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青山スパイラルで「TAPE TOKYO」を観た!

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青山スパイラルで「TAPE TOKYO」を観てきました。事前に小さな写真を数枚、どこかで見てはいたのですが、まったく予想に反した、というか、予想をくつがえす「作品」でした。あのスパイラルの空間を埋め尽くしはびこっているアメーバ?、のような印象を受けました。


これが中に入れるという。子供数人は入っていました。残念ながら僕は中に入るのは遠慮したので、中での空間体験はできませんでしたが、外から見るだけでも驚きの連続でした。なんといってもその形状が何とも言えず素晴らしい。まさに「スパイラルに寄生する巨大な繭」です。


なおかつ驚いたのは、この作品を造りあげている材料です。なんとビニールテープ、だそうです。作品を触ったり叩いたりしましたが、これがけっこう固く、人が入っても壊れないのですから、かなりの構造体だといえます。どうやって作ったか、興味のあるところです。


青山生図専門学校のインテリア工学科の学生さんが制作過程に参加したという。
また「子連れアート鑑賞日記」に、制作過程の写真が載っていました。
スパイラルガーデン「NUMEN / FOR USE Exhibition 『TAPE TOKYO』」を観てきました。

*ARアプリをダウンロードし、紙面にスマートフォンをかざすと、ビニールテープの繭が成長していく過程が見られる、という。

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「TAPE TOKYO」2013.11.18Mon.―12.4Wed.

NUMEN/FOR USE[ヌーメン/フォーユース]は、舞台芸術、インダストリアルデザイン、空間デザインや実験的インスタレーションまでさまざまな分野で活躍するクロアチア、オーストリアに拠点を置くアーティスト集団です。本展では彼らの代表作であるビニールテープを幾重にも巻きつけて作られる巨大な「TEPE INSTALLATION(テープインスタレーション)」を日本初展示します。ダンサーの動きの軌跡が造形表現となるダンスパフォーマンスから生み出された本作品は、いまでは鑑賞者が実際に中に入って空間を体験できるインタラクティブアートとして、そしてサイトスペシフィックなパブリックアートとして、世界各国で園姿を現しています。ビニールテープという工業製品から作られたとは思えない、あたかもひとつの巨大な生命の存在を意識させるほどの有機的なフォルムを持った本作品を、五感のすべてを遣ってお愉しみください。


「スパイラル」ホームページ


とんとん・にっき-tape2 「spiral paper 134」
表紙



とんとん・にっき-tape1 「spiral paper 134」

裏表紙




水戸!

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茨城県立近代美術館
設計:吉村順三

福島!

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福島県立美術館
設計:大高正人

PR: あなたの夢をサポート 起業・創業支援制度-政府ITV

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支援機関の紹介や補助金等、起業を志す人への起業・創業支援制度について詳しく解説!

仙台!

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宮城県立美術館
設計:前川国男

水戸駅

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ホテルのサンタクロース!

仙台駅

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ドコモのクリスマスツリー!

仙台駅

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おはようございます

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まだ仙台にいます。
ペンギンさんの、
昨日の夜と
今朝のバージョンです。
今日は仙台をちょこっと歩いて、
夜は光のページェントを見ます!

仙台光のページェント!

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カウントダウンから見ていました。
あれだけのイルミネーションは、
凄いものがありますね!

「大人の休日倶楽部パス」を利用した3泊4日の旅程

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12月3日(火)

茨城県立近代美術館

 「聖なるものへ ひそやかな祝祭」

 「日本の近代美術と茨城の作家たちⅣ」(常設展)

 「コレクション形成の物語3 

  版画へのまなざし―照沼コレクション」

福島泊


12月4日(水)

福島県立美術館

 作品選「ポケット・ミュージアム」(常設展)

宮城県立美術館

 「洲之内徹と現代画廊 昭和を生きた目と精神」

 「展示室1:コレクション展示」

 「展示室2:クレーとカンディンスキー」

 「佐藤忠良記念館・常設展示2013」

仙台泊


12月5日(木)

名勝「松島」遊覧

「松島さかな市場」見学(設計:石山修武)

国宝「瑞巌寺」見学

 (修復工事中のため見学中止)

仙台泊


12月6日(金)

国宝「大崎八幡宮」見学

重要文化財「東照宮」見学

伊達政宗公霊屋「瑞鳳殿」見学

 二代藩主・伊達忠宗の御廟「感仙殿」見学

 三代藩主・伊達綱宗の御廟「善応殿」見学

仙台光のページェント(定禅寺通り)

