Quantcast
Channel: とんとん・にっき
Viewing all 2506 articles
Browse latest View live

「世田谷のボロ市」2014年1月

$
0
0

boro


午前9時、ドド~ンと花火がなりました。天気予報では、明け方から午前中は積もらないまでも雪が降るという、寒い日になる予想でした。ところがドッコイ、陽がさすことはないまでも、そこそこのお天気でした。僕も行かないわけにはいかないので、午後からちょこっと顔を出してきました。ボロ市通りは、いつものようにたくさんの人で埋まっていました。


なにかお宝はないものかと鵜の目鷹の目で探してみましたが、そう簡単にはお宝が見つかるわけにはまいりません。いつものように達磨こけしを探したり、大工道具などを見て回りました。ちょっと欲しい墨壺が出ていましたが、今回は買うのを差し控えました。


代官屋敷の門の横で、ヘンなオジサンが大道芸のパフォーマンスをしていました。ボロ市で大道芸を見たのは初めてでした。


夜8時ちょうどに、今日のボロ市、終了の花火が上がりました。


代官屋敷前のボロ市通り

bor14


大工道具の販売

bor13 bor12

bor10 bor4


「天祖神社」

bor16


鉢植え類の販売

bor8 bor9

bor7 bor6

代官屋敷の門
bor15


なぜか大道芸のオジサンが・・・

bor2 bor1

過去の関連記事

「世田谷ボロ市」2013暮れ、行ってきました!
「世田谷のボロ市」2013新年
「世田谷ボロ市」2012暮れ
「世田谷ボロ市」2012年新年
「世田谷 ボロ市」2011年暮れ
世田谷に冬 ボロ市始まる!
もう「ボロ市」の季節です!

「世田谷ボロ市」2011新年
「世田谷のボロ市」2010暮れ
「世田谷名物・ボロ市(2010年正月)」へ行ってきました!
恒例、2009年暮れ、世田谷ボロ市へ行ってきました。

「世田谷名物・ボロ市」 2009初春

「世田谷ボロ市」2008年・暮れ

「世田谷ボロ市」2008 ・お正月編

恒例、「世田谷ボロ市」を歩く!
世田谷代官屋敷

世田谷ボロ市、大盛況です !
世田谷ボロ市!

世田谷「豪徳寺」招き猫伝説
冬の風物詩「世田谷のボロ市」





本でも読んでみっか」、2013年(1月~12月)のまとめ

$
0
0

「本でも読んでみっか」、2013年(1月~12月)のまとめ


第150回芥川・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が16日夕、東京・築地の新喜楽で開かれ、芥川賞は小山田浩子さん(30)の「穴」(「新潮」9月号)、直木賞は姫野カオルコさん(55)の「昭和の犬」(幻冬舎)と朝井まかてさん(54)の「恋歌(れんか)」(講談社)に決まった。というニュースが流れました。


小山田浩子と姫野カオルコは、過去に読んだことがありますね。

小山田浩子の「工場」を読んだ!
姫野カオルコの「ツ、イ、ラ、ク」を読む!


それはさておき・・・。


大江健三郎、大江文学の集大成「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」が出ました。 「おそらく最後の小説を、私は円熟したろう作家としてではなく、フクシマと原発事故のカタストロフィーに追い詰められる思いで書き続けた。しかし70歳で書いた若い人に希望を語る詩を新しく引用してしめくくったとも、死んだ友人たちに伝えたい。」と、大江自身が述べているものです。


読売新聞の尾崎真理子が聞き手の「大江健三郎 作家自身を語る」(新潮文庫:平成25年12月1日発行)を昨年中に読みました。単行本の刊行から6年半、「美しいアナベル・リイ」「水死」「晩年様式集」、3つの長篇小説がその間に完成し、文庫化に際して再び大江健三郎への長いインタビューを加えたものです。ブログに書いたのは今年に入ってからでした。


大江健三郎賞を受賞した本谷有希子の「嵐をピクニック」、大江との公開対談にも参加することができました。 東日本大震災以後の文学作品では、いとうせいこうの「想像ラジオ」が出色の出来栄えでした。分野はちがうが、東島誠・與那覇潤の「日本の起源」を読んだのは、昨年の収穫のひとつでした。また村井康彦の「出雲と大和―古代国家の原像をたずねて」にも、おおいに刺激を受けました。

安村敏信の「江戸絵画の非常識 近世絵画の定説をくつがえす」と、ヤーコプ・ブルクハルトの「ルーベンス回想」、共に密度の濃い作品(論文)でした。 いま脂が乗り切っているのか、池上英洋と宮下規久朗の「入門書」のたぐいが昨年、次々と出ました。次々と買ってはいるものの、さらっと読むだけで、ブログに書く気にはなれません。いずれまとめて紹介する予定ですが・・・。


鈴木博之の仕事は、「都市へ」「庭師 小川治兵衞とその時代」など、ここ数年充実しています。磯崎新×鈴木博之「20世紀の現代建築を検証する」は、近代建築を再評価したもの、まさに教科書的な存在です。 難波和彦の「新しい住宅の世界」は、NHKBSの放映している放送大学のテキストにあたるものです。毎週楽しみに見ていました。東日本大震災以後の、難波の住まい論の集大成といえる仕事です。


海外もの、翻訳ものは、たったの2冊、しかも上半期だけ、思っていた以上に少なかった。イーユン・リーの「黄金の少年、エメラルドの少女」と、ベルンハルト・シュリンクの「夏の嘘」 、共になかなか難しい作品でした。


毎年この欄に書いていますが、相変わらず次々とアマゾンで本を注文、購入し、読み切れなくて、どんどん本が溜まっていきます。この連鎖を何とか断ち切らないと、大変なことになりそうです。


以下、2013年のベスト5を載せておきます。

(フィクション海外は2冊しか読んでいない・・・)


フィクション海外編2点

イーユン・リーの「黄金の少年、エメラルドの少女」を読んだ!

ベルンハルト・シュリンクの「夏の嘘」を読んだ!


フィクション国内編5点

本谷有希子の「嵐をピクニック」を読んだ!

川上弘美の「なめらかで熱くて甘苦しくて」を読んだ!

川上未映子の「愛の夢とか」を読んだ!
いとうせいこうの「想像ラジオ」を読んだ!

大江健三郎の「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」を読んだ!


ノンフィクション5点

村井康彦の「出雲と大和―古代国家の原像をたずねて」を読んだ!

山岡光治の「地図をつくった男たち 明治の地図の物語」を読んだ!

海老坂武の「加藤周一―20世紀を問う」を読んだ!

清水徹の「ヴァレリー・知性と感性の相剋」を読んだ!

東島誠・與那覇潤の「日本の起源」を読んだ!


アート関連5点

芳澤勝弘著「白隠―禅画の世界」を読んだ!

安村敏信の「江戸絵画の非常識 近世絵画の定説をくつがえす」を読んだ!

木下長宏の「ミケランジェロ」を読んだ!

清水眞澄の「仏像の顔―形と表情をよむ」を読んだ!

ヤーコプ・ブルクハルトの「ルーベンス回想」を読んだ!


建築関連5点

鈴木博之の「都市へ」を読んだ!

延藤安弘の「まち再生の術語集」を読んだ!

難波和彦の「新しい住宅の世界」が届いた!

鈴木博之の「庭師 小川治兵衞とその時代」を読んだ!

磯崎新×鈴木博之「20世紀の現代建築を検証する」を読んだ!



以下、「本でも読んでみっか」、2013年月毎のまとめです

2013年

1月
芳澤勝弘著「白隠―禅画の世界」を読んだ!
読んだ本が映画化やドラマ化された!
芥川賞・直木賞を受賞するのは誰か?
第148回芥川賞・直木賞決定!
「本でも読んでみっか」、2012年(1月~12月)のまとめ!
イーユン・リーの「黄金の少年、エメラルドの少女」を読んだ!


2月
李妍焱の「中国の市民社会―動き出す草の根NGO」を読んだ!
「地図をつくった男たち」の書評が朝日新聞に載った!
鈴木博之の「都市へ」を読んだ!
辛島昇・著、大村次郷・写真「インド・カレー紀行」を読んだ!


3月
興梠一郎の「中国 目覚めた民衆」を読んだ!
延藤安弘の「まち再生の術語集」を読んだ!


4月
山岡光治の「地図をつくった男たち 明治の地図の物語」を読んだ!
難波和彦の「新しい住宅の世界」が届いた!
本谷有希子の「嵐をピクニック」を読んだ!
本谷有希子の「自分を好きになる方法」を読んだ!
須飼秀和・画「私だけのふるさと 作家たちの原風景」を読んだ!


5月
村井康彦の「出雲と大和―古代国家の原像をたずねて」を読んだ!
池上英洋編著「レオナルド・ダ・ヴィンチ」を読んだ!
酒井忠康の「覚書 幕末・明治の美術」を読んだ!
「第7回大江健三郎賞・公開対談」を聞く!
宮下規久朗の「欲望の美術史」を読んだ!
川上弘美の「なめらかで熱くて甘苦しくて」を読んだ!
江國香織の「ちょうちんそで」を読んだ!
芥川龍之介の「南京の基督」を読んだ!
小島剛一の「漂流するトルコ 続『トルコのもう一つの顔』」を読んだ!


6月
海老坂武の「加藤周一―20世紀を問う」を読んだ!
「マウリッツハウスにて フェルメール」を読んだ!
ベルンハルト・シュリンクの「夏の嘘」を読んだ!
連続講座「書物の達人―丸谷才一」、川本三郎「昭和史のなかの丸谷才一」!
連続講座「書物の達人 丸谷才一」、菅野昭正の丸谷才一論!
清水徹の「ヴァレリー・知性と感性の相剋」を読んだ!
吉田修一の「愛に乱暴」を読んだ!
連続講座「書物の達人―丸谷才一」、岡野弘彦「快談・俳諧・花柳」!
連続講座「書物の達人―丸谷才一」、鹿島茂「官僚的なものへの寛容な知識人」!

7月
安村敏信の「江戸絵画の非常識 近世絵画の定説をくつがえす」を読んだ!
窪島誠一郎の「父 水上勉」を読んだ!
連続講座「書物の達人―丸谷才一」、関容子「『忠臣蔵とは何か』について」!
「本でも読んでみっか」、2012年上半期(1月~6月)のまとめ
鈴木博之の「庭師 小川治兵衞とその時代」を読んだ!
宮下規久朗の「モチーフで読む美術史」を読んだ!
小野田滋の「東京鉄道遺産」を読んだ!
藤森輝信×山口晃「日本建築集中講義」を読んだ!
芸術新潮で「磯崎新が読み解く知られざる丹下健三」を読んだ!


8月
田口ランディの「被爆のマリア」を読んだ!
武澤秀一の「伊勢神宮と天皇の謎」を読んだ!
池上英洋の「神のごときミケランジェロ」を読んだ!
藤野可織の「爪と目」を読んだ!
桜木紫乃の「ホテルローヤル」を読んだ!
中見真理の「柳宗悦―『複合の美』の思想」を読んだ!


9月
山岡光治の「地形図を読む技術」を読んだ!
山口晃の「ヘンな日本美術史」を読んだ!
川上未映子の「愛の夢とか」を読んだ!
いとうせいこうの「想像ラジオ」を読んだ!
西村賢太の「歪んだ忌日」を読んだ!


10月
木下長宏の「ミケランジェロ」を読んだ!
東島誠・與那覇潤の「日本の起源」を読んだ!
重森千靑の「日本の10大庭園―何を見ればいいのか」を読んだ!


11月
清水眞澄の「仏像の顔―形と表情をよむ」を読んだ!
大江健三郎の「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」を読んだ!
鈴木博之の「世界遺産をもっと楽しむための西洋建築入門」を読んだ!
佐藤泰志の「そこのみにて光輝く」を読んだ!
磯崎新×鈴木博之「20世紀の現代建築を検証する」を読んだ!


12月
佐藤泰志の「移動動物園」を読んだ!
ヤーコプ・ブルクハルトの「ルーベンス回想」を読んだ!



過去の関連記事:

「本でも読んでみっか」、2012年のまとめ!

「本でも読んでみっか」、2011年のまとめ

「本でも読んでみっか」、2010年のまとめ
「本でも読んでみっか」、2009年のまとめ
「本でも読んでみっか」、2008年のまとめ!
「本でも読んでみっか」、2007年のまとめ!

世田谷百景「豪徳寺」招き猫伝説!

