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講演会シリーズ第8回「近代和風建築の保存と再生」を聞いた!

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武庫川女子大学東京センター主催の講演会シリーズ、第8回「近代和風建築の保存と再生」に参加してきました。


早いもので、武庫川女子大学の講演会シリーズも第8回を迎えました。なぜか、昨年から今年の初めに開催された第5回から第7回までの3回は、申し込んだと思っていたのですが、当たりませんでした。もしかしたら、ネットで申し込んだので、不備があったのかもしれません。いずれにせよ、是非とも参加したかった講演会だったので残念でした。会場で講演の内容をまとめた「講演会記録冊子 」を販売していたので、3冊購入してきました。


第5回 「前川國男の作品の保存と再生 」(2012年10月13日)
第6回 「F・L・ライトと遠藤新 」(2012年11月17日)
第7回 「丹下健三生誕100年 」(2013年5月18日)

さて、今回の講演会は、以下の通りです。


第8回「近代和風建築の保存と再生」

日時:平成25年9月21日13:00~

会場:日本工業倶楽部会館2階大会堂


講師:

○「洋風から見た近代和風建築」

 石田潤一郎氏

 (京都工芸繊維大学教授)

○「和風から見た近代和風建築」

 大川三雄氏

 (日本大学理学部教授)

○「歌舞伎座の歴史と第5期歌舞伎座における継承」

 野村和宣氏

 (株式会社三菱地所設計)

□趣旨説明

 岡崎甚幸

 (武庫川女子大学建築学科長、京大名誉教授)


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三菱地所設計の野村和宣氏による「歌舞伎座の歴史と第5期歌舞伎座における継承」についての記事は、昨日書いて載せてありますので、ここではメインのテーマである「近代和風建築の保存と再生」の方、「和風から見た近代和風建築」(日本大学理工学部:大川三雄教授)と、「洋風から見た近代和風建築」(京都工芸繊維大学教授:石田潤一郎教授)を、概要のみ以下に載せておきます。


「和風から見た近代和風建築」

講師:大川三雄氏(日本大学理工学部教授)


1.定義と研究の意義

・広義/近代という時代に作られた和風建築の総称=近代の和風建築

・狭義/技術・材料・意匠において近代性を有する和風建築=近代的な和風建築

・研究の意義/建築の近代化過程を伝統の側から問い直す作業。

  西欧の建築文化との出会いによる既存の建築文化の変容過程を考察する。


2.近代和風建築の二つの側面

1)洋風から見た近代和風/新しい“和風様式”を作る。

・「和風の様式化」/明治期、建築家による“和風”様式の追求

・「和風様式の展開」/大正~昭和戦前期、様々な建物類型への「応用

・「日本趣味建築への傾倒」/和風コンクリート造、耐震耐火、環境と用途


2)和風から見た近代和風建築

・伝統の継承・発展・展開/区別は明確に付け難い。

・建物類型/神社建築・寺院建築、民家(農家、町家)、旅館建築、和風大邸宅

・伝統的な外観意匠に隠された新技術、新材料、新設備、新しい起居形式

  トラス構造、ガラス戸、新しい設備、煉瓦や鉄材、メートル法、椅子式

・伝統意識の高まり/「古社寺保存法」(明治30年)と「国家保存法」(昭和4年)


・神社建築/国家神道の元での組織的展開。

  「神社制限図」/明治後期に神社規格の設定

・寺院建築/神社建築と比べる個別的。優れた堂営大工の存在

  世界最大規模の木造建築/技術、空間ともに最高峰。

  細部意匠にみる新しい感覚

  和風コンクリート造への挑戦

・民家(農家、町家)

・旅館建築

・近代和風大邸宅


3.皇室・皇族関係の近年の研究成果

・「皇室建築―内匠尞の人と作品」(鈴木博之監修、建築画報社2005年)

4.皇室・皇族邸宅の特徴

5.皇室及び皇族邸宅の事例

6.新興ブルジョアジーの邸宅


7.新興ブルジョアジーの邸宅に見る特徴

・第1期(明治初期~明治30年代)の特徴

・第2期(明治30年代~大正期)の特徴

・第3期(大正期~昭和戦前期)の特徴

8.新興ブルジョアジーの邸宅事例

・第1期の邸宅/和洋館並立の時代

・第2期の邸宅/モニュメンタルな和風表現

         /和風御殿の時代

・第3期の邸宅/数寄屋風邸宅の時代


9.まとめ/ブルジョアジーの和風大邸宅にみる特徴

1)明治中期以後の和洋館並列型の邸宅では、和館と洋館ともに招宴・接客の機能を有するものが多い。和館は、歌舞音曲や能楽、歌舞伎といった伝統芸能の場として、また蒐集した古美術の鑑賞の場となった。

2)第2期には、“和洋の融合”したモニュメンタルな表現を持つ和風御殿が登場する一方、和館単独型の邸宅が増えてくる。

3)関東大震災以後、性格に変化が現れ、和風大邸宅は茶道と美術鑑賞の場を中心とする和風文化サロン的な性格に変化する。能や歌舞伎は専用の施設で鑑賞されるようになる。《日本独自のおもてなし文化を醸成する舞台装置として機能してきた》

