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茶道史料館で「新春展大松コレクション名品選 近代絵画と茶道具」を観た!

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2白3日の名古屋・京都旅行、3日目に行きました。帰ってからすぐに、ブログに以下のように書きました。


京都では、偶然見つけたのですが、「茶道史料館」で「新春展 大松コレクション名品選 近代絵画と茶道具」、これが思っていた以上に素晴らしい展覧会でした。茶道具の他に、横山大観、前田青邨、川合玉堂、上村松園など、名だたる画家の日本画が展示されていました。また抹茶の接待もありました。そして次は近くにあった楽美術館で「楽歴代 春節会」なる展覧会を観てきました。田中宗慶作黒楽茶碗初雪、三代道入作黒楽茶碗早梅、六代左入作赤楽茶碗桃里、等々。


そんなわけで、茶道史料館で「新春展大松コレクション名品選 近代絵画と茶道具」を観てきました。茶道資料館とは、南は人形寺(宝鏡寺)、北は本法寺に隣接する裏千家センターの1階と2階にあります。裏千家15代鵬雲斎宗室の発案で昭和54年に設立。茶道に関する資料収集と調査研究を行い、また展示事業も実施されています。さて、大松コレクションですが、大松美術館は現在では閉館されましたが、作品は散逸されることなく所蔵されているという。今回の展覧会については、以下のようにありました。


大松コレクションは、岐阜プラスチック工業株式会社の創業者大松幸栄氏と夫人節子氏が収集された日本近代絵画や茶道具など約1500点の美術工芸品からなり、平成3年、岐阜県・岐南町に開館した大松美術館において広く公開されてきたが、美術館は平成21年に惜しまれつつ閉館となった。現在、公開されてはいないものの、作品は散逸することなく所蔵されている。本展では、上村松園(1875-1949)、川合玉堂(1873-1957)、前田青邨(1885-1977)、横山大観(1868‐1958)など名だたる画家による日本画と、茶道具の名品の中から、新春の季節にふさわしい作品を中心に展観する。


主な出品作品(会期中陳列替あり)

横山大観「神洲正気」

上村松園「静思」

速水御舟「松林」

中興名物瀬戸茶入銘老茄子

祥瑞摺扇香合

六閑斎共筒茶杓銘千代鶴

他約60点


大松コレクションを見終わった後、1階の奥でお抹茶をいただきました。もちろんお菓子も付いていました。飲み終わった後、茶碗の説明がありました。僕が飲んだ茶碗は白く大きく厚めの茶碗、家人が飲んだ茶碗は小さめで焦げ茶の薄手の茶碗でした。なんと白い大きな茶碗は細川護煕の焼き物の先生である小林東五の作品、焦げ茶の小さな茶碗は細川護煕本人の作品だとか、これには驚きました。






とんとん・にっき-shiryou 入場券
とんとん・にっき-sado8 「一盌からピースフルネスを」

裏千家 

茶の湯に出会う、日本に出会う







とんとん・にっき-sado7 「京都・今出川通の美術館だより」
日本画・茶の湯VOL.92

2013.1-2

白沙村荘橋本関雪記念館

北村美術館

樂美術館

茶道資料館

京都府立堂本印象美術館





樂美術館で「樂歴代 春節会」を観た!

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2白3日の名古屋・京都旅行、3日目に行きました。帰ってからすぐに、ブログに以下のように書きました。

京都では、偶然見つけたのですが、「茶道資料館」で「新春展 大松コレクション名品選 近代絵画と茶道具」、これが思っていた以上に素晴らしい展覧会でした。茶道具の他に、横山大観、前田青邨、川合玉堂、上村松園など、名だたる画家の日本画が展示されていました。また抹茶の接待もありました。そして次は近くにあった楽美術館で「楽歴代 春節会」なる展覧会を観てきました。田中宗慶作黒楽茶碗初雪、三代道入作黒楽茶碗早梅、六代左入作赤楽茶碗桃里、等々。


「茶道資料館」と「樂美術館」を偶然見つけたのは、京都駅でいただいた旬の京都観光情報誌「京ごよみ」1月号と、「京都・今出川通の美術館だより」でした。そんなわけで、樂美術館で「樂歴代春節会」を観てきました。樂美術館については、以下のようになりました。


京都御所を西に徒歩7分。三千家をはじめとする、茶家が散在する上京の一画に位置、楽焼き450年の伝統を今日に伝える窯元、樂家に隣接して設立。収蔵作品は歴代作品に併せて茶道工芸美術等、樂家に伝わった1000余点。特別展を中心に年4回の展覧会を開催。なかでも、歴代作品が一堂に並ぶ「樂歴代展」と、歴代の樂茶碗で抹茶をいただく特別鑑賞茶会が人気を呼んでいる。


「樂歴代 春節会」の案内は、以下のようにありました。


正月・立春・節分・雛祭り、新春、大寒から立春、春信の梅花祭、そして弥生雛祭りなど、春にかけて様々な節会が季節を彩ります。茶の湯は自然と共に過ごす喜びを大切に育ててきました。茶の道具、特に茶碗は細やかな季節感をその姿、趣に、また、付けられた銘を通して味わい深く季節の移ろいを表現してきました。本展では初代長次郎から15代吉左衛門まで、季節感あふれる作品を展観いたします。


主な出品作

初代長次郎作 黒樂筒茶碗 村雨

田中宗慶作 黒樂茶碗 初雪

三代道入作 黒樂茶碗 早梅

五代宗入作 黒樂茶碗 如月

六代左入作 赤樂茶碗 桃里

十五代吉左衛門作 宵梅





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日本画・茶の湯VOL.92

2013.1-2

白沙村荘橋本関雪記念館

北村美術館

樂美術館

茶道資料館

京都府立堂本印象美術館




岩元禄の「西陣電話局」を観た!

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京都、堀川通から中立売通へ入り、油小路通を北に上がると「樂美術館」があります。樂美術館で「樂歴代 春節会」を観た帰り、同じ道を戻ろうとしたら、中立売と油小路通の交差点角に、記憶に残っていた建物の外観が見えました。樂美術館へ行くときは気がつかなかったのですが、帰りには否が応でもこの建物の正面と向き合うかたちになり、「おぅ、これだ、これだ!」と思い出したわけです。建物の名は「西陣電話局」、設計者は逓信省の技師・岩元禄(1893-1922)です。


一高のドイツ語教師である兄の岩元禎は、夏目漱石の小説『三四郎』に登場する「偉大なる暗闇」こと広田先生のモデルだと言われる。1922年1月、東大助教授(建築意匠論)に就任したが、同年秋に結核を発病。療養生活に入り、翌年死去。 (「ウィキペディア」による)


学校で受けた「建築史」の授業でも、もちろん出てきました。日本建築学会編の「近代建築史図集」にも載っている歴史的な名建築です。以前、前川國男の「笠間邸」も、偶然、前を通りかかって見つけました。「西陣電話局」も、まったくの偶然の出会いでした。それにしても、伝統を重んじる京都の街中に、なんと裸婦像ですよ、ちょっとエロくない? まあ、今ではまったく西陣の町に溶け込んでいますが・・・。逓信省の関連では、「東京中央電信局」を設計した山田守や、「東京中央郵便局」を設計した吉田鉄郎は、逓信省経理局営繕課では岩元禄の後輩に当たります。


