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「アメリカ近代建築10選」:レバー・ブラザース本社


「アメリカ近代建築10選」:フォード財団本部

「トルコ」へ行ってきました!

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2012年10月21日(日)から30日(火)まで10日間、

ヨーロッパとアジアの接する国「トルコ」を旅してきました。

参加メンバーは女子大生2人組と3人組、熟年夫婦2組の計9名。

トルコの国の5つの世界遺産を巡るバスの旅、

バスはゆったりとしていましたが、全長約2500kmも乗り、

一日平均410km、けっこうハードでした。

食事はまあまあ、香辛料がきついこともありました。

ホテルはなぜかいいところが多く、5つ星が半数でした。


「トルコ10日間」格安ツアー概要(備忘録)


1日目 10月21日(日) 成田空港発21:20

               空路、アブダビへ(所要時間:12時間15分)

               機中泊

2日目 10月22日(月) アブダビ着、着後航空機を乗り継いで

               空路、イスタンブルへ(所要時間:4時間45分)

               イスタンブル着後、イスタンブル歴史地域観光

               ブルーモスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿など

               グランド・バザール

               イスタンブル泊


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3日目 10月23日(火) イスタンブルからバスでトロイへ(約345km)、

               途中、ダーダネルス海峡をフェリーで渡る。

               トロイ着後、トロイの古代遺跡観光

               その後、エイドレミットへ(約95km)

               エイドレミット泊

4日目 10月24日(水) エイドレミットからバスでエフェソスへ(約250km) 

               エフェソス到着後、エフェソス遺跡観光

               その後、パムッカレへ(約185km)

               パムッカレ泊


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5日目 10月25日(木) ヒエラポリス遺跡観光

               観光後、コンヤへ(約410km)

               コンヤ市内観光、メブラーナ博物館

               コンヤ泊

6日目 10月26日(金) コンヤからカッパドキアへ(約230km)

               途中、スルタンハーヌ(隊商宿)見学

               カッパドキア観光、カイマクル地下都市など

               夕食後、ベリーダンス鑑賞

               カッパドキア泊


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7日目 10月27日(土) カッパドキアからバスでボアズカレへ(約240km)

               ボアズカレ着後、ボアズカレ観光、ヤズルカヤ遺跡

               その後、アンカラへ(約280km)

               アンから泊

8日目 10月28日(日) アンカラからイスタンブルへ(約450km)

               チャムルジャの丘

               イスタンブル歴史地区観光

               エジプシャン・バザール

               イスタンブル泊


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9日目 10月29日(月) イスタンブル自由行動後、バスで空港へ

               (個人的にヴァレンス水道橋などを見学)

               イスタンブル発(1時間遅れて出発)

               アブダビへ(所要時間:4時間245分)

               アブダビ発21:50(1時間遅れで出発)

               空路帰国の途へ(所要時間:10時間10分)

               機中泊

10日目 10月30日(火) 成田国際空港着12:50(1時間遅れて到着)

                通関後、空港で自由解散





山種美術館で「没後70年 竹内栖鳳―京都画壇の画家たち―」を観た!

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「竹内栖鳳―京都画壇の画家たち」展

青い日記帳×山種美術館の主催による「ブロガー内覧会」に行ってきました。


2012年10月20日(土)17時より受け付け開始、17時15分より青い日記帳Takさんの「ツイッターの楽しみ方」が約10分間あり、その後約45分、山崎妙子館長によるギャラリートークがありました。特に絵画用の伝統的手漉き和紙」を作り続ける「岩野平三郎製紙所」ついての解説には、一般には知られていないことなので、驚きとともに感動しました。



ブロガー内覧会 本日の特典:

・参加費800円(一般1200円、前売1000円)
 和菓子引換券(500円相当)

・山崎妙子館長ギャラリートーク

 &青い日記帳Takさんトーク付き

 (ツイッターの楽しみ方)

・当日に限り、会場写真撮影可能

 (作品番号67伊藤小坡「虫売り」は撮影不可)



山種美術館で開催された「大観と栖鳳―東西の日本画―」展を、2010年2月に観ました。山種美術館が九段から広尾に移り、開館記念特別展として開催されているもののうち、「大観と栖鳳」は「Ⅲ」となっています。「Ⅰ」は「速水御舟―日本画への挑戦―」展、「Ⅱ」は「東山魁夷と昭和の日本画展」でした。「大観と栖鳳」が僕が始めて竹内栖鳳を知った展覧会だったと思っていたのですが、なんとその前の年、2009年8月に泉屋博古館分館で栖鳳の「ベニスの月」を観ていたことが分かりました。先日文化勲章の受章が決定した高階秀爾の新聞記事を引用して、以下のように書いていました。


竹内栖鳳の「ベニスの月」、高階秀爾は「美の季想」(朝日新聞夕刊2009.8.19)で、異国で見る月という特別に思い入れが深い主題について、私がただちに思い浮かべるのは、近代日本画の巨匠竹内栖鳳の「ベニスの月」である、と述べて、以下のように記しています。縦2m22、横1m74と言う大きさは、紙本の水墨画としてはやはり異例のものと言えよう。それは元々この作品が、明治43年の倫敦における日英はくっらんかいに出品するビロード友禅壁掛けの原画として描かれたものだからである。いわば工芸作品のための下絵だが、下絵と言っても極めて完成度が高く、広々とした空間構成と炭の微妙な濃淡による卓抜な光の表現は、まさしく傑作の名に恥じない。


山種美術館で「大観と栖鳳―東西の日本画―」展を観た!

泉屋博古館分館で「高島屋史料館所蔵名品展」を観た!


竹内栖鳳(1864-1942):

京都に生まれる。本名恒吉。はじめ町絵師に師事するが、1881(明治14)年、幸野楳嶺門下に入り、棲鳳の号を受ける。翌年、第1回内国絵画共進会入選を皮切りに、各種展覧会で受賞を重ね、京都画壇の若手の花形的存在となる。1897(明治30)年頃から私塾を「竹杖会」と名付け後進の指導。1900(明治33)年から翌年にかけて渡欧、帰国後は西洋の写真表現を取り入れた画風を確立し、号も栖鳳と改める。1907(明治40)年の第1回文展審査員をつとめ、以後文展・帝展に多くの作品を発表。1913(大正2)年、第1回文化勲章受章。京都画壇で指導的役割を果たし、多くの逸材を育て、近代日本画の発展に尽くした。

展覧会の構成は、以下の通りです。


第1章 先人たちに学ぶ

第2章 竹内栖鳳の画業

第3章 栖鳳をとりまく人々


「斑描」:

山種美術館創立45周年記念特別展「ザ・ベスト・オブ・山種美術館」の時に識者にアンケート回答を求めて実施した「私が選ぶ山種コレクションベスト3」では、第1位速水御舟「炎舞」、第2位村上華岳「裸婦図」に続き、竹内栖鳳の「斑描」は小品であるにもかかわらず、数ある山種コレクションの中で堂々第3位に入っていました。


