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トプカプ宮殿

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アヤソフィア聖堂東側を北へ進むと、トプカプ宮殿の城壁があり総門(皇帝の門)に突き当たります。総門を入ると第1庭があり、左手の教会、聖エレ-ネ(性成る平和の意味、トルコ語でアヤイリニ)は、アヤソフィアが建てられる以前の総主教坐でした。次に中門(儀礼の門)を入ると第2庭、スルタン以外はこの門で馬を降りました。


トプカプ宮殿はメフメット2世時代の1467年に完成しました。トプカプは大砲の門という意味で、トプカプ宮殿の名はボスフォラス海峡側に大砲が据えられていたことに由来します。宮殿の広さは、日本の皇居のおよそ2倍ありました。当時の宮殿は、単なるスルタンの住まいではなく、重臣たちを集めた会議がもたれ、国の方針が決定される、青磁の中枢でした。


トプカプ宮殿はその後の凡そ400年間に増改築が繰り返されたが、1856年、アブドゥルメジット1世は新市街地側に建てたドルマパフチェ宮殿に居を移しました。第2庭の西側にはハーレムが、東側には厨房と、陶磁器展示室があります。幸福の門をくぐると第3庭、門の正面には謁見室があり、スルタンの外国公使などとの会見に使われました。その裏手にはアフメット3世の図書室があります。


東側には宝物館があり、タイヤモンドやルビー、エメラルドや真珠などこれでもかと言うほど展示してあります。有名なのは、黄金造りの短剣の柄に大きなエメラルドが3個埋め込まれたトプカプの短剣と、86カラットの大ダイヤを49粒の小ダイヤが囲むスプーン売りのダイヤモンドです。これを拾った漁師が、スプーン売りの3本のスプーンと交換したため、この名があるという。正面奥に、細密画とカリグラフィ、時計のコレクションがあります。左側の聖遺物展示室では、予言者ムハンマド(マホメット)の遺品とされる足形などがあります。


第3庭奥の通路を抜けて第4庭に入ると3つのキョシュキュ(あずまや)があります。右奥にはガラタ橋近くにも店がある老舗の芦貫太、コンヤルがあって、ボスフォラス海峡を行く船を眺めながら食事を楽しむことができます。一番奥には「バクダット・キョシュキュ」があります。ムラト4世のバクダット攻略(1638年)を記念して作られた優美な建物で、タイルと象嵌細工の装飾が内部を埋めています。













過去の関連記事:

アヤ・ソフィア聖堂とローマ競技場跡(ヒポドローム)他
スルタン・アフメット1世ジャミイ(ブルー・モスク)

小島剛一著「トルコのもう一つの顔」を読んだ!
ギョレメ国立公園とカッパドキア!
「トルコの建築と都市計画 ル・コルビュジエの目」
「トルコ」へ行ってきました!

*参考文献

とんとん・にっき-tur3 「わがまま歩き 34 『トルコ』」

2012年4月5日第4版第1刷発行

編集:ブルーガイド海外版編集部

発行所:実業之日本社

とんとん・にっき-toru1 「トルコ・イスラム建築」

2010年12月15日第1刷発行

著者:飯島英夫

発行所:冨山房インターナショナル












鈴木博之の「都市へ」を読んだ!

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とんとん・にっき-suzu3


いま、全集「シリーズ 日本の近代」 を調べてみると、全16冊が刊行されています。そのうち鈴木博之の「都市へ」 は日本の近代10として1999年2月中央公論新社刊とあります。僕が読んだのはその文庫版、中公文庫版、シリーズ日本の近代のうち鈴木博之の「都市へ」 (2012年10月25日初版発行)です。うかつにも僕は、文庫版が出るまでこの本のことは知りませんでした。この本、索引まで入れるとなんと463ページもある分厚い本です。昨年11月初めに購入したのですが、分厚さに怖じ気づいて、つい最近まで“積ん読状態”でしたが、それではならじと先日読み始めて、わずか数日で一気に読み終わりました。鈴木の文章は平易で、読みやすい。


著者紹介:鈴木博之
1945年、東京都生まれ。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻課程修了。東京大学教授、早稲田大学客員教授を経て、2009年より青山学院大学教授。2010年より博物館明治村館長併任。1985年、「建築の七つの力」(鹿島出版会)で芸術選奨文部大臣新人賞、90年に「東京の『地霊』」(文藝春秋)でサントリー学芸賞、96年に日本建築学会賞、2005年に紫綬褒章を受章。著書に「建築の世紀末」(晶文社)、「建築家たちのヴィクトリア朝」(平凡社)、「ロンドン」(ちくま新書)、「都市のかなしみ」(中央公論新社)など多数。


最近鈴木博之のく講演を聞く機会が何度かありました。たとえば、武庫川女子大学東京センター主催講演会シリーズ「わが国の近代建築の保存と再生」の4回目、鈴木の講演のタイトルは「昭和の近代建築」でした。大正・昭和の建築に影響を与えた地震として、濃尾地震や関東大震災、阪神淡路大震災や東日本大震災などから説き起こし、鈴木が審議会などで関わった事例として、東京駅や首相官邸、そして日土小学校まで、近代建築の保存と再生の話は圧巻でした。そしてそれがこの本の内容とも火なりの部分、重なっていることでもありました。もちろん、その前に江戸から東京へという設問も含んではいますが。


「わが国の近代建築:大正から昭和へ」


本の裏表紙には、以下のようにあります。

西欧文明との出会いは、日本の佇まいに何をもたらしたのか。それは、「場所」として存在した日本古来の建築物が「空間」と出会うことによって、都市が近代へと脱皮する出発点だった。文明開化、大震災、戦災、高度経済成長――変容する都市の風貌から、日本人のアイデンティティの軌跡を検証する。


目次

プロローグ 都市における近代とは何か

第一部 開国と首都

 1 開国と開港

 2 江戸から東京へ

 3 土地の持ち方・使い方

 4 都市計画の出発

第二部 近代における京・大阪

 5 琵琶湖疎水計画とその展開

 6 「阪神間」という土地

第三部新しい生活の出現

 7 震災復興計画

 8 郊外の成立

第四部 戦後の展開

 9 戦後の運命

10都市は豊かになるか

参考文献

関係年表

文庫版あとがき―東日本大震災を経て

索引


ほとんどは知っていることばかりでしたが、しかし、問題を深く掘り下げられていて、時系列的に整理されていて、分かりやすかったように思います。面白かったのは、というか、よく知らなかったことですが、第二部の琵琶湖疎水計画とその展開と、阪神間という土地、でした。


もちろん南禅寺境内に煉瓦造の水路閣という名の水道橋は知っていました。田辺朔郎が書いた卒業論文に端を発して琵琶湖疎水工事の計画が始まったという話は初めて知り驚きました。また阪神間というと、住友本邸が大阪から神戸の郊外へと住居を移していく過程は、都市と絡めて話されるとよく分かります。鈴木は阪神間に住んだ人々をあげて、日本の近代資本主義の歴史がそこに縮図として現れるのに気づくだろうといいます。そこには日本の住宅建築の最高の質を見いだすことができるとして、谷崎潤一郎の「細雪」を取り上げて、以下のように述べています。