「近代建築史図集」の解説本である「近代建築史概説」には、以下のようにあります。


・・・完成してから今日までほとんど姿を変えることなく残り、しかもオーストリアのゼセッションの建築に内容的に最も近く、作品としての完成度の高い作品として挙げることのできるのは、岩元禄の京都の西陣電話局(1920年)である。特に正面玄関上の外壁や軒下にほどこされた天女をモティーフにしたレリーフなどには、洒脱な形と軽快なリズム感があふれていて楽しいものになっている。夭折が惜しまれる建築家である。 (「近代建築史概説」より)


新建築1991年1月臨時増刊「建築20世紀PART1」には、以下のようにあります。


西陣電話局

肺結核のため、29歳で世を去った建築家の現存する唯一の作品であり、死の前年に竣工された。建築は鉄筋コンクリート壁レンガ造であるが、今日ではその一部分だけが残されている。出入口には、3人の裸婦が付け柱の上に立っており、人を導く。そして、その姿は背後にしつらえたアーチ型のレリーフ・パネルに増殖し、中央に張り出した出窓を囲んでいる。その表現派的な立面造形は、京都という町並みにおいてあまりにも異形であり、刺激的である。岩元の非凡な才能を示すに十分と言えよう。現在、建物のファサードは、民間企業のビルの一部として、現代建築の中に埋まるような形で残されている。それは、夭折した建築家の情念が壁に塗り込められたかのような異様な迫力を持ち、作品の永遠性を作者が今なお思考しているかのような情趣である。(新建築1991年1月臨時増刊「建築20世紀PART1」より)





「銘板」には、以下のように記されています。



この建物は、大正10年、京都中央電話局西陣分局として建設されました。設計者の逓信省技師・岩元禄は、日本近代建築の黎明期、大正時代において、建築の芸術性をひたすら追い求め、わずか3点の作品を残したのみで夭折した天才的な建築家であります。この西陣電話局は、彼の現存する唯一の建物でもあり、文化的・学術的に非常に高く評価されております。日本電信電話株式会社としても、このすばらしい建物を永く後世に伝えようと、この度改修工事を行い、保存・再生することといたしました。皆様方の電話局として末永く親しんでいただければ幸いです。

        昭和60年10月23日


    日本電信電話株式会社

    取締役 関西総支社長

            齋伯 哲


  旧建物概要: 名称 京都中央電話局西陣分局

           規模 鉄筋コンクリート造 一部木造 3階建

           面積 延 1178㎡(再生部分)


  建物沿革:  大正10年(1921) 建物竣工

           大正11年(1922) 業務開始

           昭和33年(1958) ダイヤル自動化に伴い手動交換業務廃止

           昭和58年(1981) 電子交換機導入に伴い一部模様替

           昭和59年(1984) 保存・再生のため改修工事着工

           昭和60年(1985) 同工事竣工


  保存部分:  軀体、壁面、軒裏レリーフ、裸婦像、ライオン像、3階柱廊


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前川國男の「京都会館」を観た!

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1月22日から24日まで、2泊3日の「名古屋・京都旅行」に行ってきました。京都で、目的の一つだった細見美術館を目指して歩いているときに、前川國男の「京都会館」の前を通りました。


以前にも何度か観ていましたが、今回は人の気配はまったくなく、建物の中へは入ることが出来ず、また、仮囲いがしてあったりで、物々しい感じがしました。京都から帰ってなんの考えもなくブログに、前川さんのあの名作「京都会館」、詳しいことは分かりませんが、どうも解体されるようです、と書きました。帰ってから調べてみると、様々な団体から、「京都会館解体工事中止」の要望書が出ていたりで、行政との間でかなり深刻なやり取りが続いているようです。


京都会館解体工事中止求める要望書・市民団体が提出@京都新聞


京都会館再整備をじっくり考える会


それはそれとして、前川さんの建築はなんと「ケヤキ」が似合うんでしょう。僕の住む「世田谷区庁舎」の周りにもケヤキが植えてありますし、庁舎内のレストランの名前も「ケヤキ」です。1960年に完成した世田谷区庁舎・区民会館は前川國男の設計で、日本の庁舎建築の典型となった建築です。「京都会館」も同じく1960年の完成で、1961年完成した前川國男の代表作である「東京文化会館」の“前触れ”となった建築といわれています。実は世田谷区庁舎も老朽化に伴い建て替え問題が起こっています。


青森県弘前市には前川國男の設計した建物が8棟あります。なんと「前川國男の建物を大切にする会 」があるそうで、それだけ市民から前川建築が愛されているということが出来ます。前川建築は「公共性」をメインテーマとしています。


京都会館の「中庭」の試みは多くの人がいうほど上手く機能しているようには見えません。変な形の「別館?」が、中庭への語りかけがまったくないからでしょう。お天気の関係もあり、やや寒々しい感じがしました。「ピロティ」は第1ホールへの単なるアプローチとしてしか、機能していないように見えます。しかし、南側、ケヤキの立ち並んだ二条通側のエレベーションと、西側、疎水側のエレベーションは、それぞれの表現は異なりますが、素晴らしいと思いました。いずれにせよ、人が利用してこそ建築なので、使われなくなったら途端に廃墟になってしまいます。








以下、「前川國男:近代日本建築の源流」(「PROCESS43」より)




日本イコモス 第14小委員会
リビング・ヘリテージとしての20世紀建築 の保存・継承 に関する課題検討
http://www.japan-icomos.org/workgroup14/index.html


日本イコモス 国内委員会 から京都市 に送られた京都会館 再整備計画に関する見解(2012年9月10日 付)
http://www.japan-icomos.org/workgroup14/kyotokaikan_comment120910.pdf


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清水三年坂美術館で「鍛鉄の美 鐙、鐔、自在置物」を観た!

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ここ数年、東京国立博物館の「博物館に初もうで」に行く習慣になっています。そこに展示されているので気に入っているものがあります。はまってしまった、といった感じです。どのようにでも動くという「自在金物」です。今年は「巳年」つまり蛇、昨年は「辰年」つまり龍です。毎年、素晴らしい「自在金物」が、東京国立博物館に出ていました。


自在金物にばかり話がいきましたが、清水三年坂美術館は幕末、明治の金工、七宝、蒔絵、薩摩焼を常設展示する日本で初めての美術館です。明治の金工、七宝、蒔絵というと、三の丸尚蔵館で観た「花ひらく個性、作家の時代―大正・昭和初期の美術工芸」を思い出します。図録が見当たらないので、詳しいことは言えませんが、帝室技芸員による、たしか金工、七宝、蒔絵で、素晴らしいものが出ていた記憶があります。そうそう、泉屋博古館でも同様のものを観ましたね。


