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難波和彦の「新しい住宅の世界」が届いた!

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とんとん・にっき-nanba

先月半ばにアマゾンに注文していた、難波和彦の「新しい住宅の世界」がやっと届きました。


NHK放送大学「新しい住宅の世界」のテキストとして出版されたものです。4月から毎週月曜日の20:00~20:45に、NHK-BS放送大学「新しい住宅の世界」が始まりました。僕は第1回「住宅の現在」は見ましたが、第2回は録画したつもりが撮れてなくて見逃しました。まあ、再放送もあることですし、この番組を気長に見ていくつもりです。


難波は「まえがき」で、次のように述べています。


2010年に63歳で東京大学大学院建築学専攻を定年退職、研究室ではサスティナブル・デザインをテーマに研究と開発を行い、学外の設計事務所では主として住宅設計の実務に携わってきた。退職後、放送大学から住宅に関する番組制作の相談を受け2011年始めまでに番組のプログラム案を作成した。その直後の2011年3月に、東日本大震災が勃発、建築、とりわけ住宅に関する自分の考え方を再検討する必要性を痛感、番組プログラムを根本的に組み直すことにした。


番組とテキストのプログラムの重視したポイントは以下の通り。

1)日本の住宅の世界を広い視野でとらえること。住宅がどのようにつくられ、どのように住まわれてきたかについての広範な知識を普及させることが、震災復興を含めた、今後の住宅を好くする重要な前提条件だからである。

2)住宅を、サスティナブル・デザインの視点から、総合的にとらえること。そのために戦後住宅の変遷をたどる歴史的な視点と、ハード・ソフトの両面から住宅の生産構造をとらえる技術的な視点の、両面から住宅にアプローチした。

3)日本の住宅が置かれた現在の状況を、多角的に浮かべ上がらせること。そのために、立場や視点の異なる多くの人々、すなわち建築家、デザイナー、部品メーカー、ハウスメーカー、ディベロッパーの意見を聞き、様々な場所の取材を行った。

4)住宅の世界を、建築家の視点からとらえるという視点を明確にすること。番組の最終的な目的は、建築家の社会的な役割を明らかにすること。建築家という職能は、時代を先取りする原型的なデザインを提案する点にもあることを明らかにできた。


放送内容は、以下の通りです。


 1.住宅の現在

 2.仮設住宅

 3.家族の変容

 4.集住体

 5.街の風景

 6.工業化と商品化

 7.リノベーション

 8.エコハウス

 9.住宅のハードウェア

10.住宅の供給

11.小さな家

12.生きられる家

13.住宅の寸法

14.住宅の戦後史

15.建築家の役割


放送授業のスケジュール

放送授業期間

 授業番組は毎週1回、全15回放送します。

  第1学期 4月1日~7月21日

   (4月29日~5月5日を除く15週間)

  第2学期 10月1日~1月20日

   (12月29日~1月4日を除く15週間)

集中放送授業期間

 放送授業期間に放送した授業番組の一部を

 8日間又は15日間連続して再放送します。

  第1学期 7月22日~9月30日

  第2学期 1月21日~3月31日


受信方法

衛星放送

 BSデジタル放送


「難波和彦・界工作舎」ホームページ


過去の関連記事:

「被災地支援 建築家の提案」

難波和彦の「建築の理・難波和彦における技術と歴史」を読んだ!

「東京大学建築学科 難波研究室 活動全記録」が届いた!

難波和彦の「建築の四層構造 サスティナブル・デザインをめぐる思考」が届いた!

「建築家は住宅で何を考えているのか」を読んだ!


とんとん・にっき-kotowa 「建築の理(ことわり)―難波和彦における技術と歴史」
2010年10月10日第1版発行

編著者:難波和彦、伊藤毅、鈴木博之、佐々木睦朗、石山修武、前真之

発行所:株式会社彰国社

とんとん・にっき-nan2 「東京大学建築学科難波研究室活動全記録」
発行日:2010年9月25日初版発行

著者:東京大学建築学科難波研究室

発行所:株式会社角川学芸出版

発売元:株式会社角川グループパブリッシング

とんとん・にっき-nan1

「建築の四層構造サスティナブルデザインをめぐる思考」
発行日:2009年3月1日初版発行

著者:難波和彦

発行所:INAX出版


とんとん・にっき-nan1

「建築家は住宅で何を考えているのか」

東京大学建築デザイン研究室編

著者:難波和彦・千葉学・山代悟

発行:2008年9月30日第一版第一刷

定価:本体1400円(税別)
発行所:PHP研究所



とんとん・にっき-nan2


「箱の家に住みたい」

著者:難波和彦

発行:2000年9月25日初版発行

定価:本体1800円+税
発行所:王国社





とんとん・にっき-nan3

「建築的無意識・テクノロジーと身体感覚」

著者:難波和彦

発行:1991年4月1日第一刷

定価:1860円(本体1806円)

発行所:住まいの図書館出版局



とんとん・にっき-gen1

「現代建築の発想―アール・ヌーヴォーからCADまで―」
鈴木博之・難波和彦・源愛日児・長倉威彦 共著

平成元年2月28日発行

発行所:丸善株式会社



とんとん・にっき-gen2 「現代建築の発想―アール・ヌーヴォーからCADまで―」
裏表紙

難波和彦:オフィス・マシン





府中市美術館で「常設展 明治・大正・昭和の洋画 春」を観た!

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府中市美術館で「常設展 明治・大正・昭和の洋画 春」を観てきました。平成22年9月ですから、今から2年半前、府中市美術館開館10周年記念展として、「バルビゾンからの贈りもの―至福なる風景の輝き」が開催されました。府中市美術館のある多摩の歴史と風土、「武蔵野」の豊かな緑やきらめく「多摩川」の流れに呼応するように、フランス・パリ近郊のフォンテーヌブローの森にあるバルビゾンという小さな村を対比して展示されていたのを思い出しました。その時出されていた日本側の作品は、ほとんどが府中市美術館所蔵の「武蔵野・府中コレクション」からのものでした。これらを素地として、バルビゾンと武蔵野、自然と人との「いのち」の面内を描いた風景画を紹介し、開館10周年の展覧会とした、と図録では述べています。


去年の10月のことでしたが、「ポール・デルヴォー展」を観た際に、常設展の会場に足を踏みいれました。府中市美術館の常設展は何度も観ていましたが、なぜか印象に残らなくて、ブログに書くまでには至りませんでした。その時初めて「府中市美術館収蔵品ガイドブック」があるのを知り、「3 戦前の洋画家たち―そのまなざしと表現」と「4 異国に学んだ画家たち―明治・大正期の洋画」を手に入れ、ブログに「明治・大正・昭和の洋画」を書きました。ガイドブックを手に作品を観て観ると、今までとは違った地平が広がってきました。


下に挙げた画像のうち7点は「バルビゾンからの贈りもの」に出されていた作品です。よく観てみると、どれもこれも味のあるいい作品ばかりです。これが明治時代に描かれたものかと、耳を疑いました。なにしろ生き生きしているのです。図録にはバルビゾン派美術館からのメッセージとして「どちらも畏敬と感謝の念を抱きながら自然を描こうとした点が共通している」とありました。まったく納得です。実はそれまで僕は、これらの絵画は古くさいもの、田舎くさいもの、野暮ったいものと思い、あまり好きになれませんでした。ところがなぜか心境が変化し、去年の末には山梨県美術館へミレーの作品を観に行ったりもしました。


今回の「明治・大正・昭和の洋画 春」には44点の作品が出品されていました。展示作品リストはありますが、いわゆる図録のようなものはなく、画像は「バルビゾンからの贈りもの」の図録や、2冊の「収蔵品ガイドブック」から取り出したものです。「美連協加盟館ガイドブック」(2009)の府中市美術館の項には、青木繁・福田たね「逝く春」の画像が、代表作として載せられています。






「府中市美術館」ホームページ


とんとん・にっき-ba25 府中市美術館開館10周年記念展

バルビゾンからの贈りもの~至高なる風景の輝き
図録

企画・編集:志賀秀孝(府中市美術館 学芸係長)

編集補助:杉崎則夫、藤田裕子、村上あゆみ

企画協力:浅野研究所 広瀬麻美

発行日:平成22年9月17日

発行:府中市美術館







とんとん・にっき-futi1とんとん・にっき-futi2

府中美術館収蔵品ガイドブック4

「異国に学んだ画家たち―明治・大正期の洋画」

編集・執筆:神山亮子(府中市美術館)

発行日:2004年3月27日

発行:府中美術館














府中美術館収蔵品ガイドブック3

「戦前の洋画家たち―そのまなざしと表現」

執筆:武居利史(府中市美術館学芸員)

発行日:平成14年4月13日

発行:府中美術館









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三菱一号館美術館で「奇跡のクラーク・コレクション」を観た!

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三菱一号館美術館で「奇跡のクラーク・コレクション」を観てきました。観に行ったのは3月20日、春分の日でした。小部屋の展示室がほとんどの三菱一号館美術館、やはり祝日ということもあってか、思った以上に混んでいました。2011年に始まった巡回展は、すでにイタリア、フランス、スペイン、アメリカ、イギリス、カナダで開催され、入場者数は100万人を超えたという。


三菱一号館美術館館長の高橋明也は、以下の諸条件に満たされている場合、それは真にそうしたコレクション展を構成する作品の質が高度なこと、そのコレクションに触れる機会が享受者にかなり限定されていること、そしてコレクションそのものの強い特徴とコレクターの個性が強烈に浮かび上がるような作品選択が成されていることを挙げて、「コレクション展」としての展覧会が成り立つとしています。そして「奇跡のクラーク・コレクション ルノワールとフランス絵画の傑作」は、見事にそうした条件に合致した展覧会であると語っています。


さて、「奇跡のクラーク・コレクション ルノワールとフランス絵画の傑作」というタイトル、なにが「奇跡」なのか?それは以下の三つです。

①極めて貴重なコレクションが日本に来る奇跡

 クラーク美術館の増改築工事によって日本初上陸!