$
0
0

「ボロ市」を見た帰りに、招き猫で有名な「豪徳寺」を訪れました。実は昨年の暮れ、30日にも訪れているのですが、その時は招き猫はほとんど奉納されていませんでした。わずか2週間でこんなにもたくさんの招き猫が奉納されていたので、いやもうビックリ、驚きました。ちょくちょく散歩がてら、豪徳寺に寄ってはいるんですが、ブログに書くのは久し振りです。総門右横の、豪徳寺のお墓にあげるお花やお水を扱っている「山崎商店」が

なくなっていました。お店の看板には「招福猫児」と書かれてあり、「豪徳寺 猫が手招く福と運」とありました。


以下、過去の記事から・・・。


この寺はもとは弘徳院といい、吉良氏の菩提寺だったのですが、吉良氏の没落と共に寺運も傾き、貧乏寺になってしまいました。江戸初期の頃、この破れ寺の和尚は大変な猫好きで、タマと名付けて自分の食をも分け与えて可愛がっていました。ある日、和尚はタマに向かって、「この貧乏寺をなんとか出来ないものか」と、言い聞かせました。ある時、寺の前を遠乗りの井伊直孝一行が通りかかった時に、激しい雷雨に見舞われました。山門に出てきたタマは手招きして一行を寺に招き入れました。和尚は渋茶でもてなし、心静かに「三世因果」の説法をしたり、四方山話に花を咲かせたりしました。


それが直孝のお気に召して、時折訪ねては和尚の話を聞いたそうです。これがきっかけで弘徳院は井伊家の菩提寺になり、藩主直孝の法号により「豪徳寺」と名前を改めました。井伊家から田畑を多く寄進されて一大伽藍になりましたが、和尚は天寿を全うしたタマを「猫塚」に祀り猫の恩に報いました。「豪徳寺」は、福を招き入れるので「猫寺」と呼ばれるに至ったそうです。現在でも「家内安全」「営業繁昌」「心願成就」を願って、お参りする人が絶えません。境内には、直孝を始め、井伊家代々の墓所があり、桜田門外で暗殺された井伊直弼の墓は都史跡に指定されています。境内は落ち着いた静かさで、樹木に覆われ、四季折々の花を咲かせます。











招福猫児(まねぎねこ)の由来
今名刹の豪徳寺は、昔貧寺にして二三の雲水修行してようやく暮らしを立つる計りなりき。時の和尚特に猫を愛しよく飼いならし自分の食を割いて猫に与え愛育せしが、ある日和尚猫に向かい、「汝我が愛育の恩を知らば何か果報を招来せよ」と言い聞かせたるがその後幾月日が過ぎし夏の日の昼下がりにわかに門のあたり騒がしければ和尚何事ならんと出てみれば、鷹狩の帰りと覚しき武士五六騎、門前に馬乗り捨てて入り来たり和尚に向かい謂えるよう「我等今当寺の前を通行せんとするに門前に猫一匹うずくまり居て我等を見て手をあげ頻りに招くさまのあまりに不審ければ訪ね入るなり暫く休息させよ」とありければ和尚急ぎ奥へ招じ渋茶など差し出しける内天忽ち曇り夕立降り出し雷鳴り加りしが和尚は心静かに三世の因果の説法したりしかば武士は大喜びいよいよ帰依の念発起しけむやがて「我こそは江州彦根の城主井伊掃部頭直孝なり猫に招き入れられ雨をしのぎ貴僧の法談に預かること是れ偏に仏の因果ならん以来更に心安く頼み参らす」とて立ち帰られけるが、これぞ豪徳寺が吉運を開く初めにしてやがて井伊家御菩提所となり田畑多く寄進せられ一大伽藍となりしも全く猫の恩に報い福を招き寄篤の霊験によるものにしてこの寺を猫寺と呼ぶに至れり。和尚後にこの猫の墓を建ていと懇に其冥福を祈り後世この猫の姿をつくり招福猫児(まねぎねこ)と称へて崇め祀れば吉運立ち所に来り家内安全、営業繁盛、心願成就すとて其の霊験を祈念する事は世に知らぬ人はなかりけり。 (古文書より)


過去の関連記事:

豪徳寺の招き猫
世田谷「豪徳寺」招き猫伝説


ダニス・タノヴィッチ監督の「鉄くず拾いの物語」を観た!

$
0
0
tetu5

ダニス・タノヴィッチ監督の「鉄くず拾いの物語」を観てきました。この映画のことを知ったのは、新宿武蔵野館で「危険な関係」を観に行った時のことでした。題名だけではどんな内容の映画なのか、まったく分かりませんでしたが、ロビーに張ってあった新聞の切り抜きなどでは、なぜか評価が高そうで、皆さん、食い入るように見ていました。その日、一旦は続けて二本観ようかとも思ったのですが、「危険な関係」があまりにも良かったので、「鉄くず拾いの物語」は後日出直すことにしました。


ダニス・タノヴィッチ監督とはどんな人なのか、調べてみました。なんと1996年に亡くなったクシシュトフ・キェシロフスキの原案をダニス・タノヴィッチが2005年に映画化したという「 美しき運命の傷痕」を観ていました。もっともドキュメンタリータッチの「鉄くず拾いの物語」とはまったく異なる作品でしたが・・・。


2011年に故郷ボスニア・ヘルツェゴヴィナの新聞で、ナジフとセナダに起こった“できごと”を知り、「何としても映画にして、世間に訴えなければいけない」と、ダニス・タノヴィッチは立ち上がります。ボスニア戦争の最前線で記録映像をとっていた頃のシンプルな手法に立ち戻り、たった1万3000ユーロの自己資金で、わずか9日間の撮影を敢行します。実際の当事者であるナジフとセナダを出演させ、まるでドキュメンタリーのような緊張感のある映像世界を創り上げました。


チラシには、以下のようにあります。


愛する人を守るため、人は何ができるだろう。

幸せな家族に起こった悲しい“できごと”。生きる意味を問う感動の物語。

人生はと時して、あまりにも理不尽で厳しい。

それゆえ、人間はたくましく美しい。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナに暮らすロマの一家は、貧しくも幸福な日々を送っていた。ある日、3人目の子供を身ごもる妻・セナダは激しい腹痛に襲われ病院に行くと、今すぐ手術をしなければ危険な状態だと告げられた。そして保険証を持っていないために、高額な手術代を要求される。鉄くず拾いで一家を支える働き者の夫・ナジフは、医師に妻の手術を何度も懇願するも冷酷に拒否されてしまう。ナジフは「なぜ神様は貧しいものばかりを苦しめるのだ」と嘆きます。ナジフは解決策をひとつひとつと丁寧に探ってゆくが、貧しく仕事もない彼にできることは限られていた・・・。「ノー・マンズ・ランド」でアカデミー賞外国語映画賞を受賞したダニス・タノヴィッチが、故郷で実際に起きた不幸な“できごと”に突き動かされ、当事者たちを起用して一気に撮り上げた意欲作。無骨だが優しいナジフの眼差し、子供たちの笑顔、隣人たちから差し伸べられる温かな手、スクリーンに映し出されるのは真実の物語。家族を守るため懸命に試練と向き合い、大切な人と共に生きる意味を静かに投げかけてくる気高いナジフの姿は、観る者の心を強く揺さぶる。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:「ノー・マンズ・ランド」などで知られるダニス・タノヴィッチ監督が、ロマ族の一家の実話を基に描く感動作。ボスニア・ヘルツェゴビナを舞台に、緊急掻爬(そうは)手術が必要にもかかわらず、保険証がなく高額の治療費が払えないために手術を拒否される家族の苦難をドキュメンタリータッチで描き出す。出演者は実際その当事者であるナジフ・ムジチとセナダ・アリマノヴィッチ。第63回ベルリン国際映画祭で3冠に輝いた、真実の物語に心揺さぶられる。

ストーリー:ロマ族のナジフ(ナジフ・ムジチ)とセナダ(セナダ・アリマノヴィッチ)夫妻は、2人の幼い娘と共にボスニア・ヘルツェゴビナの小さな村で生活している。ナジフは拾った鉄くずを売る仕事で生活費を稼いでおり、彼らは家族4人で貧しいながらも幸せな日々を送っていた。ある日、彼が仕事から戻ると妊娠中のセナダが激しい腹痛でうずくまっていて……。


tetu4

tetu3

tetu2

tetu1

「鉄くず拾いの物語」公式サイト


過去の関連記事:

「美しき運命の傷痕」を観た!




ニューオータニ美術館で「新春展 大谷コレクションの傑作を一挙大公開!」を観た!

$
0
0


ニューオータニ美術館で「新春展 大谷コレクションの傑作を一挙大公開!」を観てきました。なんと今日が最終日、いつもよりやや多めの人で混み合っていました。


西洋画の方は、アンドレ・ポーシャンの大作「ドムレミのジャンヌ・ダルク」は初めて観ましたが、その他のものは今まで何度か観た作品でした。なかでも僕が好きなのは、シュザンヌ・ヴァラドンの「座る裸婦」です。ヴァラドンは、ルノワールやロートレックのモデルを務め、自らも画家として筆をとり、そしてユトリロの母親でもありました。


今回特に、アンリ・リヴィエールの「エッフェル塔三十六景」が展示されていました。もちろん、北斎の「富嶽三十六景」をヒントにつくられた版画ですが・・・。ニューオータニ美術館がアンリ・リヴィエールの作品を、どういう文脈で展示したのかは分かりません。ネットで調べたら、ニューオータニ美術館では、2008年9月13日(土)~10月26日(日)まで、アンリ・リヴィエール「エッフェル塔三十六景 世紀末、変容するパリ」という展覧会を開催していたことが分かりました。また、2011年9月3日(土)~10月10日(月・祝)には、「北斎とリヴィエール 三十六景の競演」として、北斎の「冨嶽三十六景」全46点とアンリ・リヴィエールの「エッフェル塔三十六景」全36点を同時に展示したようです。


僕は以前、偶然、小布施の「北斎館」でアンリ・リヴィエールの「エッフェル塔三十六景」を観て、驚いたことがありました。下の画像のほとんどは、そのときに観たのものを載せてあります。

北斎館で「富嶽三十六景とエッフェル塔三十六景」を観た!


今回の展示は日本画が充実していました。まずは原在中の「一品當朝図」と、横山大観、下村観山、菱田春草による「寿老人、鶴、亀」三幅対、新春には必ず出されますね。目玉はというと、池大雅の「洞庭赤壁図巻」があげられます。また無款ながら4人の女性が舞踊る「舞踊図」、鳥居清長の「詠歌弾琴図」 もいいですね。ここには載せていませんが、岩佐又兵衛の「本間孫四郎遠矢図」もありました。


美術館の創設者である大谷米次郎の像、いつも隅の方に置かれているのですが、平櫛田中の「大谷米次郎座像」は迫力があり、また存在感もある木彫です。


次回、1月25日から3月23日は、「野見山暁治展 いつかは会える」が開催されます。


Takさんのブログ「弐代目・青い日記帳」の“ニューオータニ美術館「新春展」” には、残念なことに以下のようにあります。事実関係は未確認ですが・・・。
約四半世紀に渡り、大谷コレクションの名品を紹介しつつ、意欲的で丁寧な企画展を開催していたニューオータニ美術館が今年(2014年)3月をもって閉館となります。


西洋画








アンリ・リヴィエール「エッフェル塔三十六景」






日本画







新春展 大谷コレクションの傑作を一挙大公開!
2014年元日~1月19日(日)
モーリス・ド・ヴラマンク「花束」や藤田嗣治の「仰臥裸婦」、ベルナール・ビュフェ「カフェの男」、キース・ヴァン・ドンゲン「白い服の婦人」、マリー・ローランサン「遊ぶ子供たち」などの油彩画や、北斎の富嶽三十六景へのオマージュとして制作されたアンリ・リヴィエールの「エッフェル塔三十六景」などを出品いたします。また、当館収蔵の重要文化財、池大雅「洞庭赤壁図巻」、無款「舞踊図」、鳥居清長「詠歌弾琴図」、喜多川歌麿「美人と若衆図」、伝 菱川師宣「元禄風俗図」などの肉筆浮世絵の他、横山大観、下村観山、菱田春草による三幅対「寿老人・鶴・亀」、橋本関雪「雪ぞら」、安田靫彦「春暁」などの日本画、大谷コレクションの傑作を一挙大公開いたします。

「ニューオータニ美術館」ホームページ


過去の関連記事:

ニューオータニ美術館で「ジャパン・ビューティー 描かれた日本美人」を観た!
ニューオータニ美術館で「大谷コレクション展」を観た!
ニューオータニ美術館で「新春展」を観た!
ニューオータニ美術館で「マリー・ローランサンとその時代展」を観た!
ニューオータニ美術館で「ベルナール・ビュフェのまなざし フランスと日本」展を観た!

ニューオータニ美術館で「新春展」を観た!
ニューオータニ美術館で「日本画に見る四季の美展」を観た!
「造形作家友永詔三の世界 木彫りの乙女たち」展を観た!
ニューオータニ美術館で「安田靫彦展 花を愛でる心」を観た!
ニューオータニ美術館で「大谷コレクション展」を観た!



「ゲージュツ見てある記」、2013年(1月~12月)のまとめ

$
0
0

「ゲージュツ見てある記」、2013年(1月~12月)のまとめ


今年の展覧会でよかったと思われるものは、「クリムト」、「エル・グレコ」、「ルーベンス」、「ラファエッロ」、「フランシス・ベーコン」、「アントニオ・ロペス」、「エミール・クラウス」、「オディロン・ルドン」と、名前を挙げれば次々と出てきます。その他、「クラーク・コレクション」や「プーシキン美術館」展もありました。モローとルオー、ターナー、カイユボットも素晴らしかったです。「エル・グレコ」と「ルーベンス」は評価が定まっていますが、これだけ纏まって観られたのは嬉しいことです。「貴婦人と一角獣」は、巨大なタペストリーが圧巻でした。なかでも「フランシス・ベーコン」は、NHK日曜美術館のなかで大江健三郎も評価していたことだし、じっくり作品を観て観るとなかなか一番ミステリアスな画家で、大いに興味が持てました。レオナール・フジタの子供を題材にした「ポーラ美術館」展は、こちらに入れました。


日本画関連では、山種美術館や出光美術館、そして府中市美術館や板橋美術館など、いわゆる「江戸絵画」に着目した展覧会を続けていて、大いに勉強になりました。東日本大震災の被災地である仙台の他、岩手、福島を巡回するプライスコレクションの「若冲が来てくれました」は、企画も内容も素晴らしい展覧会でした。「ファインバーグ・コレクション」展もありました。おりしも板橋区立美術館の安村敏信による「江戸絵画の非常識 近世絵画の定説をくつがえす」(敬文舎:2013年3月23日第1版第1刷発行)が刊行され、江戸絵画史の常識に一石を投じました。横浜美術館では、「横山大観」「下村観山」展が続けてありましたし、近代美術館では「竹内栖鳳」展がありました。藤田嗣治の「秋田の行事」はこちらに入れました。


ちょっと毛色が変わっている展覧会は別枠を設けました。「仏頭展」「福田美蘭」「山口晃」、そして「篠原有司男・篠原乃り子」展です。


今年は、建築関連の展覧会でよかったものが目立ちました。「坂茂―建築の考え方と作り方」、「中村好文展 小屋のおいでよ!」 、「坂本一成 住宅めぐり」は、それぞれの個性と建築感が出ていて、よかったと思いました。年末には大御所磯崎新の壮大なスケールの「磯崎新 都市ソラリス」展がありました。建築家ではないですが、建築写真家二川幸夫の「日本の民家一九五五年」 も、展示方法からして斬新でよかったと思います。また、直接建築ではないのですが、「空想の建築―ピラネージから野又穫―展」も、建築関連の展覧会のなかでは外すことができません。


以下、2013年のベスト10(5)を載せておきます。(順不同)


西欧編10点

東京都美術館で「エル・グレコ展」を観た!