さて今回のテーマは「鍛鉄(たんてつ)の美 鐙(あぶみ)、鐔(つば)、自在置物」です。鍛鉄とは、固くて延展性に乏しい鉄を金槌でうちながら成形していくこと、いわば鉄を叩いて鍛えること、を意味するようです。いわゆる「鍛冶屋」の仕事ですが、「和鍛冶」ではなく「洋鍛冶」を指すようです。建築の仕事では「アイアンワーク」と言ったりします。鐙は馬具の一種です。鐔は刀の鐔です。甲冑師の流れをくむ人たちによって、その技術は伝えられてきました。






「鍛鉄の美―鐙、鐔、自在金物」

金属の中でも、硬くて延展性に乏しい鉄を熱して金槌でうちながら成形していく技は主に甲冑師達によって高められてきた。今回の展示の中心となる山田宗美、父である宗光、そして弟子の宗世達も石川県大聖寺の明珍派の甲冑師の流れをくむ、明治・大正期に活躍した鎚起の名工達である。また本物の動物達と同じように関節や羽根が動く自在置物もまた明珍派の甲冑師達によって作り出された作品である。今まで殆ど世界中で展示されることがなかったこれらの作品に加え、加賀の甲冑師達が造った象嵌鐙や美しい鉄の彫刻作品である鉄鐔の世界をご紹介する。


「清水三年坂美術館」ホームページ


とんとん・にっき-shi1 「清水三年坂美術館」
リーフレット
とんとん・にっき-shi11 入場券








静嘉堂文庫美術館で「曜変・油滴天目 茶道具名品展」を観た!

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静嘉堂文庫美術館で「曜変・油滴天目 茶道具名品展」を観てきました。静嘉堂文庫創設120周年 ・美術館開館20周年記念「受け継がれる東洋の至宝」シリーズのPartⅢにあたります。


PartⅠ 東洋の精華―名品でたどる美の軌跡―

PartⅡ 岩崎彌之助のまなざし―古典籍と明治の美術―
PartⅢ 曜変・油滴天目―茶道具名品展―


今回の展覧会は、2010年3月に開催された「国宝・曜変天目と付藻茄子―茶道具名品展」と、ほぼ同じ内容と言っていいでしょう。大名物「付藻茄子」、そして国宝・大名物「曜変天目」と重文「油滴天目」は、静嘉堂文庫美術館の至宝です。茶道具名品展では必ず展示されます。僕も今まで何回となく観ることができました。三菱一号館美術館の「三菱が夢見た美術館 岩崎家と三菱ゆかりのコレクション」や、静嘉堂文庫美術館の「中国陶磁名品展」でも、目玉として展示されていました。


岩崎彌之助・小彌太―父子二代の茶道具


岩崎彌之助が最初に購入した茶道具は、付藻茄子(つくもなす)と松本茄子(詔鷗茄子)だったという。ともに信長―秀吉―家康と天下人の手中にあった大名物の唐物茶入で、これらは明治18年、岩崎家と親しかった同郷土佐の名士・今村長賀を介して購入されました。明治3年、彌太郎が「三菱」の名を会社に冠する以前、大阪で創業した会社名を「九十九商会」といったという。彌之助は“つくも”の永ついた天下一品の名物茶入を、何としても購入したく思ったのではないか、と解説にあります。


このふたつの名物茶入は、大阪夏の陣で大阪城と共に焼失したかにみられたが、徳川家康の命により召し出された塗師の藤重藤元と藤巌父子により、焼け跡から探し出され、父子の漆繕いによって破片は現在の姿に甦った。家康はその修復の出来栄えを「藤重は日本一の重宝の者なり。古今不思議の手涯、言舌の及ばざる細工、後代のために之を験さん。」と絶賛し、両茶入れ下賜した(拝領之次第)。


付藻茄子(つくもなす)、松本茄子(詔鷗茄子)

―茶道具蒐集のはじめ



珠玉の名椀

唐物茶碗―天目のさまざま


曜変天目(稲葉天目)

漆黒の釉に大小の斑文が集まり、そのまわりを藍と青、光の角度によっては虹色にも見える光彩が輝く曜変天目。一碗の中に宇宙を見るかのような神秘的な茶碗である。南宋時代、中国福建省建窯の焼成品で完形品の現存は世界に三椀のみ、それぞれ趣ある曜変の名椀が、すべて日本に伝わっている。もと柳営御物(徳川将軍家の什宝)であった本椀は、徳川家三代将軍家光が、嫁ぎ先の稲葉家を離れて彼の乳母となった春日局にこの椀を下賜したことから、淀藩主稲葉家へ渡ったとされる。大正7年(1918)、稲葉家親戚の小野家に渡り、昭和9年(1934)、岩崎小彌太の所有となった。しかし小彌太は「名器を私に用うべからず」と、生前一度もこの茶碗を使用することがなかったという。
*他の曜変天目は、京都・大徳寺塔頭龍光院所蔵の一碗。もう一碗は、水戸徳川家伝来で大阪・藤田美術館の所蔵品。いずれも国宝。


世紀の発見―「曜変天目」陶片、南宋の都・杭州に出土

南宋の都、浙江省杭州で、2009年、曜変天目の陶片が発見された。全体の1/4程度の欠損はあるものの、高台部分が残り、見込みに曜変の美しい光彩が現れているという。このニュースは、2012年に入って公表され、国内外で大きな話題を呼んでいる。



油滴天目

「油滴」は、わが国では「曜変」に次ぐ高い評価を受けてきた天目茶碗であり、その名は、油の滴が水面に散ったような斑文が黒釉上にあることによる。それも、茶碗の内外ともに、びっしりと現れているのが曜変とは異なる特徴といえる。伝世品の多くは天目形の姿をもつものの、静嘉堂の油滴天目のように、口を朝顔形に開いた大振りの作例も見られる。油滴天目の産地は、曜変天目や禾目天目と同様、福建省建窯であるが、華北地方で建窯産の油滴を模倣した作例も存在する。



天目台


天目茶碗



高麗茶碗・樂茶碗・和物茶碗




大名家旧蔵の名品

静嘉堂の茶道具の根幹をなすものは、仙台藩主伊達家に代表される、江戸時代の大名家ゆかりの品々である。伊達家では徳川将軍を江戸の藩邸でもてなす「御成」のために収集された道具類も多かったとされ、主従関係の証として将軍家との間を往き来した名品も少なくない。静嘉堂の所蔵品には加賀藩前田家・淀藩主稲葉家・丸亀藩京極家など、大名家旧蔵の名物茶道具が知られている。これらは近代に入って所有者を変えてなお、往時の風格を伝えていよう。


加賀藩主・前田家伝来の名品



仙台藩主・伊達家伝来の名品

丸亀藩主・京極家と仁清の茶陶



“きれいさび”―遠州茶道具の美

江戸初期の大名にして武家茶人の小堀遠州(1579~1647)は、武野紹鷗・千利休・古田織部と継承された侘び茶の流れから新たな茶の湯を作り上げた。明るく大らかで軽快、さびの中に華やかさ・清らかさを求めた茶風は“きれいさび”と称され、後世の茶道に大きな影響を与えた。



