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ミヒャエル・ハネケ監督の「隠された記憶」を観た!

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ミヒャエル・ハネケ監督の作品は、つい先日、年老いた老夫婦を主人公にした「愛、アムール」という作品を観ました。他にも観たいと思い、「ピアニスト」をTUTAYAで探したところ、なぜか「隠された記憶」を借りてきてしまいました。「ピアニスト」は、以前、観たことがありました。「隠された記憶」の他に、以前衝撃を受けたジュリエット・ビノシュの「ダメージ」を借りてきちゃいました。もちろん「隠された記憶」に、ジュリエット・ビノシュが出ているのを知っていたからです。ジュリエット・ビノシュの作品は色々観ていますが、「隠された記憶」の主役であるダニエル・オートゥイユという男優の作品、以前、「そして、デブノーの森へ」という作品を観ていました。「隠された記憶」の中のセリフにも出てきましたが、あの特徴ある「鼻」で思い出しました。


まずこの映画、考えるもなにも、「斬新で衝撃的なラストシーン」、これに尽きます。こんなことがあるのか、というほど、今まで映画の中で観たことがない結果です。これには驚きました。主人公のジョルジュも対処のしようもなく茫然として、急いで家へ逃げ帰ります。で、次に考えることは、フランスとアルジェリアの関係についてです。もちろん、ジョルジュとマジッドが相似形でその関係そのものです。子どもの頃マジッドが軍鶏の首を切り落とします。マジッドの顔面は血だらけです。それを見ていたジョルジュの顔は恐怖におののきますが、なぜか他人事のようです。


一方はインテリで富裕な生活を送っているのに対して、もう一方は(たぶん)労働者階級で生活もキチキチで余裕などありそうもありません。ジョルジュの本棚に囲まれた生活と、マジッドの寒々しく殺風景な部屋は当然対比されます。それはふたりの子どもの頃の生活の延長線上になります。年月が経ってもそれは克服されることはありません。あるいはその差はますます開いています。送られてくるビデオテープが、この映画をよりスリリングなものにしています。


当然、観る者は、これだけのお膳立てからして、犯人はマジッドであろうと考えます。また、マジッドの息子も登場して問題を複雑にしたりもします。ジョルジュに対してマジッドの息子は「父は一生懸命私を育ててくれた。あなたはそんな父の教育の機会を奪った」と迫ります。あるいはジョルジュの息子で反抗的なピエロか、あるいは浮気をしているかもしれない妻か、ということも考えられます。が、しかし、そうは問屋は卸さない、というのがこの映画の映画たる所以です。つまりそれが、ハネケの映画なのです。犯人は誰なのか、わからないままです。


以下、とりあえずシネマトゥデイより引用しておきます。


チェック:ある夫婦の元に送られてきた謎のビデオテープをきっかけに、崩壊していく家族の姿と暴き出される過去の秘密を描いた心理サスペンス。監督は本作でカンヌ映画祭監督賞を受賞した名匠ミヒャエル・ハネケ。ビデオテープに翻弄(ほんろう)され、不安と恐怖を味わう主人公の夫婦を『橋の上の娘』のダニエル・オートゥイユと『ショコラ』のジュリエット・ビノシュが演じる。斬新で衝撃的なラストシーンまで、一瞬たりとも見逃せない。

ストーリー:テレビ番組の人気キャスター、ジョルジュ(ダニエル・オートゥイユ)と出版社に勤める妻アン(ジュリエット・ビノシュ)の元に、送り主不明のビデオテープが不気味な絵とともに送られてくる。しかも、ビデオテープに映っているのは、ジョルジュたちの家と彼らの日常の姿だった。2人は単なる悪戯として片づけようとするが……。


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再び「外国人遊歩規定標石めぐり」!

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3月23日(土)、東京駅9時15分発快速アクティに乗り、国府津には10時23分着、「外国人遊歩規定標石めぐり」に参加してきました。もちろん案内人は山岡光治さん(地図豆店主)です。参加者は総勢16人、うちペアでの参加が5組という珍しい組み合わせでした。これだけ集まれば引率者もやりがいがあると、山岡さんは言います。僕は2010年4月にも参加しているので、今回が2度目ということになります。前回は連絡不十分のためか、総勢5人という小規模なものでした。標石めぐりは46地点、45地点、44地点を見るために、曽我山の急坂や山道を歩くというものです。


道順は、以下の通りです。JR国府津駅→吾妻神社→遊歩NO46測点→新幹線トンネル上から十国峠へ→遊歩NO45測点・三等三角点「高山」→六本松峠→遊歩NO44測点・不動山→登山道との分岐→宗我神社→JR下曽我駅


前回はわけも分からず参加しましたが、今回は少し予習をしてから行きました。案内には「外国人遊歩規程標石めぐり」とあり、これは何を意味するのか? 安政5年(1858)、ペリーの開国要求を受けて各国と日本の間で修好通商条約が結ばれ、そこで決められた一般外国人が自由に行動できる範囲は、開港場から10里(約40㎞)以内でした(「外国人遊歩規程」)。ちなみに「遊歩」とは、健康のための散歩や散策を意味します。「横浜周辺外国人遊歩区域図」(下図)には遊歩境界線が標されています。横浜では「北は六郷川筋を限りとし、その他は各方へおおよそ十里」と決められ、「従是(東西南北)神奈川在留外国人遊歩場十里境内」と書かれた標柱が立てられたという。しかし自由に行動したい在日外国人が、遊歩の規程に難癖を付けます。


これを受けて外務郷は太政大臣宛に、十里というのは厳密な測量ではないこと、標杭も少ないから、建て直せば外国人の不満もなくなるだろうから検討して欲しいと依頼します。内務郷大久保利通は、外務省は何を根拠にしているのかと、議論は平行線を辿ります。両者の間で煩雑なやり取りがあり、結果として再測量を行うことになりました。測量は、横浜県庁旧旗揚点から旧幕時代の「外国人遊歩規程標札」までの間に、三角鎖が組まれ、次いで観測が実施されました。それが「外国人遊歩規程測量」であり同標石というわけです。「日本各地を自由に行動したい」という、ちょっとした要求から始められた測量の標石が、神奈川県下、横浜市、小田原市間に現存しています。その後、諸各国との間で新通商航海条約が調印され(明治27年、1894)、発効したことにより、外国人の内地旅行が自由になり、外国人遊歩規程は廃止されました。





















とんとん・にっき-tizu3 「地図をつくった男たち」

明治の地図の物語

2012年12月25日第1刷

著者:山岡光治

発行所:株式会社原書房











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地図屋・山岡光治の話を訊く!

東京国立博物館で「総合文化展(常設展)」を観た!

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東京国立博物館は、明治維新後まもない1872(明治5)年、東京・湯島に建てられた文部省博物館を前身とします。明治中期に館は上野公園内に移転。日本美術の保護・育成を担う博物館へと役割を変えました。所蔵11万件以上、国宝87件、重要文化財616件。(「週刊世界の美術館」NO15 2008.11.6)

極めつきは「国宝室」で、近年お正月には、長谷川等伯の「松林図屏風」や雪舟の「秋冬山水図」などが、あるいは伝狩野永徳の「檜図屏風」や尾形光琳の「風神雷神図屏風」などが展示されていました。国宝室とちょうど対角線にある、中世から近世の絢爛たる屏風と襖絵が並ぶ展示室があり、僕は「東博」へ行った時には、必ずこの部屋の展示を観ることにしています。他に、仏画にも素晴らしい国宝があります。作者不詳の「普賢菩薩像」、「虚空蔵菩薩像」、「十六羅漢図」、「孔雀明王像」など。


ここに挙げた画像は、実は東博で開催された「円空展」を観に行った時のもので、観に行ったのは2月23日のことでした。下に載せた以外に、屏風を数隻(枚)デジカメで写したのですが、残念ながらピンぼけばかりで、使えたものは「蘭亭曲水図屏風」だけでした。軸物は6軸(枚)ほど、写してきました。尾形光琳、円山応挙、森川許六、源琦、谷文晁、長沢芦雪、等々、まさに百花繚乱の趣でした。


会場の解説には以下のようにありました。

安土桃山時代には、織田信長や豊臣秀吉の権力を背景に、狩野永徳が豪壮華麗は桃山様式の絵画を確立し、長谷川等伯や海北友松らがこれに続きました。永徳の孫の探幽は徳川幕府に仕え、幕末まで御用絵師として君臨する狩野派の確固たる地位を築きます。江戸時代の絵画はこの狩野派を中心に展開しました。やまと絵を新しい感覚で転生させた俵屋宗達、狩野派から出て在野で活躍した久隅守景、宗達の装飾性をさらに発展させた尾形光琳、日本の文人画(南画)を大成した池大雅・与謝蕪村、写生をもとに平明な画風で人気を博した円山応挙、個性的な画風を誇る伊東若冲・長沢芦雪・曾我簫白など、まさに百花繚乱の観があります。








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松岡美術館で「花・鳥―しあわせの予感 うつわにめでられた花と鳥たち」を観た!

