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パナソニック汐留ミュージアムで「日本の民家一九五五年」を観た!

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建築をやっている人で「GA」を知らない人はいません。なんらかの世話になっているはずです。二川幸夫の建築写真は、その確かな名鑑識眼で、世界的に認められています。1988年に「ヨーロッパ5ヶ国建築視察旅行」に参加し、スカルパの門を見るためにヴェネツィア大学を訪れた時、玄関を入ってすぐにある書店に、GAの本が平積みされていたのを見て、日本の建築の本がこれほど評価されているのかと驚いた記憶があります。それはすなわち、二川幸夫への評価です。なにしろそれまでの外国の建築の本は印刷が悪くて、とても見るに堪えないものばかりでした。


二川幸夫の本との出会いは、美術出版社から出された「現代建築家シリーズ」でした。各期5巻ずつ第3期に渡って刊行されたもので、当時の世界の有名建築家が勢揃いしていました。第1期第1巻はフランク・ロイド・ライトで、1967年10月10日初版とありますから、たぶん僕は、刊行の途中から購入し始めたと記憶しています。結局追っかけて安い給料の中、なんとか全15巻を揃えました。僕にとってこれらの本はバイブルみたいなものです。全巻写真撮影は二川幸夫で、定価は各巻1700円でした。そこで始めて二川幸夫は建築関連図書を扱う出版社「GA 」をつくることになったのではないかと思います。(A.D.A.EDITA Tokyo)


その後、たしか磯崎新のアドバイスだった?と聞いたことがありますが、グラフ雑誌のような大判の本とつくったら、というアドバイスを受けて建築写真集「GA (クローバル・アーキテクチュアー)」をつくります。世界の著名な建築家の作品を1~2作と特集で取り上げたものです。僕はそうそうお金もないので、アールトとかスカルパとか、好きな建築家の巻を1冊ずつ買っていたのですが、結局は全巻セットで買ってしまいました。その後は「GAジャパン」や「GAハウス」、「GAインテリア(GI)」等々、出すもの出すもの、次々と買うことになってしまいました。さすがにある時からピタリと止めましたが・・・。


そうそう、千駄ヶ谷にあるGAの本拠地「GAギャラリー」、これは早稲田の鈴木洵の設計で、コンクリート打ち放しのものです。今でも行っていますが、新進建築家の「模型展」を毎月のように開催していて、当時は毎回観に行ってました。その模型写真を使って「GAプロジェクト」という本にしていました。いずれにせよ、GAギャラリーに展示されるということは、若手建築家の登龍門でした。


二川幸夫の建築の旅は、1950年代、6年間にわたる日本に民家への旅を起点としています。「日本の民家」(二川幸夫撮影・伊藤ていじ文、美術出版社)には、大地とつながる民家の力強さ、そして民衆の働きと知恵とが見事に表れています。日本各地の民家を写した280点の写真から、再度2012年に約70余点を選びだして、最新のデジタル出力技術により新たにプリントをおこし紹介する展覧会です。日本の多くの原風景が失われたいま、1955年に遡って、若き日の二川幸夫がとらえた貴重な民家の姿を初の展覧会に見ていきます。

展覧会の構成は、以下の通りです。


・「京・山城」

・「大和・河内」

・「山陽路」

・「四国路」

・「西海路」

・「陸羽・岩代」

・「武蔵・両毛」

・「信州・甲州」

・「北陸路」

・「高山・白川」


なお、今回の会場構成は、近年、もっとも注目されている建築家、藤本壮介が手がけています。



日本の民家

「四国路」、「陸羽、岩代」、「高山、白川」





二川幸夫(ふたがわ・ゆきお)
1932(昭和7)年、大阪市生まれ。
大阪市立都島工業高校を経て1956年早稲田大学文学部卒業。在学中に建築史教授の田辺泰の勧めで民家と出会い撮影を始め、1957-59年、美術出版社から『日本の民家』全10巻(文:伊藤ていじ)として発表する。1959年同著で毎日出版文化賞受賞。1970年、建築書籍専門の出版社A.D.A.EDITA Tokyo Co.,Ltd.を設立し、今日に至るまで世界の建築を撮影し発表している。1975年アメリカ建築家協会(AIA)賞、1985年国際建築家連合(UIA)賞、1997年日本建築学会文化賞など多数受賞、1997年紫綬褒章、2005年勲四等旭日小綬章受章。

伊藤ていじ(いとう・ていじ)
1922(大正11)年-2010年。岐阜県安八郡北杭瀬村(現大垣市)生まれ。本名、伊藤鄭爾。
1945年東京帝国大学建築学科卒業。同大学助手、東京大学生産技術研究所特別研究員、ワシントン大学客員教授、工学院大学学長、文化財保護審議会委員、文化財建造物保存技術協会理事長を歴任する。1961年日本建築学会賞(論文) 受賞。主要著書に『中世住居史―封建住居の成立』(東京大学出版会)、『日本デザイン論』(鹿島出版会)、『日本の民家』、『重源』(新潮社)など。



「日本の民家一九五五年」

この国の自然と風土、歴史と文明のなかから生まれ、育まれてきた庶民の住まい「民家」。モダニズムの建築や今日の住宅を考える上でも、私たちの原点といえるでしょう。一方で快適で合理的なライフスタイルを優先する現代的な感覚にはそぐわなくなり、いにしえの民家は日本の風景から確実に姿を消しつつあります。1957年から59年にかけて発行された『日本の民家』全10巻は、日本が国際的な経済発展に向けて飛躍しようとしていた頃に、あえて民家の最期の美しさにカメラを向けて、世間を瞠目させました。大地とつながる民家の力強さ、そしてそこに蓄積された民衆の働きと知恵をとらえた280点のモノクロ写真は、現在、国際的に高く評価される二川幸夫が20歳前後に撮影したものです。文章は当時新鋭の建築史家、伊藤ていじ(1922-2010)が著しました。二川幸夫は確かな評価眼を通して見たものを建築写真として定着し、自ら主宰する出版社を中心に発表してきました。優れた建築を追って世界中を駆け巡り、比類のない作品を精力的に残してきた彼の建築の旅の原点は、この『日本の民家』にあります。本展は1955年にさかのぼって、若き日の二川幸夫がとらえた貴重な民家の姿、そして日本人の本来の逞しさと しなやかさを、選び抜いた約70点の作品にご覧いただきます。ここに見るような建築のあり方を、これからの 日本で再構成することはできるのでしょうか―そんな想像がふくらむ展覧会です。


「パナソニック汐留ミュージアム」ホームページ


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「日本の民家一九五五年」(普及版)

著者:二川幸夫

発売美:2012年12月26日

出版社:ADAエディタートーキョー

二川幸夫の写真家、編集者としての原点
半世紀前のフィルムがデジタル技術で美しく蘇える。
古き日本がここにあります。
1957-59年に美術出版社から刊行されたB4版の「日本の民家」を、2012年の視点で再編集。
厳選されたカットのみで構成された永久保存版です。








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東京国立博物館で「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」を観た!

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東京国立博物館で「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」を観てきました。円空は30代半ばから約30年にわたり、北海道から近畿を修行で巡り、人々に仏像を彫り与えたという。「飛騨の円空展」では、岐阜県高山市の千光寺の61体を中心に、高山市内所蔵の仏像が約100体が並びました。会場は、ところ狭しと円空仏が立ち並び、残念ながら狭い感じがしました。


ともに開催されたのは東京国立博物館でしたが、一つは「対決巨匠たちの日本美術」展のときの円空と木喰、もう一つは「仏像特別展」、これも円空と木喰だったと記憶しています。いずれにせよその2つの展覧会が、僕の円空や木喰との出会いだったと思います。その後、埼玉県立歴史と民族の博物館で開催された「円空展」、これはいま思うと画期的な展覧会でした。正式には、「特別展 円空こころを刻む―埼玉の諸像を中心に―」とあります。円空は埼玉県に何度も足を運び、100体を超す像を残しているといわれています。岐阜や愛知に次いで確認数が多いという。図録によると、その時展示された円空仏は68体にも及んでいます。