無背景のほぼ中央に猫1匹のみを配し、つきだした前足と同線上の左上余白に落款を置くという、考え抜かれた構図である。栖鳳は、旅先の沼津で八百屋のおかみの愛猫を一目見た瞬間、徽宗皇帝の描図を想起し、表現欲が湧いたという。自筆の画1枚と交換してその猫を譲り受け、京都に連れ帰って撮影や写生を繰り返し、本図を完成させた。つややかで柔らかな毛並みは、墨や黄土などを塗り重ねた上に、墨や胡粉による毛描きを加え、瞳は群青、緑青、金泥を用いて描かれている。




第1章 先人たちに学ぶ

竹内栖鳳が最初に絵を学んだのは円山四条派の画家でした。円山四条派とは江戸中期に興った画派で、円山応挙を祖とする円山派と、呉春を祖とする四条派からなっています。円山派は写生を重んじ平明で写実的な画風、四条派は写意(精神性)を重視する詩情に富んだ画風と方向性は異なりますが、双方の画風を兼ね備えた画家などもおり、広い意味で区別なく総称する場合も多くあります。ちなみに栖鳳の師、幸野媒嶺も円山派と四条派を学んでおり、その意味では栖鳳も双方の流れをくむと言えるでしょう。ここでは、栖鳳のルーツとなった円山四条派の展開をご覧いただきます。江戸時代では、円山派の応挙、長沢芦雪、応挙から写実を学び、後に四条派風にも転じた森派、四条派では呉春およびその原点となった与謝蕪村の作品をご紹介し、さらに幕末から明治にかけて活躍した国委応文や川端玉章の世代まで、栖鳳を遡る先人たちの系譜をたどります。




第2章 竹内栖鳳の画業

18歳(数え年)で幸野媒嶺の門下に入った栖鳳は、翌年に早くも展覧会への出品を開始、各地の展覧会で受賞を重ね、その名を世にとどろかせていきました。1900(明治33)年にはパリ万博見学および西洋美術視察の目的で渡欧を果たし、ヨーロッパ各国を巡るというチャンスを得ます。帰国後は雅号を従来の「棲鳳」から「栖鳳」に改め、渡欧経験の成果を形にしていきました。また、文展では初回から審査員とつとめ、話題作を次々と発表し、帝展でも審査員となります。やがて、東京の横山大観とともに「東の大観、西の栖鳳」と並び称され、京都画壇を代表する画家としての地位を確立しました。ここでは、古画を研究した初期の作品から、渡欧時の見聞を活かしライオンや象などの珍しい動物を写実的に描いた屏風、《絵になる最初》(No.26・後期展示)や大正期の代表作《斑描》(No.27)、中国旅行を機に展開した叙情あふれる風景画、俳句をたしなんだ栖鳳ならではの洒脱な作品まで、日本画の歴史に新たな扉を開いた栖鳳の豊かな表現世界をご紹介します。








「岩野平三郎製紙所」:

明治時代より続く越前和紙の工房。初代岩野平三郎は、東京や京都といった中央画壇の作家たちと交流しながら紙漉の研鑽と研究を続け、さまざまな様式の和紙を考案。その紙は竹内栖鳳や横山大観ら日本画の巨匠たちに愛用され、近代日本画発展の陰の立て役者となった。

福井県越前市大滝町27-4 

TEL077-842-0042


竹内栖鳳は、特に使用する和紙には特別思い入れがあったことで知られる。越前の岩野平三郎製紙所にて、絵の具や墨ののりがよくなるように考案された通称「栖鳳紙」を作らせました。以下の作品は、年代や絵の特徴などから栖鳳紙を使用した可能性がある。栖鳳紙は、滲み止めとしての「どうさ」を引かずとも比較的滲まずに線を引くことができるという特徴がある。「蛙と蜻蛉」にはそれがよく表れており、繊細で柔らかな墨の選が美しい。



第3章 栖鳳をとりまく人々
栖鳳は優れた画家であると同時に優秀な教育者でもあり、資質を活かした指導により多くの後進を育て、京都画壇の新たな発展に寄与しました。栖鳳の画塾「竹杖会」で学んだ門下生には、上村松園、西村五雲など、いずれも錚々たる顔ぶれが並び、いかに優れた後進が輩出しているかが分かります。また、明治後期から大正期にかけて、京都市美術工芸学校・京都市立絵画専門学校において、同門出身の菊池芳文らとともに、村上華岳をはじめ数多くの学生たちを指導しました。栖鳳が重んじた伝統と革新という二つの価値観を受け継いだ後進たちは、その後、動物や人体描写、自然描写に優れた才能を発揮し、のちの京都画壇に新風を吹き込んでいきます。ここでは、栖鳳とともに教鞭をとった同世代の京都画壇の画家たちと、栖鳳の薫陶を受けた次世代の画家たちの作品をご紹介し、円山四条派のDNAが栖鳳の時代から弟子たちへと受け継がれていった過程をご覧いただきます。




「没後70年 竹内栖鳳―京都画壇の画家たち―」

2012年は、「東の大観、西の栖鳳」と並び称された日本画家・竹内栖鳳(1864-1942)の没後70年にあたります。京都に生まれた栖鳳は、早くからその才能を開花させ、30代で京都画壇を代表する画家にのぼりつめました。栖鳳が描き出す、いきものや自然がみせる一瞬の姿を軽やかに捉えた作品は、今なお精彩に富み、新鮮な魅力を放っています。パリ万博が開催された1900(明治33)年、ヨーロッパ遊学を果たした栖鳳は、渡欧先で西洋美術にじかに触れることで大きな刺激を受けました。帰国後、円山四条派の写生を軸にした画風に、西洋美術の要素をとり入れた新しい表現を生み出していきます。洗練された感性と優れた筆技によって動物、風景、人物と様々な主題を手掛け、日本画の近代化に積極的に取り組みました。本展では、近代の京都画壇を牽引した栖鳳の画業を、《飼われたる猿と兎》、《絵になる最初》、《蹴合》、《班猫》【重要文化財】、《若き家鴨》など初期から最晩年までの傑作を通してたどります。また、京都画壇の歴史的展開にも注目し、栖鳳の造形的源泉となった円山派の祖・円山応挙をはじめとする江戸時代の作品を併せてご紹介いたします。さらに、栖鳳の指導を受けて活躍した上村松園、西村五雲ら弟子たちの作品を通して、江戸から近代へといたる円山四条派のDNAの核心に迫ります。


「山種美術館」ホームページ


とんとん・にっき-zuroku 「没後70年 竹内栖鳳―京都画壇の画家たち」

監修:

山下裕二(山種美術館顧問、明治学院大学教授)

執筆:

山下裕二

高橋美奈子(山種美術館学芸部長)

三戸信恵(山種美術館特別研究員)

塙萌衣(山種美術館学芸員)

編集:山種美術館学芸部

発行:山種美術館

とんとん・にっき-syou 「山種美術館の竹内栖鳳」

小冊子












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園子温監督の「希望の国」を観た!