「仙台メディアテーク」見学(設計:伊東豊雄)


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「大人の休日倶楽部パス(東日本・北陸)」
利用できるエリアと、今回使用した路線

松島めぐり、瑞巌寺、松島さかな市場など

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今朝の朝日新聞に「世界で最も美しい湾」(2013年12月8日朝刊)と題して、日本三景のひとつ、宮城県の松島湾が国際的な環境保全団体「世界で最も美しい湾クラブ」への加盟が認められた、という記事が載っていました。湾の自然が高い評価を得ていることや、住民のシンボルの役割を担っていることが加盟基準だという。


松島へ行ったのは今回で3度目です。他に石巻からの帰りにちょっとだけ寄ったことがあります。目玉はやはり「松島めぐり」です。一度は塩竃から松島までの船に乗り、最初に行った時と今回は松島発着の船に乗りました。「カモメの餌付け」が人気が高いようです。なにしろカモメがすぐそばまで飛んでくるのですから・・・。


以前にも見ていたのですが、瑞巌寺の本堂・庫裡・廊下が国宝に指定されていると知ったので、今回、松島行きを選択しましたが、残念ながら修復中だったので、見学は中止しました。瑞巌寺は伊達政宗が再興したもので、本堂は政宗再興時の大規模な方丈建築で、襖絵や彫刻などに桃山建築の装飾要素が見られるという。

石山修武設計の「松島さかな市場」へも行ってきました。再訪です。ちょうどお昼時だったので、ビールを飲みながら海鮮丼や牡蠣丼などを食べました。牡蠣バーガーも売れていました。


日本三景松島島めぐり

松島発着、所要時間50分、17kmのコースを遊覧。

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瑞巌寺

修復中のため見学は中止

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「松島さかな市場」設計:石山修武

海鮮丼、牡蠣丼などを食べる。

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「世界で最も美しい湾」松島、クラブ加盟

朝日新聞:2013年12月8日朝刊

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松島のこけし屋さんで買った達磨

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過去の関連記事:
「大人の休日倶楽部会員パス」路線情報・東北旅行編
松島海岸駅



出光美術館で「江戸の狩野派―優美への革新」を観た!

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出光美術館で「江戸の狩野派―優美への革新」を観てきました。観に行ったのは11月12日、開催初日のことでした。400年以上にもわたる狩野派の歴史のなかでも、徳川幕府の御用絵師として活躍した“江戸狩野”に焦点を当てた展覧会です。“狩野派”というと思い出されるのは、板橋区立美術館で開催された「狩野派SAIKO!~再興!最高!再考?狩野派再点検~」です。タイトルからして異常に力が入っています。なにしろ館長があの安村敏信ですから・・・。


板橋区立美術館で「狩野派SAIKO!~再興!最高!再考?狩野派再点検~」を観た!

安村敏信の「江戸絵画の非常識 近世絵画の定説をくつがえす」を読む!


室町時代から江戸時代にかけて、幕府の仕事を一手に請け負ってきた絵師の専門集団である狩野派を、「創造性がない」と批判することも数多いが、安村は狩野派を擁護し、これに反論しています。それが「江戸絵画の非常識」の中の常識その三「江戸狩野派は粉本主義によって疲弊し、探幽・常信以降は見るべきものがない。」の中で、その「常識」に反論しています。例えば「粉本をつくらずして流派が成り立つのだろうか」とか、狩野典信の「大黒図」を取り上げ、狩野派が本来もつべき漢画の力強い墨線の復活によって、江戸狩野派を再生しようという変化への意志が感じられる画家である、としています。


それはそれとして、板橋区立美術館のテーマと共通する、しかし出光美術館では館蔵品を中心に、優美・瀟洒な絵画によって新しい時代を切り開いた狩野探幽に焦点を当てています。前代の狩野派絵画との比較展示や、円山応挙らに先駆けする風景や草花等の写生図の他、さまざまな探幽の作品を展示し、探幽芸術の創造性や革新性が紹介されています。


探幽のなにが革新性なのか、それを宗像晋作は図録で「余白への意識」だと指摘しています。最初に探幽25歳の作例である「二条城二の丸御殿障壁画」を挙げて、初期の重要作ではあるが、これはまだ永徳様式の影響が強い。その後、33歳で描いた「名古屋城上洛殿水墨壁画」では、大きな余白を生かした瀟洒な画風へと一変したという。40歳では「大徳寺本坊方丈壁画」や、翌年の「聖衆来迎寺客殿障壁画」など、意識して余白を大きく取り入れています。