美術史家の辻惟雄先生は、朝日新聞紙上で次のようなコメントをしています。

円空の仏は展俵や鎌倉の仏像に比べ、素人っぽく「洗練された」形ではないが、芸術的な開館を人に与える。白隠も、既成の絵画の枠を破った個性的な表現。そういう観点から2人は注目されてきたと思います。欲など、こだわりを捨てることで強くなるという仏教の教化法を、作品を通じて実証してみせたのがすごい。アーチストが絵の修行に打ち込むだけでは、こんな風にはできないかも。


「飛騨の円空」みどころ

・千光寺の円空仏を一挙公開

円空仏の寺として知られる飛騨・千光寺。本展では千光寺のほぼすべての円空仏61体を一挙に公開します。飛騨の伝説の鬼神を表す「両面宿儺座像」が江戸時代以来約300年ぶりに寺外で公開されるほか、白洲正子が著書「十一面観音巡礼」で美しいと記した「三十三観音立像」など、数ある円空仏のなかでも屈指の名作が揃います。

・秘仏「歓喜天立像」を特別開帳

千光寺でも7年に一度しか公開されない、秘仏「歓喜天立像」が公開されます。

・飛騨の円空仏100体が一堂に

現在知られてる約5000体の円空仏のうち、1500体以上が岐阜県にありますが、飛騨高山には、とりわけ多彩な円空仏が残されています。「千手観音菩薩立像」(清峰寺)、「柿本人麻呂座像」(東山神明神社)など、高山市内の14の寺社が所蔵する100体を東京で始めて一堂に紹介します。

・飛騨高山の森、上野に出現

円空は、木を割り、鑿で彫って像を作りました。その表面には漆や色を塗っていません。木目や節が見え、円空仏が「木」であることを強く印象付けています。展覧会の会場には、ほとけの形をした木が100本林立することになります。これらの木はすべて高山の木に違いありませんから、飛騨高山の森が上野に出現することになるのです。


円空(1632-95)とは

江戸前期の遊行造仏僧。美濃(岐阜県)出身の天台僧。尾張(愛知県)・高田寺で金剛・胎蔵両部の密法を受けたのち諸国巡歴の遊行に出る。その足跡は美濃・飛騨を中心に、関東、東北さらには北海道にまで及ぶ。素材を生かし樹木そのものに宿る霊力を残しながら、鑿や鉈による荒々しい削りあとを露わにした独自の「円空仏」を刻む。生涯で十万体の仏像を作るという大願を立てたといい、今なお全国に数千体の作例が伝わる。(「対決巨匠たちの日本美術」より)


「飛騨の円空」主な作品





「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」

各地の霊山を巡り、生涯で12万体の仏像を彫ったという円空(1632-95)。円空は訪れた土地の山林の木を素材にして、あまり手数を掛けずに仏像を造りました。表面には何も塗らず、木を割った時の切断面、節(ふし)や鑿跡(のみあと)がそのまま見える像が多くあります。木の生命力を感じさせ、素朴で優しい円空の仏は江戸時代以来村人に親しまれ、今も多くの人の心をひきつけます。この展覧会では、「両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)」など、岐阜・千光寺(せんこうじ)所蔵の円空仏61体を中心に岐阜県高山市所在の100体を展示します。穂高岳、乗鞍岳など円空が登った山の名前を書いた像もあります。 林立する飛騨の円空仏。展示室に飛騨の森の空気が満ちることでしょう。


「東京国立博物館」ホームページ

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畠山記念館で「春を祝う―仁清・乾山・光琳―」を観た!

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「畠山記念館」入口

今回の畠山記念館の展覧会、目を引いたのは尾形光琳筆の重要美術品「白梅模様小袖貼付屏風」でした。過去のブログを見直してみると出てきませんが、どこかで観た記憶があります。この二曲一双の屏風、もとは萩地文の白倫子の着尺地に墨梅を描いて小袖に仕立てられたものを後世解いて一双の金地屏風に貼付け調度として用いたもので、「誰が袖屏風」の趣も看取される、と図録で解説しています。


光琳が実際に小袖に絵筆をふるった例として、深川の豪商冬木家に伝来し秋草文様を彩色したものが「冬木小袖」(東京国立博物館 重要文化財)と称されて著名である、と図録では続けています。


絵画では、酒井抱一の「乙御前図」と、鈴木基一の「曲水宴図」がある。乙御前(おとごぜ)とは、狂言などに使われる不器量な女の面のことで、額、鼻、あごが平で頬の出た三平二満の顔のことで、またそのような女性のことをいい、お多福やお亀とも言われます。抱一の「乙御前図」はふくよかに全身を描き、つま先をちらりと見せ、顔を袖で少し隠しつつ愛橋のある微笑を浮かべています。着物には松竹、帯に梅といった吉祥の模様が描かれています。


基一の「曲水宴図」、曲水宴は中国古代周時代に始まったとされ、日本では宮中の五節句の行事の一つとして3月3日に催された詩歌の遊びです。御苑の庭に御溝水(みかわみず)を引き、川上から觴(盃)を流して各々眼の前に流れてきた時これを取り、歌を詠むという、宮中らしい雅な趣をよく表しています。桃の花がほころぶ中、宮人が筆と紙を手に歌を考える姿が色彩豊かに描かれています。春の訪れの喜び、暖かさが伝わってきます。


今回は京焼の大成者・野々村仁清から、その弟子の尾形乾山へと伝わったやきものが、主の展覧会です。茶道具ややきものは、やはり畠山記念館だけのことはあります。畠山記念館といえば、今回は出ていませんが、古田織部が所持していたと伝えられる「割高台茶碗」がよく知られています。高台を4つに割る十文字の削り込みが特徴のものです。それはさておき、今回は本阿弥光悦の「赤樂茶碗 銘李白」が、また尾形乾山の作、尾形光琳の絵による「銹絵染付火入 銘赫々」が存在感を放っていました。


よくわからなかったのは野々村仁清の「銹絵富士山香炉」、これはけっこう大きいのですが、使い道がよくわかりません。他にも名品がたくさん出ていましたが、茶道具ややきものは奥が深く、よくわからないことだらけです。まあ、何度か観ているうちに、少しずつわかってくるものなのでしょう。


「春を祝う―仁清・乾山・光琳―」








「春を祝う―仁清・乾山・光琳―」

京焼の大成者といわれる野々村仁清とその弟子尾形乾山のやきものに加え、日本美術のなかでも人気の高い尾形光琳ら琳派の絵画を交えながら、吉祥や慶賀の意味が込められた作品を中心に館蔵の優品をご紹介いたします。なかでも尾形光琳筆の重要美術品「白梅模様小袖貼付屏風」は平成19年に開催した「琳派展」以来6年ぶりの公開となります。また今回は、本阿弥光悦作の「赤楽茶碗 銘 李白」を中心に、小堀遠州作の「共筒茶杓 銘 一つ松」や尾形乾山作の「結鉾香合」、野々村仁清作の「竹節蓋置」など、春の到来を祝う趣向で茶道具類を取り合わせます。清新かつ華やかな雰囲気を、茶室と茶庭のある空間でどうぞお楽しみください。なお、今年も会期後半の2月16日(土)から3月20日(水・祝)の間に「次郎左衛門雛」を展示いたします。愛らしいお雛様とともに春を祝いにいらしてください。


「畠山記念館」ホームページ


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「與衆愛玩 琳派」

発行日:平成19年4月3日

編集・発行:財団法人畠山記念館

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入場券

画像は

重文金銀泥四季草花下絵和歌巻(部分)









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ミヒャエル・ハネケ監督・脚本「愛、アムール」を観た!

