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デヴィッド・クローネンバーグ監督の「危険なメソッド」を観た!

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デヴィッド・クローネンバーグ監督ということで、過去に観た「イースタン・プロミス」の記事を見直してみました。「イースタン・プロミス」と「危険なメソッド」、同じ監督でありながら、テーマがまったく違う映画なので少々面食らっています。映画の最初から、悲鳴を上げながら車から降ろされる女性が、あのキーラ・ナイトレイ、僕の好きな女優の一人です。医者と面談していて、過去を思い出しているシーン、あんなにも下あごをつきだし顔を変形させて、なおかつ、どもりにどもって答えていましたが、あれじゃあまるでお猿さん、幻滅ですよ。なにもキーラ・ナイトレイが悪いんじゃないんですが、そこまでやらなくても・・・。


――この映画は史実に基づいた物語である。

1904年、チューリッヒのブルクヘルツリ病院に勤める29歳の精神科医ユングは、精神分析学の大家フロイトが提唱する斬新なメソッド“談話療法”を、新たな患者ザビーナに実践する。まもなくユングはザビーナの幼少期の記憶をたどり、彼女が抱える性的トラウマの原因を突き止めることに成功する。しかし、二人はしだいに医師と患者の一線を越え、お互いに愛情を抱き始める。ザビーナをめぐるユングの内なる葛藤はフロイトとの友情にも亀裂を生じさせていく。貞淑な妻よりもはるかに魅惑的なザビーナとの“危険なメソッド”に囚われ、欲望と罪悪感の狭間で激しく揺れるユングは、彼自身も想像しえない痛切な運命をたどっていくのだった・・・。


ユングとフロイトの研究にも影響を与えた実在の女性ザビーナを演じるのは、キーラ・ナイトレイ。過去に、「プライドと偏見」(2005年)、「つぐない」(2007年)、「ある侯爵夫人の生涯」(2008年)、「私を離さないで」(2010年)などを、僕は観ています。「アンナ・カレーニナ」(2012年)が公開予定のようです。キーラ・ナイトレイは、統合失調症の患者で、しかも精神分析学の医者を目指しているという複雑な役の設定です。父親から折檻された経験から、マゾヒスティックな性癖を隠し持つというヒロインです。妻があるユングを誘って、なんとかベットインしたが、シーツには真っ赤な鮮血が・・・。キーラ・ナイトレイは貧乳ですが体当たりの演技でセックスシーンもなんとかこなし、お尻をぶたれるたびに快感の悲鳴をあげていました。


劇中、深層心理をあぶり出す“言語連想”のテストや、フロイトが提唱した“夢分析”など、精神分析学の当時の最先端の療法が出てきたりもしますが、精神分析学の権威という看板を外してみると、医者と患者の愛情関係はただの不倫です。ユングは奥さんの財力でアメリカへ行く時は1等船室、赤い帆のヨットまで買ってもらったりします。時代が次々と変わり、いつの間にか、奥さんには子供が何人も生まれていました。ユングは、ザビーナと別れてからも、また若い患者と関係を持ったという。なんだ、常習者ですね。それにしても背景、住まい、家具調度、どれをとっても素晴らしいものばかりで、ウサギ小屋の住人としては圧倒されます。


以下、とりあえずシネマトゥデイより引用しておきます。


チェック:『クラッシュ』『イースタン・プロミス』などで知られるデヴィッド・クローネンバーグ監督が、『つぐない』の脚本家クリストファー・ハンプトンの戯曲を映画化した伝記ドラマ。精神分析の礎を築いた偉大な心理学者、ジークムント・フロイトとカール・グスタフ・ユングが師弟のように絆を深め合いながらも、ユングの患者であったザビーナ・シュピールラインをめぐって葛藤し、決別するまでを描く。ユング役のマイケル・ファスベンダー、フロイト役のヴィゴ・モーテンセン、ザビーナ役のキーラ・ナイトレイという実力派キャストの演技合戦は圧巻。

ストーリー:1904年、若き精神科医ユング(マイケル・ファスベンダー)は高名な精神分析医フロイト(ヴィゴ・モーテンセン)が提唱する画期的な治療法を、新しく受け持った患者ザビーナ(キーラ・ナイトレイ)に実践する。そしてユングは彼女が抱えるトラウマの原因を突き止めるが、二人は医師と患者の一線を越え禁断の関係に。やがてザビーナの存在は、ユングとフロイトとの関係に確執をもたらしていき・・・。


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「危険なメソッド」公式サイト

過去の関連記事:

デヴィッド・クローネンバーグ監督の「イースタン・プロミス」を観た!




新国立競技場コンペ、国内外から11点が残る。

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新国立競技場コンペ、国内外から11点が残る。最終審査は11月中旬頃。


国立競技場を運営する日本スポーツ振興センターは、新国立競技場の基本構想国際デザイン・コンクールで、国内外から応募作品46点の中から一次審査の通過作品11点を選考した。審査には安藤忠雄氏が委員長を務める審査委員会が今後、11月7日に最終審査を実施し11月中旬に審査結果を公表する予定だ。新競技場は、2019年に日本で開催されるラグビーワールドカップ及び2020年オリンピック・パラリンピック競技大会の使用を想定している。


選定された11点は以下。

○コックス・アーキテクチャー ピーティーワイ エルティディ
  アラステル・レイ・リチャードソン(オーストリア)
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○ポピュラス
  ロッド・シアード (イギリス)
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○ユーエヌスタジオ/山下設計
  ユーエヌスタジオ・ヴァン・バーケル・エン・バース・ユー・エヌ・スタジオ・ビー・ビー (オランダ)
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○ザハ・ハディド アーキテクト
  ザハ・ハディド (イギリス)
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○タバンオールー・アーキッテクトス・コンサルタンシー・リミティド・カンパニー
  イフサン・ムラト・タバンルオールー(トルコ)
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○ドレルゴットメ・タネ/アーシテクト&アー+アーシテクチゥール
  ツヨシタネ(フランス)
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○株式会社 梓設計
  杉谷文彦(日本)
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○伊東豊雄建築設計事務所
  伊東豊雄(日本)
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○有限会社 SANAA事務所+株式会社日建設計
  妹島和世(日本)
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○ゲーエムベー・インターナツィオナル・ゲーエムベーハー
  フーベルト・ニーンホフ(ドイツ)
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○株式会社 環境デザイン研究所
  仙田順子(日本)
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11月7日に行われる最終審査(二次審査)において、最優秀1点、優秀賞1点、入賞1点が選出される。
11月中旬に審査結果発表予定。下記公式サイトにて最終選考作品が閲覧可能。

新国立競技場 国際デザイン・コンクール


過去の関連記事:

あたらしい国立競技場、国際デザイン・コンクール!



チェン・カイコー監督の「キリング・ミー・ソフトリー」を観た!

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つい最近、テレビで放映していたのでビデオに撮っておき、再び観なおしてみました。昨年末にブログに書けなかった映画として、チェン・カイコー作品4本を載せておきました。「黄色い大地」(1984年)、「キリング・ミー・ソフトリー」(2001年)、「北京ヴァイオリン」(2001年)、「運命の子」(2010年)です。そのうち「運命の子」は、ブログにアップしました。そういえばずいぶん前に「さらば、わが愛/覇王別姫」(1993年)も観ていたことを思い出しました。


今年観てブログにアップできなかった映画作品!


チラシからしてエロチックです。ハリウッド進出が成功だったか失敗だったかはともかく、「中国では描けなかったエロスやセックスが描ける」と、チェン・カイコー監督が語ったという「キリング・ミー・ソフトリー」、その点ではヘザー・グレアムとジョゼフ・ファインズのセックスシーンは監督の思惑通りに仕上がっていて、見事というほかない。なにしろ始まって15分で3度もセックスシーンがありますから。


ロンドンに住むグレアム演じるアリスは、ウェブサイトの開発を担当するキャリア・ウーマンです。同棲中の恋人とそれなりに幸せな毎日を送っていました。しかし、ある朝アリスは出勤途中の交差点でファインズ演じる登山家アダムに心奪われ、呆然と立ちつくします。会社でもアダムのことが頭から離れず、たまらず会社を飛び出しアダムのあとを追います。アダムと再会すると誘われるままに、これまでに味わったことのないめくるめく官能の世界へと導かれます。


そして情熱的な結婚をしますが、新婚旅行は登山家のアダムらしく山小屋と行くのですが、アリスの首に布を巻き付けてのセックスシーンは、サスペンスへの序章です。そのころから無言電話や手紙が届くようになり、アリスはアダムへの疑念を抱き始めます。アダムはなぜか姿をくらましミステリアスな行動に出ます。いかにもサスペンス映画らしい体裁がととのっていきます。果たして犯人は誰だ? なんだ、意外と身近な人が犯人でした。

以下、とりあえずシネマトゥデイより引用しておきます。

チェック:『さらば、わが愛/覇王別姫』で有名な中国の巨匠、チェン・カイコー監督が初のハリウッド作品に挑んだ官能サスペンス。過激なボンデージ・テイストを織り込んだ同名ベストセラー小説を基に、男女のアブノーマルな愛の行方を耽美的な映像美で描き出す。主演は『フロム・ヘル』などで注目を集めるヘザー・グラハムと、『恋におちたシェイクスピア』の演技派ジョセフ・ファインズ。キュートなルックスのグラハムが魅せる激しく大胆な演技は要チェックだ。

ストーリー:キャリアウーマンのアリス(ヘザー・グラハム)は、出勤途中にアダム(ジョセフ・ファインズ)と出会う。その魅力の虜になったアリスは彼を追い、激しく愛を交わす。やがて2人は結婚するが、彼の過去を知るにつれてアリスは疑惑を抱き始める。

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過去の関連記事:

チェン・カイコー監督の「運命の子」を観た!



