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渋谷パルコPART1で「篠原有司男・篠原乃り子二人展」を観た!

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僕が篠原有司男を初めて知ったのは、1974年1月から2月にかけて東京国立近代美術館で開催された「アメリカの日本作家」展です。なぜかその時の図録があるんですが、それを見ると今ではそうそうたる人が出品しています。そこに篠原は「モーターサイクル・ママ」という、やはり段ボールで作ったオートバイを出品しているんですね。この作品にはショックを受けました。なにしろ圧倒的な量感、疾走感なんですから。当時はあまり色は使ってはいませんでしたが。その時のプロフィールを見ると「57年東京芸大卒業後、60年グループネオ・ダダを結成、モヒカン刈りでのボクシング・ペインティングを始める。」とあります。そうでした、その頃の篠田はモヒカン刈りでしたよ。懐かしい。グループネオ・ダダとは、1960年、篠原有司男、荒川修作、赤瀬川原平など10人の作家が集まって「ネオ・ダダ・オルガナイザーズ」を結成したものです。既成の美術概念に反発して、当時様々なイベントを繰り広げました。篠原の最近のというか、今までの活動は、すべて1960年代の「たどり直し」とも言えるかも知れません。


「アメリカの日本作家」展の、僕のお目当ては池田満寿夫でした。池田は1934年生まれ、篠原は1932年生まれ、2歳違いです。一方は芸大受験失敗の版画家、一方は芸大卒のアバンギャルド“ネオ・ダダ”です。どちらも当時、NY在住でした。2005年1月に篠原有司男展を観たときに、上のように書きました。
篠原有司男新作展



「アメリカの日本作家」展の図録を探したら、本棚の奥にありました。その図録の間に挟まっていた幾つかのものを下に載せておきます。


・2005年1月17日朝日新聞の切り抜き「篠原展、練達の持続と娯楽」

・2001年7月12日朝日新聞「篠原有司男展」「大平實展」、「拡散する疾走感と急進的緊張」

・ギャラリー山口「篠原展」作品リスト

・2001年6月9日~7月22日府中市美術館公開制作

 「篠原有司男 ピラニアと格闘する前衛アーティスト―作品展示、パフォーマンス、ワークショップ」チラシ

・徳島県立近代美術館 学芸員作品解説1991年5月29日徳島県立近代美術館 江川佳秀


2005年の朝日新聞の記事には、以下のようにあります。

「篠原有司男新作展」。ギュウちゃんの愛称で呼ばれる篠原は1932年生まれ。69年からニューヨークに住み、段ボールや廃品で作った「オートバイ彫刻」や、原色の交錯する動的な絵画で知られる。計4点。彫刻はやはりオートバイで「女と兎と蛙を従えたストロベリーアイスクリームをなめる髑髏バイク」(04年)という長い題。「テロリストアタック直後のニューヨーク」の副題を持つ、長さ3.7mの大作だ。


また2001年の朝日新聞の記事には、以下のようにあります。

この2月、ニューヨークの篠原有司男を訪ねた。雑然とした町工場のようなアトリエに、「ポケモン」の漫画本が30巻も並んでいた。その篠原の個展が今、東京で開かれている。新作5点と旧作1点。なるほど新作「ポケモン・モーターサイクル」(2000年)などの作品に、ポケモン研究の成果であるさまざまなキャラクターがモチーフとして取り込まれている。

ギャラリー山口「篠原展」作品リストを、項目だけ載せておきます。

「ガウディパークのポケモン」「雪舟対決」「南海」「八窓席」「ポケモン・モーターサイクル」「空海モーターサイクル」、の6点です。


さて、今回の渋谷・パルコミュージアムの展覧会。現代アーティスト篠原有司男、その妻であり芸術家である乃り子。二人の波乱に満ちた結婚生活を描いたドキュメンタリー映画「キューティー&ボクサー」の日本公開を記念した展覧会「篠原有司男・篠原乃り子二人展 愛の叫び東京篇」です。「アートに命を賭けた二人だからアートを観なければ始まらない!」と副題が付けられています。乃り子による「キューティー&ブリー」の大作絵巻絵画や、有司男の「ボクシング・ペインティング」最新作、「オートバイ彫刻」などの名作が展示されています。


夫・篠原有司男は通称ギュウちゃん。1932年東京に生まれる。1960年に芸術グループ「ネオダダ」を結成、版芸術のアクション・アートで注目を集める。日本で初めて“モヒカン刈り”にした反骨精神溢れる若者は「ひたむきなベラボウさ」で故・岡本太郎氏を驚愕させた。1969年に渡米、以来NY在住。「ボクシング・ペインティング」で知られる現代芸術家はアートの猛者。80歳をこえても“前衛の道”をひた走る。


そんな純粋さに魅せられたのが妻・篠原乃り子。1953年高岡市に生まれる。1972年、美術留学で渡米。有司男と恋に落ち、結婚。さっそく男児を授かる。芸術家の“大人の子供”の面倒を見ながら“母の道”を歩む乃り子。だが、ついに自分の表現を発見―それは自らの分身“キューティー”の波瀾万丈の絵物語だった。


そんな二人を美術史家として見つめてきたのが1988年よりNY在住の富井玲子。アメリカでもハチャメチャに展開していく有司男のエネルギーに圧倒され、寡黙にアートの可能性を探る乃り子に同じ女性として感銘をうけてきた。二人の晴れの舞台にゲスト・キュレーターとして協力する。



篠原有司男作品




篠原乃り子作品



「パルコ・ミュージアム」ホームページ


futyu 府中市美術館公開制作

 「篠原有司男 ピラニアと格闘する前衛アーティスト

―作品展示、パフォーマンス、ワークショップ」

チラシ










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行って来ました「篠原有司男新作展」!
篠原有司男新作展


横浜美術館で「生誕140年記念 下村観山展」を観た!

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横浜美術館で岡倉天心生誕150年・没後100年記念「生誕140年記念 下村観山展」を観てきました。頭に付いている「岡倉天心生誕150年・没後100年記念」は、前回の「横山大観展 良き師、良き友」にも付いていました。それもあってか、つい先日、映画「天心」を観てきました。茨城県北茨城市の五浦の地で、岡倉天心の指導を受けながら、日本画の近代化に向けて制作に励んだ4人の画家、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山の若き日の物語でした。

松村克弥監督の「天心」を観た!


観山の作品をまとまって観るという機会は、今までほとんどありませんでした。山種美術館、大倉集古館、五島美術館、松岡美術館、永青文庫、そして長野の水野美術館、茨城県立近代美術館などで幾つかの作品を観た覚えがあります。東京国立近代美術館や東京国立博物館でも観ています。が、いずれにしてもしっかりとした記憶に残っているわけではありません。と、思っていたら、ふと思い出しました。宇都宮市の栃木県立美術館で開催された「日本画創造の苦悩と歓喜―大正期、再興院展の輝き~大観・観山・靫彦・古径・御舟~」という展覧会です。なんと展覧会のチラシが下村観山の「不動尊」でした。図録を見ると、代表作「弱法師」を含めて観山の作品が10点も出ていました。

栃木県立美術館で「大正期、再興院展の輝き」を観た!


下村観山は、紀州徳川家に仕えた能楽師の家に生まれ、8歳で上京します。狩野芳崖や橋本雅邦から狩野派を学びました。「騎虎鍾馗」などは、11歳で描いたとはとても思えないほど驚くほどの腕前でした。明治22年、15歳で東京美術学校に第一期生として入学し、横山大観や菱田春草らとともに、校長の岡倉天心の薫陶を受けます。「観山」の画号は、美校入学の頃から使い始めたようです。卒業後は東京美術学校の助教授となり、若手の育成にあたりながら、自身も制作に励みました。天心が「日本絵画協会」を組織すると、観山は横山大観や菱田春草と共に加わり、めざましい活躍をします。


明治31年、美校内部の確執に端を発し、天心は校長の職を追われることになりました。観山は天心に殉じて、大観や春草らと共に美校を去り、天心や同志と共に「日本美術院」を設立しました。初期の美術院は、空気や光線を表すため、輪郭線を用いずにぼかしを伴う色面描写を用いた「朦朧体」が試行されたりもしました。その中にあって観山は、古典的な傾向と、朦朧体の傾向を同時に取り組み、堅実な歩みを進めました。


明治34年、観山は美校に教授として復帰しました。その2年後、文部省の銘により英国に渡り、色彩の研究を始め、西洋画の研究や模写を行いました。大英博物館にある模写を映したとされる「椅子の聖母」や、英国留学の後奥州を巡遊し、ウフィッツィ美術館で写したものとされるラファエロの「まひわの聖母」の模写は、板に油彩で描かれた原画の柔らかな明暗を、水彩で見事に絹に写し、観山の技術の確かさを示しています。


一方、日本美術院の活動は次第に停滞し、経済的にも立ちゆかなくなって、観山の帰国の翌年、明治39年には天心の別荘のあった茨城県の五浦に拠点を移すことになりました。観山は、大観、春草、武山と共に一家を伴って五浦に移住しました。しかし、天心が没した大正2年頃は、美術院の活動はほとんど休眠状態となっていました。


大正2年の末、観山は天心を通じて知遇を得た実業家・原三渓の招きにより、横浜本牧の和田山に新居を構え、家族と共に移り住みました。以降、観山は三渓の支援のもとで制作するようになり、二人の交流は観山が亡くなるまで続きました。この年、ボストン美術館の収集活動を託されていた天心が、健康状態の悪化で帰国し、療養中の赤倉の山荘で亡くなります。