東京の出身でありながら、関東大震災以後この地域に住んだ作家の谷崎潤一郎が、名作「細雪」のなかに描き出したのは、阪神間に存在した戦前のブルジョワジーの文化であった、として、大阪にもともと「古風な」本家をもつ、恵まれた、あるいは恵まれていた階級のひとびとが、阪神間の文化を生み出したと、鈴木はいいます。彼らは本家を大阪にもちながらも、そこから離れてゆくことによって、あるいはそこを見捨てることによって、新しい文化を生み出したのであった、としています。


毎回、「今度建てられるビルこそ、ストックとして長く都市の顔となるものだ」と言われ続けて何年になるのだろうか、日本の都市だけが歴史的な顔を持てないでいるのは、どこかおかしい、と鈴木は全編を通じて警鐘を鳴らします。日本は明治以後、都市のストックを増大させたのであろうか。大いに疑問である。都市は変貌を続け、その中に建築は建ち続け、デザインは変化してきたが、そこに本当の都市の文化されたであろうか。「歴史を消し去る歴史」の上には、流れ去る記憶しか残らない、と。


鈴木博之の著作は数が多い。建築史家でこれほどの著作がある人は他にいないでしょう。主要なものは刊行されるとすぐに読みました。鈴木の最高傑作といわれている「建築の世紀末」(晶文社)は、初版が1977年5月30日、ほとんどデビュー作だったようで、74年から75年にかけてロンドン大学コートゥールド美術史研究所へ留学し、帰国してすぐに刊行されたもののようです。


手元にあるものを拾ってみると、「建築の七つの力」(鹿島出版会)は84年、「東京の『地霊』」(文藝春秋)は90年、「夢のすむ家」(平凡社)は89年、「建築家たちのヴィクトリア朝」は91年、やはりイギリスものが多いのが目に付きます。実は最近、鈴木の著作をもう一度読み直してみたいと思っていたので、目に付きやすいところに彼の本が出ていたのでした。まだまだあるとは思いますが・・・。


「近代建築論講義」は、鈴木が東京大学を退職したときに記念出版されたものです。その中の「むすびに」で鈴木の1年後輩である難波和彦は、次のようにいいます。東京大学の工学系研究科の中でも、建築学専攻は、とりわけ歴史学コースが充実している。日本中に建築学専攻の中でも抜きん出たレベルにあると言ってよい。その科かで、鈴木博之は長い間、中心的な役割を果たしてきた、と。


東京大学では、退職教授は最終講義を開催するのが恒例だが、鈴木は東京大学において35年以上もの間、建築史に関する研究と教育を展開し、広大な成果を残しているので、一回だけの講義では、その全貌をうかがい知ることはできない。そのため鈴木の研究成果を紹介する連続講義を企画し、鈴木が長年展開してきた西洋建築史と近代建築士に関するテーマを、主要な著作と組み合わせながら、8回に分けて行った連続講義を整理したのが「近代建築論講義」(東京大学出版会:2009年10月22日初版)でした。


鈴木博之の「近代建築論講義」が届いた!

とんとん・にっき-suzu2 「近代建築論講義」
2009年10月22日初版

編者:鈴木博之+東京大学建築学科

発行所:東京大学出版会



とんとん・にっき-suzu1

「建築の世紀末」

1977年5月30日初版

著者:鈴木博之

発行者:晶文社










「せたがや梅まつり」2013

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羽根木公園で開催されている「せたがや梅まつり」へ、久し振りに行ってきました。やや風が強かったですが、お天気に恵まれ、気温もいつもより高く、絶好の観梅日和で、たくさんの人たちで賑わっていました。東急世田谷線に乗って山下駅まで行く途中、家人から、知人の根津一族の方からの話として、羽根木公園一帯は昔は「根津山」と呼ばれていたという話を聞きました。羽根木公園に入口に銘板があり、根津山の話がや梅林の話が書かれていました。


羽根木公園の由来

羽根木公園は、その昔六郎次という鍬や鎌をつくる鍛冶屋がすんでいたことから六郎次山と呼ばれていました。また、大正時代末期敷地の一部が、根津財閥の所有であったことから根津山とも呼ばれるようになり、土地の人たちには、今なお「根津山の公園」、あるいは「六郎次山」と呼ばれています。名称は、この地が東京都荏原郡世田谷村大字世田谷字羽根木の飛び地であったことから名づけられました。東京都は、昭和31年(1956年)羽根木公園として開設しました。その後、昭和40年(1965年)世田谷区に移管され、総面積は約8ヘクタール(24,000坪)となっています。昭和54年(1976年)国際児童年を記念して、全国で初めての冒険遊び場であるプレーパークが開設されました。


羽根木の梅林

羽根木公園は、全体が小高い丘になっており、南斜面地は笹が生い茂っていましたが、昭和42年(1967年)世田谷区議会議員に当選した55名の方々により55本の梅の記念植樹が行われました。その後、昭和46年(1971年)東京都100周年記念や昭和47年(1972年)世田谷区制40周年などの記念植樹を経て、現在は紅梅170本、白梅530本の700本を数える都内でも屈指の観梅の名所となりました。毎年2月の梅の見頃には、地元の実行委員会による「梅まつり」が開催され、多くの方々に楽しまれています。








「飛梅」
飛梅とは、菅原道真にまつわる梅の伝説に登場する梅の木のことです。平安時代、時の右大臣であった道真が太宰府に左遷となり、京を発つとき日頃大切に育てていた梅に向かって、「東風(こち)吹かば匂い起こせよ梅の花、あるじなしとて春な忘れそ」と詠むと、梅は主人を慕って太宰府まで飛び、根付いたということです。飛梅は平成7年2月に太宰府天満宮より寄贈され、その隣に平成14年2月、梅まつり第25回を記念して、実行委員会より石碑が寄贈されました。


「句碑」

“外にも出よふるるばかりに春の月”

梅林の一角に建てられた句碑には俳人中村汀女さんの詠んだ句が刻まれています。春を先駆けて咲く梅の花を好み、羽根木公園も散策の場としてよく通っていたそうです。あなたも句碑を前にして、俳句の心にふれてみませんか。


羽根木公園の茶室

日月庵

建物名は、故井上靖により命名された。羽根木公園西側の一角に、昭和58年秋に完成しました。棟梁野村貞夫の手により、京都久田家に残る「半牀庵(はんじょうあん)」を基本としながら、独自の間取りをもつ造りとしています。間取りは、一畳中板三畳の席で、併設して腰掛待合や立水屋が設けられています。床構えは、柱が栗のナグリ、天上は杉杢鏡板、地板は山花梨が使われています。また、中柱は北山の絞り丸太、中板は日本松が使われています。

星辰堂
建物名は、高山辰雄画伯により命名された。日月庵の日月に対し、星辰とは星の位置が季節・時間の標準となる意味。星辰堂は平成4年3月に、古民家の部材を生かし、新たな利用に応えるように計画し、完成しました。伝統的建築技術と新たな建築技術が巧みに融合した建物には、繊細な数寄屋造り、書院造り、そして民家の骨太い空間があります。間取りは、有料の上(8畳)・下(10畳)座敷、小間(4畳半)と、無料休憩所の土間からなり、他に水屋や台所があります。





過去の関連記事:
羽根木公園のせたがや梅まつり2009
世田谷・羽根木公園の梅まつり
羽根木公園の「せたがや梅まつり」




たばこと塩の博物館で「館蔵浮世絵に見る さくらいろいろ」を観た!