大名茶人・松平不昧の美意識

出雲松江の七代藩主・松平治郷(1751~1818)号不昧は、多彩な活動をした大名茶人。酒井宗雅や朽木昌綱といった他藩の大名にも茶法を伝授するなど、後に続く伝統を作った。また好みの茶道具、茶室も創案し、さらには所蔵の茶道具目録「雲州蔵張」を作成。茶器の研究においても「古今名物類聚」「瀬戸陶器濫觴」を出版したことで知られる。“不昧好み”の茶道具は、大らかで優雅な雰囲気をたたえている。



茶匠ゆかりの茶道具



寺社・豪商伝来の名品



受け継がれる東洋の至宝 PartⅢ
曜変・油滴天目 -茶道具名品展-

世界に三碗のみが現存する「曜変天目」(すべて国宝)のうち、最も光彩が鮮やかな一碗、淀藩主稲葉家に長く秘蔵されたことで知られる“稲葉天目”と、独特の大きな朝顔形の姿に銀色の斑文が美しい「油滴天目」。本展では、この二つの名碗を中心に、信長―秀吉―家康と、天下人の手を経て今日に伝わる“大名物”茶入「付藻茄子」「松本茄子(紹鴎茄子)」、そして仙台藩主伊達家・加賀藩主前田家といった旧大名家、寺社・豪商・著名な茶人等によって所持された茶道具の名品を精選し、公開いたします。おりしも近年、南宋の都であった杭州から、美しい光彩をもつ「曜変」の破片が中国国内で初めて発見され、話題を呼んでいます。南宋宮廷への献上品であった可能性もでてきた曜変天目は、中国の陶磁史上、改めて注目される存在となり、研究の進展が期待されています。岩﨑彌之助(1851-1908・三菱第2代社長)と小彌太(1879-1945・三菱第4代社長)父子二代が、情熱を傾けて蒐集した静嘉堂の茶道具コレクションを、文庫創設120周年・美術館開館20周年を迎えた記念展PARTⅢとなる本展にて、お楽しみいただければ幸いです。


「静嘉堂文庫美術館」ホームページ


とんとん・にっき-mei23 静嘉堂蔵 
「茶道具の美―岩崎家の父子二代のコレクション」
リーフレット





とんとん・にっき-sei1 「静嘉堂茶道具 鑑賞の手引き」

平成22年2月6日発行

編集・発行:静嘉堂文庫美術館











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ジェームズ・アイヴォリー監督「眺めのいい部屋」を(再び)観た!

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とんとん・にっき-naga5




「眺めのいい部屋」は、以前、見た記憶があるのですが、詳しいことは覚えていません。上の画像は、1990年夏にフィレンツェへ立ち寄った時のスライドをスキャンしたものです。フィレンツェにはその後、2004年冬にも行きました。フィレンツェの街と建築を観に行ったのでした。ミケランジェロ広場からアルノ河、フィレンツェ市街を見た画像、サンタ・マリア・デル・フィオーレのクーポラや、ヴェッキオ宮殿の塔が見えます。


「グランドツアー」は、イギリスの支配階級や貴族の子弟たちが、教育の最後の仕上げとして体験することになる、比較的長い期間のイタリア旅行のことで、17世紀の末に始まり18世紀後半においてピークに達したといわれる。(岡田温司著:「グランドツアー18世紀のイタリアへの旅」より)


1907年。イギリスの良家の令嬢ルーシー・ハニーチャーチ(ヘレナ・ボナム・カーター)は、年上の従姉シャーロット(マギー・スミス)に付き添われ、イタリアのフィレンツェを訪れます。女性が、しかも時代は20世紀初頭ですが、まさに「グランドツアー」そのものです。二人は、部屋が美しいアルノ河に面した側でないことにがっかりします。シャーロットが苦情を言いたてるのを聞いたエマソン(デンホルム・エリオット)は息子のジョージ(ジュリアン・サンズ)と共に泊っていた「眺めのいい部屋」と交換してもいいと申し出てくれました。このエマソン父子は、なかなか進歩的な考えの持ち主です。一度はためらったシャーロットでしたが、偶然に同宿していたハニーチャーチ家の教区のビーブ牧師(サイモン・カラウ)に説得され、申し出を受け入れました。


「眺めのいい部屋」に移って気をよくしたルーシーとシャーロット。ラヴィッシュ女史(ジュディ・デンチ)とシャーロットは、フィレンツェの街へと繰り出します。まず出てくるのがアヌンツィアータ広場、アヌンツィアータ教会とブルネッレスキの設計による捨て子養育院が広場を取り囲んでいます。この映画は、フィレンツェがあってこその映画です。フィレンツェに始まり、フィレンツェに終わります。ラヴィッシュ女史はルーシーに目を付けていて、「イタリアで変わりゆく若い英国の娘」として小説の登場人物にして書きたいと思っています。


翌朝一人で町を見物していたルーシーは、サンタ・クローチェ教会へ入って壁画などを見学していると、しつこいイタリア人ガイドに付きまとわれたりします。壁画や天井画の説明を聞いていると、部屋を譲ってくれたエマソンとバッタリ出会います。一緒に礼拝堂の壁画を見て回ります。映画の中ではかなり大きな教会に見えました。ここは見るべきものが盛りだくさんです。ジオットの壁画のあるバルディ礼拝堂が有名です。一度目は見逃したのですが、二度目で観ることができたのは、サンタ・クローチェ教会の正面右手にある中庭の奥にあるブルネッレスキのパッツィ家礼拝堂です。小さな建築ですが、ブルネッレスキの最高傑作です。


シニューリア広場の前のヴェッキオ宮殿、この塔はフィレンツェのどこからでも見ることのできるランドマークです。シニューリア広場のヴェッキオ宮殿に入る左側にミケランジェロのダヴィデ像があります(本物はアカデミア美術館に移されていますが)。その横にはウフィッツイ美術館があります。ジオット、マザッチオ、ブルネッレスキ、ドナテッロ、ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエッロ・・・の名が矢つぎ早に思い出されます。


その前で男同士の争いが起こり、一人が胸を刺されて目を剝いて死にかけています。それを見たルーシーが失神しそうになると、タイミングよく出てきたのがエマソンの息子・ジョージでした。シニューリア広場の横にロッジャと呼ばれる彫刻を展示してあるところがあります。ルーシーはジョージにロッジャに連れて行かれて介抱されます。ルーシーが落とした写真を撮ってきてくれるように頼むと、その間にジョージから逃げようと思いますが、二人はアルノ河を見ながら、いつの間にか引かれ合うようになります。ジョージは写真をアルノ河に投げ棄てます。二人の後にはヴェッキオ宮殿の塔が映っています。ある日ピクニックに出かけたルーシーは、同行したジョージと青い麦畑の中で情熱的なキスを交わします。二人の仲に気づいたシャーロットは、ルーシーをイギリスに連れ帰ってしまいます。


数ヵ月後、ルーシーは、高い教養の持ち主であるシシル・ヴァイス(ダニエル・デイ・ルイス)と婚約します。シシルは上流階級でしょうが、なんとも鼻持ちならないヤツです。そんな矢先、偶然にもロンドンの美術館でエマソン父子と会ったシシルは、ルーシーの家に近い貸家の世話をします。やがてルーシーはジョージと再会します。ルーシー家の人々とテニスに興じるジョージ。ルーシーの弟が気が利いていて、ピアノでおどけたりしてなかなかよろしい。傍でラヴィッシュ女史(ジュディ・デンチ)の書いた小説をキザっぽく読み上げるシシル。テニスの帰りがけ、再びジョージから熱いキスを受けたルーシーは、シシルとの婚約解消を決意します。音楽については詳しいことは分かりませんが、ルーシーの弾くピアノも、前半はベートーヴェン、後半はモーツアルトへと変化します。


