Quantcast
Channel: とんとん・にっき
Viewing all 2506 articles
Browse latest View live

茨城県近代美術館で「聖なるものへ―ひそやかな祝祭―」を観た!

$
0
0



茨城県近代美術館で「聖なるものへ―ひそやかな祝祭―」を観てきました。


展覧会場へ入ると正面に舟越保武の「聖ベロニカⅡ」があり、「聖なるもの」への導入部としては適切な深い精神性を表現した作品です。序章では、笠間出身の女性洋画家山下りんによるイコン(聖画像)が2点、展示されています。村上華岳や横山大観の仏教や神道にまつわる作品が並びます。


第1章では、郷土の画家である「河童の芋銭」、小川芋銭の作品が並びます。那波多目功一や柳田昭らによるうつろう儚い自然が描かれた現代日本画の大作が並びます。第2章では、心身に傷を持つ人を克明に描く木下晋の鉛筆画や、舟越保武の「原の城」「ゴルゴダⅡ」が並びます。浜田知明の名作「初年兵哀歌(歩哨)」「假標」が見られます。


第3章では、中村彝や高島野十郎の静物画が並びます。今回の展覧会の目玉は、有元利夫の西欧の宗教画のような「送る夜」「花吹」と、舟越桂の時間を超越した木彫作品「青い遺跡」「戦争をみるスフィンクス」でしょう。


展覧会の構成は、以下の通りです。

序 章

第1章 うつろいの中のかがやき

第2章 痛みのありか

第3章 ひそやかな対面



序 章

序章では、宗教とかかわりの深いさまざまな作品を紹介します。宗教をテーマにした美術作品は昔から作られてきましたが、19世紀や20世紀には、以前より少なくなりました。





第1章 うつろいの中のかがやき
第1章では、うつろう自然を見たとき人が感じる、今ここにしかない一瞬の“かがやき”を描いた作品を紹介します。わたしたちが普段何気なく見ている世界は、実はとても不確かなもので、だからこそつなぎとめたいと願うのかも知れません。




第2章 痛みのありか
第2章では、自分や他の人の苦しみや悲しみを見つめ、その傷みがなくなることはないと分かっていながら、その人にとって大切なテーマである痛みを描いた作品を見ていきます。





第3章 ひそやかな対面
第3章では、自分の大切なものを机にならべて描いた静物画や、人間の想像から生まれた不思議な存在を形にしたものなど、自分自身を映しながら永遠を感じさせる作品をとりあげます。






「聖なるものへ―ひそやかな祝祭―」
芸術は古来、自然崇拝や神仏への祈りなど、人間の生活における信仰や宗教と密接に結びついてきました。かつて、作品の作り手はしばしば、この世を超越した存在や永遠性を宿すと信じられた物事を題材に制作を行い、受け手の人々は、そうして描かれた「聖なるもの」を、畏れや憧れ、救いを求める心をもって見つめてきたと言えるでしょう。絶対的な宗教心が薄れる一方で狂信的な形で表れもする現代においては、かつて描かれた「聖なるもの」は、わたしたちにとって信じられる対象としてのリアリティーを失っているかも知れません。しかし、生や死に向き合ったときの厳かな気持ちや、かけがえのないものに対する感情を、わたしたちは心のどこかで探し求め、ときに芸術の内に見出してはいないでしょうかそれらは、つかもうとすると手の内をすり抜けてゆく儚い何か、あるいはもともと存在しないのかも知れないけれども、人々がいつの時代も求めてやまないものなのかも知れません。本展は、そうした形をもたない何かに形を与えようとした芸術家たちが、うつろう自然や不完全な人間に向き合ったときに、そこで極めて私的な祈り・祝祭を行うようにして作品を生み出していると捉え、そのひそやかな「聖なるもの」への志向を近現代美術の内に探ってゆく試みです。序章では導入として、菩薩や聖人、霊山など、従来描かれてきた超越的で具体的な存在のイメージを紹介します。第1章「うつろいの中のかがやき」では、変転し移ろいゆく自然の中のある瞬間に尊い何かを見出し描いた作品を展示します。第2章「痛みのありか」では、求めても救いの得られることはない深い苦悩や痛みと向き合う人間の精神にある種の崇高さが見出せる作品を見ていきます。第3章「ひそやかな対面」では、机の上に私的な物が祭壇のように並べられ描かれた静物画や、自分自身を映すような存在に対面することで逆に強く迫ってくる永遠の時間を感じさせる作品を提示します。
「茨城県近代美術館」ホームページ


sei1 「聖なるものへ―ひそやかな祝祭―」
図録
2013年11月2日(土)~2014年1月13日(月・祝)
主催・会場:茨城県近代美術館
編集:永松左知、澤渡麻里
発行:茨城県近代美術館





過去の関連記事:
茨城県近代美術館で「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」を観た!

茨城県立近代美術館で「常設展」を観た!
茨城県立近代美術館で「ストラスブール美術館展」を観た!
茨城県立近代美術館で「常設展」を観た!
茨城県立近代美術館で「アンソールからマグリットへ」を観た!
「キスリング展 エコール・ド・パリの華」を観る!
「茨城県立近代美術館」の常設展と中村彜!



PR: ウイルス対策はカスペルスキー。パソコンから無料体験!

「世田谷ボロ市」2013暮れ、行ってきました!

$
0
0


「世田谷ボロ市2013」年末、行ってきました。お天気が良かったので、沢山の人出で、満足にお店をみられませんでした。来年お正月にまたボロ市があるので、その時ゆっくり見ようと思っています。


「ボロ市」は曜日に関係なく、12月15・16日と1月15・16日に開催され、一日20万人から30万人の人出といわれています。以下、「世田谷ボロ市」リーフレットより。


江戸時代から明治にかけて、出店のスペースは、むしろ一枚または戸板一枚分でした。店は、正月用品・日用品・農具が多く、野良着つくろいやわらじの補強用のボロや古着の他に、荒物(火鉢・桶ざる類)・下駄・雪駄・鋤・釜・かま・おの・つるはし・空樽・豆類・穀物等々を商っていました。他には、どぶろく・すし・駄菓子・煮染め。またいろいろの見世物や居合抜きなどもありました。


現代ではボロや古着にかわって、掘り出し物を安価に手に入れようとする客を相手に、用品・雑貨・章句良品・漬物・古道具・陶器・うす・杵・骨董・植木の店などが並んで賑わっています。その数700店。なかでもボロ市名物の代官餅には毎年長い行列ができています。









過去の関連記事:

「世田谷のボロ市」2013新年
「世田谷ボロ市」2012暮れ
「世田谷ボロ市」2012年新年
「世田谷 ボロ市」2011年暮れ
世田谷に冬 ボロ市始まる!
もう「ボロ市」の季節です!

「世田谷ボロ市」2011新年
「世田谷のボロ市」2010暮れ
「世田谷名物・ボロ市(2010年正月)」へ行ってきました!
恒例、2009年暮れ、世田谷ボロ市へ行ってきました。

「世田谷名物・ボロ市」 2009初春

「世田谷ボロ市」2008年・暮れ

「世田谷ボロ市」2008 ・お正月編

恒例、「世田谷ボロ市」を歩く!
世田谷代官屋敷

世田谷ボロ市、大盛況です !
世田谷ボロ市!

世田谷「豪徳寺」招き猫伝説
冬の風物詩「世田谷のボロ市」



とらや東京ミッドタウン店の「甘いねこ展」を観てきました!

