴッホの間には約200年の開きがあり、美術史という観点から見ればふたりの絵はスタイルもまったく違っていて、比較することさえおかしいからだ。しかし、美術史の専門家でない私には、200年の開きやスタイルの違いはあまり意味がない。フェルメールとゴッホは、私にとっては現在オランダと呼ばれている国でうまれ、アムステルダムで重要な作品を見ることができるという共通点をもった画家で、その共通点が興味をもつきっかけとなった。


ファン・ゴッホ美術館はずっと開館していたので、私の足は自然にそちらへ向かうようになった。


最初は美術館に入ったとたんに、ゴッホのあの強烈な色と誇張された形に圧倒され、違和感を覚えた。フェルメールからゴッホへ、それはいわば、須弥山から娑婆へ降りてきたような感じ、と言ってもいいだろうか。守護神が住まう、清みきって完璧な聖地から、不安定で悩み多き世界へやってきた感じ、である。純度が高いフェルメールの色彩から、独特のすこし濁って、かつ強烈なゴッホの色へ。グニャグニャとした輪郭をもって立ち上がる樹木、ぐるぐる巻の雲に取り囲まれた星や月、オレンジの輪郭線をもつ植物、そして灰色の顔の人々・・・。


しかし、何度かファン・ゴッホ美術館を訪れ、・・・多くの作品を見るうちに、彼の作品が放つ独特の“説得力”に惹かれるようになった。そのあたりから、何か気になることがあると、その周囲をいろいろ調べなければ満足できないという私の性格が頭をもたげてきたように思う。


11枚の「ひまわり」の便宜的な名称

テーブルの上に置かれたひまわりを描いた4枚



花瓶に入ったひまわりを描いた7枚




花は、咲き、種子を作り、枯れる。そのプロセスを一枚の絵に描いた「ひまわり」がこれほど魅力的なのはなぜだろうか。それはおそらく、この絵が前の時代の絵画と一線を画すオリジナルな絵だからだ。ゴッホは、ひまわりの花を描写することから出発したが、具象と抽象を隔てる線を越えて、抽象の世界へと半歩足を踏みいれた。その革新性が、人の心をとらえて離さないのだろう。11枚の「ひまわり」の描かれた背景と、うみだされてから現在にいたるまでのそれらの変転をリサーチして描きだした今、「ひまわり」にはフィンセント・ファン・ゴッホの才能が凝縮されている、と私は改めて確信している。


炎の11枚の物語
なぜ我々の心をつかんで離さないのか?

世界の名画の中で最も多くの人に愛され、親しまれているゴッホの「ひまわり」。しかし〈ひまわり〉11作品にはそれぞれ多くの謎が存在する! 東京の〈ひまわり〉贋作騒動の真相は? 日本にもう一枚あったという幻の〈ひまわり〉とは? 半世紀以上、公開されていない〈ひまわり〉の行方は? なぜゴッホは同じ構図の〈ひまわり〉を自ら複製したのか? そしてゴッホに〈ひまわり〉を描かせたゴーギャンとの愛憎関係とは? 『フェルメール全点踏破の旅』の著者が、最新の科学的・歴史的知見に基づきながら、ひまわり全点の謎を解く。世界の美術界のゴッホ新ブームをさらに過熱させるであろう貴重な一冊!


朽木ゆり子(くちき・ゆりこ):略歴
東京都生まれ。ジャーナリスト。国際基督教大学教養学部社会科学科卒業。同大学院行政学修士課程修了。コロンビア大学大学院政治学科博士課程に学ぶ。元「日本版エスクァイア」誌副編集長。 主な著書に『フェルメール全点踏破の旅』(集英社新書)、『盗まれたフェルメール』(新潮選書)、『東洋の至宝を世界に売った美術商― ハウス・オブ・ヤマナカ』(新潮文庫)など。


過去の関連記事:朽木ゆり子関連

朽木ゆり子と山下裕二の対談「消えた世界的古美術商『ヤマナカ商会』」を聞いた!
朽木ゆり子の「ハウス・オブ・ヤマナカ―東洋の至宝を欧米に売った美術商―」を読んだ!
「謎解きフェルメール」を読む!
「フェルメール全点踏破の旅」を読む!

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練馬区立美術館で「野口哲哉展―野口哲哉の武者分類図鑑―」を観た!