秋、「眺めのいい部屋」に、ルーシーとジョージは再びフィレンツェにやって来ました。シャーロットにフィレンツェに到着したことを手紙で告げます。私たちが泊まった宿は少しも変わっていないと。シャーロットも若い頃はルーシーと同じ体験をしたのではないでしょうか。しかし今は夢破れて独身でいます。朝食の時に、前の若い女性が「眺めのない部屋なんて」と母親らしき人に言います。「おやめなさい。明日の朝、女将と話してみます」と答えます。「ひどすぎるわ。初めてのフィレンツェは眺めが大切よね」と娘が言います。それを見ていたルーシーとジョージは、「僕らはあります」と見つめ合います。


次の日、窓の外には、サンタ・マリア・デル・フィオーレのクーポラと、ヴェッキオ宮殿の塔が見えます。フィレンツェの美しい風景が広がるなかで、二人は熱いキスを交わすのでした。


以下、とりあえずシネマトゥデイより引用しておきます。


チェック:『ハワーズ・エンド』のジェームズ・アイヴォリーが、『モーリス』の原作で知られるE・M・フォスターの小説を映画化したドラマ。イギリス名家の令嬢が、フィレンツェへの旅とそこで出会った男性との恋を通し、内面的成長を遂げる姿を見つめる。ヒロインにふんするヘレナ・ボナム=カーターを筆頭に、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のダニエル・デイ=ルイス、『007』シリーズのジュディ・デンチと、イギリスの実力派スターが結集。彼らの若き日の姿もさることながら、フィレンツェの美しい風景も見ものだ。

ストーリー:1907年。名家の娘ルーシー(ヘレナ・ボナム=カーター)は、従姉のシャーロット(マギー・スミス)と一緒にフィレンツェへ。現地に到着してすぐに、宿の部屋からの眺めが良くないとシャーロットが騒ぎ出して困惑するルーシーだが、それを耳にしたジョージ(ジュリアン・サンズ)が部屋の交換を申し出る。その後もフィレンツェの街で再会したルーシーとジョージは、互いを強く意識するように。しかし、その様子に気付いたシャーロットがルーシーを連れて帰国。数か月後、ルーシーはセシル(ダニエル・デイ=ルイス)という男性と婚約する。


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TOTOギャラリー間で「第13回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展日本館帰国展」を観た!

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TOTOギャラリー間で「第13回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展日本館帰国展 ここに建築は、可能か」を観てきました。チラシの裏には、以下のようなメッセージがあります。

第13回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展(2012.8.29-11.25)で、日本館は「金獅子賞」を受賞しました。これはコミッショナーを務める建築家、伊東豊雄氏がこの展示を通して、東日本大震災後の建築のあるべき姿を世界に問いかけたことが高く評価されたからにほかならないでしょう。


岩手県陸前高田市に建つ「みんなの家」は、伊東氏の呼びかけにより3人の建築家―乾久美子氏、平田晃久氏、藤本壮介氏が、共同作業によってひとつの建築をつくるという課題を担い、およそ1年間にわたり日本館展示の企画と同時並行させて取り組んできたものです。そして、この陸前高田の「みんなの家」はビエンナーレ会期中の11月18日に竣工し、地元住民のコミュニティ再生の拠点として活用され始めています。


日本館では、その制作過程を百数十個にもおよぶスラディ模型や図面、記録映像などでドキュメントするとともに、同市出身の写真家、畠山直哉氏が撮影した、震災前、震災直後、現在の陸前高田の写真を展示しました。帰国展ではこの日本館展示を再構成し、さらに新たなドキュメントとして、陸前高田の「みんなの家」の完成後の姿を、畠山氏の写真を中心に紹介します。またギャラリーの中庭には、陸前高田の「みんなの家」の柱に使用した地元のスギ丸太を利用して高さ6メートルの構築物をつくり、現場の光景を追体験いただきます。


「ここに、建築は、可能か」という原初的、かつ本質的な設問設定に対し、建築家たちが取り組んだ陸前高田の「みんなの家」での実践が、これからの建築のあり方を考えるひとつの契機となることを願っています。



TOTOギャラリー間での展示



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陸前高田の「みんなの家」完成後


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「地図をつくった男たち」の書評が朝日新聞に載った!

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今朝の朝日新聞読書欄に、山岡光治著「地図をつくった男たち」の書評が載りました。今朝、朝日新聞を開いて驚きました。この快挙は、自分のことのように嬉しい。なにしろ山岡さんと僕は同年代、なんとなく身近な存在です。山岡さんとはある勉強会でお会いしてから、もうかれこれ5年以上の付き合いです。街歩きに誘っていただき、七福神めぐりや、勉強会という名の飲み会でも何度もご一緒しました。


残念ながらこの本、僕はまだ手にしていません。実は、1月5日の「新宿山の手七福神めぐり」に参加できなかったので、山岡さんにお会いすることが出来ませんでした。その時お会いしていれば、山岡さんのサイン入りで、この本を入手できていたのですが・・・。どのような本なのでしょうか? アマゾンには以下のようにあります。


内容(「BOOK」データベースより)
明治維新の後、もっとも基本的な情報基盤である地図情報の脆弱さに直面した明治政府は、国家の急務として「地図づくり」に取り組む。伊能忠敬以降、維新前夜から明治時代の陸軍参謀本部陸地測量部(国土地理院の前身)の地図測量本格化まで、近代地図作成に心血を注いだ技術者たちの歴史を描いた、「知られざる地図の物語」。


著者について

山岡光治(やまおか・みつはる)
1945年横須賀市生まれ。元国土地理院中部地方測量部長、「オフィス地図豆」店主。
1963年美唄工業高校を卒業、同年国土地理院に技官として入所、2001年同院退職。同年株式会社ゼンリンに勤務、2005年に退社後、「オフィス地図豆」を開業し、人それぞれの地図の楽しみ方を知ってもらいたいとして執筆・講演・街歩きなどをしている。著書に、『地図に訊け! 』(ちくま新書)、『地図を楽しもう』(岩波ジュニア新書)、『地図の科学』(ソフトバンククリエイティブ/サイエンス・アイ新書)などがある。


さて、朝日新聞の書評を以下に載せておきます。山岡さんご自身も書評が載ったことで、「今回は多くの意味で感慨深い」と、ご自身のブログには以下のように書いています。


『地図をつくった男たち』(原書房)が書評されて



そして驚いたことに、この本の評者はあの芥川賞作家の楊逸さんです。山岡さんと始めてお会いした頃、2007年12月の頃のブログを観ていたら、なんと文學界に掲載された楊逸の「ワンちゃん」を読んで、このブログに載せていた頃でした。その後、やはり文學界で「時が滲む朝」を読み、それが芥川賞を受賞したのでした。その楊逸さんが山岡さんの「地図をつくった男たち」の書評を書いているという巡り合わせ、これにも驚きました。


楊逸の「ワンちゃん」を読んだ!
楊逸の「時が滲む朝」を読んだ!