$
0
0


とらや東京ミッドタウン店の「甘いねこ展」を観てきました。企画の趣旨が以下のようにありました。


第30回企画展 甘いねこ展

甘えたり、起こったり、丸まったり、眠ったり、近づいたかと思えば、離れたり。決して人間に媚びようとはしない猫と日本人が出会ったのは、奈良時代のことといわれています。以来約1300年、日本人は猫と親しく暮らしてきました。その様子は、古く平安時代の「枕草子」や江戸時代の浮世絵、各地で伝承されている民話にもみることができます。しかし不思議なことに、とらやの約480年の歴史のなかで、猫を題材に和菓子がつくられた記録は現在のところ残っていません。鶴や亀のように「吉祥」の意味合いを持つ動物でなかったことや、十二支に入っていなかったことが理由と考えられます。


今企画展では、今も昔も変わらず多くの日本人を惹きつける猫を題材に、3つの和菓子をつくりました。新しく生まれたとらやの「猫の和菓子」と共に、日本人が描いてきた猫の姿、日本の各地に古くから残る猫の郷土人形などを通し、ただ愛らしいだけではない、不可思議な一面を持つ猫の魅力をお楽しみ下さい。








僕は犬や猫は基本的には嫌いですが、村松友視の「アブサン物語」を読んだときには、胸がジンときました。あれは何だったんだろうと、いまでも思います。ちょっとだけ、下に載せておきます。


なぜにこの本が嫌いかというと、そりゃあ、もう、猫のことを書いてるからですよ。だいたい家の中で猫を飼うなんて、僕には考えられません。よその家で飼ってる人がいますけど、臭いはするし、毛だらけだし、しかも「猫なで声」で、「あ~、よしよし」なんて、ふざけるなと声を大にして言いたいところです。僕から言わせれば、犬も猫も、ペットは同じようなものですが、家の外で飼うならまだしも、家の中で飼うなと言いたい。しかも、お客が来たときは、玄関に抱いて出てくるな、お客に、つまり僕ですが、見せるな、近寄らせるな。と、言いたいことは山ほどあるんですが、まあ、それはよその家のことだからいいとして。
中略
が、しかし、この本「アブサン物語」、これはお薦めです。って、皆さん、もう読んでいてよくご存じかもしれませんが。なにしろ、村松の文章がうまい、すらすらと読める。21年間、共に暮らしたアブサンの亡くなるときの描写は見事です。僕でさえも込み上げるものがあります。猫好きの方は、涙なくしては読めません。そんなことより、この本に書かれている「私」と「カミさん」は、夫婦だな、と思う。アブサンを間に介した夫婦の交流が、少しも構えず、たんたんと綴られています。こういうのを「天賦の才」というのかなと思い至ったというわけです


「とらや」ホームページ

過去の関連記事:

とらや東京ミッドタウン店で「紙のかたち展―切って魅せる―」を観た!

村松友視の「アブサン物語」




恵比寿ガーデンプレイスのクリスマス!

$
0
0

ebi


日仏会館フランス事務所で開催された「フランドル油彩技法の伝統と革新」を聴いた後、恵比寿ガーデンプレイスに寄って、イルミネーションを見てクリスマスムードを堪能してきました。


ebisu1 ebisu2

「時計広場のクリスマスツリー」

時計広場には赤を基調にデコレーションされた豪華で迫力のあるクリスマスツリー(高さ約10m)を設置、合わせて恵比寿ガーデンプレイス全体で総数約10万球もの光でライトアップし、他にはない恵比寿ガーデンプレイスならではのクリスマスムードを一層盛り上げます。


ebi1

ebi2

ebi5

「バカラシャンデリア」
今年も恵比寿ガーデンプレイスに世界最大級のバカラシャンデリアが登場します。8,472ピースのクリスタルパーツと250の灯りがつくりだす輝きをお楽しみください。センター広場に展示するシャンデリアは、フランス・バカラのもので、高さ約5m、幅約3m、クリスタルパーツ総数8,472ピース、ライト 総数250灯の世界最大級を誇ります。さらにバカラ シャンデリアを様々な色の照明によって変化させると共に鐘の音が響き渡る “光と音”による演出がバカラ シャンデリアの輝きを一層引き立てます。


ebi4

恵比寿の合唱

ebi3


「恵比寿ガーデンプレイス」ホームページ


過去の関連記事:

今日の恵比寿ガーデンプレイス!
恵比寿ガーデンプレイスで「Baccarat ETERNAL LIGHTES」を観た!
恵比寿ガーデンプレイスのシャンデリア
恵比寿麦酒記念館でビールを飲む!
恵比寿麦酒記念館とPIAZZOLLA TANGO演奏会



講演会「フランドル油彩技法の伝統と革新 ルーベンスの影響とフランスの画家による展開」を聴く!

$
0
0

nitifutu3

講演会「フランドル油彩技法の伝統と革新 ルーベンスの影響とフランスの画家による展開」を聴いてきました。2011年4月に「オランダ・ベルギー・ルクセンブルグ」へのツアーに参加し、ルーベンスの作品を思っていた以上にたくさん観たこと、また、たまたま購入しておいたヤーコプ・ブルクハルトの「ルーベンス回想」(ちくま学芸文庫:2012年3月10日第1刷発行)を少しずつ読み進めていたことなどにより、この講演会があることを知り申し込みました。会場は日仏会館フランス事務所、何度か前を通り、恵比寿ガーデンプレイスの近くにあることは知っていました。講演会は、日仏会館関係者や、芸術等の研究者、学生など、ちょっとセレブな人たちで埋まっていて、熱気溢れる議論が続きました。


フランドル油彩技法の伝統と革新
ルーベンスの影響とフランスの画家による展開
[ 講演会 ] (同時通訳付き)


日時:2013年12月15日(日) 14:00 - 18:00
場所:日仏会館フランス事務所1階ホール


第一部 14:15 ~ 15:15
「ヨーロッパ絵画における立体感とイリュージョニスム― ファン・エイクからヴァ
トーまで、ルーベンスの技法と17、18 世紀の画家たちへの影響をめぐって」
講師:カトリーヌ・ペリエ=ディーテラン(ブリュッセル大学、ベルギー王立アカデミー会員)
司会:平岡洋子(明治学院大学)

第二部 15:45 ~ 16: 30
「ルノワールの色彩と技法― 絵画技法のフランドル伝統とルノワールによる革新」

講師: 内呂博之(ポーラ美術館)
司会:三浦篤(東京大学)

全体討議 17: 00 ~ 17: 30


主催:日仏美術学会、日仏会館フランス事務所
協賛:財団法人西洋美術振興財団、公益財団法人ポーラ美術振興財団 ポーラ美術館
後援:在日ベルギー大使館



講演会に先だって、平岡洋子さんより「講演趣旨」の説明がありました。

以下、いただいた「講演趣旨」による。


本講演では、フランドル15正規に確立された油彩技法とその影響について講演していただく。フランドル油彩技法は、フランドル伝統として各国の画家に引き継がれながらも、各々の画家の創造により、革新的な変化を加味していった。本講演では、15世紀から20世紀初頭までを、ルーベンスの技法とその影響、そしてルノワールの革新性を中心に見ていくことにする。


第一講演者であるペリエ女史は、文化財研究所や美術館の15世紀から18世紀までの油彩画の調査分析、修復の現場に参加、研究書や報告書を執筆しヨーロッパ各地で技法の歴史を講演してきた。油彩技法の歴史と修復助言の専門家である。ペリエ女史に、確立期のヤン・ファン・エイクについてまず紹介いただき、つづいて17世紀のルーベンスの技法とその影響について、スペイン、フランドル、オランダの画家、具体的にはヴァン・ダイク、レンブラント、フェルメール、ヴェラスケス、ブーシェ、ヴァトーを取り上げて、特に立体感の表現とリアルな現実感を与える油彩技法に焦点をあてて示していただく。