②クラーク夫妻がひときわ質の高い作品を収集できた奇跡

 大富豪夫妻の優れた審美眼によって集められた宝石箱のような作品群!

③日本人が貴重なコレクションを眼にしていない奇跡

 日本からはるか遠くのクラーク美術館でしか見ることができなかったコレクション!


そしてなんと、22点のルノワールを筆頭に、コロー、ミレー、マネ、ピサロ、モネなど、日本初出品を含む、フランス絵画73点に出会えるという奇跡、これはすごいことです。主役はルノワール、これほど多くのルノワール作品と出会えるとは!そして、そのまわりを固める脇役たち、この脇役たちがすごい、いや世が世ならそれぞれが主役を張れる画家たちですが、今回は脇役に回っています。Bunkamuraで開催すれば、まさに「ルノワールとその時代展」です。スターリング・クラークがルノワールの収集を始めたのはいつ頃か、図録に興味深い文章があったので、以下に載せておきます。



1929年アメリカの株式市場の大暴落で始まった世界恐慌も、クラークの美術品収集の愉しみを縮小させることはなかった。不況で美術品の価格が暴落すると、それに乗じてクラークは購入のペースを一気に加速させた。多くの収集家が不況で損失を出し、コレクションを売却して現金化したために、美術市場には質の高い作品が安い価格で数多く出回った。・・・クラークがルノワールを熱心に集め始めたのは、まさにこの時期であった。ルノワール作品の収集は1910年代に始まり、「劇場の桟敷席(音楽会にて)」や「眠る少女」のような主要作品を入手していたが、1930年から40年には20点以上購入している。作品の下図よりも驚くべきことは、一貫した質の高さであろう。「縫い物をするマリー=テレーズ・デュラン=リュエル」の大胆華麗な筆づかいから、1875年頃の「自画像」の硬質な緊張感まで、それぞれの作品は画家の技量のさえを示す郭公の例である。1930年代以降ルノワールは間違いなくクラークのお気に入りの画家となった。

(図録「蒐集家としてのスターリング・クラーク」より)









「奇跡のクラーク・コレクション―ルノワールとフランス絵画の傑作」

クラーク美術館は、印象派の油彩画をはじめとする19世紀欧米の美術、工芸、写真など、幅広いコレクションを擁する美術館です。ボストンから車で約3時間。広大な森の中にあるこの美術館のコレクションについて、これまで日本ではほとんど知られていませんでした。2011年、同美術館の増築工事に伴い、世界的にもとりわけ質の高い印象派を中心とした絵画の世界巡回展が開催され、2013年2月、ついに日本に初上陸します。ルノワール22点を筆頭に、コロー、ミレー、マネ、ピサロ、モネ・・・、まるで宝石箱のような、これまで目にしたことのない奇跡のフランス絵画73点が一堂に。三菱一号館美術館で「人生を、美しく生きる幸せ」に出会える幸運にどうぞご期待ください。

「三菱一号館美術館」ホームページ


とんとん・にっき-kura1 「奇跡のクラーク・コレクション」
ルノワールとフランス絵画の傑作

編集:

三菱一号館美術館

兵庫県立美術館

読売新聞東京本社
監修:

吉川節子(武蔵大学)

発行:

読売新聞東京本社




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本谷有希子の「嵐をピクニック」を読んだ!

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とんとん・にっき-arashi

「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定」だった本谷有希子の「嵐のピクニック」(講談社:2012年6月刊)、アマゾンに注文しておいたのがやっと届き、一気に読み終わりました。4月6日、この作品が第7回大江健三郎賞を受賞したことは、新聞紙上に掲載されていました。すかさず本屋へ走り、群像2013年5月号を入手、大江さんの「選評」を読みました。もちろんその時点では本文を読んでいないので、「選評」も実感のないまま読んだわけです。その辺りの経緯は以前、ブログに書いておきました。


講談社の「内容紹介」では以下のようにあります。


可笑しいけれど、どこかブラック。ワクワクするほど、不思議でキュート。
リアリズム、ファンタジー、恋も、ホラーも、クラシカルからモダンまで――。
異才・モトヤがその想像力のすべてを詰め込んだ、13の“アウトサイド”な短篇集。

――さあ、“アウトサイド”へ飛び出そう――
優しいピアノ教師が見せた一瞬の狂気を描く「アウトサイド」、ボディビルにのめりこむ主婦の隠された想い(「哀しみのウェイトトレーニー」)、カーテンの膨らみから広がる妄想(「私は名前で呼んでる」)、動物園の猿たちが起こす奇跡をユーモラスに綴る「マゴッチギャオの夜、いつも通り」、読んだ女性すべてが大爆笑&大共感の「Q&A」、大衆の面前で起こった悲劇の一幕「亡霊病」……などなど、めくるめく奇想ワールドが怒濤のように展開する、著者初にして超傑作短篇集!!


短編集「嵐のピクニック」は、大江さんに倣うと「ゆったり組んだ四六変形判で、だいたいの長さをページ数で示しますが、10ページまでのもの7編、20ページ1編、その中間が5編の本です」とあります。一番短いのが「パプリカ野郎」で7ページ、一番長いのが「悲しみのウェイトトレーニー」で20ページです。


大江さんは、「英語圏の、上等な紙に刷ったハイブローな雑誌にしっくりする短編なのに、どう分類して良いか迷う、しかしとにかく面白い小説」、「しかしそうした作家たちの文学的評価と言うことでは、『奇妙な味』の、というくくりによってエンターテインメントの特別席に限られて、自由に行われることのなかった」短編、ロアルド・ダールや筒井康隆を例に挙げていますが、先日も芥川龍之介の短編を少し読みましたが、本谷有希子の短編は表現や発想が非日常的・超現実的であるシュールさがあり、確かに「奇妙な味」といえそうです。なにが奇妙かは読んでみないと分かりません。



「アウトサイド」は、思春期に9年間もピアノを習っていながら入門編のバイエルさえできない問題児だった「私」と、下町の一軒家でピアノを教えている先生の話。

「私は名前で呼んでいる」は、会議中に窓側のカーテンの膨らみが気になって、会議室での部下たちの企画の説明に集中できない女性部長の話。

「パプリカ次郎」は、屋台の売り子として市場に立っていたときに、突然現れては屋台を壊しながら逃げていくアジア系の男ときれいな足の白人の女の話。

「人間袋とじ」は、しもやけを利用して足の小指と薬指をくっつけようとする女と、10年前に彫ったタトゥのお互いのイニシャル「T」と「D」の文字の話。

「哀しみのウェイトトレーニー」は、夫が観ていたボクシング中継から、次の日から突然ボディビルダーを目指すオーガニックストアでレジを売っている私の話。

「マゴッチギャオの夜、いつも通り」は、動物園で、マゴッチギャオという名の猿の檻に、知能の高いチンパンジー、ゴードンが入れられて死んでいく話。

「亡霊病」、あるコンクールで入選し贈呈式の壇上で、次々に挨拶が続く中、「亡霊病」の兆候が現れ始めて、全身に広がりかけている「私」の話。

「タイフーン」は、駅前のバス停で、傘を持ったおじさんが、「3.2.1.」と言うと、傘が風にあおられてナイロンの布地ははぎ取られ、傘の骨が剥き出しになる話。

「Q&A」は、長く続いた悩み相談をQ&A方式で回答してきた家庭と仕事を両立してきた女性が、「私たちがみんな知りたい、今さら聞けない13の質問」に対する回答。

「彼女たち」は、とにかく決闘するとしか言わない彼女、場所は河原でと訊いた。決闘と言えば橋の下。「そのままの君でいて。そのままの君が好きだよ」という男。

「How to burden the girl」は、俺34歳、俺の実家の隣に越してきた彼女は、父親と5人の弟と暮らしている。彼女は外へ出ない、弟たちは一人ずつ減っていることに気がつきます。

「ダウンズ&アップス」は、お世辞ばかりの世界もいいと思っているデザイナーが、ある若者と知り合って本音でデザイン論を戦わし仕事ができる場所をつくらせたが、結局はもとへ戻る話。

「いかにして私がピクニックシートを見るたび、くすりとしてしまうようになったか」は、試着室に入って何時間も出てこないお客を相手に誠心誠意対応する店員の話。(イラスト入り)


「劇団本谷有希子」Website

とんとん・にっき-hon3 「群像 2013年5月号」

第7回大江健三郎賞発表

2013年5月1日発行

発行所:株式会社講談社











過去の関連記事:大江賞関連

本谷有希子「嵐のピクニック」軽さへの冒険、新境地!
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泉屋博古館分館で「住友グループ秘蔵名画展―花―」を観た!