下の画像は、山岡さんの案内で「小田原市曽我山標石めぐり」をしたときの記念写真です。山桜が満開でしたが、けっこうきつい行程でしたがなんとか踏破し、下曽我駅に辿り着いて飲んだ缶ビールが美味しかったことを覚えています。


「地図豆」ウエブ/リブログ


とんとん・にっき-yama 「地図読み人になろう」

街歩き、野山歩きがもっと楽しくなる

著者:山岡光治(オフィス地図豆店主)

2009年10月10日初版発行

2009年11月30日2刷発行

定価:1890円(税込み)

発行所:日貿出版社





yamaoka2 「地図を楽しもう」

著者:山岡光治

岩波ジュニア新書

2008年4月22日発行

定価:本体780円+税



yamaoka1 「地図に訊け!」

著者:山岡光治

ちくま新書

2007年6月10日発行

定価:本体700円+税





buha1 訪ねてみたい地図測量史跡
編著者 山岡光治 著
本体価格 2,500円(税別)











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戸栗美術館で「鍋島焼展~孤高の鍋島藩窯~」を観た!

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戸栗美術館で「鍋島焼展~孤高の鍋島藩窯~」を観てきました。戸栗美術館へは、過去に2度ほど行ったことがあります。一度目は「柿右衛門展」、2度目は「鍋島展―献上の器―」でした。もちろん、それぞれが美しいとは思いましたが、なにしろ大量に展示されていて、その違いは何なのか、素人の僕にはよく分からなかった、というのが実感です。


戸栗美術館の創設者は実業家戸栗亨、当初は生活の道具である民具や文具を蒐集保存、次第に蒐集は観賞用陶磁器へと移行し、昭和62年10月に財団法人の認可を受け、渋谷区松濤の鍋島藩屋敷跡地に開館しました。収蔵品は約7000点で、伊万里焼・鍋島焼など肥前磁器、および、中国・朝鮮の東洋陶磁が主になっています。数少ない陶磁器専門の美術館として、年4回の企画展示が開催されています。


以下、ホームページやいただいた「展示解説シート」などによります。


江戸時代、佐賀の鍋島藩窯では天皇や将軍家への献上用磁器・鍋島焼が作られました江戸前期から高品質の製品を安定して生産した「藩窯」は他に類を見ず、鍋島藩窯は孤高の存在と言えるでしょう。今展示では鍋島焼の名品を中心に、その表現と技術の粋をご覧いただくと共に、鍋島焼を作り上げた鍋島藩窯についてもご紹介します(「概要の要約」による)。


鍋島焼と伊万里焼の文様の比較

鍋島焼には、植物文や幾何学文など伊万里焼と共通するモチーフが描かれています。文様や器形が規格化され、決まった形で描かれることが多い鍋島焼に対し、伊万里焼では同じ文様でも様々な表現が見られます。また、献上や贈答を目的とした鍋島焼は、線描や色の塗り分けが伊万里焼よりも全体的に丁寧に描かれているなどの違いもあります。


鍋島焼に描かれた文様

鍋島焼には、植物文、器形文、幾何学文、更紗文、動物文、風景文、気象文、人物文など、様々な文様が描かれています。それらの文様は、有田民窯の伊万里焼や中国磁器からの取材や、将軍からの注文によって生み出されたと考えられています。中には、縁起の良い吉祥文様を描き、慶祝調度品とする目的で作られたものもあります。


展示構成は、以下の通りです。


元禄の華 最盛期の鍋島焼
鍋島焼が誕生したのは17世紀の後半のことです。それまで佐賀藩は、長崎経由で輸入された中国の陶磁器などを中心に幕府へ献上していましたが、中国で内乱が起きたために貿易品の入手が困難となりました。そこで藩直営の窯を築き、藩内の産業として軌道に乗っていた伊万里焼の技術を昇華させて、新たなやきものを創り出し献上品に宛てます。これが鍋島焼です。元禄年間(1688~1703)頃には献上に適した規格性をそなえた様式を完成させ、最盛期を迎えます。そして、「日本磁器の最高峰」と言わしめる格調高い磁器が作り上げられました。


「盛期」以前の鍋島焼

近年、鍋島藩窯の位置する大川内地区にある日峰社下窯跡や、明暦3年の火災をうけている江戸城跡などから初期の特徴を有する鍋島焼の陶片が出土したことなどを受けて、「盛期」以前の鍋島焼についての研究が盛んになってきています。このコーナーでは、「松ヶ谷手」「古鍋島」「初期鍋島」「前期鍋島」など、新旧さまざまな名称で呼ばれる盛期以前の鍋島焼について、当館の所蔵品を整理しご紹介します。


鍋島藩窯(特別展示室)

磁器の製法は秘法であり、その技術の漏えいをふせぐために、鍋島藩窯は封鎖性の強い環境に築かれ、また詳細な記録も残されておらず、成立時期から発展の経緯など未だ不鮮明な部分も少なくありません。このコーナーでは、鍋島藩窯について、これまでの研究史をまとめつつ、鍋島藩窯の成立と沿革や、その組織としくみについてご紹介します。







「鍋島焼展~孤高の鍋島藩窯~」

江戸時代、各領国の藩が経営にかかわった窯のことを「藩窯」と呼びますが、設立の目的や藩の介在の仕方、製品の特徴など、その実態はさまざまです。鍋島藩窯では、佐賀藩が陣頭指揮を取り、天皇家や将軍家への公的な献上や贈答のための磁器、鍋島焼を焼造しました。江戸前期という早い段階で確立し、藩主の趣味の範囲を超え政治的な性格を帯び、高い品質の製品を安定して作り上げた藩窯は他には類をみず、鍋島藩窯は孤高の存在であったと言えるでしょう。今展示では、鍋島焼の名品を中心に、その表現と技術の粋をご覧いただくとともに、鍋島焼を作り上げた鍋島藩窯についてもご紹介します。


「戸栗美術館」ホームページ


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戸栗美術館

年間展示スケジュール

2013.4-2014.3

・4月7日(日)~6月23日(日)

 古伊万里金襴手展―元禄のきらめき―

・7月6日(土)~9月23日(月祝)

 小さな古伊万里焼展―小皿・猪口・向付―
・10月5日(土)~12月23日(月祝)

 館蔵 青磁名品展―翠・碧・青―
・2014年1月7日(火)~3月30日(日)

 鍋島焼と図案帳展





過去の関連記事:

戸栗美術館で「鍋島展―献上のうつわ―」を観た!
戸栗美術館で「柿右衛門展」を観た!



ピーター・ミュラン監督の「マグダレンの祈り」を(再び)観た!

