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「秋田市立赤れんが郷土館」を観た!

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「秋田市立赤れんが郷土館」を観てきました。観に行ったのは11月6日(水)でした。思っていた以上に素晴らしく、見どころが随所にある建物でした。また、建物だけではなく、そこで開催されていた展覧会は、それぞれ興味深く、質が高い展覧会でした。これらの展覧会については、ここではチラシのみ取り上げています。


外部設計者 山口直昭

安政3年(1856)生まれ。明治15年(1882)工部美術学校彫刻科卒業。その後、内務省土木局や台湾総督府民政局などを経て、明治35年(1902)から38年(1905)、同41年(1908)から43年(1910)にかけて秋田県技師を務めました。明治38年に竣工した秋田県公会堂の建築に関わっているほか、東宮御所(赤坂離宮)の建築にも参加しています。


内部設計者 星野男三郎

明治2年(1869)生まれ。明治31年(1898)東京帝国大学工科大学建築科卒業。その後、星野工業事務所建築技師として日光廟の塗装修理工事に参加しました。明治45年(1912)7月7日の旧秋田銀行本店の竣工記念式典には、東京星野工業主張として来秋しています。


秋田市立赤れんが郷土館・外観

(旧秋田銀行本店本館)

平成6年国指定重要文化財

旧秋田銀行本店根幹として建てられた「赤れんが館」は、明治42年(1909)6月に着工、同45年7月に完成した洋風建築の建物です。昭和44年(1969)3月まで銀行の営業店舗として使用され、長い間秋田市民に親しまれてきました。鉄筋コンクリート時代に入ろうとする直前の明治末期の赤煉瓦の建物として、全国的にも高く評価されています。


昭和56年(1981)5月、秋田銀行創業100周年および秋田市制施行90周年を記念して秋田銀行から秋田市に寄贈され、翌57年(1982)にかけて、明治を代表する洋風建築物を後世に伝えるための修復工事を行い、昭和60年(1985)「秋田市立赤れんが郷土館」として開館しました。平成6年(1994)には国の重要文化財に指定されています。


建物の外観の特徴は、以下の通りです。

れんが造り2階建の建物の外観は、ルネサンス様式(建物正面両端の円筒状構造はイギリス・ルネサンス様式、わずかに張り出した入口などはイタリア・ルネサンス様式)を取り入れています。外壁は、2階が赤い化粧煉瓦、1階が白い磁器タイルという、赤と白のコントラストが非常に美しいもので、それぞれ裏積み煉瓦の外側に積み上げ仕上げています。屋根は宮城県産の玄昌石、土台は男鹿石の切石積みです。




旧秋田銀行本店本館・内部

吹き抜けの営業室

建物の内部は、花かご、月桂樹、唐草文様、卵舌文様のモールディング(縁飾り)など複雑に組み合わされた装飾は、バロックの手法を取り入れた豪華なものです。暖炉や階段、営業室のカウンターや腰壁などに国産の大理石をふんだんに使用しています。




チムニーピース、ラジエーター等

冬期に室温を21℃に保つための暖房設備として、営業室には円筒放射状の鋳鉄ラジエーター(アメリカ製)が、その他確執には国産ラジエーターが備え付けられていました。暖炉の焚き口の周りや上部棚、煙道の部分に施される装飾は、部屋を特徴づける大切な要素です。





関谷四郎記念室

明治40年(1907)、秋田市に生まれた関谷四郎は市内の金銀細工店で修行を積み、昭和2年(1927)、20歳の春に上京し、鍛金家河内宗明の内弟子になりました。約10年の修行の末、昭和13年(1938)に師のもとを離れて独立、その後は作家として独自の道を歩み始めます。そして銀や銅など異なった金属を接合させる「接合(はぎあわ)せ」の技法を取り入れ、各展に多数の作品を発表。昭和52年(1977)には、国の重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝の指定をうけ、日本金工界に大きな業績を残しました。




とんとん・にっき-kita3 企画展

平田篤胤大人歿後170年記念展

―平田篤胤、今再び―

平成25年9月7日(土)~11月10日(日)

国学者

画像は「七生舞の図」江戸後期
とんとん・にっき-kita2 勝平得之記念館

版画家

絵・彫り・摺りの

3つの行程を一人で行う
とんとん・にっき-kita1 関谷四郎記念室
重要無形文化財保持者

「人間国宝」









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