天心の臨終に際し、観山と大観は、有名無実化していた日本美術院の再興をはかります。再興美術院の創立同人には、他に木村武山、安田靫彦、今村紫紅、そして洋画家の小杉未醒(放菴)がいました。翌年、天心の一周忌を期して開院式が行われ、第1回再興院展が開催されました。再興された日本美術院展は、大正期だけで13回の展覧会を開いたという。そこには近代日本画の歴史で代表作となるような作品、問題作となるような作品が次々と発表されました。観山は、茫漠とした空間を特徴とする高い精神性に満ちた画面を構成し、自己の頂点を極めました。


狩野派の厳格な様式に基礎を置きながら、やまと絵の流麗な線描と色彩を熱心に研究し、さらにイギリス留学による西洋画研究の成果を加味し、気品ある独自の穏やかな画風を確立した観山。今回の展覧会では、十代の狩野派修行期から、円熟した画技を示した再興日本美術院時代まで、代表作を含む約120点(展示替えあり)により、観山の画業の全容が紹介されています。


展覧会の構成は、以下の通りです。

第1章 狩野派の修行

第2章 東京美術学校から初期日本美術院

第3章 ヨーロッパ留学と文展

第4章 再興日本美術院




第1章 狩野派の修行


第2章 東京美術学校から初期日本美術院





第3章 ヨーロッパ留学と文展



第4章 再興日本美術院






「生誕140年記念 下村観山展」

下村観山は、紀州徳川家に代々仕える能楽師の家に生まれました。幼い頃から狩野芳崖や橋本雅邦に師事して狩野派の描法を身につけ、明治22年に東京美術学校に第一期生として入学し、横山大観や菱田春草らとともに、校長の岡倉天心の薫陶を受けました。卒業後は同校の助教授となりますが、天心を排斥する美術学校騒動を機に辞職、日本美術院の創立に参画し、その後は日本美術院を代表する画家の一人として、新しい絵画の創造に力を尽くしたことで知られています。大正2年には実業家・原三渓の招きにより、横浜の本牧に終の棲家となる居を構えた、横浜ゆかりの画家でもあります。狩野派の厳格な様式に基礎を置きながら、やまと絵の流麗な線描と色彩を熱心に研究し、さらにイギリス留学による西洋画研究の成果を加味し、気品ある独自の穏やかな画風を確立した観山。本展では生誕140年を記念し、十代の狩野派修行期から、円熟した画技を示した再興日本美術院時代まで、代表作を含む約120点(展示替えあり)により、画業の全容をご紹介します。


「横浜美術館」ホームページ


kan1 岡倉天心生誕150年・没後100年記念
「生誕140年記念 下村観山展」
図録

編集:横浜美術館

発行:横浜美術館










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シネマライズで「キューティー&ボクサー」を観た!

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こんな夫婦、見たことない!

伝説のアーティスト

篠原有司男、妻・乃り子

ニューヨーク、愛と戦いの

ドラマチック・ドキュメンタリー


「キューティー&ボクサー」は、篠原有司男と彼の妻・乃り子の40年間にわたるニューヨークでの波乱に満ちた結婚生活をありのままに綴る、きわめてパーソナルでありながら、普遍的な、唯一無二のラブ・ストーリーです。そして、愛、犠牲、歓び、痛み、情熱、失望、老いていくこと、これらのテーマは、私たちに向けた人生の物語でもあります。


彼が典型的な反芸術の象徴をして有名になったのは、小説家・大江健三郎によって書かれた“ボクシング・ペインティング”の記事が週刊誌に発表された1961年だった、という。


妻・乃り子は、19歳のときに美術を学びにやってきたニューヨークで有司男と出会い、恋に落ち、結婚。学業の道を捨てた。一男をもうけ、妻であり母であり、アシスタントであることに甘んじていた彼女は、ついに自分を表現する方法を見つけます。それは、夫婦のカオスに満ちた40年の歴史を、自分の分身であるヒロイン“キューティー”に託してドローイングを綴ること。かくして夫婦による二人展が企画されました。


当初、美術作家として名前を知られている有司男に焦点をあてて撮影は始められたが、やがて妻・乃り子のキャラクターにも魅せられた監督は、乃り子にも撮影対象として重きを置くようになります。夫婦の生活に密着した撮影は4年にも及びます。各々の創作活動の現場はもちろんのこと、生活費の工面に頭を悩ませる二人の姿、自分がまるでただ働きのアシスタント、ただ働きのシェフのようだと不満を漏らす乃り子の姿など、夫婦のありのままに日常、そして二人の関係性を映し出します。

以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:ニューヨークに在住する81歳の日本人前衛芸術家・篠原有司男と、その妻である篠原乃り子をめぐるドキュメンタリー。故・岡本太郎からも絶賛されたエキセントリックな有司男の芸術活動を見つめ、乃り子との40年間にも及ぶ波乱に満ちた結婚生活を振り返っていく。メガホンを取るのは、ドキュメンタリー中心に活躍している俊英ザカリー・ヘインザーリング。ひたすら芸術の道を突っ走る有司男の年齢を感じさせないエネルギッシュな姿に加え、異国の地で支え合ってきた夫婦の固い絆と愛情に胸が熱くなる。

ストーリー:キャンバスをボクシングのグローブで殴るようにして絵を描くボクシングペインティングで注目を浴びた芸術家、ギュウチャンこと篠原有司男。1969年にアメリカへ渡った彼は、その3年後に美術の勉強にやって来た20歳以上も年下の乃り子と出会って恋に落ち、結婚する。学業を放棄したとして実家からの仕送りを止められる乃り子だったが、妻、アシスタント、母として有司男を支え、息子のアレックス・空海の育児に奔走。59歳となって息子も成長したことから、彼女は夫婦の道のりを題材にしたドローイングの創作に取り掛かる。

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「キューティー&ボクサー」公式サイト


boku1 「キューティー&ボクサー」

別バージョン・チラシ

監督:ザッカリー・ハインザーリング

出演:篠原有司男、篠原乃り子

音楽:清水靖晃

アメリカ映画、カラー

82分、ビスタサイズ

提供:キングレコード、パルコ

配給:サジフィルムズ、パルコ




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福島県立美術館で「常設展」を観た!

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福島県立美術館は、福島市のランドマーク信夫山のふもとにあります。福島県美術館を訪れるのは3度目になります。観に行ったのは12月4日でした。今回は企画展は開催しておらず、常設展のみ展示されていました。所蔵作品の目玉は、なんと言ってもアンドリュー・ワイエスの作品です。しかし、他にも興味深い作品をたくさん所蔵していて、「常設展」として展示しています。福島県立美術館作品選「ポケット・ミュージアム」のなかから、今回観た作品の一部を下に載せておきます。


関根正二と大正期の洋画




麻生三郎とその周辺―生誕100年


アメリカン・リアリズムを中心に





fuku1 福島県立美術館作品選

「ポケット・ミュージアム」

2000年3月31日初版発行

編集・発行:

福島県立美術館











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「横浜美術館コレクション展」を観た!

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横浜美術館コレクション展、今期のテーマは「ともだちアーティスト」です。「大観展」の時にもコレクション展を観ましたが、今回の「観山展」の時も、同じ展示でしたが観てきました。横浜美術館の収蔵作品を、「作家の交友関係という視点から並べてみると、作品と作品の間を結ぶ新たな物語が見えてくる」、という趣旨のようです。場所と時代を共有した作家たちのまとまりを6つのセクションに仕立ててあります。


1.横浜での出会い 写真家と画家

2.藤田嗣治とパリの作家たち

3.ヨーロッパとアメリカ、ダダとシュルレアリスムの作家たちを中心に

4.戦後日本とアメリカ 具体とネオダダ

5.美人画の作家たちと赤曜会

6.「毛の生えた心臓の夕べ」シアター


ここでは、1.横浜での出会い 写真家と画家と、2.藤田嗣治とパリの作家たち、を以下の取り上げます。


1.横浜での出会い 写真家と画家


ハイネとブラウン・ジュニア

1854年(嘉永7)、前年の約束通りに再来日したペリー率いる黒船には、2人の記録係が乗っていました。ドイツ人画家のペーター・B.W.ハイネと、アメリカ人写真師のエリファレット・ブラウン・ジュニアです。彼らが国内各地を写し取った絵画と写真は、日本の風景・風俗を海外につまびらかに伝える最初の媒体のひとつとなりました。同時に、彼らがもたらした新しい視覚メディアによって、日本における洋画と写真の歴史が、ここから本格的な幕開けを迎えることになります。



ワーグマンと高橋由一

ワーグマンのもとからは、何人かの重要な画家が輩出しましたが、その筆頭格が高橋由一です。武士の家庭に生まれ、幼少期から絵画の才を発揮した由一ですfが、ワーグマンのもとで本格的な洋画技法に初めて触れることができたのは1866年(慶応2)、39歳のときでした。翌年には早くもパリ万国博に油彩画(のちに焼失)を出品しますが、その肖像画には師の筆が加えられていたと言われています。ワーグマンからの油彩画技法の習得を経て、さらに独自のリアリズムの画境を開いた由一は、「近代洋画の開拓者」としてその名を今日まで留めています。




五姓田とその画塾

西洋画の技法に衝撃を受けた五姓田芳柳は、「写真画」と称する、写真をもとにした独自の技法を創案しました。その息子である義松は、わずか10歳でワーグマンに入門し、そののち渡仏して、アカデミズムの画家レオン・ボナから本格的な油彩画技法を学びます。また義松の妹であり、父芳柳や兄のもとで洋画を学んだ勇子は、同門の渡辺文三郎と結婚したのち、渡辺幽香の名で活動しました。今日「五姓田派」と総称される彼ら一族とその門弟たちは、日本の近代絵画の幕開けにあたって重要な役割を果たしました。





2.藤田嗣治とパリの作家たち

1914年(大正3)にパリに渡った藤田嗣治が多くの作家たちと交流したことは、広く知られています。1929年(昭和4)までのパリ滞在のことを、藤田は「地を泳ぐ」「腕一本」「パリの昼と夜」などの随筆に書き残しています。


