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山田洋次監督の「東京家族」を観た!

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山田洋次監督の「東京家族」を観ました。1月26日(日)夜9時からテレビで放映されたものを、録画しておいたのですが、なかなか観る時間がとれなくて、やっと今日、観ることができました。なにしろテレビの録画時間は2時間54分(公式には146分)と長いので、観るのを躊躇したこともあります。実は「東京家族」の次回作、山田洋次監督の「小さいおうち」、現在公開中なので観に行きたいのですが、なかなか観に行く時間がとれません。その前に是非とも観ておくべきということで、「東京家族」を観たというわけです。


小津安二郎監督の「東京物語」は、ビデオを借りて観た記憶があります。NHKBSプレミアムの「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」にも入っていました。「東京物語」は、年老いた両親の東京旅行を通じて、家族の絆、夫婦と子供、老いと死、人間の一生、それらを冷徹な視線で描いた作品、とされています。公開されたのが1953年、僕はまだ子供でした。笠智衆と原節子のことはよく覚えています。笠智衆が東京で落ち着きを感じることが出来た場所が、原節子の住む「公営住宅」と、銀座松屋屋上の「展望塔」の2箇所でした。2012年、世界の「映画監督が選ぶベスト映画」の1位に選ばれたのが、小津安二郎監督の「東京物語」でした。


山田洋次監督生活50周年の節目でもある「東京家族」は、小津安二郎監督の「東京物語」をモチーフに製作されたことは、よく知られています。クランクイン前に東日本大震災が起こり、撮影は延期され、それらの記憶も織り込んで製作に取り組み、2012年に公開されました。たとえば「東京物語」で原節子演じる戦死した次男の妻の紀子の役割は、妻夫木聡演じる次男・昌次と蒼井優演じるその恋人になっていますが、東日本大震災のボランティア活動で二人は知り合った、ということになっています。


映画はキャストが命。口数が少なく頑固だが一本筋の通った父、周吉を演じるのは橋爪功。おっとりしていて茶目っけのある母とみこには吉行和子。町医者で長男・幸一には西村雅彦、妻の文子に夏川結衣、美容院経営の長女・滋子に中嶋朋子、その夫の庫造に林家正蔵が扮しています。舞台美術を仕事にしている次男の昌次には妻夫木聡、その恋人で書店員の紀子には蒼井優。この二人が主役と言ってもいいほどの役割です。他に修吉の友人・小林稔侍や飲み屋の女将・風吹ジュンらも、いい演技をしています。


子供たちの様々な事情で横浜のホテルに宿泊することになった周吉ととみこ。ただ外を眺めるだけで、やることのない二人。修吉はネオンに輝く観覧車を見て、結婚する前に二人で観た映画「第三の男」を懐かしむ。ホテルの部屋から観る横浜の夜景はどこか寂しい。二人には、寝苦しい夜が続きます。


お客の要求で書店員の蒼井優が取り出した絵本が、バージニア・リー・バートンの「ちいさいおうち」(石井桃子訳、岩波書店:1965年12月発行)というのも、次回作をさりげなく告知していて面白い。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:『男はつらいよ』シリーズや『たそがれ清兵衛』『おとうと』などで知られる、山田洋次の監督81作目となるファミリー・ドラマ。瀬戸内の小島から上京し、自分の子どもたちと久々の対面を果たした老夫婦の姿を通して、現代日本における家族の在り方や絆などを見つめていく。『奇跡』の橋爪功、『人生、いろどり』の吉行和子、「古畑任三郎」シリーズの西村雅彦、『悪人』の妻夫木聡などの実力派が集結し、いつの間にか生じた隙間を埋めようとする家族を熱演する。随所にちりばめられた、山田監督による巨匠・小津安二郎の『東京物語』へのオマージュも見逃せない。


ストーリー:瀬戸内海の小さな島で生活している夫婦、平山周吉(橋爪功)ととみこ(吉行和子)。東京にやって来た彼らは、個人病院を開く長男・幸一(西村雅彦)、美容院を営む長女・滋子(中嶋朋子)、舞台美術の仕事に携わる次男・昌次(妻夫木聡)との再会を果たす。しかし、仕事を抱えて忙しい日々を送る彼らは両親の面倒を見られず、二人をホテルに宿泊させようとする。そんな状況に寂しさを覚えた周吉は、やめていた酒を飲んで騒動を起こしてしまう。一方のとみこは、何かと心配していた昌次の住まいを訪ね、そこで恋人の間宮紀子(蒼井優)を紹介される。


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「東京家族」公式サイト




「Cafe & Meal MUJI」で昼食を!

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「Cafe & Meal MUJI」で昼食を食べてきました。

西武渋谷店Movida(モヴィーダ)館の2階にあります。

モヴィーダ館は地下1階~5階まで 無印良品のお店です。

「Cafe & Meal MUJI」利用の仕方

まず、スタッフにメニューを伝え、注文します。

「選べるデリ3品」か、「選べるデリ4点」、どちらかを注文します。

3点の場合は、温かいデリ1品と冷たいデリ2品です。

4点の場合は、温かいデリ2品と冷たいデリ2品です。

他にパンかご飯を選びます。

食べ終わった食器類は、返却台まで返却します。







ポーラミュージアムアネックスで「渡辺おさむ Sweets Sentiment」を観た!

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ポーラミュージアムアネックスで「渡辺おさむ Sweets Sentiment」を観てきました。たしかに「多くの女性を魅了するメルヘンチックなスイーツ作品には、新しい感性とアイデアがあふれ」ています。展覧会の観客は、圧倒的に女性です。いや、驚きました。こんな分野にまでアートが浸透しているんですね。多くを語れません。まずは、画像をよく観ていただきたい。「フェイク・クリーム・アート」を・・・。


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渡辺おさむ:プロフィール

1980年生まれ。2003年東京造形大学卒。母親が製菓学校講師だった事から幼い頃からお菓子に囲まれて暮らす。その影響から、作品では、マカロンなどの洋菓子やさまざまなフルーツのフェイクを散りばめて、エンターテイメント性に富み、甘くて幸せなイメージを展開している。スイーツデコの技術をアートに昇華させた第一人者として「東京カワイイTV」(NHK)や「徹子の部屋」(テレビ朝日)等にもとりあげられ、アート界のスイーツ王子として人気急上昇中。本物そっくりのカラフルで精巧なクリームやキャンディ、フルーツなどを用いた作品は、国内はもとより海外でも注目を集め、中国、イタリア、ベルギー、トルコ、アメリカ、韓国などでも個展が開催され話題を呼ぶ。2012年には初の作品集となる「SWEET OR UNSWEET?」を出版。


「渡辺おさむ Sweets Sentiment」

渡辺氏は身の回りにあるさまざまなものにデコレーションを施す「フェイク・クリーム・アート」の第一人者として、マスコミをはじめ幅広いジャンルで注目を集めている気鋭にアーティストです。多くの女性を魅了するメルヘンチックなスイーツ作品には、新しい感性とアイデアがあふれ、クリームの表現方法によるモチーフと装飾の関係を問う新たな美術のあり方が示されています。今回は、バレンタインやホワイトデーのシーズンに向けて「Sweets Sentiment」をテーマに、ケーキのキャンドルスタンドやスイーツのお皿が並ぶ晩餐会のシーンをカラフルでポップ、そしてクリーミーな新作インスタレーションとして再現します。チョコレート、マカロン、クッキー、生クリームやいちご、メロンなど、おいしそうなスイーツで彩られたユーモアとかわいらしさあふれる作品は、私たちの五感を刺激し、デザートを食べている時の幸せな記憶が甦ってくるような展覧会です。


「ポーラミュージアムアネックス」ホームページ


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武蔵野市立吉祥寺美術館で「生誕100年 萩原英雄展」を観た!

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武蔵野市立吉祥寺美術館で「生誕100年 萩原英雄展 天から与えられた僕の仕事」を観てきました。観に行くきっかけは、ポスターに使われている「ピエロ」(1973年)を観たことによります。ピエロの絵と言えば、ルオーがよく知られていますが、萩原が描いたピエロは、子どもとも大人ともいえない、それでいて悲しい独特の表情をしています。


「出品目録」は、通常であれば陳列順、あるいは年代順がほとんどで、観る方からすれば分かり易い。が、しかし、今回いただいた「出品目録」はそうではなく、技法ごとに分類した目録になっていました。それは「木版画」「油彩画」「墨彩画・書」「パステル画・水彩画」「ガラス絵」「銀細工」となっていました。


これは言うまでもなく萩原英雄の作品の特徴を表しています。元々は東京美術学校で油彩画を学び、油彩画家として出発しますが、体調を崩して療養生活を送る中、木版画制作に没頭し、それが内外の国際版画展で受賞を重ね、戦後日本の版画界を代表する作家の一人となりました。しかし、その表現方法は木版画にとどまらず、油彩、コラージュ、墨彩、陶、ガラス絵など、多岐に渡っています。