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ミヒャエル・ハネケ監督・脚本「愛、アムール」を観てきました。ハネケの作品は、過去の「白いリボン」を観たことがあります。「白いリボン」は2009年、そして「愛、アムール」は2012年、カンヌ映画祭最高賞パルム・ドールを受賞し、なんと2作品連続という快挙を成し遂げたという。調べてみたら、パルム・ドール2作品受賞している監督はハネケを含めて7組、日本人では今村昌平監督が1983年「楢山節考」、1997年「うなぎ」で、2作品受賞しているそうです。


人間誰しも避けて通ることのできない「老い」と「死」。この映画は老いた夫婦の、老いとの戦いの物語です。夫ジョルジュとその妻アンヌ。パリ中心部の高級アパルトマンに住む、ともに音楽家の老夫妻です。アンヌの愛弟子のピアノ演奏会に2人揃って行き、満ち足りた一夜を過ごしました。翌日、朝食の最中、アンヌに小さな異変が起こります。アンヌは病に冒され、病は徐々に進行していました。医者嫌いのアンヌは病院に戻さないでくれと夫ジョルジュに懇願します。ジョルジュは妻の言うことを受け入れ、自宅でともに暮らすことを決心します。


アンヌは誇りを失わず、これまで通りの生活を貫きます。離れて暮らす一人娘のエヴァも、そんな彼らの生活を尊重し、敬意を持って見守ります。アンヌの病状は確実に悪化し、ほとんど一人ではなにもできないほどにまで進行します。看護師に加えて雇ったヘルパーの心ない仕打ちに毅然とした態度で向き合い、ヘルパーを解雇します。それでもジョルジュは、アンヌに対して献身的に世話を続けます。ますます世の中からも2人は孤立していきます。2人きりになったジョルジュとアンヌ。夫はうつろな意識の妻に向かって、懐かしい日々の思い出を語り出します。そして破局が・・・。


以下、とりあえずシネマトゥデイより引用しておきます。

チェック:第65回カンヌ国際映画祭で、最高賞にあたるパルムドールに輝いたヒューマン・ドラマ。長年にわたって連れ添ってきた老夫婦が、妻の病を発端に次々と押し寄せる試練に向き合い、その果てにある決断をする姿を映し出す。『ファニーゲーム』『白いリボン』の鬼才ミヒャエル・ハネケが、沈痛かつ重厚なタッチで追い詰められた老夫婦が見いだす究極の愛を浮き上がらせていく。『Z』『消される男』のジャン=ルイ・トランティニャン、『トリコロール/青の愛』のエマニュエル・リヴァと、フランスが誇るベテラン俳優が老夫婦を演じているのにも注目。

ストーリー:パリ在住の80代の夫婦、ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)とアンヌ(エマニュエル・リヴァ)。共に音楽教師で、娘はミュージシャンとして活躍と、充実した日々を送っていた。ある日、教え子が開くコンサートに出向いた2人だが、そこでアンヌが病で倒れてしまう。病院に緊急搬送され、かろうじて死だけは免れたものの、半身まひという重い後遺症が残ってしまう。家に帰りたいというアンヌの強い願いから、自宅で彼女の介護を始めるジョルジュ。しかし、少しずつアンヌの症状は悪化していき、ついに死を選びたいと考えるようになり……。


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「愛、アムール」公式サイト


過去の関連記事:
ミヒャエル・ハネケ監督の「白いリボン」を観た!

「アメリカンハンバーガー EAT渋谷ヒカリエ店」でハンバーガーを食べる!

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Bunkamuraザ・ミュージアムで「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」を観た後、出口にあった「パトラッシュ基金」の募金箱にに少々募金をしてから、昼食に「アメリカンハンバーガー EAT渋谷ヒカリエ店」でハンバーガーを食べてきました。このお店はヒカリエがオープンした時から知っていましたが、何度か行ったのですがいつも長蛇の列で、なかなか入ることができませんでした。さすがに最近は土曜日・日曜日以外はそれほど混んでいないようで、すぐに座ることができました。僕が頼んだのは「EAT Burger」、家人が頼んだのは「B.L.T.A.E Sandwich」です。メニューには以下のように書いてあります。


「EAT Burger」

100%ビーフのジューシーなパティ、カリッと焼いたバンズ、たっぷりの新鮮野菜にホームメードのサウザンソースをサンド、アメリカンサイズのバンバーガー!

「B.L.T.A.E Sandwich」

カリッとトーストしたイギリスパンに、こんがり焼き上げたお肉、たっぷりの新鮮野菜をサンド、フライパンで仕上げた目玉焼きが決め手!











「アメリカンハンバーガー EAT渋谷ヒカリエ店」


とんとん・にっき-rub2 「ルーベンス 栄光のアントワープと原点のイタリア」

2013年3月9日(土)~4月21日(日)

Bunkamuraザ・ミュージアム

とんとん・にっき-hum1パトラッシュ基金 」募金箱

パトラッシュ基金は、

盲導犬の育成普及活動を

支援しています。
ルーベンス展出口にあります。









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興梠一郎の「中国 目覚めた民衆」を読んだ!

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興梠一郎の「中国 目覚めた民衆」(NHK出版新書:2013年1月10日第1刷発行)を読みました。この本を知ったのはラジオでした。朝、TBSラジオの「森本毅郎・スタンバイ」を聞いていたら、コメンテーターの伊藤洋一がこの本を紹介していました。伊藤の肩書きは、三井住友トラスト基礎研究所主席研究員です。実は「中国 目覚めた民衆」ともう一冊、柯隆の「中国が普通の大国になる日」(実業之日本社:2012年10月20日初版発行)を紹介していたのですが、購入はしましたがまだ読んでいません。


僕はこのような分野の本は、ほとんど読まないのが通例なのですが、たまたま聞いたラジオで解説していた伊藤の説得力のあるコメントと紹介で、ついつい購入してしまいました。著者の興梠(こうろぎ)一郎は、1959年、大分県生まれ。神田外語大学教授。専攻は現代中国論。と略歴にあります。九州大学経済学部卒業後、三菱商事中国チームを経て、カリフォルニア大学バークレー校大学院修士課程修了。東京外国語大学大学院修士課程修了。外務省の専門調査員・分析院を歴任。著書に、「現代中国」「中国激流」(ともに岩波新書)、「中国」(文藝春秋)など。


本の帯が、強烈で印象的です。「反日デモの真相から危機の共産党まで」、外務省の分析員をつとめた中国通が描く巨大国家の素顔、とあります。裏表紙に続けて、習近平の中国は、変わることができるのか? いま一番知りたい中国の最新事情を収載!と、読みたくなるようなキャッチーなフレーズが続きます。目次を見ても、キャプションのつけ方が非常に上手い。


本のカバー裏には、以下のようにあります。

習近平体制が指導した中国は、これからどこへ向かうのか?反日デモやネット世論の検討から、“超”格差社会が限界に達し、覚醒した民衆が政府批判を強めている様を活写する。高度成長にも陰りが見え、共産党は危機的状況にある。日本はこの巨大化した隣国とどう向き合い、尖閣問題はいかに解決すべきなのか。―新指導部の分析や日中関係への提言も盛り込んだ意欲作!


2012年11月、習近平総書記をトップとする中国共産党の新指導部が誕生しました。習近兵隊生で中国はどうなるのか。経済成長は持続できるのか、中国は民主化するのか。日中関係はどうなるのか、等々。中国は、1966年から約10年間続いた「文化大革命」の混乱に終止符を打つと、「改革開放政策」のもと、1978年から今日まで、奇跡的な経済成長を成し遂げ、いまや中国は、日本を抜いて世界第2位の経済大国になりました。誰もが13億の人口を抱える中国に関心を持たずにはいられません。がしかし、昨今の尖閣問題をめぐる日中対立に端を発した中国で起きた反日デモの衝撃からまだ立ち直れてはいません。


著者はめまぐるしく変化する中国を理解するには、新しいアプローチが必要だ、という。目覚めた民衆が、ネットという武器を使いこなし、バーチャルな空間で横につながり、あっという間に共産党を包囲してしまういまとなっては、崎乃固定したイメージを持ち、それに中国を当てはめようとしても、ことごとく裏切られ、これまでの方法論はまったく通用しなくなっています。著者は言う。中国はもはや共産党の中国ではない。表向きは鉄壁に見える一党独裁体制だが、5億人を超えるネットユーザーが生み出す世論のうねりが政権を包囲し、その支配を根底から揺るがしつつある。


これからの中国を読み解くカギは、目覚めた民衆の「民意」である、といいます。「中国 目覚めた民衆」は、現地の生情報をフルに使い、中国をリアルに描き出すべく、反日デモ、中国経済、ネット世論、党大会、習近平体制、尖閣問題、日中関係など最新の話題も数多く取り上げられています。報道されなかった裏情報も数多く盛り込まれています。著者の中国通からか一般の人にもわかりやすく書かれており、しかも平易な文章で読みやすい。


目次

第1章 反日デモの真相

    ―“超”格差社会のひずみ

第2章 高度成長のアキレス腱

    ―深刻な土地問題

第3章 目覚めた民衆

    ―ネット世論の台頭

第4章 揺らぐ一党独裁

    ―習近平体制のゆくえ

第5章 日中関係の改善に向けて

    ―戦略的互恵関係の構築




仙台市博物館で「若冲が来てくれました」を観た!