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園子温監督の最新作「希望の国」を観てきました。主人公の老夫婦を演じるのは、ベテランの夏八木勲と大谷直子です。夏八木勲は、長い間脇役でした。僕の高校時代の友人とあまりにもそっくりなので、彼が出て来ると友人の名前「K」と僕はそう呼んでいました。大谷直子は、朝日新聞の「私の1980年」というエッセイで、自分が女優に目覚めたのはいま公開中の「希望の国」だと、62歳でそんな自覚が出たと書いていました。この配役からみても、今までの園子温監督の映画とは、過剰なセックスシーンもなく、過剰な暴力シーンもない、一味も二味も違った作品です。


テーマは、大震災の被害を受けた、しかも破壊された原発からの放射能汚染で自宅の前が避難地域と指定された、酪農を営む老夫婦と若い息子夫婦、前の家の息子とその女友達、の避難をめぐっての葛藤の日々です。長年住んでいる自宅を離れたくない老夫婦、認知症の妻は何度も何度も「家に帰ろう」と言います。妊娠が判明した息子夫婦は子供を育てるために引っ越すことを決意。前の家の息子とその女友達は困難な中、結婚しようと決意します。3組の夫婦や恋人、それぞれの運命です。


テーマがテーマなので、どうしても「既視感」が避けられないことはよく分かるのですが、ストーリーはよくある流れで、セリフも凡庸、人物の造形もいまひとつです。でんでんも出ているのに脇を固めるだけで、特に突飛な事件もないし、変わったことはなにも起こりません。たしかに状況は追い詰められていますが、ただただ時間が流れ、老夫婦、若者たちがそれぞれの道を歩む、というだけのことです。期待した園子温らしさがまったく見当たりません。園子温でなくてもよかったテーマだったのかもしれません。特にラスト、原発問題で追い詰められたとはいえ、あれでよかったのか、悪かったのか・・・。


以下、とりあえずシネマトゥデイより引用しておきます。


チェック:『愛のむきだし』『ヒミズ』など衝撃的な作品を次々と世に送り出す園子温監督が、大地震の被害を受けた家族の姿を描くヒューマン・ドラマ。震災の影響で散り散りになりながらも、6人の男女が貫いたそれぞれの愛をつづる。老夫婦をベテランの夏八木勲と大谷直子が演じるほか、『ヒミズ』の村上淳、『冷たい熱帯魚』のでんでんや神楽坂恵などこれまでの園監督の作品でも印象的な演技を披露した俳優陣が出演する。今までの作品で園監督が描いてきたテーマとは異なる、悲しくも美しい愛の物語に期待が高まる。

ストーリー:泰彦(夏八木勲)と妻(大谷直子)は酪農を営みながら、息子夫婦(村上淳、神楽坂恵)と一緒に慎ましくも満たされた暮らしをしていた。そんなある日、大地震が村を襲う。泰彦の家は避難区域に指定されたが、長く住んだ家を離れることができない。葛藤(かっとう)の日々を送る中、息子の妻いずみの妊娠が発覚。二人は子どもを守るためにあることを決意する。


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「希望の国」公式サイト


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国立新美術館で「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」を観た!

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国立新美術館で「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」展を観てきました。 観に行ったのは10月15日、月曜日でした。リヒテンシュタインとはどこにあるのか、と聞かれても僕には答えようがありません。昨年、ルクセンブルクを旅しましたが、行ってみるまでは、まったくどんな国なのか知りませんでした。リヒテンシュタインは、スイスとオーストリアに抱かれたヨーロッパの小国、国家元首である侯爵家が、約3万点といわれる世界有数の美術コレクションを築き上げてきました。


侯爵家のコレクションは長い間かつての拠点であるウィーンにありましたが、第2次世界大戦後、侯爵家の居城であるファドゥーツ城に移しました。その後は秘蔵に近く、2004年になってウィーンの「夏の離宮」で公開されるようになったという。離宮は、18世紀初頭に侯爵家の避暑用の住まいとしてつくられた荘厳なバロック様式の宮殿です。ここに展示されている作品群が、今回日本で公開されているものです。


「バロック」というと、黒川記章が若尾文子に「あなたはバロックのような人だ」と言ったという話しを思い出します。「バロック」とは、16世紀末にイタリアに発し、18世紀中頃までヨーロッパや中南米で展開した様式で、語源は「ゆがんだ真珠」を意味するポルトガル語。絵画は流麗な色彩表現やドラマチックな画面構成などを特徴とします。建築においては、建築と絵画、彫刻、ちょうどが一体となって生み出す劇的な空間を指します。より一般化されて、「過剰な」「壮大な」という意味で使われることもあります。


で、今回の展覧会の最大の特徴はというと、国立新美術館内に設けられた「バロック・サロン」でしょう。絵画や家具調度品が一堂に展示され、高さ約4mの天井に4枚の天井画が並びます。ベネチアの画家アントニオ・ベルッチによる作品で、ベルッチがリヒテンシュタイン侯爵家の年宮殿を飾る為に制作されたものです。1819年に夏の離宮の西側階段室に移されましたが、その後、このカンバス地の天井画の裏に18世紀のフレスコ画が発見されたため、2003年から取り外されていました。今回、国立新美術館で、4枚の天井画が並んだ姿で観ることができました。


展覧会の構成は、以下の通りです。(図録による)


1 リヒテンシュタイン侯爵家と美術コレクション

2 名画ギャラリー

3 クンストカンマー(芸術の部屋):美と技の部屋

4 バロックの世界


ラファエロ、ルーベンス、そしてレンブラント。16世紀ルネサンスから19世紀新古典主義までの名品が次から次へと出てきます。が、しかし、圧巻なのはやはりルーベンス、でしょう。17世紀バロック絵画の巨匠ルーベンスの作品が、なんと大小織り交ぜて10点が出されていました。昨年オランダ旅行をした時に、現地のガイドさんは「肉屋のルーベンス」と呼んでいました。言うまでもなくルーベンスは、肉感的な女性を多く描いていたからです。今回のルーベンスは、ちょっと見直しました。294×412cmもある「占いの結果を問うデキウス・ムス―『デキウス・ムス』連作より」、絵もすごいが額もすごい。8点の絵画からなるこの連作は、ルーベンスが1617年にタペストリーの手本として制作したものだという。