木版画



油彩画




墨彩画・書


パステル画・水彩画


ガラス絵


萩原英雄:略歴
1913(大正2 )年     山梨県甲府市に生まれる
1932(昭和7 )年  19歳 白日会第9回展に油彩「雑木林」出品、

光風会展第19回展に油彩「上り道」出品
1938(昭和13)年 25歳 東京美術学校(現東京藝術大学)油画科卒業
1951(昭和26)年 38歳 銀座資生堂で「萩原英雄(油彩)」個展開催
1956(昭和31)年 43歳 銀座養清堂画廊で「萩原英雄版画」個展開催、
              日本版画協会、第24回展出品、
              以後、第43回展を除き出品を重ねる
1960(昭和35)年 47歳 第2回東京国際版画ビエンナーレで神奈川県立近代美術館賞受賞
1962(昭和37)年 49歳 第7回ルガノ国際版画ビエンナーレでグランプリ受賞
1963(昭和38)年 50歳 第5回リュブリアナ国際版画ビエンナーレで
               ユーゴスラビア科学芸術アカデミー賞受賞
1966(昭和41)年 53歳 第5回東京国際版画ビエンナーレで文部大臣賞受賞
1967(昭和42)年 54歳 第1回チェコスロバキア国際木版画ビエンナーレでグランプリ受賞
2007(平成19)年      11月東京で歿、享年94歳

「生誕100年 萩原英雄展」
山梨県に生まれた萩原英雄(1913‐2007)は東京美術学校で油彩画を学び、油彩画家として出発しました。しかし1953年に体調を崩して療養生活を送る中で、初めて木版画で年賀状を手がけたことをきっかけに木版画制作に没頭し、ついには内外の主要国際版画展で受賞を重ねて世界的に高く評価され、戦後日本の版画界を代表する作家のひとりとして知られるようになりました。しかし、その表現方法は木版画にとどまらず、油彩、コラージュ、墨彩、ガラス絵など多岐にわたっています。各技法の研究を重ね、知り尽くした結果、求める表現に最も適した方法で制作された作品の数々からは、既存の枠に囚われることのない芸術家・萩原英雄の姿が浮かび上がります。「儲けにも何にもならない。それでも、天から与えられた、自分がそのために生まれてきた仕事」のような純粋な美を自分自身の体の中に吸収し、美を作り出すという行為を日常的に継続し、2007年に94歳で没するまで精力的に制作を続けました。武蔵野市には現在、木版画を中心に約595点にのぼる萩原英雄作品が収蔵されており、常設の記念室で随時ご紹介しています。生誕100年を機に開催される本展は、ご遺族ならびに関係各位のご協力のもと、木版画にとどまらず多角的に萩原英雄作品を紹介し、その幅広い画業を辿るものです。豊かな色彩表現、ユーモラスなかたち、自在に操られた線など、幅広い萩原芸術の魅力をあらためてご覧いただけることでしょう。

「武蔵野市吉祥寺美術館」ホームページ

hagi1 「生誕100年 萩原英雄展

 天から与えられた僕の仕事」

図録(小冊子)
会場:武蔵野市立吉祥寺美術館

    企画展示室

会期:2014年1月11日(土)~2月23日(日)

主催:武蔵野市立吉祥寺美術館


編集/発行:武蔵野市立吉祥寺美術館

発行日:2014年1月11日




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ギャラリーくぼた別館で「すばる展 第4回」を観た!

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ギャラリーくぼた別館で「すばる展 第4回」を観てきました。去年は案内をいただいたのですが、用事があって観に行けませんでした。発足当初は5人のメンバーでしたが、今年はなんと7人に増えていました。画家が何人かで1軒のギャラリーを借りて、協同で個展を開催するという試みです。前にも書きましたが、ギャラリーくぼた別館は、スキップフロアーになっているので、全館、なんとなくつながっているようで、なんとなくセパレートされているという、不思議な空間です。従って「すばる展」のような展覧会には、ちょうどいい展覧会場ということになります。


毎年案内をくれるのは関根恵一さん、古くからの友人です。奥さんもイラストレーターで、活躍しています。元々奥さんを通じて知り合った人です。二人は「ヤマセミ」「カワセミ」という名で、ホームページを開いていたりもします。そうそう、仲間と一緒に木場公園でバーベキューをやったり、紙飛行機を飛ばしたこともありました。銀座の教会のギャラリーで、お母様と「3人展」を開催したこともあり、5月にまた「3人展」を開くようです。


ギャラリーに入るとすぐに目に入るのが、山名和法の男っぽい迫力のある絵です。好きですね、こんな絵が、僕は・・・。片桐とみかの作品も凹凸を付けたもので、「接点―SYMPHONY―」は162×450cmの大きな作品でした。関根恵一の作品は、関根の人柄がよく出ている、穏やかで温厚な作品です。山崎仁の絵は、なんとブルールシートに絵の具を載せてそれを写し取ったものだという。この手法には驚きました。山崎は、今回特別に、ベルリンに住む6歳の女の子が描いた絵を展示しています。自分の気持ちにも通じるところがあると、山崎は言います。


山名和法

広島県呉市安浦町内海出身

1978~1985年 広島県美展出品

1987~2000年 現代童画会出品

1989年      現代童画会新人賞

1991年      現代童画会会友努力賞

1992年      現代童画会会友奨励賞

1996年      現代童画会会友努力賞

2004~2013年  東京展出品

2007年      東京展優秀賞

現在        東京展美術協会運営委員

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財前みつこ

栃木県塩谷郡高根沢町出身

玉川大学文学部芸術学科卒

2004年~ 東京店出品

2011年   東京展優秀賞

2012年~ 東京店美術協会運営委員

「へのへのもへじ」にはいろんな顔があります。

いろんか顔を見ていると世界中のあっちこっちで

最初に文字を考えた人達を想います。

最初に米という草の実を剝いて茹でて食べたのは誰?

小麦を剝いて粉にしようとしたのは誰?

そして名前を持って、ご飯を食べるアタシが居るのね。

全ての先人に感謝です。

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関根恵一

1959年  宮城県石巻市に生まれる

1983年  ヨコハマ風景美術祭横浜商工会議所会頭賞

1990年  KFSアートコンテスト旭通信社賞

1996年  KFSアートコンテストToo賞

2000年~ 関根恵一・恵子二人展

2005年~ 東京展出品

2008年  東京展奨励賞

2009年  東京展優秀賞

現在    東京展美術協会運営委員

散歩しながら見つけた、

光や風や空気など感じたものを描いています。

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片桐とみか

1967年  埼玉県川口市出身

1988年  女子美術大学短期大学部造形学科卒業

2002年  川口市展覧会入選(同年、議長賞)

2003年  サロン・デ・ボザール入選

2005年~ 東京展出品

2009年  東京展奨励賞

2011年  WORK3000展大賞

       個展「浮遊」(銀座 青樺画廊)

2012年  ガレリア・レイノ大賞展入選

       フランス サロン・ドートンヌ入選

2013年  東京展優秀賞

現在    東京展美術協会運営委員

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間宮千広

1960年  東京都杉並区出身

1983年  武蔵野美術大学油絵科卒

2005~2008年 日本アンデパンダン展出品

2005年~現在 東京展出品

           (08年奨励賞、12年優秀賞)

2006年   素描展(スペースさとみの)

2010年  個展(KEY Gallery & 青樺画廊)

他      グループ展

現在     東京展美術協会会員

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石田広夫

和歌山県出身

1991~1998年 関西新制作展出品

           第47回新作家賞受賞

1991~1993年 西宮市展洋画・写真部門出品

           第43回洋画部門奨励賞受賞・写真部門佳作賞受賞

           第44回写真部門西宮市大谷記念美術館賞受賞

1995~1997年 新制作展出品

           [以上、石田博隆の名で出品]

2006年~     東京展出品

           第35回東京展優秀賞受賞

現在        東京展美術協会運営委員

デカダンの美を追求して、制作しております。

生や死という感覚的対象を記号化し、

精神的事象を現出させる力を、物的対象に変化させて

表現しております。

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山崎仁

1961年  長崎県諫早市出身

1983年   日本大学理工学部建築学科卒業

1987年   文化学院夜間美術科中退

1986~1999年 自由美術展出品(東京 上野)

1999年   自由美術展佳作賞

1988年~現在 東京展出品(東京 上野)

2005年   東京展優秀賞

2013年   東京展賞

現在      東京展美術協会運営委員

やみくもに描いた時に現れる奇跡。

目的など持つこともなく、

己から遠く離れられたときに、なにかが見える。

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特別出品
NINA(ニーナ)

ドイツ、ベルリンに住む6歳の女の子が描いた絵。

思いのままに描くこと。

山崎仁は、自分の気持ちに通じると、今回展示した。

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TOTOギャラリー・間で「内藤廣展 アタマの現場」を観た!