泉屋博古館分館で「中国絵画 住友コレクションの白眉」を観た!

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泉屋博古館分館は、平成14年に六本木1丁目の泉ガーデンに開館しました。住友家の旧蔵品を蒐集、展示する公益財団法人泉屋博古館(京都市左京区)は、昭和35年の活動開始以来、京都で実績を積みあげてきましたが、関西以外でも所蔵品を鑑賞してもらおうと、東京に開館しました。「泉屋博古館」の名称は、江戸時代の住友の屋号「泉屋」と、約900年前の中国宋代の徽宗皇帝の命により編纂された古代青銅器図録「博古図録」からとっていますが、泉屋博古館の最も重要なコレクションが中国古代の青銅器から成り立っていることからもたらされたものです。


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泉屋博古館分館で「中国絵画 住友コレクションの白眉」を観てきました。泉屋博古館分館は今年で開館10周年を迎え、春から開催してきた連続記念展のしめくくりの展覧会です。東京では開館以来、まとまった公開の機会のなかった泉屋博古館の中国絵画を、一堂に会して観られるというものです。


先日、「中国王朝の至宝」展を観てきました。中国で最古の王朝といわれる夏の時代から4000年の間を扱っているものでした。それとは同列におけませんが、泉屋の「中国絵画」も長い時代を扱っています。伝閻次平の「秋野牧牛図」は南宋時代、伝銭選の「宮女図」は元時代のものです。南宋の始めは日本では平安時代、元は鎌倉時代です。それらが今まで残っていて、中国絵画の規範となっているというから驚きです。そのうち2人の対照的な画家の興味深い略歴を、下に載せておきます。


華嵒(か がん 1682-1756)は、臨汀(福建省)の貧しい竹紙工だったが、22歳で杭州に出て文人画家となりました。縁あって県丞を授けられたが仕官せず、北京、泰山、廬山等を遊歴。人物から走獣まで画域は幅広く、唐から明の多彩な様式を咀嚼した洒脱で清奇な画風を確立しました。「鵬挙図」は、古代中国の想像上の大鳥を描いたもの。「荘子」逍遥遊によれば、鯤(こん)という魚が化したもので、翼は三千里に達し、一飛びに9万里ものぼるという。


沈銓(しん せん 1682-?)は呉興(浙江省)の出身で、享保16年(1731年)長崎に来航し、2年足らず日本に滞在しました。日本では沈南蘋の名で知られ、直接教えを受けた熊代熊斐らが南蘋派を形成しました。中国本土では無名の画家でありながら、その力強い構成力、写実性は日本人を圧倒し、弟子円山応挙や伊藤若冲はじめ江戸時代中期の画壇に多大な影響を与えました。「雪中遊兎図」は、まさにその力強い構成力と写実性を表したものです。


展覧会の構成は、以下の通りです。

Ⅰ 明末清初―個性の結晶―

Ⅱ 中国絵画周遊

  人物画―神仏から世俗まで―

  山水画―理想郷への旅―

  花鳥画―生命への賛歌―



Ⅰ 明末清初―個性の結晶―




Ⅱ 中国絵画周遊

  人物画―神仏から世俗まで―



  山水画―理想郷への旅―



  花鳥画―生命への賛歌―



泉屋博古館分館 開館10周年特別展

「中国絵画 住友コレクションの白眉」

泉屋博古館分館は今年で開館10周年を迎えます。春から開催してきました連続記念展のしめくくりとして、東京では開館以来まとまった公開の機会のなかった当館の中国絵画を一堂に展観いたします。当館の中国絵画は明から清への王朝後退の激動期に生きた八大山人、石濤ら明末清初の個性派の優品がそろうことで内外に知られています。明朝の遺民であった彼らは苦汁の日々のなか、史上稀に見る独特の表現を見いだしました。強烈な自我と繊細な感性が生み出した彼らの作品は、いまなお鮮烈に訴えかけます。彼らをはじめ、明清の文人たちが墨戯として描いた山水や花鳥の数々にはそれぞれの理想世界が映し出されているようです。また、コレクションには、南宋の宮廷画、伝閻次平「秋野牧牛図」から清の沈銓(沈南蘋)の作まで、精緻な画技の粋をあつめた作品も見られます。これらは明治から昭和にかけて住友家によって収集されたものです。彼らもまた、これら画家たちの理想世界に心を委ねた鑑賞者でした。時に日本文化にも影響を与えたこれら中国絵画の数々をお楽しみください。国宝1件、重文4件、重美2件を含む約60点。画冊は会期中順次めくり替えて全頁をご紹介します。


「泉屋博古館分館」ホームページ

過去の関連事:

泉屋博古館分館で「近代日本洋画の魅惑の女性像」を観た!
泉屋博古館分館で「近代洋画と日本画」展を観た!
泉屋博古館分館で「幕末・明治の超絶技巧」展を観た!
泉屋博古館分館で「近代日本画にみる東西画壇」展を観た!
泉屋博古館分館(東京)で「住友コレクションの茶道具」展を観た!

泉屋博古館分館で「春の妝い」展を観た!

泉屋懐古館分館で「高島屋史料館所蔵名品展」を観た!

泉屋博古館分館で「板谷波山をめぐる近代陶磁」展を観た!
泉屋博古館分館で「近代の屏風絵」展を観た!




「PAUL 六本木1丁目店」で昼食を!

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泉屋博古館分館で「中国絵画 住友コレクションの白眉」を観た帰りに、「泉ガーデンタワー 」にある「PAULベーカリーレストラン 六本木1丁目店」で昼食を食べました。ホームページには、以下のようにあります。


フランスの老舗ベーカリーカフェ。1889年に誕生以来、独自の製法でパン作りを続けています。契約栽培の小麦を使用する本格的なパン、フランス直輸入のヴィェノワズリーをお楽しみいただけます。また、フランスの雰囲気が漂うカフェで、寛ぎのティータイムやお食事もお楽しみいただけます。


僕が食べたのは「モナコ」というお昼のメニューです。ハーブチキン、マッシュルーム、オニオンスライス、いんげんの入ったサラダをPAUL特製ドレッシングでご賞味下さい、とありました。食べ放題のパンとドリンク付きです。パンは当然おかわりしました。サラダも思った以上に量がありました。






「PAULベーカリーレストラン六本木1丁目店」食べログ



熱狂の舞台は流線形 新国立競技場デザイン発表

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新国立競技場 国際デザイン・コンクール

最優秀賞が決定しました!!(2012年11月16日)

新国立競技場の改築に向けた「新国立競技場基本構想国際デザイン・コンクール」の審査委員会(二次審査。11月7日開催)での審査結果を受けて、11月15日に開催した「国立競技場将来構想有識者会議(第3回)」において、当該コンクールの最終結果(最優秀賞1点、優秀賞1点及び入選1点)を決定いたしました。 (日本スポーツ振興センター)


賞金は、最優秀賞2000万円、優秀賞700万円、入選は300万円。最優秀者は、基本設計や実施設計、施工の各段階でデザイン監修に当たる。(ケンプラッツ)


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熱狂の舞台は流線形 新国立競技場デザイン発表
日本スポーツ振興センターは15日、東京都が招致を目指す2020年夏季五輪の主会場に予定する国立競技場(東京都新宿区)の建て替えのデザインを発表した。46点の公募から、イラク出身でロンドン在住の女性建築家ザハ・ハディド氏の作品を選んだ。8万人収容で開閉式屋根を備え、流線形で2本のアーチで建物を支える構造。審査委員長の安藤忠雄氏は「躍動感がある。日本のすごさをアピールしたい」と話した。総工費1300億円を見込み、19年3月に完成予定。現在の競技場は14年7月から1年3カ月かけて解体する。(朝日新聞)


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優秀賞

コックス・アーキテクチャー ピーティーワイ エルティディ
  アラステル・レイ・リチャードソン(オーストリア)

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入選

有限会社 SANAA事務所+株式会社日建設計
  妹島和世(日本)

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「新国立競技場 国際デザイン・コンクール」ホームページ


とんとん・にっき-za アンビルトの女王、ハディッド
ザハ・ハディド (Zaha Hadid)

1950年生まれ。イラク・バグダッド出身、イギリス在住の女性建築家。かつては、「建てた建築よりも、実現しなかったプロジェクトの方が有名」といわれたが、初の公共建築『ヴィトラ社消防署』(ドイツ、1994)の建設を皮切りに、独創性と構想力が見直され、大型建築が次々に完成。2004年には“建築のノーベル賞”といわれるプリツカー賞を女性建築家で初めて受賞した。ハディッドの建築は、幾何学的な曲線、直線、鋭角が織り成す、流動的でダイナミックな外観が特徴。
主な作品
1993年:ヴィトラ社工場・消防ステーション、ヴェイル・アム・ライン、ドイツ
1998年:ローゼンタール現代美術センター、シンシナティ、オハイオ州(2003年竣工)
2002年:スキージャンプ台、インスブルック、オーストリア
2005年:ファエノ科学センター、ヴォルフスブルク、ドイツ
2005年:BMWセンター(自動車工場)、ライプツィヒ、ドイツ
2005年:オードロップゴー美術館増築、コペンハーゲン、デンマーク
2010年:国立21世紀美術館(MAXXI)、ローマ、イタリア
2012年:アクアティクス・センター、ロンドン - ロンドンオリンピックの会場となる水泳センター 
主な受賞歴
2004年:プリツカー賞
2009年:高松宮殿下記念世界文化賞
関連書籍
ザハ・ハディドは語る (The Conversation Series)
関連動画
ローマ・国立21世紀美術館|ザハ・ハディド



過去の関連記事:
新国立競技場コンペ、国内外から11点が残る。

「ザハ・ハディド 建築を語る」に行ってきました!