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松岡美術館で「花・鳥―しあわせの予感 うつわにめでられた花と鳥たち」を観てきました。同時期に展示室5・6では「額装の花鳥画」が展示されていました。もちろん、松岡美術館の常設展示、「古代オリエント美術」「ガンダーラ・インド彫刻」「ヨーロッパ近現代彫刻」にはすごいものがあります。松岡美術館に来ると、分かり易い解説で多くを学べ、帰る頃はお腹いっぱい、満腹で帰ることができます。それほど盛りだくさんの内容です。


松岡美術館のコレクションの最初は中国陶磁というだけあって、今回は、青花、白釉、黒釉、五彩、法花、釉裏紅、豆彩、黄地など、そして朝鮮、安南(ベトナム)、日本の古伊万里や古九谷、柿右衛門に至るまで、さまざまな陶磁を学ぶことができました。今回と同様な趣旨で、以前、松岡美術館で「吉祥のうつわ 中国陶磁にみる祝い寿ぐ文様の世界」を観たことを思い出しました。また直近では、泉屋博古館で「吉祥のかたち」を観たことも思い出しました。


「花・鳥―しあわせの予感 うつわにめでられた花と鳥たち」
中国の人々は古くから、幸せな暮らしが続くよう、多くの陶磁器や漆器、服飾品などに様々な願いを込めてきました。またそこには、彼らの持つ幸福感がうつしだされており、いくらかの事物を自分たちにとって「おめでたいもの」と捉え、やがてそれは吉祥を示すシンボルとして浸透していきました。そして多くの工芸作品や絵画、皇帝の衣裳などに「平和」、「子孫繁栄」、「不老長寿」などの幸せを願う想いを託しました。豊かさをもたらす蓮に水禽、富貴と瑞鳥を表わす牡丹に孔雀など、花と鳥はしばしば吉祥文様の取り合わせとして、それぞれ美を競い合っていました。展示室4では当館所蔵の中国陶磁を中心に(主に青花、白釉、黒釉、五彩、法花、黄地、釉裏紅)、朝鮮、日本(古伊万里や古九谷、柿右衛門)、ベトナム(青花など)より、花と鳥の綾なす作品を約50件ご紹介致します。



展覧会の構成は、以下の通りです。

Ⅰ 富貴の花 牡丹

Ⅱ 結婚・長寿の花 蓮華と菊

Ⅲ 繁栄への想い 四季花

Ⅳ 飛翔する瑞鳥たち―鳳凰、孔雀、鶴

Ⅴ 華やぐ花と鳥たち



Ⅰ 富貴の花 牡丹

牡丹は中国で「百花の王」、「花神」と賞され、中国を代表する花として知られています。そのあでやかに咲き誇る花姿から富貴(財貨が多く地位が高い)の象徴ともされ、絶世の美人を意味する「国色天香」とも呼ばれています。隋から唐にかけて人々に愛好され、唐時代には盛んに栽培が行われました。宋時代以降、牡丹は陶磁器の主要な文様となって繰り返し描かれ、やがて折枝文様や唐草文様を取り入れた「牡丹折枝文」「牡丹唐草文」が作られ、様々に図案化されていきました。



Ⅱ 結婚・長寿の花 蓮華と菊

中国の陶磁器には様々な文様が描かれていますが、そこには人びとが追い求めた幸せへの願いが込められています。中国に仏教がが広まると、それと共に蓮華文様は美術・工芸品に取り入れられ、やがて恋愛や結婚に関わるおめでたい文様になりました。菊は中国で古来より薬として用いられ、長寿を示す花とされています。宋時代に菊愛好の風潮が高まると品種も増加し、陶磁器に菊の文様が現れるようになります。元から明時代にかけて多くの青花や釉裏紅磁器にその文様が見られます。



Ⅲ 繁栄への想い 四季花

「四季花」とは、明時代初期、永楽様式の青花磁器に描かれた文様のことです。牡丹(春)、蓮華(夏)、菊(秋)、山茶花(冬)など、一つの蔓に、異なる季節の花を複数組み合わせた唐草文が描かれています。いつまでも繁栄が続くようにとの願いが込められました。



Ⅳ 飛翔する瑞鳥たち―鳳凰、孔雀、鶴

様々な鳥の文様にも、幸せをもたらす吉祥にメッセージが込められています。空想上の鳥、鳳凰は優れた君主の治世に現れるとされ、鳥王と呼ばれています。勇ましく華麗な姿の孔雀は、富貴の象徴とされました。蔓は中国では古くから千年を生きる白い水鳥と言われ、亀と共に長寿の象徴とされてきました。これらの鳥たちは瑞鳥と呼ばれ、おめでたいことが起こる兆しとされ、花や虫、雲、唐草などと取り合わせて、様々な国で独自の文様が誕生しました。



Ⅴ 華やぐ花と鳥たち

先人たちは四季折々の変化と共に、自然の美や季節の風情を花と鳥たちの姿と併せて讃えてきました。いつの時代も「花と鳥」は国を超えて人びとに愛されてきた主題です。時にはのびやかに、時にはコミカルに、時には愛らしく。中国で、ベトナムで、日本で、表情豊かに彩られてきた花や鳥たち。うつわにめでられたその姿を、お楽しみください。




「花・鳥―しあわせの予感」

花や鳥は私たちの営みの身近にあって、いつの時代も人々の心を癒し、楽しませ、同時に美術の重要なテーマとして取り上げられてきました。中国の美術作品にみられるモチーフには、単に美しさや優雅さを表わすだけではなく、人々の願望が反映されています。花や鳥は吉祥のシンボルとしてしばしば取り合わせて表され、目に映る華やかさとともに見る人をしあわせへと導いていきます。一方、日本では自然の美しさや移り変わる四季の風情を素直に讃え、また季節の花や野鳥に心情を託してきました。そのたおやかな作風は現代へと受け継がれていき、やがて斬新な構成へと展開していきます。本展では当館所蔵のコレクションから、花と鳥をモチーフとした作品を中心に中国・朝鮮・日本・安南の陶磁器と日本人の額装作品をご紹介します。しあわせはすぐそこに-そんな予感に満ちた展覧会を、どうぞお楽しみ下さい。


「松岡美術館」ホームページ


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四谷見附の桜!

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昨日は寒かったし、小雨も降っていました。今日も天気予報では寒くて雨が降るようなことを言ってましたが、なんと、午後は晴れて暑いぐらいでした。なぜか今日は突如四谷見附に下りて、お堀の土手の満開の桜を観てきました。


実は僕が最初に職についた時の会社が市ヶ谷の土手沿いにあり、飯田橋、市ヶ谷、四谷見附は四季折々散歩していたので、思い入れも人一倍、というわけなのです。言わば、僕の青春は外堀の土手にあると言っても過言ではありません。この桜が咲いた土手沿いの景観は、世界に誇れるものだと思います。


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松岡美術館で「花・鳥 しあわせの予感、額装の花鳥画」を観た!

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堅山南風による「銷夏帖(秋草)」は1929年に作成されたものですが、ここに挙げたその他の作品はおおむね1980年代の作品がほとんどでした。結果的にですが、どちらかというと分かりやすい作品が多く、僕の好みの作品が多い展覧会でした。テーマはもちろん「花鳥画」ですが、今まで正面から取り上げられたことの少ない「額装」についてもテーマの一つでした。しかし、額装については「作品発表の場としての展覧会」、また「住宅環境の変化」に触れているだけで、今ひとつ切り込みが足りない感じがしました。展示室に掲げられていたものを、下に載せておきます。


額装の花鳥画

花と鳥は、日本では古くから四季や自然を表した絵画には欠かせないモチーフでしたが、中国から入ってきた花鳥画の影響によって風景の一部から独立して「花鳥画」というジャンルが成立しました。以来、花屋町の麗しさは、様々な変遷を遂げつつ連綿と描き続けられてきました。近代・現代に入ると、作品発表の場として盛んになってきた展覧会には額装作品が増加し、また住宅環境の変化によって掛軸は減少の一途をたどります。花と鳥は、伝統的なスタイルから解放されて、別々に描かれることが多くなりました。より一層写実を追求したり、花鳥画に期待される優美さから脱却し画家の心情を託す傾向の強い作品も多くなってきます。斬新な構成へと展開していく中にも、豊かな生命感や内面的な幅広さ、深みを感じさせる画面は、やはりしあわせを象徴し、あついはそれを予感させるととらえられるのではないでしょうか。


今回の展覧会の特徴のひとつに、何人かの画家による「画家のことば」が掲げられていました。その中から数点、下に挙げておきます。


「画家のことば」 林美枝子 「風立ちぬ」、「気」

取材場所は金沢市内で、偶然赤レンガ校舎(旧金沢美大)を見つけ、64回入選「窓」となり、そこからこの2枚の作品へと変化していきました。猫は、私自身でもありますが、“猫の形”を知るために1981年黒猫を飼い、作品に登場していますが、1989年渡英中に病死。余りの悲しみに・・・二度と飼いません。「風立ちぬ」はスケッチ中、突然ザワザワと風邪が起こり静寂を破った一瞬を描いたもの。「気」は葛の葉が上へ上へと伸びていく張り詰めた緊張感を、共に黒猫の振り向いた動きで表現。両作品とも「箔」を使用して、線描による表現方法をとっています。今の心境として、月日の流れの速さを痛感しています。「一日一画」を心掛けてきましたが、20代には20代の、30代には30代の時にしか描けないものがあるのだと、過去の作品を観て実感しています。


「画家のことば」 小笠原光 「爽秋」

主題は身近な場所で探すことが多い。行き詰まった時、何度でも写生した場所を訪れることができるからである。手が遅く、自分の愛で何度も確かめないと描けないことが一番の理由かもしれない。季節はほとんど早春か秋を題材にしてきた。どちらも日差しが柔らかく、古びた土壁や板壁を優しい色合いに変えて、描いていて心地よい。この物置小屋は秋田市の郊外で取材した。風はもう爽やかだったが、午後の日差しで窓の格子の陰がくっきり見えていた。猫は「早春」と同じモデルである。「なぜ猫を描くのか」とよく聞かれる。風景を描いていると、どこかに人の気配が欲しくなる。が、モデルを頼んだりするのは得意ではないので、人物を描くことはほとんどない。それで猫を描くようになった。猫はイヌに比べて思いのままにならない分とても人間くさい。聞かれた時は「それで猫を描くのです」と話すことにしている。


「画家のことば」 北久美子 「午後の視線」

約30年前の作品なので、記憶の底に沈んでいる想いを取り出すのには時間がかかる。1980年代、私はカラスはもちろん、多種多様な鳥を描いていた。ある日、知人の佐藤さんが「はい、北さん」と、突然段ボールを手渡した。動く気配がし、中には真っ黒な鳥、カラスが入っていた。その日から、この鳥はわが家で同居することになった。とりわけ頭のいい、知恵のある、自己主張する、おもしろい鳥である。このユニークさと真っ黒い姿は、創作のイメージを誘うこととなり、その時からカラスのシリーズが始まった。この作品は、その中の一点である。当時、朝日ジャーナル誌の表紙に、これと似た私の作品が掲載され、表紙の言葉として私は「見えるものを描きながら、見えないものを願ってカンバスに向かう。見えないものは何かと問われると困ってしまうが、それは、たぶん私の心の襞に潜んでいる風景のようなものだと思っています」と書いていた。だから、この作品の風景画は、実際どこにもないアトリエで創造した風景なのです。











「花・鳥―しあわせの予感」

花や鳥は私たちの営みの身近にあって、いつの時代も人々の心を癒し、楽しませ、同時に美術の重要なテーマとして取り上げられてきました。中国の美術作品にみられるモチーフには、単に美しさや優雅さを表わすだけではなく、人々の願望が反映されています。花や鳥は吉祥のシンボルとしてしばしば取り合わせて表され、目に映る華やかさとともに見る人をしあわせへと導いていきます。一方、日本では自然の美しさや移り変わる四季の風情を素直に讃え、また季節の花や野鳥に心情を託してきました。そのたおやかな作風は現代へと受け継がれていき、やがて斬新な構成へと展開していきます。本展では当館所蔵のコレクションから、花と鳥をモチーフとした作品を中心に中国・朝鮮・日本・安南の陶磁器と日本人の額装作品をご紹介します。しあわせはすぐそこに-そんな予感に満ちた展覧会を、どうぞお楽しみ下さい。


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ザ・ミュージアムで「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」を観た!