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TOTOギャラリー・間で「内藤廣展 アタマの現場」を観てきました。1995年に「素形の構図 還元する場のかたち」と題して開催された展覧会に続いてギャラリー間での2度目の展覧会です。今回は、ギャラリー・間の展覧会場を、自身の設計事務所風にしつらえた空間として、展示会場としています。内藤廣の作品は、最初期の渋谷区松濤の「ギャラリーTOM」から観ています。過去、このブログに書いた内藤廣関連の記事を、下に載せておきます。


新国立競技場、審査委員の内藤廣の発言!
茨城県天心記念五浦美術館:建築編
茨城県天心記念五浦美術館」を観る!
「安曇野ちひろ美術館」を観た!
久しぶりに「ギャラリーTOM」を訪ねる!
視覚障害者のための美術館「ギャラリーTOM」


内藤廣は今回の展覧会に際し、以下のように述べています。


この約10年間、ひたすら走り続けてきた。わたしの頭は、身の周りで拡大していく領域に追いつくのがやっとで、いまだに整理整頓がついていない。それはひとつの混乱状態ともいえるもので、山積みになった本と処理し切れない書類の束と懸案事項の図面とに囲まれたわたしの仕事場さながらである。展覧会では、ひとりの建築家として、混乱しつつ拡大してきた領域を背景に、それでも思考の基点としていつも建築に立ち戻ることで自分自身を保持してきた、わたし自身の「アタマの現場」をお見せするものになると思う。わたしは凡庸な人間だ。振り返ってみれば、幾つかの幸運に恵まれたことは確かだが、特別な才能があるわけではない。だから、わたしにできることは、誰にでもできることだと信じている。展覧会を見て、もし共感してもらえるところがあるのなら、それはあなたにもできることだ。わたしの「アタマの現場」と同様、世の中の混迷は続いている。ひょっとしたらこれは、「終わりのない物語」の始まりなのかもしれない。これからは、すっきりとした結論などどこにもない、ということに耐えねばならない。一方で、その耐えることの中で、この国の建築の文化は、ようやく成熟する時を迎えるのではないかとも思っている。ひょっとしたら、求められているのは、そしてわれわれがたどり着く先は、「偉大なる凡庸さ」のようなものかもしれない。


3階 第1会場





4階 第2会場



模型写真



内藤 廣:
1950年生まれ。1976年早稲田大学大学院修士課程修了。フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所(スペイン・マドリッド)、菊竹清訓建築設計事務所を経て、1981年内藤廣建築設計事務所を設立。2001~2011年東京大学大学院にて、教授・副学長を歴任。2011年より同大学名誉教授・総長室顧問。主な建築作品に、「海の博物館」(三重県、1992年)、「安曇野ちひろ美術館」(長野県、1997年)、「牧野富太郎記念館」(高知県、1999年)、「倫理研究所富士高原研修所」(静岡県、2001年)、「島根県芸術文化センター」(島根県、2005年)、「日向市駅」(宮崎県、2008年)、「高知駅」(高知県、2009年)、「虎屋京都店」(京都府、2009年)、「旭川駅」(北海道、2011年)など。また近著には、『内藤 廣と若者たち 人生をめぐる一八の対話』(東京大学景観研究室編、鹿島出版会)、『内藤廣の頭と手』(彰国社)、『内藤 廣の建築 1992-2004 素形から素景へ1』(TOTO出版)、『内藤 廣+石元泰博 空間との対話』(ADP)、『形態デザイン講義』(王国社)などがある。


「内藤廣展 アタマの現場」

TOTOギャラリー・間において2度目となる建築家、内藤廣氏の個展を開催いたします。
1995年に「素形の構図 還元する場のかたち」(6.9~7.22)と題して開催された最初の個展では、「誰しもの心の奥底にある建築の原形質のようなもの」という概念に“素形”という名前を与え、自身の作品を語った。それから18年、内藤氏によって生み出された“素形”の概念は、さらに新たな意味と言葉が加わり、鮮明さを増している。「空間の価値」を常に探求してきた氏曰く、「建築はそこに生きる人の生命が宿る場所であり、人々が過ごした時間や空間の記憶が張り付くことによって、建築自体が命を得ているのである」と。そして個人の暮らしの夢である“素形”から、共同体の夢である風景、すなわち“素景”こそが、3.11を経た現代において実現されるべきものであると語る。展覧会場では、数々の作品を生み出してきた内藤廣建築設計事務所の一部を再現するとともに、初期の代表作から現在進行中のプロジェクト、更にはプロジェクトに終わった作品を通して思考の過程を紹介します。ひとりの建築家がひたすら走り続けてきた 「アタマの現場」を、その思考のなかから発せられた語録「言葉のかけら」とともに堪能ください。


「TOTOギャラリー・間」ホームページ

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中島京子原作、山田洋次監督の「小さいおうち」を観た!

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山田洋次監督の「小さいおうち」を観てきました。第64回ベルリン国際映画祭で、黒木華さんが最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞されたので、まずは“おめでとう”を言っておきます。が、しかし、最優秀女優賞とは、驚きました。松たか子が最優秀女優賞で、黒木華が最優秀助演女優賞ではと、一瞬、耳を疑いました。でも、この映画「小さいおうち」は、東京の郊外の丘の上に建つ赤い屋根の家に、女中として山形から奉公に来たタキが主人公なのでした。


原作はこの作品で2010年に第143回直木賞を受賞した中島京子の「小さいおうち」です。僕は、過去にこのブログに書いたので読んでみたら、なぜか途中までしか書いてありませんでした。バージニア・リー・バートンの「ちいさいおうち」(石井桃子訳、岩波書店:1965年12月発行)、山田洋次監督の前作「東京家族」にもさりげなく出てきていましたが、今回もしっかりこの絵本は使われていましたね。


小説では、松たか子演じる平井時子はなぜか二度目の結婚、タキも平井家へ来たのは三度目の奉公先でした。タキは二度目の奉公先から、時子と共に平井家へ来た、つまり、時子は女中付きで平井家に嫁いできた、というわけです。映画ではこのあたりは詳しくは描いていませんが・・・。平井家の旦那様は玩具会社の役員、奥様は目のぱっちりした、そりゃもう美しい人妻で、タキは「わたしは初めて、本物の都会のお嬢様を見た思いがした」と語っています。そして一人息子のお坊ちゃまがいます。典型的な中産階級の家で、もちろん“女中部屋”もあって、タキの居場所が狭いながらちゃんとあります。


物語の時代背景は、昭和10年代から終戦直後と、もう一つ、平成12年から21年頃、つまりは現代ですね。その二つの時代が交差しながら描かれています。若い頃の女中タキを演じるのが黒木華、もう一方は老年になったタキが大学ノートに自叙伝を書くという設定で、演じるのは倍賞千恵子です。倍賞から話を聞き出すのは、タキの甥である青年、妻夫木聡です。若い女中タキが見たある恋愛事件の秘密、それは奥様(松たか子)が、旦那様の会社の若い青年、板倉(吉岡秀隆)に次第に惹かれていきます。吉岡が出てくると、なぜか昭和レトロになります。そして板倉との密会です。奥様の帯の模様が、家を出たときと帰ってきたときに違っていたことを、タキはめざとく見つけます。その鍵を握るのは、一通の宛名のない未開封の60年前の手紙にありました。と、まあ、昭和と平成を往き来しながら、物語はミステリアスに描かれていきます。


甥の僕はやっと訪ね当てたお坊ちゃま、平井恭一氏に、車椅子姿の年老いた恭一役は米倉斉加年、「ご遺族がいいと言ってるんだ。かまわないだろう。読みましょう」と言われて開封します。宛名のない未開封の60年前の手紙には、「明日、昼の一時にお訪ねくださいませ。どうしても、お会いしたくおもいます。必ずお訪ねくださいませ。板倉正治様 平井時子」とありました。僕は思う。最晩年の大伯母の後悔の理由が、この手紙にあるかどうか。「はっきりしているのは、入営直前の板倉正治を訪ねていこうとした平井時子をなだめて、大伯母自身が書くように促した手紙を、彼女は板倉正治に渡さなかったということだ。それは白い美しい和紙の封筒に入れられたまま、66年間、眠り続けた」。理由はどうであれ、タキは奥様の手紙を板倉に渡さなかったのでした。


山田監督のねらいは、二つの時代が同じような方向へと向かっている、ということです。昭和の時代を彩るのが「昭和モダン」です。西洋文化と日本文化が交じり合って生まれた独特の世界観です。舞台である赤い屋根の家は、当時の流行が事細かに再現されたものです。懐かしさとモダンさを兼ね備えた美しさは、今見ると新鮮に映ります。そんな華やかで平和な日々の背後には、戦争へと向かっていく軍国主義の影も迫っていました、現代と非常に似ている危険な時代である、と山田監督はいいます。この時代に生きた人びとの心の動き、葛藤を見つめることで、今の日本が果たしてどこへ向かっていくのか、先行きの見えない時代を生きる私たちの進むべき道筋が見えてくるかもしれない、とも山田監督はいいます。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:第143回直木賞を受賞した中島京子の小説を、名匠・山田洋次が実写化したラブストーリー。とある屋敷でお手伝いさんだった親類が残した大学ノートを手にした青年が、そこにつづられていた恋愛模様とその裏に秘められた意外な真実を知る姿をハートウオーミングかつノスタルジックに描き出す。松たか子、黒木華、吉岡秀隆、妻夫木聡、倍賞千恵子ら、実力派やベテランが結集。昭和モダンの建築様式を徹底再現した、舞台となる「小さいおうち」のセットにも目を見張る。

ストーリー:健史(妻夫木聡)の親類であった、タキ(倍賞千恵子)が残した大学ノート。それは晩年の彼女がつづっていた自叙伝であった。昭和11年、田舎から出てきた若き日のタキ(黒木華)は、東京の外れに赤い三角屋根の小さくてモダンな屋敷を構える平井家のお手伝いさんとして働く。そこには、主人である雅樹(片岡孝太郎)と美しい年下の妻・時子(松たか子)、二人の間に生まれた男の子が暮らしていた。穏やかな彼らの生活を見つめていたタキだが、板倉(吉岡秀隆)という青年に時子の心が揺れていることに気付く。


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「小さいおうち」公式サイト


outi1 「小さいおうち」
2010年5月30日第1刷発行
著者:中島京子

発行所:株式会社文藝春秋








outi2 「ちいさいおうち」

発行日:1965年12月

作・絵:バージニア・リー・バートン
訳:石井桃子
発行所:岩波書店







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損保ジャパン東郷青児美術館で「FACE展2014 損保ジャパン美術賞展」を観た!