今回の展覧会では、伝狩野元信筆「花鳥図屏風」と、探幽筆「叭々鳥・小禽図屏風」が比較展示されているので、一目瞭然です。また、「叭々鳥・小禽図屏風」は、狩野派の流派様式に変革を迫ったと、宗像はいう。探幽の作品では、絵画の構成要素となるモチーフが厳選され、大きな余白自体が表現上の重要な一要素となっている。たとえば右隻は、竹林、枯木、叭々鳥、渓流のみで構成され、特に渓流の表現は、画面左下に薄墨で曲線的な流れが軽妙に描かれているのみです。しかし、何も描かれていない余白が、左奥へ渓流の湿潤な光景が続いていくことを予見させていると、宗像は指摘しています。


左隻については、画面左端に松樹の樹幹と枝のごく一部のみが描かれています。この絵画空間の中では、かなり近景に位置するにも関わらず、樹木はごく一部が描かれるのみである。しかし、ここでも余白が視覚的な不合理を解消するかのように、鑑賞者を松籟の聞こえる湿潤な渓谷の中に導いてくれる。先の伝元信屏風のような、前時代の狩野派の饒舌な様式に比べれば、何ともあっさりとした軽妙なスタイルである。伝統的な狩野派においては、突如として実に大きな変革といえるだろう、と宗像はいう。


展覧会の構成は、以下の通りです。


Ⅰ章 探幽の革新―優美・瀟洒なる絵画
Ⅱ章 継承者たち―尚信という個性
Ⅲ章 やまと絵への熱意―広がる探幽の画世界
Ⅳ章 写生画と探幽縮図―写しとる喜び、とどまらぬ興味
Ⅴ章 京狩野vs江戸狩野―美の対比、どちらが好み?


徳川幕府の御用絵師だった探幽は、江戸城の障壁画制作の仕事を請け負っています。西の丸(天保10年=1839再建)と、本丸(弘化2年=1845再建)の再建時に描かれた障壁画下絵(狩野義信筆)が現存し、どちらにも探幽が描いた焼失前の障壁画の絵様を忠実に写し取った箇所があります。東京国立博物館蔵の狩野芳信による「江戸城本丸等障壁画絵様」(西の丸 中奥 御坐の間 下段の間)と、「江戸城本丸等障壁画絵様」(本丸 表 大広間 四の間)がそれにあたります。


参考図:狩野派 略系図

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Ⅰ章 探幽の革新―優美・瀟洒なる絵画

信長や秀吉の時代が終わり、江戸の地を掌握した徳川新政権が動きだし、探幽はこの転換期をうまく乗り越えて、徳川幕府の御用絵師になりました。掛軸にみる平明で親しみやすい作風は、優美さと軽やかさを旨とする清新な画趣を生み出します。また、大画面の屏風は、大胆な余白が取り込まれた瀟洒で洗練された作品を創り上げました。





Ⅱ章 継承者たち―尚信という個性
探幽の絵画を継承した次弟・尚信や、末弟・安信は江戸狩野の草創期を牽引しました。特に尚信は筆勢のある大胆な筆致と、濃淡を自在に用いた瑞々しい墨技が見どころです。単なる図様や画題の継承のみに終始せず、尚信自身の解釈を盛り込もうとする柔軟な作画姿勢がうかがえます。安定した筆力を示す安信とあわせて、江戸狩野の多様性を追求しました。




Ⅲ章 やまと絵への熱意―広がる探幽の画世界
狩野派は、中国の宋・元・明時代の絵画を手本とした漢画派ですが、日本古来のやまと絵にも学び、和漢融合した様式を創ってきました。探幽は、特に30代後半頃よりやまと絵に傾倒し、土佐派に学んだ精緻な細密画法を駆使し、小画面に細やかな画趣が溢れています。また大画面の屏風作品にも、やまと絵の流麗な筆描を応用し、優美な情趣が込められています。




Ⅳ章 写生画と探幽縮図―写しとる喜び、とどまらぬ興味
探幽の画業で注目されるのは、自然の風光や動植物をスケッチした写生画です。円山応挙に、一世紀先駆けることになります。探幽の絵師としての眼は、、写生が本画制作に影響したと考えられる作品と、古画の模写や草花スケッチを含む探幽縮画にも目を向け、探幽の多様な作図のあり方と、その作図姿勢を受け継いだ常信の作品が展示されています。