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図録のはじめ、主催者の「ごあいさつ」は、以下のようにあります。


17世紀バロック時代のヨーロッパにその名をとどろかせた画家ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)は、アントワープ(現ベルギー)での修行を終え、親方資格を得て、1600年イタリアに向けて出発し、マントヴァ公爵の宮廷画家になります。イタリアでは、ローマをはじめ各地を訪問し、古代、ルネサンス、当代の美術を学びました。


8年間のイタリア滞在を終えてアントワープに帰郷したルーベンスは、南ネーデルラント(フランドル)の統治者アルブレヒト大公とイサベラ大公妃の宮廷画家に任命され、大規模な工房を設立し精力的に活動しました。1619年頃からは自作の版画に対する独占的版権を獲得し、自らの構図を正しく普及させることに努めます。さらには1623年頃から、絵筆を持った外交官として各国の宮廷で手腕を振るいながら和平交渉に臨み、宗主国スペインとイギリスとの和議の成立に貢献しました。一方、2度の結婚を通じ8人の子供をもうけ、子供たちの教育に熱心な、家庭思いの父親でもありました。


本展は、イタリア滞在の影響を示す作品をはじめ、彼自身の手になる卓越した作品、工房作品、工房内の助手が独立して描いた作品、彼が直接指導して制作させた版画などを通じ、制作の実態に迫る日本初の試みです。家族の肖像も含め、日本ではあまり知られていない巨匠の真の姿を紹介します。


今回の展覧会のタイトル「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」から分かる通り、まずルーベンスの作品、ルーベンスと工房の作品、イタリアから影響を受けた作品、この3つのテーマで展覧会が構成されていることが分かります。今回分かったことは、ルーベンスは意外と肖像画家だよねということ、「ルーベンス原画」など、工房作品がけっこう多いこと、版画についてのルーベンスの考え方、向き合いかた、「キリスト降架」や「聖母マリヤの被昇天」など、しっかりと版画にしています。また、工房から多くの弟子たちが育ったこと、ブリューゲルなどとの競作、等々でした。


僕がルーベンスの作品を意識して観るようになったのは、2006年東京都美術館で開催された「プラド美術館展」でした。その時のルーベンス作品は、「ヒッポダメイヤ(デイダメイヤ)の略奪」「フォルトゥーナ(運命)」「ニンフとサテュロス」でした。その後2007年12月のスペイン旅行で、「プラド美術館」へ行くことができました。スペインの三大巨匠と言われる画家の絵を一度に観ることができました。その旅行ではツアコンのオバサンがやたらと「肉屋のルーベンス」といって解説してくれたことを思い出します。ルーベンスと言えば、僕の中では「三美神」、3人の妙齢の女性を描いていますが、皆さんふくよかで、あのお尻の肉がたれて皺になっているところがすごい。


「肉屋のルーベンス」と言っていたツアコンのオバサンは、「オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ旅行」の時だったか?アントワープではアントワープ聖母大聖堂で「キリスト昇架」「キリスト降架」「キリストの復活」「聖母被昇天」の4つの作品を観ることができました。あの「フランダースの犬」のネロがこれらの作品に憧れたが観ることができなかったという話です。ルーヴル美術館の「マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸」がルーベンス48歳の頃の傑作だと言われていますが、残念ながらルーヴルには行きましたが記憶にありません。そうそう去年、国立新美術館で「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」展が開催され、話題を集めたのは愛娘を描いた「クララ・セレナ・ルーベンスの肖像」でした。これは娘を描いたものだからルーベンス100%だよねと言う話が飛び交っていました。


展覧会の構成は、以下の通りです。

1.イタリア美術からの着想

2.ルーベンスとアントワープの工房

3.ルーベンスと版画制作

4.工房の画家たち

5.専門画家たちとの共同制作



1.イタリア美術からの着想



2.ルーベンスとアントワープの工房


3.ルーベンスと版画制作



4.工房の画家たち



5.専門画家たちとの共同制作



「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」

17世紀バロック時代のヨーロッパに名声をとどろかせた画家ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)。8年間のイタリア滞在を終えてアントワープに帰郷したルーベンスは、大規模な工房を組織して、数々の傑作を生み出しました。本展では、彼のイタリア時代の作品を紹介するとともに、アントワープ工房の活動に焦点を当てて、彼自身の手になる卓越した作品を軸に、工房作品、専門画家たちとの共同制作作品、彼が直接指導して制作させた版画を展示します。また、彼の工房で活動した画家たちの、独立した画家としての作品を紹介し、アントワープ画派の豊かな芸術的展開を探ります。


「Bunkamuraザ・ミュージアム」ホームページ

とんとん・にっき-rub1 ルーベンス

栄光のアントワープ工房と原点のイタリア

展覧会図録

監修:

中村俊春(京都大学大学院文学研究科教授)

企画・構成:

Bunkamuraザ・ミュージアム

 宮沢政男(チーフキュレーター)

 廣川暁生(キュレーター)

毎日新聞社

 川俣享子、武内由佳子、瀧口扶美、南田奈穂

展覧会コンサヴェーション:

森絵画保存修復工房

 森直義、佐藤寛子、東那美

発行:

毎日新聞社
とんとん・にっき-hyo13 「ペーテル・パウル・ルーベンス」
1577-1640 絵画界のホメロス

ジル・ネレ

©2006 TASCHEN




とんとん・にっき-hyo12 「プラド美術館」

図録
初版発行:2000年

第二版発行:2001年









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中上健次原作、若松孝二監督の「千年の愉楽」を観た!

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この映画「千年の愉楽」の監督、若松孝二は1912年10月、交通事故で亡くなりました。76歳でした。「千年の愉楽」が最後の作品となりました。原作の「千年の愉楽」は1982年、中上健次36歳の作品です。小説は6篇からなるオムニバス形式です。それから10年、中上健次は46歳で亡くなります。


三重の美しい尾鷲湾を見下ろす山間の路地がめぐる、小さな集落がこの映画の舞台です。老産婆オリュウノオバが語り映す、中本一統の若衆連の物語です。中本の血を引く男たちはかつて高貴な一族だったといい、今はこの地で不遇をかこつが、皆、周囲の女が放っておかないほどの美しい顔立ちです。それ故に、代々、淫蕩な性に身を投げ、女たちに身を滅ぼされてきました。


半蔵は後家の家に入り浸り、男に刺され、血を吹き死んだ。三好はヒロポン中毒で鳥目を患い死んだ。三好の背中に彫られた龍は天上に舞い上がる。半蔵の従弟の達男は路地から旅立つが、叩きのめされて帰ってくる。しかし、彼らが道を外れても、産婆のオリュウノオバは彼らを認め続け、「生きよ、生きよ、お前はお前のまま、生きよ」と祈り続けます。


死期が迫ったオバは遺影の夫、佐野史郎に語りかけます。2人はユーモラスな対話を交わし、想い出は膨らみます。オバの脳裏には誕生から死までを見つめ続けてきた、路地の男たちの姿が浮かんでいます。寺島しのぶの表情は、慈愛に満ちた観音さまのようです。脱がない寺島しのぶ、新境地です。


以下、とりあえずシネマトゥデイより引用しておきます。


チェック:昭和の作家・中上健次が故郷・和歌山を舞台に書いた小説を、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』『キャタピラー』の若松孝二監督が映画化した人間ドラマ。若い男たちの奔放ながらも悲しい生と性(さが)を、この地で見つめ続けた老女の視点で描き出す。出演者は、『キャタピラー』の寺島しのぶのほか、高良健吾、高岡蒼佑、染谷将太など実力派俳優たちが顔をそろえる。常に衝撃的な作品を発表する若松監督だけに、ストーリーはもちろん俳優たちの見せる新たな一面にも期待が持てる。

ストーリー:年老いたオリュウノオバ(寺島しのぶ)の脳裏に、この紀州の路地で生まれ、女たちに愉楽を与え、散っていった男たちの思い出が駆け巡る。自らの美ぼうをのろうように生きた中本半蔵、生きることを強く望んだ田口三好、北の地でもがいた中本達男。彼らの誕生から死までを、助産師をしていたオリュウノオバは見つめ続けていたのだった。


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「千年の愉楽」公式サイト

とんとん・にっき-nakagami KAWADE夢ムック

「文藝別冊 中上健次(増補新版)」

2002年8月30日初版発行

2011年5月30日増補新版初版発行

発行所:河出書房新社








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延藤安弘の「まち再生の術語集」を読んだ!