古い神話を主題として描いた作品、「マルスとア・シルヴィア」や「果物籠を持つサテュロスと召使いの娘」、あるいは「キリスト哀悼」や「聖母を花で飾る聖アンナ」もありますが、やはりこれ、ポスターにもなっている「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」でしょう。37×27cmという小さな作品ですが、描かれているのは、ルーベンスの最初の妻イサベラ・ブラントの間に生まれた5歳の長女です。クララ・セレーナは、わずか12歳でこの世を去ったという。ルーベンスは多くの弟子を使い、大きな作品を「工房作」として大量に制作していたと言われていますが、この娘の肖像画は、正真正銘すべてがルーベンスの手になる作品であることは間違いないでしょう。


「名画ギャラリー」と名付けられた展示室では、ラファエロやクラナッハのルネサンス期の作品から、バロックの名画も多数紹介されています。後半は、ビーダーマイヤーと呼ばれる19世紀の作品群も紹介されています。また「クンストカンマー(芸術の部屋)」と題されたコーナーは、超絶技巧の象牙彫刻や、モザイクを施した家具などが紹介されています。精緻な工芸品が紹介されています。


1 リヒテンシュタイン侯爵家と美術コレクション



2 名画ギャラリー










3 クンストカンマー(芸術の部屋):美と技の部屋



4 バロックの世界







「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」

オーストリアとスイスの間にあるリヒテンシュタイン侯国。同国の国家元首であるリヒテンシュタイン侯爵家は、優れた美術品収集こそが一族の栄誉との家訓のもと、500年以上にわたってヨーロッパ美術の名品を収集してきました。その数は3万点に及び、英国王室に次ぐ世界最大級の個人コレクションといわれています。本展では同コレクションから139点の名品を選りすぐり、日本で初めて公開します。世界屈指のルーベンス・コレクションからは、愛娘を描いた《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》など10点が一挙に来日。ラファエッロ、クラナッハ、レンブラント、ヴァン・ダイクをはじめとする巨匠たちの名画や、華麗な工芸品が一堂に並びます。


「国立新美術館」ホームページ


とんとん・にっき-rie1 「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」

図録

編集:

国立新美術館

東映事業推進部

発行:

朝日新聞社、東映

©2012-2013











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網野善彦の「日本の歴史をよみなおす(全)」を読んだ!

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網野善彦の「日本の歴史をよみなおす(全)」(ちくま学芸文庫:2012年4月10日 第24刷発行)を読みました。読んだのは、トルコ旅行10日間の往復の飛行機の中とトルコ滞在中でした。どうしてこの本を読むことになったのか? たぶん4~5月頃、新聞の読書欄の文庫本コーナーに小さく載っていたからだったか、あるいは、「江戸時代は女性も働いていて専業主婦はいなかった」とこの本に書いてある、というようなことをどなたかかが書いていたのを覚えていたからなのか、今となってはよく分かりません。それにしても2005年7月10日第1刷発行、なんと僕が手にしている本は2012年4月10日第24刷発行ですから、すごい売れ行き、まさにロングセラーです。


この本は、筑摩書房より刊行された「日本の歴史をよみなおす」(1991年)と「続・日本の歴史をよみなおす」(1996年)を一冊にまとめて文庫化したものです。もともと「日本の歴史をよみなおす」は、筑摩書房で5回にわたって、社員を対象に話しをし、それに大幅に手を入れたもの。「続・日本の歴史をよみなおす」は、同じく4回にわたって行った話しに手を加えてまとめたです。ですから、文章も平易で非常に読みやすい、網野善彦の歴史学入門書としては最適な本と言えます。


目から鱗とはこのこと、この本、読むと驚きます。「日本とは何か」、「日本人とは何か」、一般的な常識を網野は周到な準備で一つ一つひっくり返します。日本の社会が、江戸時代までは農業社会だったという常識、教科書にはそう書いてあり、僕らはそう学んできました。教科書にある「近世日本の人口構造」では、76%が農民とあります。海民や山民はそこには載っていないし、商工業者は10%前後しかいない。本当にそうだったのか。他の資料では、農民は百姓とあります。網野は、百姓は農民と同義語ではない、たくさんの農業以外の生業に携わっていた人びとを含んでいたと言います。網野は奥能登の時国家の調査を提出します。


百姓は農民という、それまでの常識が誤っていることを突き止めます。身分的には百姓の時国家、田畑はごく僅か、しかし大船を持ち、日本海の海上交通に依拠し、製塩、製炭、山林の経営、鉱山にも、蔵本として金融業も営んでいる家だったことが、網野の調査の結果判明します。圧巻は「襖の下張り」を丹念に調査し、そこから浮かびあがってくる当時の社会を表に引っ張り出します。歴史家は文献資料を扱うが、文書資料は国家の制度の中で作成されるので、表のものしか残っていません。そうじゃない資料、捨てられるはずの文書は襖の下張りから見えてきた、というものです。


この辺、学問とは言え、推理小説を読みようにスリリングです。他にもまだまだ目から鱗は驚くほどたくさん出てきます。貨幣と金融、租税、非人は神仏に直結する、男女の性のあり方、日本の国号、天皇の二つの顔、松園、悪党と海賊、海上交通、重商主義と農本主義、飢餓はなぜおきたのか、等々、網野の説は、一つ一つが納得させられます。


網野善彦とはどんな人なのか? 略歴は以下の通りです。

1928~2004年。山梨県生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。名古屋大学助教授、神奈川大学短期大学教授、同大学特任教授を歴任。歴史家。専攻は、日本中世史、日本海民史。著書に、『蒙古襲来』『日本中世の非農業民と天皇』『無縁・公界・楽』『異形の王建』『日本社会の歴史(上・中・下)』『「日本」とは何か』『日本中世都市の世界』『網野善彦著作集』(全19巻)他多数。


文庫本のカバーの裏には、以下のようにあります。

日本が農業中心社会だったというイメージはなぜ作られたのか。商工業者や芸能民はどうして賤視されるようになっていったのか。現代社会の祖型を形づくった、文明史的大転換期・中世。そこに新しい光をあて農村を中心とした均質な日本社会像に疑義を呈してきた著者が、貨幣経済、階級と差別、権力と信仰、女性の地位、多様な民族社会にたいする文字・資料の有りようなど、日本中世の真実とその多彩な横顔をいきいきと平明に語る。ロングセラーを続編とあわせて文庫化。


日本の歴史をよみなおす(全)

[目次]

―日本の歴史をよみなおす―
第1章 文字について
第2章 貨幣と商業・金融
第3章 畏怖と賤視
第4章 女性をめぐって
第5章 天皇と「日本」の国号)

―続・日本の歴史をよみなおす―
第1章 日本の社会は農業社会か
第2章 海からみた日本列島
第3章 荘園・公領の世界
第4章 悪党・海賊と商人・金融業者
第5章 日本の社会を考えなおす


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「第12回 せたがや駅前 楽市楽座」へ行ってきました!