Ⅴ章 京狩野vs江戸狩野―美の対比、どちらが好み?
徳川政権が確立した後、江戸に新出せず、京に留まった京狩野は、装飾性豊かな画風を代々継承しています。京狩野の三代目・永納は、初代・山楽や、二代・山雪の画風を受け継ぎ、濃密な画趣を特徴とする作品を描いています。画面構成の手法や、モチーフ描法を観察すると、絵師の美意識が、瀟洒な江戸狩野とは異なることが分かります。京狩野と江戸狩野、両者を比較すると、各々の特徴がみえてきます。





「江戸の狩野派―優美への革新」

狩野派は、始祖の正信(1434~1530)が室町幕府の御用絵師となったことに端を発し、以降も血縁を基本としてその地位と画法を継承し、およそ400年の長きにわたって画壇の中心的な存在であり続けた日本絵画史上の最大画派です。この展覧会では、こうした狩野派の中でも、“江戸狩野”に焦点をあてています。江戸時代になると、徳川幕府の御用絵師としての地位を確立した狩野派の本拠地は、江戸の地に移りますが、京に残った“京狩野”に対して、これを“江戸狩野”と呼んでいます。この江戸狩野の祖となったのは、狩野探幽(1602~74)でした。画才豊かであった探幽は、祖父・永徳(1543~90)同様に時代に適う新様式を創りました。それは余白をいかした優美・瀟洒な絵画様式であり、限られたモチーフで詩情溢れる豊かな空間をつくることに特徴があります。探幽の画風は、尚信(1607~50)、安信(1613~85)、益信(1625~94)、常信(1636~1713)といった、江戸狩野の各絵師たちに継承されていきます。探幽の絵画様式を継承した江戸狩野の絵師たちは、“独創=芸術”という概念が一般的となる近代以降に、粉本主義(手本の模写ばかりを重視すること)という言葉で、厳しく非難されてきた歴史があります。しかし、画派としての“型”の継承を重視しつつも、それぞれに個性的な絵画作品を制作した絵師は少なくありません。本展では、探幽の写生画や模写を含むさまざまな絵画作品を特集し、新時代を拓いた探幽芸術の革新性や、その旺盛な創造力をご覧いただくとともに、江戸狩野の草創期に活躍した他の重要な絵師たちの作品にも目を向けながら、探幽をはじめとする“江戸狩野”が、本来もっている清新な魅力を再発見いたします。


「出光美術館」ホームページ


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平成25年11月12日発行

編集・発行:

公益財団法人出光美術館











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佐藤泰志の「移動動物園」を読んだ!

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佐藤泰志の「移動動物園」(小学館文庫:2011年4月11日初版第1刷発行)を読みました。本のカバーには、この本の内容について以下のようにあります。


『海炭市叙景』で奇跡的な復活を果たした悲運の作家、佐藤泰志のデビュー作が文庫化。山羊、栗鼠、兎、アヒル、モルモット…。バスに動物たちを乗せ、幼稚園を巡回する「移動動物園」。スタッフは中年の園長、二十歳の達夫、達夫の三つ上の道子。「恋ヶ窪」の暑い夏の中で、達夫は動物たちに囲まれて働き、乾き、欲望する。青春の熱さと虚無感をみずみずしく描く短篇。他に、マンション管理人の青年と、そこにするエジプト人家族の交流を描く「空の青み」、機械梱包工場に働く青年の労働と恋愛を描写した「水晶の腕」を収録。作者が最も得意とした「青春労働小説」集。


「移動動物園」は、1991年2月に新潮社から単行本として発行された作品が、文庫として刊行されたものです。まずは「海炭市叙景」が映画化され、その後押しもあって小学館文庫に入り、「移動動物園」も小学館文庫入りしました。彼の著作6冊のうち、生前に出たのはたったの4冊。「海炭市叙景」も「移動動物園」も佐藤の死後のことだという。「移動動物園」は佐藤の4作目の著作で、「移動動物園」「空の青み」「水晶の腕」の短編3作よりなります。


表題作「移動動物園」と、他の2作は時間的なズレがあります。「移動動物園」は新潮1977年6月特大号に掲載されました。一方、「空の青み」は新潮1982年10月号、「水晶の腕」は新潮1983年6月号に掲載されています。つまり表題作と他の2作は、ほぼ5年の間があります。内容紹介に“作者が最も得意とした「青春労働小説」集”とあるとおり、3作とも主人公の青年が汗水垂らして働く姿を描いています。