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仙台市博物館で東日本大震災復興支援「若冲が来てくれました―プライスコレクション 江戸絵画の美と生命」を観てきました。観に行ったのは3月5日(火)、新幹線で仙台へ行って、博物館で「若冲」を観て、駅ビル地下で「牛タンシチュー」を食べて、新幹線で帰ってきたという、ただ“それだけ”の旅でした。“それだけ”といっても、それ相応の収穫はありました。なにしろ相手は「若冲」でしたから・・・。


今回の「若冲が来てくれました」は、東日本大震災の報に接したジョー・プライス氏と悦子夫人の「東北の人々に美しいものをお見せしたい」という思いによって実現したもので、選りすぐりの絵画100店があまり火から海を越えてやってきました。伊藤若冲の作品を集めた個人コレクションとしては、世界で最高の質と量を誇るプライスコレクション。ほかにも曾我簫白や長沢芦雪、酒井抱一など江戸絵画を代表する画家の優品が目白押しです。


2008年夏に東京国立博物館で開催された「対決―巨匠たちの日本美術」、なにごともこの展覧会に戻って考えるという習性が身についています。僕の場合ですけど・・・。若冲は曾我簫白と「対決」していました。


伊藤若冲は、京都錦小路の青物問屋の長男に生まれ、家督を継いだが、絵を描くことに熱中、40歳で隠退してから85歳で亡くなるまで、画業に専念しました。はじめ狩野派の手ほどきを受けたが、親交のあった相国寺の僧大典の助言で、中国花鳥画の理念である写生に目覚め、自宅の庭に鶏を飼って観察、写生に努め、また寺院に伝わる元明の花鳥画を模写、新しく伝わった沈南蘋の花鳥画画風にも学んで、独自の花 鳥画風をつくりあげたのが30歳代のが30歳代の末です。家督を弟に譲って10年ほどかけて、絹地着色の「動植綵絵」30幅を完成させ、相国寺に寄進しました。この作品は現在、宮内庁三の丸尚蔵館にあり、写実と華麗な装飾性に、彼独自のアニミスティックな視覚が加わった類のないもので、若冲のみならず、江戸時代絵画の代表作として最近評価を高めています。(対決―巨匠たちの日本美術より引用)


「動植綵絵」30幅は「皇室の名宝―日本美の華」で観ました。「旭日鳳凰図」、「雪中遊禽図」、「石灯籠図襖風」は、「対決巨匠たちの江戸絵画」で観ました。他に、静岡、千葉美術館、細見美術館などで、若冲の作品は観てきました。今回の目玉は何といっても「鳥獣花木図屏風」でしょう。約1センチメートル四方の方眼からなるタイルを貼り付けたようにも織物のようにも見える、「桝目描」といわれる手法で描かれた作品です。若冲のこの「桝目描」という不思議な作品は、「白象群獣図」(個人蔵)、「樹花鳥獣図屏風」(静岡県立美術館)、そしてプライスコレクションの「鳥獣花木図屏風」の3点が残されるだけだという。現在の所、僕はこの3点を観たことになります。この他にもう1点、八曲一隻屏風「釈迦十六羅漢図図屏風」があるようだが、現在は所在がわからないという。


そういえば、静岡県立美術館で開催された「アナザーワールド」の際に、小林忠さんの講演を聞きに行きました。小林さんは「プライス本」についてどういう見解を持っているのか図録で確認したところ、以下のように述べていました。その丹念で緻密な色点の充填による独創的な作画の執拗なほどの持続力、異国や想像上の鳥獣を数多く動員するたくましい好奇心、子供のような無邪気であどけないユーモア精神などなど、作品のすぐれた美質にこころを揺すられるからである。現在の若冲ブームを巻き起こした原動力の一半は、このプライス本「鳥獣花木図屏風」の衝撃的な造形美に帰せられるといっても良かろう、と。


展覧会の構成は、以下の通りです。チラシには「子供たちに江戸絵画の楽しさを知ってもらうため、展示では、わかりやすい作品名称と開設で作品の魅力を紹介します」とありました。

1.ようこそプライスワールドへ

 (1)目がものをいう

 (2)数がものをいう

 (3)○と△

2.はる・なつ・あき・ふゆ

3.プライス動物園

4.美人大好き

5.お話きかせて

6.若冲の広場

7.生命のパラダイス



1.ようこそプライスワールドへ

 (1)目がものをいう


 (2)数がものをいう


 (3)○と△



2.はる・なつ・あき・ふゆ


3.プライス動物園


4.美人大好き


5.お話きかせて


6.若冲の広場



7.生命のパラダイス



東日本大震災復興支援 「若冲が来てくれました」

プライスコレクション 江戸絵画の美と生命

プライスコレクションは、優れた江戸絵画のコレクションとして世界的に知られています。本展覧会は、東日本大震災の報に接したジョー・プライス氏と悦子夫人の江戸時代の楽しく美しい絵画が、東北地方の人々を少しでも勇気づけられれば、という願いによって実現するものです。展示では、子供たちも楽しく鑑賞できるように、感じの多い作品名称をわかりやすい名称に、解説も親しみのもてるものにします。人気の高い伊藤若冲をはじめ、円山応挙や長沢芦雪、酒井抱一など様々な画家たちによる美しく、ときにユーモラスな江戸絵画の世界をどうぞお楽しみください。


「仙台市博物館」ホームページ


とんとん・にっき-jya1 東日本大震災復興支援

「若冲が来てくれました」

プライスコレクション

江戸絵画の美と生命

展覧会図録

2013年3月1日初版第1刷発行

監修:辻惟雄

編集:仙台市博物館

    岩手県立美術館

    福島県立美術館

    日本経済新聞社文化事業部

発行:日本経済新聞社


過去の関連記事:
京都・細見美術館で「江戸絵画の至宝 琳派と若冲」を観た!
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茨城県近代美術館で「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」を観た!

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茨城県近代美術館で「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」を観てきました。あの未曾有な災害をもたらした東日本大震災から2年、遅々として復興が捗らない現場をみて、忸怩たる思いがあります。僕自身、大震災から3ヶ月後に気仙沼を、6ヶ月後に石巻を2度に渡り被災地を見て回りました。2年目の追悼番組を見ると、ほとんど復興が進んでいない状況が露わになって映し出されていました。いったい今後、いつまで続くのか、不安でなりません。


それはさておき、手をこまねいているだけではいられません。様々な分野で復興への足がかりを掴もうと努力が成されています。建築の分野でも様々な努力が行われています。なかでも伊東豊雄のグループが幾つかの成果を残しています。その活動の経過がヴェネツィア・ビエンナーレで展示され、最高の賞を獲得したりもしました。また坂茂の活動も見逃せません。


そうした動きのなかで、アートの分野でも様々な試みが成されており、茨城県近代美術館でも「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」が開催されました。テーマは「自然と芸術」、テーマが漠然として大きすぎるからか、展示を見ると拡散の傾向が大きく前面に出て、収斂するにはほど遠い現状でした。横山大観や木村武山らと、現代のアーティストは、交わるところがほとんどありません。確かに困難なテーマではあります。


もちろん目玉は横山大観の「生々流転」であることは言うまでもありません。絹本墨画で画巻55.3cm×4070cmというとんでもない大作です。1923(大正12)年に描かれたもので、重要文化財に指定されています。横山大観は水戸出身の日本画家であり、1889年開校の東京美術学校に第一期生として入学、橋本雅邦らに師事。93年同校卒業、jy教授として残るが98年岡倉天心に殉じ同校を連袂辞職、日本美術院創立に参加しました。1914年下村観山らと日本美術員を再興し、岡倉の遺志を継いで院の運営と発展に尽力しました。生涯にわたって、日本画の改革と理想的絵画を追い続けました。37年文化勲章受章、と略歴にあります。