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ピーター・ミュラン監督の「マグダレンの祈り」をTUTAYAで借りたDVDで(再び)観ました。再び、というのは、一度、公開と同時に観たことがあるからです。従って観たのはこのブログを書き始める以前、8年以上も前のことになります。


先日、「マレーナ」を再度観たときに、中公新書、岡田温司著「マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女」を読んだとして、岡田温司は「おわりに」の章で「生き続けるマグダラ」として三本の映画、メルギブソン監督の「パッション」(2004年)、ピーター・ミュラン監督の「マグダレンの祈り」(2002年)、そしてジュゼッペ・トルナトーレ監督の「マレーナ」(2000年)の3本の映画を取り上げたということを書きました。そこで、「マグダレンの祈り」は、アイルランドの女子更正施設、マグダレン修道院での現代の悲惨な悔悛の話、マグダレンの名はマグダラからきている、と書きました。


ダブリン郊外にあるマグダレン修道院。ここに収容された人たちは、マグダラのマリアのように、自らの罪を悔悛するための生活を送ることを言い渡されます。どういう人が収容されているのか? 強姦された少女、未婚の母となった少女、人目を引く容姿が堕落を招くというだけで連れてこられた少女。厳格なカトリックの国、婚前交渉や堕胎、そして避妊すらつい最近まで認められていませんでした。宗教は人を救うためにあるのに、宗教そのものが罪であるとは、なんとも皮肉なことです。まさに過去の遺物のようなマグダレン修道院は、1996年まで存続していたというから驚きます。


マグダレン修道院に収容された淫らな罪深い彼女たちは、囚人服のような茶色の服を着せられ、一日中、過酷な洗濯をさせられています。私語はもちろん禁止、家族と会うことすら出来ない監禁生活です。なかには施設に閉じ込められたまま、一生を終える女性もいました。その掟を破ったら、容赦のない体罰です。みみず腫れになるほどムチで叩かれます。時には洗濯場で全裸で並ばせられ、乳房や陰毛の特徴を修道女たちに嘲笑の対象され、人間としての尊厳を踏みにじられます。慈悲深い修道女は、お金を貯めることに精を出します。何ともやり切れない世界です。


3人の主人公は、マグダレン修道院に同じ日に収容された少女たちです。美しい孤児のバーナデット(ノーラ=ジェーン・ヌーン)、いとこにレイプされたマーガレット(アンヌ=マリー・ダフ)、赤ん坊と引き離された未婚の母ローズ(ドロシー・ダフィ)。それぞれが理不尽な理由で修道院に送り込まれます。クリスピーナ(アイリーン・ウォルシュ)は、姉に手を引かれて門まで会いに来たい息子に愛おしそうに視線を送ります。修道女は、裸で並ばせ、彼女たちの身体を笑いものにします。クリスピーナは濡れたパジャマを着てベッドに入り、死のうとしたり、高熱を出して首吊りを計ったりしました。


クリスピーナが大切にしていた聖クリストファーのメダルを拾ったバーナデットは、メダルを自分のポケットに入れてしまいます。ある日、マーガレットはフィッツロイ神父の部屋でクリスピーナが彼の股間に顔を埋めているのを目撃します。マーガレットはバーナデットがクリスピーナのメダルを隠し持っているのを見つけ、取っ組み合いの喧嘩になります。その行為を攻めるマーガレットにバーナデットは、「私たちには苦しみの人生しかないのに、彼女は苦しんでいないから」と平然と言い放ちます。


以下、とりあえずシネマトゥデイより引用しておきます。


チェック:刑務所より苛酷なマグダレン修道院に収容された女性たちの悲劇を、実話に基づいて描いた衝撃作。2002年ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞に輝いた。監督は『オーファンズ』でも評価の高かった俳優のピーター・ミュラン。主演は本作が映画初出演となったノーラ=ジェーン・ヌーンが迫力の演技を見せる。ほかにも修道女を演じたアイリーン・ウォルシュのあまりに純粋な心を持ちすぎたために破滅していく演技はリアルで真に迫っている。宗教というものの存在を根本から考えさせられる傑作。

ストーリー:結婚式のパーティは熱気にあふれ、招待客らは太鼓にあわせ踊っていた。その騒ぎにまぎれマーガレット(アンヌ=マリー・ダフ)は従兄弟のケヴィン(ショーン・マクドナー)呼ばれ控え室に入った。そこでマーガレットはケヴィンにレイプされてしまう。


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過去の関連記事:

「マグダラのマリア」を読む!





ニューオータニ美術館で「大谷コレクション展」を観た!

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ニューオータニ美術館で「大谷コレクション展」を観てきました。つい先日「新春展」を観たので、もう次の展覧会かと、ちょっと驚きました。僕がニューオータニ美術館へ最初に観に行ったのが3年半前、2009年9月のことで、今回と同じタイトルの「大谷コレクション展」でした。なぜか「新春展」と「大谷コレクション展」は、チラシがありません。「出品作品リスト」はありますが、やはりチラシは欲しいところです。


そんなことで、もっともっと出ていない所蔵品はあるでしょうが、おおよそ一巡した感じの大谷コレクション、藤田嗣治の「仰臥裸婦」やシュザンヌ・ヴァラドンの「座る裸婦」が目玉のようで、もう何度も観ています。今回観て僕が惹かれた作品は、キース・ヴァン・ドンゲンの目の大きなきりっとした顔立ちの「白い服の婦人」と、今回ポスターになっているモーリス・ド・ヴラマンクの「花束」でした。ヴラマンクの作品は今回「花束」も含めて4点が出されていました。


高階秀爾の「近代絵画史(下)」には、フォーヴ(野獣)について、ドンゲンとヴァラマンクについて関連する箇所をあげれば、以下のような記述があります。


フォーヴの代表的な画家としては、マティス、マルケ、ルオー、ヴァラマンク、ドラン、カモワン、マンギャン、ヴァルタ、ヴァン・ドンゲン、セッソー等がいた。・・・これらの若者たちの思い切って激しい色調の作品が同じ部屋に集められたため世間の注目を引いたことと、何よりも彼らが批評家ルイ・ヴォークセルによって「フォーヴ」と命名されたこととが、この年の「秋の展覧会」を歴史上忘れがたいものとしているのである。


実際には、一般に「フォーヴ」の仲間と言われる画家たちの間に、幾つかの小グループがあった。第一のグループは、マティス、マルケを中心とするギュスターヴ・モローのアトリエの弟子たち。もう一つの核となったのはヴァラマンク、ドランの二人、この二人は絵画に関してほとんど正統な教育を受けておらず、もっぱら独学で自己の道を歩み続け、あの爆発するような激しい色彩表現に達した。さらに第三のグループとして、オットン・フリエス、デュフィ、ブラックの三人組。他にジャン・ピュイやルイ・ヴァルタ、さらにオランダからやって来てさまざまな苦労を重ねながら、やがて特異な官能性を湛えた肖像画によって社交界の寵児となるキース・ヴァン・ドンゲンなど、様々な個性の画家たちが、フォーヴィスムの運動と関係を保った。


またこの本の中で高階は、フォーヴの仲間たちのうちで「野獣」というイメージにもっともふさわしい画家はモーリス・ド・ヴァラマンクであろう、と述べています。ふと、損保ジャパンでヴラマンク展を観たことを思い出しました。その時も高階秀爾の「近代絵画史」に頼って「ヴラマンク展」の記事を書いていました。


損保ジャパン東郷青児美術館で「モーリス・ド・ヴァラマンク展」を観た!