「日土小学校」重要文化財に指定される!

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僕が松村正恒の「日土小学校」を知ったのは昭和40年代始め頃だったと思います。「新建築」や「建築文化」とういうメジャーな建築雑誌ではなく、「近代建築」という雑誌だったように思うのですが、偶然購入した号に「日土小学校」が特集として載っていました。「日土小学校」が竣工したのは昭和33年なので、竣工して10年ほど過ぎた時の建築雑誌での再評価だったのでしょうか。当時はバウハウスを発信源とするモダン・デザイン、モダン・アーキテクチュア-全盛の時代でした。当時の小学校は、片廊下という文部省の基準にそって、鉄筋コンクリートの建物に次々と建て替えられていました。そうしたモダンデザインの時代に八幡浜というローカルな地に建つ、木造の小学校は一種異様に映りました。教室は明るく陽が注ぎ、廊下は開放的なデザインで、それまでの小学校にはほとんどなかった透明感のあるデザインでした。


松村正恒は大正2年(1913)愛媛県大洲市新谷町生まれ。建築家をこころざし昭和7年(1932)武蔵高等工科学校へ入学、バウハウス帰りの蔵田周忠教授に建築を学びます。高校卒業後は、昭和10年(1935)土浦亀城建築設計事務所へ入所します。昭和14年(1939)には満州の土浦事務所へ移動しました。しかし昭和16年(1941)土浦事務所を退所し、東京に戻り、農地開発営団へ入り農村建設の調査研究をしました。昭和20年(1945)に故郷に帰り、昭和23年(1948)に八幡浜市役所(土木課建設系)に就職しました。八幡浜市役所では小学校の設計を任され、「江戸岡小学校」や「神山小学校」など、幾つかの小学校を設計します。


松村正恒が設計した中で最も有名なのが、昭和33年(1958)に竣工した木造2階建ての日土小学校です。20世紀の近代建築に光を当てる建築家の国際組織DOCOMOMOが選ぶ各国の近代建築ベスト20に日土小学校は入っています。平成11年(1999)に日本建築学会が選定作業に参加し、日土小学校が選らばれました。昭和35年(1960)の『文藝春秋』の「建築家ベスト10」という特集で、松村は日本を代表する建築家に選ばれました。しかし松村は名を上げることを嫌い、八幡浜市役所を退職し、自称「無級建築士」とし松山市に松村正恒建築設計事務所を開設しました。その後、多くの建築を設計したかも係わらず、メディアから遠ざかり、地元での社会的活動などに力を注ぎました。平成5年(1993)に80歳で急逝しました。
参考:「日本を代表する無級建築家、松村正恒」


以下、近年再評価された松村正恒の「日土小学校」について


大阪くらしの今昔館企画展「日土小学校と松村正恒展―保存再生された木造校舎」
建築家松村正恒(1913~1993)は、故郷である愛媛県八幡浜市の建築技師として多くの学校や病院を建設してきましたが、昭和33年に建築された「日土(ひづち)小学校」は今も学校として使われており、彼の代表作として知られます。両面からの採光と通風を確保した教室、ゆったりとした廊下や階段、川に面したテラスなど、そのデザインは斬新で、日本を代表する木造モダニズム建築として平成11年にはDocomomo20選に選定されました。その後、建物の老朽化や耐震性能の課題から建て替えの危機に直面しましたが、地元の人びとの情熱と叡智を結集し、新校舎を増築しながらの保存再生が進められ、平成21年に現代的な機能や耐震性を備えた小学校として完成しました。


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八幡浜市立日土小学校保存再生
原設計 八幡浜市役所土木課建設係 松村正恒
調査・基本設計・監修 日本建築学会四国支部日土小学校保存再生特別委員会
実施設計 建築 和田耕一(既存東校舎・既存中校舎) 武智和臣(新西校舎)
施工 一宮工務店 白滝本店 デンカ 四電工八幡浜営業所 小西建設 野本設備
   四電工八幡浜営業所 伊藤組
所在地 愛媛県八幡浜市
掲載号:新建築 2009年11月号038頁

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日土小学校の保存再生活動が2012年日本建築学会賞(業績)を受賞
「戦後木造モダニズム建築としての八幡浜市立日土小学校の保存と持続的活用」が、2012年日本建築学会賞(業績)を受賞しました。審査では、「八幡浜市立日土小学校の保存と持続的活用は、その保存活動、価値、手法、理念、波及効果において格段に優れているうえに、社会的意義を更に大ならしめるものとして、戦後木造モダニズム建築初の保存再生のメルクマールであること、また、「環境とともに継承する」という今日的な視点を新たに提起するものであることは高く評価できる。」、という評価を受けました。




以下、竣工時に建築雑誌に掲載された「日土小学校」

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文化庁報道発表「重要文化財(建造物)の指定について」


日本建築学会の発表サイト
審査評


日土小学校を考えるネットワーク


重文建造物に佐渡鉱山施設など6件 文化審答申(2012年10月19日 朝日新聞)
現役の校舎を重文指定…愛媛・日土小(2012年10月22日 読売新聞)


GALLERY A4の催し
八幡浜市立日土小学校と松村正恒展
―木造モダニズムの可能性―


とんとん・にっき-hituti建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム

著者:花田佳明

定価:7140円
発行:2011年2月

発行所:鹿島出版会

松村正恒という建築家がいた―戦後間もない愛媛県八幡浜市役所の一職員として、珠玉の学校建築や病院関連施設を設計した人物である。モダニズム建築の思想に拠りながらも教条的な姿勢はとらず、教育や生活のあるべき姿を空間化した。1960年には『文藝春秋』の特集「建築家ベストテン」で、前川國男、丹下健三、村野藤吾らとともに日本を代表する建築家にも選ばれている。松村が提起した多くの問題や枠組みは、これからの建築のあり方を構想するうえで、依然として有効な射程をもっているといえるだろう。本書は、松村とその建築に関する初の本格的論考である。

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「大かまど飯・寅福青山本店」!

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青山へ行くとお昼はいつもここ、「大かまど飯・寅福青山本店」です。

ずいぶん前からよく行くお店ですが、あまり人には教えたくないお店です。

場所は分かり易い。北青山3丁目の「青山花茂ビル」の地下1階です。


ランチは、季節のお総菜3種類と、大かまど炊きたてご飯が、食べ放題です。

和定食はなんでもいいのですが、季節のお総菜3種類がいい。

これがあれば、ご飯は何杯でも食べられます。

ご飯は徹底してこだわっています。

お昼はやはりサラリーマンが多いですが、女の子一人でも来ています。













「大かまど飯・寅福青山本店」ホームページ



守山忍の「隙間」を読んだ!

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守山忍の「隙間」(「文學界」2012年12月号)を読みました。第115回文學界新人賞受賞作です。 いつもなら「選評」を読んでから受賞作を読むのですが、今回はまったく予断なく一気に読み終わりました。守山忍は略歴によると、1986年9月16日生まれの26歳、大阪府出身、短期大学卒業、現在、フリーター、大阪府在住、とあります。それにしても若い、これだけの谷崎風の作品を書く力量は素晴らしく、将来に期待が持てます。


守山忍の「隙間」は、「わずかに開いた襖の隙間から、妻が顔に、丹念にファンデーションを塗りつけていくのが見えた」と、隣の部屋で化粧している妻を、覗き見する場面から始まります。化粧が完成し、縛っていた髪を解き、鏡台から立ち上がると、見ていた夫は妻に気づかれるのを恐れて、襖の陰に隠れました。出産のために実家に帰った妻と、その夫の間には、微妙な緊張が漂います。実家には30を過ぎた教師をしている未婚の姉がいます。また影の薄い両親も住んでいます。


姉と対すると、夫はいつも、彼女が自分を快く思っていないのではないかといった疑念が胸を掠めます。妻との結婚が決まり、家族の紹介した時からずっとそうでした。だからといって姉は露骨に彼を避けるようなことはしません。だが、言葉の端はしに、彼を容認しない余所余所しさがありました。妻は、妊娠が判明したときには、即座に母になることを決めたにもかかわらず、日が経つにつれ、その決心が大きく揺らいでくるのを感じていました。30を過ぎても未婚の姉を見ていると、妊娠も結婚もせずにいた自分を想像せずにはいられません。姉が自分を羨んだなら、どんなにか救われただろうと、妻は思います。


今朝、義父母が出勤するのを見送った夫は、妻に声をかけて家を出ました。植木市を覗いてみるつもりだったが、玄関先から庭にまわり、生け垣と石組みの僅かな空間に潜り込みました。妻が仰向けに寝そべっているのが見えます。外を眺めていた妻にある考えがひらめきます。急いで台所にとって返すと、茶がなみなみと満たされている湯呑みを手に戻ってきます。湯呑みは姉のものです。妻は口中に唾を溜め、薄く唇を開き、口中の唾を湯呑みに落とします。突然物音がして庭木が大きく揺れます。雨に濡れて返ってきた姉は、妻が差し出した湯呑みを見て一瞬はっと瞠目したように見えましたが、中身を一気に流し込みました。


姉が風邪をひいた同僚教師の代わりに夏休み中の学校に出勤すると、妻はうつらうつらと舟を漕いでは目を覚まします。妻はワンピースを着込んで、顔には化粧も施しています。もつれ合い、じゃれ合う姉がいません。隣の部屋には、雨が降り外出を取り止めた夫がいます。いつの間にか、部屋を仕切る襖が細く開いています。その隙間から濡れたように光る黒い目が、一瞬垣間見えました。黒い目は期待に満ちて、肌に纏いついてきて、妻は息苦しさに喘ぎました。