たまたま水戸で、学芸員による「生々流転」の解説を聞くことができました。また巻物をどうやって扱うかの手ほどきもありました。普段は美術館などで展示されている巻物は、人が歩いてみるものだが、本来巻物は少しずつ肩幅に拡げて、巻ながら見るのですよと教えられ、一人ずつ現物を巻ながら肩幅まで拡げ、その部分を解説していただきました。昨年末、東京国立近代美術館でも「生々流転」は展示されていました。その図録には、以下のようにあります。


山間に湧く雲が一滴の雫となり、雫が集まって川と流れ、最後には大海に注いでまた雲となる。そうした終わりのない水の変転を、全長40メートルを超える画巻に描いた横山大観畢生の大作である。タイトルの「生々流転」とは、万物が常に生死を繰り返し、移り変わっていることを意味する。ここに描かれているのは水の変転であるが、それは当然ながら人の一生をも象徴しているのである。(「美術にぶるっ!」図録より)


以下、横山大観「生々流転」

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「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」

二年前に起きた東日本大震災以前に、私たちが人間について、自然について考えていたことは、その後の二年間に大幅に再考を求められているのではないか。 それほど、突然おこった大地震は私たちのものの見方に影響を与えていると思われる。本展覧会はそのような視点から企画されたものである。例えば自然について考える際、人間は陸の上のわずかな場所を、人間が住める場所として選び社会を営んでいるが、その外側に広がる自然界は自然自体のバランスを保つために動き続けているものであり、 時として人間にとっては逃げることができない巨大な破壊力となって迫ってくるということを、現在の私達は肌で感じるようになった。 そのように地震によって影響を受けたものの見方で作品に接すると、すでに見慣れている美術作品であっても、今までは気がつかなかった面、つまり芸術家は自然に向かいあって絵を描いたり、 彫刻を彫ったり、立体作品を作ったり、写真を撮ったりする際に、一般的に捉えられていた人間にとって都合のいい自然への視点によらずに、もっと異なる独自の視点から自然の本質にせまろうとしていたことに 改めて気づかされることになるだろう。本展覧会では、震災(関東大震災、阪神淡路大震災、東日本大震災)に関わる、横山大観や、木村武山、河口龍夫らの作品の他、 橋本平八「石に就て」、楢橋朝子「Jindo, 2009」などのそれぞれの作家が独自の視点で自然の本質を捉えようとした作品により構成し、人間と自然との本当の関係について考える。


「茨城県近代美術館」ホームページ


とんとん・にっき-kin1 「3.11 ユニセフ 東日本震災報告写真展」



水戸芸術館で「坂茂―建築の考え方と作り方」を観た!

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水戸芸術館で「坂茂―建築の考え方と作り方」を観てきました。今回の展覧会は、行動する建築家、坂茂の初の大型個展です。坂の初期・代表建築作品から素材や設計における試み、ライフワークである災害支援プロジェクトの活動が紹介されていました。自然災害といかに関わり生きていくかが問われている現在、建築の可能性、建築家の仕事や拡張する役割、そしてわれわれに何ができるのかを坂の活動を通して探るのが、展覧会の主旨といえます。

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「坂茂―建築の考え方と作り方」

1.紙の茶室 2008
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2.紙の家 1995
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3.10-UNIT SYSTEM 2009

4.多目的展示パネル 1988

5.モジュールアッシュ 2012

6.紙の構造

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7-1.ハノーバー国際博覧会日本館 2000
7-2.ハノーバー国際博覧会日本館 2000
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8.内外の連続

9.ガラスシャッター 2008

10.木の可能性

11.プレハブ

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12.家具の家 1995~

13.新仮設住宅システム 2013

14.災害支援

15.災害支援マップ

16-1.成都市華林小学紙管仮設校舎 2008

16-2.成都市華林小学紙管仮設校舎建設風景

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17-1.避難所用間仕切りシステム 2011

17-2.避難所用間仕切りシステム 設置後風景

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18.UNHCR用の紙のシェルター 1999

19.ガラス作家のアトリエ 2006

20.紙のログハウス 1995

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21.紙の教会 1995

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22.大分県立美術館 2015(予定)

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23-1.ポンピドー・センター-メス 2010

23-2.ポンピドー・センター-メス 建設風景

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24.ナインブリッジズゴルフクラブハウス 2010
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25.タメディア新本社 2013
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26.女川町仮設住宅 2011

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26.女川町仮設住宅 コンテナ仮設住宅

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坂茂プロフィール:

1957年東京生まれ。クーパー・ユニオン建築学部を卒業。82年、磯崎新アトリエに勤務。85年、坂茂建築設計を設立。95年から2000年まで国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)コンサルタント、同年にNGO VAN設立。現在、京都造形芸術大学芸術学部環境デザイン学科教授。
主な作品:

「カーテンウォールの家」、「ハノーバー国際博覧会日本館」、「ニコラス・G・ハイエック・センター」、「ポンピドゥーセンター・メス」他多数
主な受賞:

フランス建築アカデミー ゴールドメダル(2004)、アーノルド・W・ブルーナー記念賞建築部門世界建築賞(2005)、日本建築学会賞作品部門(2009)、フランス芸術文化勲章(2010)、オーギュスト・ペレ賞(2011)、芸術選奨文化部科学大臣賞(2012)他多数

建築家・坂茂の創作と活動を包括的に紹介する日本で初めての大規模個展
本展では、紙管をはじめとする様々な材料や構法を用いることで、住宅から公共施設、そして災害支援に至るまで、多くのプロジェクトを世界各地で進行させる建築家、坂 茂(ばん・しげる)の活動の全貌を紹介します。坂の作品の特徴は、我々が普段、気にもかけずに見過ごしがちなものの中に建築の材料として特性を見出し、それを建築作品として実用化するところにあります。坂はそのキャリアの早い段階から、これらの材料を用いつつ優れたデザインで解決する建築家として、独自の建築手法を展開してきました。例えば、80年代に再生紙でできた「紙管」に着目した坂は、多くの研究と開発を経て「紙の家」や「ハノーバー国際博覧会日本館」を実現させた一方、安価でどこでも入手できるという利点を活かして、「紙のログハウス」「避難所用簡易間仕切り(Paper Partition System)」といった災害支援へと発展させました。また、海上輸送コンテナを利用した「ノマディック・ミュージアム」や、それを多層化させて実現した「コンテナ多層仮設住宅(宮城県女川町)」、街角で見かけた中国製の帽子にヒントを得た「ポンピドゥーセンター・メス」など、その活動は幅広く、国際的に高い評価を受けています。本展では、坂の初期作品から代表作「ポンピドゥーセンター・メス」、および進行中のプロジェクトに至るまで、坂茂の仕事を写真、映像、模型、立体展示で辿ります。日本初の試みとなった3階建てのコンテナ仮設住宅の実物大モックアップ(一世帯)を屋外に展示し、坂茂の活動の全貌を俯瞰できる構成を予定しています。


「水戸芸術館」ホームページ


過去の関連記事:

大分県立美術館のコンペで坂茂が最優秀者に
「被災地支援 建築家の提案」
坂茂(ばんしげる)の建築






西川美和監督の「夢売るふたり」を観た!