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延藤安弘の「まち再生の術語集」(岩波新書:2013年3月19日第1刷発行)を読みました。


延藤さんとは世田谷の住民主体のまちづくり活動でご指導をいただき、とくに1992年から1997年の5年間は、「せたがやまちづくりフォーラム」で毎月のように顔を合わせていました。フォーラムの5年間の活動を、延藤さんは「フォーラムはその時々のアクチャルな問題を議論してきた」と、そして計画技術研究所の林泰義さんは「フォーラムはまちづくりセンターやまちづくりファンドを生み出すゆりかごであった」とのお言葉をいただきました。


僕自身が設計事務所を開設して間もない頃であり、「まちづくり」のなんたるかを知らない僕は、このお二人にはずいぶん多くのことを教えていただきました。が、それにもまして、世田谷の住民の方々とのおつき合いの中から多くを学んだことも素晴らしい経験でした。延藤さんの本との出会いは「タウンハウスの実践と展開」(延藤安弘・大海一雄編著)と「計画的小集団開発」(延藤安弘・他著)でした。その後、京都のコーポラティブハウスの実践である「ユーコート」、延藤さん自身も入居している熊本のもやい住宅「Mポート」もありました。全国の集合住宅12の事例を集めた「これからの集合住宅づくり」(晶文社)もありました。


と、まあ、前置きはそれくらいにして、延藤さんの本が岩波新書から出るという話は、当時、岩波新書の編集担当者から聞いていました。が、それも立ち消えになったようで、その後話題にも出ませんでした。延藤さんが「まちづくりの伝道師?」といわれて久しく立ちます。まちづくりの著作がないのは不思議なくらいでした。しかし、満を持してというか、待望のまちづくりの著作が出ました。それが「まち再生の術語集」です。一気に読み終わりました。


本のカバー裏には、以下のようになります。

停滞と閉塞の時代に注目されるコミュニティデザインという発想。地域の力は、人々がヒト・モノ・コトの渦に参加し物語を紡ごうとする意志から始まる。まち育ての助っ人として全国を駆け回る筆者が、住民・行政・専門家・支援者のトラブルをドラマに帰る現場で捕まえた、まち再生の思想と手法のキーワード集。


「術語」とは、「学問・技術などの専門分野で、特に限定された意味で用いられる語。専門用語。学術語。テクニカルターム。」(大辞泉)とあります。「まち再生の術語集」に出てくる「44の術語」を、下に載せておきます。


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延藤さんお得意の「幻燈会」、なんど聞き観たことでしょう。「ひとりの心に幻(まぼろし)をひろげ、別のひとりの心に燈(ともしび)をともす」、これが幻燈会だと言います。そこで語られる絵本の話、とくに「プラムおじさんの楽園」は延藤さんのオハコです。映画「うなぎ」から、住民のまちづくりへの参加意識の変化・発達につなげる独特の論理展開。「ヒト・モノ・コト」「タンケン・ハッケン・ホットケン」「ヒト・クラシ・イノチ」など、見事な言葉の言い回し。「34空間の力」では、「木造の学校に木霊(こだま)が宿る。そんな学校をつくらないと本当はいけないのではないでしょうか」と日土小学校の設計者、八幡浜市役所職員で、建築家の松村正恒の言葉も取り上げます。最後には「44必死のパッチ」で、女子サッカー・ワールドカップ決勝戦を取り上げ、状況をくずして進入する偶然の出来事に「自らの構造を変えながら対応する」能力を、コミュニティデザインにつなげます。



本書のコンセプトはまさに「人生ってエエモンやなあ」「自分のまちは捨てたもんやないなぁ」と「生を楽しむ」センスです。・・・深刻さの記述や改善方策の立案も大切ですが、一番大事なことは、ひとりひとりが「自分の生きる現場から状況を変えることを楽しむ」ことではないでしょうか。他者と共有された楽しさの体験は、創造的なアイディアや革新的な活動を生む縁を拡げ、生きる未来への方向感・希望をひらいていくものです。その過程では、芋ヅル式にキイワードがつながりあっていきます。根茎(リゾーム)のように絡み合うまち再生のプロセスが腑に落ちるよう、本書のキーワード(術語)から別のキーワードへ、ヒラヒラと蝶が舞うごとく自由移行する読み方ができるようにしました。・・・混濁する状況を超えるイメージが術語の連関から生まれるよう願っています。(「あとがき」より)



著者紹介
延藤安弘(えんどう・やすひろ)1940年大阪に生まれる。北海道大学工学部建築工学科卒業。京都大学大学院博士課程中途退学生活空間計画学専攻、工学博士。熊本大学、千葉大学、愛知産業大学、国立台湾大学(客員)教授等を経て、現在NPO法人まちの縁側育くみ隊代表理事。コミュニティデザイン、「まち育て」の研究・実践家。著書に『こんな家に住みたいナ―絵本にみる住宅と都市』『まちづくり読本―こんな町に住みたいナ』(以上晶文社)、『集まって住むことは楽しいナ―住宅で都市をつくる』(鹿島出版会)、『何をめざして生きるんや―人が変わればまちが変わる』(プレジデント社)、『おもろい町人(まちんちゅ)』(太郎次郎社エディタス)、『マンションをふるさとにしたユーコート物語―これからの集合住宅育て』(昭和堂、共著)ほか多数。


新宿区立新宿歴史博物館で「中村彝展 下落合の画室」を観た!

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松本竣介と同じように中村彝も好きな画家の一人で、展覧会があるたびに足を運んでいます。松本竣介と比べると、画家としてはやや一般的ではありませんが。松本竣介についてブログを書いた時に、知人から松本竣介のどこな好きなのか教えて欲しいと言われたのですが、答えることはできませんでした。中村彝についても同様な質問をされたら答えられません。好きなものは好きなんだから、では答えになっていないのはよく分かります。


たぶん、二人の作品を最初に観たのは、いつだったかは特定できませんが、神奈川県立近代美術館だったと思います。そしてこのブログに何度も登場した酒井忠康の「早世の天才画家 日本近代洋画の十二人」(中公新書:2009年4月25日発行)に、二人とも取り上げられています。中村彝37歳、松本竣介36歳、ともに夭折の画家です。中村彝の代表作は「エロシェンコ氏の像」(1920年)だと言うのは、大方の異論のないところでしょう。


酒井はこの作品を観て「わたしのことばでいえば、画家の内面的な光線のつよさを感じる」と述べています。彝の成長の中に、深い影を落としていたであろう旧水戸藩士の血脈が、多分に彝の倫理的な性格を形成させる因子となっていたのではないか、ともいい、そして「わたしは『エロシェンコ氏の像』との出会いの機会を反芻してみて、つくづく思うのは、これはもはや彝の自画像にほかならない」とまでいいます。


今回、鶴田吾郎の「盲目のエロシェンコ」(1920年)が参考出品されていました。大正9年9月、中村彝と鶴田吾郎は、彝のアトリエで盲目のロシア人エロシェンコをモデルに競作しました。相馬黒光の回想記「黙移」(女性時代社:1936年)には次のように書かれています。「中村彝さんの画いた詩人らしいエロシェンコと、鶴田吾郎さんの画いた自我的で野性的なエロシェンコと、二つの肖像をならべて見る時、どちらも真実だと思います」と。


相馬黒光とは新宿中村屋の創業者相馬愛蔵の妻です。愛蔵と同郷である萩原守衛を中心とした芸術家や文学者などが中村屋に出入りし、サロン的な雰囲気が生まれ、黒光はサロンの女主人として若き芸術家や文化人と交流しました。明治44年からは彝を中村屋裏のアトリエに住まわせ、家族的な付き合いをし、食卓を囲むようになります。彝は絵のモデルをしてくれる、相馬家の娘・俊に好意を寄せて結婚を申し込みますが、黒光は彝の病気を理由に反対しました。彝はその痛手によって中村屋を去ることになりますが、彝が下落合のアトリエに移った後、相馬家との交流は復活しました。


中村彝 明治20~大正13年(1887~1924)

茨城県水戸市出身。幼くして父、続いて母を亡くし、11 歳のとき陸軍軍人の長兄を頼って上京。牛込原町など、現在の新宿区内に住み、愛日尋常高等小学校(現在の新宿区立愛日小学校)・早稲田中学校(現在の早稲田高等学校)で学ぶ。軍人を目指すが肺結核のため断念し、画家を志す。明治42 年(1909)文展に初入選。同44 年には「女」で三等賞を受賞、新宿中村屋の主人相馬愛蔵・黒光夫妻の好意で中村屋裏のアトリエに移る。しかし、絵のモデルとなった相馬家の長女俊子との恋愛を反対されたことから中村屋を離れ、大正5 年(1916)下落合にアトリエを新築。ここで亡くなるまで画業を続け、代表作を生み出した。大正13 年(1924)12 月24日肺結核により、37 歳で逝去。








参考出品

*大正9年9月、中村彝と鶴田吾郎は、彝のアトリエで盲目のロシア人エロシェンコをモデルに競作した。
*彝の没後、残されたアトリエは友人や弟子たちの手で守られ、後に鈴木誠の所有となった。鈴木誠もこのアトリエで多くの作品を生み出した。



「中村彝展 下落合の画室」

明治末期から大正時代にかけて活躍した洋画家、中村彝(つね)。彼は、新宿中村屋などの支援を受け、後に豊多摩郡落合村大字下落合(現・新宿区下落合3-5-7)にアトリエを構え、数々の作品を生み出した新宿にゆかりのある画家です。3月17日、下落合に残る彼のアトリエを建築当初の姿に復元整備し、新宿区立中村彝アトリエ記念館として開館します。これを記念して、新宿歴史博物館では特別展「中村彝展―下落合の画室―」を開催いたします。17歳で肺を患い、37歳という若さで亡くなるまで、彼の制作活動は常に病との闘いでもありました。しかしながら、その中でも彼の芸術にかけた情熱や、残した作品は、近代以降の洋画界に大きな影響を与えています。本展ではアトリエ周辺を描いた風景画7点の他、代表作など計30点をご紹介します。また、当時の写真や書簡などの関連資料もあわせて展示し、人間としての中村彝にも迫ります。


「新宿区立新宿歴史博物館」ホームページ


とんとん・にっき-tune1 「中村彝 下落合の画室」

図録

発行日:2013年3月17日

発行:新宿区立新宿歴史博物館

編集:新宿区立新宿歴史博物館



とんとん・にっき-tune3 「新宿区立中村彝アトリエ記念館」

平成25年3月17日オープン

中村彝が大正5年頃にこの場所に新築したアトリエを復元し、「新宿区立中村彝アトリエ記念館」としてオープンします。アトリエ内部や別棟の展示スペースでは、高解像度の映像やグラフィックパネルを用いて、彝の作品や生涯について紹介します。また、アトリエ南側には当時の植採や雰囲気をイメージした庭を整備しています。





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映画「ダメージ」を(再び)観た!