何かしなくてはならない。だが、何を? 一人では何をすればいいのか分からない。だから、気づかないふりをして、じっと庭を眺め続けます。夫が何を目的にして、自分を見ているのか分からず、何をすれば満足させることができるのか、まるで見当が付きません。夫がこそこそ見てくるものだから、気づかないふりをして、自然に振る舞ってきました。夫はもちろん、気づかれていることを知っているし、妻も夫に知られていることを承知しています。それでいてあえて口には出さず、お互いの役割に忠実であろうとしてきました。


はじめのころは、なんて陰険な趣味なのだと心底軽蔑していたが、それを夫の関心をつなぎ止める手段として利用している自分だって、人のことを言えたものではない。だが、ひょっとすると、夫は自分に興味を持っていたからではなく、姉を見ていたのかもしれない。姉に対してわがままを言う自分を叱らなくなったのは、堂々と姉を見る口実ができたからではないかと、思い至ります。


知人に会うという夫を玄関で送り出すと、妻は姉を呼びつけ、姉は飛んでやって来ます。いつものように二人は妻の部屋でただ漫然と時を過ごします。妻は姉の様子をうかがい、姉もそれを知っていて、見られることに堪えていました。休暇が終わる夫は今夜には、一旦赴任先へと帰ってしまいます。もう何度も妻は興奮に叫びだしたい衝動に駆られ、何とか思いとどまるのを繰り返していました。姉も同じです。だが緊張を相手に気取られるのは、自分の負けを認めるようで癪でした。これは根比べだと、妻は思いました。


妻は、急に全てが馬鹿らしくなります。姉に近づき、寝転んだままの姉の身体を跨ぎ、どしんと尻を降ろします。「ちょっと、何すんの」「何で庭ばかり気にしてんの」「気にしてなんてないわ、それより、降りてって」、姉は本当に辛そうな様子を見せたので、尻を腿の上までずらします。一瞬、姉の尻の上に自分の尻が乗って、生々しい肉の感触にはっと息を飲みます。姉の驚いた気配が伝わってきます。妻は「うそつき」と言い、姉の尻を平手で叩きます。叩けば叩くほど笑い声は高まります。


姉のスカートは捲れ上がり、レースのショーツが覗いていました。妻はショーツのウエストゴムを掴むと、躊躇なく引きずり下ろし、半分だけ剝かれた尻を平手で叩きます。尻は西日の中でも分かるほど、真っ赤に腫れ上がっていて、それがますます笑いを誘いました。夫が帰ってきたらしく、砂利を踏む音が、猪突に二人を我れに返らせました。玄関まで妻は夫を迎えに出ます。奥から姉も出てきてゆったりと「おかえりなさい」と言います。姉は涼しげに微笑んだが、その頬がわずかに上気しているのを、妻は見逃さなかった。


選考委員の吉田修一は、読後「なんだか不潔な小説だな」という印象を持ったという。登場人物それぞれの思い(思い込み)、会話、空間などが、とにかく不潔ったらしくて妙に目が話せなくなる。みんな、結局何をしたいのか分からない。おそらく本人たちも分かっていない。不潔に見えた世界が読んでいくうちに、なんとも幼稚で純粋で好奇心に満ちた世界に見えてくる。そして個人的にはと断って、「襖の隙間」=「妊娠中の女性器」と読んだという。


同じく選考委員の角田光代は、「隙間」は妻を覗き見る夫、見られていることを知っている妻を描いています。そこに妻の姉がまじり、妻は夫が見ていることを知って、姉と必要以上にじゃれ合う。この家には影は薄いが両親も住んでおり、その影の薄さもまた気持ちが悪い。ゆがんだ夫婦関係より、この気味の悪さが印象に残る作品であるとしています。また、夫の覗きをもっと執拗に描いても良かったと思う、歪んだ色情のいやらしさをもっと書いてほしかったと、しています。


同じく松浦寿輝は、妊娠して帰省中の妻の実家に滞在する夫は、薄い襖一枚を隔てた向こう側に微妙に排除された自分を感じ、覗き見の繰り返しによってその排除に抗おうとする。他方、妻とその姉との間には、妬みと甘え、牽引と反撥がないまぜになった、かすかに性愛の匂いを漂わせる相互依存があり、結果として妻=義姉=夫の間に一種倒錯的な三角関係が生じる。「妻の身体」という虚の焦点をめぐって、夫と義姉とが面妖な心理戦を行っているようでもある、としています


すべての選考委員が、谷崎潤一郎の「卍」や「鍵」と似通っていることを指摘しています。僕もこの作品を読んでいるときにはそう思いました。松浦理恵子は作者は単に物語や題材のレベルでしか谷崎からインスパイアを受けていないと厳しくき言い放ちます。

東京国立近代美術館で「美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」を観た!

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美術に、ふるえたことがありますか?

美術を体感すること。知的に考えること。それらすべての出発点である衝撃を「ぶるっ!」という言葉で表しました。今年開館60周年を迎える東京国立近代美術館が、これからの活動を考えていく上で、あらためて大切にしたいと思う美術鑑賞の原点です。このような発想から、本館の1階~4階の全フロアを使った60周年を記念する大展覧会を開催します。


東京国立近代美術館で「日本美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」が開催中です。そのチラシには上のような主旨説明にありました。11月7日(水)、ブロガーを対象にした「夜間特別観覧会」に参加してきました。始めに18時45分から15分の予定で地下の講堂で鈴木勝雄主任研究員によるミニレクチャーがありました。しかし、盛りだくさんの内容なので、大幅に時間をオーバーしました。


今回の美術館改修のポイントの説明や、近代美術館には重要文化財が13点あることも話されました。その後、写真撮影の注意事項があり、21時まで特別観覧会として、1階から4階まで展示された作品約500点を、自由に観て回る時間が設けられました。展示の順序は4階下らなのですが、たくさんの人がいたので、僕は逆に1階から見始めました。大きくは、第Ⅰ部 MOMATコレクションスペシャル、第Ⅱ部 実験場1950Sとなっていました。


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国指定の重要文化財は、現在、美術工芸品では1万件以上ありますが、その多くは古い時代のもので、明治以降の絵画・彫刻に限ると、51件しかありません。そのうち13点(寄託作品も含む)が、東京国立近代美術館にあります。今回は60周年を記念して、まとめて一度に公開されています。

以下に、重要文化財13点を載せておきます。

・菱田春草「賢首菩薩」1907年

・川合玉堂「行く春」1916年

・土田麦僊「湯女」1918年

・村上華岳「日高河清姫図」1919年

・横山大観「生々流転」1923年

・鏑木清方「三遊亭円朝像」1930年

・上村松園「母子」1934年

・安田靫彦「黄瀬川陣」1940年

・新海竹太郎「ゆあみ」1907年

・原田直次郎「騎龍観音」1890年

・萬鉄五郎「裸体美人」1912年

・岸田劉生「道路と土手と塀(切通之写生)」1915年

・中村彝「エロシェンコの像」1920年


また、MOMATコレクションの人気投票の結果が発表されています。

「みんなの東近美 作品人気投票」

・洋画部門

 1位 パウル・クレー「花ひらく木をめぐる抽象」

 2位 安井曾太郎「金蓉」

・日本画部門

 1位 上村松園「母子」

 2位 速水御舟「茶碗と果実」

・彫刻部門

 1位 高村光太郎「手」

・写真部門

 1位 植田正治「パパとママと子供たち」


第Ⅰ部 MOMATコレクションスペシャル

重要文化財

日本画

洋画・彫刻

海外作家コレクション







第Ⅱ部 実験場1950S

年表1945-1963

戦争の記憶と美術の形式

 1.原爆の刻印

 2.静物としての身体

現実変革のための美術

 3.複数化するタブロー

 4.記録・運動体

 5.現場の磁力

戦後日本のアイデンティティを求めて

 6.モダン/プリミティヴ

 7.「国土」の再編

 8.都市とテクノロジー

多層化するリアリティへのアプローチ

 9.コラージュ/モンタージュ

10.方法としてのオブジェ






東京国立近代美術館 60周年記念特別展
美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年

美術にふるえたことがありますか?美術を体感すること。深く感動すること。知的に考えること。それらすべての出発点である衝撃を「ぶるっ!」という言葉で表しました。あらためて大切にしたいと思う美術鑑賞の原点です。1952年12月1日、京橋の地に開館した東京国立近代美術館は、今年創立60周年を迎えます。人間でいえば「還暦」にあたるこの重要な年を記念して、本館の1階~4階の全フロアを使い、日本近代美術の100年を回顧する大展覧会を開催します。展覧会は2部構成となっています。60年間の収集活動の成果を問う第1部が縦糸とすれば、60年前の日本における近代美術館誕生の時代を考察する第2部は横糸であり、両者が緊密に連動して、みなさまにさまざまな感動を投げかけることでしょう。


「東京国立近代美術館」ホームページ


とんとん・にっき-bu1 東京国立近代美術館 60周年記念特別展

「美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」

図録

編集:鈴木勝雄、桝田倫広、大谷省吾(東京国立近代美術館)

発行:NHK、NHKプロモーション







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「十番稲荷神社・酉の市」へ行ってきました!

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今日20日は、商売繁盛を祈願する「酉の市(二の酉)」が開かれていました。用事があって六本木へ行っていたこともあり、僕が行ったのは、始めて行った麻布十番の「十番稲荷神社・酉の市」、比較的小さな神社でした。総選挙を来月に控えるなか、景気が悪いこともあってか、人出も少なく、ちょっと寂しい感じがしました。熊手はお金をかき集める、幸せをかき集めるという縁起物ですが、熊手店も、売約済みの熊手も見られず、お客さんは少なかったようです。来年こそは良い年になって欲しいものです。









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東京国立博物館平成館で「中国王朝の至宝」展を観た!

