たばこと塩の博物館で「煙に寄せたメッセージ~版画・たばこのある風景~」を観てきました。今回の展覧会のポイントは、以下の3点です。
・「版画・たばこのある風景」は、昭和54年(1979)~平成3年(1991)まで、日本たばこ産業株式会社(旧日本専売公社)の企業広告として、さまざまな雑誌に掲載されたもの。
・現代日本の絵画界を代表する画家たちが、明治から昭和期の近・現代の日本文学作品中に登場するたばこのシーンを題材に、『たばこのある風景』を独自にイメージし、絵画的に表現したもの。
・現代著名画家60人によって制作された作品は全部で72点。
当初、この展覧会のことはチラシでしか知らなくて、有元利夫や池田満寿夫の作品が出るというので、観に行ってみようと思いました。行ってみると、僕が思っていた以上にたくさんの作品が出ていて、しかもその内容は質が高く、バラエティに富んだ様々な作品を観ることができました。もっとも特徴的なことは、日本文学作品中に登場するたばこのシーンを題材に、「たばこのある風景」を独自にイメージし、絵画的に表現したもの、だったことです。
従って、以下に示したように、一つの作品に、文学作品中の一部が付けられていました。もちろん、文学作品からダイレクトに場面を切り取った作品から、まったく別の自由な発想から「たばこのある風景」に結びつけようとした作品など、画家による多様なアプローチを観ることができました。
その代表的な8点(まだまだ良い作品はたくさんありますが、8点はブログに載せる都合上で、あくまでも僕個人の好みによるものですが)を、取り上げられた文章と併せて、以下に載せておきます。
有元利夫「ヰタ・セクスアリス」
・・・そして二尺ばかりの鐵の烟管を持つてゐる。これは例の短刀を持たなくても好くなつた頃、丁度烟草を呑み始めたので、護身用だと云つて、拵へさせたのである。それで燧袋のやうな烟草入から雲井を撮み出して呑んでゐる。酒も飲まない。口も利かない。併しその頃の講武所藝者は、随分變な書生を相手にし附けてゐたのだから、格別驚きもしない。
森鷗外「ヰタ・セクスアリス」より
小松崎邦雄「うつむく舞妓」
踊子と眞北に向かひ合つたので、私はあわてて袂から煙草を取り出した。踊子がまた連れの女の前の煙草盆を引き寄せて私に近くしてくれた。やつぱり私は黙つていた。踊子は十七くらゐに見えた。私には分からない古風の不思議な形に大きく髪を結つてゐた。それが卵形の凛々しい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和してゐた。髪を豊かに誇張して描いた、稗史的な娘の繪姿のやうな感じだつた。
川端康成「伊豆の踊子」より
野中ユリ「二つの庭」
そんな物思ひに耽りながら、私はぼんやり煙草を吹かしたまま、ほとんど私の真正面の丘の上に聳えてゐる、西洋人が「巨人の椅子」といふ綽名をつけてゐるところの大きな岩、それだけがあらゆる風化作用から逃れて昔からそつくりそのままに残つてゐるかに見える、どつしりと落着いた岩を、いつまでも見まもってゐた。
堀辰雄「美しい村」より
池田満寿夫「タバコの煙」
・・・一週間、よくも辛抱できたものだと思う。なれた手つきで、ラベルのわきを、四角く破ってむしりとる。すべすべした蝋紙の感触。底を指ではじいて、叩きだす。つまむ指先が、小刻みにふるえる。ランプの焔で、火をつける。深々と、ゆっくり、胸いっぱいに吸い込むと、落葉の香りが、血管の隅々までしみわたった。
安部公房「砂の女」より
浜田知明「『沈黙』より」
・・・何かを相談しあった侍は、警吏たちに命じて司祭を裸馬からおろさせた。両手を縛られ、長時間、馬にまたがってきたため、地面に立った時、内腿に痛みを感じて、そこにうずくまった。長い煙管を出して侍の一人が煙草をすっている。日本で煙草を見たのはこの時が初めてである。この侍は二、三服、口をとがらせて煙を吐くと、煙草を同僚にまわしたが、その間、警吏たちは羨ましそうにじっと見つめていた。