ペリエ女史のベルギーやヨーロッパ各国においてなされた長年にわたる作品調査と分析は、多産な成果を生み出しており、その貴重な写真を見ながら解説を加えていく講演は、我が国に於ける貴重な機会と思われる。


内呂氏は、2007年から2009年にかけて、ポーラ美術館所蔵のルノワール作品の光学調査を東京文化財研究所と東京芸術大学の協力で行った。本講演では、ルノワールがルーベンスの技法の影響を受けたという点を始め、1880年代末から90年代初めのルノワール作品の彩色技法と色彩、スタイルの変遷を対象に、ルノワールによるフランドルの伝統的油彩技法の適用とルノワール自身による油彩技法の革新によって実現された磁器のような色彩についてご講演いただく。


ペリエ講演と内呂氏講演のつながりは、内呂氏講演が、ルーベンスへのルノワールの影響から語られるところにある。実際の調査をもとになされるお二人の講演をとおして、油彩技法の伝統と革新、新たな色彩が生み出された歴史を辿る講演になればと考える。



第一講演者:カトリーヌ・ペリエ=ディーテラン

ブリュッセル自由大学名誉教授、ベルギー王立アカデミー会員、フランスの美術品修復学院の非常勤講師、ラ・カンブルの国立視聴覚芸術高等学院講師、ヨーロッパ各地の大学の招請教授。国際美術館文化財保存委員会顧問代表、国際保存修復諮問機関の顧問。15、16、17世紀の西洋絵画とフランドル地方の祭壇画、美術作品の科学調査の手法、絵画技法、文化財保存と修復についての著書多数。


第二講演者:内呂(うちろ)博之

1972年生。2001年、東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程文化財保存学専攻(保存修復油絵)中退後、ポーラ美術館設立準備室に勤務。現在、公益財団法人ポーラ美術振興財団ポーラ美術館学芸員。専門は保存修復、絵画技法史、日本近代絵画史。担当した展覧会に、「コレクションに見る子どもの世界 フジタ、ピカソを中心に」(ポーラ美術館、2004~2005年)、「佐伯祐三とフランス」(ポーラ美術館、2011~2012年)、「レオナール・フジタ ポーラ美術館コレクションを中心に」(Bunkamuraザ・ミュージアム、2013年)など。



講演会を一通り記録してはきましたが、こうした講演会の常で言葉の違いもあり、詳細を理解することが難しかったこと、また議論はどうどう巡りが続き、細部にわたって記録するのは僕の手に余ります。従って、いただいた資料を以下に載せておいた方が、厳密をきす上でもいいのではないかと思います。


講演1概要:

ヨーロッパ絵画におけるモデリングとイリュージョニスム―ファン・エイクからヴァトーまで、ルーベンスの技法と17、18世紀の画家たちへの影響をめぐって

カトリーヌ・ペリエ=ディーテラン(ブリュッセル自由大学名誉教授、ベルギー王立アカデミー会員)


イリュージョニスティックな表現の絵画技法。美術作品の調査から得られたもの。

イリュージョニスティックな表現に使われた絵画技法について語るに際し、それぞれのやり方で現実をイリュージョニスティックに再現するため、さまざまな画家と接し、絵画技法を吸収していったヨーロッパの画家たちの交錯した歩みを、このテーマから見て示したいと思う。

先ず導入部として、立体感の観念について、そして15世紀以前の写本挿絵について触れ、続いて絵画の偉大な天才たちの道程を、ヤン・ファン・エイクからルーベンス、ヴァン・ダイク、レンブラント、ヴェラスケスを経てアントワーヌ・ヴァトーとフランソワ・ブーシェに至るまでの絵画技法を見ていく。

油彩技法の可能性を開発した最初の素晴らしい成果がヤン・ファン・エイクと共にあるとするならば、その絶頂期は、北方油彩画の歴史においてその影響が最も広範囲に及んだ“不透明―透明感”効果の階調を作り出したピーター・ポール・ルーベンスと共にあるといえるだろう。そしてルーベンス自身が、ヴェネツィア派、特にティツィアーノの影響を受け、17、18世紀の画家たち―南ネーデルランド、オランダ、スペイン、フランスの画家たち―に決定的な影響を与えることとなる。本講演では、これらの画家の美的渇望に応えるそれぞれの画家の手法を明らかにしようと試みることで、彼らの作品がつくられていった吸収作用と創造の絶え間ない動きにおける画家の間の対話の本質的な貢献を理解していただけたらと考える。

また、研究者の方々美術愛好家の方々に、調査という条件の下、制作技法と様式が密接に結びついた絵画面から読み取った視覚的客観的なデータをお示ししたい。

近年、科学的調査方法の寄与のおかげで、この領域は大きく進展を見ている。


講演2概要:

ルノワールの色彩と技法―絵画技法のフランドル伝統とルノワールによる革新

内呂博之(ポーラ美術館学芸員)


光を描きとどめようとする印象主義の手法に限界を感じたルノワールは、1881-1882年のイタリア旅行を経て、厳格な輪郭線と量感の表現による古典的様式、いわゆる「アングル様式」に向かう。彼は、人体描写に際しては、シルバーホワイトによる重厚な下塗りの上に、赤や青を比較的細かくやわらかい筆で薄く繊細に塗り重ねることによって、量感や明暗を表現する方法を見出す。この「グラッシ(グレーズ)」と呼ばれる伝統技法にもとずく手法によって、彼の描いた女性の肌は油彩画特有の透明感のまるマティエール(画肌)を呈し、釉薬を施した磁器のようなやわらかな輝きを湛えている。

アングル様式を脱した1890年代以降、ルノワールはのびやかな筆致を特徴とした、明るく鮮やかな、そして透明感にあふれる画風を追求するようになる。とりわけ裸婦をモティーフとした作品では、補色関係にある赤と緑のと梅移植を溶き油で薄く溶き、彩度を抑えて描く手法を採り入れており、そのやわらかな透明色は、部分的にやや厚く施された不透明色や純色との絶妙な均衡によって、豊かな色彩と変化に富んだマティエール画面にもたらした。

本発表では、ポーラ美術館が収蔵する、ルノワールの1880年代から1910年代までの油彩画15点を通して、彼の油彩画の変遷とその技法的な特質を明らかにしたい。


pola 「ルノワール礼讃 ルノワールと20世紀の画家たち」

2013年12月1日(日)~2014年4月6日(日)

ポーラ美術館―箱根仙石原―

PR: ウイルス対策はカスペルスキー。2014年版新発売!

$
0
0
抜群の防御力と使いやすさを両立。全ての機能を使える30日間無料版をPCから体験!

山本兼一原作、田中光敏監督の「利休にたずねよ」を観た!