一方のドンゲンですが、松岡美術館で二つの作品を観たことがありました。「マヨルカ島の女」と「シャム猫を抱く婦人」です。その時に「今回始めて観たものでお気に入りはと言われれば、・・・アンニュイな感じが好きですね」と書いていました。ヴラマンクの作品も二つ、「スノンシュ森の落日」と「雪の中の村」がありました。


松岡美術館で「エコール・ド・パリ展―パリのきらめく画家たち」を観た!


いただいた資料から二人の略歴を載せておきます。


キース・ヴァン・ドンゲン(1877-1968)
オランダ、ロッテルダム近郊で生まれる。12歳頃には父のモルト製造業を手伝った。付近の風景や人物のデッサンを始めたのはこの頃から。20歳でパリに出、8年後の1905年にはサロン・ドートンヌに油彩2点を出品し、フォーヴィスムの一人として名を連ねる。翌年にはバトー・ラヴォワール(洗濯船)に移り、ピカソ、マックス・ジャコブらと親交を深め制作を続けた。肖像画家としての人気を博し、個展や展覧会を開催しながら、91歳の生涯を閉じた。


モーリス・ド・ヴラマンク(1876-1958)

パリに生まれる。父はヴァイオリン教師、母はピアノ教師。17歳の頃から絵を描き初め、18歳で結婚。ヴァイオリン奏者、競輪、競艇の選手として生計を立てていたが、20歳の時にかかった腸チフスのために選手生命を絶たれる。その後、風俗小説などを手がけるが、1900年に4歳年下のアンドレ・ドランと知り合い、シャトゥーに共同のアトリエを借りて絵画制作に精力的に取り組むようになる。05年サロン・ドートンヌにマティスやドランらの作品とともに展示され、彼らはフォーヴ(野獣)と呼ばれるようになる。その後、セザンヌの影響を受け構成的画面を展開。キュビスムも一時試みるが、20年代半ばから黒、藍、白を基調とした表現主義的な厚塗り様式へと変化。55年ベルギー王室アカデミー会員に選ばれる。82歳で没。


西洋画






日本画



「大谷コレクション展」
当館収蔵作品の中から竹内栖鳳、橋本雅邦などの日本画や、ベルナール・ビュフェやシュザンヌ・ヴァラドンなどの油彩画、江戸時代の美術工芸品など貴重な約30点を展示いたします。


「ニューオータニ美術館」ホームページ

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スルタン・アフメット1世ジャミイ(ブルー・モスク)

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イスラムの寺院モスクを、トルコ語でジャミイと言います。このジャミイは、14代スルタンのアフメット1世が20歳のときに建立を発願し、7年後の1616年に完成しました。別称のブルー・モスクは、内部の装飾が青色に塗り替えられた時期があってそう呼ばれたが、今はオリジナルの色に戻されているため、特に青が強いという印象はありません。アヤ・ソフィアとの距離は約300m程しかなく、ほぼ並行にたてられた二つの建物は、見比べられる位置にあります。アヤ・ソフィアを超えるべく建設され、建築家はメフメット・アーでした。


ジャミイの中央ドームは直径27.5m、高さ43m、これを囲んで中小のドームで構成されています。内部は200を超える小窓があり、そこから光が差し込みます。4本のピアは直径5.16mの円柱で、36本の縦溝をつけて装飾されていて、その姿から「象の脚」と呼ばれています。装飾では礼拝室に使用されたタイルが特筆されます。イズニキ・タイルがまだ全盛期の輝きを保っていた時代のものです。ミナーレ(ミナレット)は6本です。



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「トルコの建築と都市計画 ル・コルビュジエの目」
「トルコ」へ行ってきました!

*参考文献

とんとん・にっき-tur3 「わがまま歩き 34 『トルコ』」

2012年4月5日第4版第1刷発行

編集:ブルーガイド海外版編集部

発行所:実業之日本社

とんとん・にっき-toru1 「トルコ・イスラム建築」

2010年12月15日第1刷発行

著者:飯島英夫

発行所:冨山房インターナショナル












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アヤ・ソフィア聖堂とローマ競技場跡(ヒポドローム)他

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アヤ・ソフィア聖堂(アヤ・ソフィア博物館)


ブルーモスクを見て、ローマ競技場跡に行き、アヤソフィア聖堂の前を通って、トプカプ宮殿へと行きました。アヤ・ソフィアは当然見るものと思っていましたところ、あれあれという間に通り過ぎてしまいました。どうもツアーのコースには入っていなかったらしく、アヤ・ソフィアは外観のみ見るだけでした。なんとも情けない。格安ツアーはこれだから困ります。


アヤ・ソフィア(ギリシャ語アギア・ソフィア)は聖なる叡智を意味し、この聖堂がギリシャ正教の本山でした。 360年、ビザンティンのコンスタンティウス2世によって聖堂が建てられましたが、その後、度重なる火災に遭いました。532年にはニカの乱によりテオドシウス2世の建てた聖堂が焼け落ちたため、ユスティアヌス帝は直ちに再建にかかり、537年にビザンチン美術の最高傑作とされる大聖堂が完成しました。バチカン市国のサン・ピエトロ寺院はアヤ・ソフィアより大きいが、建てられたのはおよそ千年も後のことでした。


アヤ・ソフィアの建造には領内各地から石材が運ばれました。堂内の緑色の柱はエフェソスのアルテミス神殿から、赤い斑のある柱はレバノンにあるパールベックのアポロン神殿からという。直径31mの巨大ドームは高さ54mの高みにあって、天上の国を想わせ、壁のそこここにあるモザイク画はランプの光で金色に輝きました。





ローマ競技場跡(ヒポドローム)


ブルー・モスク西の広場は、3世紀初頭に建造された競技場跡。3万数千人の観客熱狂に中で、戦車車によるレースなどが行われました。後にはそれぞれのひいきグループが政治勢力に発展。ユスティニアヌ1世の532年には、行程の不満から観衆が暴徒化し、ビザンティン帝国をゆるがす有名な「ニカの乱」が発生したが、王妃テオドラの諫言に思いとどまって暴徒を鎮圧し、数千人をここで処刑しました。また19世紀の初めには反乱を起こしたイェニチェリ軍団の多数が、この広場で処刑されました。


広場に立つ3本の記念碑のうち北は、テオドシウス帝がエジプト・カルナックのアモン神殿から運んだと伝えられています。基部の台座に競馬を見物するテオドシウスの姿が掘られています。南は表面が第4回十字軍によって破壊されていて詳細は不明。真ん中の大蛇が絡み合った青銅の柱は、ギリシャ・デルフォイのアポロン神殿から運ばれました。



ローマ競技場跡近くの商店





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*参考文献

とんとん・にっき-tur3 「わがまま歩き 34 『トルコ』」

2012年4月5日第4版第1刷発行

編集:ブルーガイド海外版編集部

発行所:実業之日本社

とんとん・にっき-toru1 「トルコ・イスラム建築」

2010年12月15日第1刷発行

著者:飯島英夫

発行所:冨山房インターナショナル










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