パリの到着した翌日に、藤田はパブロ・ピカソと出会いました。キュビスムとの出会いは大変な衝撃だったようで、藤田の画風はその直後に変貌を遂げます。ピカソとの友情は終生続き、ピカソを通じて、モンマルトルのアパート「洗濯船」を拠点としていた芸術家集団の仲間とも知り合いました。女流画家マリー・ローランサンもその一人です。やがて藤田は、陶器のような滑らかな「乳白色の肌」の裸体画で、一躍パリの寵児となりました。その後、藤田を頼ってパリに来る日本人画家たちが後を絶たず、パリの日本人グループが形成されました。


藤田は、肖像写真のモデルとして写真家も魅了しました。シュルレアリスムの写真家マン・レイは、モンパルナスの芸術家コミュニティーにおいて藤田と交流しており、藤田も含め当時の作家たちの肖像写真を多く残しています。また、二人ともモデルのキキに魅了され、同じ女性を通して自らの芸術を昇華させた、という共通点は興味深いものです。一方、円熟期の藤田を撮影しているのが、木村伊兵衞と土門拳です。戦時中の日本での藤田と、フランス国籍を取得しパリに戻った後の藤田をとらえたそれぞれの写真は、藤田の異なる表情を切り取っています。藤田を画家にした「パリ」という街の写真作品とともに、藤田と彼の友人たちの作品を紹介します。





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またまたまた「駅/STATION」を観た!

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かつては日本全国、大晦日はTBSの「レコード大賞」を見て、NHKの「紅白歌合戦」を見て、「行く年来る年」を見ることで1年が終わりました。売れっ子の歌手は、TBSからNHKへと大急ぎで移動するわけです。だから同じ歌が続けてテレビで流れるわけです。


「駅/STATION」には、八代亜紀の「舟歌」が映画の中で3度流れます。高倉健扮する英次は、赤提灯「桐子」に入ります。女手一つで切り盛りする桐子の店だが、30日なのに客は誰もいない。テレビでは八代亜紀の「舟唄」が流れてきます。「この唄好きなのよ、わたし」と倍賞千恵子扮する桐子はつぶやき、テレビにあわせて歌い出します。


お酒はぬるめの 燗がいい 肴はあぶった イカでいい

女は無口な ひとがいい 灯りはぼんやり 灯りゃいい


去年の正月、わたしの友達、札幌のアパートでガス自殺してね。1月5日。すすき野のバーにつとめていた娘。知ってる?水商売やってる娘はね、暮れから正月に賭けて、自殺する娘が多いの。なぜだか分かる?男が家庭に帰るからよ。どんな遊び人も、この時期は、家庭に帰っちゃうからね。八代亜紀の「舟歌」が流れる中、そう桐子は続けます。


テレビで放映していた「駅/STATION」を録画しておいたので、もう何度も観た作品ですが、再度、大晦日に観てみました。細かいことは前に書いたので、そちらを参照していただくとして、やはり「駅/STATION」は、八代亜紀の「舟歌」を抜きにしては語れません。そしてこの映画は、当然ですが、年末に観る映画だということがよく分かりました。英次の心情も、桐子の寂しさも、年末だからこそ、しみじみと伝わってきました。


八代亜紀の「舟歌」は発売が1979年、この年八代亜紀は「舟歌」で紅白歌合戦の大トリをつとめました。八代亜紀は「舟歌」で紅白には3回出ているようです。映画「駅/STATION」の公開は1981年でした。


「駅/STATION」:あらすじ

KINENOTE「駅/STATION」 より


1967年1月 直子

その日、警察官の英次は雪の降り続く銭函駅ホームで、妻の直子と、四歳になる息子義高に別れを告げた。離婚を承諾した直子は、動き出した汽車の中で、英次に笑って敬礼するが、その目には涙が溢れていた。苛酷な仕事と、オリンピックの射撃選手に選ばれ合宿生活が続いていたことも原因であった。その頃、英次の上司、相馬が連続警察官射殺犯“指名22号”に射殺された。中川警視の「お前には日本人全ての期待がわかっている」との言葉に、犯人を追跡したい英次の願いは聞き入れられなかった。テレビが東京オリンピック三位の円谷幸吉の自殺を報じていた。「これ以上走れない……」英次にその気持が痛いほどわかった。

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1976年6月 すず子

英次の妹、冬子が、愛する義二とではなく、伯父の勧めた見合の相手と結婚した。英次は、妹の心にとまどいを覚え、義二は結婚式の夜に荒れた。


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その頃、英次はオリンピック強化コーチのかたわら、赤いミニスカートの女だけを狙う通り魔を追っていた。増毛駅前の風侍食堂につとめる吉松すず子の兄、五郎が犯人として浮かんだ。すず子を尾行する英次のもとへ、コーチ解任の知らせが届いた。スパルタ訓練に耐えられなくなった選手たちの造反によるものだ。すず子はチンピラの雪夫の子を堕すが、彼を好きだった。しかし、雪夫にとって、すず子は欲望のハケロでしかなく、英次が警察官と知ると協力を申し出た。雪夫は結婚を口実にすず子を口説いた。すず子は、刑事たちの張り込みに気づいていながらも、愛する雪夫を兄に会わせたく、隠れている町へ案内した。そして、英次の前に吉松が現れたとき、すず子の悲鳴がこだました。


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1979年12月 桐子

英次のもとに旭川刑務所の吉松五郎から、刑の執行を知らせる手紙が届いた。四年の間、差し入れを続けていた英次への感謝の手紙でもあった。英次は故郷の雄冬に帰ろうと、連絡船の出る増毛駅に降りた。風待食堂では相変らず、すず子が働いていた。雪夫は結婚したらしく、妻と子を連れてすず子の前を通り過ぎて行く。舟の欠航で所在無い英次は、赤提灯「桐子」に入った。女手一つで切り盛りする桐子の店だが、三十日なのに客も来ない。テレビでは八代亜紀の「舟唄」が流れている。「この唄好きなのよ」と桐子は咳いた。自分と同じく孤独の影を背負う桐子に、いつしか惹かれる英次。大晦日、二人は留萌で映画を観た。肩を寄せ合って歩く二人が結ばれるのに時間はかからなかった。


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英次は、初詣の道陰で桐子を見つめる一人の男に気づく。英次が雄冬に帰りついたのは、元旦も終ろうとしている頃だ。そこで、十三年ぶりに電話をかけて直子の声を聞いた。池袋のバーでホステスをしているという。雄冬の帰り、桐子は、札幌へ帰る英次を見送りに来ていた。その時、“指名22号”のタレ込みがあり、英次は増毛に戻った。手配写真と、桐子を見つめていた男の顔が英次の頭の中でダブル。桐子のアパートで22号は、英次の拳銃で撃ち殺された。警察に通報しながら22号をかくまっていた桐子。札幌に戻る前、英次は桐子を訪ねた。英次に背を向け「舟唄」を聞き入る彼女の顔に涙が流れている。英次は気づかない。英次は札幌行きの列車に乗った。


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あけましておめでとうございます

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東京国立博物館で「博物館に初もうで」(その1)を観た!

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近年、お正月の恒例となっている東京国立博物館で「博物館に初もうで」を観てきました。

ここでは、東博で今回たくさん観たなかで「屏風」取り上げて、以下に載せておきます。なにしろ、国宝、重要文化財がゾロゾロ出てきました。


東京国立博物館 屏風編


国宝

長谷川等伯「松林図屏風」安土桃山時代・16世紀

草稿ともいわれるが,靄に包まれて見え隠れする松林のなにげない風情を,粗速の筆で大胆に描きながら,観る者にとって禅の境地とも,わびの境地とも受けとれる閑静で奥深い表現をなし得た。等伯(1539-1610)の画技には測り知れないものがある。彼が私淑した南宋時代の画僧牧谿の,自然に忠実たろうとする態度が,日本において反映された希有の例であり,近世水墨画の最高傑作とされる所以である。
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重要文化財

雪村周継「鷹山水図屏風」室町時代・16世紀

雪村は常陸(茨城県)の撫省、佐竹氏の一族だったが禅僧となり、関東・南東北を遍歴し、晩年は三春(福島県)に隠棲したという。鷹が今にも兎に飛びかかろうとする直前の一瞬が描かれた本図は、自然界の躍動を著す雪村画の特質がよく表れている。
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国宝

池大雅「楼閣山水図屏風」江戸時代・18世紀

岳陽楼(右)と酔翁亭(左)をとりまく中国の有名な景勝地を描く。大雅は、中国清時代に描かれた画帖の作品をもとにこの作品を描いた。原図よりも建物や人物を大きく描き、服に群青や朱など目を引く色を塗って、金箔の画面上で中国文人の生活を強調している。
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土佐光起「源氏物語図屏風(初音・若菜上)」江戸時代・17世紀

室町時代以来、宮廷の絵画制作の中心となった土佐派の系譜につながる光起の代表的作品。当時、衰徴していた土佐派に、光起は写生的な描法などの表現も取り入れて、新たな画風を作り出した。緑青で細かくあらわした御簾越しに室内を見るという趣向である。
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重要文化財

長谷川等伯「牧馬図屏風」安土桃山時代・16世紀
右に春、左に秋の景色を描き、山野に遊ぶ馬を調教する武人たちの姿を描く。当時、調馬図や厩図といった馬を主題とする作品が多く描かれたが、等伯のこの作品は松や柳といった花鳥画の要素を盛り込んだ景観の中に、さまざまな模様の馬を丹念に描写している。

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重要文化財

「厩図屏風」室町時代・16世紀

右左隻を連続した一画面として6頭の繋馬を描く。厩舎前には囲碁、将棋、双六に興じる人々、犬や猿を配す。屋外には右隻に松、藤、鷺、亀、左隻に桜、柳、蔓、鴛鴦が描かれる。駿馬を主題にしつつも、華やかで吉祥性の込められた画面となっている。
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柴田義董「鹿図屏風」江戸時代・19世紀

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「東京国立博物館」ホームページ


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展示と催し物案内[第722号]

2013.12―2014.1







東京国立博物館で「博物館で初もうで」(その2)を観た!