しかし、やはり初期の作品である「移動動物園」は、登場人物も少なく、飼育係の主人公と同じ飼育係の道子、そして中年の園長がいて、迪子と園長は肉体関係があります。そして青木という動物買い取りの男があらわれて、それで登場人物はすべてです。主人公の行動範囲も動物園の関係のみに終始しています。しかし、解説の岡崎武志によると、狭く囲まれた閉鎖的な世界には、「奇妙な仕事」や「飼育」など、初期の大江健三郎の強い影響が感じられるという。


一方、「空の青み」は外国人が住むマンションの管理人が主人公です。エジプト大使館勤務のアフィフィなど他者を見つめる主人公に余裕が感じられます。岡崎は佐藤泰志と村上春樹について、解説で比較していますが、主人公が詰まった便器に手を突っ込むシーンは、村上には絶対書けなかった、という。また「水晶の腕」は梱包会社の仕事で、主人公は輸出向けの制御装置などを梱包するための木材を切る職人的な仕事に就いています。職場の同僚たちのあだ名など、他者を巧妙に描き分けています。身体を動かす肉体労働の中から、登場人物たちの個性や実在が浮かび上がってきます。


佐藤泰志:
小説家。1949年北海道函館市生。國學院大學哲学科卒。81年「きみの鳥はうたえる」が第86回芥川賞候補作となる。以降、88回、89回、90回、93回の芥川賞候補作に選ばれる。90年10月10日自殺。享年41。「きみの鳥はうたえる」「そこのみにて光輝く」「黄金の服」「移動動物園」「大きなハードルと小さなハードル」「海炭市叙景」。


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フェルナンド・トルエバ監督の「ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル~」を観た!

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フェルナンド・トルエバ監督の「ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル~」を観てきました。タイトルがすべてを言い表しています。「老彫刻家と彼に再び創作意欲をもたらす若いモデルとの関係を美しい映像と共につづるドラマ」です。彫刻家アリスティド・マイヨールに着想を得た物語、だという。しかしこれは、想像上に描かれた理想的な世界です。ただ一度のユートピアです。それにしても若いモデルは、この世のものとは思えないほどの見事な肢体です。


以前、映画「カミーユ・クローデル」を観ました。カミーユ・クローデルはロダンのモデルであり、そして愛人でもありました。不幸なことにカミーユも彫刻家でした。最後は精神を病み死んでいきます。それと比べると「ふたりのアトリエ」の方は、老彫刻家とモデルは、カラッとしてドライな関係です。歳の差もかなり離れています。アトリエは密室です。ただ一度だけふたりは接近します。彫刻作品は完成します。仕事を終えて、若いモデルは去っていきます。残された老彫刻家は・・・。


老彫刻家の妻役はクラウディーナ・カルディナーレ、僕の若い頃、1960年代にはブリジッド・バルドーやマリリン・モンローと並んで、セクシー女優として名を馳せていました。ルキーノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」(1963年)が代表作です。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:第2次世界大戦中のドイツ占領下のフランスを舞台に、老彫刻家と彼に再び創作意欲をもたらす若いモデルとの関係を美しい映像と共につづる歴史ドラマ。ピカソやロダンなどの芸術家と親交のあった彫刻家アリスティド・マイヨールに着想を得た物語を監督したのは、『ベルエポック』などのスペイン出身のフェルナンド・トルエバ。主演に『髪結いの亭主』などのジャン・ロシュフォール、主人公の妻役に『山猫』などのクラウディア・カルディナーレなどが集結し、ヨーロッパ映画らしい芸術的で繊細なドラマを堪能できる。

ストーリー:1943年、ドイツ占領下のフランス南西部。80歳の彫刻家マーク・クロス(ジャン・ロシュフォール)は創作意欲を失っていた。ある日、妻リー(クラウディア・カルディナーレ)は、町で出会った娘メルセ(アイーダ・フォルチ)に夫の仕事のモデルにならないかと話を持ち掛ける。山小屋のアトリエでメルセの美しい体をスケッチし、彼女に芸術について指南するうちに、クロスは意欲を取り戻していく。


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過去の関連記事:

イザベル・アジャーニの「カミーユ・クローデル」を観た!
「二人のクローデル展」を観る!