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「ダメージ」は、ルイ・マル監督による1992年のイギリス・フランス合作映画。1991年に出版されたジョゼフィン・ハートの小説が原作となっています。先日TUTAYAで借りて観た「隠された記憶」(2005年)では、ビノシュの魅力が発揮されていないように思いました。同時に借りてきた「ダメージ」、僕は以前、これを観て大いに衝撃を受けました。ビノシュを知ったのも、この映画でした。


テーマが、息子の恋人と惹かれ合い、情事に溺れてゆく中年男性の悲しき顛末を描いた作品だったからでしょう。ジェレミー・アイアンズ 44歳、ビノシュ28歳のときの作品です。まさにビノシュは「ファム・ファタール」、男にとっての「運命の女」、男を破滅させる魔性の女です。がしかし、観直してみると、28歳のビノシュは、ほとんどセリフがないせいもあり、人生を達観しているような、妙に老成しているような表情でした。


「allcinema」には、以下のようにあります。


家族に囲まれ幸せに暮らすイギリスの国会議員スティーブン。彼は、ある日出席した社交の場で、アンナという魅力的な女性と出会う。彼女はスティーブンの息子マーティンの恋人だった。しかし、スティーブンとアンナは互いに一目で運命的なものを感じ、いつしか体の関係を持つようになってしまう。以来、逢瀬を重ね、欲望に身を任せて激しく愛し合っていく2人。だがその秘めた関係は、スティーブンの妻イングリッドやアンナの母エリザベスにも悟られることに。そんな中、アンナのことだけしか考えられなくなってしまったスティーブンは、ついにイングリッドとの離婚を決意。ところが、アンナは彼の求めには応じず、やがてマーティンと婚約する。こうして、アンナへの想いを断ち切れないまま彼女との関係に終止符を打つスティーブンだったが…。


良心呵責にさいなまれたスティーブンは、思い余ってアンナに「妻とは離婚する」と告白します。しかし現実をよく見ているアンナは、「それで何を得られるのか、あなたはすべてを失うだけよ」と冷静に彼をいさめます。スティーブンは「君を得られるじゃないか」とアンナに詰め寄ります。アンナは平然とこう答えます。「わからないの? あなたはもう手に入れているのよ」と。また、アンナはマーティンの祖父の家に招待され、マーティンは家族の前でアンナにプロポーズしたことを告げます。「あなたと会えるから彼と結婚するのよ」と言われると、男はどうしようもありません。


会食の席で、アンナの母親が「マーティンにお会いした瞬間、アンナの(自殺した)兄に生き写しで」、というシーンがあります。それを聞いて、アンナは絶望的な表情を浮かべます。母親は「これでやっと娘もマーティンと新しい人生を歩んで、幸せになるわ」と言う。スティーブンは「おっしゃっていることが分かりませんが」と聞き返すと、「お分かりよ。食事の間中、あなたは娘を一度も見なかった。どうか身を引いて」と。そして破局が・・・。


若い女にうつつを抜かすと、結局はこうなるという見本のようなもの。末路は寂しいモノです。ラストはスティーブンの独白で終わります。


世の中から消えるのに、時間は要らなかった。あちこちさまよいやっと住処を見つけた。人間とは一体何なのか、誰に理解できよう。その謎の糸口に思えるので人は会いにすがる。最後は空しい、何もかも・・・。彼女はその後一度だけ見かけたことがある。空港の乗り換えロビーで。彼女は気付かず、ピーターと一緒で、子供をだいていた。、ごく普通の女だった。


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たばこと塩の博物館で「煙に寄せたメッセージ」を観た!

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たばこと塩の博物館で「煙に寄せたメッセージ~版画・たばこのある風景~」を観てきました。今回の展覧会のポイントは、以下の3点です。


・「版画・たばこのある風景」は、昭和54年(1979)~平成3年(1991)まで、日本たばこ産業株式会社(旧日本専売公社)の企業広告として、さまざまな雑誌に掲載されたもの。

・現代日本の絵画界を代表する画家たちが、明治から昭和期の近・現代の日本文学作品中に登場するたばこのシーンを題材に、『たばこのある風景』を独自にイメージし、絵画的に表現したもの。

・現代著名画家60人によって制作された作品は全部で72点。


当初、この展覧会のことはチラシでしか知らなくて、有元利夫や池田満寿夫の作品が出るというので、観に行ってみようと思いました。行ってみると、僕が思っていた以上にたくさんの作品が出ていて、しかもその内容は質が高く、バラエティに富んだ様々な作品を観ることができました。もっとも特徴的なことは、日本文学作品中に登場するたばこのシーンを題材に、「たばこのある風景」を独自にイメージし、絵画的に表現したもの、だったことです。


従って、以下に示したように、一つの作品に、文学作品中の一部が付けられていました。もちろん、文学作品からダイレクトに場面を切り取った作品から、まったく別の自由な発想から「たばこのある風景」に結びつけようとした作品など、画家による多様なアプローチを観ることができました。


その代表的な8点(まだまだ良い作品はたくさんありますが、8点はブログに載せる都合上で、あくまでも僕個人の好みによるものですが)を、取り上げられた文章と併せて、以下に載せておきます。


有元利夫「ヰタ・セクスアリス」

・・・そして二尺ばかりの鐵の烟管を持つてゐる。これは例の短刀を持たなくても好くなつた頃、丁度烟草を呑み始めたので、護身用だと云つて、拵へさせたのである。それで燧袋のやうな烟草入から雲井を撮み出して呑んでゐる。酒も飲まない。口も利かない。併しその頃の講武所藝者は、随分變な書生を相手にし附けてゐたのだから、格別驚きもしない。

森鷗外「ヰタ・セクスアリス」より

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小松崎邦雄「うつむく舞妓」
踊子と眞北に向かひ合つたので、私はあわてて袂から煙草を取り出した。踊子がまた連れの女の前の煙草盆を引き寄せて私に近くしてくれた。やつぱり私は黙つていた。踊子は十七くらゐに見えた。私には分からない古風の不思議な形に大きく髪を結つてゐた。それが卵形の凛々しい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和してゐた。髪を豊かに誇張して描いた、稗史的な娘の繪姿のやうな感じだつた。

川端康成「伊豆の踊子」より

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野中ユリ「二つの庭」
そんな物思ひに耽りながら、私はぼんやり煙草を吹かしたまま、ほとんど私の真正面の丘の上に聳えてゐる、西洋人が「巨人の椅子」といふ綽名をつけてゐるところの大きな岩、それだけがあらゆる風化作用から逃れて昔からそつくりそのままに残つてゐるかに見える、どつしりと落着いた岩を、いつまでも見まもってゐた。

堀辰雄「美しい村」より

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池田満寿夫「タバコの煙」

・・・一週間、よくも辛抱できたものだと思う。なれた手つきで、ラベルのわきを、四角く破ってむしりとる。すべすべした蝋紙の感触。底を指ではじいて、叩きだす。つまむ指先が、小刻みにふるえる。ランプの焔で、火をつける。深々と、ゆっくり、胸いっぱいに吸い込むと、落葉の香りが、血管の隅々までしみわたった。

安部公房「砂の女」より

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浜田知明「『沈黙』より」

・・・何かを相談しあった侍は、警吏たちに命じて司祭を裸馬からおろさせた。両手を縛られ、長時間、馬にまたがってきたため、地面に立った時、内腿に痛みを感じて、そこにうずくまった。長い煙管を出して侍の一人が煙草をすっている。日本で煙草を見たのはこの時が初めてである。この侍は二、三服、口をとがらせて煙を吐くと、煙草を同僚にまわしたが、その間、警吏たちは羨ましそうにじっと見つめていた。

遠藤周作「沈黙」より

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相笠昌義「たけくらべ」

己らだつても最少し経てば大人になるのだ。蒲田屋の旦那のやうに角袖外套か何か着てね。祖母さんが仕舞っておく金時計を貰って、そして指輪もこしらえて、巻煙草を吸って、履く物は何が宜からうな、己らは下駄より雪駄が好きだから、三枚裏にして襦珎の鼻緒といふのを履くよ、似合ふだらうかと言へば美登利はくすくす笑ひながら、背の低い人が角袖外套に雪駄はき、まあ何んなにか可笑しからう、目薬の瓶が歩くやうであらうと誹すに、馬鹿を言つて居らあ、それまでには己らだつて大きく成るさ。

樋口一葉「たけくらべ」より

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絹谷幸二「櫻の實の熟する時」

ずっと以前には長い立派な髭を厳しそうに生やした小父さんであった人がそれを剃り落とし、涼しそうな浴衣に大胡座で琥珀のパイプを銜えながら巻煙草を燻し燻し話す容子はは、すっかり下町風の人に成りきっていた。主人の元気づいていることはその高い笑声で知れた。全く、田辺の姉さんが長い病床から身を起こしたというは捨吉にも一つの不思議のように思えた。「まあ、捨吉も精々勉強しろよ。姉さんも快くなったし、小父さんもこれからやれる。今に小父さんが貴様を洋行さしてやる」