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朝刊に入っていたチラシ、

「第12回 せたがや駅前 楽市楽座 本日開催」

に引かれて、ぶらっと行ってきました。


僕の家からはバスでも行けるし、世田谷線でも行けるし、歩いても行ける距離です。思っていた以上にたくさんの人出だったのでビックリでした。お天気も良かったこともあるでしょう。しかし、数年前と比較すると、関係者の努力のたまものでしょうか、なにしろ催しもののメニューの盛りだくさんなこと、「ミニボロ市」が約110店出店というから驚きです。いつも出ている「チンドン屋」さんご一行も、元気でした。


ぶらりと散歩のつもりで家を出たので、デジカメも、ケイタイも、スマートホンも、なにも持たず、画像での記録はできませんでした。お土産は太る元ですが「干し柿」と「干し芋」、試食でいただいた無花果の干したもの、美味しかったな~


とんとん・にっき-raku1

下の画像は「としあきの農業日記 」よりお借りしました。


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「世田谷駅前商店街振興組合」




伊東豊雄の「あの日からの建築」を読んだ!

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伊東豊雄の「あの日からの建築」(集英社新書:2012年10月22日第1刷発行)を読みました。「あの日」とは、もちろん東日本大震災の日です。「3月11日に地震が発生した時、私は渋谷にあるオフィスの4階で打ち合わせをしていました」と、この本は始まります。茫然自失のなかで、伊東が設計を手がけた「せんだいメディアテーク」がどうなっているかがいちばん気になったという。


伊東はすぐに仙台市の奥山市長や館の人たちにお見舞いのメールを送ります。その決断の早さ、メールの日付は3月23日、それを読むとその後の伊東の姿勢が明確に記されています。東北大の学生が、自分は特に目的があってメディアテークを訪れる訳ではないということを引用し、「目的はないけれども何か安心できる場所」こそが、被災した人びとに最も必要とされる施設ではないかと指摘しています。


東北3県に今回建てられた仮設住宅はおよそ5万戸、そのほとんどが鉄骨系のプレファブで、性能の悪さは話題になりましたが、伊東が気にしたのは、、均質な住戸ユニットを並列する非人間的な考えに対してでした。「この平等主義、均質主義は仮設住宅に限らず、現在の日本の精神の貧困を象徴しています」と伊東は言います。そんな仮設住宅での生活を見て、こうした人びとが一緒に話し合ったり、食事のできる木造の小屋をつくることができないかと、考え始めます。こうした考えで、仙台市宮城野区の公園内に設けられた仮説住宅地に「みんなの家」第1号はつくられました。


2012年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展において、伊東は日本館のコミッショナーを務めることになります。伊東の選んだテーマは「ここに、建築は、可能か」でした。参加アーティストは、陸前高田出身の写真家の畠山直哉と、3人の建築家・乾久美子、藤本壮介、平田晃久の3人です。陸前高田に敷地を選び、3人の共同設計による「みんなの家」の設計から施工に至るドキュメントを展示しようと考えます。偶然、一人の女性、菅原みき子さんとの出会いがあり、急速に「みんなの家」の構想が固まっていきます。これらの日本館の展示によって、ヴェネチア・ビエンナーレの最高の栄誉である金獅子賞を獲得することになります。


僕はこの本の第5章「私の歩んできた道」から読み始めました。伊東豊雄は、菊竹清訓事務所の出身で、一時、篠原スクールとも言われたことがありました。「大阪万博への懐疑」、「時代の閉塞感を反映した建築」から「社会性を持った建築への転換」へと、伊東の建築を例にとって、その時代時代の建築への取り組み方が詳細に書かれていました。その後、バブル時代の東京から構想されたという「イメージとしての建築」が続きます。その後、「八代市立博物館」など、公共建築も手がけるようになり、伊東の代表作「せんだいメディアテーク」へと至ります。


こうした経験を経て、第6章「これからの建築を考える」で、伊東の考えている社会と建築家のあり方を提案します。そして「おわりに」には、以下のように書かれています。

私たちが仙台市宮城野区や釜石市につくった「みんなの家」は、決して都会的ではない。個としてのオリジナルな表現もほとんどない。その結果私たちは、地域の人びとと心をひとつにしてつくることができた。だから道はあるのだ。ここから、これからの建築を考えることはきっとありえるに違いない。新しい建築の第一歩がここから始まる予感は十分にある。


伊東豊雄:略歴

1941年生まれ。建築家。東京大学工学部建築学科卒業。菊竹清訓建築設計事務所勤務後、伊東豊雄建築設計事務所設立。ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞、王立英国建築家協会(RIBA)ロイヤルゴールドメダル、高松宮殿下記念世界文化賞など多数受賞。主な作品に、せんだいメディアテーク、TOD’S表参道ビル、多摩美術大学図書館(八王子キャンパス)など。著書に「透層する建築」(青土社)、共著に「建築の大転換」(筑摩書房)など。


カバーの裏には、

東日本大震災後、被災地に大量に設営された仮設住宅は、共同体を排除した「個」の風景そのものである。著者は、岩手県釜石市の復興プロジェクトに携わるなかで、すべてを失った被災地にこそ、近代主義に因らない自然に溶け込む建築やまちを実現できる可能性があると考え、住民相互が心を通わせ、集う場所「みんなの家」を各地で建設している。本書では、国内外で活躍する建築家として、親自然的な減災方法や集合住宅のあり方など震災復興の具体的な提案を明示する。

あの日からの建築
目次


はじめに
第1章 あの日からの「建築」
第2章 釜石復興プロジェクト
第3章 心のよりどころとしての「みんなの家」
第4章 「伊東建築塾」について
第5章 私の歩んできた道
第6章 これからの建築を考える
おわりに


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にほんの建築家 伊東豊雄・観察記
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トッズ表参道ブティック

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新庄耕の「狭小住宅」を読んだ!

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新庄耕の「狭小住宅」を読みました。なんともタイトルが刺激的です。 「トルコ10日間」の旅を終えて日本に帰ってきた翌日、10月31日の朝日新聞に、松浦寿輝の「文芸時評」に「語りの視点」と題して、以下のようにありました。


新庄耕「狭小住宅」は、不動産会社の営業マンを主人公として、かつ語り手として設定した一人称小説であり、視点もまた当然この「僕」の内部に固定される。やくざ紛いの上司の恫喝に圧迫されつつ、客を籠絡する技量に長けていく過程で、「僕」がいったい何を失っていったかを、作者は「僕」の視点の外部からやんわりと問いかけている。狭小地に鉛筆のように建つ都市住宅に「邸宅」の夢を見る人々と、その夢に付け込んで利ざやを掠め取ろうとする不動産屋との、どこかもの哀しい心理戦が活写されている。途中に挿入される恋愛のエピソードがステレオタイプの域を出ていないのはやや残念だが、丹念な取材から生まれた説得力のある細部と、無駄のないハードボイルドな文体の躍動感には、小説の魅力が横溢している。