$
0
0

とんとん・にっき-rikyuu

山本兼一原作、田中光敏監督の「利休にたずねよ」を観てきました。チラシの裏に、「美の本質に迫る極上のミステリーにして、究極のラブストーリー。全く新しい利休が、ここに誕生する。」とあり、そして以下のようにありました。


利休の茶は、若き日の恋から始まった――。原作は、確かな時代考証に基づく斬新な切り口で、希代の茶人の出発点を浮き彫りにした。山本兼一の「利休にたずねよ」。もはや歴史小説の枠を超え、第140回直木賞を受賞した傑作が今、長編映画として新たな生命を宿した。海外では、日本の美を体現する映画として大きな注目を集め、第37回モントリオール世界映画祭、最優秀芸術貢献賞を受賞した。・・・“人間・利休”が遺した謎と、生涯にわたり秘め続けた恋。今まで全く見たことのない斬新な利休像が誕生した。


以前、山本兼一の「利休にたずねよ」を読んだとき、「もっともこの『利休にたずねよ』という本は、エピソード満載の本なのですが・・・」として、以下のように書きました。


実はもう一つこの本の特徴、「緑釉の香合」が軸として最初から最後まで一本通っています。「掌にすっぽりおさまる緑釉も平たい壺、胴がやや上目に張っている。香合につかっているが、姿は瀟洒で、口が小さい」、「緑釉の色味が、唐三彩の緑よりはるかに鮮烈である。おそらく、何百年も昔の高麗の焼き物であろう。あの女の形見である」。持ち主は与四郎の家にかくまわれていた高麗から無理に連れられてきた美しい若い女。若い与四郎は女と共に高麗へ逃げようとします。追っ手が迫り、与四郎は女とおのが末期の茶を点てます。毒入りの茶を・・・。出奔騒動の2日後、与四郎は南宋寺へ行って得度し、宗易という法号をもらいます。女を回向するために・・・。緑釉の小壺には、与四郎が食いちぎった女の小指の骨と爪が入っています。その緑釉の壺を秀吉が欲しがっていました。


全体に逆に遡っていくのですが、最終章の「夢のあとさき」だけは、利休切腹の日となっています。妻の宗恩が一畳半の茶室で利休が血の海に突っ伏しているのを目撃します。床に置いてある緑釉の香合が置いてあります。宗恩は香合を手に取り、検視の侍に「見届けの御役目、ごくろうさまでございました」と両手をついて頭を下げます。なぜ夫は腹を切らなければならなかったのか。がしかし、宗恩にははっきりと判っていることがたったひとつあります。「くちおしい」。廊下に出ると宗恩は手を高く上げ握っていた緑釉の香合を勢いよく投げつけます。香合は石灯籠にあたり、音を立てて粉々に砕けます。


山本兼一のストーリーは完璧ですが、映画は「キャスト」が命です。チラシの裏には、以下のようにあります。「主人公・千利休を演じるのは市川海老蔵。利休を見守り、寄り添う妻・宗恩には中谷美紀。利休に惚れ込む戦国の覇者・織田信長に伊勢谷友介。利休への愛憎をあらわにする天下人・豊臣秀吉に大森南朋」。市川海老蔵は言うに及ばず、僕が注目したのは秀吉役の大森南朋、権力者でありながらなぜかおどおどした不安を抱える天下人、しかも利休に対してはその時々によって対応が変わるという難しい役を見事に演じていました。大森については、赤坂真理原作の映画「ヴァイブレータ」に、寺島しのぶと出たときからずっと注目していました。


講談社野間記念館には横山大観の屏風「千与四郎」という作品があります。言うまでもなく「千与四郎」は利休の幼名です。道陳の紹介で茶人武野紹鷗の許へ入門させた、その時に紹鷗は利休を座敷へ上げず、直に庭の掃除を命じて、彼の奇才を試みたところ、利休は掃き清めた庭へ樹を揺すって桜紅葉を落とし一味の閑寂さを添えたので紹鷗が大いに感じたという逸話があります。利休にまつわる逸話はたくさんありますが、映画では利休が節のある竹を使って茶杓を作るという逸話を使っています。利休の師・武野紹鷗を、先日亡くなられた市川海老蔵の父親である市川團十郎が演じていました。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:直木賞に輝いた山本兼一の小説を実写化した歴史ドラマ。戦国時代から安土桃山時代に実在した茶人・千利休の若い頃の恋、それを経て培った美への情熱と執着を壮大に映し出す。『一命』の市川海老蔵が千利休にふんし、10代から70代間際までの変遷を見事に体現。さらに、利休の妻・宗恩に中谷美紀、豊臣秀吉に大森南朋、織田信長に伊勢谷友介と、実力派が集結。三井寺、大徳寺、神護寺、彦根城など、国宝級の建造物で行われたロケ映像も見ものだ。

ストーリー:3,000もの兵に取り囲まれ、雨嵐の雷鳴が辺り一帯に響き渡る中、豊臣秀吉(大森南朋)の命によって切腹しようとする茶人・千利休(市川海老蔵)の姿があった。ついに覚悟を決めて刃を腹に突き立てようとする彼に、利休夫人の宗恩(中谷美紀)は「自分以外の思い人がいたのではないか?」という、かねてから夫に抱いていた疑念をぶつける。その言葉を受けた利休は、10代から今日に至るまでの波瀾(はらん)万丈な道のりを思い出していく。


rik4

rik3

rik2

rik1


「利休にたずねよ」公式サイト


riky 「利休にたずねよ」

2008年11月7日第1刷発行

著者:山本兼一

発行所:PHP研究所

女のものと思われる緑釉の香合を肌身離さず持つ男・千利休は、おのれの美学だけで時の権力者・秀吉に対峙し、天下一の茶頭に昇り詰めていく。刀の抜き身のごとき鋭さを持つ利休は、秀吉の参謀としても、その力を如何なく発揮し、秀吉の天下取りを後押し。しかしその鋭さゆえに秀吉に疎まれ、理不尽な罪状を突きつけられて切腹を命ぜられる。利休の研ぎ澄まされた感性、艶やかで気迫に満ちた人生を生み出したものとは何だったのか。また、利休の「茶の道」を異界へと導いた、若き日の恋とは…。「侘び茶」を完成させ、「茶聖」と崇められている千利休。その伝説のベールを、思いがけない手法で剥がしていく長編歴史小説。第140回直木賞受賞作。


過去の関連記事:

畠山記念館で「利休と織部―茶人たちの好みと見立て―」を観た!
赤瀬川原平の「利休 無言の前衛」を読んだ!
勅使河原宏監督の「千利休」を観た!
山本兼一の「利休にたずねよ」を読んだ!




PR: もう誰もこのセンセーションは止められない!

茨城県近代美術館蔵の中村彝(つね)の作品!

$
0
0


茨城県近代美術館で企画展「聖なるものへ ひそやかな祝祭」や、常設展「日本の近代美術と茨城の作家たち」を観てきました。そのなかで茨城県近代美術館所蔵の中村彝の作品のほとんどを観られたのはほんとうにラッキーでした。観ることができなかったのは「カルピスの包み紙のある静物」だけだったように思います。この作品は茨城県近代美術館の目玉作品で、もちろん過去に何度か観てはいますが・・・。


水戸市寺町(現在・金町)に生まれた中村彝は、明治の終わりから大正期にかけて活躍した洋画家です。若くして肺結核を患って以来、病床にあっては画想をめぐらし、小康を得ては作画を続けるといった繰り返しの日々でしたが、大正13年、わずか37歳で生涯を終えました。


短い画業にもかかわらず、レンブラント、セザンヌ、ルノワールなどの影響を受け、西洋絵画を自己の内に咀嚼しながら晋の芸術を求め続け、「エロシェンコ氏の像」(1920年・重要文化財・東京国立近代美術館蔵)、「髑髏を持てる自画像」(1923年・大原美術館蔵)など、日本の近代絵画史に優れた作品を残しています。


2003年に茨城県近代美術館で開催された「中村彝の全貌」の図録によると、中村彝の生涯は以下のように4期に分けられます。


1907-1911年 画家としての出発

1912-1915年 中村屋サロン

1916-1922年 闘病、下落合のアトリエ

1923-1924年 生命、燃え尽きるまで



茨城県近代美術館蔵の中村彝の作品









tune1 「中村彝アトリエ」

画家後半期に制作活動の舞台となったのは、大正5年、現在の東京都新宿区下落合に建てられたアトリエでした。彝の念願により出来上がったこの建物は、敷地の南側に庭が設けられ、寝室を兼ねた四畳半の居間、北窓から柔らかな自然光が射し込む画室、身の回りの世話をしていた岡崎きいが起居したという三畳間などから成る瀟洒な洋風建築になっています。このアトリエは昭和63年、茨城県近代美術館の開館を機に、中村彝会をはじめ彝を慕う方々のご協力を得て、故郷である水戸の地にほぼ当時の洲肩で新築復元されました。室内に展示された数々の遺品からは、今なお画家の生活や創作の様子がしのばれます。





過去の関連記事:

新宿区立新宿歴史博物館で「中村彝展 下落合の画室」を観た!
碌山美術館で「新宿中村屋サロンの美術家たち展」を観た!