遠藤周作「沈黙」より
相笠昌義「たけくらべ」
己らだつても最少し経てば大人になるのだ。蒲田屋の旦那のやうに角袖外套か何か着てね。祖母さんが仕舞っておく金時計を貰って、そして指輪もこしらえて、巻煙草を吸って、履く物は何が宜からうな、己らは下駄より雪駄が好きだから、三枚裏にして襦珎の鼻緒といふのを履くよ、似合ふだらうかと言へば美登利はくすくす笑ひながら、背の低い人が角袖外套に雪駄はき、まあ何んなにか可笑しからう、目薬の瓶が歩くやうであらうと誹すに、馬鹿を言つて居らあ、それまでには己らだつて大きく成るさ。
樋口一葉「たけくらべ」より
絹谷幸二「櫻の實の熟する時」
ずっと以前には長い立派な髭を厳しそうに生やした小父さんであった人がそれを剃り落とし、涼しそうな浴衣に大胡座で琥珀のパイプを銜えながら巻煙草を燻し燻し話す容子はは、すっかり下町風の人に成りきっていた。主人の元気づいていることはその高い笑声で知れた。全く、田辺の姉さんが長い病床から身を起こしたというは捨吉にも一つの不思議のように思えた。「まあ、捨吉も精々勉強しろよ。姉さんも快くなったし、小父さんもこれからやれる。今に小父さんが貴様を洋行さしてやる」
島崎藤村「櫻の實の熟する時」より
草間彌生「YAYOI KUSAMA通り」
曇った静かな夕方だった。本殿の左側の御札を賣る所には顎ひげだけある神官らしい老人と、もう一人の老人とが、向ひ合つて煙管で煙草をのんでゐた。私がそつちを見ながら行くと、老人達も黙つて此方を見てゐた。森は北から南へ眞直ぐに一筋の道があるだけで、道以外は木に被はれた薄暗い中にイタイタ草が三尺ほどの高さで一杯茂つていた。
志賀直哉「豊年蟲」より
文学作品に描かれたたばこの風景
「版画・たばこのある風景」は、昭和54年(1979)~平成3年(1991)まで、日本たばこ産業株式会社(旧日本専売公社)の企業広告として、さまざまな雑誌に掲載され大好評を博しました。この版画は、有元利夫、池田満寿夫、風間完、加山又造、脇田和、斎藤清など、現代日本の絵画界を代表する画家たちが、明治から昭和期の近・現代の日本文学作品中に登場するたばこのシーンを題材に、『たばこのある風景』を独自にイメージし、絵画的に表現したものです。現代著名画家60人によって制作された作品は、全部で72点に及びます。今回は、日本の現代版画史を飾るにふさわしいこれらの作品を一堂に集め、展覧いたします。小説家や画家たちがたばこに寄せたメッセージをもとに、皆様方ご自身の『たばこのある風景』を心に描いていただければ幸いです。
「たばこと塩の博物館」ホームページ
「版画・たばこのある風景」
図録
2013年3月20日発行
編集/発行:たばこと塩の博物館
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「休館および移転・リニューアルに関するお知らせ」
たばこと塩の博物館は、たばこと塩をテーマとし、その歴史や文化を伝える博物館として、1978年11月3日に開館した。以来、約35年間にわたって、常設展示のほか、幅広い内容の企画・特別展や、特色ある講演会などを実施。開催した企画・特別展の数は、現在まで232回。2012年8月には、来館者数が延べ300万人を超えた。
・たばこと塩の博物館は、2013年9月2日から休館し、墨田区横川に移転・リニューアルオープンする。
・2013年9月1日までの間、常設展示に加え、順次2つの企画展を実施する。
・2013年5月25日(土)~7月15日(月・祝)は、「『いっぷく』を彩った工芸品 たばこをとりまく脇役たち」を開催。
・2013年7月27日(土)~9月1日(日)は、特別展「渋谷公園通り たばこと塩の博物館物語」(仮称)を開催する予定。
・墨田区横川に新設される博物館は2015年春頃に開館予定。