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TUTAYAの新作コーナーの棚に「夢売るふたり」があったので、さっそく借りて観ました。西川美和監督の「夢見るふたり」は何度か予告編で観ていて、映画館で上映されたら観に行こうと思っていたのですが、なぜか見逃してしまいました。西川監督の作品は「ゆれる」「ディア・ドクター」に続き、観るのは3作目です。


火災ですべてを失ってしまった夫婦が、ふたたび店を持つため、再出発に選んだ手段は、夫婦で結婚詐欺、でした。この作品は「大人の女性の生きづらさ」を描いた映画だという。田中麗奈や鈴木砂羽、木村多江、等々、「女性図鑑」とも言えるほど、さまざまな女性が登場します。もちろん主人公・阿部サダヲの妻役で、結婚詐欺を思いつく松たか子もその一人です。映画の中頃、女性の声で以下のようなモノローグが流れます。説明過多にならず、サラリとこの作品の主旨を伝えようとしています。


この都会の暗い地面には、自分の光を失った星たちがたくさん落ちて散らばっている。あなたは完璧な男である必要なんてないのよ。ただ物事には万に一つのタイミングっていうのが必ずあるのよ。それをつかみ取りさえすれば、あなたは星たちを照らす小さな太陽になれるはず。みんな寂しくて、惨めな思いを抱えているのよ。


夢なんてほんの少しで十分よ。少し、少し、少しだけ素敵な夢を見せてあげれば・・・。やさしい星たち、まばゆい星たち。そのきらめきに、ほんの少しだけ色をつけてあげましょう。そうすれば、みんなきっとあなたのために輝いてくれるわよ。


いい映画は、いろんな女性の職業が出てきますが、やはり脇役が素晴らしい。田中麗奈や鈴木砂羽、木村多江、等々、いいですね。ソープ女性もウエートリフティングの女性も、孤独感が漂い好演しています。阿部サダヲ、男の側から見るとけっしてイイ男には見えないんですけど、どうしてこんな男に女性はコロッといってしまうんですかね。あるいはこれは、西川美和の男性観なのかもしれませんが・・・。ラストは思いもよらない意外な結末でした。松たか子が指先をティッシュで拭くシーンなんか、ゾクゾクしました。フォークリフトの運転さばきも見事、やはり最後は松たか子のアップで終わります。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:『ディア・ドクター』などで高評価を得た西川美和監督がメガホンを取り、松たか子と阿部サダヲが結婚詐欺に手を染める夫婦を演じる異色のラブ・ストーリー。小料理屋を営む夫婦が火事で全てを失ったことから始めた結婚詐欺を通して、複雑で深遠な男と女の関係を描き出す。主演の二人に加えて、結婚詐欺に引っ掛かる女たちを演じる田中麗奈や鈴木砂羽、木村多江のほか、以前西川作品に出演した香川照之や笑福亭鶴瓶などが共演。うそをテーマに人間の業をえぐり出す西川監督らしいストーリーと、豪華キャストによる演技に期待が持てる。

ストーリー:東京の片隅で小料理屋を営む貫也(阿部サダヲ)と妻の里子(松たか子)。店は小さいながらも順風満帆だったが、火事で全てを失ってしまう。ある日、貫也が常連客と一夜を共にし、すぐに里子の知るところとなるが、里子は結婚詐欺で金をだまし取ることを考案する。結婚願望の強いOLなど寂しい女たちの心の隙につけ込んで、店を再開するための資金を稼ぐ二人。しかし、夫婦の関係に影が差し始め……。


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「夢見るふたり」公式サイト


過去の関連記事:

西川美和監督の「ディア・ドクター」を観た!
西川美和監督の「ゆれる」を観た!




バチカン:新法王にフランシスコ1世 初の中南米出身

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バチカン:新法王にフランシスコ1世 初の中南米出身
【バチカン福島良典】ローマ法王ベネディクト16世(85)の退位に伴いバチカン(ローマ法王庁)で開かれていた法王選挙会議(コンクラーベ)は13日夜(日本時間14日未明)、アルゼンチンのホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(76)を後継の第266代法王に選出した。法王名はフランシスコ1世。中南米出身の法王は初めて。新法王はスキャンダルで失墜したバチカンの権威の回復と、内部対立できしむ法王庁の立て直しに取り組む。欧州以外の地域から法王が誕生するのは第90代法王のシリア人グレゴリウス3世(在位731~741年)以来1272年ぶり。


法王は世界約12億人のキリスト教カトリック信徒の頂点に立つ最高位聖職者。フランシスコ1世は選出後、バチカンのサンピエトロ大聖堂のバルコニーから集まった信徒に「司教と人々による友愛と信頼の旅を始めよう」と呼びかけた。19日に法王として最初のミサをささげる。フランシスコ1世は世界のカトリック教徒の4割が暮らす中南米の期待を背負ってバチカンの運営にあたる。また、歴代法王の中で初めてのイエズス会出身者。

(毎日新聞:2013年03月14日)




僕がヴァティカン市国を訪れたのは2回、1990年夏と2004年春のことでした。もちろんヴァティカン美術館を観ること、システィーナ礼拝堂を観ること、そしてサンピエトロ大聖堂を観ることが目的でした。たった2回訪れただけなので、観ておくべき多くの美術品を見逃しています。まあ、それは仕方のないことですが、今回、新ローマ法王の選出で話題になったシスティナ礼拝堂は、しっかりと2度観てきました。システィナ礼拝堂には、いうまでもなくミケランジェロのふたつの偉大な傑作、天井に描かれている「天地創造」と、祭壇の後にある「最後の審判」が描かれています。


当代一の彫刻家として名高いミケランジェロに天井画「天地創造」を依頼したのは、ルネサンスの大パトロン、教皇ユリウス2世で、1512年、ミケランジェロ37歳のときでした。もともとミケランジェロは彫刻家として、教皇ユリウス2世の墓廟を制作するためにローマに呼ばれたのでしたが、その墓廟は資金難でたびたび中断、教皇の死後30余年後,、1505年にようやく完成、当初の構想よりも小規模なものになりました。また「最後の審判」を依頼したのは教皇クレメンス7世でした。しかし発注の翌年、クレメンス7世は急逝。その遺志を継いだのはパウルス3世で、作品の完成に尽力し、完成は1541年、ミケランジェロ66歳のときでした。








とんとん・にっき-vati1 「週刊・世界の美術館」

NO.4 2008.8.21

ヴァティカン美術館

発行:講談社









「建築のノーベル賞」伊東豊雄さん受賞!

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建築のノーベル賞」伊東豊雄さん受賞!
【編集委員・大西若人】「建築のノーベル賞」といわれるプリツカー建築賞の今年の受賞者に、建築家の伊東豊雄さん(71)が決まった。主催する米ハイアット財団が17日(日本時間18日)、発表した。日本人では、2010年に建築ユニット「SANAA」(妹島〈せじま〉和世さんと西沢立衛〈りゅうえ〉さん)が受賞して以来、6人目。仙台市のせんだいメディアテークなどを通して建築の可能性を広げようとしたことや、作品の精神性、詩的な広がりが評価された。東日本大震災の被災者が立ち寄れる集会施設「みんなの家」(仙台市、岩手県陸前高田市など)を手がけていることも、「建築家の社会的責任の体現」とされた。賞金は10万ドル(約950万円)、授賞式は5月29日に米ボストンで開かれる。伊東さんは「建築の可能性について評価された点が一番ありがたい。被災地での経験も踏まえ、今後はさらに自然や人間と親密な建築を目指し、挑戦を続けてゆきたい」と話した。これまでに、熊本県八代市立博物館や東京都渋谷区のトッズ表参道ビル、岐阜県各務原市の瞑想の森・市営斎場を設計、台湾のオペラハウスなどが建設中だ。王立英国建築家協会ロイヤルゴールドメダル、朝日賞、世界文化賞など受賞多数。昨年のベネチア・ビエンナーレ国際建築展では、陸前高田市の「みんなの家」をテーマに日本館の展示を企画、同館は最高賞の金獅子賞を受けた。プリツカー賞は1979年に設立、丹下健三、槇文彦、安藤忠雄の各氏も受賞している。
(朝日新聞:2013年3月18日)



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TOTOギャラリー間で「第13回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展日本館帰国展」を観た!
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伊東豊雄の「建築家・菊竹清訓さんを悼む」
「伊東豊雄建築を語る」に行ってきました!

「諏訪湖博物館赤彦記念館」と、藤森論文「信州の山河は、なにを?」
伊東豊雄の「まつもと市民芸術館」を観た!
「伊東豊雄 建築|新しいリアル」展を観る!
にほんの建築家 伊東豊雄・観察記
伊東氏にゴールドメダル 英建築家協会が授賞式
トッズ表参道ブティック

ナンニ・モレッティ監督の「ローマ法王の休日」を観た!

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カトリックの総本山、バチカン市国の国家元首であるベネディクト16世ローマ法王が、85歳という高齢でこれ以上職務をまっとうできないため自らの遺志で法王の座を退任しました。その後、システィーナ礼拝堂での「コンクラーヴェ」を経て、新法王が選出されました。法王の名はフランシスコ1世、初の南米出身で「庶民派」の評判が高いという。ナンニ・モレッティ監督の「ローマ法王の休日」を、TUTAYAで借りたDVDで観ました。この映画、「ローマ法王の休日」という題名が非常に紛らわしい、あの「ローマの休日」を思わせるからです。原題は「Habemus Papam」というラテン語で「法王が決まりました!」というような意味だとか!