纐纈(はなぶさ)あや監督の「ある精肉店のはなし」を観た!

$
0
0

とんとん・にっき-seiniku


ポレポレ東中野で、纐纈(はなぶさ)あや監督のドキュメンタリー作品「ある精肉店のはなし」を観てきました。纐纈あやさんの作品はデビュー作「祝(ほうり)の島」を観ました。原発建設に反対する山口県の祝島漁民の日々を描いたドキュメンタリーでした。まだ2作目ですが、テーマは2作とも描きようによっては深刻なのに、出来上がったドキュメンタリー作品はなぜか「穏やかな」作品です。


映画は、牛が住宅地を引かれていく様子から始まります。屠畜場に着き、牛の眉間をハンマーで打ち、巨体の牛はその一撃でドサリと崩れ落ちます。家族4人が手早く牛を解体します。その手際の良さと職人技に驚きます。カメラはその作業を静かに追います。その後、肉は店舗に運び込まれ、きれいに切り分けられて店頭に並びます。87歳の老母を中心に、仕事を終えた一家は、いつものように家族団らんの賑やかな食卓を囲みます。


北出精肉店は、飼育、屠畜、精肉、販売を、家族で一貫して手がけてきました。しかし、100年以上使い続けた屠畜場が、老朽化のため閉鎖が決まります。江戸時代から代々続いた家業を子どもの頃から手伝ってきた現当主の兄弟が、厳しかった父親を懐かしみます。北出精肉店も小売りだけになりました。兄は言う。「屠畜は正視できないものという見方を覆したかった。一家の日常を丸ごと描けば、この仕事が特別ではないと伝えられる」と思ったという。


ドキュメンタリー映画「ある精肉店のはなし」は、牛を育てて、食肉にして売る家族の暮らしに寄り添った作品です。纐纈監督は、半年通って撮影の承諾を得て、近くに部屋を借りて連日北出家を訪れ、食卓も共にした、という。「生まれた地で生きることを考え抜いた人たちは、深い懐で私を丸ごと受け入れてくれた」と纐纈監督は言う。背景には「被差別部落」の問題もあるが、兄は日本最初の人権宣言である「水平社宣言」について語り、弟は牛の皮をなめして太鼓を作ります。息子は親たちが考える偏見をものともせず、岸和田城で結婚式を執り行います。地域のつながりを象徴する「だんじり」を曳くシーンは圧巻です。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:大阪府貝塚市で長きにわたり、家族経営で精肉店をコツコツと営んできた一家の姿を捉えたドキュメンタリー。自分たちの手で育て上げた牛を家族が協力し、丁寧に処理して店頭に並べるという作業をこなす彼らの真面目な仕事ぶりを映し出す。監督を務めるのは、『祝(ほうり)の島』が反響を呼んだ纐纈あや。被差別部落出身者として理不尽な差別を受けながらも、牛の命と正面から向き合ってきた家族の姿が感動を呼ぶ。

ストーリー:大阪府貝塚市にある北出精肉店では、牛の飼育から食肉処理、そして販売まで全て家族の手で行っている。彼らは4人で呼吸を合わせながら熟練の手つきで牛を解体し、その後、肉は店舗に運び込まれ、きれいに切り分けられて店頭に並ぶ。7代目として家業を継いだ兄弟だったが、2012年3月には102年も代々使われてきた食肉処理場が閉鎖される。


sei2

sei3 sei1

sei4

纐纈あや監督の舞台挨拶
hanabu


「ある精肉店のはなし」公式サイト


過去の関連記事:纐纈あや関連

纐纈あや監督の「祝(ほうり)の島」を観た!
ドキュメンタリー映像作家・纐纈あやさんの話を聞く!


過去の関連記事:ポレポレ東中野関連

石山友美監督作品「少女と夏の終わり」を観た!
酒井充子監督作品「台湾アイデンティティー」を観た!
本橋成一監督の「バオバブの記憶」を観た!
ポレポレ東中野で「ナミイと唄えば」を見た!
写真家・本橋成一の映画

宮城県美術館で「洲之内徹と現代画廊―昭和を生きた目と精神―」を観た!

$
0
0



宮城県美術館で「洲之内徹と現代画廊―昭和を生きた目と精神―」を観てきました。この展覧会を観て、洲之内徹とはどういう人なのかはもちろん、こんなにも多くの画家のことを知ったことが僕の大いなる収穫でした。2013(平成25)年は、洲之内徹が生まれてちょうど100年目だという。洲之内は、文学者として、画廊主として、美術収集家として、そして美術評論家として、美術エッセイの書き手として知られているという。実はこの展覧会を観るまで、僕はまったく洲之内のことは知りませんでした。しかし、展示されていた幾つかの観たことのある作品が、洲之内となんらかの関係があったことには驚きました。


愛媛県松山市に生まれた洲之内は、東京美術学校建築科在学中、左翼運動に加わって美術学校を除名処分となり、戦時中は軍嘱託として中国に渡りました。帰国後に小説を書き始め、芥川賞候補に三度も挙げられながら受賞することはありませんでした。1959(昭和34)年、中国で知り合った田村泰次郎の経営する現代画廊に入社し、1961年にはその経営を引き継ぎ、個性あふれる作家を紹介しました。1974年から14年間、「芸術新潮」誌に連載した「気まぐれ美術館」は独特な語り口で、多くの読者を獲得しました。1987(昭和62)年脳梗塞で倒れ、帰らぬ人となりました。洲之内徹とは、昭和という時代を独自の目と精神によって切り取りながら走り抜けた人物でした。


洲之内が最後まで手放さなかった作品は、現在「洲之内コレクション」として宮城県美術館に収蔵されています。「洲之内徹と現代画廊―昭和を生きた目と精神―」では、このコレクションのうち半数を超える作品のほか、彼の著作の中で語られた作品や、現代画廊の初期にかかわる作品、また洲之内の手を通った作品、作家の特徴をよく表す作品などを含めた総数約190点の作品と、さまざまな関係資料によって、洲之内徹と美術とのかかわりを見直そうという展覧会です。


有川幾夫(宮城県美術館館長)は、「洲之内徹と昭和」と題して図録の巻頭論文を書いています。そのなかの「萬鉄五郎の孤独」という箇所が興味深い。洲之内が田村泰次郎から経営を引き継いだ現代画廊は昭和36年11月、「萬鉄五郎展」で再出発します。萬は戦後になって次第に評価されつつあったが、まだ有名ではありません。


近代美術史を体系的に収集・展示する近代美術館ができたのは、昭和26年の神奈川県立近代美術館、翌年の国立近代美術館が最初だという。当時、近代美術館は、近代美術を明らかにすることが大命題だった。そこで開催した展覧会は「四人の画家―中村彝・小茂田青樹、萬鉄五郎・土田麦僊」(昭和28年)でした。日本近代美術史にとって欠かせない著名な作家二人と、まだ無名であるが重要な作家二人をあわせて構成したものです。神奈川県立近代美術館と国立近代美術館のメンバーは、戦前の価値観にとらわれることなく、日本の「近代美術史」という観点から画家と作品を発掘していきました。