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たばこと塩の博物館で「館蔵浮世絵に見る さくらいろいろ」を観てきました。「桜」と言えば、山種美術館が毎年春に桜をテーマとした展覧会を開催していることはよく知られています。「絢爛と咲き誇り、潔く散る桜の花は、古来人々の心をとらえ、日本を象徴する花として愛されてきました」と、昨年の「桜さくらSAKURA」展で、山種美術館長の山崎妙子は述べています。続けて「桜にまつわる物語や、名所の桜はさらに多くの人々を惹きつけ、芸術家たちもまた桜を題材にした多くの作品を生み出してきました」と。


桜を題材にした作品、といえば、浮世絵もまたしかり。桜は、江戸の人々にも愛され、和歌や俳諧にもよく詠まれ、歌舞伎などの舞台を飾り、身の回りの品々の意匠としても好まれました。花見は娯楽のひとつであり、多くの桜の名所が誕生しました。主役としても脇役としても、浮世絵は最も多く桜は描かれてきました。たばこと塩の博物館所蔵の中から、桜が描かれた浮世絵や、桜のモチーフで装飾された喫煙具など、50数点が展示されていました。今回は特に「大判錦絵3枚続き」の作品が多く、迫力がありました。


「毎年、春の訪れを実感させてくれる桜。たばこと塩の博物館で少し早いお花見はいかがでしょうか。」と、たばこと塩の博物館は呼びかけています。


展覧会の構成は、以下の通りです。


1. 好みの場所は・・・江戸の桜名所 いろいろ

2. これぞ華・・・美男美女とさくら いろいろ

3. 桜を舞台に・・・お芝居 いろいろ

4. ささやかながら・・・桜の楽しみ方 いろいろ

5. やっぱり桜・・・デザイン いろいろ



1. 好みの場所は・・・江戸の桜名所 いろいろ

江戸での花見は、もともとは、一本の名木を鑑賞し、酒宴を催して詩歌を詠む、といった形が主流であった。しかし、18世紀初頭、桜が江戸各所に植樹されると、桜並木の下での酒宴という、現在に通じる花見スタイルが広まっていった。江戸の桜名所はいくつかあったが、景観、場の雰囲気など、それぞれに特徴があり、その様子は浮世絵にも描かれている。




2. これぞ華・・・美男美女とさくら いろいろ

浮世絵にはさまざまなジャンルがあるが、代表的なものは、「美人絵」「役者絵」「名所絵(風景画)」である。これら代表的な浮世絵と桜との関わりを見ると、「名所絵」として桜の名所が描かれたものは数多いが、「美人絵」や「役者絵」でも、さりげなく桜が背景を飾っているものが少なくない。グラデーションのかかった桜の色は、美人や役者を引き立て、画面に華やかさや優雅さを加える。桜は、浮世絵の中で、主役にも脇役にもなる存在であったといえよう。




3. 桜を舞台に・・・お芝居 いろいろ

歌舞伎の演目で、桜と関わりがあるものは数多い。「義経千本桜」や「助六所縁江戸桜」をはじめ、狂言名に「桜」が入っているもの、あるいは「楼門五三桐」の南禅寺の場や「加賀見山旧錦絵」の花見の場、「妹背山婦女庭訓」の吉野川の場など、名場面の桜の時期の設定であるもの、さらには「積恋雪関扉」や「京鹿子娘道成寺」のように桜の下での所作事(舞踊劇)など、さまざまある。一斉に咲き誇る桜の華やかさ、逆にすぐ散ってしまうはかなさなど、桜のイメージは歌舞伎の演出にも欠かすことができない。




4. ささやかながら・・・桜の楽しみ方 いろいろ

浮世絵を見ると、家の庭木の桜を眺める人や、2階から桜を見る人が描かれていたり、あるいは室内に小さな鉢植えの桜が飾られていたりする。江戸の人々も、桜名所に繰り出す花見以外にも、さまざまな形で桜を楽しんでいたことがわかる。



5. やっぱり桜・・・デザイン いろいろ

人々が刻み煙草を吸っていた時代、きせるやたばこ入れ、たばこ盆などの喫煙具は、ごく普通の身近な道具であった。飾って鑑賞するものではなく、あくまでも日用の品ではあるが、自分の好みやセンスを表現するものとして、デザインや素材、細工にこだわって誂えたものも少なくない。喫煙具には、男性用女性用に関わらず花がデザインされたものがあり、中でも桜は多く使われている。喫煙具の場合、桜の花は桜色をしてはいないが、花の形から充分に春の雰囲気を感じとることができる。なお、桜の花には散り際が良いというイメージがある。当時、武士には、喫煙具に関わらず桜の花のデザインが好まれていた。



「古くから日本人を魅了し続ける“さくら”の妙 」
私たち日本人にとって、“花”といえば、まず桜が思い出されます。淡い色合い、整った形、満開の華やかさ。そして、すぐに散ってしまうはかなさや潔さ。桜の花は、古くから日本人の心をとらえ、季節に敏感ではなくなってしまった現在でも、春本番を告げる桜の開花は、毎年、大きなニュースとなっています。桜は、江戸の人々にも、とても愛されていました。花見は娯楽の一つで、多くの桜名所が誕生しました。和歌や俳諧にもよく詠まれ、歌舞伎などの舞台を飾り、身の回りの品々の意匠としても好まれました。主役として脇役として、浮世絵にもっとも多く描かれた花と言っても、言い過ぎではありません。今回の展示では、当館が所蔵する資料の中から、桜が描かれた浮世絵や、桜のモチーフで装飾された喫煙具などを紹介します。毎年、春の訪れを実感させてくれる桜。たばこと塩の博物館で少し早いお花見はいかがでしょうか。


「たばこと塩の博物館」ホームページ


とんとん・にっき-taba2 「館蔵浮世絵に見る さくらいろいろ」

2013年1月26日(土)~3月10日(日)

リーフレット(12ページ)

発行:たばこと塩の博物館










過去の関連記事:

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たばこと塩の博物館で「昭和30年代物語」展を観る!