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「池上七福神めぐり2014」!

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「年初恒例の七福神巡りの案内をお送りします。2014年は「池上七福神」をまわります。お時間のある方はふるってご参加下さい」というメールがいつもの仲間からありました。「池上七福神」は5年前に一度歩いたことがあったのですが、いつもの仲間の「恒例」ということなので、運動がてら参加してきました。

池上七福神めぐり


風もなく、寒くもなく、まさに「七福神めぐり日和」の、絶好のいいお天気でした。東急池上線の池上駅に10時30分に集合、老若男女17名の参加者でした。いただいた「池上七福神めぐり」のチラシには、「今年もきっと七難即滅・七福即生」とありました。たぶん、今年は良い年になることでしょう。

1.曹禅寺(布袋尊):池上7-22-10

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*東急池上線の踏切前の仲間たち
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*徳持神社
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2.微妙庵(毘沙門天):池上3-38-23
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3.馬頭観音堂(大黒天):池上3-20-7
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4.厳定院(弁財天):池上2-10-12
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*大坊・本行寺
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*本行寺から池上本門寺への階段
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5.妙見堂(樹老人):池上1-31-11
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6.養源寺(恵比寿):池上1-31-1
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7.本成院(福禄寿):池上1-35-3

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*集合・解散 東急池上線池上駅
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「日本橋七福神めぐり」に行ってきました!

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「隅田川七福神めぐり」へ行ってきました!

深川七福神めぐり
日本橋七福神めぐり
東海七福神めぐり-1
東海七福神めぐり-2
なぜか急に「亀戸七福神めぐり」
宗円寺の七福神
豊川稲荷の「一か所七福神」!






「池上本門寺」で初もうで!

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*大田区文化財「経蔵」
構造・形式は、方三間も裳階(もこし)付き、宝形造、銅板瓦棒葺、輪蔵形式。経蔵内部に、心柱を軸に回転する八角形の書架(輪蔵)があり、かつては一切経(区指定文化財)が収められていた。経蔵内部の柱等には、耕児に関係した職人をはじめ、講名や氏名、住所等が刻まれ、経蔵建立時の寄進者が広範囲に及んだことがうかがえる。「新編武蔵風土記稿」によれば、天明4年(1784)に再建されたものと伝えられる。昭和46年(1971)境内整備により現在地に移築されたが、江戸期の輪蔵形式の経蔵は都内でも少なく貴重である。
(昭和49年2月2日指定 大田区教育委員会)


*重要文化財「池上本門寺多宝塔」
宗祖日蓮大聖人の五尊骸を荼毘に付した霊蹟に建つ供養塔。建立は宗祖550遠忌を期して行われ、江戸芝口講中の本願により、文政11年(1828)に上棟、同13年(天保元年)に開堂供養を修している。石造の方形基壇に築いた円形蓮華坐の上に建つ木造宝塔形式の建物で、内外共に漆や彩色によって華やかな装飾が施されている。塔内中央には金箔や彩色で装飾された華麗な木造宝塔を安置し、日蓮大聖人御所持の水晶念珠を奉安している。宝塔形式の木造塔婆は極めて現存例が少なく、当山多宝塔はその中でも最大規模を誇る本格的な宝塔として、極めて貴重な建物である。なお、「多宝塔」の名称は建立当初から呼称されているものであり、文化財としての名称は「池上本門寺多宝塔」である。
(平成23年3月 池上本門寺)


「池上本門寺」ホームページ


過去の関連記事:

「池上本門寺お会式 万灯練」を見た!
池上七福神めぐり
池上本門寺の節分会
「やわらかい生活」の街、池上本門寺!

東京国立博物館で「博物館で初もうで」(その3)を観た!

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毎年恒例の「博物館に初もうで」ですが、さすがは東京国立博物館、観るものがたくさんありすぎて、このに載せるのも「その3」にまでなってしまいました。ここでは「仏像」や「自在置物」、そして今年の干支である「馬」の置物を、下に載せておきます。


仏像など




唐時代の馬


金工 自在置物など




「東京国立博物館」ホームページ


tou1 「東京国立博物館ニュース」

展示と催し物案内[第722号]

2013.12―2014.1





Bunkamuraザ・ミュージアムで「シャヴァンヌ展」を観た!

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Bunkamuraザ・ミュージアムで「シャヴァンヌ展」を観てきました。 観に行ったのは1月2日、東京国立博物館での「博物館で初もうで」へも観に行く予定だったのですが、まずはこちらからということで、午前10時にはBunkamuraへ行き会場に入りました。あまりにも観客が少ないので、ちょっと拍子抜けしました。シャヴァンヌはあまり知られていないようで、僕自身もほとんど知りませんでしたので、先入観なしに観ることができました。


「艶がない」、「スタッコ風」、「精神性」、「理想郷」、「淡い色調」、「陰影が少ない」、「寓意」、「対になる作品」、「習作が多い」、などと、作品リストに書き付けていました。観て行くごとに、少しずつ分かってきました。シャヴァンヌは壁画作家なのだと。出ている作品のほとんどは、壁画を縮小、複製したものだということに。


1861年にアミアン美術館の壁画を手がけたシャヴァンヌは、次々と注文をこなし、19世紀最大の壁画家と称されたという。第二帝政期における市街地の大改造や、普仏戦争とパリ・コミューンを経た復興整備によって、この時代のパリは、公共建築のための大規模な装飾壁画を求めていた。卓越した画才に恵まれたシャヴァンヌは、そうした時流に乗り、物語や神話を格調高く描いて評価された。しかし画家は、壁画制作に励む一方、「貧しき漁夫」のような革新的な造形性を備えた作品もサロンに出品し続けた.。(「オルセー美術館展2010・ポスト印象派」図録より)


スケッチ風の「女の頭部(ベルト・モリゾの肖像か)」を観たとき、あまりにもモリゾに似ているので驚きました。三菱一号館美術館で観た「マネとモダン・パリ展」でマネの描いたモリゾの作品を4、5点観ましたが、たった1点でしたが、それとはまた違った雰囲気を持ったスケッチでした。このスケッチで、シャヴァンヌの属した時代のおおよそが分かりました。


第4章「日本への影響」には、黒田清輝の「昔語り下絵」や、藤島武二の「サント・ジュヌヴィエーヴ(部分)」の模写がありました。また、小林萬吾によるシャヴァンヌの「貧しき漁夫」の模写がありました。そう言えば「貧しき漁夫」は、「オルセー美術館展2010・ポスト印象派」で観たことを思い出しました。「内面への眼差し」ということで「象徴主義とナビ派」に括られていました。この作品は、ゴーギャン、スーラ、ドニ、ピカソらに大きな影響を与えたとありました。そしてまた、西洋美術館にも縦長の構図でしたが「貧しき漁夫」があることも思い出しました。


川村錠一郎の「世紀末美術の楽しみ方」(とんぼの本:1998年11月20日発行)では、クレラー=ミュラー美術館の「砂漠のマグダラのマリア」を取り上げて、「生のはかなさ、死、死の向こうに続く永遠性と神の栄光、といったキリスト教的な主題以上の象徴性を感じさせる」としています。


小林萬吾がどういう人かは知りません。ウィキペディアによると、小林萬吾(1870-1947)は1895年黒田清輝に入門、1898年東京美術学校西洋画科選科卒、とあります。黒田清輝はラファエル・コランに師事していたことはよく知られていますが、この展覧会では黒田がシャヴァンヌに会いに行った、とありました。図録を購入していないので、詳しいことは分かりませんが・・・。


今回の展覧会、シャヴァンヌの作品を所蔵する美術館があったことに驚きました。島根県立美術館の「聖ジュヌヴィエーヴの幼少期」、岐阜県美術館の「慈愛(習作)」、そして大原美術館の「漁夫」「幻想」「愛国(習作)」でした。


「大原美術館で学ぶ美術入門」(JTBパブリッシング:2006年9月1日初版発行)では、上の3点を取り上げて以下のように述べています。「漁夫」は筋骨隆々とした裸の男。陰影が巧みに表され、色彩もおよそ見えるがまま。まさに現実的な男の裸がそこにあるのに対して、「幻想」は平べったく、ふわふわした人形のようです。また「愛国」は画面全体が輝くよう。同じ画家の作品ながらこれほど描き方が変化するところに、当時の絵画革新の激しさを見ることができるでしょう、と。


続けて、シャヴァンヌが主として手がけたのは、教会や美術館などの建築に附随した壁画でした。今でもフランスの各地で彼の壁画を目にすることができ、その高い評価は未だに衰えていません。しかし日本では現在では印象派の画家たちに比べ、知名度が高いとはいえません。その要因は何といっても主要作品が壁画であるため、実物を観る機会が少ないからでしょうと、解説しています。


展覧会の構成は、以下の通りです。


第1章 最初の壁画装飾と初期作品 1850年代

第2章 公共建築の壁画装飾へ アミアン・ピカルディ美術館 1860年代

第3章 アルカディアの創造 リヨン美術館の壁画装飾へ 1870-80年代

第4章 アルカディアの広がり パリ市庁舎の装飾と日本への影響 1890年代



第1章 最初の壁画装飾と初期作品 1850年代


第2章 公共建築の壁画装飾へ アミアン・ピカルディ美術館 1860年代




第3章 アルカディアの創造 リヨン美術館の壁画装飾へ 1870-80年代





第4章 アルカディアの広がり パリ市庁舎の装飾と日本への影響 1890年代



Bunkamura25周年記念「シャヴァンヌ展」
水辺のアルカディア ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの神話世界