ザ・ミュージアムで「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」を観た!

三菱一号館美術館で「奇跡のクラーク・コレクション」を観た!

国立西洋美術館で「ラファエロ」展を観た!

東京国立近代美術館で「フランシス・ベーコン展」を観た!

国立新美術館で「貴婦人と一角獣展」を観た!

東京ステーションギャラリーで「エミール・クラウスとベルギーの印象派」を観た!
横浜美術館で「プーシキン美術館展 フランス絵画300年」を観た!

Bunkamuraザ・ミュージアム「レオナール・フジタ―ポーラ美術館コレクション」!

ポーラ美術館で「モネ、風景をみる眼 19世紀フランス風景画の革新」を観た!

パナソニック汐留ミュージアムで「モローとルオー 聖なるものの継承と変容」を観た!
東京都美術館で「ターナー展」を観た!

ブリヂストン美術館で「カイユボット展―都市の印象派」を観た!


日本編10点

京都・細見美術館で「江戸絵画の至宝 琳派と若冲」を観た!
聖徳記念絵画館で「展示壁画」を観た!

仙台市博物館で「若冲が来てくれました」を観た!

江戸東京博物館で「ファインバーグ・コレクション展 江戸絵画の奇跡」を観た!

千葉市美術館で所蔵作品展「琳派・若冲と花鳥風月」を観た!

東京国立近代美術館で「近代日本画の巨匠 竹内栖鳳展」を観た!

横浜美術館で「横山大観展 良き師、良き友」(前期)を観た!

秋田県立美術館で「壁画《秋田の行事》からのメッセージ」を観た!

宮城県美術館で「洲之内徹と現代画廊―昭和を生きた目と精神―」を観た!
横浜美術館で「生誕140年記念 下村観山展」(前期)を観た!


別枠5点

東京藝術大学大学美術館で「国宝興福寺仏頭展」を観た!

東京都美術館で「福田美蘭展」を観た!

群馬県立館林美術館で「山口晃展 画業総覧―お絵描きから現在まで」を観た!
青山スパイラルで「TAPE TOKYO」を観た!

渋谷パルコPART1で「篠原有司男・篠原乃り子二人展」を観た!


建築関連5点

水戸芸術館で「坂茂―建築の考え方と作り方」を観た!

TOTOギャラリー・間で「中村好文展 小屋のおいでよ!」を観た!

八王子夢美術館で「坂本一成 住宅めぐり」を観た!

NTTインターコミュニケーション・センターで「磯崎新 都市ソラリス」を観た!

町田市立国際版画美術館で「空想の建築―ピラネージから野又穫―展」を観た!


講演会など

行ってきました「ブロガーナイト 白隠の魅力に開眼せよ!!」!

河野元昭講演「川合玉堂―伝統と創造―」を聞く!

藤森輝信×山口晃「日本建築集中講義」反省会を聞く!

山下裕二の“日本美術”の誕生!~幕末から明治時代「激動の美術」~を聞いた!

講演会「フランドル油彩技法の伝統と革新 ルーベンスの影響とフランスの画家による展開」を聴く!



「ゲージュツ見てある記」、2013年月毎のまとめ


2013年

1月
東京国立博物館「博物館に初もうで」(その1)
東京国立博物館「博物館に初もうで」(その2)
行ってきました「ブロガーナイト 白隠の魅力に開眼せよ!!」!
日本橋三越本店で「生誕90周年記念 山下清展」を観た!
三井記念美術館で「ゆくとし くるとし―茶道具と円山派の絵画―」展を観た!
東京国立近代美術館で「美術にぶるっ!」を(再び)観た!
世田谷美術館で「生誕100年 松本竣介展」(後期)を観た!
ニューオータニ美術館で「新春展」を観た!
「ゲージュツ見てある記」、2012年(1月~12月)のまとめ
東京駅復元工事完成記念展「始発電車を待ちながら」を観た!
愛知県美術館で「クリムト 黄金の騎士をめぐる物語」を観た!
京都・細見美術館で「江戸絵画の至宝 琳派と若冲」を観た!
山梨県立美術館で「ミレー館(常設展)」を観た!
山梨県立美術館の屋外彫刻を観た!
トレドで観たエル・グレコ!

2月
大倉集古館で「画の東西~近世近代絵画による美の競演・西から東から~」を観た!
泉屋博古館で「吉祥のかたち」を観た!
京都国立博物館で「国宝十二天像と密教法会の世界」を観た!
出光美術館で「オリエントの美術」を観た!
茶道史料館で「新春展大松コレクション名品選 近代絵画と茶道具」を観た!
樂美術館で「樂歴代 春節会」を観た!
清水三年坂美術館で「鍛鉄の美 鐙、鐔、自在置物」を観た!
静嘉堂文庫美術館で「曜変・油滴天目 茶道具名品展」を観た!
TOTOギャラリー間で「第13回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展日本館帰国展」を観た!
戸栗美術館で「鍋島焼展~孤高の鍋島藩窯~」を観た!
ニューオータニ美術館で「大谷コレクション展」を観た!
たばこと塩の博物館で「館蔵浮世絵に見る さくらいろいろ」を観た!
山種美術館で「琳派から日本画へ―和歌のこころ・絵のこころ―」(前期)を観た!


3月
三井記念美術館で「三井家のおひなさま」を観た!
パナソニック汐留ミュージアムで「日本の民家一九五五年」を観た!
東京国立博物館で「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」を観た!
畠山記念館で「春を祝う―仁清・乾山・光琳―」を観た!
仙台市博物館で「若冲が来てくれました」を観た!
茨城県近代美術館で「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」を観た!
水戸芸術館で「坂茂―建築の考え方と作り方」を観た!
東京都美術館で「エル・グレコ展」を観た!
東京国立博物館で「総合文化展(常設展)」を観た!
松岡美術館で「花・鳥―しあわせの予感 うつわにめでられた花と鳥たち」を観た!
松岡美術館で「花・鳥 しあわせの予感、額装の花鳥画」を観た!
ザ・ミュージアムで「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」を観た!


4月
新宿区立新宿歴史博物館で「中村彝展 下落合の画室」を観た!
たばこと塩の博物館で「煙に寄せたメッセージ」を観た!
府中市美術館で「かわいい江戸絵画」(前期)を観た!
府中市美術館で「常設展 明治・大正・昭和の洋画 春」を観た!
三菱一号館美術館で「奇跡のクラーク・コレクション」を観た!
泉屋博古館分館で「住友グループ秘蔵名画展―花―」を観た!
町田市立国際版画美術館で「空想の建築―ピラネージから野又穫―展」を観た!
東京藝術大学大学美術館で「藝大コレクション展―春の名品選」を観た!
大倉集古館で「大倉コレクションの精華Ⅰ―中世・近世の絵画―」を観た!
府中市美術館で「かわいい江戸絵画」(後期)を観た!
府中市美術館で「山紫水明の彩墨画家 宮本和郎展」を観た!
ニューオータニ美術館で「ジャパン・ビューティー 描かれた日本美人」を観た!
練馬区立美術館で「牧野邦夫―写実の神髄―展」を観た!

5月
山種美術館で「百花繚乱―花言葉・花図鑑―」(前期)を観た!
国立西洋美術館で「ラファエロ」展を観た!
ブリヂストン美術館で「日本人が描くParis 、パリ、巴里―1900-1945」を観た!
聖徳記念絵画館で「展示壁画」を観た!
TOTOギャラリー・間で「中村好文展 小屋のおいでよ!」を観た!
美術の春「国展87th」を観た!
ニューオータニ美術館で「ジャパン・ビューティー 描かれた日本美人」(後期)を観た!
出光美術館で「源氏絵と伊勢絵―描かれた恋物語」を観た!
東京国立近代美術館で「フランシス・ベーコン展」を観た!
山種美術館で「百花繚乱―花言葉・花図鑑―」(後期)を観た!
八王子夢美術館で「坂本一成 住宅めぐり」を観た!
NHK日曜美術館「恐ろしいのに美しい フランシス・ベーコン」

6月
パナソニック汐留ミュージアム「幸之助と伝統工芸」内覧会に行ってきました!
東京藝術大学大学美術館「夏目漱石の美術世界展」内覧会へ行った!
国立新美術館で「第69回 現展」を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「アントニオ・ロペス展」を観た!
三井記念美術館で「河鍋暁斎の能・狂言画」を観た!
損保ジャパン東郷青児美術館で「オディロン・ルドン―夢の起源―」を観た!
ポーラミュージアムアネックスでミヤケマイ「白粉花」を観た!
五島美術館で「近代の日本画展」を観た!
ジャン=ミシェル・オトニエルの「Kin no Kokoro」!
山種美術館で「川合玉堂―日本のふるさと・日本のこころ―」を観た!
河野元昭講演「川合玉堂―伝統と創造―」を聞く!
国立新美術館で「貴婦人と一角獣展」を観た!


7月
松岡美術館で「松岡コレクション 印象派とその時代」展を観た!
松岡美術館で「松岡コレクション うつわのかたち」展を観た!
東京ステーションギャラリーで「エミール・クラウスとベルギーの印象派」を観た!
「ゲージュツ見てある記」、2012年上半期(1月~6月)のまとめ
「古渡章展―空にあそぶ―」を観た!
江戸東京博物館で「ファインバーグ・コレクション展 江戸絵画の奇跡」を観た!
「世界文化賞25周年記念シンポジウム」を聞く!
「岩尾克治・官野貴写真展 戦う海上保安官!」を観た!
横浜美術館で「プーシキン美術館展 フランス絵画300年」を観た!
横浜美術館コレクション展その1 シュルレアリスム
横浜美術館コレクション展その2 洋画部門
藤森輝信×山口晃「日本建築集中講義」反省会を聞く!


8月
サントリー美術館で「谷文晁」展を観た!
横浜美術館コレクション展その3 日本画部門
ギャラリーコスモスで「戦後10年目の1956年と2012年の夏」を観た!
損保ジャパン東郷青児美術館で「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」展を観た!
泉屋博古館分館で「テーマにみる近代日本画―その豊かな世界―」を観た!
山種美術館で「再興院展100年記念 速水御舟―日本美術院の精鋭たち―」を観た!
山崎妙子の講演会「速水御舟と院展の画家たち」を聞いた!
大倉集古館で「大倉コレクションの精華Ⅱ―近代日本画名品選―」を観た!
サルバドール・ダリ(諸橋近代美術館の思い出)!
渋谷・公園通り「たばこと塩の博物館物語」を観た!その1ベスト5とたばこ資料編
渋谷・公園通り「たばこと塩の博物館物語」を観た!その2浮世絵編
Bunkamuraザ・ミュージアム「レオナール・フジタ―ポーラ美術館コレクション」!
三菱一号館美術館で「浮世絵Floating World」第1期を観た!
三菱一号館美術館で「浮世絵Floating World」第2期を観た!
三菱一号館美術館で「浮世絵Floating World」第3期を観た!

9月
足立美術館で「生誕130年 北大路魯山人展」を観た!
TOTOギャラリー間で「クリスチャン・ケレツ展」を観た!
ポーラ美術館で「モネ、風景をみる眼 19世紀フランス風景画の革新」を観た!
三井記念美術館で「国宝『卯花墻』と桃山の名陶」を観た!
倉敷・大原美術館を観た!
板橋区立美術館で「狩野派SAIKO!~再興!最高!再考?狩野派再点検~」を観た!
東京都美術館で「ルーヴル美術館展」ブロガーナイトに参加した!
千葉市美術館で所蔵作品展「琳派・若冲と花鳥風月」を観た!
東京国立博物館で秋の特別公開「夏秋草図屏風」を観た!
東京都美術館で「福田美蘭展」を観た!
東京国立博物館で「総合文化展」を観る!


10月
東京国立近代美術館で「近代日本画の巨匠 竹内栖鳳展」を観た!
東京藝術大学大学美術館で「国宝興福寺仏頭展」を観た!
なぜか「世田谷情報」なのだ!
足立美術館を観た―日本画編
足立美術館を観た―横山大観編
国立西洋美術館で「システィーナ礼拝堂500年祭記念 ミケランジェロ展―天才の軌跡」を観た!
損保ジャパン東郷青児美術館で「トスカーナと近代絵画」を観た!
国立西洋美術館で「ル・コルビュジエと20世紀美術」を観た!
江戸東京博物館で「明治のこころ モースが見た庶民のくらし」を観た!
日本民藝館で「柳宗理の見てきたもの」を観た!
足利市立美術館で「石田徹也展 ――ノート、夢のしるし」を観た!
東京国立博物館東洋館で「上海博物館 中国絵画の至宝」(前期)を観た!
国立西洋美術館で「所蔵品展、廃墟や遺跡」を観た!
国立西洋美術館で「イタリア版画展―新収作品を中心に」を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「山寺後藤美術館展 バルビゾンへの道」を観た!

11月
山種美術館の「小林古径生誕130年記念 古径と土牛」ブロガー内覧会に行ってきました!
山下裕二の“日本美術”の誕生!~幕末から明治時代「激動の美術」~を聞いた!
パナソニック汐留ミュージアムで「モローとルオー 聖なるものの継承と変容」を観た!
静嘉堂文庫美術館で「幕末の探検家 松浦武四郎」を観た!
東京都美術館で「ターナー展」を観た!
横浜美術館で「横山大観展 良き師、良き友」(前期)を観た!
大川美術館で「大川美術館の軌跡」を観た!
資生堂ギャラリーで「森村泰昌展 ベラスケス頌:侍女たちは夜に甦る」を観た!
ブリヂストン美術館で「カイユボット展―都市の印象派」を観た!
国立西洋美術館で「常設展」を観る!
五島美術館で「光悦 桃山の古典」を観た!
「ターナー展」ブロガーイベントwithスペシャルトークへ行ってきました!
秋田県立美術館で「壁画《秋田の行事》からのメッセージ」を観た!
クレラー・ミュラー美術館で「至高のファンゴッホ」を観た!