PR: EXILEを裸にする新番組「EXFILE」スタート!

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ファン必見!レア感満載のドキュメンタリー番組。NOTTVで1/13より開始!

「大人の休日倶楽部パス」2013年度スケジュール大発表!

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「大人の休日倶楽部パス」2013年度スケジュール大発表!

JR東日本エリアに加え、北海道や北陸のフリーエリアでも自由に乗り降りできる、2013年度「大人の休日倶楽部パス」のスケジュールが発表されました。2013年度は利用期間を3回に設定し、東北新幹線「はやぶさ」や秋田新幹線「スーパーこまち」も乗車できるようになりました。


利用期間

第1回 2013年6月29日(土)~7月11日(木)

第2回 2013年11月26日(火)~12月8日(日)

第3回 2014年1月21日(火)~2月2日(日)


4日間乗り放題

大人の休日倶楽部パス

(東日本・北陸)

17000円

・普通車指定券も6回まで利OK

・4日間有効


5日間乗り放題

大人の休日倶楽部パス

(東日本・北海道)

25000円

・普通車指定券も6回まで利OK

・5日間有効


「三軒茶屋中央劇場」閉鎖か?

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以前、三軒茶屋中央劇場について、以下のように書きました。


三軒茶屋中央劇場は「名画座」、いわゆる二番館で2本立てです。「東京遺産な建物たち」(東京新聞)にも取り上げられた由緒正しい?映画館です。「三軒茶屋の駅近く、庶民的なアーケード街の奥にある名画座・三軒茶屋中央劇場。扉を開ければ、映画全盛時代を彷彿とさせるニュー・シネマパラダイスの世界が広がります」。この映画館ができたのは昭和27年、まあ、今はだいぶ古くなり、便所も汚くて、女性には敬遠される映画館ですけど・・・。


その三軒茶屋中央劇場が、ポスターや写真を飾るショー・ウィンドウはシャッターが下り、切符売り場の窓はベニヤ板で塞がれています。入口扉からなかを覗くと、なかは照明も消えて、誰もいないように見えます。いったい、これはどうしたことなんでしょう?


問題の発端は、以下の書き込みのようです。


三茶de名画座
https://twitter.com/kappa_dna/status/294964694286991360
はじめまして。三軒茶屋中央劇場スタッフのKと申します。 映画産業のデジタル化が進む中、 当館も2月14日を以て閉館することとなりました。 しかしながら、私たちは、まだまだこれからも 「ミニシアター」という文化を三軒茶屋のお客様と共有していきたい!と思っています。


三軒茶屋中央劇場

過去の関連記事:
三軒茶屋中央劇場


とんとん・にっき-eiga3 「東京遺産な建物たち」

2004年9月7日初版発行

監修:東京新聞「東京遺産選定委員会」」
発行所:株式会社新紀元社










山種美術館で「琳派から日本画へ―和歌のこころ・絵のこころ―」(前期)を観た!

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山種美術館で「琳派から日本画へ―和歌のこころ・絵のこころ―」を観てきました。観に行ったのは2月13日でした。「琳派」については、出光美術館で「琳派芸術Ⅱ」を観た時に、以下のように書きました。


昨年(一昨年)は「琳派」についての展覧会がたくさんありました。抱一生誕250年」ということで、出光美術館、千葉市美術館、畠山記念館などで「琳派」を掲げた展覧会が催されました。過去、思い出すのは、2008年11月に東京国立博物館で開催された「大琳派展 継承と変奏」でした。本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳とその弟乾山、酒井抱一、鈴木其一の6人が、当然ですが全員取り上げられていました。「尾形光琳生誕350周年記念」と銘打っていました。


今あらためて気がついたのですが、「国宝・風神雷神図屏風」展、副題には「宗達・光琳・抱一 琳派芸術の継承と創造」とありました。そうなんです、「琳派」を話題にするとき、必ず出てくるのが「継承と創造」についてです。江戸時代前期の宗達の作品「風神雷神図屏風」、江戸中期の光琳の「風神雷神図屏風」、そして幕末期の今度は江戸の絵師抱一による「風神雷神図屏風」、このれらの作品は「琳派の継承」として典型的なので、よく取り上げられますが、「琳派の継承」としてはもっと幅広く取り上げられる必要があることを、その時の展覧会は示していました。また、「私淑」という言葉でも語られました。


今回の展覧会の構成は、以下の通りです。


第1章 歌をかざる、絵をかざる―平安の料紙装飾から琳派へ―

第2章 歌のこころ、絵のこころ―近代日本画の中の琳派と古典―


「琳派」についてさまざまな角度からの検証が行われている現在、山種美術館での今回の展覧会は、
琳派の造形に影響を与えた料紙装飾の華麗な平安古筆、そして江戸時代を中心とした琳派作品、その後に至る近代・現代の日本画を通じ、「和歌」と「装飾性」の視点から、選りすぐりの名品を紹介すること、となっています。「料紙装飾」、簡単には理解できない言葉です。「記された和歌を視覚的に飾るために発達した料紙装飾」とあり、「そこで培われた感性は、琳派の華麗な装飾、斬新な意匠を形成した一因」としています。なるほど、ちょっとわかったような・・・。


それはそれとして、今回の目玉は、もう何度も観ていますが、酒井抱一の「秋草鶉図」でしょう。朝日新聞の「美の履歴書293」には「なぜ黒を選んだのか」と題して、以下のように書いています


上限を過ぎた月が西に傾き、清けき秋の野に鶉(うずら)が遊んでいる。夜も更けた。頬に冷気を覚える静けさは薄(すすき)を描く線の鋭さのせい、とばかりは言えないだろう。秋草の直線と曲線の重奏。鶉と月の形の呼応が生み出すリズム。そして、なんと言っても画面を切り取ったかのような黒。この一色が、まばゆい金地を引き締めている。


往々にして月に用いられる銀は、空気の触れると変色する。しかし、この屏風の黒は歳月がもたらしたものではなく、あらかじめ意図して描かれた可能性があるのだという。抱一は水墨画において月光を薄墨のシルエットで表そうとするなど、その表現にはこだわりがあったとされる。・・・絵師は何を思い、黒を選んだのか。やがて巡り来る秋の月に訪ねても、きっと風が吹くばかり。(増田愛子)


第1章 歌をかざる、絵をかざる―平安の料紙装飾から琳派へ―


書をしたためる料紙を飾ることは奈良時代から行われていましたが、平安時代には仮名の発達とともに華やかさを増し、金銀を多用した豪華な料紙が美麗な書を飾るようになりました。こうした料紙装飾の伝統を積極的に受容したのが、江戸時代に興隆を極めた琳派です。俵屋宗達が金銀泥で絵を描き、本阿弥光悦が和歌を書した一連の作品では、絵と書とが競い合いながら、大らかで大胆な表現が展開しています。そこで発揮された宗達の卓越したデザイン感覚は、琳派の造形のトレードマークでもある装飾性へと発展しました。