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東京国立博物館平成館で「中国王朝の至宝」展が開催中です。この展覧会は中国で最古の王朝といわれる夏かた宋までの中国歴代の王朝に焦点を当て、それぞれの地域の特質が凝縮された代表的な文物を対比しながら展示するという新たな手法によって、多元的でダイナミックに展開してきた中国文化の核心に迫るという、意欲的な展覧会です。


11月8日(木)、ブロガーを対象にした「特別招待会」に参加してきました。18時30分から受け付け開始、19時からギャラリートーク開始、終了は20時となっていました。ギャラリートークはこの展覧会ワーキンググループのチーフ、学芸企画部長の松本伸之さんが担当、会場内で今回の展覧会の主旨、及び、作品について、分かり易くかつ詳しい説明がありました。


今回の展覧会の「みどころ」は、以下の三つ。

・対決! 2つの王朝

同時代に栄えた2つの王朝の代表的な文物を対決させるという新たな手法で、夏から宋の時代にわたる中国の文化史を展望。中国文明の多元的でダイナミックな展開を体感できること。

・「掘り出しモノ」100%

展示作品は、紀元前2000年から約3000年間の貴重な文化財。国宝級の一級文物は約60%もあること。

・新発見&日本初公開

2001年に発見され現在も発掘調査が続いている金沙遺跡の多彩な文物。2008年に発見されて大きな話題をよび「塔(仏塔)の王様」
といわれている阿育王塔など、日本初公開の作品を含めた最新の発掘成果が観られること。


展覧会の構成は以下の通りです。

第1章 王朝の曙 蜀vs夏・殷
第2章 群雄の輝き 楚vs斉・魯
第3章 初めての統一王朝 秦vs漢
第4章 南北の拮抗 北朝vs南朝
第5章 世界帝国の出現 長安vs洛陽
第6章 近世の胎動 遼vs宋


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第1章 王朝の曙 蜀vs夏・殷
紀元前2000年頃から、黄河中流域の平原、つまり中原には、中国の初期的な王朝が誕生しました。いわゆる夏や殷です。細綴で強靱な造形を備えた青銅器や玉器を作り、漢字の元となる文字をはじめて体系的に用いるなど、中国文化形成の礎となりました。それとほぼ同じ頃、長江上流域にあたる四川盆地、すなわち蜀と呼ばれた地域では、黄河流域の王朝とは別の勢力による国が形成されていました。肥沃な土地によりながら、人の姿をした神や各種の動物を崇め、金を多用した高度な文化をもつ古代蜀の王国です。四川(蜀)と中原(夏・殷)という二つの地域で形作られた特色ある文物を間近に対比することにより、異なる勢力が並存していた初期王朝期の多元的な中国文化の実体を照らし出します。

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第2章 群雄の輝き 楚vs斉・魯
殷の後に中原を支配した周の威光が薄れると、各地に諸侯が並び立つ春秋戦国の時代になりました。黄河の下流域では、周の流れをくむ斉や魯が栄え、なお周の伝統を残しつつ、諸子百家といわれるような様々な思想・文化が花開きました。一方、長江の中流域では、黄河流域の諸国とは風俗言語を異にした勢力、すなわち楚が隆盛を誇りました。土着的な信仰を色濃く残し、神秘的な姿をした神や獣を崇め、古来の神話体系を護持するなど、独自の文化を展開しました。いまに残る青銅器や木漆器など、この時代の代表的な文物を選りすぐり、南方の雄であった楚と、中原の伝統に連なる斉・魯の文化を改めて比較しながら、豊饒な古代中国文化の諸相を浮き彫りにします。
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第3章 初めての統一王朝 秦vs漢
紀元前221年、それまで黄河と長江の中流域に覇を競い合っていた諸国は、西方から興った秦によって滅ぼされ、ここに中国史上初の統一王朝が出現しました。始皇帝による秦王朝です。秦は、それまで国ごとに異なっていた文字や諸制度を統一し、中央集権国家を実現しました。短命に終わった秦の次に中国全土を治めた漢は、秦の体制を継承、発展しながら国家体制を整備し、また儒教を奨励するなど、統一王朝の永続的な運営基盤を築くとともに、南北や西方へも勢力を伸張し、秦をもしのぐ広大な領域を支配しました。絶大な権力を背景に成立した秦の類い稀な破格の文物と、前後400年程にわたって全土を安定的に統治した漢の古典的な様式美が結実した文物を対照し、統一王朝下で展開した新たな中国文化の特色を俯瞰します。
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第4章 南北の拮抗 北朝vs南朝
漢王朝が滅亡すると、魏・呉・蜀の三国鼎立を経て、晋による一時的な統一の後、華北と華南に王朝が対峙する南北朝の時代になりました。華北では、北方民族が支配する王朝が続き、仏教文化が隆盛するとともに、間断なく流入する外来文化と伝統的な中原文化が融合し、従来の中国にはみられなかった清新な正統を自負する中で、文化の爛熟期を迎えました。また、北朝や外来の刺激に誘発されて、俑や陶磁器の様式に見られるように、伝統からの脱却を図ろうとする機運も芽生えてきました。北朝の大同(山西省大同市)、南朝の建康(江蘇省南京市)というこの時代の中心地域から発見された文物に焦点を当て、南北相互の交流も視野に入れつつ、動乱期の南北でそれぞれの道を歩んだ中国文化変遷の様相を対比します。
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第5章 世界帝国の出現 長安vs洛陽
南北朝の対立を終息させた隋の後を受け、再び中国全土を平定した唐は、皇帝を頂点とし、その下に文武百官を秩序正しく位置づけ、地方の隅々まで行政機構を整備するなど、強大な帝国を築き上げました。近隣諸国はもとより、遠く地中海沿岸地域からも入貢(外国の使者が貢物をもって入朝すること)が相継ぎ、諸外国との交流も空前の活況をみました。この時代の都であった長安(陝西省西安市)には、常時1万人もの外国人が暮らしていたといわれ、かつてないほど国際色に富んだ華麗な文化が開花しました。副都として位置づけられた洛陽(河南省洛陽市)も、長安と同様、殷賑をきわめ、諸々の芸術活動が華々しく展開し、また、龍門石窟に代表されるように、仏教や道教の造像も隆盛をきわめました。この時代の息吹を象徴する西安と洛陽という二つの都の文物を取り上げ、唐文化の特質と中国文化史上における意義を探ります。
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第6章 近世の胎動 遼vs宋
唐が滅びた後、五代十国という小国が興亡した乱世となりましたが、それを収めたのが宋王朝です。時を同じくして、中国北部では契丹族が勢力を伸ばして遼王朝をうち建て、南方へと進出し、やがて宋を圧迫するようになりました。遼は、漢族の伝統文化や仏教文化の影響を強く受けながら、そこに民族的な要素を溶け合わせて、金銀器や石彫に顕著に見られるように、奔放な力強さにあふれた独特の文化を生み出しました。一方、宋では、漢族の伝統文化を深化させて、書画や陶磁器に代表されるように、深い精神性を備えた新たな境地を切り開き、中国文化の一つの頂点を現出しました。近世の胎動期ともいえるこの時代の南北の文物を対比し、中国文化の多様性と奥深さを眺めてみます。
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展覧会場



展示作品







特別出品「阿育王塔」(一級文物)

銀製・鍍金(内部は木組) 北宋時代・大中祥符4年 高119

江蘇省南京市長千寺地宮出土 南京市博物館

南京市の古刹・長千寺の地下から近年出土した新発見の仏塔です。高さが優に1mを超え、この種の遺品の中では最大のものです。阿育王塔は、古代インドのアショカ王(阿育王)が八万四千の仏塔を造立したいという古寺にちなんだものですが、ここに見る形式は、五代(呉越)の銭弘俶が制作させた八万四千塔に倣ったものとみられます。ただし、銭弘俶の仏塔は、高さが30cm内外にとどまり、このような巨大な作例は一つもありません。他を圧倒する大きさ、細部まで克明に表現され、バラエティに富んだ図像、仏骨をはじめとする珍奇で多彩な副葬品など、どれをとってもこの種の仏塔としては規格外の規模と優れた出来映えを誇ります。そのため、中国の関係者は、これを「塔王」(仏塔の王様)と称し、驚異と賛嘆の念をもって接しています。今回、中国政府の特別な計らいにより、地元の南京市以外では始めて公開の運びとなりました。圧倒的な存在感を放つ破格の仏と羽野姿を目の当たりにする、絶好の機会となるでしょう。



日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年

特別展「中国 王朝の至宝」

13億以上の人口を持ち、世界で4番目に広い国土を持つ中国。現在も50を越える民族を抱えながら、巨大な国家として6千年ともいわれる歴史を現代につなげています。黄河や長江といった大河の恵みのもとで高度な文明を発展させてきた中国では、他国にはない独自の文化や思想が脈々と受け継がれてきました。そして、それは私たち日本人の精神的・文化的ルーツにもつながっています。本展では、中国に誕生した歴代王朝の都ないし中心地域に焦点を当て、それぞれの地域の特色ある文物を対比しながら展示し、多元的でダイナミックに展開してきた中国文化の核心に迫ります。国宝級の「一級文物」約60%というスケールで貴重な文物168件をご紹介します。


「東京国立博物館」ホームページ


とんとん・にっき-tyu8 「金製仮面」(一級文物)
金製 殷~西周時代・前12-10世紀

幅4.9cm
四川省成都市金沙遺跡出土
成都金沙遺址博物館蔵
金の薄板を巧みに加工して、

神か人かの顔を表す。
古代蜀文化の代表的な作品。

ガチャガチャで当たりました!




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二瓶哲也の「最後のうるう年」を読んだ!