12月
群馬県立館林美術館で「山口晃展 画業総覧―お絵描きから現在まで」を観た!
青山スパイラルで「TAPE TOKYO」を観た!
出光美術館で「江戸の狩野派―優美への革新」を観た!
福島県美術館でアンドリュー・ワイエスの作品を観た!
茨城県近代美術館で「聖なるものへ―ひそやかな祝祭―」を観た!
講演会「フランドル油彩技法の伝統と革新 ルーベンスの影響とフランスの画家による展開」を聴く!
茨城県近代美術館蔵の中村彝(つね)の作品!
宮城県美術館で「洲之内徹と現代画廊―昭和を生きた目と精神―」を観た!
NTTインターコミュニケーション・センターで「磯崎新 都市ソラリス」を観た!
渋谷パルコPART1で「篠原有司男・篠原乃り子二人展」を観た!
横浜美術館で「生誕140年記念 下村観山展」(前期)を観た!
福島県立美術館で「常設展」を観た!
「横浜美術館コレクション展」を観た!



過去の関連記事:

「ゲージュツ見てある記」、2012年のまとめ
「ゲージュツ見てある記」、2011年のまとめ
「ゲージュツ見てある記」、2010年のまとめ

「ゲ~ジュツ見てある記」、2009年のまとめ
「ゲージュツ見てある記」、2008年のまとめ!
「ゲ~ジュツ見てある記」、2007年のまとめ!



チャン・ツィイーの「ジャスミンの花開く」を観た!

$
0
0
jya5

チャン・ツィイーの「ジャスミンの花開く」(2004年)を、DVDで観ました。チャン・ツィイーの映画は、デビュー作の「初恋のきた道」(1999年)と、最新作の「危険な関係」(2012年)だけしか観ていないということに気がつきました。ちょうどその中間あたりということで、「ジャスミンの花開く」を借りてきたというわけです。


「ジャスミンの花開く」(原題:茉莉花開 )は、2004年製作の中国の映画作品。1930年代から1980年代の上海を舞台に、章子怡(チャン・ツィイー)が三世代、一人三役を演じる。監督は中国映画の名カメラマンとして知られる侯咏(ホウ・ヨン)、これが長編映画の監督デビュー作となった。原作は中国の有名作家・蘇童(スー・トン)の小説「婦女生活」(日本未訳)。以上、ウィキペデイアによる。


ジャスミンは茉莉花、チャン・ツィイー演じる三世代はそれぞれ茉、莉、花という名前です。やや場当たり的な感じもしますが・・・。いわゆる「女の一生」ものです。チャン・ツィイーの魅力は何なんだろうか?たしかに可愛いことは可愛いが、飛び抜けて美人でもないし、表情はいつも同じです。かといって演技力があるわけではなし・・・。まあ、ここでは演技力のある女優、とでもしておきましょう。なにしろ三世代、一人で三役をを演じ分けているのですから・・・。


第1部は1930年、実家の写真館を手伝いながら、夢見る18歳の娘・茉(モー/チャン・ツィイー)は、映画スターに憧れています。運良く映画会社の社長に見初められて、映画俳優の道を歩み始めます。その矢先に社長の子供を身ごもり、映画会社も軌道に乗らず、社長は香港へ逃げていってしまいます。茉は、仕方なく実家に帰ると、母親は見知らぬ男と同居していました。茉は夢を失い絶望の中で娘を生みます。ある日、男に誘惑され、身をまかせてしまいます。男に裏切られた母親は、置き手紙を残して命を絶ちます。


第2部は1950年、文化大革命時代。成長した茉(モー/ジョアン・チェン)の娘・莉(リー/チャン・ツィイー)は、中流以上の生活をしているにもかかわらず、労働者階級の青年・偉(ジェ)に恋して強引に結婚しますが、莉は偉の家族ともうまくいかず、実母の茉ともうまくいかず、子供が出来ない苛立ちから精神を病んでいきます。莉のために偉は養女・花(ホア)を貰い受けるが、莉は偉が花と関係を持っているという妄想に陥り、偉を党に訴えると大騒ぎします。無実を証明するため偉は命を絶ち、正気を失った莉は家を飛び出します。


そして第3部は1980年、現在。花(チャン・ツィイー)は祖母・茉に育てられ、可愛らしい娘に成長します。地方の大学に合格した青年・杜(トゥ)との交際を茉に猛反対され、反抗するように花は婚姻届を出すが、一緒に暮らすこともなく遠距離夫婦となる。そして彼の子供を身籠りますが、杜は別の女とも関係を持っていました。結婚に反対し、子供を産むことも反対した祖母の茉は亡くなります。臨月を迎えた花は、病院へ行くためタクシーをつまえようとしたが間に合わず、一人雨の中、路上で出産します。数年後、郊外の団地に引っ越し、母娘二人、新しい生活を夢見る花の姿がありました。


特徴的な中国の三つの時代を背景に、チャン・ツィイーは茉、莉、花と、不幸な三世代、三人を演じきります。逆に、この映画、男が掘り下げて描かれてないように思いました。それぞれ素晴らしい男に出会うわけでもなく、ただただ時代と向き合って、母親との確執の中で暮らしているという、全体的に暗い映画になっています。夜寝るときに、便器のような壺を部屋に置いておくなど、珍しい風習も描かれています。雨の中の体当たり的な出産シーンは、迫力があります。ただし、中国の歴史的な背景と、主人公らのつながりは表面的で、もう少し掘り下げて描いても良かったのではないでしょうか。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。

チェック:「初恋のきた道」などのチャン・イーモウ監督作品のカメラマンであるホウ・ヨン監督が初めてメガホンをとった女性讃歌。激動の時代を生きた三世代の女性たちの姿を力強く描く。主演は「SAYURI」などで国際派女優として注目されているチャン・ツィイーが務める。共演は「赤い薔薇、白い薔薇」のジョアン・チェンや、「PROMISE」のリィウ・イェ。チャン・ツィイーが茉・莉・花という3人の女性にふんし、それぞれまったく違うキャラクターを魅力的に演じ分けた。

ストーリー:1930年代の上海で、茉(チャン・ツィイー)は母(ジョアン・チェン)の反対を押し切り女優への道を歩み始めるが、これからという時に妊娠してしまう。同じ頃日本軍が中国に侵攻し、失意の中茉は娘の莉(チャン・ツィイー)を生む。1950年代、莉は労働者階級の偉(ルー・イー)と結婚するが不妊症だとわかり、養女として花(チャン・ツィイー)を貰い受けるのだが……。人、未来の希望に満ち溢れた新しい生活を夢見る花の姿があった。


jya4

jya3

jya2

jya1


過去の関連記事:

チャン・イーモウの「初恋のきた道」を観た!
ホ・ジノ監督の「危険な関係」を観た!



ギャラリーエーA4で「三里塚教会物語と吉村順三展」を観た!

$
0
0

sanri11

ギャラリーA4で「三里塚教会物語と吉村順三展」を観てきました。副題には「時代を越えて生き続ける小さな木造教会」とあります。今まで吉村順三の作品集には載っていない、従って一般には知られてない、初めて公になった作品です。しかも吉村順三の唯一の教会建築です。この展覧会は明日23日までと聞いて、大慌てで観に行ってきました。用意してあったリーフレットが完売したというほど大好評だったようです。


「三里塚教会物語」とあるように、クリスチャン戸村一作氏の生涯にもスポットを当てています。また「吉村順三展」ともあるように、吉村の設計した幾つかの住宅作品も展示してありました。旧軽井沢の「エロイーズ・カニングハムの家」を、元NHKアナウンサーで作家の下重暁子 さんが購入していたことは、今回初めて知りました。そして吉村と言えば家具、折りたためる椅子が展示されていました。


三里塚というと、戦後この地に入植した開拓農民によって荒れ地を開墾された農地でした。作物がなんとか育つようになったときに、当時信徒代表だった戸村一作氏の呼びかけにより、吉村順三の設計で新たに木造の教会が建設されました。なぜその設計が、東京藝術大学助教授だった吉村順三に委嘱されたのかは、未だ不明です。この教会は開拓農民の心の拠り所として、日曜の礼拝だけでなく、毎日の集会の場として、集落の広場的な存在だったようです。


その後、成田空港の計画が決定され、空港建設の補償として県営地に新しく教会を建設し、この教会は取り壊される予定だったという。戸村氏は「解体のためにやって来た人々を前に両手を広げてそれを阻止した」と言われています。成田空港反対闘争中もその後も、この三里塚教会は現在に至るまで、使われ続けてきました。この教会には鐘楼がありますが、予算がなくて、鐘そのものはとうとう設置されませんでした。


「三里塚教会」

千葉県成田市三里塚47-2 昭和29年(1954年)
木造 平屋建 一部二階建 真壁構造
延床面積:82.08㎡(24.83坪)
施工:共立工業株式会社(成田市三里塚)


吉村順三の唯一の教会作品。住宅スケールの建築材料で建てられた木造の教会堂である。柱を見せた真壁構造に、外装は杉板下見張オイルステイン塗装及び漆喰塗りの仕上げとなっている。屋根は勾配3寸5分で厚型スレート葺。靴を脱いで上がる日本的な構えの玄関から入ると、前室の広間の引違い戸の奥に、幅18尺(約5.45m)×奥行き27尺(約8.18m)、約45㎡(約13.5坪)の、約27畳の小さな礼拝堂が続く。正面には木構造の柱・梁をそのまま十字架の表現として利用している。


側面のスリット窓より外光が入る。屋根を支える柱は4寸角(約12cm)、柱スパンを飛ばすために使った丸太を半割にした梁トラスを見せることにより空間に程よいリズムと緊張感を与えている。屋根の勾配をそのまま内部空間とした天井高約5.2mの礼拝堂である。住宅のようなスケールで当時周囲に広がっていただろう牧歌的な農村風景に溶け込みつつも、鐘楼を屋根の上に載せることにより教会堂としてのささやかな存在感を表している。






「軽井沢の山荘/吉村別荘 森の中の家」
長野県北佐久郡旧軽井沢町/昭和37年(1962年)
1階 鉄筋コンクリート造、2階 木造 2階建 
延床面積:87.7㎡ *増築部を含まず

 

吉村順三を代表する作品のひとつで、自身が家族や事務所所員と過ごすために建てた自邸(山荘)。鉄筋コンクリート造のボックスの上に7.2m角の正方形のコンクリートスラブを乗せ、その上に木造の2階部分と片流れ屋根と屋上の露台を載せている。楡と椚の林に囲まれ、宙に浮いているかのように外に開かれた居間を中心に、居心地の良い空間が7.2m角の正方形の中に、その3分の1の2.4mの寸法を軸にコンパクトにまとめられている。森の中に佇める簡素ながらも周辺の自然と呼応した豊かな空間が広がる珠玉の名作。




吉村順三の家具

sanri12 sanri13

吉村順三:略歴
1908年(明治41年)9月7日 東京・本所生まれ。家業は呉服屋を営んでいた。
1921年(大正10年)建築雑誌「住宅」誌主催「小住宅設計懸賞」に2案応募して

             入選、選外佳作となる。(13歳)
             関東大震災で本所付近全壊。(14歳)
1923年(大正12年)東京府立第3中学校卒業
1926年(昭和元年)東京美術学校卒業。卒業制作が最小限住宅(新しい住宅の

             スタンダードの在り方を提案)。

             在学中からアントニン・レーモンド建築事務所に通っていた

が、正式に入所。(18歳)
1931年(昭和6年)帰米したアントニン・レーモンドに呼ばれ、渡米。
1940年(昭和15年)太平洋戦争開戦直前に最後の引き揚げ船で帰国。
1941年(昭和16年)同じ船に乗り合わせていたジュリアード音楽院に留学していた

             バイオリニストの大村多喜子さんと出会い、その後結婚。

             チェリストになった長女・隆子さんと3人家族。
 同年12月8日 太平洋開戦(真珠湾攻撃)の日に建築設計事務所を開設。(33歳)
1945年(昭和20年)東京美術学校(現在の東京芸術大学)助教授に就任。(36歳)
1956年(昭和31年)日本建築学会賞受賞(国際文化会館の共同設計)(48歳)
             パーソン賞受賞(ニューヨークの一連の作品)
1960年(昭和35年)皇居新宮殿の設計者に選定され、基本設計。(52歳)
1962年(昭和37年)東京芸術大学建築科教授に就任。(54歳)
1970年(昭和45年)東京芸術大学建築科名誉教授。
1972年(昭和47年)デザイン優秀賞受賞(ニューヨーク・ジャパンハウス)。
1975年(昭和50年)日本芸術院賞受賞(奈良国立博物館)。(67歳)
1980年(昭和55年)病に倒れ入院するが、およそ1年で現役復帰。(72歳)
1982年(昭和57年)勲三等旭日章受章。
1994年(平成6年)文化功労者顕彰。
1997年(平成9年)逝去。勲2等瑞宝章受章。(88歳)

主な作品:
1953年(昭和28年)佐倉厚生園サナトリウム/千葉
            東山魁夷邸/東京
1954年(昭和29年)ニューヨーク近代美術館日本館/アメリカ
            三里塚教会/千葉
1955年(昭和30年)園田高弘邸/東京
            国際文化会館(前川國男、坂倉準三と共同設計)/東京
1956年(昭和31年)モテル・オン・ザ・マウンテン/アメリカ
1957年(昭和32年)南台の家(吉村自邸)/東京
1959年(昭和34年)箱根ホテル小涌園/箱根
1960年(昭和35年)皇居新宮殿(基本設計)/東京
1962年(昭和37年)軽井沢の山荘(吉村山荘)森の中の家/軽井沢
            同志社大学アーモスト館/京都
            NCRビル/東京
1965年(昭和40年)浜田山の家/東京
            俵屋/京都
            愛知県立芸術大学・講義室棟ほか/愛知(~1971年)
            文殊荘/京都
1969年(昭和44年)青山タワービル・タワーホール/東京
1970年(昭和45年)軽井沢の山荘(脇田邸)/軽井沢
            山中湖の山荘(亀倉邸)/山梨
            ホテルフジタ/京都
1971年(昭和46年)ジャパンハウス/アメリカ
1972年(昭和47年)奈良国立博物館/奈良
1974年(昭和49年)ポカンティコヒルの家(ロックフェラー邸)/アメリカ


「Gallery A4」ウェブサイト

過去の関連記事:

ギャラリーエークワッドで「数寄屋大工―美を創造する匠―」を観た!
ギャラリーエークワットで「森山開次展 ハコ・ヒト・ハコ 踊り・空間・映像」を観た!
ギャラリーA4で「札幌聖ミカエル教会」とアントニン・レーモンド展を観た!
「坂倉準三/前川國男/木造モダニズム展」を観る!
竹中工務店東京本店
「100人の東京駅」展を観る!