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損保ジャパン東郷青児美術館で「FACE展2014 損保ジャパン美術賞展」を観てきました。「web内覧会」の案内がきたので応募したら、運良く招待されました。


「FACE展」は「Frontiar Artists Contest Exhibition」の略で、親しみやすい名称として「FACE」としたそうです。完全公募制で、老若男女14歳から90歳まで、応募者の平均年齢は40歳、作品は年齢を感じさせない作品ばかりでした。69点が入選、そのうち9点が受賞しました。受賞作品はたまたま人物を描いたものが多い。9点中7点が人物で、風景画2点でした。技法は問わず、版画、油彩画、水彩画、アクリルペイント、墨画、鉛筆画、等々、様々でした。


「web内覧会」の概要は、以下の通りです。

損保ジャパン東郷青児美術館
「FACE展2014 損保ジャパン美術賞展」web内覧会概要 

日時:2014年2月21日(金)
      受付 18:30~
      web内覧会     18:45~20:00
      ギャラリートーク  19:00~19:30

会場:損保ジャパン東郷青児美術館
   (東京都新宿区西新宿1-26-1 損保ジャパン本社ビル42階)

展覧会の概要:

http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/index.html


ギャラリートーク

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受賞作品:
グランプリ


優秀賞


読売新聞社賞

審査員特別賞

入選作品(一部):順不同

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「FACE展2014 損保ジャパン美術賞展」

損保ジャパン美術財団の公益財団法人への移行を機に創設した本展は、財団設立以来35年に及ぶ作家支援活動の理念を継承した、公募コンクール形式の展覧会です。不確かな社会情勢の中、創作活動には困難を伴いますが、今回の応募作品には、時代の感覚を捉えた、きらりと輝くものが数多くありました。油彩、アクリル、岩絵具、版画、染色、コラージュ、写真など技法やモチーフは多岐にわたりますが、見る者の心に潤いと感動をもたらしてくれることは共通しています。会期中、観覧者投票による「オーディエンス賞」の選出を行います。グランプリ受賞作品は当館で所蔵し、次回の本展開催時にも展示します。また、本展にてグランプリ、優秀賞を受賞された4名の作家には、2年後に開催予定の12名グループ展に出品していただきます。
入選・受賞作品は、審査員会の厳正・公正な審査により、高い芸術性が認められたものです。


「損保ジャパン東郷青児美術館」ホームページ


注:会場内の画像は主催者の許可を得て撮影したものです。


son3 「FACE展2014 損保ジャパン美術賞展」

図録

企画・編集:損保ジャパン東郷青児美術館(五十嵐卓)
発行:公益財団法人損保ジャパン美術財団









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上野・土古里で「カルビクッパ定食」を食べる!

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上野へ行っても、なかなか美味しい食事に巡りあえません。

高いものを食べれば美味しい確率は高いのですが、

そうはいってもお昼から豪華にというわけにはいきません。


行くところがない時に、僕がよく行くのは「土古里バンブーガーデン店」です。

この通り抜けのビルができた時から行っています。


いわゆる韓国料理のお店で、「焼き肉セット」「鍋定食」「石焼きご飯」「麺」等々、

メニューはたくさんあるので、その時のお好みで選べます。


僕は麺類はほとんど食べないので、よく食べるのは「カルビクッパ定食」です。

土古里のは、真っ赤なスープなので、ちょっと辛いです。

石焼きビビンバは、最近はなぜか食べなくなりました。




「土古里バンブーガーデン店」ホームページ



目黒・Villa Le Mais(平田重雄自邸)を見学した!

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住宅遺産トラスト 」より、「VILLA LE MAIS」見学会の案内がきたので、観に行ってきました。見学した日は雪が降った次の日、2月16日のことでした。実は前日も見学会があったのですが、雪が降ったので中止になり、16日、17日に振り替えてて見学会を行うというメールが事務局より届きました。僕は16日の11時に予約してあったのですが、混雑が予想されるため、14時からだったらゆっくり見学できるとあったので、14時に見学してきました。


「VILLA LE MAIS」は、平田重雄が設計した自邸です。といっても、平田重雄とはどういう人なのか、ご存じの方は少ないように思います。1931(昭和6)年、コーネル大学出身の松田軍平が、赤坂丹後町の自宅にて松田事務所を開設します。手持ちの仕事は三井高修別邸と、石橋徳次郎邸という二つの邸宅設計でした。同じくコーネル大学を出たばかりの平田重雄が入所します。他に2名を加えてわずか4名の設計事務所でした。鈴木博之が書いているように、まさに「邸宅建築からの出発」でした。


一般に松田平田というと、大規模設計組織と称されます。現在では所員数400名を超える組織に成長しています。代表作は、松田軍平がニューヨークのトローブリッジ・アンド・リビングストン建築設計事務所で設計し、日本で工事監理を行った「三井本館」があります。他には「ブリヂストン本社ビル」であるとか「日本銀行本店」などがあげられます。実際には松田軍平が対外的な仕事と大きな設計の方針を出し、平田重雄がデザイン的な方向性を出すなど、設計事務所の仕事を分担していた、と言われています。


「VILLA LE MAIS(平田重雄自邸)」見学会 ご案内
‘VILLA LE MAIS’(トウモロコシ荘)と名付けられた住宅は、目黒の高台に建つ平田重雄が晩年を過ごした自邸です。松田平田設計でスケールのある建築を多く手がけた平田ですが、この自邸では、建築家の内なるアメリカとモダニズムが表現され、その外観からは、昭和11年に設計された「旧石橋正二郎邸(現アメリカ公使邸)」の姿も偲ばれます。会場では、竣工当時の写真資料や石膏模型などもご覧いただけます。この度、初めて公開し、見学会を実施することで、このモダニズム住宅を引き継いでくださる方をさがします。

平田重雄自邸(目黒区三田):平田重雄設計

昭和42年(1967年)竣工。鉄筋コンクリート4階建







「VILLA LE MAIS(平田重雄自邸)」

各階平面図



平田重雄:略歴(資料提供:平田徹雄)
1931年6月       北米合衆国コーネル大学建築学科卒業
1931年7月       帰朝後同年9月松田軍平と松田建築事務所を開設
1942年9月       所名を松田平田設計事務所に改称
1941年4月~43年3月日本建築士会理事
1942年9月       日本大学建築科講師
1946年5月~47年8月戦災復興院復興特別建設局嘱託
1950年2月       株式会社松田平田設計事務所代表取締役に就任
1950年3月~50年5月戦後の建築視察のため北米合衆国に出張
1966年8月       株式会社松田平田坂本設計事務所代表取締役に就任
1988年          逝去



平田重雄:住宅作品

久留米・石橋徳次郎邸(現石橋迎賓館)1933年
下田・三井高修別邸(現須崎御用邸)1934年
広尾・平田重雄自邸(現存せず)1935年
麻布永坂・石橋正二郎邸(現アメリカ公使公邸)1936年
元麻布・田島繁次郎邸(現南アフリカ大使公邸)1937年
箱根仙石原・平田重雄別邸(庭師・齋藤勝男)1934年~1988年
目黒・Villa Le Mais(平田重雄自邸)1967年






鈴木博之「邸宅建築からの出発」(『松田平田設計:草創と継承』より)
・松田軍平が「建築事務所を開設したのは1931年(昭和6)9月のことであった。・・・三井高修別邸(下田)と石橋徳次郎邸(久留米)の設計を依頼されたことが直接の契機であったという。「一週間経つか経たぬ或る日のこと、痩せ形でスマートな青年が訪ねてきた。私の卒業したコーネル大学の後輩で前に一度会ったと記憶する。『日本の既成の規則だった事務所で働くのは窮屈だから、無給でいいから、私の事務所(未だ形ができていない)で働いてみたい』との申し入れがあった。・・・」・・・平田重雄であった。
・翌日、製図台の上に久留米の石橋徳次郎邸の平面図が載っていて、「君、このプランにスパニッシュスタイルのエレベーションをスケッチしてごらん」といわれました。」(平田重雄による弔辞の中の言葉)
・この石橋邸と下田の 三井別邸は、ともに現存し、スパニッシュスタイルと呼ばれる、瀟洒な様式によるものである。スパニッシュ様式とは、文字どおりにはスペイン風の建築様式であるが、サンタフェ・スタイルという言葉がある通り、これはアメリカ経由のスペイン様式と考えたほうがよい。因みにサンタフェは現在のニューメキシコ州の都市であり、かつてスペインが北米大陸に植民地を形成していた時代の首都であった。ここは、植民地を形成した1610年から、米西戦争の勝利によってアメリカがスペイン植民地を奪取する1848年まで、スペイン文化圏であった。
・「日本に帰ってまさかスパニッシュスタイルをやらされるとは思わなかった(笑声)。だから、はじめてスパニッシュとか、ああいうスタイル、伝統的なものを勉強したのは事務所の仕事をやり出してからだったですね。アメリカから参考書を取り寄せて一生懸命首っ引きで原寸を画いたことを覚えています。大体僕としてはそういうものにあまり興味をもたなかったんですね。しかしアメリカの当時の様式として実際に建てられているのはああいう建物ばかりだったんですよ。」(平田重雄回想録)
・「アメリカの大学でわれわれが上級生になったころから、非常にいわゆるモダンになってきた傾向があって、移り変わりのはげしい時代だったんですね。」平田重雄回想録)
・石橋徳次郎邸とほとんど時を同じくして、自ら設計した自邸(広尾・平田重雄自邸)において、スパニッシュ様式を試みている。・・・瞬く間に習熟し、自家薬籠中のものとしたのである。
・1937(昭和12)年 に松田建築事務所が竣工させた田島繁次郎邸もまた、スパニッシュ様式の邸宅である。・・・ゆるい勾配の屋根をスレート葺きとし、軒の出の少ない全館でまとめられている。外壁はタイル貼り、隅の部分を強調したデザインになっているが、外観構成は、平田邸(広尾)に似通うものがある。
・1935年の麻布永坂・石橋正二郎邸(現アメリカ公使邸)では、それまでのスパニッシュ様式に替わってアールデコのスタイルを帯びた鉄筋コンクリート造のモダンな様式が採用される。
・この時期の事務所の雰囲気を、前述の小坂秀雄はこう述べる。「当時の事務所のデザインは松田先生と平田先生が直接多くやっておられたが、平田先生のスケッチが一作毎にモダーンになってゆくのを見て吾々若い所員は非常に勇気付けられることができた。」
・1981(昭和56)年12月の『新建築臨時増刊 日本の建築家』は、建築家の経歴と、現存する建築家に対するアンケート・・・そのなかの「主な作品」という項目に対して、彼はこう答える。「平田別荘(箱根仙石原・平田重雄別邸)の建築・家具・造園計画。1934年造園家齋藤勝雄と共にはじめ、1936年第一次計画竣工以来50年にわたり現在も増改築中。」・・・ここにも邸宅建築から出発した建築家の心意気と初心が横溢していると見るべきであろう。戦後の大組織設計事務所を創出したふたり(松田平田)は、自己の出発点であった 邸宅建築への思いを失うことがなかったのである。そこに彼らのバックボーンがあった。
*出典「松田平田設計:草創と継承」2001年松田平田設計
小坂秀雄:1935年に東京帝国大学を卒業して松田平田設計事務所に入所。戦後は郵政省の建築設計の中心となる。