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泉屋博古館分館で「住友グループ秘蔵名画展―花―」を観てきました。春になれば美術館も常道に添って「花」かと、やや軽い気持ちで観に行ったのですが、いや、驚きました。これだけ充実した「花」を、これだけ纏まって観たのは初めての体験です。それが洋画あり、日本画ありで、こんなにも魅力的な展覧会になるものか、陳腐な言い方ですが、素晴らしいの一言です。ほとんど知っている画家たちですが、美術館が違うと、全く違う画家の作品を観ているようです。


たとえは、チラシにもなっている岡鹿之助の「捧げもの」、背後にトーチランプのようなものがあり、その前にビロードのような花たちが立ち並んでいます。岡鹿之助と言えば、ブリヂストン美術館でいつも展示してあるのは「雪の発電所」(1956)です。2008年にブリヂストン美術館で「岡鹿之助展」を観ましたが、ほとんどが風景画で、花をテーマにしたのは「献花」(1964)、一点のみだったように記憶しています。


その時、「岡鹿之助の描く雪景色はまったく寒さを感じません。雪が綿のようにふわりと描かれています。花を描いた作品も、やわらかいフェルト生地で作られた「アップリケ」のように見えます」と書きました。「献花」と共通していますが、「捧げもの」というソフトな肌触りの「花」の傑作もあるんですね。






「住友グループ秘蔵名画展―花―」

泉屋博古館は、住友家の蒐集した美術作品の保存、研究、展示を目的とする美術館として昭和35年に京都に開設され、さらに平成14年には、六本木に泉屋博古館分館を設置し、東西において美術館活動を行ってまいりました。また住友グループの文化的象徴、文化発信の場としての面でも大きな役割を担ってまいりました。本展覧会は、その住友グループ各社が所蔵する名画、それらは、普段、公開される機会が稀な作品ですが、洋画における静物画―花―、日本画の花鳥画をモティーフとした視点から作品を選択し、構成されたもので、企業によるメセナの一形態といえましょう。出品される画家は、洋画家としては、明治・大正期の巨匠、黒田清輝、明治・大正・昭和戦前期の巨匠、和田英作、昭和戦後期に梅原・安井時代を築いた梅原龍三郎、安井曾太郎、知り際の叙情画家、岡鹿之助ら、日本画家としては、新古典主義の安田靫彦、前田青邨、青龍社創設の風雲児、川端龍子、鬼才と呼ぶのがふさわしい速水御舟、戦後の日本画壇をリードした理知的な杉山寧らが挙げられます。拝見することの少ない作品ゆえに「秘密の花園」を垣間見るような展観と申せましょうか。皆さまのご静鑑をお待ちしております。


「泉屋博古館分館」ホームページ


過去の関連事:

泉屋博古館で「吉祥のかたち」を観た!
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泉屋博古館分館で「近代日本洋画の魅惑の女性像」を観た!
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町田市立国際版画美術館で「空想の建築―ピラネージから野又穫―展」を観た!

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町田市立国際版画美術館で「空想の建築―ピラネージから野又穫―展」を観てきました。観に行ったのは4月13日(土)、展覧会開催初日で、なぜか入場料は「無料」でした。


もちろん、「空想の建築」といえばピラネージ、僕がピラネージの作品を、初めて纏まって観たのは、町田市立国際版画美術館での「ピラネージ版画展2008」でした。その時は感動のあまり、ピラネージの版画と、僕が観たローマの風景とを重ね合わせて、ブログに載せた記憶があります。建築の世界ではピラネージの名前はよく聞きますが、町田での「版画展」と、その時の図録ほど、ピラネージの全貌を紹介しているものは他にありません。西洋美術館で「牢獄」だけを取り上げた版画展を観た記憶がありますが・・・。そんなこともあってか、アセテートで刊行していた「ピラネージ建築論 対話」(2004年10月31日発行)を手に入れて、一度は読んだのですが、まだブログには書いていません。国立西洋美術館で開催された「ユベール・ロベール―時間の庭―」で分かったことは、ピラネージがユベール・ロベールのイタリアでの師だったことです。


ピラネージの描いたエッチングはローマを訪れた旅行者の手に渡ってヨーロッパ中に広まり、古代ローマやギリシャについて人々がそれまでもっていた観方を、すっかり変えてしまった。ピラネージの描いた古代建築は、それまでの明るく澄み切った均衡のとれた世界ではなく、暗く、逆巻く、崩壊していく世界であった。美は、ここにおいては、心安らぐ、きれいなものではなく、むしろ、恐ろしいもの、曖昧なものとして提示される。・・・ジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージ(1720-78)は、ヴェネチアに生まれ、ローマで仕事をした建築家であった。しかし彼が実際に建てることのできた建物は、マルタの騎士団のためのローマの教会、サンタ・マリア・プリオラートのみであった。ピラネージの想像力は、むしろドローイングそのものの中で爆発した。図面は建築を実現するための手段ではなく、図面そのものが建築となったのである。(香山壽夫著「建築家のドローイング」より)


ピラネージの他に、建築のドローイングとしてよく出てくるのはルドゥー、ソーン、シンケルです。この3人の略歴を以下に載せておきます。(香山壽夫著「建築家のドローイング」より)


クロード・ニコラ・ルドゥー(1736-1806)は、フランス革命の時代を生きた建築家で、貧しく生まれた彼は銅版画家として出発した。この技術が晩年自らの作品をまとめた図版集「芸術、習慣そして法律との関連で構想された建築」(初版1804、増補版1847)において実を結んだ。しかし彼の建築は余りにも革新的なものであり、依頼された建築も実現されずに終わることが多かった。ルドゥーは、ギリシャ・ローマの古典建築を愛し、ルネサンスの建築家パラディオを尊敬した古典主義者であり、しかし、モダニズムの先駆けでもあった。


サー・ジョン・ソーン(1753-1837)は、イギリスの生んだ最も独創的な建築家であり、イギリス新古典主義の建築家である。彼もイタリアへ旅し、1780年にロンドンへ戻って、実務を開始した。彼の生涯をかけた壮大な仕事は、1788年に始まるイングランド銀行の設計である。複雑な要求に基づく大小の空間を、古典的な軸構成による手法を自由に駆使して解決し、また意匠的には幾何学的に単純化した古典様式によって、ロマンチックで変化に富む空間を生み出した。


カール・フリードリヒ・シンケル(1781-1841)は、ドイツ19世紀の最大の建築家であり、プロイセンに生まれ、プロイセンにおいて作品を残した。今日、ベルリンの中心地区を構成しているシャオシュピールハウス(音楽堂)やアルテス・ムゼウム(美術館)といった記念的な建築は、1816年から30年にかけてシンケルの設計によって出来上がったものである。いずれも厳格な古典抄紙機、特にギリシャ様式に従っている。力強く、格調高い衣装は、民族の統一を目指し、誇りに満ちた国家の精神を高らかに示すものであった。


朝日新聞日曜朝刊に「ザ・コラム」という論説があり、そこに書かれている絵が妙に建築的で、この人はどんな人だろうと、以前から注目していました。それが野又穫ということはつい最近知りました。今回、「空想の建築」の他に、関連企画として野又穫ドローイング展「ELEMENTS-あちら、こちら、かけら」が開催されていました。そこでは野又ワールドの原型とも呼ぶべきドローイング約80点が展示されていました。これは約2年にわたって朝日新聞の挿絵として掲載されていたものの原画展でした。野又穫は1955年生まれ、東京芸術大学美術学部形成デザイン科を卒業後、1986年に初の個展を開催し、現在まで一貫して空想の構造物を描いてきました。


最終章、Ⅴ.逍遙せよ、空想建築の森を、では、野又穫が1980年代から最新作であるピラネージへのオマージュ三連作までを含む35点の作品が展示されています。


展覧会の構成は、以下の通りです。


Ⅰ.空想の古代 Part1 エジプトへの憧憬
Ⅱ.脳内に構築せよ、空想の伽藍を コイズミアヤ(1971-)
Ⅲ.空想の建築―その系譜―紙上の建築家たち
 1.ルネサンスからバロック、そして近代へ
 2.物語を紡ぎだす幻想の建築
 3.幻影の建築劇場
 4.近代都市の幻想―魔都出現
Ⅳ.空想の古代 Part2 ピラネージの見た夢―壮麗なローマ
Ⅴ.逍遙せよ、空想建築の森を 野又 穫(1955-)



Ⅰ.空想の古代 Part1 エジプトへの憧憬




<ピラミッド幻想> 阿部浩(1946-)



Ⅱ.脳内に構築せよ、空想の伽藍を コイズミアヤ(1971-)



Ⅲ.空想の建築―その系譜―紙上の建築家たち
 1.ルネサンスからバロック、そして近代へ



 2.物語を紡ぎだす幻想の建築


 3.幻影の建築劇場


 4.近代都市の幻想―魔都出現


Ⅳ.空想の古代 Part2 ピラネージの見た夢―壮麗なローマ



Ⅴ.逍遙せよ、空想建築の森を 野又 穫(1955-)



「空想の建築―ピラネージから野又穫―展」
この世にはない建築を空想すること、それは私たちが今、存在している世界とは別の世界を空想し、その世界に形をあたえることかもしれません。だとすれば空想の建築群は、人間のイマジネーションと創造力を駆使して生み出されるもうひとつの世界、<アナザーワールド>への入り口ともいえるでしょう。本展ではヨーロッパの古い版画から現代美術へ、時空をも飛び越える<空想の建築群>を展示し、世界を空想の建築というかたちで目に見えるものにしようとした人々の系譜をご紹介します。絵画、立体、版画 … さまざまなかたちで人は現実には存在しない建築を創造してきました。本展では、遥か古代ローマに思いを馳せ、その空想的復元を版画として結実させたジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージや、壮麗なバロック的空間を描いた<紙上>の建築家たち、考古学的調査と想像力を駆使して古代エジプトの建造物を描いた18 世紀末の絵師たち、そして今まさに創作活動を展開している現代の美術家までをとりあげます。それにより、空想によって構築された建造物の面白さ、美しさを探ります。世界を空想の建築というかたちで目に見えるものにしようとした人々の系譜が浮かび上がることでしょう。昨年25 周年を迎えた国際版画美術館が、新たな飛躍をめざしてスタートを切る2013 年春、この展覧会は版画のみならず、絵画や立体、書籍など、変化に富んださまざまなタイプの作品によって、見る者を遥かな世界へと誘うことをめざします。ヨーロッパの古い版画から現代美術まではばひろく<空想の建築群>を渉猟する得がたい機会となるにちがいありません。また本展開催にあわせ、特別展示として、出品作家の一人である野又穫(のまた・みのる)のドローイング展『ELEMENTS-あちら、こちら、かけら』を開催いたします。あわせて、ぜひご観覧ください。


「町田市立国際版画美術館」ホームページ


とんとん・にっき-pi1 「ピラネージ版画展2008―未知なる都市の彼方へ―」

企画構成:

佐川美智子(町田市立国際版画美術館)

新田建史(静岡県立美術館)

編集:

町田市立国際版画美術館

発行:

2008年10月4日

町田市立国際版画美術館

とんとん・にっき-pira13 「ピラネージ建築論 対話」

発行日:2004年10月31日発行
著者:G・B・ピラネージ

訳者:横手義洋

校閲者:岡田哲史

編集:中谷礼仁、北浦千尋

発行者:中谷礼仁

発行所:編集出版組織体・アセテート






とんとん・にっき-pira14 「建築家のドローイング」

1994年11月21日初版

著者:香山壽夫
発行所:東京大学出版会











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メル・ギブソン監督の「パッション」を(再び)観た!

