おそらく最後の小説を、私は円熟したろう作家としてではなく、フクシマと原発事故のカタストロフィーに追い詰められる思いで書き続けた。しかし70歳で書いた若い人に希望を語る詩を新しく引用してしめくくったとも、死んだ友人たちに伝えたい。(著者)
大江健三郎の「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」(講談社:2013年10月24日第1刷発行)を読みました。
あなたが「最後の小説」というようなことを(幾度も聞いた気はするけど、70代半ばを過ぎて、それがナントカから出たマコトになるかも知れない時に)、また言い出しているのでもあり・・・と、妹のアサさんに揶揄されてもいますが・・・。大江の分身ともいえる長江古義人が主人公のシリーズの6作目となります。過去の5作は、知的障害を持つ息子の誕生から始まる「取り替え子(チェンジリング)」、そして前作の「水死」は父親の死がテーマでした。
「晩年様式集」は、大江の今までの作品の一つ一つを「解題?」、あるいは「絵解き?」をしているようなものにも感じられます。一度読んだだけでは伝わらなかったことなどを、丁寧に解説してくれていますので、僕のような読者には大いに分かり易い作品でした。古義人シリーズの6冊の作品の他に、「懐かしい年への手紙」、「空の怪物アグイー」、「個人的な体験」、「万延元年のフットボール」、「人生の親戚」、「新しい人よ眼ざめよ」、「『雨の木』を聴く女たち」、「M/Tと森のフシギの物語」、等々、大江作品のオンパレードです。
大江は、同い年のエドワード・W・サイードの死から始まります。円熟を拒み、破綻を恐れぬ小説家の態度にしか、時代に通じる新たな展開は望めないことを、彼に学んだという。「晩年様式集」は、私=長江は、執筆途中だった長篇小説に「3・11後」興味を失います。東京でも相当なものだった揺れに崩壊した書庫を整頓しながら、以前購入した「丸善のダックノート」に、思い立つことを書き始めます。また、四国の森の中に住んできた老年の妹が、自分と後2人(妻と娘)の人物はあなたに一面的な書き方で小説に描かれてきたことに不満を抱いている。3人の女は、あなたの小説への反論を書いたので、読んでもらいたいという。それらを合わせることで私家版の雑誌「晩年様式集+α」をつくるという設定で、話が進んでいきます。
妹、妻、娘のタッグを組んだ3人の容赦のない批判が、古義人に突きつけられます。「家庭を基盤にして、個人的なことから社会的な事まで小説にしてきた。・・・時どきそのこと自体を弁解したくなるノらしい」とか、「いまさら言うのも詮無い事ながら、モデルにされた家族からいえば、兄の小説はウソだらけだが・・・」とか、「兄の新しい小説が出るたびに、今度こそギー兄さんの死について本当の事をいう手紙が読めるのかと期待して、いつも裏切られてきた・・・」、等々。
大江はノンフィクション「ヒロシマ・ノート」(1965年)以来、一貫して「核」の危険を訴えてきました。大江は次のようにいいます。「自分に弁護しようがないのは、50数機の原発がある中で、大きい事故を人間は食い止められるという気持ちで暮らしてきたこと。その鈍感さ、中途半端さは救いようがありません」と。「晩年様式集」では、福島原発から拡がった放射性物質による汚染の現状を追う、テレビ特集を深夜まで見て、見終わった後2階へ上がっていく途中、階段の半ばの踊り場で立ち止まり、古義人はウーウー声を上げて泣きます。「われわれの生きている間に恢復させることはできない・・・この思いに圧倒されて、私は、衰えた泣き声をあげていたのだ」。
「パパがウーウー泣いていました!」と父親の泣き声について、魯迅の短編に由来する擬声語でいいます。息子は知的障害を持つが、音については敏感で、特殊な音、声音を聞いた場合、それを忘れないでいます。恥ずかしさから眠ったふりをしている私に、もう中年男の声音が露わでありながら、モノマネの語り口は止めないままで「大丈夫ですよ、大丈夫ですよ!夢だから、夢を見ているんですから!なんにも、ぜんぜん、恐くありません!夢ですから!」と、息子のアカリはかりは父にいいます。
大江の恩師でもある仏文学者の渡辺一夫、作曲家の武満徹、劇作家で小説家の井上ひさしら、個人をモデルとする人物が各所に顔を出します。映画監督の伊丹十三は大江の幼なじみであり、大江の妻の兄です。二人の関係とその死については、長江古義人と塙吾良として、吾良の愛人であったシマ浦を間に、とくに詳しく書かれています。「いまから考えてみると、あの50代を迎えたか、迎えようとしていたかの吾良と僕とが、一度か二度なにか特別な話し合いをしていれば、僕はかれともっとも親しかった時期を取り戻して、その付き合いがすっかり変わる、ということさえあったかも知れない」と、吾義人に述懐させています。
ギー・ジュニアとの対話の中で古義人は、「話が飛ぶけれど・・・」と前置きして、ベーコンの言葉を引用して、以下のようにいいます。電車で本を読んでいて、特別なことが起こる。その経験を僕は思うんだね。これは画家のフランシス・ベーコンの言葉だけれど、現実の人体を見て、またそれの正確な表現を見て、自分の奥底の「神経組織」が・・・きみの慣れている言葉だとnervous systemが突き刺さる。同じことが活字によって行われる。窓の外に目をやると、風景画これまで自分になかった観察のエネルギーをあたえられて、生きいきしている。そういうことがあるだろう?、と。
「原発ゼロ」を目指す自分らの考え方が、新聞の全面広告で示されます。福島原発事故が終わっていないこと。地下貯水槽からの大量の汚染水漏れ、汚染された地域の徐染が進まぬこと。そして日本中が被災地になる危険を、それは要約していました。新しい憲法が施行され、村は沸き立つようでもあったこと。「すべての国民は、個人として尊重されるという13条に、自分の生き方を教えられた気持ち。あれから66年、それを原理として生きてきた、と思う。外国人記者への質問に子義人は「もう残された日々は短いが、次の世代が生き延びうる世界を残す、そのことを倫理的根拠としてやっていくつもり、と答えます。
8年前、読売日本交響楽団に依頼され書き下ろした、千樫が「私はともかく希望が感じられる」といった「詩のごときもの」を最後に書き写して、「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」は“力強い肯定”で終わります。
否定性の確立とは、
なまなかの希望に対してはもとより、
いかなる絶望にも
同調せぬことだ・・・
(略)
小さなものらに、老人は答えたい、
私は生き直すことができない。しかし
私らは生き直すことができる。
2000年12月5日第1刷発行
著者:大江健三郎
発行所:株式会社講談社
「憂い顔の童子」
2002年9月25日第1刷発行
著者:大江健三郎
2005年9月29日第1刷発行
著者:大江健三郎
総毛立ちつ身まかりつ」
2007年11月20日発行
著者:大江健三郎
「水死」
2009年12月17日第1刷発行
著者:大江健三郎
発行所:株式会社講談社
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