sousou 「草創と継承 松田平田設計」

発行:2001年9月10日

企画:株式会社松田平田設計

    〒107-8448

    東京都港区元赤坂1-5-17

    TEL03-3403-6161

編集:馬場璋造、石堂威

撮影:小林浩志






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森アーツセンターギャラリーで「ラファエル前派展」を観た!

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森アーツセンターギャラリーで「テート美術館の至宝 ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢」を観てきました。観に行ったのは2月2日の日曜日でした。


ラファエル前派またはミレイ関連の展覧会は、過去に2回観ていました。他に三菱一号館美術館でバーン=ジョーンズ関連も観ていました。

目黒区美術館で「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」展を観た!

Bunkamuraザ・ミュージアムで「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」を観た!

三菱一号館美術館で「バーン=ジョーンズ展―装飾と象徴」を観た!


特にザ・ミュージアムの「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」の出品は同じテート美術館でしたので、今回の展覧会と重なり合う部分が多く、以下の4点、同じ作品が出品されていました。

 ・両親の家のキリスト(大工の仕事場)

 ・マリアナ

 ・1746年の放免令

 ・安息の谷間「疲れし者の安らぎの場」


テート美術館は、上にあげたBunkamuraザ・ミュージアムの「ミレイ展」(2008年)、東京都美術館の「ターナー展」(2013-14年)、そして今回という、3回目の朝日新聞社との共催です。今回の展覧会は、ミレイの「オフィーリア」やロセッティの「ベアタ・ベアトリクス」などの傑作を含むテート美術館所蔵の名画を通し、1848年のラファエロル前派兄弟団の結成時から、象徴主義的な作品に彩られるバーン=ジョーンズの晩年にいたるまで脈々と流れる、ラファエル前派の急進性に光が当てられています。挑発的な様式と主題をもって同時代の社会的、政治的な動乱に向き合うラファエル前派芸術を紹介します。


ラファエル前派兄弟団は1848年、ロンドンのロイヤル・アカデミー美術学校で学ぶ3人の学生、ジョン・エヴァレット・ミレイ、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウイリアム・ホルマン・ハントを中心とする7人の若者によって結成されました。彼らは、盛期ルネサンスの巨匠ラファエロを規範に据えていた当時の保守的なアカデミズムを憂い、ラファエロ以前の初期ルネサンス絵画に理想を見出します。自然を注意深く観察してありのままの姿を忠実に描き、より自由な表現を追求しました。彼らの前衛的、すなわち「アヴァンギャルド」な作品は社会から猛反発を受け、英国画壇にスキャンダルを巻き起こします。


しかし、美術評論家ジョン・ラスキンの擁護もあり、次第に彼らの活動は認められていきました。またロセッティのもとにエドワード・バーン=ジョーンズやウィリアム・モリスら第二世代が集い、唯美主義やアーツ・アンド・クラフツ運動にもつながる英国近代美術の発展に大きく貢献しました。今回の展覧会では、テート美術館の至宝ともいえる名画72点により、グループ結成から1890年代までのラファエル前派の歩みを紹介し、その活動の意義と全容に迫ります。


過去のミレイ関連の記事を読み直してみると、苦肉の策ですが「オフィーリア」について、夏目漱石の「草枕」を引き合いに出して書いていたり、映画「めぐりあう時間たち」の冒頭は、ヴァージニア・ウルフの衝撃的な入水シーンを引き合いに出したりもしています。今回はミレイだけでなく、ロセッティ作の名画19点も一挙公開、まさに「美女の競演」といえます。しかも、彼らの相関関係が凄い。ラファエル前派は、ミレイにロセッティ、ハントの3人はモデルと関係し、ロセッティとモリスがジェインを加えて奇妙な三角関係になり、それにバーン=ジョーンズが加わり、わけが分かりません。図録にも「人物相関図」が載っていました。 まあ、これを見れば一目瞭然か?


展覧会の構成は、以下の通りです。


1.歴史

2.宗教

3.風景

4.近代生活

5.詩的な絵画

6.美

7.象徴主義



1.歴史



2.宗教



3.風景


4.近代生活


5.詩的な絵画



6.美



7.象徴主義


「ラファエル前派」とは?
1848年ロンドンー前衛芸術運動を起こし、英国の美術史に大きな影響を与えた芸術家グループが7人の若者によって結成されました。正式名称は「ラファエル前派兄弟団(Pre-Raphaelite Brotherhood)、略してPRB。中心となったのはロイヤル・アカデミーで学ぶ3人の学生、ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-96)、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-82)、ウィリアム・ホルマン・ハント(1827-1910)でした。彼らは盛期ルネサンスの巨匠ラファエロを規範としてその形式だけを踏襲する当時のアカデミズムに反発し、ラファエロ以前の率直で誠実な初期ルネサンス絵画を理想としてこのグループ名を付けました。彼らの作品は、具体的にはどういった絵画だったのでしょうかー彼らは自然をありのままに見つめ、その姿を正確に写しだそうとして、戸外での制作を試みたり、くっきりした明るい色彩を使用し細部を描き込んだりして、リアリズムに徹した画面を作り上げたのです。当初、そのような姿勢や絵画は社会から猛反発を受け、一種のスキャンダルになりましたが、美術評論家ジョン・ラスキンの援護もあり、しだいに受容されていきました。本展では、ラファエル前派を英国の近代美術に新たな道を切り開いたアヴァンギャルド運動としてご紹介します。


「ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢」

英国を代表する絵画の殿堂、テート美術館が所蔵する名品72点を通し、ラファエル前派を紹介する展覧会を開催します。1848年、ロンドン。ジョン・エヴァレット・ミレイ、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハントを中心とする若い作家たちは、ラファエロを規範とする保守的なアカデミズムに反旗を翻し、それ以前の初期ルネサンス美術に立ち返るべく「ラファエル前派兄弟団」を結成しました。古典的な形式や慣例にとらわれない彼らの芸術運動は、英国のアート界にスキャンダルを巻き起こしました。本展は、グループの結成から1890年代までのラファエル前派の歩みを歴史、宗教、近代生活、風景、詩的な絵画、美、象徴主義の7つのテーマに分けて紹介します。ロンドン、ワシントン、モスクワ、と各地で話題を集めた展覧会がいよいよ東京に巡回します。どうぞご期待ください。


「森アーツセンターギャラリー」ホームページ


raph21 テート美術館の至宝

「ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢」
監修:荒川裕子(法政大学キャリアデザイン学部教授)

編集:朝日新聞社

発行:朝日新聞社







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ブリヂストン美術館で「画家の目、彫刻家の手」を観た!