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この映画を再び観るきっかけとなったのは、岡田温司の「マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女」(中公新書:2005年1月25日初版)を読んだから、ということは、なんどかこのブログで書いてきました。岡田はその本の最後、「おわりに―生き続けるマグダラ」に、以下のように書いています。


マグダラのマリアは不死身である。最近もわたしたちは、評判となり物議もかもした3本の映画のなかで、三様の「マグダラ」に出会ったところだ。メル・ギブソン監督の「パッション」(2004年)、ピーター・ミュラン監督の「マグダレンの祈り」(2002年)、そしてジュゼッペ・トルナトーレ監督の「マレーナ」(2000年)である。最初のものは、文字どおりの受難劇。二番目のものは、アイルランドに実際にあった女子更正施設、マグダレン修道院での実話にもとずく現代の悲惨な「悔悛」の話。そして最後は、第二次世界大戦で夫をセンチに送ったシチリアの美しい女性マレーナ(マッダレーナの愛称)が「娼婦」呼ばわりされるようになる顛末を描いた作品である。ちなみに、ここでマレーナを演じた女優モニカ・ベッルッチはまた、「パッション」でマグダラ役に扮している。


岡田温司の本を読んだ時点で、この3本の映画は観ていました。しかし、このような「マグダラ」つながりがあったことはまったく知りませんでした。もちろん「パッション」にモニカ・ベルッチが出ていたことも気がつきませんでした。話は突然変わりますが、このブログの「アクセス解析」でここ半年の間高い数値を示しているのが、モニカ・ベルッチ主演の「ダニエラという女」(2005年)です。いずれにせよ、「マグダラのマリア」を読んだときに、この3本の映画を再び観てみようと思ったわけです。そんなわけで、「マレーナ」を観て、「マグダレンの祈り」を観て、最後に残ったのが「パッション」でした。もちろん、モニカ・ベルッチねらいで・・・。


キリストの受難劇といえば、古くは「ジーザス・クライスト・スーパースター」(1973年)という映画がありました。絵画の分野でキリストの受難劇を描いた作品は枚挙にいとまがありません。僕はトレド大聖堂でエル・グレコの「聖衣剥奪」を、アントワープ大聖堂でルーベンスの「十字架降下」を観ることができました。もちろん、この二つの祭壇画にはキリストとともに、マグダラのマリアが描かれています。


メル・ギブソン監督の「パッション」(2004年:アメリカ映画)の原題は「The Passion of the Christ」は「キリストの受難」というほどの意味です。新約聖書で知られる、イエス・キリストの受難と磔刑を福音書に忠実に描いています。12年の構想を費やし、私財を投じて撮り上げた壮大な宗教映画として、当時、大きな話題になりました。また、出演者全員のセリフが全編アラム語とラテン語だったこと、イエスへの拷問場面はあまりにも凄惨で物議をかもしました。


いまこの映画を観直してみると、大司祭カイアファもローマ帝国総督ピラトも、自身の保身だけが大事で、物事を先送りする小役人根性丸出しの官僚としかみえないのはなぜでしょうか。モニカ・ベルッチ、控えめな演技ですが、さすがは“イタリアの宝石”だけあって素晴らしい!最近、「昼下がり、ローマの恋」という映画も観ましたが、ロバート・デ・ニーロとのからみ、いいですね。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:世界中で大論争を巻き起こす一方、全米初登場第1位の大ヒットを記録した衝撃作。『ブレイブハート』のオスカー監督メル・ギブソンが私財2500万ドル、構想12年を費やし、イエス・キリストの最後の12時間と復活を描く。主人公イエス・キリストを演じるのは『ハイ・クライムズ』のジム・カヴィーゼル。マグダラのマリア役には『マトリックス レボリューションズ』のモニカ・ベルッチがあたっている。あまりにも残酷な拷問シーンの先に控える監督メル・ギブソンの熱きメッセージに注目。

ストーリー:紀元1世紀のエルサレム。十二使徒の1人であるユダ(ルカ・リオネッロ)の裏切りによって大司祭カイアファ(マッティア・スブラージア)の兵に捕らえられたイエス(ジム・カヴィーゼル)は、救世主を主張する冒涜者として拷問され始める。


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トルナトーレ監督、モニカ・ベルッチ主演の「マレーナ」を(再び)観た!
「マグダラのマリア」を読む!

メル・ギブソンの「パッション」

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東京藝術大学大学美術館で「藝大コレクション展―春の名品選」を観た!

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東京藝術大学大学美術館で「藝大コレクション展―春の名品選」を観てきました。実はここでは載せていませんが、今回の目玉は「絵因果経」(国宝)という紙本着色の天平時代作品です。


「過去現在因果経」は、釈迦の過去世の善行と現世での事跡(仏伝)を記し、過去世の菩薩行は決して摩滅することなく果となって、現在に及ぶことを説いた仏伝経典のひとつであり、5世紀に漢訳された。下段にこの経文を書写し、上段には物語に対応する絵を加えて全8巻に仕立てたものを「絵因果経」と呼ぶ。この形式は中国で生まれ、日本では天平時代後期に写経所で盛んに書写された。藝大本は、この経の最後、迦葉三兄弟をはじめ、婆羅門を弟子としていく部分に当たる。・・・黄麻紙に塗られた朱や丹、緑青、群青など、良質で彩度の高い顔料の鮮やかさが、明治23年に本巻に接したフェノロサ、岡倉天心らを感嘆させている。開校にあたって購入された、本学最初期のコレクションである。


以上は、平成21年7月に発行された「コレクションの誕生、成長、変容―藝大美術館蔵品選―」の図録の作品解説から引用したものです。東京藝術大学大学美術館は、文部省のユニヴァーシティ・ミュージアム構想の一環として、藝述・美術資料に特化した大学博物館として1999年10月4日に開館しました。教育研究機関としての大学美術館という立場から、派手な展覧会は行わず、春には地味ながら学術的な企画展を開催し、秋には実験的な企画を行ってきました。今回は春ということで、「春の名品選」が開催されたというわけです。今回は多くを語る必要はほとんどありません。下に挙げた主要な作品を観てください。


東京藝術大学の前身である東京美術学校は、明治22年の開校に先立ってコレクションの収集を開始しました。以来120年余りにわたって収集されてきた作品は、28,500件以上にのぼります。本展覧会ではその中から、日本画・西洋画・彫刻・工芸の主要作品を公開いたします。また特集展示として、二つの観点からコレクションをご紹介します。


展覧会の構成は、以下の通りです。


日本画

西洋画

彫刻

工芸

特別展示1 都市を描く―移りゆく東京と画家

特別展示2 修復記念小磯良平「彼の休息」



日本画




西洋画




彫刻



工芸



特別展示1 都市を描く―移りゆく東京と画家

文明開化以来、東京はその姿を大きく変えてゆきます。都市は人力車、鉄橋、煙突、電線、電車など新たなものであふれ、人々は洋服を着て街に繰り出します。画家たちはそうした新しい都市の姿にしばしば絵画のモチーフを求めました。この特集では、明治から昭和にかけて姿を変えてゆく都市とそこに生活する人々を、同時代の画家たちの目を通して追います。



特別展示2 修復記念小磯良平「彼の休息」

昭和を代表する洋画家のひとり小磯良平は、昭和2年に本学の西洋画科を卒業し、昭和28年から46年まで本学の教授を務めました。平成24年度に修復を終えた小磯の卒業制作《彼の休息》を、彼の《自画像》とあわせて公開します。


「藝大コレクション展―春の名品選」

東京藝術大学の前身である東京美術学校は、明治22年の開校に先立ってコレクションの収集を開始しました。以来120年余りにわたって収集されてきた作品は、28,500件以上にのぼります。本展覧会ではその中から、日本画・西洋画・彫刻・工芸の主要作品を公開いたします。また特集展示として、二つの観点からコレクションをご紹介します。


「東京藝術大学大学美術館」ホームページ


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大倉集古館で「大倉コレクションの精華Ⅰ―中世・近世の絵画―」を観た!

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大倉集古館で「大倉コレクションの精華Ⅰ―中世・近世の絵画―」を観てきました。大倉集古館は大倉喜八郎(1837-1928)が創立した日本で最初の私立美術館です。所蔵品は日本をはじめ東洋各地域の絵画、彫刻、書籍、工芸など広範にわたり、「普賢菩薩騎象像」(平安時代)、「随身庭騎絵巻」(鎌倉時代)、「古今和歌集序」(平安時代)の国宝3件、13件の重要文化財及び44件の重要美術品をはじめとする美術品約2500件を保管しています。


今回の展覧会は大倉集古館の、いわゆる「館蔵品展」です。8月からは「大倉コレクションの精華Ⅱ―近代日本画名品選―」が、また来年の1月からは「大倉コレクションの精華Ⅲ―工芸品物語 美と技が語るもの―」と続きます。








「大倉コレクションの精華Ⅰ―中世・近世の絵画―」

大倉集古館の所蔵品の内、日本の中世から近世の絵画を中心に展観いたします。仏画、狩野派、琳派、文人画など、多岐にわたる分野から、コレクションを代表する名品の数々をご紹介いたします。また、期間中には国宝「随身庭騎絵巻」(鎌倉時代)を特別公開いたします。


「大倉集古館」ホームページ


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本谷有希子の「自分を好きになる方法」を読んだ!