「建築の危機」打開せよ―建築界のリーダー3氏が公開討論!

$
0
0

kiki2
kiki1


「公開討論」とはいえ、東京大学建築学科大学院の企画、一般の人にはほど遠い存在です。また「建築の危機」と言われても、多くの建築の実務に就いている人には「いったい何が?」と疑問符が付きます。


が、いずれにせよ、現代建築をリードする槇文彦、磯崎新、原広司の3人の建築家が、「これからの建築理論」をテーマに公開で語り合ったことが、新聞紙上で一般に知らされたことは、多くの課題に突き上げられている建築界にとっても意義のあることでもあります。と、思うのでありますが、彼ら3人の建築家は東京大学建築科卒業のエリート中のエリート、3人とも白髪で合計年齢は244歳、大西若人の記事を見ると、かなり「うわづみ」の議論で、しかもそれぞれの意見がすれ違っているように思いました。


思えばこの3人の建築家、僕が建築の道に入ってから、彼らの言説やつくり出す建築に一喜一憂し、ずっと追っかけてきた遙か彼方の建築家でした。「代官山ヒルサイドテラス」の槇文彦、「つくばセンタービル」の磯崎新、「梅田スカイビル」の原広司、と彼らの代表作を付けて記事の始めに紹介されています。もちろん、その3作は出来てすぐに観に行っています。



槇文彦の建築に関しては、アメリカからの帰国後、デビュー作の「名古屋大学講堂」でいきなり建築学会賞を受賞します。ハーバードを出てホセ・ルイス・セルトの事務所に勤務後のことです。こんなラッキーは、ブロイヤーのところから帰ってきたばかりで、丸ビルを歩いていて中央公論社長に会い、「中央公論ビル」でこちらもいきなり建築学会賞を受賞した芦原義信くらいなものです。そう言えば2人ともハーバードでした。「千葉大学医学部講堂」も観ましたが、なんかの関係でバスでの見学会に参加した「立正大学熊谷校舎」が思い出に残っています。“モール”や“コリドール”など、都市の概念を使っての建築でした。「トヨタ鞍ヶ池記念館」も中を見せていただきました。


藤沢にある「秋葉台体育館」も、長谷川逸子の「湘南台文化センター」と一緒に観に行きました。もちろん、代官山集合住宅にあった「タンタン」の絵本のお店や「トムズサンドイッチ」には、子供が小さい頃はよく行きました。2期3期と次々と増築されて、雑貨店などで生活用具を買ったりもしました。「ヒルサイドテラス」も今では5期にもなりました。青山の「スパイラル」は今でもふらりとよく行きます。槇の母方の祖父は竹中藤右衛門、慶応から東大、ハーバードという学歴です。それを何代か溯ればただの大工ではないかと揶揄する人もいたりします。近代日本の名家であることは間違いありません。安藤忠雄、伊東豊雄、石井和絋、毛綱毅曠、石山修武ら若い建築家を、「平和の時代の野武士たち」と、一刀両断に揶揄したこともありました。



磯崎新の建築に関しては、大学の卒業時に友人たちと夜行列車で行った大分での「磯崎新建築もうで」を思いだします。「大分医師会館」や「岩田学園」、そして“プロセス・プランニング”を実践した「大分県立図書館」を観ました。また「N邸(中山邸)」では、住宅の中まで入れて貰い、丁寧に説明していただきました。そして「福岡相互銀行大分支店」でも、応接室に案内され、営業室の写真も撮らせていただきました。N邸といい、相互銀行といい、今ではとても考えられないことです。「群馬県立近代美術館」には、隣にある大高正人の「群馬県歴史博物館」と共に、何度か観に行っています。磯崎の出世作「つくばセンタービル」、そしてあの100mのタワーがそびえる「水戸芸術館」は、一つの時代をつくったと言えます。先日観た「磯崎新 都市ソラリス」には大いに刺激を受けましたが、やや時代錯誤の感は否めません。



原広司の建築に関しては、かなり初期の建築から観ています。佐世保の丘の上にある「久田学園佐世保女子高等学校」は、原の唱えた“アーティキュレーション”を実践した建築です。また“有孔体理論”を実践した佐倉市にある「下志津小学校」も観に行きました。もちろん原の著書「建築は可能か」を読んだりもしていました。「飯田市美術博物館」や「梅田スカイビル」も、わざわざ観に行きました。「京都駅ビル」はコンペの時から注目していて、指名コンペ参加者全員の作品が展示された展示会へも京都まで行った記憶があります。安藤忠雄やジェームス・スターリングをコンペで破って実施に至りました。東日本大震災の前に宮城県周辺で起きた地震の後に、「宮城県図書館」を訪れたこともありました。世界の集落調査のエッセンスである「集落の教え100」からは多くを学びました。大江健三郎は原の「集落の教え」を何度も引用しています。大江の故郷である内子町の「大瀬中学校」も原の作品です。


さて「多くの課題に突き上げられている建築界」のなかで、建築家の職能の問題、責任を分散させる資本主義社会の問題、都市が巨大化して建築との接点が薄れている問題、社会が高度に情報化されている問題など、多くの問題が現前しています。が、しかし、当座の最大の課題は「新国立競技場」の問題だと言えます。「建築ジャーナル」2014年1月号の特集は「新国立劇場案を考える」ですが、執筆者5人の内4人が反対派だったようです。読んでいないので詳しいことは分かりませんが、反対ではない1人は審査委員でもあった鈴木博之のようです。鈴木は別のシンポジウムで、新国立競技場と新築なった歌舞伎座を比較して、「襲名」という言葉で読み解いたという。同じく審査委員だった内藤廣は、自分の事務所のホームページで反論をしていたので話題になりました。


昨年10月11日、建築家協会主催の「新国立競技場案を 神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」と題したシンポジウムには、槇文彦も出席して行われたという。パネリストは、建築史・都市史の陣内秀信法政大学教授、社会学者宮台真司首都大学教授、建築家・東京大学教授大野秀敏、進行役は.JIA MAGAZINEの編集長・古市徹雄千葉工大教授で、総合司会は槇総合計画事務所OBで、東京藝大教授の元倉真琴でした。


鈴木は東京大学出身の東京大学教授、内藤は早稲田大学出身の東大教授で、東大の副学長まで務めました。審査委員長は安藤忠雄、大学は出ていないで突然東京大学教授になった建築家です。事実上、ザハ・ハディト案を選んだ張本人といえるでしょう。槇文彦がやり玉に挙げている歴史的な文脈を逸脱した「案」ということになります。槇にとってこの地は、TEPIA(機械産業記念館)を建て、東京都体育館を建て、津田ホールを建ててきた経緯がある、よく知った地でもあります。


こうしてみていくと、「新国立競技場」問題は、槇文彦対安藤忠雄という構図になります。安藤忠雄は、鈴木博之や前東大教授の難波和彦、早稲田大学の石山修武をも巻き込んで論陣を張ろうとしているようです。「新国立競技場」問題は、元東京大学教授同士の、どちらが正統派なのかというヘゲモニー争いか、これは部外者には「コップの中の嵐」にみえます、というとあまりにも不謹慎かもしれませんが・・・。


過去の関連記事:

新国立競技場、審査委員の内藤廣の発言!
建築家・槇文彦「異議あり 新国立競技場計画」!
槙文彦の「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」を読んだ!
熱狂の舞台は流線形 新国立競技場デザイン発表
新国立競技場コンペ、国内外から11点が残る。
あたらしい国立競技場、国際デザイン・コンクール!

下北沢の「パンニャ」でカレーを食べる!

$
0
0

pan7

前から行こう行こうと思っていたカレー屋さん、キッチュこと松尾貴史のお店です。メニューは「チキンカレー」「ほうれん草とカッテージチーズのカレー」「キーマカレー」「チキンとキーマのハーフ&ハーフ」「特別なカツカレー」の5種類です。


実は二番目の息子、つまり次男が誕生日なので、何もしてやれないので、向こうもあまり期待もしていないようなので、せめてカレーでもご馳走してやるか、と思って二人で出かけたというわけです。僕は「チキンカレー」と「キーマカレー」、さてどっちにしようかと迷っていたら、息子がメニューを見て「ハーフ&ハーフにすれば~」と言ったので、それを注文しました。「一度で二度美味しい、よくばりさんにオススメです」とメニューにありました。


お店の場所は新宿と三軒茶屋の抜け道です。僕も最初はタクシーに乗ってこの道を知りました。そして多分そうじゃないかなと思っていたところ、やっぱりそうでした。実は知人がここで設計事務所をやっていたところでした。なんどか遊びに行っては、ビールをご馳走になり、無駄話をしていました。


そしてキッチュこと松尾貴史に関してですが、東京の家は僕の家のすぐ近所です。同じ町内というわけです。最近はあまり見かけませんが、以前はご夫婦と子供連れでバーミューダパンツで近所を歩いていました。


「パンニャ」のカレーの特徴(ホームページより)

基本インドカリーをベースにしていますが、日本人に馴染みがある出汁、醤油、バターなどを取り入れています。それにより、コクと旨味が出ます。一見サラサラなカレールー、実は豊かな滋味が広がります。そして、多くの食材やトッピングの具に驚くほど親和性があります。北インドのスタイルで玉葱を飴色になるまで炒めます。香りと辛さは南インドの雰囲気です。辛めのルーの中の玉葱のみじん切り(ほとんど形状をとどめていませんが)は、玉葱の甘さを強く実感できます。日本で作られるカレーによく使われる小麦粉等を使わないため、いつ食べても胃にもたれにくいことも特徴のひとつです。


pan5 pan4


パンニャのメニュー

pan6

チキンとキーマのハーフ&ハーフ

pan3

pan2

「パンニャ」ホームページ


「パンニャのブログ」


pan1 松尾貴史藝能生活30周年記念

「横好き落語会 in赤坂BLITZ」

出演:松尾貴史

    桂南光・桂吉坊

その他豪華ゲストも参加予定!

2014年2月5日(水)







過去の関連記事:下北沢カレーの店

下北沢「マジックスパイス東京」でスープカレーを!
下北沢のスープカレー「心」で昼食を!




中村文則の「去年の冬、きみと別れ」を読んだ!

$
0
0

naka


中村文則の「去年の冬、きみと別れ」(幻冬舎:2013年9月25日第1刷発行)を読みました。 一目見て、あまりにもロマンチックなタイトルなので、芥川賞受賞作の「土の中の子供」や、大江健三郎賞受賞作の「掏摸」を書いた人なのかと驚きました。が、そんなはずはない、本の帯には「日本と世界を震撼させた著者が紡ぐ、戦慄のミステリー」とあります。


「日本と世界を・・・」ということは、「掏摸」の英語版の評価が高く、LAタイムズ文学賞最終候補や、ウォールストリート・ジャーナル2012年ベスト10小説に選ばれたことによります。そのきっかけは、受賞作を翻訳して出版するという、大江健三郎賞受賞でした。なんと「掏摸」は世界10ヶ国に広がっていて、英訳は3冊目になるという。


本の帯には、以下のようにあります。


愛を貫くには、こうするしかなかった。

ライターの「僕」は、ある猟奇殺人事件の被告に面会に行く。彼は、二人の女性を殺した容疑で逮捕され、死刑判決を受けていた。調べを進めるほど、事件の異様さにのみ込まれていく「僕」。そもそも、彼はなぜ事件を起こしたのか?それは本当に殺人だったのか?何かを隠し続ける被告、男の人生を破滅に導いてしまう被告の姉、大切な誰かを亡くした人たちが群がる人形師。それぞれの狂気が暴走し、真相は迷宮入りするかに思われた。だが・・・。

これは、冷酷な狂気か、美しき純愛か?