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ブリヂストン美術館で「ブリヂストン美術館コレクション展 画家の目、彫刻家の手」を観てきました。考えてみると、ブリヂストン美術館の数多くの展覧会で、「彫刻」を取り上げたのは今回が初めて?ではないでしょうか。いつも2階のエントランス、彫刻ギャラリーには彫刻がたくさん展示してあるし、古代美術の部屋ではもちろん彫刻がメインに、おごそかに展示してあります。それでもなぜか、彫刻がメインに取り上げられることがなかったのは、なぜなんでしょう?早い話が絵画にいいものが数多くあるから、というのが答えなのでしょうが、そうは言っても彫刻の名品も数多く、なんとも不思議な話です。



今回の“展覧会の見どころ”は、美術館の解説には以下のようにあります。


ドガの絵画と彫刻
ドガがいつ頃から彫刻をはじめたのかはわかっていません。ドガの死後、彼のアトリエに残された150点もの蝋彫刻が運び出され、そのうち73点が鋳造工エブラールによってブロンズ鋳造されました。これら小さな蝋の彫刻は、ドガにとって、モデルの代わりでもありました。ドガ自身、批評家フランソワ・ティエボー=シッソンに対して、こう言っています。「私の絵画やデッサンをより表現豊かにし、情熱と生命力を与える。これらは絵画制作のための習作であり、資料以外の何ものでもありません。売るためのものなどひとつもないのです」(『ル・タン』紙、1921年5月23日)。


古代彫刻を模写したモロー
19世紀の多くの芸術家にとって古典古代美術は学ぶべき対象でしたが、モローも古代彫刻に関心を持っていました。1867年から二年間留学したイタリアで、彼は、18世紀前半に発見されて発掘が進みつつあったポンペイなど古代都市の発掘品、壁画、モザイク、彫刻などを写しました。ローマのヴィラ・アルバーニにある古代彫刻や、ラオコーン群像の模写も現存しています。また、1862年以降、パリの官立美術学校(エコール・デ・ボザール)内に設置された、フィレンツェやローマの美術館に所蔵される古代彫刻のレプリカも模写の対象でした。旧約聖書の世界をあらわした《化粧》では、優美な女性の身体が表現されています。


ここでは、彫刻に限って、以下に画像を載せておくことにします。


エントランス/階段

彫刻ギャラリー1


彫刻ギャラリー2





第3室 古代美術





第4室 印象派



第5室 印象派とポスト印象派



第8室 マティスとピカソ



第10室 20世紀美術1



「ブリヂストン美術館コレクション展

 画家の目、彫刻家の手」

画家と彫刻家。画家は絵画を描き、彫刻家は彫刻を制作します。1889年、パリのジョルジュ・プティ画廊では『モネ・ロダン展』が開催され、クロード・モネの絵画とオーギュスト・ロダンの彫刻が展示されました。そしてその展覧会を見た批評家オクターヴ・ミルボーは、「彼らは絵画と彫刻というふたつの芸術を今世紀でもっとも見事に、究極的に演じてみせた」と絶賛しました。エドガー・ドガのように、絵画だけではなく、彫刻も重要な表現手段とした芸術家もいました。絵画と彫刻をあわせてご覧いただくことで、それぞれの特徴が際立ってきます。本展では、ブリヂストン美術館の所蔵する絵画と彫刻、合計約160点をご紹介します。ロダンやブールデル、ザツキン、アーキペンコ、ブランクーシなど、当館の彫刻ギャラリーに常設されている作品にもご注目ください。

「ブリヂストン美術館」ホームページ


とんとん・にっき-buri 「Masterpices from the Collection of the Ishibashi Foundation」
2006年4月2日初版発行

2007年2月1日3刷発行

編集:財団法人石橋財団

発行:財団法人石橋財団







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ブリヂストン美術館で「没後100年 青木繁展―よみがえる神話と芸術」を観た!
ブリヂストン美術館で「アンフォルメルとは何か?」を観た!
ブリヂストン美術館で「コレクション展:なぜ、これが傑作なの?」展を観た!
ブリヂストン美術館で「セーヌの流れに沿って」展を観た!
ブリヂストン美術館で「ヘンリー・ムア 生命のかたち」展を観た!

ブリヂストン美術館で「印象派はお好きですか?」展を観た!

ブリヂストン美術館で「美の饗宴―東西の巨匠たち」展を観た!
ブリヂストン美術館で「安井曾太郎の肖像画」展を観た!
ブリヂストン美術館で「Sea うみのいろ うみのかたち」展を観た!
ブリヂストン美術館で「マティスの時代―フランスの野性と洗練」展を観た!
ブリヂストン美術館で「名画と出会う 印象派から抽象絵画まで」を観た!
ブリヂストン美術館で「岡鹿之助展」を観る!
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ブリヂストン美術館で「青木繁と《海の幸》」展を観る!
ブリヂストン美術館で「じっと見る 印象派から現代まで」展を観る!







玄侑宗久の「さすらいの仏教語 暮らしに息づく88話」を読んだ!

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玄侑宗久の「さすらいの仏教語 暮らしに息づく88話」(中公新書:2014年1月25日発行)を読みました。玄侑宗久は2001年、「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞した作家で、「中陰の花」は受賞時に文藝春秋で読んだ記憶があるのですが、内容はほとんど覚えていません。その他の著作は、僧侶ということもあってか、今まで敬遠していて、一冊も読んだことはありませんでした。


先月、毎年今ごろ症状が出て来る花粉症があまりにも酷いので、近所のかかりつけの町医者に行ってきました。小児科もやっているので、待合室はたいへんな混みようでした。長く待つのもなんだと思い、待合室の本棚にあった書名の見馴れた本を手にとって読んでみました。齋藤孝の「声に出して読みたい日本語」という本です。暗誦の大切さを説いている本で、一大ベストセラーになったことは知っていました。僕はベストセラーものは敬遠して読まないし、齋藤孝の本は一冊も読んでいません。しかし待ち時間の間に読んだ「声に出して・・・」は、これがなかなか面白くて、買って読んでみたいとも思ったりもしました。もちろん、買いませんけど・・・。


玄侑宗久の本、小説以外にもかなりの部数を誇る宗教ものが数多く出ています。テレビなどにも出演しているし、住まいは三春桜で知られている福島県三春町なので、東日本大震災にかかわる発言も数多くしているようです。「仏教のこころ」なんて、辛気くさくて読めないなどと初めは思っていましたが、上のこともあり、読んでみるのもいいかなと、思い直しました。読んでみるとなかなか面白く、いわゆる仏教語とは違い、辛気くさいどころか、赤面するような字句もたくさん出てきます。玄侑サンも隅に置けない、くだけたところのあるお方です。


著者の玄侑宗久は「さすらいの仏教語」について、「はじめに」で以下のように述べています。


人は誰しも子どもから成長し、やがて老いる。そこで日本人は、変化に応じて名前を変える習慣をつくった。・・・内実の変化に応じ、いやむしろ変化を促すように、呼び方を変えるのである。内実が変わったのに言葉が変わらないと、言葉そのものの意味が変質していくほかはない。それがこの本の「さすらい」である。・・・多くはインド、中国などを起源とし、日本でもその意味する内容を微妙に変化させつつ生き延びてきた。・・・なんといっても生き物だから、起源から遙かに「さすらい」ながら逞しく生きていくのである。


なかには起源と裏腹な意味に、無節操なほど変化した言葉さえある。・・・ただ、長い歴史的変遷を経たこと場立ちの苦難。・・・若い頃のこともいろいろ知ったうえで、いま年老いた人びとにも向き合いたい。それが「さすらいの仏教語」を書こうと思ったキッカケである。思えばそれは、僧侶にとっては普段の檀家さんとのつきあいそのものではないか。仏教語ばかりを選んだのは、私が僧侶であることよりも、仏教語の寿命があまりにも長く、変遷も幅広いからに他ならない。


いろいろな言葉が出てきますが、たとえばこの本の2番目に出てくる「莫迦」の項は、以下のようにあります。


以前、「全国アホ・バカ分布孝」という本があった。題名に似合わずまじめな言語学の本で、柳田国男さんの「蝸牛孝」を推し進める形で言葉の発生と伝播について論じていた。つまり昔の言葉のほとんどは京都で作られ、それが同心円状に伝播したというのだが、そのサンプルとして貶し言葉の変遷を追っているのである。それによれば、京都周辺で使われている「アホ」などの言葉は新しく、東北や九州まで伝わった「バカ」「ヲコ」などはもっt古いことになる。「ヲコ」は「おこがましい」で、なんとか今に残っている。


「バカ」の語源を中国や、サンスクリットからひもとき、いろんな説を出して検討します。そして最後に以下のように結びます。それでも「バカ」という言葉は「アホ」よりも侮蔑度がつよいので、ご使用に当たっては最新の注意が必要になる。上に「いやん」をつけると途端に柔らかくなるが、それでは締まらない。さても日本語は難しい。


ほかに例えば「ふしだら」。「ふしだら」といえば、主に男女関係に「だらしない」ことだが、この「だらしない」と「ふしだら」、なんだか似ていると思わないだろうか。それもそのはずで、この二つは仏教語にもよく見かける逆さ言葉の関係にある。「不しだら」と書けばわかりやすいだろう。この「しだら」を意味的にも反転させた言葉が「だらし」なのである。


あるいは「ご開帳」。本来これは、大切なご本尊などを実際に拝む機会を設けることだが、どうも近頃はストリップ劇場でもお馴染みのようである。たしかにアレも大切なご本尊なのだろう。しかし大切ならば、そう簡単にご開帳してはいけない。一日何度もご開帳するのでは、有り難さも薄れるというものだ。


あるいは「冥利」。「夕涼みよくぞ男に生まれけり」という句がある。たぶん夕方風呂上がりに浴衣の裾などはだけながら、胡座で団扇などを使っているのだろう。女ではそこまではしたない恰好はできないから、ああ、男に生まれてよかったと、感じ入っているのである。簡単に言えば「男冥利に尽きる」ということである。


等々、例をあげたらきりがない。読んだほうがはやいですよ。

本の帯には「意外な言葉が教えてくれる 仏教のこころ」とあります。


本のカバー裏には、以下のようにあります。
私たちの周りでは仏教由来の言葉が数多く使われている。「阿弥陀クジ」「あまのじゃく」など納得の言葉から、「砂糖」「ゴタゴタ」「微妙」といった意外な言葉、そして「魔羅」「ふしだら」「女郎」なんて言葉まで! 仏教語はどんな「さすらい」の旅を経て、今日の姿へと変貌したのか。はじめは驚き、やがて得心、最後には仏教の教えが心に響く――。禅宗の僧侶にして、芥川賞作家ならではの仏教エッセイ。


玄侑宗久:略歴

1956(昭和31)年、福島県三春町生まれ。慶應義塾大学文学部中国文学科卒業、さまざまな経験をした後、京都・天龍寺専門道場に入門。現在は臨済宗妙心寺派、福聚寺第35世住職。2001年、「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞。著書(小説)、「アブラクサスの祭」(新潮社)、「アミターバ 無量光明」(新潮社)、「御開帳綺譚」(文藝春秋)、「四雁川流景」(文藝春秋)、「リーラ 神の庭の遊戯」(新潮社)、「テルちゃん」(新潮社)、「光の山」(新潮社)など。(その他)、「禅的生活」(ちくま新書)、「現代語訳 般若心経」(ちくま新書)、「無常という力 『方丈記』に学ぶ心の在り方」(新潮社)、「祈りの作法」(新潮社)、「日本人の心のかたち」(角川SSC新書)など。




2014年度「大人の休日倶楽部パス」のスケジュール!