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群像5月号で、本谷有希子の「自分を好きになる方法」を読みました。群像5月号を購入したのは、「第7回大江健三郎賞発表」と大江さんによる「選評」が掲載されていたからです。本谷有希子の「嵐のピクニック」が今回の「大江賞」の受賞作でした。大江さんは、「奇妙な味」は文学たりうるか―本谷有希子の冒険、というタイトルで「選評」を書いていました。その発表が載っている群像5月号のトップに本谷有希子の「自分を好きになる方法」が載っていました。目次には「一挙掲載250枚」、「幾つもの後悔を抱え、今日もまた眠る―。女の一生を“6日間”で鮮やかに切り取る飛躍作」とあります。


「大江賞」を受賞した「嵐のピクニック」は2012年6月刊ですから、本谷有希子にとっては「自分を好きになる方法」はほぼ1年ぶりの新作となるようです。上にもあるように「女の一生を“6日間”で切り取る」というものです。6日間、というのは、主人公はリンデ、16歳のリンデ、28歳のリンデ、34歳のリンデ、47歳のリンデ、3歳のリンデ、63歳のリンデ、それぞれの一日を描いています。もちろん短編集「嵐のピクニック」とは内容は大きく違いますが、「自分を好きになる方法」の方がどちらかといえば分かりやすい小説です。大江さんの言う「奇妙な味」は残しつつは、リンデを中心にした異なる年代の6つの短編集とも読み取れます。それぞれの間を埋めれば、「女の一生」という大河小説にもなり得る話です。


「16歳のリンデとスコアボード」。リンデがカウンターの前で悩んでいると、後からやって来たカタリナとモモが、黒いボーリングシューズを受け取り、「16レーンだからね」という。リンデは、二人にいつもと様子が違うと気づかれていないか心配する。明日だけ別のグループでお弁当を食べたいんだけで、そう言えばいいだけなのに。ニッキたちに誘われたから、一度だけ顔を出してみようというだけなのに。家に帰った後、リンデはカタリナとモモに手紙を書きます。「まだ出会っていないだけで、もっといい誰かがいるはず。お互い心から一緒にいたいと思える相手が、必ずいるはず。私たちは、その相手をあきらめずに探すべき」。


「28歳のリンデとワンピース」。車で40分のところにあるダイナーに予約した、と彼はドライヤーで髪を乾かしながら言った。「旅の最終日なのに、ダイナーでいいの?」というリンデの質問の意味をよく理解できないらしく、「最終日なのに、ダイナーじゃ嫌だってこと」とあらためて訊き返します。リンデには今朝ベッドで目覚めたときから、もしかしたら今夜彼からプロポーズされるかもしれないという予感があった。だから、きちんとした郭公で食事に生きたかった。それだけだった。この旅でリンデは、何がきっかけになって彼の機嫌を損ねてしまうか分からないということを嫌というほど思い知ります。それまでは何を言っても愉しそうに笑っているぶん、ほんとうにたちが悪い。リンデは、帰ってきたら今晩中に、私たちが付き合っていくのはもう無理だと言おうと思っていた。


「34歳のリンデと結婚記念日」。狭いダイナーは、ぎっしりと人で混み合っていた。飲み物が来ると夫は、「なんだかんだいろいろあったけど? 振り返ってみると、お互い悪くなかった結婚生活だと思います。それにこうやって、念願のダイナーにもやっと来れたし・・・」と述べた。「初めて二人でこの島に来た旅行の帰りの飛行機で、あなたはけんかのことなんかきれいさっぱり忘れて上機嫌だった。私は・・・気持ちが切り替えられなくて・・・。もともと私たちは逆の感じ方をする人間なのよ」、その言葉を聞いて夫は「ここで、そんな昔のことをまた蒸し返すの?」と言った。・・・夫が手を差し出した。リンデはその手を握ったが、この日から、指を絡めることは二度となかった。


「47歳のリンデと百年の感覚」。一つ歳下の妹エナは、今年で46、実家にいる頃は、台所に立つことさえなかったのに、それが今や旦那にお弁当を持たせ、家計簿を一日も書かさずきっちり付けている。結婚する相手によってこんなにも変わるのね、と母親は電話でしみじみ言うが、ほんと、結婚した相手によるわよね、とリンデは必ず答えることにしています。「姉さんがお菓子作りだなんて驚きだね」とエマは言う。「まあ、人はいろいろ変わるのよ」と言うと、「離婚してからのほうがすごくバイタリティがあるっていうか、“自分の人生を楽しんでます!”って感じがするわね」とエマは言う。「私、ほんとうに姉さんみたいな性格に生まれたかったって思うことがあるわ。姉さんって、どうしてそんなに前向きなの。昔からそんな性格だった?」、「簡単よ。ぜんぶ自分が決め手選択したことだって思えばいいの。人の精にしない。それだけ!」。ジュネーだか、ジャネーの法則は正しい。歳を取るほど一年がどんどん短くなって、今じゃ六ヶ月ごとにクリスマス会をしているような気分だ。リンデは、また少しだけ考えた。明日、目が覚めたときに百年経ってしまっているのも悪くない。それから、うとうとしかけた。


「3歳のリンデとシューベルト」。リンデの体の中に、大きく飛び出している“ガンボクロ”があります。このホクロを見せたとき、ばあばが驚いてくれて、リンデは嬉しかった。リンデの名前はこの歌に出てくる木から取ったんだよ、とばあばは教えてくれた。ばあばがうたた寝をするときに、いつも聴いている歌。シューベルトのぼだいじゅ(リンデンバウム)。リンデの樹。「リンちゃん」という先生の声に、ガンボクロをいじり続けていたリンデは指を離し、目を閉じて寝たふりをした。「ホクロ、触っちゃ駄目って約束したよね?」。「泣けばいいと思ってるんでしょ。分かってるよ、リンちゃん。嘘ついて、泣いてごまかすなんて、いちばんやっちゃいけないことだよ」と先生は言う。リンデは顔を真っ赤にしながら「うそついてない!」と泣きじゃくって、手で何度も床を叩きます。


「63歳のリンデとドレッシング」。85歳の母からサラダのドレッシングを宅配便で送ったと書かれたメールを受け取ります。玄関のチャイムが鳴っているのに、リンデは布団から出られない。ドアの向こうの配達人は、諦めて不在連絡票を取り出しています。朝食を済ませたリンデは、今日は何をしようかと呟く。テーブルの上にあったメモ帳に“今日やりたいこと”、とボールペンでタイトルを書いた。①再配達センターに電話する。それから、銀行に逝く、歯ブラシを替える、カウチンセーターの穴をリフォーム屋で直してもらう、便利屋に段ボールを回収してもらう日取りを決める、割れた急須の蓋を接着剤でくっつける、等々。「もしもし? 再配達をお願いした者ですが」・・・。


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根津神社つつじまつり2013

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根津神社名物のつつじ、以前書いたブログを読み直してみると「文京つつじまつり」なってましたが、今年いただいたパンフレットには「根津神社つつじまつり」となっていました。「文京区」のホームページを見ると、やはり「文京つつじまつり」となっていました。「第44回」は同じです。まあ、どちらでもいい話ですけど・・・。それはさておき、今朝の朝日新聞の「天声人語」(2013.4.20)には以下のようにありました。


いい頃合いと聞いて、東京と文京区の根津神社につつじを見に行った。境内の一角、2000坪のつつじ苑に実に100種類、3000株が咲き競っている。下から見上げたときはそれほどでもないが、丘に上がって全容を見下ろしてみると壮観である。早咲き、中咲き、遅咲きの別があり、場所によって見栄えが変化する。200円を寄進して苑内に入るのと入らないのとでは随分違うと納得した。



この記事を見たからというわけではなく、今日はいつもの仲間たちと「谷中街歩き」をする日だったので、少し早く出て、根津神社のつつじを見てきたというわけです。さて、上に載せた「江戸名所図会」に表された200年ほど前の境内図(部分)の解説があったので以下に載せておきます。


図中左上の辺りがつつじが岡です。社殿・楼門など7棟の建物は現在もそのまま残り、国の重要文化財に指定されています。図中央の池は弁天の池と呼ばれ、当時は馬蹄形をしており、今の池はその西半分に当たります。下の道路は現在の不忍通りで、根津駅交差点寄りに在った一の鳥居が描かれています。左下の交差している水路のある道は今の言問通りで、橋は藍染橋と呼ばれていました。皮とはしがなくなっても、昔を知る人は今の根津駅前交差点を「藍染橋」と呼んでいました。


根津神社の「重要文化財」に指定されている建物を、以下に載せておきます。

・楼門:宝永3年建立。江戸の神社の楼門で残っているのはここだけ。中のズイジンさんの向かって右側は昔、水戸の黄門さんだといわれていた。

・唐門:両妻側に唐破風のあるこの形式を平唐門という。

・西門:棟門という形式の門。2本脚のシンプルな形だが、構造上強度不足なため、その割に残っていない。

・社殿:宝永3年(1706)5代将軍徳川綱吉が奉納した権現造りの手本のような建物。お参りする時眼の前にあるのが「拝殿」、一番奥の一段高い建物が神さまのお住まいの「本殿」、両方をつなぐ中間の所を「弊殿」といい、この三つひと続きの形式を「権現造り」という。

・透塀(唐門東方、唐門西門間、西門北方):社殿の周囲をぐるりと囲んでいる塀。300年経つのに全長200m全然狂いがない。最近の調査で内側全体、地中8mの深さまで基礎工事がしてあることが判った。





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「文京つつじまつり」ホームページ


過去の関連記事:

根津神社の「文京つつじまつり」に行った!