洲之内徹もこの新しい流れの中にありました。戦後の「美術館のある時代」になってスポットライトを浴びるようになった萬鉄五郎、中村彝、靉光、松本竣介といった画家たちの作品を手に入れることができたのも、歴史意識と批評性をもった近代日本美術史が、まだ構築中だったからでした。洲之内は独り立ちして、画廊のこけら落としに「萬鉄五郎展」を開きます。戦後、美術の歴史性、作品への批評性という視点が発見されるなかで、洲之内はあくまで「わたくし的」であることをやめません。非歴史的な見当違いを振り回したりはしません。そのうえでなお、そうして生まれた作品が自分の心持ちに訴えるのはなぜか、と問うことをやめないのでした。


展覧会の構成は、以下の通りです。

第Ⅰ章 初期の現代画廊

第Ⅱ章 再評価された作家

第Ⅲ章 現代画廊の作家たち

第Ⅳ章 洲之内ゆかりの作家

第Ⅴ章 松山をめぐって



第Ⅰ章 初期の現代画廊

第Ⅱ章 再評価された作家




第Ⅲ章 現代画廊の作家たち



第Ⅳ章 洲之内ゆかりの作家





第Ⅴ章 松山をめぐって


「洲之内徹と現代画廊―昭和を生きた目と精神―」

2013(平成25)年は、洲之内徹(1913-1987)が生まれてちょうど100年目にあたります。愛媛県松山市に生まれた洲之内は、小説家、田村泰次郎から引き継いだ現代画廊で、個性あふれる数多くの作家を紹介しました。また『芸術新潮』誌上に14年の間「気まぐれ美術館」を連載し、その独特の語り口は多くの熱心な読者を獲得し好評を博しました。洲之内が最後まで手放さなかった「洲之内コレクション」は宮城県美術館に収蔵されています。本展では、このうちの半数をこえる作品のほか、彼の著作の中で語られた作品、現代画廊の初期や洲之内が引き継いだ後の作家の作品など、総数約190点と関係資料によって、洲之内徹と美術との関わりをあらためて見直します。このことは昭和を生きた一人の人間の足跡を通じ、戦後の新しい近代美術史像が生成される過程のひとこまを垣間見るとともに、なぜ人はかくも美術に愛着をもつのかという問いに思いをはせることになるでしょう。


「宮城県美術館」ホームページ

suno1 「洲之内徹と現代画廊―昭和を生きた目と精神―」

図録

編集・執筆:

宮城県美術館

和田浩一、加野恵子、小檜山祐幹、管野仁美

愛媛県美術館

鴫原悠

町立久万美術館

神内有理

新潟市美術館

松沢寿重

発行:

NHKプラネット東北

ヤーコプ・ブルクハルトの「ルーベンス回想」を読んだ!

$
0
0

ヤーコプ・ブルクハルトの「ルーベンス回想」(ちくま学芸文庫:2012年3月10日第1刷発行)を読みました。「本書はちくま学芸文庫のために新たの訳出したものである」と注記があります。ブルクハルトの本は過去に「イタリア・ルネサンスの文化」 (1860年)を、文庫本で読んだ記憶があります。もう30年以上も前のことです。他にも文庫本で呼んだものがあったかも知れませんが、思い出せません。なにしろ文庫本はヒモで縛って、押し入れの奥深くに入ったままですから。


ヤーコプ・ブルクハルトの「ルーベンス回想」(ちくま学芸文庫:2012年3月10日第1刷発行)を読みました。400ページにも及ぶ分厚い文庫本です。特筆すべきは、この種の本には当然のことですが、それにしても図版が多いこと、図版を拾い上げてみると、なんと246もの図版が掲載されていました。作品の所蔵先は、ルーヴル美術館、プラド美術館、エルミタージュ美術館、ウフィッツィ美術館、ドレスデン国立美術館、アントワープ王立美術館、ベルギー王立美術館、ウィーン美術史美術館、等々に混じって、ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク所蔵の作品が目に付きます。


ブルクハルトが最初の著作「ベルギー諸都市の美術品」を出版した時は、なんと彼が23歳(1841年)だったというから驚きです。そのなかで「ここアントワープにはじつに沢山のルーベンスの絵があり、その中には彼の最上の作品がいくつかある」と書いています。(前にも書きましたが)2011年4月に「オランダ・ベルギー・ルクセンブルグ」へのツアーに参加し、行く先々でルーベンスの作品を観ることができました。ルーベンスが肉感的な女性を描くので、ガイドは必ず「肉屋のルーベンス」という言葉を連発し、ルーベンスの絵の説明をしていました。


アントワープ大聖堂は、4つのルーベンスの最高傑作を所有しており、まさにルーベンスの作品の宝庫でした。それは「十字架昇架」(1609-10年)、「十字架降下」(1611-14年)、「キリストの復活」(1611-12年)、「聖母被昇天」(1625-26年)の4つです。

「アントワープ聖母大聖堂」でルーベンスの作品を観た!


その他、ベルギー王立美術館や、アムステルダム美術館などでも、ルーベンスの作品を観ることができ、以前行ったプラド美術館をあわせると、かなりのルーベンスの作品を観ることができました。先日、運良く日仏会館フランス事務所で開催された「フランドル油彩技法の伝統と革新:ルーベンスの影響とフランスの画家による展開」という講演会を聴くことができました。聖バーフ教会のファン・エイクの祭壇画「神秘の子羊」から始まりルーベンスへと絵画技法を見ていくものでした。「神秘の子羊」も同じツアーで観ていたので、話の内容にすぐ入り込めました。

講演会「フランドル油彩技法の伝統と革新 ルーベンスの影響とフランスの画家による展開」を聴く!
聖バーフ大聖堂の祭壇画「神秘の子羊」を観た!


「ルーベンス回想」、いわゆる「伝記的」なところは第1章ルーベンスの生涯のみで、他の第20章まですべてはルーベンスの作品の詳細な分析に当てています。従って作品と図版を見比べながら読み進むため、やたら時間がかかりました。掲載されている図版は小さくしかも白黒なので、今まで観た展覧会の図録とか、あるいは「週刊・世界の美術館」を引っ張り出しては、確かめたりもしました。読み終わった後で気がついたのですが、2006TASCHEN版「ペーテル・パウル・ルーベンス」を持っていたんですね。もっと早く気がつけば、苦労しなくても良かったのですが・・・。


ブルクハルトは1898年に死去しましたが、その数週間前に、この著作「ルーベンス回想」を自分の死後に出版してもらいたいと、弟子たちに言い遺し、それに従って1897年の年末ぎりぎりに1898年という発刊年で出版されました。バロックの大画家ルーベンスとの取り組みは、20代のはじめから死の直前に至るまで、ブルクハルトの全生涯を通して行われてということになります。これほどまでに一人の画家に入れ込むということは、通常できることではありません。そう言う僕も、これから折に触れ、この本を読み返すことになるかも知れません。



内容紹介:

19世紀ヨーロッパを代表する美術史家・歴史家・文化史家ブルクハルト。彼は最初の著作「ベルギー諸都市の美術品」を出版した時から、さまざまな機会に、とりわけ巨匠ルーベンスについて度々言及してきた。この美術史家を惹きつけてやまなかったものは、何であったのか。本書は、「最大の絵画的物語作者」ルーベンスの生涯を追い、その絵画の本質を神話画・肖像画・風景画など作品テーマに沿って解説する。鋭利な筆によって、ブルクハルトが理想として思い描いていた、「万能の人」としての巨匠の姿が浮き彫りにされる。カラー口絵のほか、図版多数。新訳。