物語はライターの「僕」が一審で死刑判決を受けた被告に拘置所に会いに行く場面からはじまります。「あなたが殺したのは間違いない。・・・そうですね?」と言うと、男はアクリル板を隔てて逆に「覚悟は、・・ある?」と視線を逸らさずに言います。「僕はあなたについての本を書くと決めたのです」と言うと、男は去り際に言う。「きもと二人で、考えていくことになるかもしれない。僕がなぜ、あんなことをしたのか、ということを」。


木原坂雄大、35歳。二人の女性を殺害した罪で起訴され、一審で死刑判決を受け、現在は高等裁判所への控訴前に被告になります。職業はアート写真しか撮らないカメラマンで、母方の祖父の遺産で生活していました。幼い頃、母が失踪し、父親は避けに溺れていたので、姉と共に児童養護施設で暮らしています。カメラマンとしての評価は高く、無数の蝶が乱れ飛んだ「蝶」を撮った写真は、海外で賞を受賞しています。「蝶」を推したロシアの写真家は「真の欲望は隠される」と評しています。


「僕」は、殺人者の姉、木原坂朱里に会う。「あなたでは無理ね」「私達の領域にまで、来ることはできない」と言う。そしてカポーティの「冷血」を読んだことあるか、と言う。「カポーティはあのノンフィクションを書いて、心を壊してしまった。一家を惨殺した、あの犯人達のノンフィクションを。でも彼はそれを書き上げることができた。だけど・・・、あなたは途中で投げ出すでしょう」と。


弟は言う。「姉さんには、悪い癖があるんだよ。人を駄目にしたくなるような、いや、人を駄目にすることで、自分を駄目にしたくなるようなところがある」。「姉さんは、一人では決して堕ちていかない。人を巻き込むんだ」。


木原坂雄大の、唯一ともいえる友人、加谷は言う。「芥川龍之介の『地獄変』という小説を、あなたもご存知でしょう?」。僕は頷きます。「絵に狂った絵師が、自分の娘が実際に焼け死んでいく様子を見、それを絵に描く。その後絵師は自殺しますが、残ったその地獄変の描かれた屏風は凄まじい芸術性を放つ・・・。」「でも彼は違う。ただ燃やしたんです。芸術家であるのに写真も撮らずに」。僕は言う。「二人も殺している。一人目の時は火事、つまり事故として処理されましたが、二人目を殺した時、全てが明るみになった。片方が事故で片方が殺人なんて、そんな都合のいいことがあるわけがない。両方とも彼がやったことが明らかになった」。


「彼は昔、こんなことを言ってましたよ。写真とは模倣であると。写真は模倣であるけど、模倣以上のものだと」。「あと、芸術とは一種の暴露であるとも」。僕は「文学とは、世界、ことに人間を、世界に向かって暴露することである、というようなことをサルトルは書いてました」と言います。


「・・・僕はね、ちゃんと死刑になろうとしている。だけど、時々、揺らぐことがあるんだ。・・・最近幻覚が酷いんだ。姉さんだって助けてくれない」。「あの二つの事件は、僕のせいじゃないんだ。彼女達が悪いんだよ。・・・一回目の事件、吉本亜希子のこと。彼女は美しかった。僕は目が見えない彼女の支えになろうと思った。・・・二件目の事件の、小林百合子のことは、あれはね、彼女の方から僕に近づいてきたんだ。本当だよ。彼女はね、死にたがっていた」。「僕は逮捕された」。


画面は彼女と彼女の向き合うそのカメラを、右側から捉えています。「男がしゃがみ込み、トランクを開ける。巨大なトランク。中に女が入っている。木原坂雄大の姉。小林百合子はそれを見ると、安心したように男に何かを言い始める。彼女と男は、トランクから朱里を出す。彼女は深く眠っているように見える」。油を注ぐ。ソファにも、ソファの下の絨毯にも。男はマッチをすり、朱里に向かって投げる。ドアが開く。別の男が入ってくる。煙が噴出し、火がさらに激しくなる。男は不意に、固定されたカメラに飛びつき、シャッターを切る。何枚も何枚も。彼が小林百合子の名を叫んでいるのがみえる。でももうこの場所には、彼と姉しかいない。


画面が一台の車に近づく。車内には小林百合子と男がいる。男が、小林百合子に木原坂雄大の姉の部屋の鍵や、保険証、年金手帳などを渡している。偽造した写真も、字体を覚えるための彼女の日記なども。車がゆっくり走り出す。映像はそこで不意に終わる。


「脳天気な明るさは僕の小説にはいらない。悪を見ながら、善を書く。冷酷さや残酷さを踏まえた上で、希望を描くのです」と、中村文則は言う。「物語はミステリー、人間の内面を描いていく手法は純文学」という、書き下ろしの長篇です。


中村文則:略歴

1977年愛知県生まれ。福島大学卒。2001年「銃」で新潮新人賞を受賞しデビュー。04年「遮光」で野間文芸新人賞、05年「土の中の子供」で芥川賞、10年「掏摸(スリ)」で大江健三郎賞を受賞。「掏摸(スリ)」は世界各国で翻訳され、アメリカ・アマゾンの月間ベスト10小説、アメリカの新聞「ウォール・ストリート・ジャーナル」で2012年の年間ベスト10小説に選ばれ、さらに13年、ロサンゼルス・タイムズ・ブック・プライズにもノミネートされるなど、国内外で話題をさらった。他の著書に「何もかも憂鬱な夜に」「悪と仮面のルール」など。


過去の関連記事:
「第4回大江健三郎賞 大江健三郎と中村文則の公開対談」を聞く!
中村文則の「掏摸」を読んだ!
大江健三郎賞に中村文則の「掏摸」が!
芥川賞受賞作、中村文則の「土の中の子供」を読む!




山種美術館で「Kawaii 日本美術―若冲・栖鳳・松園から熊谷守一まで―」を観た!

$
0
0


山種美術館で「Kawaii 日本美術―若冲・栖鳳・松園から熊谷守一まで―」を観てきました。観に行ったのは1月8日、もう半月以上も前のことです。タイトルを一目見て、府中市美術館で開催された「かわいい江戸絵画」を思い浮かべました。「江戸絵画」と「日本美術」の違いはありますが、同じ「かわいい」がテーマです。山種美術館が「Kawaii 日本美術」を準備している最中に、府中の「かわいい江戸絵画」が開催されたという。違いはと言うと、「館長と学芸員が全員女性で構成されるフェミニンな感性を活かし、幅広い時代やジャンルに目配りしながら作品をセレクトしている」としています。

府中市美術館で「かわいい江戸絵画」(前期)を観た!
府中市美術館で「かわいい江戸絵画」(後期)を観た!



さて、山種美術館の「Kawaii 日本美術」ですが、目玉は後期の伊藤若冲「樹花鳥獣図屏風」(静岡県立美術館蔵)に異を唱える人はいないでしょう。僕は若冲のこの作品は、「伊藤若冲アナザーワールド」展で、静岡県立美術館と千葉市美術館で二回観ています。「若冲が来てくれました」展で観たプライスコレクションの「鳥獣花木図屏風」も同じ「桝目描」という手法ですが、やはりちょっとずつ異なります。
静岡県立美術館で「伊藤若冲アナザーワールド」展を観た!
千葉市美術館で「伊藤若冲―アナザーワールド―」展を観た!

企画に事欠いて「子供」や「動物」を持ち出すのは邪道と言われたりする世界もありますが、と府中では皮肉を書いたこともありましたが、「かわいい」というと、筆頭はどうしても「子ども」と「動物」になります。唐子や金太郎といった伝統的な子どもの主題を扱った作品もありましたが、幼い長女を描いたという小茂田青樹の「愛児座像」は娘をいとおしむ画家の愛情が伝わってきます。昭和24年にインド象の「インディラ」が、日本にやってきました。その様子を川端龍子は「百子図」として、子どもが象と戯れる平和な光景として描いています。


日本画専門の美術館を標榜する山種美術館、小出楢重の5歳になる長男を、カンバスの油彩で描いた「子供立像」(大正12年)は、やはり一種異様に見えました。じっとしていられないわが子をなだめるため、ご褒美を与えたり、物語を聞かせたりしたという。それにしてもこの絵の子供は、妙に大人びた顔つきです。「ベスト・オブ・山種コレクション」に入っている作品ですが・・・。

動物で「かわいい」のは、犬、猫、兎、猿、などが挙げられますが、竹内栖鳳の娘婿にもなった西山翠嶂、写生を重視した、円山四条派の系譜を弾く画家ですが、「狗子」はまさに癒し系です。生まれたばかりの仔牛を見て生命の誕生に強く感銘して描いたという山口華楊の「生」も素晴らしい。 若冲の「鶴亀図」は、水墨の鶴と亀をデフォルメして描いていますが、鶴の頭にもう一羽の鶴が隠れていることは、図録を観るまで分かりませんでした。蒔絵師でもあった柴田是真の「墨林筆哥」は文句なくかわいい。得意げに琵琶を弾く中央の蛙は、愛橋たっぷりで、周囲の蛙たちも熱心にそれを聞いています。


若冲の図録を観直してみると、ちゃんと描いているものもあれば、けっこう自分自身が愉しんで、観る人がクスッと笑っちゃうような「ほのぼの・ユーモラス」な作品も多いことに気がつきます。今回出されている「托鉢図」や「伏見人形図」がそれにあたります。「伏見人形図」は、アナザーワールドにもプライスコレクションにも形は変われど出ていました。おなかをはだけて、唐団扇を両手で持ち、にこにこ微笑む布袋様です。京都の伏見稲荷の土産物として親しまれたという素朴な土人形を、若冲は40年近く描き続けたという。京都では、無病息災を祈って毎年一体ずつ買い足して、それを7年間続けるという風習があるそうです。


展覧会の構成は、以下の通りです。

第1章 描かれた子ども―人物の中のKawaii

第2章 生きもの大集合―動物の中のKawaii

第3章小さい・ほのぼの・ユーモラス―Kawaiiってなに?


kawaii

第1章 描かれた子ども―人物の中のKawaii




第2章 生きもの大集合―動物の中のKawaii



第3章小さい・ほのぼの・ユーモラス―Kawaiiってなに?




「かわいい日本美術―若冲・栖鳳・松園から熊谷守一まで―」

日常でもよく耳にする「かわいい」という言葉。今や海外にまで広がり、日本から発信される「Kawaii」文化に注目が集まっています。さかのぼれば、平安時代に著された『枕草子』には「うつくしきもの(=かわいいもの)」として稚児や雀の子などが挙げられており、小さいものや幼いもの、未完成なものの愛らしさ、儚さを「かわいい」とめでる文化が、古くから続いてきたことがわかります。本展では、文学の世界だけでなく美術の世界でも、時代を超えて人々の心を捉えてきた「かわいさ」に注目します。とりわけ、無邪気な仕草や表情が微笑ましい子ども、身近な存在として馴染み深い犬や猫をはじめとする動物、鳥、虫などの生きものを対象とした作品には、「かわいい!」と思わず声を上げたくなるような表現が多く見出せます。室町時代の《藤袋草子絵巻》(サントリー美術館)では、子ども向けの絵本を思わせる素朴な描写によって猿を擬人化して描き、江戸時代の伊藤若冲は、枡目描きの技法で愛嬌たっぷりの動物尽くしの屏風《樹花鳥獣図屏風》(静岡県立美術館)を制作しました。また、近代日本画においては、温かいまなざしで小さな命を見つめた竹内栖鳳《みゝづく》、折紙で遊ぶあどけない少女の姿を描いた上村松園《折鶴》(いずれも山種美術館)など、自然、あるいは日常に見られる生きものや子どもの愛らしい瞬間を捉えようとする意識が窺えます。さらに、熊谷守一の洋画や谷内六郎の挿絵原画に表されたほのぼのとした「ゆるさ」もまた、現代人にとっての「Kawaii」という感覚に通じるものでしょう。本展では、中世から現代までの絵画ほか、乙女心をつかむ小さな化粧道具などの作品を幅広くご紹介いたします。外見のかわいさだけでなく、シンプルな線、カラフルな色彩、ユーモラスな表現に潜む「Kawaii」を、日本美術を通して紐解く展覧会です。


「山種美術館」ホームページ


kawa1 「Kawaii 日本美術」

―若冲・栖鳳・松園から熊谷守一まで―
図録

2014年1月3日発行

編集:山種美術館学芸部

発行:山種美術館








過去の関連記事:山種美術館

山種美術館の「小林古径生誕130年記念 古径と土牛」ブロガー内覧会

山種美術館で「再興院展100年記念 速水御舟―日本美術院の精鋭たち―」を観た!
山種美術館で「百花繚乱―花言葉・花図鑑―」(後期)を観た!
山種美術館で「百花繚乱―花言葉・花図鑑―」(前期)を観た!
山種美術館で「琳派から日本画へ―和歌のこころ・絵のこころ―」(前期)を観た!
山種美術館で「生誕100年 高山辰雄・奥田元宋―文展から日展へ―」を観た!

山種美術館で「没後70年 竹内栖鳳―京都画壇の画家たち―」を観た!
山種美術館で「桜 さくら SAKURA 2012」を観た!
山種美術館で「和のよそおい―松園・清方・深水―」展を観た!
山下裕二の変化球「山種コレクションベスト10」!
山下裕二の「知られざる山種コレクション10選」を聞いた!
山種美術館で「ザ・ベスト・オブ・山種コレクション」展(前期)を観た!

山種美術館で「百花繚乱 桜・牡丹・菊・椿」展を観た!
山種美術館で「BOSTON 錦絵の黄金時代 清長、歌麿、写楽」展を観た!
山種美術館で「歴史画を描く―松園・靫彦・古径・青邨―」展を観た!
山種美術館で「日本美術院の画家たち―横山大観から平山郁夫まで」展を観た!

山種美術館で「日本画と洋画のはざまで」展を観た!
山種美術館で「江戸絵画への視線」展を観た!
山種美術館で「浮世絵入門」展を観た!
山種美術館で「生誕120年 奥村土牛」展を観た!
山種美術館で「大観と栖鳳―東西の日本画―」展を観た!

山種美術館で「東山魁夷と昭和の日本画展」を観た!

山種美術館で「速水御舟―日本画への挑戦―」展を観た!
山種美術館で「美人画の粋 上村松園」展を観た!
山種美術館で「桜さくらサクラ・2009」展を観た!
山種美術館で「松岡映丘とその一門」展を観た!
山種美術館で「大正から昭和へ」展を観た





出光美術館で「板谷波山の夢みたもの」を観た!

$
0
0
hazan

出光美術館で「板谷波山の夢みたもの」を観てきました。観に行ったのは1月14日でした。板谷波山と言えば、泉屋博古館や講談社野間記念館でも波山の優品を持っています。それぞれの美術館では、「優品展」などでは必ず波山の作品が展示されています。僕が波山の作品を纏まって観たのは、泉屋はっ古館分館で観た「板谷波山をめぐる近代陶磁」展でした。
泉屋博古館分館で「板谷波山をめぐる近代陶磁」展を観た!