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練馬区立美術館で「野口哲哉展―野口哲哉の武者分類図鑑―」を観てきました。この展覧会、BS日テレの「ブラブラ美術・博物館」で取り上げられて、野口哲哉さんご本人が番組の中で自作を解説をしていました。


「ブラブラ美術・博物館」BS日テレ

#131 2014年3月14日

練馬区立美術館「野口哲哉の武者分類図鑑」

~世界が注目!不思議で愉快な侍ワールド~


2011年10月、練馬区立美術館で「松岡映丘展」を観たときに、下記のように書きました。

武具・甲冑を身にまとった映丘の写真が数枚展示されていました。自身も矢を射る姿で、写真におさまっていました。やや時代錯誤の感もありますが、異常に武具・甲冑がお好きだったようです。それが「鵯越」や「矢表」に反映されています。


本物の甲冑を身にまとった松岡映丘の誇らしい、いかにも自慢げな写真が残っていました。武具・甲冑が好きだった映丘、それが自身に作品にも反映していました。


さて今回は、1980年生まれの野口哲哉、美術館では初めての個展です。侍、甲冑をモチーフにした、現代的な作品が約90点、展示されていました。また発想の原点となった古今の美術作品など、たとえば小堀鞆音の作品など、数多く展示されていました。作品は樹脂やプラスチックなど、現代的な素材を使いながらも、古びた鎧武者を造り上げていました。古びた絵画と造り上げられた武者を、ワンセットで展示している作品が、興味を惹きました。ちなみに「武者分類」は「むしゃぶるい」と読ませます。


展覧会の構成は、以下の通りです。

・野口哲哉ノ作品(1~91)
・古美術品リスト

 華麗なる有職故実の世界~The Design Human~

 仮想現実の中で~Real In Unreal~

 過去からの手紙~Historical Odyssey~


そして会場内の各作品の解説文は、作家自らが記したものです。
たとえば「シャネル侍」の解説は、以下のようです。


紗錬(しゃねる)家概要

開祖である紗錬常陸介隆昌、旧姓・桐野高昌が、円保5年の文燕之役での戦功を認められ、主君からシャネル・ブランドのハンドバックと共に紗錬姓と紋を許された事に始まるとされている。宣教師によって西洋文化が国内にもたらされた当時、舶来品は論功行賞の褒美として珍重されていたが、紗錬家のように舶来の高級品をそのまま家名とする事例は稀である。ちなみに、紗錬家自体は仏国にある本家シャネルからの公認を受けたものでは無く、直接的な接点も皆無である。また貿易封鎖に伴い、3代藩主・隆経の時に、佐錬(さねり)家に改名したために、紗錬の名は隆昌、隆芳の二世代間で使用されたのみである。

*以上は作者の創作した架空の解説であり、すべての事柄は実在しない。


上を観れば分かる通り、野口哲哉の作品は、それらの織りなす嘘とも現実ともつかない魅力的な世界観を構築しています。彼曰く「でっちあげ」の世界なのです。しかし、甲冑への知識に裏付けられた空想世界は実に豊かで、史実との狭間を行き来する、ユニークで独創的な世界となっています。作品は等身大から、小指の先ほどの小さな作品まで、多種多様です。しかしそれらは、大きさにかかわらず、実にリアルで、表情豊かです。


図録の帯には藤本正行が、以下のように書いています。

「こうした奇想天外な組み合わせは、とかくアイデア倒れに終わるものですが、貴兄のそれは見事に成功しております。古画の表現や甲冑に関する知識と、それを活かせる筆力が貴兄に備わっているからです。」


古画と甲冑武士





甲冑武士の表情



弐拾四歳の自画像


「野口哲哉展―野口哲哉の武者分類図鑑―」

1980年生まれの野口哲哉は、樹脂やプラスチックなど、現代的な素材を駆使して古びた姿の鎧武者を造形し、それらの織りなす嘘とも現実ともつかない魅力的な世界観を構築する美術家です。南蛮渡来のシャネルのマークを家紋とした甲冑を身にまとった紗錬家しゃねるけの武者像「シャネル侍着甲座像」がある一方で、兜に付いたプロペラ型の立物で空中を浮遊する武者の絵画作品「ホバリングマン 浮遊図」は当時あたかもそんな武者がいたかのように、巧妙に古びた画面を演出しています。野口の作品世界の大半は、侍をモチーフにしながらも、実際には存在しない、彼曰く“でっちあげ”の世界なのですが、サムライ、甲冑への知識に裏付けられた空想世界は実に豊かで、史実とのはざまを行き来するユニークで独創的なものとなっています。加えて、甲冑の表現の正確さや、サムライたちの立ち振る舞いは、格好良さの中にも常に滑稽さや哀しさが漂っており、その姿は日々の暮らしを送る私たち現代人とどこか通じるものがあります。作家はまだ30代半ばで活動期間は短いとはいえ、コレクターは国内外に及び、展覧会出品作、個展での評価も高く、今まさに注目される作家の一人です。一貫して鎧武者をモチーフに制作する野口の新作を含めた全作品約90点を中心に、彼の発想の原点となった古今の美術作品や写真、グラフィックデザインなどを併せて展示し、野口の武者世界を紹介する、初の個展となります。


「練馬区立美術館」ホームページ


nogu1 「野口哲哉ノ作品集 侍達ノ居ル処。」

発行日:2014年2月20日
著者:野口哲哉

発行所:株式会社青幻舎
nogu2 「野口哲哉展―野口哲哉の武者分類図鑑―」

入場チケット










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