もとはギリシャの一地方の名称であるアルカディアは、いつしか牧人が穏やかな自然の中で羊の群を追う理想郷の代名詞として使われるようになっていきました。それは生田の文明を育んだ地中海世界のどこかに存在するやもしれぬ、誰も見たことのない桃源郷を意味します。唯一神々だけが、そこに舞い降りることができ、その豊かさを享受できるのです。そんなシーンを、まるで現実の、あたかも遠景で展開しているように描きだした画家がピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824-1898)です。19世紀フランスを代表する壁画家として知られるシャヴァンヌは、古典主義的な様式でフランスの主要建造物の記念碑的な壁画装飾を次々と手がけ、並行してそれらの縮小版も制作しました。また壁画以外の絵画においても才能を発揮し、数々の名作を残しています。イタリアのフレスコ画を思わせる落ち着いた色調で描かれたそれらの作品は、格調高い静謐な雰囲気を湛えるとともに、その含意に満ちた奥深い世界は、象徴主義の先駆的作例と言われています。古典的様式を維持しながら築き上げられた斬新な芸術。スーラ、マティス、ピカソといった新しい世代の画家にも大きな影響を与えただけでなく、日本近代洋画の展開にも深く寄与した巨匠の、本展は日本における待望の初個展となります。


「Bunkamuraザ・ミュージアム」ホームページ



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「大江健三郎 作家自身を語る」を読んだ!

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家では長年朝日新聞をとっているので、どうして読売新聞の記事が切り抜いてとってあるのか、思い出せません。記事のタイトルは「大江健三郎さん新作『晩年様式集』 今後、日本人が担う『忍耐』 震災、原発事故・・・細部まで濃く」とある、2013年11月8日の記事です。「編集委員 尾崎真理子」の署名記事です。いま、ネットで検索したら、その記事が出てきました。

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20131105-OYT8T00414.htm


大江健三郎の「晩年様式集」については朝日新聞も、書評欄では佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)が2013年11月24日に、文化欄では編集委員の吉村千彰が2013年11月5日に取り上げていて、その切り抜きもあります。いずれも「晩年様式集」について丁寧に解説してはいますが、僕はなぜか 読売の尾崎真理子の記事がよく書けているように思いました。そこで初めて尾崎真理子の名を知った、というわけです。


尾崎の名前で検索してみると、「大江健三郎 作家自身を語る」という文庫本が見つかり、その本の「聞き手・構成」として尾崎真理子がありました。その本のカバー裏に短く以下のようにありました。尾崎真理子:1959年宮崎県生まれ。読売新聞編集委員。著者に「現代日本の小説」「瀬戸内寂聴に聴く 寂聴文学史」ほか。


「大江健三郎 作家自身を語る」(新潮文庫:平成25年12月1日発行)を読みました。本書は2007年5月、新潮社より刊行された「大江健三郎 作家自身を語る」を増補・改訂したものです、と書かれていました。単行本の刊行から6年半、「美しいアナベル・リイ」「水死」「晩年様式集」、3つの長篇小説がその間に完成し、文庫化に際して再び大江健三郎への長いインタビューが実現し、それまでの6章に加えて7章を加えたものになった、というわけです。


もともとの単行本の刊行について尾崎は、以下のように語ります。読売新聞文化部の担当記者として15年、何十回も大江に接してきた尾崎は、作家・大江健三郎とは魅力的な語り手である。世田谷区成城の大江の家を訪れ、居間のソファーに腰を下ろすと、たちまち会話に引き込まれ、別の時間が流れはじめた、という。そしてある時から、同時代に数多くのこの作家と作品についての批評が著され続けているし、すぐれた作家がすぐれた批評家であるのは当然でもあるけど、これほどまでに的確で痛烈で執拗な、「大江健三郎」に対する批評家は作家自身しかいない―そう確信するに至った。何とかして大江の語りを丸ごと記録しておきたいと思うようになったという。


僕は、下に載せた「読む人間」や「『話して考える』と『書いて考える』」などを読んでいたので、おおよそ大江の考えてきたことは知ってはいますが、これほど執拗に詳細に自分自身を語る大江には驚きました。それはもちろん、尾崎の聞き出し方が巧妙で周到だからにほかなりません。大江の作品を初期の作品から現在まで、信じられないくらいよく読みこなしています。そして大江の作品のもとになっている「翻訳詩」についても、よく知っています。


尾崎は以下のように述べています。

私の方で小説の本文からの引用を質問の中に埋め込んでいったのは、50年間にわたって幾度となく変貌を遂げた文章の、その時どきの切実な美しさをもう一度、思い出してもらう、あるいは若い読者に発見してもらう手がかりにしたいと考えたからだった。



この本のカバーに、この本の内容について以下のようにあります。

なぜ大江作品には翻訳詩が重要な役割を果たすのでしょう? 女性が主人公の未発表探偵小説は現存するのですか? 世紀を越え、つねに時代の先頭に立つ小説家が、創作秘話、東日本大震災と原発事故、同時代作家との友情と確執など、正確な聞き取りに定評のあるジャーナリストに1年をかけ語り尽くした、対話による「自伝」。最新小説「晩年様式集(イン・レイト・スタイル)」を巡るロング・インタビューを増補。


大江健三郎:略歴

1935(昭和10)年、愛媛県生まれ。東京大学仏文科卒業。在学中に「奇妙な仕事」で注目され、58年「飼育」で芥川賞受賞。以後、常に現代文学の最先端に位置して作品を発表する。94(平成6)年、ノーベル文学賞受賞。


大江健三郎 作家自身を語る 目次

第1章 詩

     初めての小説作品

     卒業論文

第2章 「奇妙な仕事」

     初期短編

     「叫び声」

     「ヒロシマ・ノート」

     「個人的な体験」

第3章 「万延元年のフットボール」

     「みずから我が涙をぬぐいたまう日」

     「洪水はわが魂に及び」

     「同時代ゲーム」

     「M/Tと森のフシギの物語」

第4章 「『雨の木』を聴く女たち」

     「人生の親戚」

     「静かな生活」

     「治療塔」

     「新しい人よ眼ざめよ」

第5章 「懐かしい年への手紙」

     「燃えあがる緑の木」三部作

     「宙返り」

第6章 「おかしな二人組」三部作

     「二百年の子供」

第7章 「美しいアナベル・リイ」

     「水死」

     「晩年様式集」

大江健三郎、106の質問に立ち向かう+α

あとがき

文庫本のためのあとがき


ooe4 「読む人間」

集英社文庫

2011年9月25日第1刷

著者:大江健三郎

発行所:株式会社集英社
ooe3 「『話して考える』と『書いて考える』」

集英社文庫

2007年6月30日第1刷

著者:大江健三郎

発行所:株式会社集英社






teigi 「定義集」

2012年7月30日第1刷発行
著者:大江健三郎

発行所:朝日新聞出版











過去の関連記事:

大江健三郎の「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」を読んだ!

大江健三郎の「読む人間」を読んだ!
大江健三郎の「定義集」を読んだ!
世田谷文学館で「知の巨匠加藤周一ウィーク」大江健三郎編を聞く!
大江健三郎の「水死」を読んだ!
大江健三郎の「﨟たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」を読む!
大江健三郎について



三井記念美術館で「樂茶碗と新春の“雪松図”」を観た!

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三井記念美術館で「樂茶碗と新春の“雪松図”」を観てきました。お正月恒例と言ってもいいでしょう、国宝「雪松図屏風」を観るのは。円山応挙の最高傑作です。何度観ても素晴らしい。ほかに「聚楽第図屏風」と「南蛮屏風」が出ています。そして「樂茶碗」。千利休の創意を受けて長次郎が造り始めたというものです。なんと桃山時代からです。樂家はそれを受け継ぎ、現在15代樂吉右衛門です。 

展示室1


展示室2


展示室3 如庵



展示室4






展示室5




新春を迎える国宝「雪松図屏風」

日本橋のお正月は、円山応挙の最高傑作「雪松図屏風」ではじまります。ピシリと冴え渡る空気の中、透明な陽光を照り返す清らかな雪と、永年を寿ぐ常磐木の松。毎年恒例となりました。三井記念美術館からの初春のご挨拶を申しあげます。また、樂茶碗にあわせて、桃山時代の京洛を描いた「聚楽第図屏風」を展示いたします。聚楽第は、豊臣秀吉の京都における居城として天正15年(1587)に竣工しました。折しも、樂家初代長次郎が活躍していたのと同年代です。


三井家の樂茶碗

樂茶碗は侘び茶ノ大成者千利休(1522-1591)の創意を受けて長次郎が造り始めたとされています。長次郎の茶碗は、轆轤を用いずに手捏ねによって成形され、また京都市中の家屋内の窯で焼かれました。すなわち日本の施釉陶器としては極めて特殊な陶法であったといえます。樂茶碗が造られ始めた時期は、桃山時代、天正年間(1573-1591)中頃と考えられていますが、その陶法は京都の樂家歴代を経て現代の15代樂吉左衛門氏まで受け継がれています。この度の展観では北三井家並びに室町三井家旧蔵の樂家歴代の作品を紹介し、併せて紀州徳川家の邸内で焼かれた楽焼きも展示します。


三井記念美術館」ホームページ


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損保ジャパン東郷青児美術館で「クインテット―五つ星の作家たち」を観た!