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2014年度「大人の休日倶楽部パス」のスケジュールが発表されました。


JR東日本エリアはもちろん、北海道や金沢・福井まで、広いフリーエリアで乗り降り自由のおトクなきっぷ「大人の休日倶楽部パス」を今年も発売します。2014年度も初夏、秋、冬と年3回設定しました。長野新幹線「あさま」の新型車両E7系もご利用いただけます。ローカル線でじっくりその沿線を味わう旅もよし、新幹線に乗ってさまざまな土地を楽しむ旅もよし。季節に思いを巡らせながら、一年の旅の計画を立てませんか。


「大人の休日倶楽部パス」

フリーエリア内の新幹線・特急・急行・普通列車(快速含む)の普通車自由席およびBRTが乗り降り自由です。あらかじめ座席の指定を受ければ、普通車指定席が6回までご利用いただけます。


詳しくは、「大人の休日倶楽部」 ホームページを。

川上弘美原作の「ニシノユキヒコの恋と冒険」を観た!

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川上弘美の「ニシノユキヒコの恋と冒険」は、読み終わったのは2004年10月頃、ブログに書いたのが2005年1月、9年前、なんと前のブログ「三太・ケンチク・日記」に書いていました。いやはや・・・川上弘美の著作は、芥川賞受賞作の「蛇を踏む」や「溺れる」、そして大ヒットした「センセイの鞄」以来、「真鶴」や「風花」など、ずっと読み続けています。芥川賞の審査委員も務め、東日本大震災後に書いた「神様2011」もあります。がしかし、ガールズトークの「これでよろしくて?」もあり、なかでももてる色男を描いた「ニシノユキヒコの恋と冒険」は、川上弘美の別種の作品といえます。


ルックスもよく、仕事もでき、セックスもよく、女には一も二もなく優しい。
そして、女に関して懲りることを知らず、愛を求め続けた男、ニシノユキヒコ。
彼の周りにはいつも魅力的な女性達がいた。
そして、ニシノは彼女たちの欲望をみたし、淡い時を過ごすのだが、

女性達は、最後には必ず自らニシノのもとを去ってしまう……。
彼を取り巻く女性達の思い出から、

真実の愛を探してさまよったニシノユキヒコの美しく切ない人生が浮かび上がる……。


僕の好みでいえば、人妻役の麻生久美子、よかったですね。好きなんですよ、麻生久美子が・・・。岡田准一と共演した「おとなり」、切なくてよかったですね。「インスタント沼」もありました。松山ケンイチと共演した「ウルトラミラクルラブストーリー」も、津軽弁の松山ケンイチとの会話がよかった。「モテキ」も、ブログには書いてないが、これもよかった。なんて、麻生久美子絶賛で終わってはイカンのです。付け足しのようで申し訳ないですが、尾野真千子、NHKの「カーネーション」以来、なかなか成長してますね。押しも押されぬ女優となりました。阿川佐和子が見事な狂言回しで、おもしろかったですね。それにしてもニシノユキヒコ役は、竹野内クン以外には見当たりません、はまり役です。監督は井口奈巳、2008年に手がけた2作目の長編映画「人のセックスを笑うな」で話題になりました。


過去に書いたところを引用すれば・・・。

もてる男、女に好かれる男、「ニシノユキヒコの恋と冒険 」、中学生から50代までの、とらえどころのない色男を、交情のあった女性10人を語り手にして、多面的にとらえようとする試み。女性から見ればすべてを与えてくれない男、そうか、逆に考えると、男ニシノユキヒコから見ると、女性はいろいろな人がいるんだなと捉えることもできる。まあ、分かってはいるんでしょうけど、こんな男に振り回されている女の人ってけっこう多いですよね。思い当たる人、いるんじゃない?いやいや、僕は、そんな、困っちゃうな、僕じゃないってば。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:真実の愛を求め恋愛遍歴を重ねる男ニシノユキヒコの生きざまを描く、芥川賞作家・川上弘美の連作短編集を映画化したラブストーリー。美男で仕事も順調、女性の扱いもうまい究極のモテ男だが、必ず相手から別れを告げられる主人公を竹野内豊が切なく演じる。メガホンを取るのは、『人のセックスを笑うな』が好評だった井口奈己。ニシノを取り巻く女性たちには尾野真千子、成海璃子、木村文乃、麻生久美子、阿川佐和子ほか豪華女優陣が出演している。

ストーリー:イケメンで仕事もしっかりこなし、とにかく女に優しい希代のモテ男ニシノユキヒコ(竹野内豊)は、ひたむきに本当の愛を欲していた。10年前に人妻(麻生久美子)と関係を持ち、元恋人(本田翼)と二股で会社の上司(尾野真千子)と職場恋愛に至り、料理教室で出会った主婦(阿川佐和子)もとりこにしてしまうなど、彼の周囲には常に女性たちがいた。彼女たちの欲望を満たすべくひたすら尽くすニシノだったが、最終的にはみな彼から離れていってしまい……。


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「ニシノユキヒコの恋と冒険」公式サイト


過去の関連記事:
ニシノユキヒコの恋と冒険


佐藤正午の「人参倶楽部」を読んだ!

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とんとん・にっき-syou

佐藤正午の「人参倶楽部」を読みました。去年、読み終わっていたのですが、今回またサラッと読んでみました。佐藤正午を読んだのは、岩波新書の「小説の読み書き」(2006年6月)が最初でした。このブログに「小説の読み書き」のことを書いたとき、池上冬樹が佐藤正午の「5」の書評を取り上げて、以下の部分を引用しました。


小説を読みながら何度もため息をついた。ゆったりとした語りなのに、文章は張りつめていて、軽い昴奮を覚えてしまうからだ。佐藤正午が抜群の語り部であり、賞に恵まれないものの文壇で五指に入る「小説巧者」であると僕は断定するけれど、それでもあらためて新作に出会うと、五指ではなくベスト3、いやそれ以上ではないかと思ったりする。


たしかに佐藤正午の小説は、読めば読むほど「小説巧者」という、池上冬樹の指摘が当たっています。「身の上話」は、次はどうなるんだろう、という読ませる技術の最たるもので、「書店員ミチルの身の上話」というテレビドラマにもなり、配役にも恵まれて、ついつい毎回観てしまいました。「人参倶楽部」も、読ませます。扱っている主題は他愛のないものの積み重ねですが、帯にもある通り「グラスの向こう側で交錯する儚く、哀しい男と女の愛」です。下に目次を掲げておきます。なぜか小説の中に重要なキーワードとして、「除湿器」「ドライヤー」「電気あんか」「冷蔵庫」などが出てきます。


・失恋倶楽部

・消息

・ドライヤーを贈る

・元気です

・彼女の電気あんか

・あのひと

・眠る女

・夜のうちに

・冷蔵庫を抱いた女

・行秋


例えば、初めに出てくる「失恋倶楽部」。裏口の扉が、酔ったお客の悪戯で、店名の人参倶楽部が失恋倶楽部に変わっているところからきています。「ときどき女房の他に何人の女を知っているか指を折ってみることがある」と、思わせぶりな書き出しで始まります。主人公は午後8時から午前5時まで営業のスナック・バーを一人で切り盛りして7年になります。最初は一人ではなく、女房と一緒でしたが、4年前の息子が生まれ、それ以来、店には「私」だけが出るようになりました。この7年の間に二度、夫婦は離婚の危機を乗り越えています。相手は二人とも人参倶楽部のお客でした。二度目は一昨年の夏、そのとき女房は子供のために別れないのだと、あなたを許すのではなく、息子のために離婚を避けたいのだと。弁解の余地がなかったから、ただ頭を垂れて聞くばかりでした。と、小説の背景をサラリと説明します。


例えば「彼女の電気あんか」。私は名目上、ソフトボール・チーム人参倶楽部のオーナー。実際には、暇と金と30過ぎて弱った体力をもてあました洋服屋の発案で、彼がすべてを取りしきる。選手は全員、私の店で駆り集められた。つまり全員が酔った状態で彼に口説かれたわけだ。ソフトボールの試合中、選手の一人、ビールを飲みながら話しかける小説家。「ほんとは僕が口説くつもり瀬誘ったら、もっと年上がいいって本人が言うから、じゃあ人参倶楽部のマスターはどうだって訊いたら、あたしの好みにぴったしだって」と言う。「仲を取り持ってくれるのは有り難いけど、少し若すぎないか?」と答えた。小説家は今週の金曜日が閉めきりで、このことを小説に使わせてもらえないか、という。佐藤は自虐的に、「小説家の言うことなんか信じちゃだめよ。平気で嘘ばっかりつくんだから。ぜんぜん仕事なんかしてないくせに、何か都合が悪くなると締め切りで忙しいって、何でも締め切りのせいにしちゃうの。評判悪いのよ、あいつ。のむ時間と小説家九時間と逆になればまともなのに」と、女の子に言わせています。