ディープな谷中の街歩き

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谷中には僕はもう何度も行っています。1994年7月には、学生時代から谷中に住み、さまざまなまちづくり活動をしていた「谷中学校」の手嶋尚人さんの案内で、谷中界隈をくまなく案内していただいたことがありました。また、朝倉彫塑館には何度か訪れたこともあります。朝倉彫塑館の前の、薬膳カレー「じねんじょ」でカレーを食べたときには、「谷中ぎんざ商店街」について以下のように書きました。


(カレーを食べた後)帰りは、これも久しぶり、「ひぐらしの里・谷中ぎんざ商店街」から、「よみせ通り」を通って、東京メトロ「千駄木駅」に出ました。御殿坂を「谷中ぎんざ商店街」の方に歩くと、10数段の降りる階段があります。「夕焼けだんだん」と名付けたのは「谷根千」の森まゆみです。「谷中ぎんざ」では、かりんとうを買い、お煎餅の欠けた九助を買い、天ぷらやひじきなどのお総菜を買い、谷中の名物メンチカツを買って、歩きながら食べました。しっかりと地元に根づいた商店街ですね。


今回の「ディープな谷中街歩き」、根津神社のつつじまつりを見た後、根津から千駄木まで一駅、東京メトロに乗って、仲間の昔からの行きつけのステーキ屋「鉄平」の隣にある「児童公園」に午後2時集合、雨が降ったり止んだりの中、老若男女15名が「谷中街歩き」参加しました。案内人は長年谷中にお住まいだった地域プランナーの西河哲也さん。西河さんは来月から故郷の広島・生口島に戻り、地域プランナーの仕事を続けながら、両親の営んでいる農業の手助けもするそうです。案内のメールには「谷中町並保全のディープサイト」とありました。谷中を隅々まで知り尽くした西河さん、落ち着いた雰囲気でわかりやすい解説、ありがとうございました。





















過去の関連記事:

根津神社つつじまつり2013
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薬膳カレーじねんじょ 谷中本店
根津神社の「文京つつじまつり」に行った!
朝倉彫塑館とその建物について

府中市美術館で「かわいい江戸絵画」(後期)を観た!

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府中市美術館で「かわいい江戸絵画」(後期)を観てきました。府中の森公園の桜並木も、目にも鮮やかな新緑に変わっていました。季節の移り変わりは早い。特に桜の季節をまたいだ春は駆け足で変化します。


江戸時代後半、およそ18世紀半ばから19世紀前半にかけて、「かわいい絵」は爆発的な隆盛をみせる。円山応挙や長沢蘆雪、伊藤若冲、曾我簫白、さらには池大雅や与謝蕪村ら文人画家たちも交えて個性を競った。日本絵画の絢爛の時代にも重なっている。(「かわいい絵」の時代―江戸時代の後半)


今回、目についたのは「東東洋」という画家、「姓・氏が東で、名・通称が洋だが、慣例では東東洋と呼ばれている」と画家解説にあるが、ちょっとややこしい名前であることに変わりはありません。仙台の画家で、当時活躍していた円山応挙の影響を強く受け、「画風は、柔らかな線をいかした親しみやすいもので、特に鹿の絵で知られている」とあります。ここでは「月夜山鹿図」や「荘子夢蝶図」を載せましたが、前・後期で8点もの作品が取り上げられています。近年、仙台市博物館で展覧会が開催された時に、「ほのぼの絵画」という見事なキャッチフレーズで評されたという。彼はどんなものを描いても、「ほのぼの」「かわいい」感覚に変えてしまう画家であると、と図録では述べています。


博多の聖福寺で住持をつとめた仙厓が、その退任後の晩年に描かれたのが、今日たくさん知られている奔放な絵です。子供が好きだったと伝えられる仙厓ですが、子供の無垢なかわいらしさをストレートに表現したものの多い。絵の多くは禅の教えを普及するために描かれたものですが、極めて簡単で単純な線だけでみせる描写は、一瞬にして見る者を釘付けにします。ここでは、布袋が弥勒の出現を待ちくたびれた様子を描いた「あくび布袋図」を取り上げました。


また、追加作品として、伊藤若冲の「河豚と変えるの相撲図」(江戸時代中期)がありました。フグとカエルの相撲、あまりにマンガチックで、笑っちゃいます。が、しかし、これはあり得ないよ。ウサギやカエルの相撲を描いた絵はありますが、果たしてフグって、どうやって立つの?カエルがフグをだっこしているようにも見えますが、まあ、その辺がマンガチックなのでしょう。


展覧会の構成は、以下の通りです。


1.幕開け―「かわいい絵」はいつから始まった?

2.感情のさまざま―なぜ、かわいいのか?

 かわいそう/健気なもの/慈しみ/おかしさ/小さなもの、

 ぽつねんとしたもの /純真、無垢/微妙な領域

3.かわいい形―「かわいい」には原理がある?

 幾何学・省略・くりかえし/子供の形/つたなさの魅惑

 /素朴をめぐる目/絵本
4.花開く「かわいい江戸絵画」―かわいい絵の時代

 虎の悩ましさ/応挙の子犬、国芳の猫/かわいい名画選



1.幕開け―「かわいい絵」はいつから始まった?


2.感情のさまざま―なぜ、かわいいのか?




3.かわいい形―「かわいい」には原理がある?



4.花開く「かわいい江戸絵画」―かわいい絵の時代





「かわいい江戸絵画」

日本絵画史上、「かわいらしさ」が作品の重要なポイントとして打ち出されるようになったのは、およそ江戸時代のことではないでしょうか。円山応挙は、地面を転がるように駆け回る子犬たちの絵を確立し、歌川国芳は、愛らしくもややこしい猫の魅力を引き出しました。禅僧仙厓は、難解な禅の教えを、思わずほほ笑んでしまうような子供や動物の姿に託しています。また、かわいらしい題材を描いたものだけではなく、たとえば、文人画の山水や人物にも、見る者の心を和やかにしてくれるものがあります。はかないもの、頼りないものへの共感や愛惜が、あえて素朴に描かれた線や形そのものに対して湧き上がるのかもしれません。はかないものや可憐なものに寄せる思いや慈しむ気持ち、あるいはユーモラスに感じることなど、私たちが「かわいい」という言葉で表すことのできる感情は、実にさまざまです。江戸時代の人々は、そんな豊かな心の動きを絵に表し、絵を通じて楽しみました。また、「かわいい絵」が盛んに楽しまれた背景の一つには、かわいいものを「それらしく」表現する方法が確立されたことがあるでしょう。幼い子供や子犬は、時代を問わず「かわいいもの」だったはずですが、古代や中世の絵に、私たちの目から見て、かわいらしいと思えるようなものは、あまり見当たりません。つまり、「かわいいもの」と「絵としての表現」は別だと考えればよさそうです。現代人を魅了してやまない子供や子犬の絵を描いた応挙や長沢蘆雪。「写生」の画家と言われる彼らですが、ただカメラで撮影するように対象を写しただけで、かわいいと感じる絵ができ上がるでしょうか。彼らは、かわいいものを「かわいい形」として描く術を模索し、確立したのだと言えるでしょう。かえりみれば、造形が立派かどうか、精神の高邁さといった観点から語られてきた美術の歴史の上で、「かわいい」という言葉が使われることは殆どなかったように見受けられます。このたびの展覧会では、近年ちまたで注目を浴びているこの言葉をあえてキーワードとして、これまで見落とされてきた江戸絵画の魅力の根幹に迫ります。

「府中市美術館」ホームページ


とんとん・にっき-fu1 「かわいい江戸絵画」
展覧会企画担当:
金子信久/音ゆみ子

編集:府中市美術館

発行日:平成25年3月9日

発行:府中市美術館








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府中市美術館で「山紫水明の彩墨画家 宮本和郎展」を観た!

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「かわいい江戸絵画」の後期を観ようと府中市美術館へ行きました。いつも入る正面玄関ではなく、なぜかカフェのある裏口の方から入りました。カフェとは反対側、受付や売店のある方へと歩き出したところ、市民ギャラリーでの催し物が目に入りました。「山紫水明の彩墨画家」とありました。いわゆる水墨画と違って、会場が妙にカラフルで明るい。これは「江戸絵画」を観た帰りに必ず寄ろうと思いました。


「かわいい江戸絵画」の会場に入ったら直ぐに、若い女の人が近寄ってきました。そうなんです、家人の姉の娘、つまりは姪っ子というわけです。結婚はしているのですが、若い頃からもう10数年、府中市美術館で監視員のアルバイトを続けているようです。以前映画「クリムト」を観た時に、以下のように書きました。


そうそう、クリムトの「パラス・アテネ」が来るというので、府中市美術館へ観に行ったときのことを思い出しました。なんという展覧会だったのか覚えていませんが、この「パラス・アテネ」だけは他の展示物に比べて一つだけ異質に見えた記憶があります。比較的すいていた館内で「パラス・アテネ」を観ていると、突然「おじさん」という声が後ろから聞こえて驚きました。府中に住んでいた家人の姉の娘、つまり姪が、美術館の監視員のアルバイトをしていたのでした。まさかそんな場所で会えるとは思っても見ませんでした。あとで調べてみたら、以下のような展覧会でした。「ウィーン、生活と美術 1873-1938(クリムト、シーレと黄金期のウィーン文化)」展(2001/03/30-04/22)


帰りがけにまた姪がまた近寄ってきて、1階の市民ギャラリーで水墨画の展覧会をやっているから是非見て行ってください、と言われました。それが。「山紫水明の彩墨画家 宮本和郎展」だったというわけです。「彩墨画」という墨と顔料を用いた独特の描法、しかも描く対象が、一般によくある水墨画とは異なります。のびのびとして明るい作品が多いようです。マッターホルンなど、スイスの山並を描いたかと思うと、一転、屋久島の切株を描いたりしています。そうかと思えば、甲州の山路にある民家を描いたりもしています。育ったばかりの筍を描いたり、使い込まれた背負い篭を細密画風に描いています。スケッチの状態で完成、という作品も多いようです。いわゆる日本画風の絵画は「藪椿図」1点のみだったように思います。