島崎藤村「櫻の實の熟する時」より

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草間彌生「YAYOI KUSAMA通り」

曇った静かな夕方だった。本殿の左側の御札を賣る所には顎ひげだけある神官らしい老人と、もう一人の老人とが、向ひ合つて煙管で煙草をのんでゐた。私がそつちを見ながら行くと、老人達も黙つて此方を見てゐた。森は北から南へ眞直ぐに一筋の道があるだけで、道以外は木に被はれた薄暗い中にイタイタ草が三尺ほどの高さで一杯茂つていた。

志賀直哉「豊年蟲」より

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文学作品に描かれたたばこの風景
「版画・たばこのある風景」は、昭和54年(1979)~平成3年(1991)まで、日本たばこ産業株式会社(旧日本専売公社)の企業広告として、さまざまな雑誌に掲載され大好評を博しました。この版画は、有元利夫、池田満寿夫、風間完、加山又造、脇田和、斎藤清など、現代日本の絵画界を代表する画家たちが、明治から昭和期の近・現代の日本文学作品中に登場するたばこのシーンを題材に、『たばこのある風景』を独自にイメージし、絵画的に表現したものです。現代著名画家60人によって制作された作品は、全部で72点に及びます。今回は、日本の現代版画史を飾るにふさわしいこれらの作品を一堂に集め、展覧いたします。小説家や画家たちがたばこに寄せたメッセージをもとに、皆様方ご自身の『たばこのある風景』を心に描いていただければ幸いです。

「たばこと塩の博物館」ホームページ


とんとん・にっき-taba2 「版画・たばこのある風景」
図録

2013年3月20日発行

編集/発行:たばこと塩の博物館











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「休館および移転・リニューアルに関するお知らせ」
たばこと塩の博物館は、たばこと塩をテーマとし、その歴史や文化を伝える博物館として、1978年11月3日に開館した。以来、約35年間にわたって、常設展示のほか、幅広い内容の企画・特別展や、特色ある講演会などを実施。開催した企画・特別展の数は、現在まで232回。2012年8月には、来館者数が延べ300万人を超えた。
・たばこと塩の博物館は、2013年9月2日から休館し、墨田区横川に移転・リニューアルオープンする。

・2013年9月1日までの間、常設展示に加え、順次2つの企画展を実施する。

・2013年5月25日(土)~7月15日(月・祝)は、「『いっぷく』を彩った工芸品 たばこをとりまく脇役たち」を開催。

・2013年7月27日(土)~9月1日(日)は、特別展「渋谷公園通り たばこと塩の博物館物語」(仮称)を開催する予定。

・墨田区横川に新設される博物館は2015年春頃に開館予定。



山岡光治の「地図をつくった男たち 明治の地図の物語」を読んだ!

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山岡光治の「地図をつくった男たち 明治の地図の物語」(原書房:2012年12月25日第1刷)を読みました。朝日新聞に書評が載ったのを見た時は自分のことのように嬉しく思いました。しかも評者が芥川賞作家の楊逸さんでしたから二度ビックリでした。が、その時点ではまだ本を入手しておらず、従って読んでもいませんでしたが、すぐさまアマゾンで購入し、2013年3月23日の「外国人遊歩規程標石めぐり」のときの昼食時に、本に山岡さんのサインをいただき、その後一気に読み終わりました。この本の書評については、楊逸さんが過不足なく的確に書かれているので、ここでは僕の感じたままを書いておきます。


会の案内には「日本の地図測量の歴史――測量遺跡が語るもの」とありましたが、そこで山岡さんの話を始めて聞きました。5年ちょっと前、2007年12月のことでした。ほぼ同じ年代であることや、その話し方に親近感を持ちました。いただいた名刺には「地図と測量の楽しさをお届けします。オフィス地図豆 店主山岡光治」とありました。定年退職を機に「年商50万円を目標にして」インターネット上に「オフィス地図豆」を開店したと話され、ますます身近に感じるようになりました。年金生活者で、かつ年商50万円を目標、というところがいいじゃないですか。その時の様子は「地図屋・山岡光治の話を訊く!」として書いておきました。


先日参加した国府津から曾我山の山歩き、「外国人遊歩規程標石めぐり」については、この本の「第7章 外国人の湯治行きを阻止した測量師」の中に、詳しく書いてありました。各国と日本との間で修好通商条約が結ばれ、そこで一般外国人が自由に行動できる範囲は、開港場から10里(約4キロメートル)以内に制限されました。それに対して交渉の当事者である初代駐日アメリカ公使は、自由に国内旅行ができることを要求しました。


しかし、幕府はこれを拒否しました。開国間もない時期の徳川政権や明治政府は、外国人と日本人が接触することで事を起こして欲しくないという理由からでした。ここでは詳細は省くが、「日本各地を自由に行動したい」「箱根や熱海温泉に行きたい」という在日外国人の健全な要求が、全費用6034円(現在の価格に換算すると約4800万円)を要する測量の実施になり、その「標石」が、国府津の上、曾我山に数ヶ所残っており、その標石を確認するために山歩きをした、というわけでした。


徳川家が早々に設立・開校した沼津兵学校出身者が、その後の地図測量分野で有用な役割を果たしたこと、北海道開拓の基礎となる地図測量事業と、その人材育成を担う開拓使仮学校の校長、荒井郁之助の話など、初めて知ることばかりでした。明治新政府の近代化推進、どの分野でも必ずお雇い外国人の話が出てきます。建築の分野ではそれはイギリスから招聘されたジョサイア・コンドルでしたが、必ずしも彼ばかりではなく、その前にはフランスからもアメリカからもドイツからもお雇い外国人がきていました。同様なことは地図測量の分野でもあったようで、その主導権争いは大変なものだったようです。


この本の中で僕がもっとも感銘を受けたのは、第11章 「美しさ」から「正確さ」へ 犠牲となった「かきたてるもの」、でした。「伊能図」意向、参謀本部陸軍部測量局による「五千分の一東京図」や「二万分の一迅速測図」は美しい、と山岡さんはいう。それから130年余を経て、地図は美しくなくなったという。地図は最終的には、使う人、見る人にとって「美しい」「楽しい」と思わせるものを持っていなければならない。それを山岡さんは、「かきたてるもの」という言葉で表します。


こんな言葉がこの本に出てくるとは予想だにしませんでした。「かきたてるもの」とは、地図をつくる側、そして使う側にも、惹きつける、空想させる、愛着を感じさせると行ったことを思い起こさせるものだという。いまは建築の図面はCADの図面がほとんどですが、僕らの頃はトレペに鉛筆で線を引き、図面には表情があり、描いた人それぞれの個性が出たものです。そのような図面を描けと、先輩に厳しく言われたものでした。


「陸地測量師のサムライ精神」の項は、何人ものサムライが出てきて面白い。最初の海外測量である日露国境画定測量にあたった矢島守一は金沢藩士、矢島の長期出張の際、夫人から「子供が大勢いるので、形ばかりでもいいからお土産を」と懇願されるが、「健康で帰ったことが一番の土産だ」と言って、一度も土産物を持ち帰ったことがなかったという。私事にこれだけ厳しいということは仕事上ではもっと厳格な人だったはず。こうした所作言動は矢島だけではなく、陸地測量部にはもっと大勢の矢島がいたはずだ、と山岡さんはいう。


いずれにせよ山岡さんの、近代日本の地図測量を支えてきた無名の技術者たちに向ける眼差しは優しく、温かい。「おわりに」で山岡さんは次のように述べています。現在では「あって当たり前」と思われている地図だが、一枚の地図の裏側には、時代や社会の制約を受けながらも、多くの先人が努力を重ねてきた歴史と、彼らの豊かな成果がある、と。


内容
明治維新の後、もっとも基本的な情報基盤である地図情報の脆弱さに直面した明治政府は、国家の急務として「地図づくり」に取り組む。伊能忠敬以降、維新前夜から明治時代の陸軍参謀本部陸地測量部(国土地理院の前身)の地図測量本格化まで、近代地図作成に心血を注いだ技術者たちの歴史を描いた、「知られざる地図の物語」。


著者

山岡光治(やまおか・みつはる)
1945年横須賀市生まれ。元国土地理院中部地方測量部長、「オフィス地図豆」店主。1963年美唄工業高校を卒業、同年国土地理院に技官として入所、2001年同院退職。同年株式会社ゼンリンに勤務、2005年に退社後、「オフィス地図豆」を開業し、人それぞれの地図の楽しみ方を知ってもらいたいとして執筆・講演・街歩きなどをしている。著書に、『地図に訊け! 』(ちくま新書)、『地図を楽しもう』(岩波ジュニア新書)、『地図の科学』(ソフトバンククリエイティブ/サイエンス・アイ新書)などがある。


目次

はじめに

第1部 維新前夜から維新直後の地図作り

 第1章 明治維新前夜の地図測量技術
 第2章 陸軍省最初の測量技術者福田治軒
 第3章 沼津兵学校から巣立つ地図測量技術者
 第4章 傑出したテクノクラート小野友五郎
 第5章 開拓使測量を担った測量技術者たち

 第6章 もうひとつの日本全図 観農局地質課に集まった技術者たち

 第7章 外国人の湯治行きを阻止した測量師

 第8章 明治期の地図作りへと向かう地図方

 第9章 測量標石の始め

第10章 使われなかった日本で最初の水準点

第2部 陸地測量部の地図作り

第11章 「美しさ」から「正確さ」へ 犠牲となった「かきたてるもの」
第12章 未踏の高山を目指した明治期測量隊
第13章 測量登山黎明期 登山家ウェストンのころ
第14章 劒岳登頂は柴崎芳太郎に何を与えたか
第15章 戦場に送られる即席測図手たち

第16章 報告書に見る技術者たちの日常

第17章 文豪と地図

第18章 測量標石に残された思い

第19章 職人技のドイツ式地図から合理性追求のアメリカ式地図へ

おわりに


とんとん・にっき-sign 山岡さんのサイン

2013年3月23日

「外国人遊歩規程標石めぐり」
のときに、いただいたサイン












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地図屋・山岡光治の話を訊く!

「グランド・バザール」と「エジプシャン・バザール」!