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損保ジャパン東郷青児美術館で「クインテット―五つ星の作家たち」を観てきました。「web内覧会」に応募したら、運良く招待されました。「web内覧会」の概要は、以下の通りです。


損保ジャパン東郷青児美術館
「クインテット‐五つ星の作家たち‐」web内覧会概要 

日時:2014年1月10日(金)
      受付 18:00~
      web内覧会    18:30~20:00
      ギャラリートーク  19:00~19:30

会場:損保ジャパン東郷青児美術館
   (東京都新宿区西新宿1-26-1 損保ジャパン本社ビル42階)

展覧会の概要:

http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/index_quintet.html


「ごあいさつ」には、以下のようにありました。

損保ジャパン東郷青児美術館は、1981年から2012年まで「選抜奨励展」、1998年から2007年まで「DOMANI・明日展」を開催しました。また2013年に公募コンクール「損保ジャパン美術賞FACE」を創設し、入選作品展「損保ジャパン美術展賞FACE」を開催しています。今後は「FACE展」受賞作家展を3年毎に開催する予定です。本展「クインテット―五つ星の作家たち」は、当館の新進作家支援活動の一環として開催します。


国内外の美術館企画展などで作品を発表している作家5人を選び「クインテット」(五重奏)と題するシリーズ展覧会を開催いたします。日々研鑽を積み、継続的な作品発表の実績があり、“風景”をテーマに制作している5作家、児玉靖枝、川田祐子、金田実生、森川美紀、浅見貴子の様々な手法で捉えた作品をご紹介する展覧会です。


「ギャラリートーク」風景
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児玉靖枝:


川田祐子:

金田実生:

森川美紀:

浅見貴子:

「クインテット―五つ星の作家たち」

国内外の美術館企画展などで作品を発表している作家5人を選び「クインテット」(五重奏)と題するシリーズ展覧会を開催いたします。日々研鑽を積み、継続的な作品発表の実績があり、“風景”をテーマに制作している5作家、児玉靖枝、川田祐子、金田実生、森川美紀、浅見貴子の様々な手法で捉えた作品をご紹介する展覧会です。日本人にとって風景は身近なテーマです。出品作家たちは、日常接する景色・気配を、それぞれの方法で咀嚼し、自分なりの表現方法で画面に風景を描写しています。彼女らは、風景を写実的に捉えるというよりも、事物の特徴を際立たせ抽象化することで、季節、時間、天候、そして時代の空気、心象、記憶などを表現しているといえます。出品作家たちの近作と新作は、見る者の想像力を喚起し、無限に広がる「視覚の愉しみ」を感じさせてくれます。出品作家の5人は、それぞれの成果によって現代美術史に深く刻まれる五つ星作家たちであり、本展で輝く音色の五重奏を奏でてくれます。


「損保ジャパン東郷青児美術館」ホームページ


five17 「クインテット―五つ星の作家たち」

図録

企画・編集:
損保ジャパン東郷青児美術館(五十嵐卓)
発行:

損保ジャパン東郷青児美術館©2014

講演会シリーズ第9回「近代日本の支配層が愛した小川治兵衞の庭」を聞いた!

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日本工業倶楽部会館で、武庫川女子大学東京センター主催の講演会シリーズ第9回、矢ヶ崎善太郎の「近代日本の支配層が愛した小川治兵衞の庭」を聴いてきました。もともとは「庭師小川治兵衞とその時代」(東京大学出版会:2013年5月31日初版)を書いた鈴木博之が講演を行う予定だったのですが、突如「やむを得ぬ事情により」講師が変更になりました。しかも「講演者変更のお知らせ」の速達葉書が届いたのが講演日の前の日、昨日のことでした。葉書には、「矢ヶ崎善太郎は山県有朋や小川治兵衞の庭について長年ご研究を続けておられます京都工芸繊維大学大学院の矢ヶ崎善太郎先生」とあります。鈴木博之の話はもう何度も聞いているし、「庭師小川治兵衞とその時代」も読んでいるし、講師が変わって別の視点での話が聞けるのもまたいいかと思い、出かけてきました。


講演会概要

日時:平成26年1月11日(土)13:00~

会場:日本工業倶楽部会館2階大会議室

    (東京都千代田区丸の内1-4-6)

講師:●「山形有朋の無鄰菴から始まる小川治兵衞の世界」

      矢ヶ崎善太郎(京都工芸大学大学院准教授)

    ●「小川治兵衞の造園技法と意匠」

      尼崎博正(造園家、京都造形大学教授)

    ●趣旨説明:岡崎甚幸(武庫川女子大学建築学科長、京都大学名誉教授)


「山形有朋の無鄰菴から始まる小川治兵衞の世界」

矢ヶ崎善太郎:京都工芸繊維大学大学院准教授

1958年長野県松本市生まれ。京都工芸繊維大学大学院工芸学研究科建築学専攻終了。博士(学術)。専門は日本建築史、伝統建築生産学。主な著書:「對龍山荘 植治と島藤の技」(淡交社、2007/共著)、「茶湯古典叢書 五 茶譜」(思文閣出版、2010/共著)、「水郷の数寄屋 臥龍山荘」(大洲市、2012/監修)、「講座 日本茶の湯全史 第三巻近代」(思文閣出版、2013/共著)、「野村得庵の文化遺産」(思文閣出版、2013/共著)他。主な論文:「京都東山の近代と数寄空間」(「日本歴史」752号2011年)、他多数。


・京都東山の近代は、琵琶湖疎水に始まる。

・琵琶湖疎水は、工部大学校の土木工学科に進学した田辺朔郎は、卒業論文に琵琶湖疎水工事の計画を取り上げた。

・田辺には、京都という都市全体の殖産興業についての抱負があって、総合的な国策のpための計画として、琵琶湖疎水を取り上げている。

・琵琶湖疎水工事とは、文字どおり琵琶湖の水を疎水(一種の運河あるいは用水)によって滋賀県から京都府に導き入れる計画であった。

・田辺朔郎らの計画は、「起工趣意書」によると7箇条の目的を掲げている。

 其一製造機械之事

 其二運輸之事

 其三田畑灌漑之事

 其四精米水車之事

 其五火災防グ之事

 其六井泉之事

 其七衛生上ニ関スル事

・田辺朔郎は卒業二年前の1881(明治14)年から琵琶湖の水位の測定を始め、琵琶湖の水面は京都の南禅寺より約43m高いことが確かめられた。

・1883年に卒業論文「琵琶湖疎水工事の計画」をもって工部大学校を卒業した田辺朔郎は、京都府に勤め、身分は京都府準判任御用掛であった。

・琵琶湖疎水は疎水が発揮し得る能力のすべてを網羅した体系となった。まず運河としての機能、水車動力から水力発電システムへ、また、飲料水の供給、灌漑用水路、さらに防火用水としての機能も果たした。

(以上、鈴木博之の「庭師 小川治兵衞とその時代」より)


・高瀬川沿い木屋町に山縣は、第二次無隣庵を建てる。伊集院兼常も木屋町に別邸を建てる。

・木屋町二條下がるに山縣別邸を拡張することを京都府に願い出たところ、鴨川横断工事もあるので拒否される。

・山縣は、南禅寺に疎水の水を引き、第三次無隣庵を建てる。伊集院も南禅寺別邸を建てる。

・「山縣公別荘記」には「老公自身の指図で其の指図に従って築庭の事に当たったのは植治と云う植木屋であった」、とある。

・植治は恩人として、山縣さん、中井弘さん、伊集院兼常さんの三人の名前を挙げている。

・伊集院兼常は、薩摩の出身、島津家の家臣。建築好き、日本土木会社を創設、大成建設の前身。千家の重要な位置を占めていた。

・塚本與三次の役割は、開発業者だったが、近代人であり文化人であり、そして数寄者であった。

・村野藤吾は若い頃塚本與三次邸(清流亭)に寝泊まりして、和風建築、数寄屋を勉強した。

・京都人は、都がまた京都に戻ってくるという意識がある。即位式など、大事な行事は今までは京都でやっている。「大礼宿舎先帝の基準」などで京都市で「御大典記念工事」として住宅などの改修が始まると、不動産価値が上がる。

・大正10年11月に「東山大茶会」が開催される。南北6km、42席、庭を開放した。抹茶だけでなく、煎茶の文化、自然観が出てきた。数寄者の趣味も。


南禅寺界隈別邸・邸宅群の成立

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洛陶会「東山大茶会」大正10年11月

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無隣庵主屋(洋館・和館)、茶室 平面図及び立面図


無隣庵 建造物の概要
主屋:木造一部二階建桟瓦葺/大工・奥邨竹治郎(二階建座敷棟御弊銘)/明治28年頃建築、

    明治31年頃および大正期改造(「続江湖快心録」、二階建座敷棟御弊銘ほか)
洋館:煉瓦造二階建桟瓦葺/設計・新家孝正、施工(棟梁)清水満之助(二階棟札)
    /明治30年11月7日上棟(二階上棟札)

茶室:木造平屋桟瓦葺き/大工・不詳/明治28年頃移築(「続江湖快心録」)

管理人住居:木造平屋桟瓦葺/大工・不詳/建築年・不詳


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「小川治兵衞の造園技法と意匠」


尼崎博正:造園家、京都造形芸術大学教授

1946年兵庫県生まれ。1968年強と大学農学部卒業。農学博士(京都大学)。京都造形芸術大学教授。日本庭園・歴史遺産研究センター所長。設計作品:「花博むさしの山野草園」(1992年度日本造園学会賞受賞)。著書:「植治の庭―小川治兵衞の世界」(淡交社、1990)、「風景をつくる」共著(昭和堂、2000)、「庭石と水の由来―日本庭園の石質と水系」(昭和堂、2000)、「図説・茶庭のしくみ」(淡交社、2006)、「七代目小川治兵衞」(ミネルヴァ書房、2012)、他。