宮本和郎はある会合で、「日本画のたどってきた道と私の創作」と題して、以下のように述べています。


人間は自然とどう向きあって生きてゆけばよいのだろうか、そして美術はそれとどう関わってゆけばよいのだろう。いま、それが改めて問われている時だと思います。明治以後の日本の近代化は、地球の生命そのものを縮めようとしています。西欧の絵画が人物・風景・人物画と分類されてきたのに対し、日本、アジアでは人物・山水画・そして花鳥画と呼び分けてきました。花鳥画とは「厳しい自然条件の中で生を育むものと人間との一体化した姿だ」と思います。一部を残して鎖国政策をとった江戸時代は、さまざまな優れた文化を生みだしました。小さな窓(長崎の出島)から丸山応挙、渡辺崋山たちは、西欧の多くのものを吸収し、模倣ではない独自の世界を築きました。貧才にもかかわらず、私はその時点から視つめ直して描き続けようと思っています。(2012.3 宮本和郎)


宮本和郎:略歴

1936年、東京・日野市に生まれ、15歳より府中市に住む。東京藝術大学日本画科卒業。現在、日本美術家連盟、日本美術会、日本山林美術協会会員。公募展、グループ展に出品のほか、山形、群馬、東京、山梨、名古屋、大阪などで個展、企画展などを30数回。著書に画集「スイス・アルプス花の旅」「墨で描く基本」画文集「山里の彩譜」「四季の花」シリーズなど10冊。







「山紫水明の彩墨画家 宮本和郎展」

彩墨画という墨と顔料をもちいた独特の描法で、どこまでも澄みわたる山岳風景、瑞々しい野の花々を描くことで知られる在住作家宮本和郎氏の近作を展示します。宮本和郎さんは、武蔵野をはじめとして、甲州、日本アルプスそして遙かにスイス連山など、水・山・空・澄み切った自然の美を求めてきました。伝統的な水墨画の手法を守りながらも、色と墨線を惜しみながら描く彩墨画という手法を手がけられておられます。宮本さんが画題を選ぶのは、「切り花」ではなく、決まって「寝付き・泥付き」の植物、つまり生きたままの植物たちです。足下の小さきイノチたちにも宮本さんの優しい眼差しが向けられています。悠久の自然の中で、季節ごとのほんに一瞬に咲き乱れる小さき花々や果実、そして野菜たち。宮本さんは、描くべきテーマを「清らかな生命」とし、名もなき植物たちの中に確かな命のつらなりを見出し、優しい眼差しで描きつづけておられます。


府中市美術館」ホームページ


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須飼秀和・画「私だけのふるさと 作家たちの原風景」を読んだ!

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とんとん・にっき-sugai

「私だけのふるさと 作家たちの原風景」(2013年3月27日第1刷発行、編者:毎日新聞夕刊編集部、画:須飼秀和、岩波書店)を読みました。この本に収められた40篇の文章と挿絵は、もとは毎日新聞夕刊の連載企画「帰りたい 私だけのふるさと」(2012年4月~2012年6月、全205回)に掲載されたものです。2010年12月のこと、銀座のギャラリーゴトウでの東京での初めての個展「須飼秀和個展」で、僕は初めて懐かしいような、ほのぼのとした須飼くんの絵に接しました。


大きな桜の木を描いた表紙の絵、いいですね。須飼くんらしい絵です。連載開始から3年目の春、東日本大震災が起こり、父親が被災した知人が故郷の惨状を見て、それでも「春の来ない冬はない」という言葉を噛み締め、耐え忍ぶ決意をされたという話を聞いて、須飼くんは樹齢1000年を超える大きな山ザクラである岡山の醍醐桜を思い浮かべたという。「あとがき」には、以下のようにあります。


・・・まだ冬の色が残る中、凛と立ち尽くし可憐な花をまとった醍醐桜は、まさに「春の来ない冬はない」という言葉を体現していると思いました。本書の表紙とした絵は、震災によってふるさとの土地が深く傷つけられ、それでも力強く生きている被災者の方々のために、画家として少しでも何かしたいという気持ちで桜に会いに行き、描いたものです。(須飼秀和氏による本書「あとがき」より)


もちろん、40人の作家の文章も、短い文章の中にそれぞれの育った海や山、畑や、町の情景が滲み出ていて、なんとも言えず素晴らしい。あの作家が、こんな風に育ったのかと驚くことも多々ありました。ほとんどの人がその土地で育ったことで作家としての今がある、と語っています。その一人一人の作家にやさしく寄り添っているのが、須飼くんの郷愁の満ち溢れた絵です。


作家の語られた想い出に雰囲気の似た情景を探すため、下書きを描く前の情報収集に時間をかけることが多かったと、須飼くんは言います。須飼くんの絵は、雪国あり、森あり、山あり、川あり、畑あり、海あり、都会あり、祭あり、古里のさまざまな情景が描かれています。綺麗な絵の例として、下の2作品を載せておきます。



本のカバー裏には、以下のようにあります。

多彩な顔ぶれの作家40名が、自らの故郷への想いや、幼少時代のエピソード、その土地が書き手としての自分に与えた影響などを語った回想集。故郷を描く言葉は、消えることのない風景の鮮明な活写であると同時に、彼方に漂う儚い幻想のようでもある。須飼秀和によるカラー挿絵が、回想の余韻を深める。


須飼秀和:略歴
1977年8月,兵庫県明石市生まれ.画家.98年にバイクで西日本を回り,出会った人々の温かさや風景に触れ,郷愁をテーマに絵を描くようになる.2004年3月,京都造形芸術大学芸術学部 美術・工芸学科洋画コース卒業.同年12月,初個展をギャラリー島田で開催.〈主な作品〉「郷愁の風景」(スケッチ連載(全8回),神戸新聞明石版,04年8月),「やわらかな情景」(絵・文,神戸新聞夕刊,毎月第1土曜日掲載,06年4月~08年3月),『長崎南蛮文化のまちを歩こう』(表紙・挿絵,岩波ジュニア新書,06年11月),「帰りたい私だけのふるさと」(挿絵,毎日新聞夕刊,毎週木曜日掲載,08年4月~12年6月)〈主な個展〉「やわらかな情景」(06年8月,ギャラリー島田),「いつか見た蒼い空」(09年7月,明石市立文化博物館)


目次
穂村弘(北海道札幌市)
馳星周(北海道浦河町)
室井佑月(青森県八戸市)
佐高信(山形県酒田市)
西木正明(秋田県西木村(現・仙北市))
古川日出男(福島県郡山市)
阿刀田高(新潟県長岡市)
井波律子(富山県高岡市)
本谷有希子(石川県松任市(現・白山市))
薄井ゆうじ(茨城県土浦市)
道尾秀介(東京都北区)
海堂尊(千葉県千葉市)
角田光代(神奈川県横浜市)
柳美里(神奈川県横浜市)
夢枕獏(神奈川県小田原市)
林真理子(山梨県山梨市)
梓林太郎(長野県上郷村(現・飯田市))
池井戸潤(岐阜県八百津町)
堀江敏幸(岐阜県多治見市)
中村文則(愛知県東海市)
宮沢章夫(静岡県掛川市)
黒川創(京都府京都市)
池内紀(兵庫県姫路市)
辻原登(和歌山県印南町)
岩井志麻子(岡山県和気町)
田渕久美子(島根県益田市)
津原泰水(広島県広島市)
船戸与一(山口県下関市)
瀬戸内寂聴(徳島県徳島市)
鴻上尚史(愛媛県新居浜市)
山本一力(高知県高知市)
有川浩(高知県高知市)
北方謙三(佐賀県唐津市佐志)
安部龍太郎(福岡県黒木町(現・八女市))
内田麟太郎(福岡県大牟田市)
吉田修一(長崎県長崎市)
小山薫堂(熊本県天草市)
河野裕子(熊本県御船町)
楊  逸(中国・ハルビン市)
西加奈子(エジプト・カイロ市)
あとがき


過去の関連記事:
ギャラリーゴトウで「須飼秀和個展」を観た!


とんとん・にっき-sugai 「いつか見た蒼い空」

画・須飼秀和

発行日:2009年8月5日

発行者:長谷川一英

発行所:株式会社シーズ・プランニング

発売:株式会社星雲社

制作:有限会社シースペース





ニューオータニ美術館で「ジャパン・ビューティー 描かれた日本美人」を観た!