例えば、最後の「行秋」。やっぱり家族のことで締めくくります。

おとつい、そしてきのう夫は家に帰らなかった。・・・隠し事が一つ知れるたびに無駄なお金を使って、子供たちに会いたい気持ちを押さえて。そしていつも通りの結婚生活。10年間つづけてきた毎日の繰り返し。子煩悩な父親、父親似の子供たち。あたしは明日も明後日も自分の口には合わない朝食を彼らのために用意するだろう。・・・駐車場の砂利のきしむ音がすぐ耳元で聞こえる。寝室で勇太が数を唱えはじめじきに千恵子の声が加わり、やがて、金属と金属の触れ合う澄んだ音が響いてドアが開く。子供たちが玄関へ駆けだして行く。冬の間近い朝。夫はいつものように帰ってくる。


文庫本の最後に、重里徹也(毎日新聞論説委員)の解説があります。そこの作品の面白さを挙げるために、重里は三つの枠組みを提出しています。一つ目は、この作品の描かれている時代。人参倶楽部のマスターいさむ。彼は1980年の夏の終わりにこの店を開いた。それから7年経っているので、1987年ということ。妻と二人の子供がいます。二つ目は、主人公が属している世代。団塊の世代の下、新人類の上。狭間の世代です。けっこう真面目に生きているけど、どこか不全感を抱えている世代。この小説の全体はこの世代のやるせなさや戸惑いが基調になっている。そして三つ目は、小説ボブ態になっているのが地方の街だということ。近くにある大きな都市は博多。でも博多の都市圏でもない。海に面している街で、海岸通りでは朝市が開かれる。つまり、この連作短篇集は、1987年の九州かその近辺の街を舞台に、1952年生まれの35歳のスナックのマスターを中心とした人間模様を描いている、ということになると、重里は解説しています。


本のカバーには、以下のようにあります。

深夜営業の酒場、「人参倶楽部」。マスターの元には、それぞれに事情を抱えた客が夜ごと訪れる。不倫に疲れた女、すべてが冗談のような小説家、勤め帰りのホステス、来るはずのない女を待つ男・・・。人々はグラスを傾けながら、他愛のない言葉を交わし、人生を紡ぐ・・・。静謐な夜の帳で絡み合う、男と女の儚く哀しい恋愛模様を、透明な文体で描く連作短編。


佐藤正午:略歴

1955年長崎県佐世保市生まれ。83年「永遠の1/2」ですばる文学賞を受賞。2000年に刊行した「ジャンプ」はベストセラーとなり、「本の雑誌」ベスト1に選ばれる。09年刊行の「身の上話」は13年にNHKでドラマ化。その他に「ビコーズ」「女について」「スペインの雨」「彼女について知ることのすべて」「ありのすさび」「5」「アンダーリポート」「ダンスホール」など、著書多数。


過去の関連記事:

「彼女について知ることのすべて」を観た!
佐藤正午の「彼女について知ることのすべて」を読んだ!
佐藤正午の「事の次第」を読んだ!
佐藤正午の「身の上話」を読んだ!
佐藤正午の「放蕩記」を読んだ!

佐藤正午の「象を洗う」を読む!

佐藤正午の「ジャンプ」を読んだ!
佐藤正午の「ありのすさび」を読む!
佐藤正午の「5」を読んだ!
佐藤正午の「小説の読み書き」を読む!





東京国立博物館で「人間国宝展」を観た!

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「日本美術の祭典」
2014年、上野の新春は「日本美術の祭典」で幕を開けます。東京国立博物館と東京都美術館のコラボレーションにより、両館で開催される3つの展覧会を結ぶ特別なプロジェクトが実現しました。時代を超えて輝きを放つ絵画や工芸の名品に触れることで、さまざまな日本の美を再発見していただこうという新しい試みです。当館では2つの特別展を同時開催します。「クリーブランド美術館展―名画でたどる日本の美」は、全米屈指といわれる同館の日本美術コレクションから、仏画や肖像画、花鳥画、山水画などを選りすぐって公開するものです。日本伝統工芸展60回記念「人間国宝展―生み出された美、伝えゆくわざ―」では、歴代の人間国宝や先人が残した古典の名作を展観し、日本が誇る工芸の精華を紹介します。一方、東京都美術館で開かれる日本美術院再興100年特別展「世紀の日本画」には、近代日本画の巨匠たちの代表作が勢揃いします。 日本美術の粋が上野に集結するまたとないこの機会、素晴らしき三重奏をお楽しみください。


東京国立博物館で「日本美術の祭典 日本伝統工芸展60回記念 人間国宝展 生み出された美、伝えゆくわざ」を観てきました。 日本伝統工芸展の60回を記念し、歴代の人間国宝(重要無形文化財の保持者)104人の名品が展示されています。古来の技を受け継ぎつつ、独創性を加味して伝統の可能性を広げていった作家たちの個性が光ります。今回の「人間国宝展」は、日本の工芸の歴史を縄文土器の国宝「火焰型土器」まで溯り、過去から現在、そして未来へとつながる伝統のわざと美の変遷を辿っています。


展覧会の構成は、以下の通りです。


第1章 古典への畏敬と挑戦

第2章 現代を生きる工芸を目指して

第3章 広がる伝統の可能性

特別陳列 人間国宝の現在(平成館企画展示室)



第1章 古典への畏敬と挑戦

身のまわりのものに美を求めわざを凝らす工芸は、日本人の生活の中に深く、強く結びついてきました。正倉院宝物や仏教美術、桃山工芸、あるいは茶道具など日本の古典的な工芸品からは、工芸を愛し、その美とともに生きてきた人々の姿がうかがえます。古典のもつわざと美を目標として制作する活動が評価された人間国宝の作品を、彼らが目指した古典や、その造形に影響を与えた作品とともにご覧いただきます。






第2章 現代を生きる工芸を目指して
日本の工芸は、常に時代の流れとともに変化をしながら連綿と伝えられてきました。現代においても、近代化や第二次世界大戦を経て日本人の生活様式は大きく変化し、伝統工芸は時代の「用の美」にあったわざと美を目指していくことになります。作家たちは伝統を強く意識しながらも、現代に合った新たな技術、新たな表現を求めました。現代を生きる工芸とは何か、作家たちの答えがここにあります。



第3章 広がる伝統の可能性

作家の創意と工夫によって日本の工芸は多様性を増し、これまでの伝統の概念をくつがえす勢いです。伝統的な「わざ」をベースとしながらも、創作性や個性的なデザインを重視した美の造形は現代に広く受け入れられることとなりました。伝統に新たな枠組みを提示し、可能性を広げていった作家たち。その評価は、未来にたくされます。




「日本美術の祭典 日本伝統工芸展60回記念

 人間国宝展 生み出された美、伝えゆくわざ」

生活の中で用いられる器や衣服、道具に美を求める工芸。日本では古くから、陶芸・染織・漆芸・金工・木竹工・人形などの工芸が発達し、その芸術性は今日においても高く評価されています。「人間国宝」(重要無形文化財の保持者)は、現代にも続く伝統の「わざ」の継承者であると同時に、日本が誇る工芸の発展に尽くし、日本工芸史に残る作品を生み出してきた功労者といえるでしょう。この展覧会では、国宝・重要文化財など歴史的に評価されてきた古典的な工芸と、現代の人間国宝の作品を一堂に集め、日本が誇る工芸の「わざ」の美をご覧いただきます。本展は、歴代人間国宝104人の名品を「古典への畏敬と挑戦」、「現代を生きる工芸を目指して」、「広がる伝統の可能性」という3つのテーマで紹介します。さらに、国宝や重要文化財を含む古美術の名品を向き合わせて展示するコーナーも設けました。伝統と現代とのつながりを見る、これまでにない画期的な展覧会となります。


「東京国立博物館」ホームページ


過去の関連記事:

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歌麿 幻の大作「深川の雪」、国内で見つかる !

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歌麿 幻の大作「深川の雪」、国内で見つかる 66年ぶり公開
日本経済新聞:2014年3月2日


江戸時代の浮世絵師、喜多川歌麿の晩年の肉筆画で、1948年から所在不明になっていた「深川の雪」が見つかったと、神奈川県箱根町の岡田美術館が2日、発表した。4月4日から6月30日まで同館で公開される。同館によると、「深川の雪」は「品川の月」「吉原の花」(いずれも米国の美術館所蔵)とともに、歌麿が描いた「雪月花」3部作の一つとして知られている。歌麿の最晩年にあたる1801~04年ごろに描かれたとされ、縦約2メートル、横約3メートル40センチの大作。絵の保存状態はよかったといい、東京・深川の料亭で、遊女ら27人が雪見をしたり火鉢を囲んだりする様子が色鮮やかに描かれている。


「深川の雪」は、明治時代に栃木県などで展示され、1948年に東京・銀座で一般公開されたのを最後に所在不明となっていた。同館副館長で古美術商の寺元晴一郎さんが2012年2月に国内で発見、描かれた題材や筆遣いなどから歌麿の肉筆画と判明した。寺元さんは、描かれた当時の掛け軸の状態のまま国内にとどめておきたかったといい、傷みが激しかった表装を交換し、絵の汚れを修復して公開することになった。鑑定した大和文華館(奈良市)の浅野秀剛館長は「これだけの大作をバランス良く描いている。歌麿が亡くなる前に、最高の力で手がけた作品のように思われる。歌麿画業の一つの頂点を示す作品」と話している。
〔共同〕


過去の関連記事:

歌麿の肉筆画、栃木で発見!


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