始めに、「毛越寺」「永保寺」「天龍寺」「龍安寺」「茶庭(裏千家)」「二条城書院」「孤放庵忘荃」「桂離宮」「修学院離宮」「流響院」「碧雲荘」「有芳園」「怡園」「對龍山荘」等の画像を観ながら解説。


以下、いただいた資料による。


*時代性―「自然へ回帰する時代」・・・身近な自然、田園風景を表現

*空間性―「眺める庭」から「五感で味わう庭」へ・・・「歌枕の世界」からの脱皮


1) 立地と空間構成

 ・京都―南禅寺界隈庭園群―東山を望む東西軸、二回からの眺望も

                     大文字遠望、高台からの俯瞰

 ・滋賀―琵琶湖畔の眺望とモーターボートによるアプローチ(隣松園)

 ・東京―大地突端からの眺望・・・落差を巧く用いた構成(旧古河庭園)

2) 植採の工夫

 ・東山のアカマツとの連続性・・・モミジ、ドウダンツツジによる季節感の表現

     室戸台風の被害(昭和9年)によって東山の林相が変化

 ・群植による意外性の演出・・・コウヨウザンが醸す異国情緒

 ・伝統的な四方松、京都では松は四方松を使う。(無隣庵の中庭)

3) 水の意匠

 ・疎水園池群の成立―水のネットワーク―琵琶湖疎水(明治23年竣工)と白川

 ・躍動的な水の流れを基調とするデザイン―滝、流れ、瀬落ち、沢飛び、蛇籠、流れ蹲踞

    「音環境」・・・滝音のトリック

 ・池・流れ・排水の構造―年度、漆喰、セメント、袋打ち工法

4) 庭石の諸相

 ・ブランドにこだわらない庭石の選択

   守山石―琵琶湖疎水の舟運で琵琶湖西岸から

         間知石積み用として沖の島石も

   緑色凝灰岩―参院選の開通によって城崎周辺から

   関東では・・・近世以来の庭石+筑波石+京都の石(鞍馬石など)

 ・人の気配が漂う石―石灯籠、伽藍石、臼石、橋脚、切石、合わせ石、矢跡のある石など

   岩盤の利用、自然石の加工・・・セメントによる造形へ

 ・建築との接点―礎石、束石、沓脱石、縁先手水鉢、塵穴の覗き石、軒内など

   遊び心・・・趣味で蒐集した瓦をはめ込む、臼石の造形


図1 南禅寺界隈庭園群
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図2 水路網模式図(水のネットワーク)
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「武庫川女子大学東京センター」ホームページ

過去の関連記事:

講演会シリーズ第8回「近代和風建築の保存と再生」を聞いた!
「明治生命館の保存と再生」
「わが国の近代建築:大正から昭和へ」

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松家仁之の「沈むフランシス」を読んだ!

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松家仁之の「沈むフランシス」(新潮社:2013年9月30日発行)を読みました。 本の帯には「読売文学賞受賞作『火山のふもとで』につづく待望の第二作」とあります。


「火山のふもとで」を読んだ「新潮2012.7」の目次には、「先生は、小さな声で呟くように、建築史に残る建物を生み出す。生を豊かにする空間とは? 浅間山のふもとの山荘で、設計コンペの戦いとロマンスのときが静かに深々と刻まれる――。超大型新人デビュー!」とありました。学生の頃から心酔していた建築家のアトリエに入所し、建築家としての仕事を学びながら、青春の日々を淡い恋も交えて克明に書かれた「火山のふもとで」、建築家や建築界の世界をあまりにも詳細に書いているので、たいへん驚いた記憶があります。


さて、松家仁之の第二作、「沈むフランシス」は北海道東部の湧別川のほとりを描いています。題名からして謎めいています。意味不明です。主人公は東京で総合職として働いていた仕事を辞めて、中学時代に父の転勤で少しの間住んだことのある北海道の安地内(あんちない)という人口約800人の小さな村へ移ってきます。30代半ばの撫養(むよう)桂子は離婚後、安地内で非正規の郵便局員として働き、郵便配達車で村の隅々まで走り回ります。郵便配達をして入れな否応なく顔を覚え、覚えられてしまうほど小さな村です。ガソリンスタンドの男には「きのう浅木屋の前でおおきなあくびしてたでしょ」と、馴れ馴れしく言われたりもします。


配達の途中で桂子は、川岸の一軒家に一人で暮らす同世代の、桂子と同じ珍しい苗字の寺冨野和彦と出会います。和彦は正体不明の謎めいた男です。こだわりのある洗練された生活をしているように見えます。趣味は世界各地や日本各地で録音した様々な音を、大きなスピーカーで再生して聞くことです。蒸気機関車の音、アラスカの氷河、シカゴの老舗ホテルのレセプション、ありとあらゆる場所の音が録音されています。「ぼくは音をちゃんと聴くために、ここでフランシスと暮らしているようなものでね」と言う。「よかったら日曜日、ぜひいらしてください。午後ならいつでもいいですから」と和彦は言う。


日曜日の午後2時過ぎ、桂子は寺富野の家に行った。先に着いていた長谷川夫妻は、気やすい雰囲気のひとたちで、桂子を迎えます。寺富野は真空管アンプの愛好家のあいだでは知られた存在で、夫妻との面識ができたのもそれが縁だったという。寺富野が集めた音を聴いていると、ほんとうに目の前にそれがあるように聞こえることでした。スピーカーから出てくる音に、桂子は圧倒され息をのみます。桂子は実体ととりちがえるほどリアルなものであると感じます。帰りがけに和彦は「よかったら来週の日曜日も、ぜひ要らして下さい。フランシスの説明をする時間もなかったし」と桂子に言います。


以下、後日

過去の関連記事:

松家仁之の「火山のふもとで」を読んだ!

ホ・ジノ監督の「危険な関係」を観た!

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「危険な関係」といえば、原作はフランス人作家のラクロの小説ですが、映画化された「危険な関係」(ロジェ・ヴァディム監督:1960年)を僕が観たのはもうかれこれ50年近く前のことです。実はまだ中学生だったので、観ても内容は全く分かりませんでしたが、どうしてその映画を観ることになったのかといえば・・・。


映画音楽はセロニアス・モンクが担当、テーマ音楽をアートブレーキーとジャズメッセンジャーズがつくりました。たしか映画の中でも演奏していたように思います。アートブレーキーはもちろんドラマーですが、「ナイヤガラ」といわれるドラムの奏法が当時の話題でした。その頃の僕は分かりもしないのにモダンジャズにはまっていて、それもアートブレーキーからモダンジャズに入ったといっても過言ではありません。最初に買ったドーナツ盤がアートブレーキーの「危険な関係のブルース」だったというわけです。ついでに,、次に買ったのはLP盤の「モーニン」、NHKの「美の壺」でテーマ曲として使われている名曲です。前の席で聞いていたヘイゼルという歌手が感動のあまり失神したというので、「モーニン・ウイズ・ヘイゼル」と言われるようになったとか。フランスのクラブ「サンジェルマン」での実況録音盤でした。


検索したら出てきましたよ「危険な関係のブルース」が、アートブレーキーのドラムソロもあるし、いや、懐かしい!

危険な関係のブルース les liaisons dangereuses アートブレイキー


ロジェ・ヴァディムは数々の浮き名を流し、ブリジットバルドーやカトリーヌ・ドヌーブやジェーン・フォンダと一緒になったり子供をもうけたりもしていたようで、私生活もまさに「危険な関係」だったようです。1960年の「危険な関係」は原作が18世紀フランスの貴族社会でしたが、現代の上流社会へと変えています。なにしろ主演はジャンヌ・モローとジェラール・フィリップ、当代の美男美女です。成人映画だったかどうか、なにしろ中学生の僕は観たことは観たのですから。その「あらすじ」は以下の通り。


パリの上流社会でもっとも洗練された2人ともてはやされる外交官のヴァルモン夫妻。2人は互いのことをだれよりも愛していたが、妻のジュリエットは複数の男と関係を持ち、夫ヴァルモンもまた多くの女性と付き合いながら、それぞれ互いの情事について報告しあっていた。ジュリエットは恋人のひとりであるジェリーが若い娘セシルと婚約したことを知り、その復讐にと、ヴァルモンにセシルの純潔を奪わせた後、ジェリーのものにさせることを企む。(「ウィキペディア」による)


リメイクされた「危険な関係」は、スティーヴン・フリアーズ監督による1988年のアメリカ映画。1988年のアカデミー賞で脚色賞、衣裳デザイン賞などを受賞しました。最近、TUTAYAで見かけたので、近々借りてこようかと思っていたところです。そういえばペ・ヨンジュンのデビュー作「スキャンダル」(2003年)も、原作はラクロの「危険な関係」だということのようですが。またまたそういえばペ・ヨンジュンの第2作目は、ホ・ジノが監督の「四月の雪」でした。もう何回も観ましたが、ラブストーリーの名手ですね。なかなかホ・ジノ監督の「危険な関係」の方に行きません、寄り道ばかりで・・・。


今年初めて映画館で観た映画です。今から言っておきますが、作品としても、出来栄えとしても、映画としては今年のトップの映画です。「最初はゲーム感覚でも、最終的には本当の愛に目覚めてしまう」。一作しか観ていないのですが、これは断言できます。最高のラブストーリーだと。中国のチャン・ツィイー、韓国のチャン・ドンゴン、香港のセシリア・チャン、アジアの三大スターの競演です。舞台は1931年の上海、2012年2月の始めに行った上海旅行、歩いた「外灘プロムナード散策」を思い出しました。