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「トルコ10日間の旅」、グランド・バザールへ行ったのは第2日目、アブダビから空路イスタンブルに入り、ブルー・モスクやトプカプ宮殿などを見た後、グランド・バザールへ行きました。エジプシャン・バザールへは、当初、グランド・バザールを見た後に行く予定でしたが、変更になり、第8日目、アンカラからイスタンブルへ帰ってきたときに行きました。まさに異国情緒豊かなふたつのバザール見学は、今回の旅行の目玉のひとつでした。


「グランド・バザール(カパル・チャルシュ)」

旅行者がクランド/バザールと呼ぶカパル・チャルシュとは、屋根付き市場のことです。東西交易によって得られた富がイスタンブルの繁栄を支え、その象徴がグランド・バザールです。かつては奴隷も宝石も、あらゆるものが取引されたが、現在は土産物屋の巨大な集まりです。東京ドームの3分の2ほどの広さに、金銀、宝石などの装飾品、絨毯、革製品、陶器、銅器、布地など、トルコ中のあらゆる産物を扱う4400軒の店が、業種ごとに集まりひしめき合っています。(「わがまま歩きトルコ」より)


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「エジプシャン・バザール(ムスル・チャルシュス)」

このバザールは、イスラム独特のワクフ制度に従って、賃料でイェニ・ジャミイを維持するために建設されました。ムスルとはエジプトのこと。かつてはエジプトなど北アフリカから香辛料やハーブを扱うバザールだったために、この名がつきました。現在は土産物屋や貴金属点も増えたとはいえ、香辛料の他、チーズ、ナッツ、ピクルスから、キャビア、カラスミまで食品の店が並んでいます。また菓子類はロクム(トルコ版ぎゅうひ糖)や、木の実やフルーツが材料の見慣れぬものが多い。グランド・バザールと違って、生活臭が漂っていて地元客も多い。(「わがまま歩きトルコ」より)



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*参考文献

とんとん・にっき-tur3 「わがまま歩き 34 『トルコ』」

2012年4月5日第4版第1刷発行

編集:ブルーガイド海外版編集部

発行所:実業之日本社









大江健三郎賞に本谷さん!

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「もう、そろそろかな?」と思っていたら、今朝の朝日新聞に、以下のように載っていました。


大江健三郎賞に本谷さん

ノーベル賞作家の大江健三郎さんが1人で選考する第7回大江健三郎賞(講談社主催)に、作家で演出家の本谷有希子さんの短篇集「嵐のピクニック」(講談社)が選ばれた。賞金はなく、外国語への翻訳刊行が賞になる。


さっそく本屋へ行って「群像2013年5月号」(4月6日発売)を買ってきました。「群像5月号」が大江健三郎賞の正式の発表であり、大江さんによる「『奇妙な味』は文学たりうるか―本谷有希子の冒険」とタイトルのついた「第7回大江健三郎賞選評」が載っているからです。これはどうしても読んでおかなければなりません。たまたま、かどうかは分かりませんが、「群像5月号」には「一挙掲載250枚」とある本谷有希子の「自分を好きになる方法」が、巻頭作品として載っていました。いまから読むのが楽しみです。


さて、第1回から毎回出席していた受賞者との公開対談、前回、第6回の(美人の誉れ高い)綿矢りさの時には抽選に漏れて、出席できませんでした。当たるか当たらないかは別として、今回ももちろん、申し込むだけは申し込んでおきました。


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「嵐のピクニック」をアマゾンで購入しようと思ったら、なんと「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定」となっていました。是非とも読みたいので、とりあえず注文だけはしておきました。アマゾンの「商品説明」には、以下のようにありました。


内容:
優しいピアノ教師が見せた一瞬の狂気を描く「アウトサイド」、ボディビルにのめりこむ主婦の隠された想い(「哀しみのウェイトトレーニー」)、カーテンの膨らみから広がる妄想(「私は名前で呼んでる」)、動物園の猿たちが起こす奇跡をユーモラスに綴る「マゴッチギャオの夜、いつも通り」、読んだ女性すべてが大爆笑&大共感の「Q&A」、大衆の面前で起こった悲劇の一幕「亡霊病」…などなど、めくるめく奇想ワールドが怒涛のように展開する、著者初にして超傑作短篇集。


著者略歴:本谷有希子
1979年生まれ。2000年「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。2006年上演の戯曲『遭難、』(講談社)で第10回鶴屋南北戯曲賞を史上最年少受賞。2008年上演の戯曲『幸せ最高ありがとうマジで!』で第53回岸田國士戯曲賞受賞。小説では2011年に『ぬるい毒』(新潮社)で第33回野間文芸新人賞を受賞。


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本谷有希子は昨年、J-WAVEに出演したとき、「嵐のピクニック」(講談社刊)について、以下のように語っていました。


嵐のピクニックは、13本の短編が入っている短編集なんですけど、本当に短い色んなお話し、ホラーもあるし、主婦と旦那さんのボディビルダーの話もあるし、サルが出てくる話もあるし、リアリズムから始まっていくんですけど、だんだんそうじゃなくってどんどんファンタジーに13本続けて読むうちになっていく…で、気づいたらすごく来ちゃいけない場所に来てしまったそういう嵐の日にピクニックにいくようなワクワクする本になっていると思います。ので、あまり普段、本を読まない方も楽しんでもらいたいなと思って書いた本なので、
ぜひ、読んでみてください。



「『奇妙な味』は文学たりうるか―」と題した、6ページほどの大江健三郎による「選評」をざっと読んでみました。もちろん本谷有希子の「嵐のピクニック」も読んでないのに、「選評」だけを読んでも分かるわけはありませんが、それはそれとして、大江さんの言わんとするところを、以下に書いておきます。今回の受賞作は2012年1月1日から12月31日までに日本で刊行された、「文学の言葉」を用いた作品約130点の中から決定したという。これだけでも大変な作業だと思います。大江さんはこの作業を「7年前から、春と秋に二度、新刊の小説を一山抱え込んで読み続ける仕事」と語っています。


まず、英語圏のハイブローな雑誌にしっくりする短篇なのに、どう分類して良いか迷う、しかし面白い小説があること、しかしそうした作家たちの文学的評価は、「奇妙な味」の、というくくりでエンターテインメントの特別席に押し込められていた。ところが今度、私の知らなかった、まさに「奇妙な味」の作品集にめぐりあった。「新刊の小説を読み続ける仕事」のなかで、今年は風変わりの一冊が、始めから気にかかっていた、という。


それぞれ短い作品を集めた、思いつきで書き並べたように奔放な形式の、また主題の連続でなりたっているが、繰り返しということは一切ない本で、楽しんで読んだというのが正直なところだという。この作品は、ゆったり組んだ四六変形判で、10ページまでのもの7編、20ページ1編、その中間が5編になっています。


この短編集には、「奇妙な味」の短篇が発想と形式の見本帳というほどにも繰り出されるが、それを愉快に楽しんで、ああ、面白かったではすまない。もひとつ深い層を探る心で、自分の永年の小説観を洗い直すつもりで読み直し、これらの短編群が、それぞれにどういう「奇妙な味」を発揮し、その上でプラスαとしての文学性を達成しているのか、確かめつつ三読したという。


そして、まず冒頭の、最も短い優しいピアノ教師が見せた一瞬の狂気を描く「アウトサイド」、そして短編小説の一般的な長さのボディビルにのめりこむ主婦の隠された想いを描く「哀しみのウェイトトレーニー」の、魅力的な部分を引用しつつ要約しています。また、やや長めの作品、動物園の猿たちが起こす奇跡をユーモラスに綴る「マゴッチギャオの夜、いつも通り」を取り上げ、この作家の人間観、また社会観の底深い暗さが、ファンタジー式の作り方の、しかし細部においてはいかにもリアルな短編で示されていると述べています。


そして最後に大江さんは、こう結んでいます。

フクシマ3・11以来、二年間、基本的にこのチンパンジーと似ているのかも知れない、鬱々とした日々を生きてきた私は、まったく久し振りで、希望の気配のある小説を読んだ思いがしました。

「劇団本谷有希子」Website


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「エフェソスの古代都市の遺跡」を観た!

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「エフェソス」へ行ったのは、トルコ10日間の旅行4日目の10月24日(水)でした。前にも書きましたが、僕はどこへ行くのも下調べをしないで行くことが多いのですが、ということは行き当たりばったり、出たとこ勝負で、気になったことは後になって調べることがほとんどです。「トルコ10日間」の旅ではいろいろありましたが、「エフェソスの古代遺跡」は事前にはほとんど知らなくて、これは思わぬ収穫でした。


「エフェソス」は、小アジア最大の古代都市遺跡群です。ギリシャ時代には、小アジアの最大の都市国家として君臨しました。当時の繁栄ぶりを伝える数々の遺跡群が発掘、保存されています。以前、イタリアのポンペイの遺跡を見たことがありますが、それに匹敵する、言葉には言い表せないほどの迫力があります。野外劇場、図書館、アゴラ、大浴場、公衆トイレ、そして教会や住居跡などの遺跡群を見ると、古代人の生活が目に浮かびます。それにしても、石を加工するだけでも大変な労力と技術力です。トロイ遺跡もパムッカレのヒエラポリスも同じですが、まだまだ発掘途上で、全体が姿を表すのは気が遠くなるほど先のことのようです。


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2012年4月5日第4版第1刷発行

編集:ブルーガイド海外版編集部

発行所:実業之日本社





黒澤明監督の「羅生門」(デジタル完全版)を観た!