ヤーコプ・ブルクハルト:
1818-97年。スイスの美術史家・文化史家。ベルリン大学で、歴史家ランケと美術史家クーグラーに学ぶ。1858年から35年にわたってバーゼル大学教授として歴史学、美術史を講じる。本書の他『コンスタンティヌス大帝の時代』(1853年)、『チチェローネ』(1855年)、『イタリア・ルネサンスの文化』(1860年)、『ギリシア文化史』(1898-1902年)等の著作がある。


ルーベンス回想 目次

凡例

第1章 ルーベンスの生涯
第2章 建築家としてのルーベンス
第3章 芸術家としてのルーベンス
第4章 西欧芸術の外的状況とルーベンスの制作活動
第5章 銅版画
第6章 人体と衣装―男性と女性の裸体像
第7章 裸童(Putto)
第8章 美の表現―さまざまな型と身体像
第9章 ルーベンスにおける構図
第10章 ルーベンスの絵の画面における人物の配置と動き

第11章 穏やかな描出と激越な描出

第12章 人物の姿勢

第13章 聖母マリア像―四終

第14章 神話画

第15章 物語画

第16章 寓意画

第17章 風俗画

第18章 肖像画

第19章 動物画

第20章 風景画

後注

訳者後記

図版索引


rubens 「ペーテル・パウル・ルーベンス」

1577-1640

絵画界のホメロス

ジル・ネレ

2006TASCHEN

画像は「麦わら帽子」(実はフェルト帽)






過去の関連記事:
ザ・ミュージアムで「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」を観た!


PR: ウイルス対策はカスペルスキー。パソコンから無料体験!

「仙台光のページェント2013」を体感!

$
0
0

sendai

「仙台光のページェント2013」を体感してきました。

大人の休日倶楽部パスを利用して、12月3日から5日まで3日間の予定で水戸、福島、仙台の美術館を訪れる旅を計画していたのですが、旅行に出る前日、6日から「仙台光のページェント2013」が開催されるということがJR東日本の情報誌に載っていたので、急遽、旅行を1日延ばして「光のページェント」をカウントダウンから見ることができました。


ただ1日延ばすだけではもったいないので、以前から見たい思っていた仙台の由緒ある名建築を見て回りました。それは以下の3件です。


・国宝「大崎八幡宮」見学

・重要文化財「東照宮」見学

・伊達政宗公霊屋「瑞鳳殿」見学


それは別途、ブログに乗せるとして、ここではカウントダウンまで待機していた「仙台メディアテーク」(設計:伊東豊雄)と、定禅寺通りの「仙台光のページェント2013」についての画像を載せておきます。


「仙台光のページェント2013」開会セレモニー

sen8

「仙台メディアテーク」1階ホール

sen10 sen9

メデイアテークのガラスに映る光のページェント

sen7

仙台メディアテークと常禅寺通りケヤキ並木

sen5

常禅寺通りの「光のページェント」

sen6

sen4

sen2

ケヤキ並木遊歩道にあるエミリオ・グレコ作「夏の思い出」

sen1 sen11

仙台のショッピングストリート:

一番町四丁目買い物光園、ぶらんどーむ一番町など

mol3

mol2 mol1

「2013SENDAI光のページェント」ホームページ


「せんだいメディアテーク」ホームページ


過去の関連記事:

「大人の休日倶楽部パス」を利用した3泊4日の旅程
仙台光のページェント!
定禅寺通


PR: ウイルス対策はカスペルスキー。パソコンから無料体験!

東京ミッドタウンのサンタクロース!

$
0
0


東京ミッドタウン サンタストリート
東京ミッドタウンの玄関口であり、様々な人が行き交う外苑東通り沿いプラザ1Fには、様々なサンタクロースのオブジェが、訪れる皆様をお出迎えし、クリスマスムードを盛り上げています。サンタストリート内にひっそりとかくれている「かくれサンタ」を探すのも楽しみのひとつです。しかし、12人いるはずのサンタさんが、なぜか11人しか見つかりませんでした。何処かに隠れているのでしょう。







「東京ミッドタウン」ホームページ



東京ミッドタウンのイルミネーション!

$
0
0


ミッドタウン・ガーデン

スターライトロード、シャンパン・イルミネーション

mid13

mid14 mid15

芝生広場・イルミネーション スターライトガーデン2013
芝生広場を舞台に、約28万個のLEDで壮大な宇宙の広がりを表現。立体交差するアーチを無数の光が駆け巡る世界初の新技術「クロスオーバーイルミネーション」を導入。幻想的な光のショーを体感できます。見る場所や角度で見え方が変わるので、下は3カ所かから写した画像を載せています。

mid12

mid11

mid10

mid9

mid8

mid7


ミッドタウン・コートヤード

mid6


ミッドタウン・ガレリア

mid5 mid4


サンタツリーとキャノピー・スクエア

サンタツリーは、高さ約4mのツリーシャワーに、約1800体ものサンタクロースを積み上げたツリーです。隠れキャラや踊りだすサンタもあるそうな・・・。

mid3 mid1


サンタストリート:別掲

mid2


「東京ミッドタウン」ホームページ


過去の関連記事:
今年の東京ミッドタウンのイルミネーション!
六本木「東京ミッドタウン」のイルミネーション!



ヨコハマからメリークリスマス!

$
0
0
to1

「コカコーラ、ウィンター・キャラバン」

真っ赤なトラックの前に大きなシロクマが・・・。

「この冬、コカ・コーラを飲んでハッピーをあげよう」


横浜美術館 グランドギャラリー

ヨコハマ信用金庫創立90周年記念クリスマスコンサート

chri

「ヨコハマ・クリスマスツリー3題」

ヨコハマでクリスマスツリーを、ハシゴして観て回りました。

いや、べつに、わざわざ行ったわけではありません。

たまたま行く先々で、クリスマスツリーがあった、というわけです。

「みなとみらい クリスマスイルミネーション」


「MARK IS みなとみらい」

to4

「クイーンズパーク」

to3

「ランドマークプラザ」

to2







NTTインターコミュニケーション・センターで「磯崎新 都市ソラリス」を観た!

$
0
0
ara1
ara2
ara3


NTTインターコミュニケーション・センターで「磯崎新 都市ソラリス」を観てきました。チラシが驚きます。A4版縦3枚続きです。ほとんど字ばかりで、すぐには何も伝わりません。時期が時期だけに、この展覧会がいま開催されるのは、どういう意味があるんだろうと考えてしまいました。会場には、鄭東新区の都市計画の巨大な模型がおかれています。黒川紀章のプランを磯崎新が2007年に引き継ぎ、さらに拡大した都市計画で実際に建設されるという。展覧会の主たる目的は、鄭東新区を舞台に,磯崎新およびゲストとのディスカッションなどを受け、状況や情報をもとに都市のモデルを考えるワークショップを行うということのようです。


2013年、岩波書店より過去50年間に渡り書いてきた文章を編集した『磯崎新建築論集』全8巻(岩波書店)が刊行されています。建築家・磯崎新の思想のエッセンスをテーマごと、時間順にたどれるよう構成してあるようです。建築家仲間でこの本について熱い話題になっていますが、僕はまだ手に取っていません。


今回の都市計画について僕は特に意見があるわけではないので、以下、展覧会の趣旨についてはNTTインターコミュニケーション・センターのホームページより転載しておきます。磯崎新は「都市ソラリス」展について、以下のように言います。