講談社野間記念館で波山の作品を観た時には、以下のように書きました。

板谷波山の「葆光彩磁妙音紋様大花瓶」、波山がヨーロッパ窯業の技術を取り入れ、白磁や青磁など東洋の伝統技法にも創意を加え、近代陶芸の衣裳改革を目指してきた波山の、大正初期の一つの結論として完成させた様式である、と解説にあります。光沢のないマット釉の採用で、紋様が線としてよりも色彩のグラデーションとして表現されたもので、大きくて安定感のある堂々とした作品です。


振り返ってみると、出光美術館でも「麗しのうつわ―日本やきもの名品選」を観ていました。図録を見てみると、そのなかで波山の作品が7点出されていました。


チラシには、以下のようにあります。

板谷波山は、明治・大正・昭和の美術思潮に応えながら、困難な時代を乗り越え、最高の美を求め続けました。美しさを夢みる力は、高い理想と誠実な技術に貫かれた作品のすべてに、魂のように籠められています。生涯をかけて自己への厳しい姿勢で追求された陶芸は、波山を、そして私達を至福の世界に包み込むものに他なりません。波山が世を去って半世紀の今、出光コレクションの波山陶芸約180件と、その肉筆画波山の息吹を伝える素描約120件を一堂に展観し、私たちの時代へ、夢みる力を問いかけます。


以下、図録の作品解説による。

「彩磁玉葱形花瓶」、玉葱をかたどる小さな花瓶は、実はアール・ヌーヴォーの意匠であり、エミール・ガレのガラス器などにもあらわされている。薄紫や緑などの色彩が溶け合い、ガラス器と見まがうばかりの本作は、波山がまだ「波山」銘を記さない、最初期の習作である。


「葆光彩磁紅禽唐草文花瓶」、波山の独創的な技法である葆光彩は、艶消しの葆光釉をかけることで、薄絹を透かしたような淡い光を放つ。「葆光」とは光を包むという意味で、波山の命名による。葆光彩の技術は、この小品で最初に完成の域に達したといわれる。


「葆光彩磁草花文花瓶」、波山の葆光彩磁のなかでも、もっとも軽やかで優美な作品のひとつ。平坦な口縁から、胴の中央がふくらみ、底に向かってすぼまる器形は、花の意匠を効果的に見せる形としてつくられたもの。口縁と胴裾に帯文様をめぐらせ、中央の広い余白には、淡い色彩で逆S字曲線をなすチューリップが等間隔に配される。逆S字曲線は、江戸時代後期の『更紗図譜』「白ケシ更紗」をもとに考案された意匠である。


「葆光彩磁花卉文花瓶」、波山の葆光彩のなかでも傑作に数えられる優品で、木蓮や紅梅など、早春の花があらわされている。臙脂、青、淡い緑の花々は、端正な彫刻文様の上に彩色され、葆光彩の淡いヴェールのようなかがやきに包まれて、朝霧に匂い立つかのようである。明治末期から始められた葆光彩の技法が完成期を迎えた頃の作で、波山芸術の到達点ともいわれている。


「彩磁八ッ手葉文手焙」、アール・ヌーヴォーの植物図案の中で、波山がもっとも好んで使ったモチーフが八つ手であった。うつわを包み込むように広がる葉のデザインは、素描集にも残されている。本作では艶やかな八つ手の葉に、四六可憐な花が添えられている。手焙は手を温めるのに使う小型の火鉢。手取りのずっしりと重い、堂々たる作である。


「彩磁唐花文花瓶」、東洋陶磁の王道ともいえる染付の美を、波山らしい清新な表現であらわした優品である。外反する口縁に短い頸がつき、胴は上部を心もち膨らませた姿となる。口縁には細かい連続文様をつなぎ、胴には、空間をいっぱいに使って大きな唐花が花開く。花や蕾は、丸味のある形にデザイン化され、花群が上から下に大きく風に揺らされた瞬間のように見え、動きを感じさせる。


板谷波山(1872-1963)は、茨城県下館市の生まれ、号の「波山」はさもありなん、故郷の筑波山にちなむという。上京して東京美術学校彫刻科へ入学、岡倉天心、高村光雲らの指導を受けます。横山大観・下村大観・菱田春草・木村武山などの日本画家も机を並べていたようです。美術学校卒業後、石川県工業高校の彫刻の教諭として採用されます。高校で陶芸の指導をすることがきっかけで、自身も作陶の道に入ります。高校を退職して上京後、本格的に作陶の道を進みます。河井寛治郎や濱田庄司は、この頃の波山の弟子だったそうです。


波山は、次第に数々の賞を受けるようになります。大正6年の日本美術協会展で、波山は「葆光彩磁珍果文花瓶」が1等賞金杯に輝き、日本陶芸界の頂点に立ちます。「葆光」とは、光沢を隠し、物の線界をやわらかく薄く描くことで、つや消し釉で淡い幻想的な色彩を創り出しました。この作品が平成14年に、宮川香山の作品と共に、近代の陶磁器としては初めて「重要文化財」に指定されました。昭和28年には陶芸家として初の文化勲章を受賞しました。


展覧会の構成は、以下の通りです。


序章 <波山>誕生―生命主義の時代と夢みる力
第1章 波山の<眼>と<手>―陶芸を掘る、陶芸を染める
第2章 波山の夢みたものⅠ―色彩と白、そして光
第3章 波山の夢みたものⅡ―鉱物・天体・植物・動物
第4章 あふれる、夢の痕跡―図案と写生
終章 至福の陶芸


第1章 波山の<眼>と<手>―陶芸を掘る、陶芸を染める


第2章 波山の夢みたものⅠ―色彩と白、そして光


第3章 波山の夢みたものⅡ―鉱物・天体・植物・動物




終章 至福の陶芸


「板谷波山の夢みたもの」

近代日本を代表する陶芸家、板谷波山(いたやはざん 1872~1963)は、激動の明治・大正・昭和を生きぬき、比類なく美しい、精妙な陶芸の数々を遺しました。その功績は高く讃えられ、昭和9年(1934)に帝室技芸員に任命され、昭和28年(1953)には陶芸家として初の文化勲章を受章します。東京美術学校彫刻科で学んだ波山は、明治時代末期から大正時代にかけて頭角をあらわします。彫刻の技を生かした「薄肉彫(うすにくぼり)」で文様を精緻に浮彫し、そのうえに色を与え、きらめく釉薬をかけた「彩磁(さいじ)」や、光を柔らかく包む艶消し釉をかけた「葆光彩(ほこうさい)」など、独創的な陶芸世界を切りひらいてゆきました。アール・ヌーヴォー様式の西洋陶芸を研究したことが知られる波山ですが、その作品には、実は同時代の近代日本芸術との共通性が多く見出せることに驚かされます。西洋絵画の刺戟(しげき)を受けて色彩や光を追求した黒田清輝(くろだせいき)や小杉放菴(こすぎほうあん)といった画家たちなど、美術の領域はもちろん、夏目漱石や泉鏡花の小説に指摘される生命礼賛の「生命主義」や、宮沢賢治の詩や童話にみられる星と結晶への憧憬など、波山の陶芸は、美術・文学を包含した近代日本芸術の土壌に育まれ、花開いたことがわかります。本展では波山を陶芸家としてのみならず、一人の芸術家としてとらえなおし、近代の芸術・科学と奏であう響きに耳を澄ますことで、波山芸術の豊饒さへと深く分け入ってゆきます。数度の戦争や震災を経た91年の生涯を、ひたすらに美しいもの無垢なものを夢みつづけて歩みとおした波山。波山が世を去って半世紀の今、遺された作品をふりかえり、至福の陶芸世界と、その源泉にある夢みる力を感じていただければ幸いです。


「出光美術館」ホームページ


過去の関連記事:

出光美術館で「江戸の狩野派―優美への革新」を観た!

出光美術館で「源氏絵と伊勢絵―描かれた恋物語」を観た!
出光美術館で「オリエントの美術」を観た!
出光美術館で「琳派芸術Ⅱ」(後期)を観た!
出光美術館で「琳派芸術Ⅱ」(前期)を観た!
出光美術館で「東洋の白いやきもの―純なる世界」を観た!
出光美術館で「悠久の美」を観た!
出光美術館で「長谷川等伯と狩野派」展を観た!
出光美術館で「大雅・蕪村・玉堂・仙厓」展を観た!
出光美術館で「花鳥の美―珠玉の日本・東洋美術」展を観た!
出光美術館で「琳派芸術 第2部 転生する美の世界」展を観た!
出光美術館で「琳派芸術 第1部 煌めく金の世界」展を観た!
出光美術館で「茶陶への道 天目と呉州赤絵」展を観た!
出光美術館で「仙厓―禅とユーモア」展を観た!
出光美術館で「日本美術のヴィーナス」展を観た!

出光美術館で「屏風の世界」展を観た!

出光美術館で「茶 Tea ―喫茶のたのしみ―」を観た!

出光美術館で「麗しのうつわ―日本やきもの名品選―」展を観た!

出光美術館で「ユートピア 描かれし夢と楽園」展(前期)を観た!
出光美術館で「中国の陶俑―漢の加彩と唐三彩」展を観た!

出光美術館で「やまと絵の譜」展を観た!
出光美術館で「水墨画の輝き―雪舟・等泊から鉄齋まで」展を観た!
出光美術館で「小杉放菴と大観 響きあう技とこころ」展を観た!
出光美術館で「文字の力・書のチカラ―古典と現代の対話」展を観た!
出光美術館で「志野と織部」展を観る!
出光美術館で「国宝・風神雷神図屏風」展を観る!


行定勲監督の「つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語」を観た!

$
0
0

tuya

行定勲監督の「つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語」を、公開時に見逃していたので、TUTAYAで借りてDVDで観ました。映画では単に「つやのよる」だけでなく、タイトルは「つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語」となっています。井上荒野の「つやのよる」を読んだのは2010年9月、今から3年半ほど前のことです。その前の年、2009年3月には直木賞受賞作である井上荒野の「切羽へ」を読んでいます。

井上荒野の「切羽へ」を読んだ!


「つやのよる」の本の帯には「一人の女の謎に揺れる人々。男と女の表と裏を鮮やかに照らし出す最新長編」とあり、続けて「あなたと艶さん、どんな関係だったの?」とあります。本の案内には「私は愛されているのだろうか――夫と、恋人と、父と関係のあったらしい、艶という女の危篤の知らせをきっかけに、自分の男をいつも以上に観察する女たち。立ち現れる男たちの他人のような姿。性的に奔放な一人の女をめぐる大きな渦のような人間模様の中に、女と男の恋の本音を描き出す刺激的な長編」とあります。


tuyano

大島の巨大な地層断面を背景に、坂道を懸命に自転車を走らせる松生のシーンで始まります。艶という女と大島に駆け落ちして結婚した松生春二(阿部寛)は、奔放な妻の不貞に悩まされてきました。そんな艶が病に冒され、昏睡状態に陥ります。何度も艶に裏切られても献身的に愛してきた松生は、彼女を失うことに耐えられません。彼は、過去に艶が関係を持った男たちに、愛の深さを確かめようと思いつきます。


東京で一見平穏な生活を営む何組かのカップルや家族に突然もたらされた艶の話。夫の、恋人の、父のそれぞれの様子から、艶という未知の女との肉体関係を感づいてしまった女たちは、突然自分たちの人生に割り込んできた艶という存在に困惑します。目の前に見えているはずの“大切な人”が知らない顔を見せた時、人は愛を確かめ、見つめ直します。


艶の従兄の妻・石田環希(小泉今日子)は、小説家である夫の作品の登場人物が、艶をモデルにしているという話を耳にし、さらに松生からの電話で夫と艶の関係を疑い始めます。映画での見せ場は、小泉今日子と愛人役の荻野目慶子の壮絶なワインかけでした。荻野目の悲鳴には驚かされました。松本清張原作の映画「疑惑」の、桃井かおり演じる被疑者と、岩下志麻演じる女性弁護士の壮絶なバトルを思い出します。


艶の最初の夫(岸谷五朗)の愛人・橋本湊(野波真帆)は不動産会社に勤務していますが、艶と自分のどちらが愛されているのかを確かめようと考えます。岸谷の着流しに長髪という風貌は、いかにも昭和の作家然としたもの。不動産会社の渡辺いっけいも高橋ひとみも、得体のしれない不思議な人物です。


1年前に自殺した夫が艶の愛人だった可能性がある橋川サキ子(風吹ジュン)は、夫の死の理由を探し求めていたが、松生からの連絡を受けて、大島行きを決意します。大島の美容院で働き、松生とも面識がある百々子(真木よう子)は、艶がストーカーとなって追いかけた男の恋人だが、艶に対する松生の愛を見て、自分の恋に対する自信が揺らぎます。


松生の元妻・早千子(大竹しのぶ)は、娘の麻千子(忽那汐里)から大島へ行くことを提案されます。原作では麻千子の母親や、麻千子の大学の教授(奥田瑛二)はほとんど出てきませんが、肉体関係もあるのか、映画ではなにやら重要な役柄です。


映画は主として艶と直接・間接、かかわりのあった女の側から描かれていますが、艶の最後の夫、松生春二だけは、艶と直接かかわりがあった人物です。松生春二は、艶が病気になってから、自分を取り巻くものがどんどん曖昧になっていくのを感じます。この家に艶は、間違いなくもう二度と戻らないのだと考えたりもします。松生は艶の鏡台の抽斗を開けて、目についたものを抜き取ります。艶はもうここには戻ってこないのだから。


これから忙しくなると、松生は思い、自分がしていることを悟ります。艶が関わってきた男たちに、艶が早晩死ぬことを知らせてやろうと考えています。どこまで叶うかは分からないが、できるところまでやってみようと、松生は思います。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:『今度は愛妻家』でも夫婦愛をテーマにした行定勲が監督を務め、直木賞作家井上荒野の小説を映画化した恋愛群像劇。死の床にある妻を中心に、彼女の夫によってもたらされた思わぬ知らせに振り回される男女のドラマを描き出す。愛に全てをささげた主人公を演じるのは、『テルマエ・ロマエ』も好評だった阿部寛。小泉今日子に野波麻帆、風吹ジュンに真木よう子、忽那汐里に大竹しのぶら大物女優から若手まで豪華共演の物語に熱中する。

ストーリー:春二(阿部寛)は艶という女性と駆け落ちまでして大島へとたどり着くが、気ままな妻の不貞に翻弄(ほんろう)されてきた。そんなある日、艶の病気が発覚し、さらには昏睡(こんすい)状態に陥ってしまい、これまで無心に彼女を愛し続けてきた彼は激しく動揺する。ついに春二は最愛の妻と深い仲だった男性たちに、艶が瀕死(ひんし)の状態にあることを知らせようと思い立つが……。


tuya3

tuya2

tuya1

映画「つやのよる」公式サイト


過去の関連記事:

井上荒野の「つやのよる」を読んだ!


京王線千歳烏山駅のポスターが!