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二瓶哲也の「最後のうるう年」(「文學界」2012年12月号)を読みました。第115回文學界新人賞受賞作です。いつもなら「選評」を読んでから受賞作を読むのですが、今回はまったく予断なく一気に読み終わりました。二瓶哲也は略歴によると、1968年6月4日生まれ、44歳、新潟県出身、高校卒業、現在、無職、東京都在住、とあります。「最後のうるう年」は、候補作の中でいちばん文章がしっかりしていて、安定感がある。出て来る男たちがうまく書く分けられていて、いやったらしいところを含め魅力がある。性風俗業内の閉じた感じも、そこでの強者弱者のありようもよくわかる、と選考委員の角田光代は選評で述べています。


来週一杯で9年間務めた印刷会社を退職する手筈になっている主人公。渋滞した車の中で、20年近く前に渋谷で一緒に働いていた小笠原を、偶然見かけます。小笠原は自分の中では思い出すこともない、過去の人間になっていました。記憶は20年近くも前の、不安定なアルバイト時代、人生を掌握しようともがいていた時代のことです。小笠原だけではなく、あの頃出会った人間たちは本当に存在したのだろうか、風化し色褪せた輪郭を失いつつある記憶をたぐりよせ、自分勝手に縫合を開始します。


1992年8月、19歳の主人公・三村は、渋谷の円山町のホテル街で、指定のホテルに女の子を送り迎えする仕事をしていました。昼10時から夜7時までの早番シフトで、同僚は小笠原さんとテラさん。自分はスポーツ新聞の「高収入バイト」欄を見てこの仕事に就きました。この店の経営者は他に2軒のデートクラブと愛人バンク、道玄坂のマンションで個室風俗店を経営しているらしい。集金係は吉成という名前だが、誰もが陰でナリポンと呼んでいました。


いつもどおり事務所待機の仕事で朝9時半に出勤すると、引き継ぎメモには「小笠原 休み」と書かれていました。テラさんは事務所に住み込みで働いていて、朝11時の営業開始から翌日の朝4時まで電話番をしていました。インターフォンが鳴り、受話器を取ると「エバラですけど」と男の声がしました。「早番のヘルプに出ろ」と言われたという。小笠原さんの代わりらしい。チェーンを外し、解錠しドアを開けると、丸刈りで目の細い男が立っていました。何度か事務所で見かけたことがあります。「自分、早番の三村。よろしく」というと、エバラは無言で会釈しました。


ヒカルさんをホテルへ送り返ってくると、エバラはアサコさんと話し込んでいました。アサコさんは元小学校の教師で、10月に結婚を控えていました。結婚が決まってから、働き始めたのだという。その了見が理解できなかった。二人の会話を聞くとはなしに聞いていると、アサコさんはエバラを納得させようと必死に話しています。一方エバラは、淡々とした口調でことごとく覆していました。会話の内容は尾崎豊という歌手についてだと判明しました。自分とエバラは交互に送りに出ました。夕方、事務所に小笠原さんから電話が入り、体調が戻り明日は出勤できるということでした。「小笠原のずる欠は、今日一日だってさ」とテラさんが笑います。


ホテルから女の子を連れて帰ってくると、マンションのエントランスでエバラとすれ違いました。「お疲れさん」と声を掛け事務所に戻り、日払いの給料を貰います。急いで事務所を出ると、マンション前の路地の電柱脇に、エバラが立っていました。「俺、今日で仕事最後でさ。首だよ。女たちから苦情が出たんだってさ。一日だったけど、世話になったから一応報告しとこうと思って」と、エバラは言います。渋谷駅までこれといった会話はなかったが一緒に歩きます。山手線に乗り、池袋まで来たときエバラは「少し飲んでいかないか?」という。ほとんど接点のない人間だったが、なぜ承諾したのか自分でも分からなかった。


巣鴨に降り立ち、エバラの行きつけのキャバクラへ入りました。エバラはシオンという女の子を指名します。髪の長い凡庸な顔つきの子でした。エバラは「この前、話した本、読んだ?」とシオンに言う。「人生を変えてくれるような本って、なかなか存在しない。仮に存在しても、うまく出会える可能性は少ない。たとえ本が両手を拡げて俺たちを歓迎していても、俺たち自身が気づかずに通り過ぎてしまう。それはお互いにとって、あまりにも不幸なことだ」。エバラは氷が溶けきって薄くなった水割りを飲みながら言った。彼の風貌からは想像し難い語彙に、自分は強い違和感を覚えました。


駅へ向かう短い時間、エバラは小説について熱っぽく語りました。熱弁に収まりがつかなくなり、コンビニで買ってきた酒を公園で飲みながら、エバラは相変わらず小説の話ばかりしました。「ほんと好きなんだな」と半ば呆れながら言うと、「好きっていうより、小説は多種多様な人生を考えさせてくれる。一人の人間が多様な人生を歩むことは不可能だろ。人生ってものを色んな側面から考えることが好きなんだ」と、エバラは言います。やがて酒も尽きて、自分は帰ることにしました。「また飲もうぜ。電話番号教えとく」とエバラがいった。その翌日、財布の中身を整理し、どうせ二度と会うことはないと思い、エバラの電話番号も捨てました。


巣鴨で飲んでから1年近く経った頃、エバラから連絡が来ました。池袋あたりで飲まないかと誘われ、報告したいことがあるのだという。池袋の西口にある居酒屋で落ち合い、互いの近況報告の後、「小説が一次審査を通ったんだ」という。雑誌を取り出し、開いてこまごまと人名が並んでいる箇所を指します。自分は始めてエバラという名の漢字が「荏原」だったことを知ります。小説は一次審査は通過したが、二次審査で落選していました。「自分で言うのもなんだけど、一時を通過したってことは、ある程度の才能があるってことだと思うんだ。もっとテクニックを磨いて、次は大賞を取る」とエバラは意気込みます。


エバラは袋から紙の束を出し、「読んでみてくれよ」と、一次審査を通過したという原稿のコピーを出します。題名は「最後のうるう年」、群馬県の温泉町で私生児として誕生した男が上京し、そこで出会う人々との日常を淡々と綴った内容でした。「うるう年ってのは、1年を365日とする太陽暦と、地球の公転周期の差異を埋めるためにある。つまり暦の微修正だ。人生にもそんな修正の時が必要な気がするんだ。そして、その修正が自分の人生にとって最後の修正で、後はうまく進んでほしい。そんなつもりで付けたんだ」と、エバラは言います。これ以後、エバラは煩雑に連絡を寄こすようになり、習作の短篇などを読まされました。


2月に入って栗栖という店長がやってきました。五反田の風俗店で長年店長をしていたというベテランでした。「そんな恰好で、いままで仕事をしてきたのか。客商売だぞ、明日からネクタイをしろや」と言われ、受付部屋を掃除し出した。プレイルームを見て回り、「これが女の子の住んでる部屋か、ここは客を通す部屋だぞ」と言われ、念入りに掃除をさせられます。それが済むと、電話応対のロールプレイング、言葉遣い一つ一つに栗栖の指示が入ります。以後の仕事は苦痛でしかなかった。自分も限界だった。そして楽園を去ることにしました。


自分が店を辞めたのとほぼ時を同じくして、小笠原さんも仕事を辞めました。貯金があるので、しばらくは何もせずに暮らすのだという。自分は毎月の家賃に追われる身なので、新しく池袋にあるカフェバーに勤めることになりました。同僚の上海から来た中国人、周さんがいろいろとアドバイスをしてくれます。小笠原さんも時々、店に来てくれます。キャバクラ嬢だった笹森さんと交際を始めますが、程なくして分かれます。久し振りにエバラから電話があり、店に現れたエバラは、青々とした坊主頭になっていた。「三村しか読んでくれる奴がいないから」とエバラは言って、原稿を取り出します。


雨の降る中、店の外で待っていたエバラは「三村に話しておこうと思ってさ」と言い「修行の道に進もうと思っているのだと、話します。「仲間は大勢いる」そう言って、エバラは修行する団体の名称と主宰者の名前を挙げました。年が明けた早々、関西方面で巨大な地震が発生した。さらに3月、地下鉄の数ヶ所でサリンと呼ばれる猛毒ガスが何者かたちによって散布され、多くの死者、負傷者を出すテロ事件が勃発した。後日、事件への関与が報道された団体と主宰者は、あの夜エバラから聞いた名前だった。


三村から聞いた話を勝手に繋ぎ合わせ、膨らませ、脚色した架空の三村の記憶に。自分はとうの昔に小説創作を諦めたが、不意に昔の癖がでて勝手に物語を作ってしまう。人は変われないものなのかもしれない。元来持っている伸び代の中で、多少の変化を繰り返すだけに違いない。今、三村はどうしているだろう。地下鉄サリン事件が起きた直後、自分が働いていた製パン工場に三村から連絡があった。安否を心配しての電話だった。自分が事件に関与していないか確認の意味もあったのだろう。結局、自分はあの教壇には参加しなかった。今となっては、なぜ修行という妄想に憑かれていたのか自分でもわからない。


角田光代の選評を続けよう。ラストで視点の入れ替えがあり、これは賛否両論だったが、私はこのようにしてよかったと思う。小説などに魅せられなければ異なった20年があったはずで、そのことを荏原自身が何より理解している、その寂寥を感じたのだ。小説など読まない人生の幸福、小説など書かない人生の幸福についてしばし考えてしまった。


また同じく選考委員の吉田修一は、少し長いが、以下のように絶賛しています。この作品(Loserもの)が他の作品と一線を画すのは、登場人物、会話、構成それら全てから(隠しようもなく)滲み出てくる敗北感の強さである。決して味わいたくはないが、思わず嫉妬してしまうほどの敗北感がこの作品には満ちている。主人公は一度だけ新人賞の一次審査を通過したことのある小説家志望の青年であり、またその後の中年である。この間に流れる20年という途方もない時間を、男は「もしかすると小説家になれるかもしれない」という微かな期待だけを頼りに生きる。


「期待」ほど、人生に邪魔なものはない。これさえなければ、容易に別の道が開けることもある。だが男は諦めない。死にものぐるいで食らいつく。「これでダメだったら、きっぱり足を洗うつもりだった」という言葉は、各分野で日の目を見た人たちがよく口にする言葉だが、この「最後のうるう年」からは、そういった最後の賭に出た作者の覚悟が感じられた。そして選考委員として、その覚悟に賭けてみたくなった。諦めない者は無様だが、諦めない者にしか見えない世界がある、と信じたい。



高橋陽子の「黄金の庭」を読んだ!