さっそくアマゾンから購入して、一気に読んでみました。ちなみに「狭小住宅」は、第36回すばる文学賞の受賞作品です。僕の興味のさきは、魑魅魍魎の「不動産屋の世界」と、まさに「狭小住宅」そのものです。「物件」を売ることが仕事の会社と、売買される「物件」、つまりは「狭小住宅」です。狭小住宅はペンシルハウスとほぼ同義語です。


ペンシルハウスは20坪前後の狭い土地に建てられる狭小住宅を指す。正面から見ると鉛筆のように細長く見えるため、いくらか揶揄する意味を込めてそう呼ばれる。容積を最大化するため建物は3階建て。日照権の関係で多くは屋根が鋭角に切れこんでいる。1台分の車がぎりぎり停められる車庫の上部に、2階分増築されたように見えなくもない。最新のシステムキッチンや浴室を備えるなど内部は機能的で、決して安普請というわけではないのに、家屋としての風格はやや希薄で、住宅街の中にペンシルハウスがあるとどこか異様な感じさえする。


小説「狭小住宅」のフィールドは、城南エリア、つまり駒沢や三軒茶屋、用賀や桜新町、いやまさにドンピシャ、僕の家の近所の過密住宅地、狭小住宅地ばかりです。主人公は「今日こそ辞める」と思いながらも、不動産屋の営業を辞められません。最もありえなさそうな奴が不動産屋をやってると、友人は嘲笑気味に言います。すべての評価はどれだけ家を売ったか、そんな単純な数の積み上げで評価される以外、なにも残らない仕事です。主人公は以下のように自問します。


ろくに就職活動をすることなく、苦し紛れに今の会社に入った。営業に配属され、とにかく家を売れと言い渡された。胃痛をおぼえるようなノルマ、体を壊さずにはこなせないほどの激務、そして挨拶代わりの暴力。逃げ出さないのが不思議なぐらいヤクザな毎日だった。・・・なぜ、僕はこの世界に足を踏みいれ、今も居つづけるのだろう。


朝礼後、伊藤部長に呼ばれた。「お前、来週から駒沢な」、突然、恵比寿本店から駒沢支店へ移動させられます。「てめぇ、何だその顔は。お前、全然使えねえから戦力外通告。売れねぇし、辞めねぇし、明王出て偉そうだし、だから異動。いらねぇ。うちも明王大学のお坊ちゃん抱えられるほど余裕ないんだ。わかったらさっさと行け」。駒沢支店は、一戸建て売買の総本山ともいわれる都心城南エリアを根城とし、重要支店の一つ。


朝礼後、山根部長に挨拶に行く。「おまえ明王出てるんだってなぁ。どうせ売れねぇんだったら辞めちゃえよ、なっ、頑張るだけ無駄なんだから、なっ」。駒沢支店の営業は三つの課があり、僕はそのうちの「営業二課」に配属されます。二課をまとめるのは豊川課長、彼はそれまで恵比寿で見てきたどの課長ともタイプが違っていました。恒に落ち着き払い、淡々としていました。一課や三課の課長が恵比寿の上役と同じタイプだったので、よりその異質さは際立っていました。


「松尾君だっけ、松尾君が二課に入ってきてよかったよ、マジよかったよ、と豊川課長の下で働けるんだもん、課長は昔、5年以上も全支店で売り上げトップだった営業マンなんだよ、ヤバイだろ、5年以上ずっとだよ。・・・食らいついてでも辞めない方がいいよ、こんな凄い人と働けるなんてマジでついてるんだから・・・」と河野さんは話さずにはいられないといった口ぶりでまくしたてます。


続く



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「トルコの建築と都市計画 ル・コルビュジエの目」

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ル・コルビュジエの自叙伝に「ル・コルビュジエの手帖 東方への旅」という20万円以上もする豪華本が同朋社出版から出ていることは聞いていましたが、どんな本かは手に取ったことがないのでわかりません。鹿島出版会のSD選書にも「東方への旅」があるようですが、僕は持っていないので、同じものかどうかは分かりません。いずれにせよ「東方への旅」は、若き日のル・コルビュジエに大きな影響を与えたということはよく知られています。同時に「スケッチと旅の記録」は膨大なもののようで、そのエッセンスは後のコルビュジエの作品の端はしに出てくることが多くの識者に指摘されてもいます。


僕はどこへ行くのも下調べをしないで行くことが多いのですが、ということは行き当たりばったり、出たとこ勝負で、気になったことは後になって調べることがほとんどです。先日行った「トルコ10日間」の旅行で、いろいろありましたが、「エフェソスの古代遺跡」は事前にはほとんど知らなくて、思わぬ収穫でした。「エフェソス」についてはおいおい書くとして、ここではエフェソスの古代遺跡を見終わって、出口の売店で買った本についてです。


その本は「TURKISH ARCHITECTURE AND URBANISM THROUGH THE EYES OF L.C.」という長いタイトルです。日本語にすると「トルコの建築と都市計画 ル・コルビュジエの目」といったところでしょうか。「エフェソス」の観光案内書を買ってから売店の棚を見ると、何とこの本が目に入りました。パラパラと見ると、コルビュジエらしいスケッチの数々が目に入りました。これは買わずにはいられません。若い頃のコルビュジエがいとこのジャンヌレと2人で、イタリアやギリシャへ旅行したことはよく知られています。が、しかし、トルコへ行ったことはこの本を手にするまで僕は知りませんでした。トルコといっても、イスタンブル周辺だけのようですが・・・。


帰ってきてから「コルビュジエ全集」を見てみると、「Le Corbusier 1910-29 Vol.1」に、コルビジュエのスケッチと旅の記録として、まず最初に出てきました。1ページ、2ページが「オリエント」、3ページが「アテネ・ポンペイ・ピサ」、4ページが「ヴェニス・ローマ・フランス」、そして5ページが「中国・日本」でした。「オリエント」は最初の2ページにまとめられていました。今回買った本、「TURKISH ARCHITECTURE AND URBANISM THROUGH THE EYES OF L.C.」についてはまだ詳しく読んだわけではないので、本の内容は述べられませんが、特にイスタンブルのモスクのスケッチは数多くあり、この本の中核を担っています。たぶんまだこの本は、翻訳されていないのではないかと思います。


この本の著者はEnis Kortan、イスタンブルで建築家の資格を取り、マルセル・ブロイヤーや、スキッドモア・オーイングス・メリルのニューヨーク事務所でゴードン・バンシャフトの下で働いたという。現役の建築家であることに加え、アンカラのテクニカル大学の教授、イスタンブルの大学でも教えているようです。また幾つかの著作もあるようです。


僕も誤解していましたが、世界の半分はイスラム世界、かどうかは分かりませんが、以前古市徹雄の「カラー版 世界遺産の建築を見よう」(岩波ジュニア新書:2007年3月27日第1刷発行)という本を見ていたら、「西洋建築の流れ」と「イスラム建築の流れ」という全体が2部構成でまとめられていました。もちろんイスラム建築にはモスクがたくさん出て来るのですが、古市の言うには、「イスラムを西洋建築史と同等に扱っているのは、イスラム建築が果たしてきた役割を見ていくと、西洋建築に与えた影響が大きいからです」とありました。今から思うとそれもあって、僕はトルコへの旅を考えたというわけです。


 


以下、「トルコの建築と都市計画 ル・コルビュジエの目」より、コルビュジエのスケッチを少しだけ載せておきます。

















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秋めいて駒沢公園!