裕福なプレイボーイのイーファン(ドンゴン)に女性実業家ジユ(セシリア)は「久し振りにゲームでもしない?」、「あの生娘と寝るとか」と迫ってきます。「でも簡単で面白くない」。貞淑な未亡人フェンユー(ツィイー)を落とせるかどうか。「彼女は無理よ」とジユは言います。しかし「成功したら君が欲しい」とジユに言います。「押しても駄目なら引いてみな」、イーファンはフェンユーを落とします。この辺の駆け引きは見事です。賭けに勝ったとジユに報告に行きます。ジユは、今度はフェンユーと別れたことになるまでは勝ちではないと言います。イーファンは「彼女を愛してなんかいない、俺は負けてはいない」と強がりを言います。


たとえがあってるかどうかはともかく「ミイラ取りがミイラになる」、事実、イーファンはフェンユーを愛してしまったのですから。日本軍の侵攻に反対して街中が騒然としている中、真の愛に気付いたイーファンはフェンユーに会いに行く途中に、かつて落としたことのある生娘の恋人にピストルで撃たれて倒れます。「遅かりし由良の助」でしたが・・・。暇を持て余した富裕層の男女が繰り広げる恋愛ゲーム。中国では妻の不倫は通らないので、最初からフェンユーを未亡人という設定にしたとか。1930年代、東洋のパリと言われた上海。莫大な資産を持つ富裕層がパーティに明け暮れ、享楽的な生活を送っています。豪華絢爛、当時の上海の富裕階級の暮らしぶりが見事に再現されています。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。

チェック:『四月の雪』などのホ・ジノが監督を務め、18世紀にピエール・コデルロス・ド・ラクロが発表したフランスの古典小説を映画化した恋愛劇。退廃的な1930年代の上海を舞台に、危うい恋のゲームに深入りする3人の男女の関係をドラマチックに描写する。名うてのプレイボーイをチャン・ドンゴン、彼と同類の女性実業家をセシリア・チャン、貞淑な未亡人をチャン・ツィイーが好演。アジアのトップスター共演のめくるめく体験に酔いしれる。

ストーリー:1931年、女性実業家として成功したジユ(セシリア・チャン)。恋人が小娘との婚約を発表し、プライドを傷つけられる。そこで友人イーファン(チャン・ドンゴン)に残酷な復讐(ふくしゅう)を依頼した彼女に、彼は純潔な寡婦フェンユー(チャン・ツィイー)との情事を成し遂げる賭けを提案するが……。


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「危険な関係」公式サイト


過去の関連記事:
チャン・イーモウの「初恋のきた道」を観た!
キム・ギドク監督の「コースト・ガード」を観た!
ホ・ジノ監督の「ハピネス」を観た!
ホ・ジノ監督の「四月の雪」を観た!
ペ・ヨンジュンの「スキャンダル」



「映画もいいかも」、2013年(1月~12月)のまとめ!

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「映画もいいかも」、2013年(1月~12月)のまとめ!


観た映画でブログに書いたのは47本、月4本平均です。

まあ、観た本数とすれば、おおよそ例年通りです。


「再び」印が多いのも、昨年の特徴と言えます。8本ありました。

「再び」印は付いていませんが、再び観たものも3本ありました。

すなわち再び観たものは11本でした。


計11本、月に1本ほど旧作を「再び」観ていることになります。

早い話が、新作もので観たいものが少なかったこと、

旧作ものでまた観たいと思いものが数多くあったこと、によるものです。

洋画旧作で取り上げた作品を見ると、僕の好みが如実に出ています。


また、テレビで放映していた作品で録画してある作品もたくさんあって、

いつになったら観られるのか、まだ観ていないものも多々あります。

観るのが追いつかず、たまる一方です。


さて、今回(2013年)のベストは、ということになりますが、

一昨年は、洋画新作と旧作、邦画新作と旧作の他に、

中国系、韓国系の項目をつくりそれぞれ5本ずつ取り上げましたが、

今回はあまり観ていないこともあり、邦画の旧作と、

中国・韓国系は取り上げませんでした。

また今回特にドキュメンタリー部門を設けてみました。


以下、順位付けはしていません。


洋画新作:

リンゼイ・アンダーソン監督の「八月の鯨」を観た!
ミヒャエル・ハネケ監督・脚本「愛、アムール」を観た!
ミゲル・ゴメス監督の「熱波」を観た!

鬼才タル・ベーレ監督の「ニーチェの馬」を観た!

岩波ホールで「ハンナ・アーレント」を観た!


洋画旧作:

ジェームズ・アイヴォリー監督「眺めのいい部屋」を(再び)観た!

マルグリット・デュラス原作「愛人/ラマン」を(再び)観た!

映画「ダメージ」を(再び)観た!

ベルナルド・ベルトルッチ監督の「ラストタンゴ・イン・パリ」を(再び)観た!

アルフレッド・ヒチコックの「めまい」を観た!


邦画新作:

西川美和監督の「夢売るふたり」を観た!

原作:瀬戸内寂聴、監督:熊切和嘉「夏の終り」を観た!

原作:田中慎弥、監督:青山真治の「共喰い」を観た!

奥田瑛二監督の「今日子と修一の場合」を観た!

山本兼一原作、田中光敏監督の「利休にたずねよ」を観た!


ドキュメンタリー作品:

ワン・ビン(王兵)監督の「三姉妹~雲南の子」を観た!

酒井充子監督作品「台湾アイデンティティー」を観た!

纐纈(はなぶさ)あや監督の「ある精肉店のはなし」を観た!
シネマライズで「キューティー&ボクサー」を観た!


映画誌「キネマ旬報」の2013年に公開された作品ベストテンと個人賞を発表した新聞の切り抜きを見てみると、「日本映画」部門では「共食い」が5位、「さよなら渓谷」が8位に入っていました。「外国映画」部門では「愛、アムール」が1位、「ハンナ・アーレント」が3位、「熱波」が9位に入っていました。「個人賞」部門では、主演女優賞が真木よう子(さよなら渓谷ほか)、助演女優賞が田中裕子(共喰いほか)となっていました。


以下、2013年の月毎「映画もいいかも」


2013年

1月
「映画もいいかも」、2011年(1月~12月)のまとめ!
クリスティアン・ペッツォルト監督・脚本「東ベルリンから来た女」を観た!


2月
トルナトーレ監督、モニカ・ベルッチ主演の「マレーナ」を(再び)観た!
ジェームズ・アイヴォリー監督「眺めのいい部屋」を(再び)観た!
ピーター・ミュラン監督の「マグダレンの祈り」を(再び)観た!


3月
マルグリット・デュラス原作「愛人/ラマン」を(再び)観た!
リンゼイ・アンダーソン監督の「八月の鯨」を観た!
ミヒャエル・ハネケ監督・脚本「愛、アムール」を観た!
西川美和監督の「夢売るふたり」を観た!
ナンニ・モレッティ監督の「ローマ法王の休日」を観た!
ミヒャエル・ハネケ監督の「隠された記憶」を観た!
中上健次原作、若松孝二監督の「千年の愉楽」を観た!


4月
映画「ダメージ」を(再び)観た!
黒澤明監督の「羅生門」(デジタル完全版)を観た!
メル・ギブソン監督の「パッション」を(再び)観た!
ヴィセンテ・アモリン監督の「善き人」を観た!


5月
シドニー・ポワチエ主演「野のユリ」を観た!
ロドリゴ・ガルシア監督の「彼女を見ればわかること」を観た!
イングリット・バーグマン主演の「ガス燈」を観た!


6月
是枝裕和監督の「誰も知らない」を観た!
キム・ギドク監督の「嘆きのピエタ」を観た!
大森立嗣監督の「さよなら渓谷」を観た!
ワン・ビン(王兵)監督の「三姉妹~雲南の子」を観た!


7月
「ふたりのイームズ 建築家チャールズと画家レイ」を観た!
アルフレッド・ヒチコックの「めまい」を観た!
「映画もいいかも」、2013年上半期(1月~6月)のまとめ!
酒井充子監督作品「台湾アイデンティティー」を観た!
ミゲル・ゴメス監督の「熱波」を観た!


8月
日向寺太郎監督の「爆心 長崎の空」を観た!
イサベル・コイシェ監督の「あなたになら言える秘密のこと」を観た!

9月
原作:瀬戸内寂聴、監督:熊切和嘉「夏の終り」を観た!
鬼才タル・ベーレ監督の「ニーチェの馬」を観た!
原作:田中慎弥、監督:青山真治の「共喰い」を観た!
アキ・カウリスマキ監督の「ル・アーヴルの靴磨き」を観た!
レオス・カラックス監督の「ポンヌフの恋人」を(再び)観た!
石山友美監督作品「少女と夏の終わり」を観た!

10月

奥田瑛二監督の「今日子と修一の場合」を観た!
園子温監督の「地獄でなぜ悪い」を観た!
ミヒャエル・ハネケ監督の「ピアニスト」を観た!
ベルナルド・ベルトルッチ監督の「ラストタンゴ・イン・パリ」を(再び)観た!

11月
山下敦弘監督の「苦役列車」を観た!
フィリップ・ガレル監督の「愛の残像」を観た!
岩波ホールで「ハンナ・アーレント」を観た!
松村克弥監督の「天心」を観た!


12月
フェルナンド・トルエバ監督の「ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル~」を観た!
山本兼一原作、田中光敏監督の「利休にたずねよ」を観た!
纐纈(はなぶさ)あや監督の「ある精肉店のはなし」を観た!
シネマライズで「キューティー&ボクサー」を観た!
またまたまた「駅/STATION」を観た!



過去の関連記事:

「映画もいいかも」、2012年のまとめ!
「映画もいいかも」、2011年のまとめ!

「映画もいいかも」、2010年のまとめ
「映画もいいかも」、2009年のまとめ!
「映画もいいかも」、2008年のまとめ!

「映画もいいかも」、2007年のまとめ



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