$
0
0
tito2

京王線千歳烏山駅の下り線のホーム、アートのポスターがこれでもかというほど張られています。今回は「アンディ・ウォーホル展」と「ラファエル前派展」です。立ち止まってポスターを観ている人は、ほとんどいませんでしたが・・・。1月28日(火)午後5時30分頃のことです。


tito1


andy 「アンディ・ウォーホル展 永遠の15分」

ミスター・ポップ・アート。

国内史上最大の回顧展

2014.2.1(土)-5.6(火・休)
森美術館

raph 「ラファエル前派展」

英国ヴィクトリア朝絵画の夢

2014.1.25(土)-4.6(日)

森アーツセンターギャラリー











過去の関連記事:

ポスターが


神奈川県立近代美術館「鎌倉館」が存続の危機!

$
0
0
kinbi

2014年1月28日の朝日新聞、「守れるか、現代建築の源流」、「神奈川県立近代美術館・鎌倉館が存続の危機」として、破格の大きな記事で掲載されていました。以前、「著名建築物・美術館、閉館し取り壊し!?」という記事が載っていましたが、その続報というか、鎌倉近美問題のまとめた記事になっています。「更地にして返す」という契約が結ばれており、最終的な結論はしばらく先になるようですが・・・。記事は編集委員の大西若人、朝日新聞のアートや建築関連の担当記者です。





過去の関連記事:
鎌倉の著名建築物・美術館、閉館し取り壊し!?

神奈川県立近代美術館で「建築家・坂倉準三展」を観た!
「坂倉準三/前川國男/木造モダニズム展」を観る!
神奈川県立近代美術館・鎌倉館
神奈川県立近代美術館・鎌倉

「神奈川県立近代美術館・鎌倉館」ホームページ
鎌倉館について“概要”
鎌倉館について“建築”




坂倉順三設計の「神奈川県立近代美術館鎌倉」を観る!

$
0
0

1月29日の午後、お天気は快晴、ふと思い立って坂倉順三設計の「神奈川県立近代美術館鎌倉」を観てきました。展覧会は「光のある場所(ところ) コレクションにみる近現代美術の現実感」という展覧会が、開催されていました。いうなれば「所蔵コレクション展」といった趣でした。そのチラシは下に載せておきますが、チラシに使われている写真が素晴らしい。ピロティ部分から池を観たものです。展覧会については後日書くとして、建築としての「神奈川県立近代美術館」を観ることを主眼として観に行ってきました。







kin7 「光のある場所(ところ) 

 コレクションにみる近現代美術の現実感」
2013.12.14(土)-2014.3.23(日) 
神奈川県立近代美術館鎌倉











過去の関連記事:
鎌倉の著名建築物・美術館、閉館し取り壊し!?

神奈川県立近代美術館で「建築家・坂倉準三展」を観た!
「坂倉準三/前川國男/木造モダニズム展」を観る!
神奈川県立近代美術館・鎌倉館
神奈川県立近代美術館・鎌倉

「神奈川県立近代美術館・鎌倉館」ホームページ
鎌倉館について“概要”
鎌倉館について“建築”



神奈川県立近代美術館で「光のある場所(ところ)」を観た!

$
0
0


内藤礼「恩寵」(2009年):チラシ上部の写真

池を望むテラス、天井や壁に、反射した水紋の光が揺れる。池にはり出した空間に目をこらすと、一本の白く光る曲線が見えます。 09年、現代美術家の内藤礼がこの場所に合わせて制作したインスタレーション。テグスに透明のビーズを一連通し、2点からつり下げた。自然と生じる懸垂曲線は「数学的な美」と言われる。光のきらめきも美しい曲線も、生きているだけで与えられているという思いがあった内藤。どこにでも生まれるのに気がつかない、そんな美しさをそっと伝える。


kama21 kama22

前回、神奈川県立近代美術館へ行ったのは、何の時だったのか調べてみたら、鎌倉館は「開館60周年 近代の洋画 ザ・ベスト・コレクション」展でした。東日本大震災の後、2011年7月のことでした。たしかその頃、「松本竣介展」が震災の関係で、開催が危ぶまれていたことを思いだしました。「開館60周年 近代の洋画 ベストコレクション」展、僕はその出品作に、萬鉄五郎、岸田劉生、関根正二、松本俊介らの名前を見つけて、居ても立ってもいられずに、鎌倉まで観に行ってきたと、ブログに書きました。


神奈川県立近代美術館で「光のある場所(ところ) コレクションにみる近現代美術の現実感」を観てきました。陰影法を用いた高橋由一らの近代洋画から木版画や立体、インスタレーションまで、様々な手法の所蔵品約80点で、光の表現から見る「現実感」を探る展覧会です。内容は「館蔵コレクション展」であり、「近代の洋画 ベストコレクション」とほぼ同様の作品が展示されていました。もちろん「ほぼ同様の作品」とは言っても、光の表現から見る「現実感」を探る展覧会ですから、それに沿った作品が選ばれていました。


展覧会は、高橋由一の「江の島図」に始まります。最前景には海岸に打ち上げられた貝や魚、木片など細やかな描写に優れています。先日も、鎌倉から藤沢への帰りに江ノ電に乗り、途中、江の島を遠くに観ましたが、もちろん、由一の時代とはまったく異なっているのは言うまでもありません。チャールズ・ワーグマンは、アカデミックな教育を受けた画家ではなかったが、洋画の黎明期に直接指導を受ける貴重な機会を提供した人物で、高橋由一や五姓田義松などが学んでいます。


以前にも観ていましたが、今回特に注目して観たのは、前田寛治の「裸婦」(1928年)と、佐伯祐三の「自画像」(1923年)でした。たまたま先日、八王子夢美術館で、八王子にかかわりのある二人の画家、「前田寛治と小島善太郎 1930年協会の作家たち」という展覧会を観てきたばかりでした。その図録によると、1926年5月、京橋で第1回1930年協会洋画展覧会が開催され、出品は木下孝則、小島善太郎、佐伯祐三、里見勝蔵、前田寛治の5名、いずれもパリ留学を終えて間もない若き画家である、とあります。当初は4人で開催を決めていたが、開催の2ヶ月前にパリから帰国した佐伯が加わったようです。


前田寛治の「裸婦」と佐伯祐三の「自画像」、力強い筆致も鮮烈な色彩も似ていて、妙に印象に残りました。前田の「裸婦」は対角線上に人体を配し、荒い筆触で量感を表現した、前田のフォーヴ的作品のひとつで、このような画風は「前寛ばり」という流行語を生み出し、若い画家たちに大きな影響を与えたという。佐伯の「自画像」は面の集積によって形態を捉えようとする実験的な試みを見て取れる、と図録にあります。佐伯が里見に伴われてヴァラマンクを訪ね、フォーヴィスムの洗礼を受けたことはよく知られています。


もう一つ、阿部合成の「鱈をかつぐ人」、前にも観ていたと思われますが、僕の記憶に残っていませんでした。今回、じっくりと観て、メキシコ壁画運動に共感したという画家の素地が見て取れる作品です。阿部は、京都絵画専門学校に学び、1934年に卒業、村上華岳に深く惹かれ、京都の都趣を吸収しながらも、生まれ故郷の青森県浪岡の労働者たちを描き、そのスケッチに基づいて、この作品を完成させました。代表作「見送る人々」(1938年)と比較すると、この作品の方がはるかに日本画的な要素を強く残し、故郷のモティーフを借りて、乗り越えようとする意欲に溢れているという。素早く、大振りなストロークにも日本画の修練が窺えます。













「光のある場所(ところ) 

 コレクションにみる近現代美術の現実感」

美術作品がひとつの視覚的世界として立ち現れるとき、これを「目に見えるようにする」のは、実在する外光と、作品の内なる空間を満たす光──色彩と明暗によって構成されるイメージであるといえます。西洋の遠近法と陰影法による写実表現を「真に迫る」技として驚嘆をもって学び入れた高橋由一(1828-1894)、松岡壽(1862-1944)らにはじまる明治期の日本近代洋画から、黒田清輝(1866-1924)らが取り入れた外光派の柔らかな色彩、そして大正期の萬鉄五郎(1855-1927)や岸田劉生(1891-1929)が追求した鮮明な光。1930年代には、内田巌(1900-1953)が静謐なリアリズムに時代の不安な空気を、阿部合成(1910-1972)や三岸好太郎(1903-1934)が具象表現にシュールレアリスムティックな感覚を帯びさせる一方で、谷中安規(1897-1946)や藤牧義夫(1911-1935)が木版画で「輝く闇」とも形容すべき幻想的な世界を描き出すなど、技法の成熟と時代の諸相を反映した、さまざまな「リアル」のかたちが展開しました。さらに、カンヴァス上の平面全体を、光をめぐるイメージの実験場とした戦後の抽象表現主義から、空間そのものを作品とする現代美術の内藤礼(1961-)や青木野枝(1958-)まで、「光の現れ」に焦点を当てて当館のコレクション約80点を紹介し、近現代美術にみられる多様な現実感のありかたを考えます。


「神奈川県立近代美術館」ホームページ


とんとん・にっき-kama1 神奈川県立近代美術館コレクション選 

絵画Ⅰ

編集・発行:神奈川県立近代美術館

2005

制作:印象社
表紙画像:

古賀春江「窓外の化粧」1930年








過去の関連記事:

神奈川県立近代美術館「鎌倉館」が存続の危機!
鎌倉の著名建築物・美術館、閉館し取り壊し!?

神奈川県立近代美術館葉山で「生誕100年 松本竣介展」を観た!
神奈川県立近代美術館で「近代の洋画」展を観た!

神奈川県立近代美術館・鎌倉別館で「日本画ザ・ベスト・コレクション」展(前期)を観た!

彫刻家」エル・アナツイ、アーティスト・トーク
神奈川県立近代美術館葉山で「彫刻家エル・アナツイのアフリカ」展を観た!
「アントニン&ノエミ・レーモンド」展を観る!
神奈川県立近代美術館・鎌倉別館で「所蔵品に見る戦後の日本画」展を観る!
神奈川県立近代美術館葉山で「マティスとボナール 地中海の光の中へ」を観る!
「アルベルト・ジャコメッティ―矢内原伊作とともに」展

神奈川県立近代美術館で「建築家・坂倉準三展」を観た!
神奈川県立近代美術館・鎌倉別館で「所蔵品に見る戦後の日本画」展を観る!
神奈川県立近代美術館・鎌倉館
神奈川県立近代美術館・鎌倉



戸栗美術館で「鍋島焼と図案帳展」を観た!

$
0
0



戸栗美術館は、創設者・戸栗亨が長年にわたり蒐集した陶磁器を中心とする美術品を永久的に保存し、広く公開することを目的として、1987年11月に、旧鍋島藩屋敷跡にあたる渋谷区松濤の地に開館しました。コレクションは伊万里、鍋島などの肥前磁器および中国・朝鮮などの東洋陶磁が主体となっており、日本でも数少ない陶磁器専門の美術館です。


僕は何度か戸栗美術館に足を運んでいますが、そのほとんどが「鍋島焼」関連の展覧会だったことを知り、今さらながらに驚きました。また戸栗美術館が建っている場所が旧鍋島藩屋敷跡にあたるということを知り、これも驚きました。今回は「鍋島焼と図案帳展」です。過去に展示されたものと同じものが展示されていたのは、「鍋島焼」というテーマなので、やむをえないことですが・・・。「鍋島焼」が独自に発展を遂げるのが、中国の内乱により輸入が止まったことによる、ということも、現代と照らし合わせると面白いことです。


佐賀藩鍋島家が献上用に創出した磁器、鍋島焼。最盛期には大きさ・形・意匠などに様々な規定があり、一定の規格性をもって製造されていたと考えられています。それを裏付けるように鍋島家には文様意匠や図面を描いた図案帳が伝来しています。聖地に整えられた規格性に注目し、図案帳と共に鍋島焼の名品約80点が展示されていました。


今回紹介されている鍋島焼の意匠を記した図案帳は、綴本の形状ではなく各ページがバラバラで、描かれているのは文様意匠や図面などです。それぞれ紙質や大きさが異なり、それぞれ異なる年代が記されているので、同じ年代に描かれたのではなく、長年にわたり描き溜められたもののようです。なかには鍋島焼を製造する際の指示書、もしくは製品化した意匠を記録する目的で描かれたと思われる、伝世品と文様・形状が一致する図案もあります。


第1展示室  盛期以前の鍋島焼

         盛期鍋島の器種

         盛期鍋島の文様意匠

         中期鍋島・後期鍋島

第2展示室  図案帳と類品の比較

         図案帳に見る様々な意匠

特別展示室 現代に継承された鍋島焼の技


鍋島焼





図案帳



「鍋島焼と図案帳展」

江戸時代、諸大名にとって幕府への献上は参勤交代と同様の義務であり、将軍への忠誠を表わす重要な行事。鍋島家も献上品に事の他気を遣い、江戸時代初頭には中国から輸入した陶磁器などを献上していました。しかし、17世紀後半、中国の内乱の影響で陶磁器が入手困難となり、鍋島家はそれに代わる献上に相応しい新たなやきものとして、鍋島焼を創出します。藩内で培った伊万里焼の技術の粋を集めて生み出された鍋島焼は、17世紀末、大川内山(現伊万里市)に築かれた御道具山(藩の御用品を焼く窯)にて本格製造が開始されました。鍋島家の記録や伝世品から、鍋島焼の形や文様、種類には一定の規格があったと考えられています。それを裏付けるように、鍋島家にはその形や意匠などを記した図案帳が伝わっています。今展示では、献上品としての規格性に注目し、盛期の鍋島焼を中心に名品の数々を展示、あわせて図案帳もご紹介致します。


「戸栗美術館」ホームページ


過去の関連記事:
戸栗美術館で「鍋島焼展~孤高の鍋島藩窯~」を観た!
戸栗美術館で「鍋島展―献上のうつわ―」を観た!
戸栗美術館で「柿右衛門展」を観た!




PR: 限定!コラボデザインの掃除機ブログモニター募集!

$
0
0
コードレスでもコード式でも使えるハイブリッド電源掃除機。お掃除をもっと楽しく!
Viewing all 2506 articles
Browse latest View live