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樹木も色付いて、いよいよ秋めいてまいりました。

いつもの病院で定期検査、検査の結果は良くも悪くもなく、特に変わりはありません。

帰りに、駒沢公園を半周しました。美味しいそうなお店も幾つか発見しました。











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恒例「千厩・黄金太鼓」(「三茶de大道芸」余聞)!

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なぜに岩手県千厩の「黄金太鼓」が、「三茶de大道芸」に出演しているのか?


実は岩手県千厩町小梨地区と、世田谷区太子堂地区は、青少年育成事業のためのプロジェクト「パルパル交流」として1985年からの長いおつき合いがあるのです。春と夏の合宿を通じて交流を続けてきました。春は千厩の子供たちが世田谷に来て合宿して東京を観て回り、ホームスティをします。夏は世田谷の子供たちが千厩に行って黄金山でキャンプをし、ホームスティをします。そうしたおつき合いの中から、「三茶de大道芸」のときには、千厩から「農産物」の産直販売を、そして千厩の人たちによる「黄金太鼓」の演奏があるのです。


「小梨創作太鼓の会」による太鼓演奏創作太鼓は、「黄金太鼓」や金山一揆の舞台となった黄金山にちなんだ曲などが演奏されました。「金山一揆」は、豊臣秀吉の命によって派遣された3奉行が、産金の税を年1回から3回に増やすことを命じられ、苦しんだ金堀たち3000人が白山堂(千厩町松沢神社)に集まり、神水を呑み誓いをし、文禄3年(1594)に当時の仙台領東山地方千厩(岩手県東磐井郡)で起こったとされます。最終的に一揆の首謀者は切り捨てられ、頭取38人を見せしめのために磔(はりつけ)なったといわれています。


いずれにせよ、哀しい歴史や季節の移り変わりなどを、太鼓だけで表現する黄金太鼓の見事な演奏には、集まった観客から惜しみない拍手が起こりました。










過去の「三茶de大道芸」での「黄金太鼓」





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「パルパル交流」と仙台のお土産




LIXILギャラリーで「酒井稚恵展 ほうき星、あらわる」を観た!

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LIXILギャラリーで「酒井稚恵展 ほうき星、あらわる」を観てきました。「布」については僕はほとんどなにも分かりません。酒井稚恵の作品のタイトルやフォルムには、独特の存在感があります。転機は今春、高知県の五台山竹林寺(遍路寺)の客殿に展示したことで、新たな空間体験をしたことによるもので、会場を下見した時、アンチされていた大日如来像の姿がどこかに残っていて、宇宙的なイメージを感じたという。今後も、この体験を活かして、新しく生まれた感覚の作品をつくっていきたいと、酒井は抱負を述べています。


展覧会詳細は、以下の通りです。

酒井稚恵の作品は布を使ったインスタレ-ションです。ストライプや水玉模様の既成の布地を何メートルも使い、その模様を縫い合わせることで独創的なかたちを表現します。海外や関西を中心に活躍中の酒井による本展覧会では、「ほうき星、あらわる」「星をけちらしながら」など、宇宙をイメージした新作8点を発表します。


1.手芸マジックでつくるダイナミックな存在感
一見すると8m の高さから落ちる青い滝。近づいてみると青と白の光沢あるストライプの布を、糸で縫い縮めをして立体的に浮き出させていることがわかります。直径7m の深紅の大輪の花が床に広がっているように見える作品も、赤地に白い水玉模様の布を使い、水玉模様同士を縫い合わせることで、新たに放射状の模様をかたちづくっています。酒井稚恵の作品はいずれも「シャーリング*1」や「スモッキング*2」といった手芸の技法を用い、一針ずつ縫い上げる手作業でつくられています。縫い縮めたり縫い合わせたりすることで現われるやわらかな立体感と、大きな布のもつ重量感や存在感を感じさせるダイナミックな作品です。
*1 洋裁で、細かいギャザーを寄せて模様や変化を出すこと。
*2 布地を縫い縮めてひだを寄せた上をかがって模様を表し、ひだを固定する技法。


2. 布のもつ時代性と彫刻の普遍性
酒井稚恵は大阪芸術大学大学院の工芸コースで制作を始めました。自ら織機で布を制作する中で、縦糸と横糸の碁盤の目のようなラインに歪みを生じさせ、揺らぎを表現したいと考えるようになり、現在の作風が誕生しました。酒井稚恵は流行を反映する布素材、古くからの手芸の技法、彫刻のような存在感によって時代性と普遍性を合わせ、毎回新作を発表しています。

3.「ほうき星、あらわる」新作公開
今回出品される作品は新作8 点です。これまでの大きな平面的な作品から、今春、高知県の大日如来像が安置される竹林寺客殿での展示体験から生まれた立体的な作品へと、新たな世界が始まりました。「ほうき星、あらわる」「星をけちらしながら」と名づけられた「宇宙」をイメージした新作も合わせてご覧下さい。










作家略歴:
1977年 神戸市生まれ
2000年 大阪芸術大学 工芸学科 テキスタイルデザインコース卒業
2002年 大阪芸術大学大学院 芸術制作研究科 表現領域Ⅴ(染織)修士課程修了

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パナソニック汐留ミュージアムで「ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス展」を観た!

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パナソニック汐留ミュージアムで「ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス展」を観てきました。ブログ告知キャンペーンに協力して招待券を2枚ゲットしました。10月後半はトルコへ行ったので、「ルオー展」へ行ったのは月が変わった11月5日のことでした。その時に書いた記事を以下に載せておきます。


「ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス」展のご案内


「サーカス」ということで思い出すのは、「ピエロのクリちゃん」のことです。


♪ 笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために


さだまさし主演の映画「翔べイカロスの翼」は、かつてキグレサーカスに実在したピエロ役者の故・栗原徹さん(クリちゃん)をモデルに書かれた同名小説の映画化作品です。「道化師のソネット」(1980年)はその映画の主題歌です。昭和47年にカメラマン志望の青年が、写真を撮る為に訪れたサーカスの世界に惹かれて入団し、やがて「ピエロのクリちゃん」として愛されるようになりますが、52年に綱渡りの興行中に落下して、帰らぬ人となりました。