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テレビで録画しておいた黒澤明監督の「羅生門デジタル完全版」を観たのが去年の4月、見終わって慌てて本屋へ行って芥川龍之介の本「羅生門・鼻・芋粥・倫盗」(岩波文庫版)を購入し、短編なので羅生門だけを一気に読み終わりました。ところがこれが大誤算、映画の原作本は「羅生門」だけではなく、ほとんどは芥川龍之介の「藪の中」でした。芥川龍之介の本は「現代日本文学館20 芥川龍之介」(昭和41年6月1日第1刷文藝春秋舎刊)で読んでいたのですが、押入の天袋の奥に入っていて、出すのが面倒だったので、本屋でまた探すのも何だと思い、そうしているうに時が過ぎてしまいました。実は最近、ある本を探さなければならなくて、そのついでにやっと「現代日本文学館」を探し出し、「羅生門」と「藪の中」を続けて読んだというわけです。そしてもちろん映画「羅生門」を、再度観たわけです。


芥川龍之介は1892(明治25)年、東京市京橋区入船町(現中央区明石町)に新原敏三の長男として生まれ母の実兄芥川道章の家に入った。後、養子となる、と、文庫本の芥川龍之介略年譜にあります。「羅生門」を書いたのは1915(大正4)年、わずか23歳の時、しかも東京帝国大学在学中のことでした。そして1922(大正11)年、30歳の時に「藪の中」を発表します。1927(昭和2)年、田端の自宅で、35歳で亡くなります。芥川の作品を読み直してみて、特に「藪の中」ですが、その物語の構成が緻密で完璧だったのに加え、その細部が一言一句、譲れないギリギリの作品だったことがよく分かりました。若い頃読んではいましたが、そこまでは読めませんでした。


その「羅生門」と「藪の中」を組み合わせて映画化したのは、あの黒澤明です。普通だったらこの組み合わせは思いつきません。黒沢だからこそ、アタマに映像が思い浮かんだのでしょう。戦乱の中で荒廃した羅生門、しかも大雨の中の羅生門、とにもかくにもこの映像が美しく、見事という他ありません。そして本題の「藪の中」、証言の食い違いなどから真相が不分明になることを称して、よく使われています。芥川の小説の中では、映画も同様ですが、「殺人と強姦という事件をめぐって4人の目撃者と3人の当事者が告白する証言の束として書かれており、それぞれが矛盾し錯綜しているために真相をとらえることが著しく困難になるよう構造化されている」と、ウィキペディアペディアにはあります。


「藪の中」(ウィキペディア) からの引用を、以下に載せておきます。


激しい雨の中、荒廃した羅生門で雨宿りをする男2人に対し、木樵(映画では杣売りとされている)が語り部となって『藪の中』が語られていく。原作では死体の第1発見者にすぎなかった木樵は、映画では事の顛末を目撃した唯一の人物となっており、その目撃談が最後に語られる。それによれば、盗人は手込めにした武士の妻に情が移り、土下座して求婚する。しばらく泣いていた妻はやがて顔を上げ、武士の縄を切り、2人に決闘を促す(つまり、決闘に勝った方の妻となるとの意思表示)。しかし武士は、盗人の求婚を拒絶しなかった妻に愛想を尽かし、離縁を言い渡す。盗人はその武士の言動を見てためらい、考え込み、最後は武士に同調し、その場を去ろうとする。すると泣き伏せていた妻は突然笑い出し、2人のふがいなさを罵る。罵られた2人は刀を抜き、決闘を始める。しかし両人とも場慣れしておらず、無様に転げ回って闘う。辛くも盗人が優勢になり武士にとどめを刺す。しかし妻は盗人を拒み、逃げ去る。1人残された盗人も、武士を殺した恐怖心から逃げるようにその場を去った。この木樵の目撃談により、映画では「証言者は各々の保身のために嘘をついていた」という一定の結論が出されている。


げにいつの世も女は強い。そしてキャストが完璧です。なんと言っても京マチ子でしょう、あの平安朝の顔立ちとその表情の素晴らしさ、何人にも代えられません。映画撮影時、26歳ですよ、26歳!当初黒沢は、この役を原節子で考えていたが、眉毛を剃ってオーディションに望んだ京マチ子の熱意を買い、京に決めたという逸話も残っています。そして男優たち、志村喬と千秋実、そして三船敏郎と森雅之、名優ぞろいです。忘れてならないのは上田吉二郎です。あのだみ声で、狂言廻しを引き受けています。


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本谷有希子「嵐のピクニック」軽さへの冒険、新境地!

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初めての短編集「嵐のピクニック」(講談社)で大江健三郎賞に決まった作家本谷友希子。朝日新聞朝刊に「軽さへの冒険、新境地」と題した記事が載りました。本谷はシュールでナンセンスな13編を書き上げ、作家として「ふっきれた」と話す。


短編をまとめて書くことになり、深さや重さを手放すことにした。どれだけ軽くなれるかという冒険。「始めて、自分以上のものに書かされているという瞬間が来た。ふだん考えてもみなかった言葉や透明度の高い文章が出てきた。その波を待ったり、逃したり、つかんだり。幸せな時間でした」という。「まさに新境地といえる」と記事は伝えます。


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府中市美術館で「かわいい江戸絵画」(前期)を観た!

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府中市美術館で「春の江戸絵画まつり かわいい江戸絵画 ニッポンの宝 その論理と歴史」(前期)を観てきました。観に行ったのは「府中の森公園」の桜がまだ開花していない、3月19日のことでした。ここ最近の(「三都画家くらべ」は別として、)府中市美術館のオレンジ色をテーマ・カラーにした展覧会、チラシや図録などを統一したイメージはけっこう強烈で印象に残ります。「江戸絵画」に関してんみ、そのイメージを統一しているのでしょうか。それはそれとしてもたもたしているうちに、もう後期が始まってしまいました。もちろん、府中まで行くつもりでいますけど、お天気が心配です。


案内には、絵画史上「かわいらしさ」が作品のポイントとして打ち出されるようになったのは江戸時代だったとして、「円山応挙は、地面を転がるように駆け回る子犬たちの絵を確立し、歌川国芳は、愛らしくもややこしい猫の魅力を引き出しました。禅僧仙厓は、難解な禅の教えを、思わずほほ笑んでしまうような子供や動物の姿に託しています」と例をあげています。過去の美術史上で使われることのなかった「かわいい」という言葉、近年、若者の間ではこの「かわいい」がやたら使われていますが、この言葉をあえてキーワードとして、これまで見落とされていた江戸絵画の魅力に迫る、としています。


企画に事欠いて「子供」や「動物」を持ち出すのは邪道と言われたりする世界もありますが、図録では同じ子供や動物を描いても「かわいいのか、かわいくないのか」真面目に議論しています。「かわいい絵」の幕開けはかわいいものが多い宗達や光琳を取り上げて、江戸時代前半だとしていますが、江戸時代後半には「かわいい絵」は爆発的な隆盛をみます。円山応挙や長沢蘆雪、伊藤若冲、曾我簫白、さらに池大雅や与謝蕪村らが個性を競います。日本絵画の絢爛の時代にも重なっていると図録では指摘します。それは博多で活躍した禅僧、仙厓義梵、そして江戸の浮世絵師、歌川国芳にまで及びます。


展覧会の構成は、以下の通りです。


1.幕開け―「かわいい絵」はいつから始まった?

2.感情のさまざま―なぜ、かわいいのか?

 かわいそう/健気なもの/慈しみ/おかしさ/小さなもの、

 ぽつねんとしたもの /純真、無垢/微妙な領域

3.かわいい形―「かわいい」には原理がある?

 幾何学・省略・くりかえし/子供の形/つたなさの魅惑

 /素朴をめぐる目/絵本
4.花開く「かわいい江戸絵画」―かわいい絵の時代

 虎の悩ましさ/応挙の子犬、国芳の猫/かわいい名画選


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1.幕開け―「かわいい絵」はいつから始まった?



2.感情のさまざま―なぜ、かわいいのか?



3.かわいい形―「かわいい」には原理がある?



4.花開く「かわいい江戸絵画」―かわいい絵の時代


「かわいい江戸絵画」

日本絵画史上、「かわいらしさ」が作品の重要なポイントとして打ち出されるようになったのは、およそ江戸時代のことではないでしょうか。円山応挙は、地面を転がるように駆け回る子犬たちの絵を確立し、歌川国芳は、愛らしくもややこしい猫の魅力を引き出しました。禅僧仙厓は、難解な禅の教えを、思わずほほ笑んでしまうような子供や動物の姿に託しています。また、かわいらしい題材を描いたものだけではなく、たとえば、文人画の山水や人物にも、見る者の心を和やかにしてくれるものがあります。はかないもの、頼りないものへの共感や愛惜が、あえて素朴に描かれた線や形そのものに対して湧き上がるのかもしれません。はかないものや可憐なものに寄せる思いや慈しむ気持ち、あるいはユーモラスに感じることなど、私たちが「かわいい」という言葉で表すことのできる感情は、実にさまざまです。江戸時代の人々は、そんな豊かな心の動きを絵に表し、絵を通じて楽しみました。また、「かわいい絵」が盛んに楽しまれた背景の一つには、かわいいものを「それらしく」表現する方法が確立されたことがあるでしょう。幼い子供や子犬は、時代を問わず「かわいいもの」だったはずですが、古代や中世の絵に、私たちの目から見て、かわいらしいと思えるようなものは、あまり見当たりません。つまり、「かわいいもの」と「絵としての表現」は別だと考えればよさそうです。現代人を魅了してやまない子供や子犬の絵を描いた応挙や長沢蘆雪。「写生」の画家と言われる彼らですが、ただカメラで撮影するように対象を写しただけで、かわいいと感じる絵ができ上がるでしょうか。彼らは、かわいいものを「かわいい形」として描く術を模索し、確立したのだと言えるでしょう。かえりみれば、造形が立派かどうか、精神の高邁さといった観点から語られてきた美術の歴史の上で、「かわいい」という言葉が使われることは殆どなかったように見受けられます。このたびの展覧会では、近年ちまたで注目を浴びているこの言葉をあえてキーワードとして、これまで見落とされてきた江戸絵画の魅力の根幹に迫ります。

「府中市美術館」ホームページ


とんとん・にっき-fu1 「かわいい江戸絵画」
展覧会企画担当:
金子信久/音ゆみ子

編集:府中市美術館

発行日:平成25年3月9日

発行:府中市美術館








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