また、琳派では書の作例だけでなく絵画においても和歌が重要なテーマになっており、歌人や歌の景色に所在した屏風や掛軸などが数多く制作されました。物語絵でも歌物語と称される「伊勢物語」が重視され、琳派を継いだ画家たちがこぞって「八ッ橋」などの主題に取り組んでいます。




第2章 歌のこころ、絵のこころ―近代日本画の中の琳派と古典―


琳派の芸術は、近代以後の日本画家たちにとって魅力的な存在でした。明治30年代から40年代は尾形光琳へ、さらに大正期に入る頃には俵屋宗達へと注目が集まります。近代日本画家たちの琳派に対する憧憬と研究は、横山大観や菱田春草、下村観山など日本美術院の画家たちに端を発します。古典を大胆にアレンジする技術、「装飾性」を意図した画面構成や平面的な造形感覚といった琳派の特色が、多くの日本画家の間にも流行し、数々の作品が生み出されました。


伝統的な表現手法の枠を超え、日本画のさらなる飛躍を求めた近代の画家たちにとって、琳派は日本画の存在意義を確認しうる精神的な拠り所であると同時に、創造の源泉として、広く浸透しました。第一章で取り上げた、和歌をはじめとする古典文学と結びついた絵画の伝統は、後世の画家たちにも「伊勢物語」の絵画化などを通じて受け入れられていったのです。









「琳派から日本画へ―和歌のこころ・絵のこころ―」

近年、琳派ブームは非常に盛況で、国内外を問わず展覧会が開催されるほど、人々の心を惹きつけてきました。同時に様々な角度から琳派を問い直す検証も行われています。本展覧会では、琳派の造形に影響を与えた料紙装飾の華麗な平安古筆、そして江戸時代の琳派作品、その後にいたる近代の日本画を通して、「和歌」と「装飾性」の視点から、数々の名品をご紹介いたします。20世紀初頭より、江戸時代の琳派の作品は、近代の日本画家たちによって繰り返し研究され、取り入れられてきました。一方で琳派の絵師たちも、やはり遡(さかのぼ)る時代の古典に源泉を求め、様式を確立した一面があります。例えば主題においては『伊勢物語』や、『源氏物語』を絵画化し、また造形面では、記された和歌を視覚的に飾るため、平安時代に発達した金銀の料紙装飾を、様々な形で応用しました。そこで培われた感性やデザイン感覚は、琳派の華麗な装飾、斬新な意匠を形成した一因といえるでしょう。このたび平安時代の料紙装飾の名品《石山切》【重要美術品】や初公開となる後陽成天皇《和歌巻》【重要美術品】、細川幽斎《和歌短冊》○など、当館秘蔵の古筆コレクションを一堂に揃え公開いたします。また後の絵師達に繰り返し図様が描かれた伝俵屋宗達《槙楓図》(山種美術館蔵)、『伊勢物語』が主題の尾形乾山《八橋図》【重要文化財】(文化庁)や、深江芦舟《蔦の細道図》【重要文化財】(東京国立博物館蔵)など琳派の名品に加え、近代の横山大観、下村観山や速水御舟らの琳派研究の成果が結実した数々の作品も展示します。江戸時代から20世紀にいたる画家たちが、和歌や古典文学、そして装飾性をどのように摂取し、絵画化していったかをご覧いただける特別展といたします。本展覧会を通じて、千年にわたり受け継がれてきた和歌の伝統にふれ、古今の造形美の競演をお楽しみいただければ幸いです。


「山種美術館」ホームページ


とんとん・にっき-rin1 特別展

琳派から日本画へ

―和歌のこころ・絵のこころ―

監修:

山下裕二(山種美術館顧問・明治学院大学教授)
編集・執筆:

山種美術館学芸部(高橋美奈子/三戸信恵/南雲有紀栄)

発行:山種美術館




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辛島昇・著、大村次郷・写真「インド・カレー紀行」を読んだ!

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辛島昇・著、大村次郷・写真「カラー版 インド・カレー紀行」(岩波ジュニア新書:2009年6月19日第1刷発行)を読みました。3年半ほど前に刊行された本です。東京新聞(夕刊) 2009年9月1日、北海道新聞(朝刊) 2009年7月26日、朝日新聞(朝刊) 2009年7月12日などに紹介されました。「ジュニア新書」と侮るなかれ、カレーの成立過程を地方の歴史と絡ませて書いた、そしてカレーをインド文化の一つとして取り上げている優れた「文化論」なのです。著者のインド滞在の経験を踏まえた、肩の凝らない読み物でもあります。


「内容紹介」は、この本の編集者である森光実さんが岩波ジュニア新書の書いています。これほどまでに編集者が入れ込んでいる本は珍しいと言えます。よほど思い入れがあるのでしょう。その熱気がひしひしと伝わってきます。


インド史の第一人者が,カレーについてこんなに詳しいとは! ほんとうに驚きました.でも,それもそのはずでした.50年前のはじめての留学から現在までに,3年近い滞在2度を含めて,インド滞在期間が8年の長きに達するというのですから.本書をつくりながら,ぼくは東京のインド・カレー店をあちこち食べ歩きました.そこで話をうかがいながら,辛島先生の名前を出すと,「あの辛島先生ですか.本,早く読みたいですね」という反応がしばしば返ってきました.有名なマンガ『美味しんぼ』に「カレーの本を書いたインド史の辛島先生」として登場していたのです.


そして,できた本.担当したからでもありますが,圧巻です.陸のシルクロードと海のシルクロードがかかわり,南の文化と北の文化が融合してできあがったのが,インド・カレーなのです.しかも,各地には融合する前のカレーが残っていて,それらがその土地の条件を見事に反映したものなのですから.コショウがつる植物であり,高い木にまとわりつき,ハシゴをかけて実をとる.チャパーティーやナーンはローティーの一種で,仲間にプーリーやパロータなどいろんなものがある.そんなことも,はじめて知りました.いえ,はじめて知ったことばかりといえるかもしれません.


何度通ったかわからないくらいインドを訪れている写真家の大村さんが撮った,各地のカレー料理,その材料や製作過程の写真もバラエティに富みます.料理をつくってみたいと思うみなさんのために,多くのレシピも入れています.カレー好き・インド好きの人はもちろん,関心のなかった人も,本書を開くとインド・カレーのとりこになるだろうと,ぼくは楽しい想像をしています.


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著者紹介
辛島 昇(からしま・のぼる)
東京大学・大正大学名誉教授.専門は南インド史.1933年,東京生まれ.東京大学・マドラス大学大学院に学ぶ.著書に『インド入門』(東京大学出版会),『南アジア史』(山川出版社),『カレー学入門』(河出書房新社)などがある.文化功労者.
大村次郷(おおむら・つぐさと)
写真家.1941年,旧満州生まれ.多摩芸術学園写真科・青山学院大学卒業.インド,中国などのフォト・ルポルタージュ活動を行う.著書に『新アジア漫遊』(朝日新聞社),『シリーズ アジアをゆく』(全7巻,写真担当,集英社)などがある.