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高橋陽子の「黄金の庭」(「すばる」11月号)を読みました。第36回すばる文学賞受賞作です。読んだのは新庄耕の「狭小住宅」を読んだすぐ後でしたから、もう2週間ほど前のことになります。同じ第36回すばる文学賞を同時に受賞した新庄耕の「狭小住宅」は、朝日新聞紙上で松浦寿輝が「文芸時評」で取り上げて絶賛していましたが、高橋陽子の「黄金の庭」については、まったくふれられてませんでした。松浦寿輝は、文學界新人賞の選考委員でした。驚いたことに、角田光代はなんと、文學界新人賞とすばる文学賞、両方の選考委員でもありました。


さてすばる文学賞の方、選考委員の高橋源一郎は「今回の候補作は、お世辞じゃなく、みんな面白かった。読みながら、選考しなきゃいけないってことを忘れるぐらいだった」と書いています。


「黄金の庭」は、「黄金にきらきら光る直径1mぐらいの玉が頭上にあって、わたしはそれに手を伸ばすのだけれど、あとちょっとのところで届かず、ジャンプしたら玉に頭がぶつかって、痛いなあと目が覚めたらベッドのヘッドボードにしたたか頭をぶつけていた」と、始まります。これは元旦の朝のことですが、もうこの時点で「へん」な小説だなという感じがちょっと出ています。選考委員の江國香織は、「ぬけぬけとしたところがよかったです。ちょっとへんな小説で、『へん』というのは小説においてそれ自体が美質です」と評し、受賞に賛成しています。


寒いベランダでパジャマのまま外を眺めていると、「青奈ちゃん、お雑煮できたよ」と2階に上がってきた那津男が声をかけます。那津男もちょっと「へん」で、ボロボロになった熊のぬいぐるみ「マルちゃん」を異常に偏愛しています。お雑煮を食べていると、青奈はなんとはなしにさみしい気持ちになりました。去年一杯で長年やってきた仕事を辞めてしまったのですが、あてにしていた新しい仕事が立ち消えになってしまったからです。「お雑煮食べたら、お参りにいこうよ」と那津男に言われ、青奈はつとめて明るい声で「うん」と返事をします。


2人が1ヶ月前に越してきた町の名前は「黄金町」。住んでいるのは築50年の古い一軒家、那津男の兄の親友の持ち物で、3年の海外赴任に際して家を格安で貸してくれるというので越してきました。家庭教師をしている那津男の通勤にも便利で、家賃は格安で商店街は近いし、2人にとって申し分のない町でした。お隣の坂本さんなどは異様に腰が低く、朝会ったときに頭を下げるとこっちよりもさらに低く頭をさげます。この町の人は子どもも知らない人なのに挨拶してくるし、礼儀正しい町という印象です。


黄金寺に行くと、晴れ着を着た人で賑わっています。寺のご本尊に目をやると、大きな赤い顔をした閻魔様でした。「元旦に閻魔様にお参りっていいわけ?」と言うと、「いいんじゃない?みんなもお参りしてんだし」と那津男は言います。突然きゃーという声が後から聞こえて振り返ると、寺の門あたりにいた若い女の人の着物が赤く汚れているのが目に入りました。よくよく目をこらすと、11、2歳ほどの男の子が筆のようなものを振り回して、通りかかった人に絵の具だろうか赤い色をつけて回っています。


わたしたちがなにか言おうと顔を見合わせたとき、「こら」と言って、巨大な男の人が男の子の右手を掴んで引っ張り上げました。よくみると閻魔様が男の子を引っ張り上げたのでした。男の子がじたばたして、その手から逃れようとするのを閻魔様はさらに高くかかげ、男の子をえいと住宅街の向こうに投げ飛ばしました。閻魔様は満足そうにして、お堂に戻っていき、人々もなにもなかったかのように参拝の列に加わったり、あるいは帰って行きました。


那津男の実家に新年の挨拶に行くと、すでに那津男の兄家族が来て、両親と酒を酌み交わしていました。青奈が嫁らしくおとなしく座っていると兄嫁が「お仕事お忙しいの?」などと青奈の顔をのぞき込みます。「邦夫くんはいくつになったんですか」と話題を変えると、「もうすぐいつつよ。青奈さんも子どもは早いうちがいいわよ」などと言われてしまいます。しまった、と思ってもあとの祭りで、姑も「仕事はいつでもできるけど、子どもはそうはいかないんだから。結婚して3年も経つんだからそろそろ」と言われてしまいます。


我が家のある黄金町に帰ってきたのはもう12時を回った頃、見上げたら三日月でそこに羽衣をまとった天女が3人ほど月の明かりで踊っていました。真夜中の黄金町の住宅街は静かで、自分たちの足音と、ときおり犬の遠吠えしか聞こえません。犬の遠吠えが近くなって身の危険を感じて振り返ると、昼間寺にいた赤い絵の具の男の子が、犬の遠吠えのような声を発しながらこちらに走ってくるところでした。「あのガキ、なんかやばいね」「閻魔様に投げられても平気だし、不死身かもね」、青奈がそう言うとむこうからまた犬の遠吠えが聞こえてきました。


駅前はいつも日曜に広場の周囲を囲むように露店がでて、敷物を敷いて若い人が古着を出したりしているので、今日もやっているかもしれないと思い、広場へいきました。思った通り市がたって、賑わっていました。アクセサリーを売る店があったので、ひやかそうと近づくと、天然石をあしらったピアスやネックレスが売られていました。「おねえさん。顔に凶がでてるよ」、え、と顔を上げると背中までとどく髪の長い売り子の男が青奈を見ています。「凶運を回避するにはこの黒水晶がいいね」と、黒い玉のブレスレットを手渡します。値段を見ると2万を超えていました。「jこれで凶運が回避できるなら安いもんだと思うけどね」、ひひ、とその男は笑います。


無言でそこを去ろうとすると、後から「ねえさん、仕事にあぶれたんだろ。仕事するかい?」と言い、「ライフコーディネーター 千寿寛治」と書いてある名刺をもらいます。次の日、那津男に名刺を見せると、「なんか怪しくない?」と言う。「怪しいけど、暇だから少しだけ話し聞いてくる」と言って、青奈は家を出ます。広場に行くとロン毛で落武者みたいな千寿寛治はいました。「じゃ、いこうか」と言って広場の先のプレハブのちゃちな建物に入ります。「千寿インフォメーションセンター」という看板がかかげてありました。


「あんた、名前なんていうの」と聞かれて名乗ると、じゃあイモでいいなという。青奈がむっとすると、「アオナを食べるのは芋虫じゃんかよ」と言う。「発想貧し過ぎですよ」と文句を言うと「名前なんかどうでもいいんだよ。俺のことも千ちゃんでいいよ」、そして「この子はダイヤでいいから」とカウンターにいる女の子を指して言います。この子は千寿寛治の恋人か奥さんなんだと気がついて、なんとなくふたりの雰囲気が似ていることに納得します。


千ちゃんが「あんた、なにができる?」といきなり青奈に聞きます。「仕事は自分で作る。それをプレゼンできなきゃ、生き残っていけないの」と言います。「うちの会社、なんでもござれよ。この町の案内もするし、人の恋路の手助けもする。かと思えば仕事のアイデアだって考えるし、オーダーがあれば大企業の企業秘密だって探っちゃう」、「とにかく、あんたのできることがここでは仕事になるわけよ」。「じゃあさ、今度までにあんたも自分でなにがしたいのか、考えておいてよ、明後日まで」、ありがとうございます、と頭を下げて、青奈はスキップしながら家に帰りました。


那津男が帰ってくると「すっごくいい話しみたいよ」とまくしたてます。「青奈ちゃんがすっごくいい話っていうとろくなことがないじゃない」と疲れた顔の那津男は言う。「そんなことないよ。千ちゃんだってああみえて意外に信用できそうだし」と青奈が言うと、那津男は怪訝な顔をして、誰その千ちゃんて、というから千寿寛治、と答えると、あのライフコーディネーター?というので、そうだというと、ますます険しい顔をしました。「青奈ちゃんって簡単に人のこと信用しすぎるところがあるよね。べつにうちは贅沢しなきゃそんなに経済逼迫してないんだからさ、無理して働かなくてもいいんだからね」。


庭に洗濯物を干していたことに気がついて取り込んでいると、どこから入ってきたのか、いつかの悪魔みたいな子どもが庭にいて驚愕します。汚れた顔はにやにや笑っていました。どうしようと考えていると、その子どもは目にもとまらぬ速さで庭に植えていた水仙をドンドン引き抜いて踏みにじります。それと同時に聞いたこともない恐ろしい声で笑うので、青奈は腰が抜けてしまいました。庭の一角にあった水仙を全て踏みにじると、その子どもはにやりと笑い、韋駄天のようにどこかえ消えてしまいました。「明日、千ちゃんにあうから、あの子のこときてみる」。