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ニューオータニ美術館で「ジャパン・ビューティー 描かれた日本美人」を観てきました。明治・大正期から昭和の戦前期までの近代日本画における日本女性の輝きを描いた「美人画」展です。この展覧会は、浮世絵のコレクターとして知られる中右瑛氏の主導で形成された「朝比奈文庫」から、これまで纏まった形では後悔されたことのない美人画コレクションが紹介されていました。


明治・大正期から昭和初期にかけて活躍した美人画の三大巨匠と謳われた上村松園、鏑木清方、伊東深水をはじめ、竹久夢二、山川秀峰、池田輝方、池田蕉園、栗原玉葉、北野恒富、寺島紫明、伊藤小坡、島成園、中村大三郎のほか、大正期のデカダンスを代表する岡本神草、甲斐庄楠音などを含む、画壇で実力を発揮した日本画家たちの妖艶優美な作品を観ることができました。


僕が一番に注目したのは増原宗一の「いれずみ」、背に龍と火炎の刺青のある長髪の裸女が、湯気たちのぼる浴室内で、浴槽に右手を伸ばしてもたれかかっている様を凄艶に描いた作品です。次に、山口八九子の「桜花を見る舞妓」、蝶に心を奪われたのか、丸顔の舞妓が口を開けたその表情は、どこか戯画的で洒脱です。桜のゴツゴツした樹木や、舞妓の着物や帯は色遣いも豊かで力強く、美しい。


今回の目玉は、チラシにもなっている栗原玉葉の「朝妻桜」でしょう。満開の桜を愛でながら、散りゆく花の儚さに自らの運命を重ねる吉原の遊女朝妻を可憐な立ち姿で描き、首にかけられたロザリオは、死への旅立ちを意味します。そしてもう一つ、島成園の「舞妓」です。成園は恒富の影響は色濃いが、、描く対象としての女性像に自らの姿を重ね合わせる作品を描くなど、女性自身がとらえる女性像の凄絶な表現を目指す点で、恒富の美人画よりも更に現実的な迫力と凄みを持っているかもしれない、と菊屋吉生はいう。


展覧会の構成は、以下の通りです。


第1章 雪月花

第2章 四季の風情

第3章 心の内と外~情念と装い

第4章 技芸と遊び



小林忠は「美しい近代日本女性の絵姿」と題して、図録の巻頭で以下のように述べています。


東京画壇であれば、歌川派系の浮世絵の流れにつながる鏑木清方とその門流、たとえば伊東深水、山川秀峰、小早川清や鳥居言人、あるいは清方と同じく水野年方門下の池田輝方とその妻池田蕉園には、同じ流れにつながる等質性と求めた美質の違いとを、併せて味わい分けることができるだろう。一方、京都画壇であれば、円山四条派の伝統を受け継いだ上品で温雅な上村松園や伊藤小坡と、その対極にあるような、祇園井特や三畠上龍にも淵源を曳くかと思われるデロとして妖艶な岡本神草や甲斐庄楠音などの女性表現に、大きく二分される。さらには大阪ならではの都会的で清澄な画風を開いた北野恒富を加えて、三都市それぞれの文化的風土を農耕に伝えた画家たちの活動ぶりが、興味深く受信できるに違いない。


また、多くの男性画家に対抗して、同性ならではの感覚と視覚で日本女性の美質を理想化して突き詰めようとした、女性画家の一群も活躍している。「閨秀美人画家の三園」とうたわれた上村松園、池田蕉園、島成園のほか、伊藤小坡や梶原緋佐子らの作風には、いずれも共通して、同性のかもし出す美しさへの親しみとあこがれとが宿されているように思われる。


また図録では、「日本画における美人画の変遷(明治・大正・昭和初期)」と題して、菊屋吉生の論文が載っており、作品と作家について詳細な検討を加えています。その中で菊屋は、今回の展覧会の特色は、これまでよく知られた美人画の巨匠の作品のほかに、むしろ今までよく知られていなかった作家の作品を多く取り上げていることだと述べています。いずれにせよ、これだけの作家とその作品を網羅した展覧会は初めてのことであり、その図録の出来栄えも見事なものです。


第1章 雪月花




第2章 四季の風情



第3章 心の内と外~情念と装い



第4章 技芸と遊び



知られざるプライベートコレクション

「ジャパン・ビューティー 描かれた日本美人」

美人、すなわち美しい女性を描くことは、日本美術の長い歴史における重要なテーマの一つです。 このジャンルで活躍した近代の日本画家たちは、技法や形式において伝統を継承しながらも革新的な表現を模索し、多様な人物表現を試みました。明治、大正、昭和初期に絶大な人気を博した「美人画」に注目し、三大巨匠と謳われる上村松園、鏑木清方、伊東深水の作品をはじめとする約80点を、前期・後期に分けて展観します。日本の四季、風俗、歴史、文学に着想を得た女性表現の多様性と、その姿に託された理想美をお楽しみください


「ニューオータニ美術館」ホームページ


とんとん・にっき-ootani1 知られざるプライベートコレクション

ジャパン・ビューティー

描かれた日本美人

図録

展覧会監修:菊屋吉生(山口大学教育学部教授)
編集:小川知子(大阪市立近代美術館建設準備室主任学芸員)

    南由紀子(アートシステム)

発行:アートシステム

2013年3月発行




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練馬区立美術館で「牧野邦夫―写実の神髄―展」を観た!

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練馬区立美術館で「牧野邦夫―写実の神髄―展」を観てきました。僕は今まで、まったく知らなかった画家です。そして、チラシやポスターから、もっと若い世代の画家だと思っていましたが、なんと1925年、大正末の生まれだというので驚きました。


レンブラントへの憧れを生涯持ちつづけたこと、日記などにはレンブラントを超えたいと、至る所に書き込んでいました。また、自画像が異常なほどに多いこと、牧野の描く青年は、みんな自画像になっているようです。「ナルシスト」という言葉が浮かんできます。チラシには、伊藤若冲や葛飾北斎、河鍋暁斎といった画人たちの系譜に連なるとか、北方ルネサンス的なリアリズムと日本の土俗性との葛藤という点では、岸田劉生の後継とも見られると、書かれていました。


その辺の事情は僕には分かりませんが・・・。それにしても描かれたテーマは、例えば「海と戦さ」や「地獄変」のような、数十人もの人たちが乱舞する群像ものから、「武装する青年」や「自画像」のような肖像画、「南京のキリスト」、「雑草と小鳥」や「化粧する女」のようなやや筋肉質の裸体画、共通するのは「細密写実」を追求したこと。牧野の人生は、自己の信ずる絵画世界を追求し、写実の問題と格闘する日々でした。








牧野邦夫(1925-1986)略歴

1925年、現在の渋谷区幡ヶ谷の生まれ。幼少期を小田原で過ごす。幻想小説家の牧野信一は従兄にあたる。父母を早く亡くし、ゴッホやレンブラントに魅かれて画家を志す。東京美術学校油画科に学ぶが、1945年学徒出陣し九州宮崎で終戦。戦後の1948年、東京美術学校を卒業。写実的な人物画で知られるようになり、1962年と65年の安井賞候補新人展に入選。1966年、オランダを中心に滞欧。美術団体に属さず、数年毎の個展にのみ細密写実による作品を発表し続けた。


「牧野邦夫―写実の神髄―展」

牧野邦夫(1925~86年)は、大正末に東京に生まれ、1948年に東京美術学校油画科を卒業しますが、戦後の激動期に次々に起こった美術界の新たな潮流に流されることなく、まして団体に属して名利を求めることなどからは遠く身を置いて、ひたすら自己の信ずる絵画世界を追求し続けた画家です。高度な油彩の技術で、胸中に沸き起こる先鋭で濃密なイメージを描き続けた牧野の生涯は、描くという行為の根底に時代を超えて横たわる写実の問題と格闘する日々でした。レンブラントへの憧れを生涯持ち続けた牧野の視野には、一方で伊藤若冲や葛飾北斎、河鍋暁斎といった画人たちの系譜に連なるような、描くことへの強い執着が感じられます。また、北方ルネサンス的なリアリズムと日本の土俗性との葛藤という点では、岸田劉生の後継とも見られるでしょう。生前に数年間隔で個展を開くだけだった牧野の知名度は決して高いものではありませんでしたが、それは牧野が名声を求めることよりも、自分が納得できる作品を遺すことに全力を傾注した結果でしょう。本展は、1986年61歳で逝去した牧野の30余年にわたる画業から生み出された珠玉の作品約120点を紹介するものです。


「練馬区立美術館」ホームページ


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イタリア・シエナの街を観た!

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ローマ法王が決まったときに、新法王が「フランシスコ1世」という名前だったことから、「アッシジのフランチェスコ」という記事を書きました。主としてアッシジの画像が中心の記事でした。その画像は、1990年夏のイタリア旅行の時のものです。さて、今回はシエナ、アッシジと来たら次はシエナです。同じく1990年夏のものです。しかも、金沢百枝・小澤実の「イタリア古寺巡礼」にも、池上英洋の「イタリア24の都市の物語」にも取り上げられています。


ここで取り上げたのは、一つは「カンポ広場と市庁舎」と、もう一つは「シエナ大聖堂」、つまり「サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂」です。シエナのシンボルでもあるカンポ広場は、世界で最も有名な広場で、ややすり鉢状に市庁舎に傾斜がつけられています。その動きのある広場を市庁舎の高い塔、マンジャの塔が引き締めています。広場にアプローチする路地の多くは、この高い塔に向かいます。


もう一つは「シエナ大聖堂」、イタリアゴシックの代表作の一つです。内外共に白と濃緑の大理石を用いた華麗な建築です。この建築は、1316年、当時世界最大の規模とするべく拡張計画が始まっていましたが、まもなく頓挫し、ファサードの基礎だけを造って計画は放棄されたままです。いまでも大聖堂の横にはその名残が残っています。



カンポ広場と市庁舎






サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂






過去の関連記事:
アッシジのフランチェスコ!

とんとん・にっき-ass16 「イタリア古寺巡礼」

フィレンツェ→アッシジ

とんぼの本

発行:2011年9月25日

著者:金沢百枝 小澤実

発行所:株式会社新潮社
とんとん・にっき-ass15 「イタリア 24の都市の物語」
光文社新書

発行:2010年12月20日

著者:池上英洋

発行所:株式会社光文社







「第39回 野毛大道芸」を見た!

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「第39回 野毛大道芸」が27日、28日に横浜市中区の野毛地区で開催されました。野毛坂通りから野毛本通りにかけて、若手からベテランまで約30組が、ジャグリングやアクロバット、ダンスなど多彩なパフォーマンスを路上で披露していました。今回のテーマは、39回目にちなみ、感謝の意味を込めた「サンキュー」だそうです。それにしても沢山の人で、一つとして近くでパフォーマンスを見ることができませんでした。帰りは大岡川にかかる「都橋」を渡り、一旦、伊勢崎モールを歩き、その後、関内駅近くから桜木町方面へと歩きました。











「野毛大道芸」公式ホームページ


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