藤崎衞(東京大学助教:西洋史、キリスト教史)は朝日新聞の「ニュースの本棚」(2013年3月17日)で、以下のように述べています。前法王ベネディクト16世が退位するというニュースに接したとき、映画「ローマ法王の休日」が思い出された。いやいやながら法王にされた主人公が、就任を前にバチカンから逃げ出すという物語は、法王職の重責と高齢を理由にその座を退いた前法王を彷彿とさせ、いかなる人物が次に選ばれるのかという好奇心をかき立てた。


威厳を備えた枢機卿を演じるおじいちゃん俳優が多数登場し、その平均年齢は一目で非常に高いことがわかります。次期法王を決める選挙「コンクラーヴェ」のシーンから始まるこの映画、最高指導者の座を争う枢機卿たちは、意外にもみんな「どうか私が選ばれませんように」と祈ってます。選出されたのは誰もが予想外だったメルヴィルでした。新法王はサンピエトロ寺院のバルコニーに出て、世界中の信者に向かって新任の挨拶をしなければなりません。


ところが気弱なメルヴィルは、自分には無理だと任務を放りだして、ヴァチカンから逃亡してしまいます。法王という大役に押し潰されそうになり、パニックを起こして、ローマの街を一人さまよい歩きます。メルヴィルの途方に暮れた様子は、まるで幼児のようです。この逃避行は、これまでの人生とは何だったのかという問いを、老いた彼に突きつけます。しかし、街の人たちとふれ合いながら、自分の存在意義を少しずつ取り戻していきます。


新法王に選出されたメルヴィルの、最初で最後の演説でこの映画は終わります。


この数日、不思議に思われたでしょう。なぜ法王は挨拶に姿を見せないのかと。心配はありません。主が選ばれたのです。間違うはずはありません。そう私が選ばれました。ただそれが私に力と自覚を与えるかわりに、押し潰し、さらに混乱させるのです。今この時、教会は大きな改革を進め、誰をも迎え入れられる指導者を求めています。すべての人に愛を与え理解できる者を。主よお許しください。どうかこの私の行為を許されますでしょうか。それでも私は神と皆さんに心からお話しします。何日も皆さんのことを考え続け、残念ながら気付きました。与えられた役目を果たせないと。私は導くのではなく、導かれるべき人間の一人だと感じます。今言えるのはこれだけです。私のために祈ってください。皆さんの指導者は私ではない、私であってはならないのです。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:『息子の部屋』でパルムドールを受賞したナンニ・モレッティ監督が、新ローマ法王に選ばれた枢機卿の苦悩を描いたハートフル・コメディー。法王逃亡という衝撃的な展開や、ローマ法王が選出される選挙(コンクラーヴェ)の様子まどをシニカルに描写し、第65回カンヌ国際映画祭で好評を博した。法王就任という重圧から街へ逃げ出すものの、街の人々との交流を通して信仰心や法王の存在意義を見つめ直していく主人公を、フランスの名優ミシェル・ピッコリが哀感を漂わせながら演じ切る。

ストーリー:ローマ法王が亡くなり、新しい法王を選出するため各国の枢機卿がヴァチカンに集められた。全員が心の中では法王に選ばれないようにと祈る中、誰もが予想外だったメルヴィル(ミシェル・ピッコリ)が新法王に選出される。サン・ピエトロ広場に集まった群衆たちを前にバルコニーで就任演説をしなくてはならないメルヴィルだったが、重圧のあまり街へ逃げ出してしまい……。


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東京都美術館で「エル・グレコ展」を観た!

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東京都美術館で「世界の傑作、奇蹟の集結 エル・グレコ展」を観てきました。観に行ったのは2月23日のこと、ブログに書くのに時間が経ってしまいました。新聞には、「エル・グレコ展」の入場者数が19日、開催51日目で20万人を超えたという記事が載っていました。


2007年12月に、スペイン旅行でトレドへ立ち寄り、「カテドラル」にあるエル・グレコの「聖衣剥奪」や、サント・トメ教会にあるエル・グレコの代表作である「オルガス伯の埋葬」を観ることができました。

トレドで観たエル・グレコ!


トレドのカテドラルの「聖衣剥奪」、今回の「エル・グレコ展」にも出品されていましたが、レプリカ出品でした。この作品は、ギリシャ出身の画家グレコのスペインでの初仕事でした。この絵が完成したとき、トレド大聖堂は、3人のマリアが登場するのは不適切だと文句をつけ、当初の契約よりも低い価格しか払おうとしませんでした。グレコは作品の引き渡しを拒否し、争ったあげく、大聖堂側が払おうとしていたよりも高い金額を受け取ったという。グレコがこの作品に対して並々ならぬ自信を持っていたことがわかります。(宮下規久朗「知っておきたい世界の名画」より)


エル・グレコの作品は、纏まって観たのは、やはり2007年12月のスペイン旅行で立ち寄ったプラド美術館でした。ベラスケス、ゴヤとともにエル・グレコのスペイン三大画家を同時に、駆け足でしたが、観ることができた、というわけです。それ以前、2003年3月から6月にかけて、やはり東京都美術館で「プラド美術館展」が開催され、僕も観に行きました。「十字架を抱くキリスト」「寓話」「若い貴紳」、そして今回も出品されていた「フリアン・ロメロと守護聖人」が出されていました。


先日このブログに新法王について書いた中に、「ラオコーン」の画像を載せました。そのとき初めて知ったのですが、エル・グレコの作品に「ラオコーン」(1610~14年頃:ワシントンD.C.ナショナル・ギャラリー)という作品があるという。ギリシャ神話のトロイ戦争のエピソードで、バチカン美術館にあるラオコーン群像をベースにしているグレコ唯一の神話画だという。グレコは、トレド移住の前にローマを訪れ、ミケランジェロの躍動感あるねじれた身体表現に多大な影響を受け、それがラオコーンの表現に結びついた、という。マニエリスムの画家と称される由縁か。


今回の展覧会の構成は、以下の通りです。

Ⅰ-1 肖像画家エル・グレコ

Ⅰ-2 肖像画としての聖人像

Ⅰ-3 見えるものと見えないもの

Ⅱ クレタからイタリア、そしてスペインへ

Ⅲ トレドでの宗教画:説話と祈り

Ⅳ 近大芸術家エル・グレコの祭壇画:画家、建築家として


富山県立近代美術館館長の雪山行二は、エル・グレコの芸術を理解するため、手掛かりとなる事実を三つ示しています。(朝日新聞:2012年12月26日)

第一は、エル・グレコは、ベラスケス、ゴヤとともにスペイン絵画の三大巨匠に数えられているが、実はギリシャのクレタ島に生まれた異邦人であったこと。エル・グレコは「ギリシャ人」を意味するあだ名。トレドを第二の故郷として愛したにも関わらず、人々は彼をギリシャ人と呼んでいた。彼自身、作品には常にギリシャ文字で証明していたこと。

第二は、スペインを盟主とする対抗宗教改革のさなかにあって、そのイデオロギーに忠実な画家であったこと。彼はマグダラのマリアやペテロなど、悔悛する聖人の姿を好んで描いたが、「悔悛」こそはプロテスタンティズムとの相違を示すカトリック側の重要なスローガンであった。そうした時代において、グレコの描く鮮烈な宗教画はスペインで熱狂的に迎え入れられたのだという。

第三は、彼がトレド一の流行画家として、ビジネスの世界でも成功を収めていたこと。没後長らく忘れ去られていたエル・グレコは、19世紀末から20世紀初頭に孤高の神秘主義作家として劇的な復活を果たした。しかし今では、当時のトレドの上流社会や宗教界と広く親交を保ち、殺到する注文をこなすため工房を経営、優雅な生活を送っていたことが判明している、という。


エル・グレコ展のチラシは、上にあるように、A4版縦2枚つづりの長いものです。使われている画像は「無原罪のお宿り」(1607~13年、サン・ニコラス教区聖堂蔵、サンタ・クルス美術館寄託)、今回の展覧会の目玉で、最後の展示室に下から見上げるようにかけられていました。この絵の特徴は、以下の4点。(朝日新聞:2012年12月26日)