福島県美術館でアンドリュー・ワイエスの作品を観た!

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福島県美術館を訪れるのは3度目になります。観に行ったのは12月4日でした。今回は企画展は開催しておらず、常設展のみ展示されていました。常設展で観た作品は、後日、このブログに載せるつもりです。


福島県美術館で所蔵するアンドリュー・ワイエスの作品は6点、そのうちの4点を観ることができました。もちろん、過去に福島を訪れたときにワイエスの作品は観ているので、再び観たということになります。1974年に東京国立近代美術館で開催された「アンドリュー・ワイエス展」が、僕のワイエスとの出会いの最初でした。以来、ずっとワイエスを見続けてきました。しかし、日本で「アンドリュー・ワイエス――創造の道程」の巡回展の間、アンドリュー・ワイエスは2009年1月16日、チャッズ・フォードでお亡くなりになりました。91歳でした。


以下、過去の書いたブログの記事を引用しておきます。


カーナー家ですが、ドイツからの移民だそうです。渡米してからもアメリカに馴染めずに、田舎町チャッズ・フォードに移り、農場を借りてやっと穏やかな暮らしができるようになったという。「ドイツ人の住むところ」と「松ぼっくり男爵」は、彼らのアイデンティティを表現した作品となります。作品の題名のガニング・ロックスは、ワイエスの家があったポート・クライドの沖に浮かぶ島です。モデルは、ウォルター・アンダーソン、フィンランド人とネイティヴ・アメリカンの混血で、亡くなるまで50年あまり、ワイエスのモデルを務めました。「そよ風」のモデル、亜麻色の髪の少女「シリ」は、ワイエスはクリスティーナの葬儀の時に始めて見たと言っています。「死の灰から生命が甦るようにして、クリスティーナを引き継いだ」。クリスティーナは悪化と衰弱の象徴、一方、シリは生き生きしていて湧き出るような、力に満ちたもので、生命のほとばしり以上のものだと、ワイエスは言います。シリはフィンランド人、ジョージ・エリクソンの娘で、彼もワイエスのモデルを務めています。


「冬の水車小屋」は、僕の好きな作品のひとつです。もっともワイエスらしさの少ない作品かとも思いますが、なんとワイエスは、「他の画家と違って、私の描く冬景色は叙情的なものではない。いや断じて違うね。私の作品のなかでは、あの素晴らしい寒々とした寂寥感、静謐で凍てつくような冬の現実が捉えられているのだ」と、自信のほどを示しています。「農場にて」は、カーナー家の薪小屋を描いたものです。モデルはカール・カーナーの息子、カール・ジュニアで、今回の展覧会のなかでは最も新しい、ワイエス70歳の作品です。この作品の習作も多数出されており、カール・ジュニアが薪割りの手を休め、薪の上に腰を下ろして一息ついているさまが描かれています。ワイエスは、「不揃いでおおざっぱに割られた薪の上に当たる陽の反射の様子が素晴らしかった」と語っています。


福島県立美術館のアンドリュー・ワイエス作品





以下の2点は、今回展示されていませんでした(貸し出し中か?)。



「福島県美術館」ホームページ


過去の関連記事:

福島県立美術館で「アンドリュー・ワイエス 創造への道程」を観た!

Bunkamura ザ・ミュージアムで「アンドリュー・ワイエス 創造への道程」展を観た!
「アンドリュー・ワイエス」遍歴、図録等を辿りながら
「アンドリュー・ワイエス 創造への道程」展で買ったもの!
丸沼芸術の森で「アンドリュー・ワイエス水彩・素描展」を観る!
青山ユニマット美術館で「アンドリュー・ワイエス展」を観る!
知らないことは知らない?
江國香織の「日のあたる白い壁」を読む!

新国立競技場、審査委員の内藤廣の発言!

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建築家の槇文彦が書いた論文「歴史的文脈で・・・」に端を発した新国立競技場問題、建築界ではシンポジウムを開催するなど、広範な議論が活発に行われていますが、当事者である審査委員からの発言は今まで全くありませんでした。ここへきてやっと、新国立競技場の国際デザイン競技で審査委員を務めた内藤廣が、自身の事務所のホームページで計画の妥当性を公表しています。


内藤廣建築設計事務所 | Naito Architect & Associates


「建築家諸氏へ」2013.12.09内藤廣



また、朝日新聞の2013年12月13日の夕刊で、編集委員の大西若人が、内藤廣の件に関して記事にしています。


nai

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