目次
第1章 インドでカレーライスを注文したら
第2章 「カレー」の語源と「カレー」の成立
第3章 留学生活とカレー――マドラス大学院生寮の食事
第4章 カレー好きになる――マイソールでの一家滞在
第5章 ムガル朝の宮廷料理――中央アジアとペルシャの伝統
第6章 カレーの原点――ケーララの海とスパイス
第7章 ゴアのカレーに残るポルトガルの味
第8章 カレーで結ばれたベンガルと日本――ガンジス川の流れとその魚
第9章 辛いスリランカ・カレーとモルディブの鰹節
第10章 現代インド料理の成立――インド文化論
 カレー関連用語集


マルグリット・デュラス原作「愛人/ラマン」を(再び)観た!

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マルグリット・デュラス原作「愛人/ラマン」を、TUTAYAで借りて“ブルーレイ、無修正版”で観ました。(再び)とあるのは、映画館で観たり、その後DVDを借りて観たりしているからです。過去のブログを見直してみると、マルグリット・デュラスの原作本でも読んでいました。15歳のフランス人の少女が、資本家の息子である中国人と出会い、2人は情事を重ねるようになり、少女が17歳の時にフランスへ帰るまでの物語です。セックスシーンはリアルですが、これはなかなかの“純愛物語”です。デュラスの自伝的な小説の映画化。


1929年、フランスの植民地、インドシナ(ヴェトナム)。メコン川を行く船上での運命的な出会い。田舎町サデックから寄宿舎のあるサイゴンに帰る途中の少女。男物の帽子が似合う少女が船縁に足をかけてメコン川を眺めています。黒いリムジンから降りてきた男は、地元華僑の資本家の息子。彼に誘われるままに、車に乗り、中華街ショロン地区に連れて行かれます。通りは騒がしく、日差しが差し込む部屋で、彼女は始めて男に抱かれます。そして、2人はその関係を続けていきます。母親は、娘の行動に気がつきながらも、金品を援助してくれる男を黙認します。しかし、男は父親の言うなりに中国の富豪の娘と結婚することになります。少女は、家族とともにフランスに帰国することになります。


気がついたポイント

・帽子の似合う、めくれ上がった唇の少女

・車に同乗して、2人の手がじりじりと近づき触れ合う瞬間

・無修正版だからか、セックスシーンのリアルさ

 (行水のシーン、少女のお尻がきゅっとしてスタイルがいい)

・ショロン地区の部屋がなまめかしい

 (鎧戸から差し込む日差しと、道行く人々の雑踏とその影)

・フランス人の中国人蔑視

 (家族と一緒に食事をするシーン、中国人を無視します)

・貧乏なフランス人と、金持ちの中国人

・デュラスの原作からか、ナレーションが文学的

・純愛。船上でショパンのワルツを聞いて、少女は始めて号泣します。

・純愛。何年もしてから、中国人はパリに訪ねてきたりもします。


*1回目のセックスシーンの後、少女の独白


私の身体は傷にうずく難破船

色あせた壁

鎧戸ごしに入る蒸し暑い空気

したたる汗

忘れはしない この薄暗い部屋

にぎわう待ちの喧噪に取り囲まれ

その熱気に目まいを覚えた

道行く人々が私の体を横切ってゆく

私は無限に広がる海に

思いを馳せた


*少女がフランスへ帰る、船が岩壁から離れる


客船が長い汽笛を鳴らす

タグボートに引かれて

船がゆっくり動き始める

船が大地から離れたとき

彼女は泣いた

涙を見せずに泣いた

母にも兄にも気付かれずに

彼女は悲しくても涙を見せない

もう慣れっこだった


彼が来ていた

車の後の席にひっそりと座っていた

打ちのめされて身じろぎもせずに

彼女は始めて船で出会った時のように

ヒジをついていた

彼がじっと見つめているのを知っていた

もう彼は見えなかったが、黒い車の法を見続けた。

やがて車も見えなくなり

海も陸地も水平線にかき消えた


以下、「映画.com」より


解説
15歳の少女と中国人青年の愛人関係を描く、マルグリット・デュラス原作の自伝的ベストセラー小説の映画化。監督は「子熊物語」のジャン・ジャック・アノー、製作は同作のクロード・ベリ、脚本はアノーとやはり「子熊物語」のジェラール・ブラッシュの共同、撮影はロベール・フレス、音楽は「カミーユ・クローデル」のガブリエル・ヤーレが担当。

ストーリー
1929年、フランスの植民地インドシナ(現在のヴェトナム)。メコン川をゆったりと渡る船の上で、田舎町サデックの自宅から寄宿舎のあるサイゴンに帰る途中の少女(ジェーン・マーチ)に、黒いリムジンから降りてきた中国人の男性(レオン・カーフェイ)が声をかけた。男は32歳で、この植民地で民間不動産の全てを掌握している華僑資本家の息子だという。少女は何となく興味をひかれ、男の車に乗り込んだ。その日から男は毎日リムジンで少女の学校の送り迎えのために現れた。


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過去の関連記事:

マルグリット・デュラスの「かくも長き不在」を読んだ!
マルグリット・デュラスの「愛人/ラマン」を読んだ!

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「ケララのカレーを味わう会」に行ってきました!

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カレーのルーツであるケララのカレーを味わう会
3月1日(金)夜7時~ 「ケララの風」(大森駅から徒歩5分)
会費4500円程度(デカン高原の赤ワインも―ーこれがまたおいしい!)
インド半島南端西部にあるケララの家庭料理を味わう会を行います。オーナーでシェフの沼尻さんは「メニューは僕に一任ください」と張り切って用意してくださいます。辛島昇著「インド・カレー紀行」(岩波ジュニア新書)で最初に登場するケララ地方のカレーは、街にあふれるインド・カレーとは大きく違うものです。


上のようなメールが飛び込んできました。実はそんなこともあって、辛島昇・著、大村次郷・写真「インド・カレー紀行」(岩波ジュニア新書629:2009年6月19日第1刷発行)を読んで、事前に予習をしてから「ケララの風」に行ったというわけです。


辛島昇・著、大村次郷・写真「インド・カレー紀行」を読んだ!


沼尻さんの話

元々は商社でケララに派遣され、レアアースの開発をしていた

インドは州が一つの国という感じ

インドは文字だけで16もある

マハラジャ(豪族)が州をつくった

北はヒンズー語圏、南はヒンズー語は教えない

南は英語教育に力を入れた、それがIT関連に育った

ケララは人口3800万人

ケララのコショウの生産は世界の30%

ケララ州は文盲はいない、上下水道完備

共産主義の州、ITカースト、頭さえ良ければ・・・

カースト制が崩れつつある

「ドラビダ」系→アボリジニ系?