聖なる光

聖母マリアの頭上のハトと光は、聖霊と神の恵みとしての光を示している。エル・グレコはこの絵を礼拝堂の高い窓の下に配置し、窓からの自然の光が絵の中の神聖な光と一致するように工夫したという。

「動く」絵画

大胆な縦長の構図、聖母マリアの曲がりくねった長い体、極端な角度で描かれた天使の翼。見上げる人に、絵全体が動いているかのようなダイナミックな印象を与える。

純潔示す

「無原罪のお宿り」とは、聖母マリアが母アンナの胎内に現在を免れて宿った、とするカトリック特有の教義。とりわけスペインでは今でも篤い信仰を集める。ユリやバラはマリアの純潔の象徴。

愛する街

聖母マリアの足元に描かれている風景は、エル・グレコが30代半ばから死ぬまで居を構えたトレドの街並み。発注主のトレドの教会の意向を受けて、描き込んだ可能性もある。







「世界の傑作、奇蹟の集結 エル・グレコ展」

東京都美術館のリニューアルを記念して、没後400年を迎えるスペイン絵画の巨匠、エル・グレコの大回顧展を開催します。エル・グレコ(本名ドメニコス・テオトコプーロス、1541~1614年)は16世紀から17世紀にかけてのスペイン美術の黄金期に活躍し、ベラスケス、ゴヤとともにスペイン三大画家の一人に数えられます。クレタ島に生まれ、ヴェネツィア、ローマでの修行を経てスペイン・トレドにたどりつき、揺らめく炎のように引き伸ばされた人物像が印象的な宗教画や、モデルの人となりをも描き出す独自の肖像画で、当時の宗教関係者や知識人から圧倒的な支持を得ました。ピカソら20世紀の巨匠たちからも、その作品は高く評価されています。本展にはプラド美術館、ボストン美術館など、世界中の名だたる美術館やトレドの教会群から油彩画50点以上が集結。高さ3メートルを超える祭壇画の最高傑作の一つ「無原罪のお宿り」も初来日し、まさに「奇蹟の集結」といえる国内史上最大のエル・グレコ展となります。


「東京都美術館」ホームページ


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「バケット アトレ目黒店」でプレミアムセットを食べる!

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「お誕生日プレミアムセット20%OFF」という葉書が届きました。僕の誕生日月が3月なので、毎年今ごろ届きます。「アトレ目黒」の「バケット」は、なんとなく好きなお店で、4~5年前から目黒方面へ来たときには、2回に1回は必ず寄ります。今回食べたプレミアムセットは、前菜、主菜、デザートをそれぞれ選べます。もちろん、焼きたてパンは食べ放題、焼けたらすぐに案内があるのですぐに取りに行きます。飲み物はジュース6種類、コーヒー、紅茶は飲み放題です。もちろん1000円以下の低価格なランチセットもあります。いつもはこちらのランチセットの方を食べます。









「バケット アトレ目黒店」食べログ


「バケット」ホームページ


とんとん・にっき-baq1 案内葉書裏面

お誕生日プレミアムセット(全5品付)20%OFF

1980円(税込2079円)→1584円(税込1663円)

さらに!お誕生日のお客様に3大プレゼント!

・お食事券500円分

・お土産パン(3個入1袋)

・BAQETオリジナル小皿

お花見・目黒川橋めぐり!

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目黒川のお花見、いつもは上流の国道246号線「大橋」から中目黒に向かって下っていくのですが、今回は逆に中目黒から上流に歩いて、橋ごとに写真を撮影、ふと考えてみたら「橋めぐり」と題しましたが、ほとんど橋は写真には写ってはいません。橋の端に立って上流に向かってデジカメをパチリ、桜も陽が当たっているところ、当たってないところもお構いなし。なにしろ今日が満開だというから、どうやっても桜は映っているだろうと、気楽に写しました。たぶん、明日、明後日は、もっともっと人出が多くなりそうで、芋を洗うようなごった返しになると思います。なにはともあれ、桜は日本の花、お花見は国民的な行事です。一番良い時に観に行くのに限ります。そうそう、別所橋から大橋まで、数えてみるとなんと15の橋がありました。














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目黒川でお花見を!
恒例・目黒川お花見散策
満開・目黒川お花見散策―その1
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「二人展」+「目黒川お花見散策」


アッシジのフランチェスコ!

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ボンジョルノ! 新法王、初の日曜
(朝日新聞: 2013年03月18日)
【バチカン=石田博士】新ローマ法王フランシスコ1世が就任して初の日曜の17日、バチカンのサンピエトロ広場周辺は15万人以上の大群衆で埋まった。法王が広場に向けて語りかける、毎週日曜恒例の「正午の祈り」だ。初の南米出身で「庶民派」の評判が高い法王を一目見ようと、人々が詰めかけた。故郷アルゼンチンなど中南米の国旗が多く揺れる。法王は就任時と同じように「ボンジョルノ!(こんにちは)」と元気よく切り出した。イタリア移民の子として「私の家族は、この地とつながりがあります」と語ると、聴衆に喝采が広がった。


新法王が「ボンジョルノ」とサンピエトロ広場に詰めかけた人々に語りかけた次の日、同じくサンピエトロ広場で就任ミサがあったという。「政治、経済、社会に責任あるすべての人と、善意あるすべての人々よ。この世界をしと破壊へ進めるのではなく、守護者となろう」と語りかけました。フランシスコ1世は貧しい人たちの救済に力を尽くしてきました。この日も「貧しき者、弱き者、重んじられない者を守るため、腕を開く。飢える者、渇く者、土地になじめぬ者、守られぬ者、病める者、獄にある者を守る」と誓ったという。


新ローマ法王フランシスコ1世は言うまでもなく、アッシジの聖フランチェスコの聖人の名からきています。すなわち、フランシスコ1世→聖フランチェスコ→アッシジというつながりです。


フランコ・ゼフィレッリ監督のイタリア映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」(1972年)を以前、ビデオで観ました。フランチェスコとその弟子たちの初期の様子を描いた青春群像的な映画だといわれています。最近、幾つかのアート関連の本の表紙に、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の画像が使われています。例えば以下の2冊、「イタリア古寺巡礼 フィレンツェ→アッシジ」と、「イタリア 24の都市の物語」が挙げられます。


ちなみに池上英洋の「イタリア 24の都市の物語」には、以下のようにあります。

フランチェスコ修道会は、ウンブリア州にある小都市アッシジで設立された。会の創設者である聖フランチェスコも、この地で生まれ、この地で亡くなった。聖フランチェスコは当時も今も、カトリック世界でもっとも高い人気を誇る聖人である。そしてその人気の最大の理由が、彼の愚直なまでの奉仕精神と、従順で篤実な信仰心、そしてひたすらに禁欲的な清貧さにあった。聖人は本名をジョヴァンニ・バルナルドーネといったが、父はフランスと織物取引をしていた商人であり、母が父がかの地で見初めたフランス人だったという言い伝えがある。そこから、夫婦は生まれた子供をフランチェスコ(フランス人)と読んでかわいがった、という説明がなされている。


サン・フランチェスコ聖堂は、聖人の死後わずか4年で出来上がったという。イタリア中から著名な画家たちが集められ、聖人を讃えるためのエピソードなどが描かれました。チマブーエやジュット、シモーネ・マルティーニたちが一堂に会しました。美術史上、これほど大規模な共同作業はかつてなく、各地からもたらされた様式や技法がこの地で一気に融合し、また各地へと散っていった、という。


ということで、前々からアッシジへ行った時の画像を、このブログに載せたいと思っていました。そうそう、1997年9月26日に大地震があって、サン・フランチェスコ聖堂もかなりの被害があったようですが、僕が観に行ったのは1990年夏のことでしたから、地震の前ということになります。ここでは1990年にアッシジへ行った時のスライドを中心に、ごく一部ですが、以下に載せておきます。










とんとん・にっき-ass16 「イタリア古寺巡礼」

フィレンツェ→アッシジ

とんぼの本

発行:2011年9月25日

著者:金沢百枝 小澤実

発行所:株式会社新潮社
とんとん・にっき-ass15 「イタリア 24の都市の物語」
光文社新書

発行:2010年12月20日

著者:池上英洋

発行所:株式会社光文社



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