実は子供が小さい頃、水戸市の千波湖畔で子供を連れてキグレサーカスを見に行きました。もちろん「ピエロのクリちゃん」も見ました。僕らが見に行ったその1週間後、次の興行地で「ピエロのクリちゃん」が、綱渡り中に落下して亡くなったことを新聞で見て知りました。「翔べイカロスの翼」はインディーズ作品なので、一般には出回っていないので、見ていません。しかし「道化師のソネット」はさだまさしの代表曲として、未だに広くラジオなどで流されています。


映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」が今、話題沸騰です。ジェームズ・キャメロンが製作を務め、世界的に著名な「シルク・ドゥ・ソレイユ」のショーをモチーフにして作られたファンタジックな愛の物語、だそうです。その「シルク」とはフランスのサーカスのこと。ただし、ちょっとめかした男と女が夜の愉しみを求めて行く手軽な歓楽の場の一つだったようです。ルオー時代に一世を風靡したサーカス場「シルク・フェルナンド」は猥雑ともいえる賑わいで名高かった、という。


「シルク・フェルナンド」はモンマルトルの中心地にあり、あのムーラン・ルージュからも遠くない。キャバレーとシルク・フェルナンドは客層も重なっていたという。ロートレックの「シルク・フェルナンドの女曲芸師」や「座る女道化師、シャ・ユ・カオ嬢」が描かれたもの、言われてみれば納得できます。つい最近、ブリヂストン美術館が新所蔵品として公開した、女曲馬師と馬の姿を描いた「サーカスの舞台裏」もあります。




「ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス展」、 チラシには「享楽のパリで、サーカスを愛した男」とあります。ルオーといえば、道化師やキリストをモチーフにして悩める人びとの姿を、黒の輪郭線や濃厚に塗り重ねられた絵の具などで、数多く描いたことがよく知られています。正直言って、長い間、ルオーは僕が理解できない画家の一人でした。ブリヂストン美術館の「郊外のキリスト」(1920-24年)や「ピエロ」(1925年)を何度も観て、少し理解できるようになりました。


そのルオー、サーカスをこよなく愛していたのだという。なんと全作品の1/3はサーカスがテーマだったという。彼が最も愛したのは「道化師・ピエロ」でした。「道化師の画家」とも呼ばれました。しかし彼が描いた道化師のほとんどは、舞台の上の華やかなスポットライトを浴びている道化師ではなく、いわば舞台裏の、メークを落とした素の顔の道化師でした。「私たちはみな、程度の差こそあれ道化師なのです」と語ったという。罪深い社会で苦悩する人間を象徴する存在として、ルオーは道化師を描き続けました。


今回は、ルオー財団の特別展で、サーカスにまつわる作品の中から、日本初公開の絵画20点を含む90作品が公開されました。


展覧会の構成は、以下の通りです。


第1幕 悲哀―旅まわりのサーカス

     1902-1910年代

第2幕 喝采―舞台を一巡り

     1920-1930年代

第3幕 記憶―光の道化師

     1940-1950年代


ルオーが道化師を描き始めたのは32歳の頃です。画家で師匠だったギュスターヴ・モロー美術館の初代館長を務めながらの創作活動でした。貧しい少年時代、きらびやかなサーカスの世界に夢中だったルオー。サーカスを思い出しながら、水彩に油彩を重ねるなど、複数の素材や技法で表現する「混合技法」を使用しています。「タバランにて(シャユ通り)」は有名なキャバレーのフレンチカンカンを描いた作品です。この時期のルオーの自画像は、写真を元に道化師に扮した自分の姿を描いていますが、ルオーの内面の葛藤が見られます。


36歳でピアニストのマルトと結婚し、4人の子供を授かったルオーは、やり手の画商・ヴォラールの目に止まり、作品が専属的に取引され忙しい毎日を送っていて、経済的にも恵まれた環境でした。この時期、充実したサーカス作品がズラリと並びます。なかでも注目されたのは、日本画でよくある「三幅対」。「小さな家族」、「傷ついた道化師」、「踊り子」の3作品が並んで展示されていました。これらはタピストリーの原画制作の依頼に応じたもの、もうこの3作品を観ただけで、僕は満足でした。


ルオーの道化師はやがて、救いを求めて生きる人間の象徴や、犠牲を伴う愛を体現したキリスト的存在へと一体化していきます。後年になるにつれて色彩は鮮やかさをまし、光輝き、描かれた人々の表情はますます穏やかになっていきます。「貴族的なピエロ」は、画家が目指した究極の理想的人間像に迫っています。女道化師を描いた「マドレーヌ」は、キリスト伝のマグダラのマリアを彷彿させる晩年の作品です。明るい色彩と健康的な笑顔は、観る者の心をほぐしてくれる作品です。



第1幕 悲哀―旅まわりのサーカス

     1902-1910年代





第2幕 喝采―舞台を一巡り

     1920-1930年代




第3幕 記憶―光の道化師

     1940-1950年代




「ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス」

ジョルジュ・ルオーの絵画作品の中で、サーカスのテーマは全体の3分の1を占めています。美術史全体においても、一人の画業の中でサーカスがこれほど大きな割合で取り扱われたことはないでしょう。ルオーは道化師を中心にサーカスにまつわる多様な人物像を描き、誰よりも優れた「道化師の画家」と呼ばれました。ロートレックやピカソなど近代画家の誰もがこの主題を取り上げるなか、ルオーがこのテーマを追及した理由は彼らとは全く異なります。彼は場末の市にかかる安サーカスや、うら哀しい旅回りのサーカスの特別に心を寄せ、その哀切さを通して人間本来の姿を暴き出そうとしました。「われわれは皆、道化師なのです」と自身が語るように、彼らは罪深い社会で苦悩する人間を象徴する存在であり、彼らを描くことは人間の背負う苦悩や絶望を問いただし、またそうした世だからこそ求められる恩寵や愛を描き出すことだったのです。本展では、パリのルオー財団の特別協力により、サーカスを着想源にしてルオーが描いた初期から晩年までの重要な版画と絵画が一堂に終結します。また、ルオーが実際に見たサーカスのポスターやプログラム、当時の新聞や絵葉書などの貴重な資料も初公開されます。19世紀末から20世紀初頭のサーカスやキャバレー文化を老いながら、ルオーの思想とサーカスとの接点を探り、ルオーがこのテーマを繰り返し描くことでなにを表現したかったのかを解き明かす展覧会です。


「パナソニック汐留ミュージアム」ホームページ


とんとん・にっき-ro1 「ジョルジュ・ルオー サーカス 道化師」

展覧会図録

2012年10月1日発行

企画:パナソニック汐留ミュージアム

編集:坂井基樹+竹見洋一郎(坂井編集企画事務所)

    浅野靖菜、合田真子

    安田由紀子/森かおる(青幻社)

展覧会・図録監修:後藤新治(西南学院大学教授)

執筆:後藤新治、山田登世子、増子美穂

    萩原敦子、宮内真理子、青木祥子

発行者:安田英樹

発行:株式会社青幻社



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