語順が日本語と同じ

「インド料理というとタンドリーチキンでしょ」というが

タンドリーチキンやナンはレストランのインド料理

国境は異動するが、パキスタン方面のインド料理

タンドリーチキンやナンは西洋人の感覚でうけた

インドはチャパティ(全粒の小麦粉でつくった無発酵の平たいパン)

外国人はナン

(精製した小麦粉のドゥを発酵させてから焼いたイチジク型のパン)

南インドではナンは食べない

インドで全部ナンを食べたらインド人は餓死する

インド人5地域の人に聞いたら、誰もナンは食べたことがなかった

インドの人口は10億人

インド料理できますと言っても部分的、地域的

日本に帰ってインド料理を食べ歩いた

その頃九段にあったアジャンタにも行ったががっかりした

1998年、インターネットの時代

インド料理についての本も買えるし、仲間もできた

全国でインド料理の「食事会」を実費でやった


オーナーシェフのおまかせメニュー

1.いわしのアチャル

2.パパダム

3.オムライス

4.ソース タマリンド チャトニー

       ココナッツ チャトニー

5.パコダ アスパラガス

       ウド

6.チキンレバー ペッパーフライ

7.ミールス(セットメニュー)

8.チャイ

デカン高原の赤ワイン 














「ケララの風」

東京都大田区山王3-1-10

JR大森駅中央口より徒歩7分

http://hwsa8.gyao.ne.jp/kerala-kaze/

03-3771-1600


とんとん・にっき-curry 「カラー版 インド・カレー紀行」

岩波ジュニア新書629
2009年6月19日第1刷発行

著者:辛島昇

写真:大村次郷

発行所:岩波書店










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三井記念美術館で「三井家のおひなさま」を観た!

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三井記念美術館で恒例の「三井家のおひなさま」を観てきました。年末は円山応挙の「雲龍図」、年始は円山応挙の国宝「雪松図屏風」が展示される、というのが三井記念美術館の近年の定番になってきているようです。そして同じく2月から3月にかけては「三井家のおひなさま」です。何度か観ていますが、高貴な家柄のお方は「おひなさま」も贅を尽くしたもので、置く場所さえないウサギ小屋に住む庶民には、とてもとても手が届きません。そんなわけでいつものことですが、羨望の眼差しで観てきました。展覧会場は、思っていた以上のたくさんの人で賑わっていました。


展示室2 茶道具の名品

「斗々屋茶碗 銘かすみ」
茶人が好む茶道具をつくらせる、いわゆる注文茶陶を、国内だけでなく朝鮮半島にも依頼するようになったのは、文禄・慶長の役の後、1598年以降と考えられる。その結果、高麗茶碗はみごとに豊かな作風を展開することになった。注文茶碗たる特徴として、微妙に反り上げた胴線、高台を荒々しく削る縮緬皺、高台内の兜巾があり、口縁の切り回し、見込の半ばに1本の線を篦(へら)で削り、重ね焼きの目跡を細かく6~8個、点を連ねるように残すあたりに、景色を求める作為が認められる。懐の深い本手斗々屋、浅い平斗々屋のほか、特殊な例として江戸斗々屋、利休斗々屋などがある。名の由来は、魚屋と書く場合もあるとおり、堺の納屋衆のうちの魚屋が注文に絡んだからという説や、利休が魚屋で見出したからという説などがある。注文茶碗を開始したのは利休が最初と考えられ、天正14年(1586)前後であった。その後1598年以降、朝鮮半島に注文が向けられると、高麗茶碗も見立てから注文へと主流が移った。釉はかすみのように浮かぶ淡い青が魅惑的、高台は荒々しい縮緬皺も見どころです。



展示室4 三井家のおひなさま
永印のひな人形・ひな道具―浅野久子氏(北三井家十一代・高公長女)寄贈品




小蝶印のひな人形・ひな道具―三井鋹子(北三井家十代・高公夫人)旧蔵品



展示室5 三井家のおひなさま
巴印のひな人形・ひな道具(三井苞子〈北三井家十代・高棟夫人〉旧蔵品)



展示室6 「三井好 都のにしき」

水野年方筆 明治時代・20世紀



展示室7 特別展示「酒のうつわ」




「三井家のおひなさま 特別展示酒のうつわ」

東日本大震災で中止となった前回展より2年、恒例の「三井家のおひなさま」展が帰ってきました。7回目を迎える本展では、三井家の夫人や娘たちが大切にしてきたひな人形やひな道具を公開いたします。北三井家十代・高棟夫人の苞子(もとこ)1869-1946、十一代・高公夫人の鋹子(としこ)1901-1976、高公の一人娘・浅野久子氏1933年生まれ、伊皿子三井家九代高長(たかひさ)夫人・興子(おきこ)1900-1980旧蔵の贅をつくした逸品が並びます。とくに京都の丸平大木人形店・五世大木平蔵が特別に制作した、浅野久子氏の幅3メートル、高さ5段の豪華なひな段飾りは必見です。江戸時代にひな人形の市が立ったという日本橋の地で、春爛漫のひなまつりをお楽しみ下さい。また展示室7では、各種酒器を紹介いたします。漆器や陶磁器、金属器など多様な、日本独特の楽しい器です。展示室1・2・3では館蔵品による茶道具の名品、展示室6では「三井好 都のにしき」(水野年方筆)を展示します。


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リンゼイ・アンダーソン監督の「八月の鯨」を観た!

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高野悦子さん死去 岩波ホール総支配人、名画発掘
日本のミニシアターの草分けである岩波ホール総支配人として、世界の埋もれた名画の発掘、上映に尽力した高野悦子さんが9日、東京都文京区の病院で死去した。83歳だった。高野さんは旧満州(中国東北部)生まれ。日本女子大学卒業後、東宝を経て、パリ高等映画学院監督科に留学。1968年岩波ホール創立と共に総支配人に就任。74年から川喜多かしこ氏と共に「エキプ・ド・シネマ」を主宰し、サタジット・レイ「大地のうた」、ルキノ・ヴィスコンティ「家族の肖像」、アンジェイ・ワイダ「大理石の男」などを上映。85年から昨年まで東京国際女性映画祭のジェネラルプロデューサーを務める。2004年文化功労者。(日本経済新聞:2013/2/14)


折しも「高野悦子さん死去」のニュースが飛び込んできました。去年の12月、岩波ホールで「最初の人間」を観ました。アルベール・カミユの未完の自伝的な遺作を映画化したものでした。そのときに次回の上映作品は「八月の鯨」、25年ぶりに公開当時の字幕でニ、ュープリントのフィルム上映を行うというという案内があり、ぜひとも観に行こうと思っていました。この映画、岩波ホールでは1988年11月に、20周年記念として上映されたもので、社会的にも大きな反響があったという。今回は「岩波ホール創立45周年記念上映」と銘打って再上映されることになりました。たまたまTUTAYAに行ったところ「八月の鯨」が目に入り、ついつい借りて観てしましました。