わが宇宙船地球号は,その表層をうずめる都市環境に狂いが生じて,航行不能に陥りつつあります.新しい操縦マニュアルを必要としています.20年昔,グローバリゼーションの大津波がおそい,全球が領土化(テリトリアリゼーション)され,都市化したためです.津波通過の跡には澱(おり)がたまり,これが触媒となり,あらたに〈しま〉が出現するだろうと予測され,かつて大航海の果てに発見されたといわれる「ユートピア」(トーマス・モア,1516)を手がかりに,「海市——もうひとつのユートピア」展(ICCオープニング企画展,1997)が立ち上げられ,プロトタイプ,シグネチャーズ,ヴィジターズ,インターネットの〈しまじま〉を生成させてみましたが,蜃気楼のごとくに消え去り,蘇東坡の詩『登州海市』にちなんで「海市」と呼ばれました.〈しま〉に収容される住民は「海市」の作業のなかでは「リヴァイアサン」(トーマス・ホッブズ)に統治される〈ビオス〉(ミシェル・フーコー)として扱われていました.しかしモナドとしての〈ビオス〉には,「意識」,そして「知」がそなわっています.そこで地表の都市は,渾沌(『荘子』応帝王篇)=カオス(複雑系)状態をみせるのです.〈しまじま〉がギャラクシーに成長しつつある現在,『惑星ソラリス』(スタニスワフ・レム原作,アンドレイ・タルコフスキー監督,1972)を参照しながら,集合知,免疫性(イムニタス)などを都市論として討議する場をつくりだしたいと考えます.今回もそのあげくに展覧会の正式呼称がきまるでしょう.


「磯崎新 都市ソラリス」展示風景

(「artscape」2013年12月15日号より)

ara5

ara4

展覧会の構成は、以下の通りです。


(1)都市デザイナー磯崎新 1960/2020

今回の展覧会コンセプトに至る展開を概観するテキストや資料を展示します.
《空中都市》1960-63年
《孵化過程》1962年
《日本万国博覧会 お祭り広場》1970年
《コンピューター・エイデッド・シティ》1972年
《パラディアム》1985年
《海市計画》1994-95年
「海市——もうひとつのユートピア」展 1997年
ほか


iso3

(2)「鄭東新区龍湖地区副CBD」1/200模型と、その模型を舞台にしたインスタレーション

2003年に始まった中国河南省鄭州市鄭東新区の都市計画は,黒川紀章のプランを磯崎新が2007年に引き継ぎ,現在も進行中です.その北部に位置する人工湖・龍湖の中に建設される副CBDは,伝統的な「二十四節気」に基づいた暦や時間がデザインに組み入れられています.さらに「水上慶典広場」と名づけられた中央の湖は,中国の伝統行事や季節に合わせて,水上イヴェントが開催されるよう構想されています.
本展会場では,「水上慶典広場」を舞台にしたイヴェントを,メディア・アーティストや建築家によるインスタレーションとして実現します.


iso2

(3)鄭東新区 都市ワークショップ

鄭東新区を舞台に,磯崎新およびゲストとのディスカッションなどを受け,状況や情報をもとに都市のモデルを考えるワークショップを行ないます.建築家やアーティストがプランを出しあい,それらのアイデアから,会期中さまざまにその様相を変えていきます.トーク・イヴェントやパフォーマンスなども行なわれる予定です.


iso1


磯崎新:略歴
磯崎新 建築家.1931年大分市生まれ.1954年東京大学工学部建築学科卒業.丹下健三に師事し,同大学院博士課程修了.1963年磯崎新アトリエを設立.以来,国際的建築家として活躍.世界各地で建築展,美術展を開催し,また多くの国際的なコンペの審査委員,シンポジウムの議長などを務める.カリフォルニア大学,ハーヴァード大学,イェール大学,コロンビア大学などで客員教授を歴任.建築のみならず,思想,美術,デザイン,文化論,批評など多岐にわたる領域で活躍.代表作に,《大分県立図書館》(現アートプラザ,1966),《日本万国博覧会お祭り広場》(1970),《群馬県立近代美術館》(1974),《つくばセンタービル》(1983),《ロサンゼルス現代美術館》(MOCA,1988),《バルセロナ市オリンピック・スポーツホール》(1990),《チーム・ディズニー・ビルディング》(1991),《クラクフ日本美術技術センター》(1994),《奈義町現代美術館》(1994),《ラ・コルーニャ人間科学館》(1995),《京都コンサートホール》(1995),《静岡県コンベンションアーツセンター・グランシップ》(1999),《パラスポーツ・オリンピコ(トリノ・オリンピック アイスホッケー会場)》(2005),《北京中央美術学院美術館》(2008),《証大ヒマラヤセンター》(2010),《カタール国立コンベンションセンター》(2011)など多数. 近年のプロジェクトは,中国の鄭州市鄭東新区都市計画,可動式コンサート・ホールARK NOVAなど.2013年,岩波書店より過去50年間に渡り書いてきた文章を編集した『磯崎新建築論集』を刊行.



「磯崎新 都市ソラリス」

「磯崎新 都市ソラリス*」展は,ICCオープニング企画展「海市——もうひとつのユートピア」(1997)を監修した建築家磯崎新を再び迎えて,これまでの都市デザイン,アーキテクチャ論を超える新たな都市像を考える場として企画されました.会場では,1960年代から現在に至るまで磯崎が手がけてきた都市計画プロジェクトの変遷をたどりながら,複数の参加者の介入によって変化していくワーク・イン・プログレスの展示が展開されます.この舞台となるのは,2012年の展示「Run after Deer!(中原逐鹿)」(パラッツォ・ベンボ,ヴェネツィア建築ビエンナーレ)でも取り上げられた,現在中国で進行中の磯崎の最新のプロジェクト「鄭州都市計画」です.会期中は,祝祭空間としての都市をメディア・アーティストの提案によって実現するなど,ワークショップやディスカッションなどを通じて,高度情報化時代における都市像を模索しつつ,動的な「都市形成装置」としての都市を試みます.

*ソラリス(Solaris):スタニスワフ・レムによって宇宙開発時代さなかの1961年に発表されたSF小説.日本でも1964年に邦訳『ソラリスの陽のもとに』(飯田規和訳,早川書房)が,さらに2004年に新訳『ソラリス』(沼野充義訳,国書刊行会)が刊行されている.また,1972年に映画化された『惑星ソラリス』(アンドレイ・タルコフスキー監督)は,SF映画の名作として現在まで高い評価を得ている.


「磯崎新 都市ソラリス」


16年目のICCと磯崎新展──磯崎新「海市」から「都市ソラリス」へ
畠中実(NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]主任学芸員)2013年12月15日号


過去の関連記事:

夢膨らむバルーンホール 宮城・松島
磯崎新×鈴木博之「20世紀の現代建築を検証する」を読んだ!
芸術新潮で「磯崎新が読み解く知られざる丹下健三」を読んだ!
磯崎新の「日本の建築遺産12選 語りなおし日本建築史」!

「磯崎新建築論集」全8巻
半世紀にわたり建築界をリードし,現在なお国際的な場で活躍し続ける磯崎新.その巨大な存在感はどこから来るのか.建築家であると同時に,芸術家,批評家,思想家として活躍する磯崎新の,思想のエッセンスを分かりやすい形で凝縮する集大成的著作論集.次代を担う中堅気鋭の建築家,建築史家の協力を得て,常に新鮮な問題提起で挑発し続ける著者の思想の核心と魅力の秘密を浮き彫りにする.十数編の意欲的書下ろし論考と著者自身による各巻解題を収録.未来に継承さるべき,わが国建築界の思想的財産.
第1巻 散種されたモダニズム (横手義洋編)
第2巻 記号の海に浮かぶ〈しま〉 (松田達編)
第3巻 手法論の射程 (日埜直彦編)
第4巻 〈建築〉という基体 (五十嵐太郎編)
第5巻 「わ」の所在 (中谷礼仁編)
第6巻 ユートピアはどこへ (藤村龍至編)
第7巻 建築のキュレーション (南後由和編)



Viewing all 2506 articles
Browse latest View live