インフォメーションセンターへ行き、千ちゃんが来るまでダイヤさんと話して時間を潰します。「千ちゃんってどういう仕事をしてるんですか?」と聞くと、「千ちゃんの仕事は路上販売とここの運営が主だけど、ライフワークは人助けっていうのかしらね」とダイヤさんは言います。そんな話しをしていると、千ちゃんが偉そうな顔で事務所の扉を開けます。「この町に変な子どもいますよね」と聞くと、「ああ、アーちゃんのことか」と言い、「アーちゃんにはある摂理があって、それに準じてる。だからもうアーちゃんに会ったら、しかたがないって肝すえるしかないの。どこに住んでるのかもみんな知らないし神出鬼没なの」とも千ちゃんは言う。


商店街をおおかた見尽くしたので帰ろうとすると、大黒質店という立て看板がありました。青奈は、なんだか気になって、そちらの方に歩いていきました。それらしい店が見えてきました。最近はブランド品を気軽にやり取りする店になっているところが多いので、引き戸をあけてみました。「なにかお探しですか?」と店主らしきおじさんが言う。ふと、アクセサリーの収めてあるガラスケースの中の、楕円のオパールの指輪が目に入りました。「このオパールはおしゃべりオパールと言いましてね、あることないことあなたにしゃべりますよ」、青奈はこの指輪が欲しくなり、20万という指輪についているタグを見て思わず溜め息が出ました。「あんた、いいセンスしているよ。20万円じゃお買い得だよ。買っておきな」と指輪は言います。それから銀行に行き、20万円を下ろし、大黒質店へ行き、ついに青奈はおしゃべりオパールを手に入れました。


選考委員の奥泉光は、「描かれる不可思議な街の風俗や歴史や住人の姿に、芯の抜けたような緊密さを書いた文章が適合的で、ファンタジーの音調を響かせることに成功している」とし、「物語らしい物語がないままに自立した虚構世界を構築したセンスには見るべき者があり、受賞作にすることに積極的に賛成した」と述べています。


また高橋源一郎は、「最初のうちは、冴えない小説だなあと思いながら読んでいたら、突然、主人公が買った指輪のオパールがしゃべり出して、びっくりした。さらにびっくりしたのは、そんな異常事態が起こったのに、主人公がまるでびっくりしないことだった。主人公(の女性)がやって来た、その『黄金町』では、さまざまな不思議な(超常的な)出来事が起こる。けれども、そこには、ファンタジーやSFでのような『驚き』がかけている。異様な事件は、ひたすらのんべんだらりとした日常(とそれを保証している文体)の上で起こるのである。この作品は、小説としかいいようがないなにかだ。小説に対して、それ以上のものを望む必要はないのである」と述べています。


「わたしはそりゃ、千ちゃんのことちょっといいなと思っていたわけで、それが千ちゃんに通じないはずもなかったし、自分にも責任はあるんだけど、じっさい那津男と別れて千ちゃんと一緒になるなんていう冒険はわたしにはできず、それはいろいろな意味でだけど、へたれといえばそうかもしれないけど、たとえばそこにはダイヤさんも含まれているわけで、いろんなことをぶっちぎってまで一緒になりたいかといわれると、やっぱりそれは躊躇され、那津男への愛がそうさせるのかというと、それはそんなんだろうな、などと自分の気持ちをいまさらながら確認する。」



以下、芥川賞候補作になるんじゃないかと思われる作品?

すばる11月号「すばる文学賞」受賞作から2作

文学界12月号「文学界新人賞」受賞作から2作

高橋陽子の「黄金の庭」を読んだ!

二瓶哲也の「最後のうるう年」を読んだ!
http://ameblo.jp/tonton3/entry-11401890145.html
守山忍の「隙間」を読んだ!
http://ameblo.jp/tonton3/entry-11401888966.html
新庄耕の「狭小住宅」を読んだ!
http://ameblo.jp/tonton3/entry-11394415543.html

世田谷美術館へ

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行ってきました、松本竣介展初日!


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「アート好きによるアート好きのための図録放出会vol.2」へ行ってきました!

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第2回アート好きによるアート好きのための図録放出会


昨年に引き続き、アート好きによるアート好きのためのチャリティーイベント「図録放出会」(art circle)vol.2が開催されました。


開催日:2012年11月23日(金・祝) 
開催時間:12:00~18:00
会場:BoConcept(ボーコンセプト)新宿店 BoConceptサイト 
東京都新宿区新宿3-32-10


今日はなにはともあれ、世田谷美術館の「生誕100年 松本竣介展」へ行くこと、小雨降る中、行ってきましたよ。鎌倉近代美術館葉山に続いて2回目でした。初日でしたので客足はどうかと思いましたが、やはり出足は少々寂しい感じでした。やはり会場が違うと、同じ松本竣介の作品でも、違って見えるから不思議です。世田美の特徴ある半円形の展示スペースに何が展示されるか、気になっていましたが「さすが」でした。


帰りにバスに乗ったら、なんと静嘉堂文庫の前を通りましたので、すかさず降りて静嘉堂文庫美術館で「岩崎彌之助のまなざし」を観て来ちゃいました。近いうちに行くつもりだったのでラッキーでした。小さい美術館、会期末が迫っていることもあり、いつもよりはお客さんは多かったように思います。


そして東急田園都市線で二子玉川から渋谷へ、副都心線で新宿3丁目へと出ました。案の定、というか、やっぱり、というか、ビニール傘ではなく、家人に買って貰ったちゃんとした傘を、電車の中に置き忘れてしまいました。まあ、それはいいとして、いや、よくないか、家に帰ってからこっぴどく叱られましたよ。


「図録放出会」、いや、盛況でした。主催者のTakさんやはろるどさんに挨拶してから、会場を見渡すと、去年と比べるとかなり広い。今回は放出される図録も数が多く、かつ見やすく配置されていました。ほとんどの図録が一律1000円、なかには500円の図録もありました。なんとフェルメール・コーナーまで設けられていました。僕も丹念に探しましたが、残念ながらほとんど持っているものばかり。


フェルメール関連の図録は早々に売り切れ、まだ売れていないものを見つけて、1冊購入しました。表紙がフェルメールの「レースを編む女」の図録です。2009年2月から6月にかけて、西洋美術館で開催された「ルーブル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画」で、僕は見逃していたものです。





過去の関連記事:

「アート好きによるアート好きのための図録放出会vol.1」へ行ってきました!


岡田温司の「アダムとイヴ」を読んだ!

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岡田温司の「アダムとイヴ 語り継がれる『中心の神話』」(中公新書:2012年10月25日発行)を読みました。岡田温司の中公新書は4冊目、これまで「マグダラのマリア」、「処女懐胎」、「キリストの身体」を読みました。また、岩波新書では2冊、「デスマスク」と「グランドツアー」を読みました。彼の著作を読む旅に、自分がいかに何も知らなかったのだ、ということを思い知らされ、忸怩たる思いがします。近年、次々と著作を出し、最も脂が乗り切っているように見えます。岡田温司の略歴をみると、1954年生まれ、京都大学大学院博士課程修了、京都大学教授、とあります。


本のカバー裏には、以下のようにあります。

「旧約聖書」に登場する、最初の人間アダムとイヴ。二人の名前は「禁断の木の実」「楽園追放」などのキーワードとともに語られ、日本人にとっても馴染み深い。しかし彼らの物語から生まれた、文化、思想、文学・美術作品の多様さは、私たちの想像を遙かに超えるものがある。本書では、美術史的な解説・解釈にとどまらず、アダムとイヴが歴史上いかに語られ、いかに現代社会に影響を及ぼしてきたかを探っていく。


この本の口絵に載っている画像を一部、下に載せておきます。


以下に、本書「アダムとイヴ」の目次を載せておきます。

第Ⅰ章 人間の創造

第Ⅱ章 エデンの園

第Ⅲ章 原罪と追放

第Ⅳ章 エデンの東


岡田は、アダムとイヴについてはずっと心のどこかに引っかかっていた、という。そして、以下のように書いています。「この神話は、西洋の宗教から科学、政治から社会、思想から文化、文学から芸術まで、およそあらゆる領域にまたがって浸透し、根底で生きつづけてきた、まさしく『神話の中の神話』だからである」と。


上の「目次」にみる通り、書かれていることは、知っているようで実は知らないことばかりです。たとえば「エデンの東」。ジェームズ・ディーンが主演した映画「エデンの東」は誰でも知っており、僕も何度か見たことがあります。ジョン・スタインベックが「エデンの東」の原作者であることも、読んではいなくても知ってはいます。しかし、その中心となる話は、2人の子供カインとアベルの話、兄カインが弟アベルを殺害してしまうという、兄弟殺しの話です。「エデンの東」と「カインとアベル」の話を別々には知っていても、結びつかない。「カインの末裔」という話も聞いたことがありますが、結びつかない。


岡田によると、カインとアベルは私たちの心の二つの面を象徴している、という。このことは二人の名前にも反映している。カインは「所有」という意味であり、それゆえこの男は、すべてを自分のものにできると過信している人間の代名詞である。他方アベルは、「神に(すべてを)もたらす者」という意味を持つ。こうしたことまでは、僕らには言われるまでわかりません。「エデンの東」と「カインとアベル」は、一つの例です。「アダムとイヴ、どちらがより罪深いのか?」という論の立て方も面白く読みました。もちろん「創世記」をしっかり読んで、理解している人は別ですけど、僕らのような凡人にはなかなか知り得ないことばかりです。


過去の関連記事:

岡田温司の「デスマスク」を読んだ!
岡田温司の「グランドツアー・18世紀イタリアへの旅」を読んだ!
岡田温司の「キリストの身体」を読んだ!
岡田温司の「処女懐胎」を読む!
「マグダラのマリア」を読む!

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