さて「八月の鯨」ですが、ハリウッド黄金時代を支えた2人の大女優、リリアン・ギッシュとベティ・デイビスが共演した1987年公開の人間ドラマです。「撮影当時、リリアン・ギッシュ は93歳、ベティ・デイビス は79歳であった」、というのには驚かされます。2人の自然な演技も素晴らしいが、なんと妹役のリリアン・ギッシュの方が、姉役のベティ・デイビスよりも一回りも年上でした。長い人生の大半をともに過ごしてきた年老いた姉妹は、毎年夏になると海辺の小さな島にあるセーラの別荘にやってきます。老姉妹と、2人を取り巻く男女のささやかな日常を描いた作品です。


老いても少女のような無邪気で社交的な妹セーラに比べ、目の不自由な姉のリビーは人間嫌いで毒舌家と対照的な2人です。リビーは第一次世界大戦でセーラの夫が亡くなった時に彼女の面倒をみました。しかしリビーは病の縦目が不自由になり、今はセーラが2人の生活を取り仕切っています。リビーは次第に我が侭になり言葉に棘を持つようになり、セーラに依存しなければならない自分に腹を立てています。セーラはこうした姉の世話を続けてゆく自信を失いかけています。


この家を訪れるのは、幼友達の気のいいティシャ、修理工のヨシュア、そしてロシアの亡命貴族であるマラノフ氏です。みんながみんな老人です。人生の黄昏を迎えたリビーとセーラの老姉妹は、多少の行き違いはあるものの、彼らとの交流の中にささやかな憩いと生きる希望を見出します。2人が少女の頃楽しみだった8月になるとやってきた鯨は今は見ないが、「今年こそはと楽しみにしているの」というセーラの言葉に、明日への夢や希望が託されています。


以下、とりあえずシネマトゥデイより引用しておきます。


チェック:『白昼の決闘』などの女優リリアン・ギッシュとオスカー女優のベティ・デイヴィスが共演した1987年公開の人間ドラマ。小さな島の別荘で夏を過ごす老姉妹と、彼女たちを取り巻く3人の老人たちが織り成す人間模様を味わい深く描き出す。監督は、『if もしも‥‥』の名匠リンゼイ・アンダーソン。共演のヴィンセント・プライス、アン・サザーン、ハリー・ケリー・Jrと往年の名優たちによる穏やかな演技が余韻を残す。

ストーリー:メイン州の小さな島にある別荘で、毎年夏を過ごす老姉妹リビー(ベティ・デイヴィス)とセーラ(リリアン・ギッシュ)。かつて島の入り江は8月になると鯨が現われ、少女だったころの二人は鯨を見に行くのが楽しみだった。姉妹は長い間互いに支え合って生きてきたが、病気で目が不自由になった姉のリビーは周囲にとげとげしく接するため、彼女の世話をするセーラは心を痛め……。


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「岩波ホール」ホームページ


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世界遺産「トロイの古代遺跡」!

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2012年10月21日から10月30日まで10日間の「トルコ旅行」、世界遺産「トロイの古代遺跡」へ行ったのは、3日目のことでした。イスタンブルからトロイまではバスで約345km、途中、ダダネルス海峡をフェリーで渡りました。遺跡の入口から、あの有名な木馬が見えます。内部に登ることができます。トロイ戦争のエピソードにちなんで建てられたもので、特に歴史的な価値があるわけではなく、観光用のものです。


トロイの古代遺跡は、発掘された遺跡を途中でそのまま手つかずに残してある、といった印象です。ホメロスの伝承を信じたシュリーマンの発掘で、奇跡的に白日の下に引き出された古代都市です。とはいえ、時は流れ、戦場だった浜は、かつては入江だったところも土砂で埋まってしまい、今では海まで5kmほど遠くになっていました。遺跡は、異なる時代の遺構が何層にも重なり合って、一目でいつの時代のものか、説明がなければほとんどわかりません。遺跡は頑丈な城壁の下から始まり、案内に従いざっと1時間、一周できるようになっています。


長い期間に町が重なって卵形にできあがったヒサルルクの丘の遺構は、時代ごとに9つの市に分けられています。この遺構をトロイとするのが大勢ですが、これまでの発掘からは、それを明確に証拠立てる碑文などは見つかっていません。下の図は、「トロィア/ウイルサ ガイドブック」より見つけたものです。シュリーマンの発掘の経緯や「時代ごとに9つの市」については割愛、ホメロスが叙事詩「イーリアス」に描いたトロイ戦争についても割愛します。




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*参考文献

とんとん・にっき-tur3 「わがまま歩き 34 『トルコ』」

2012年4月5日第4版第1刷発行

編集:ブルーガイド海外版編集部

発行所:実業之日本社



とんとん・にっき-troi1 ユネスコ世界遺産

トロイア/ウイルサ

発掘責任者による

歴史概説と遺跡見学ガイド

マンフレド O.コルフマン
英語版からの翻訳

原田武子

日本語版2006年

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世界遺産「パムッカレ/ヒエラポリス」を観た!

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2012年10月21日から10月30日まで10日間の「トルコ旅行」、世界遺産「パムッカレ/ヒエラポリス」へ行ったのは、5日目のことでした。ヒエラポリスの遺跡は、発掘調査が進んではいますが、全容解明にはまだまだのようです。


遺跡の広がる台地東端の急斜面に見られる石灰棚は、「綿の城(パムック・カレ)」とも呼ばれ、これが地名になりました。石灰分を多量に含む湧き水が、台地からあふれ岩肌をつたい、長い年月の内に沈殿し凝固した石灰華岩が斜面を覆い尽くしています。さらに積もって幾重もの棚を形成しました。棚のプールは、大小合わせて100以上もあります。




ヒエラポリス

ヒエラポリスは聖なる都市を意味します。B.C.190年、ペルガモンのエウメネス2世は、ローマとセレウコス朝との戦いでローマ側につきました。戦勝の功労により、セレウコス朝が建設を始めたこの町を得たエウメネスは、戦利の財貨を使って発展させました。町の名は、ペルガモンの始祖テレフォスの妃ヒエラにちなんだともいわれています。それ以前、ここは聖地でした。大地から湧き出す熱泉、そして後にローマ人がプルトニウムとよんだ有毒ガスを噴出する穴がここにはあって、フリギア人などの先住者たちは、これら自然現象を信仰の対象として、ヒエロンの神殿を建てていました。これがヒエラポリスという町の名につながったのかもしれません。いずれにせよ、まだまだ発掘途上です。


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パムッカレ

丘陵を流れ下りる石灰を含んだ温泉水が、長い年月をかけて白い城を造りあげました。幾重もの白い岩棚が、眼の前に立ちはだかる風景は感動的です。


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*参考文献

とんとん・にっき-tur3 「わがまま歩き 34 『トルコ』」

2012年4月5日第4版第1刷発行

編集:ブルーガイド海外版編集部

発行所:実業之日本社








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