4)数寄屋への関心は一部の近代数寄屋者たちの世界から、中流層へと拡大し、それぞれ邸宅の中に数寄空間が取り込まれるようになる。

5)建築家による数寄屋への関心は大正期に始まり、昭和戦前期にピークを迎える。保岡勝也、藤井厚二、堀口捨巳、吉田五十八等の活動が展開される。


1.パトロンとしての近代数寄者たちの活動

2.近代和風大邸宅を作った建築家

3.近代和風建築を支えた工匠


「洋風から見た近代和風建築」

講師:石田潤一郎氏(京都工芸繊維大学教授教授)


本日のテーマ設定:「日本趣味」の建築

・洋風建築(特に歴史様式に沿った建築)の意匠構成に日本建築の要素が(それとわかるかたちで)加味される建築

・明治初期の擬洋風建築(主に大工棟梁が断片的な情報に基づいて建てた洋風建築)は、在来の日本建築の意匠・構法が混入した。

・日本人建築家の初心は「西洋にあるがままの建築」を日本の地に建てることにあった。

・「和」の混入は、なぜ、どのように進められたか。

・「和風(東洋風)モチーフ」を採用するかどうかは、用途から一義的には決まらない。

・施主や建築家の判断、さまざまな社会的条件によって「特別なデザイン」として建てられる。

・どのように「特別」だったか?


「日本趣味」の建築

・日本建築の要素を織り込んだ洋風建築を戦前期には、「日本趣味(の)建築」と呼ぶことが多かった。

・明治42年(1909)以降多用されるようになり、昭和10年代まで一般的に使用。

・「帝冠様式」、下田菊太郎の「帝冠併合式」(大正9年)に発し、戦前期は「帝冠式」として批判的・揶揄的ニュアンスで使用。戦後の昭和30年代に「帝冠様式」が定着。


1.和風建築のモチーフへの関心 折衷主義と民族主義

・19世紀西洋における折衷主義

・さまざまな様式を、意匠に新機軸をもたらすため、あるいは社会的要請に応えるために組み合わせ、変形する。

・「インドシナ様式」の創出は折衷主義的建築観からすれば当然の試み。


2.「わが国将来の建築様式」 現代日本の建築を求めて

「わが国将来の建築様式を如何にすべき乎」という問い

・1890年(明治23)、国会開設に合わせ、仮議場建設

・1908年(明治41)、議院建築計画浮上

・1908年(明治41)、辰野金吾・伊東忠太・塚本靖「議院建築の方法に就いて」=コンペを主張

・1909年(明治42)、伊東忠太「建築深化の原則より見たる我邦建築の前途」

・1910年(明治43)、討論会「わが国将来の建築様式を如何にすべき乎」


・西洋歴史様式の習熟という目標・・・規模・工費以外は達成

・歴史様式の行き詰まりの認識と、次の新機軸には日本人も参加できるという自信

・民族的表現という課題

・鉄骨構造・鉄筋コンクリート構造の導入

・新構造によって喚起される新造形の希求

・世紀末造形に日本趣味を見出す


3.日本趣味建築の退潮

・「日本趣味」建築は民族意識の高揚と個人主義の発露の双方から養分を得ており、明治国家主義の衰退とともに中心的課題でなくなる。

・「日本趣味」建築は「和」との関わりの中でのみ生き残る。


4.昭和の「日本趣味」建築

・昭和5年(1930)の一連の設計競技とその審査員

  日本生命館/京都市美術館/軍人会館/東京帝室博物館

・「日本趣味」建築の論理

・大正期には棚上げしていた「日本的表現」の問題をライトから突きつけられた。

  折衷主義/郷土性/風致意識/帝国ホテルへの対抗意識


5.モダニズムの日本建築解釈と総力戦体制化

・モダニズムと日本の伝統との近親性の発見

  平面・構造の簡素・明快さ

  素材の美の尊重

  無装飾

  左右非対象

  自然(建築周囲の環境)との調和

  規格統一(畳の規格)

・モダニズム建築の「日本趣味」

  伝統を抽象化して把握することによる「モダニズム即日本的」という発想

  折衷主義的な細部装飾の組み合わせによる「日本的なもの」の演出の否定

  木構造を鉄筋コンクリートに置き換えるといった手法の否定

  国家主義的な「日本」の価値付けの否定

・国粋的建築から興亜様式へ・・・戦時下の「日本趣味」建築

  空間レベルではなく、より直截な「日本的性格」を問題とすることになる。


「日本趣味」建築の政治性と非政治性

・昭和初期までの日本趣味建築は、折衷主義的な実験と地域性の表出といった非政治的文脈で遂行されてきた。しかし、動因に国粋主義的心性がなかったわけではない。

・昭和12年以降の総力戦体制化でモダニストも糾合する「日本的性格」の追求が促される。それ以前の「日本趣味」と連続性がなくはないか、同質ではない。

・モダニズム建築は総力戦下以前はリベラリズムと親和性が高かったから、大きな意識の転換を経験する=抽象的な伝統把握ではなく、即物的な表現への傾斜、近代西洋の「超克」。

・戦後における抑圧の記憶への転化→「ファシズム建築」としての帝冠様式。



「武庫川女子大学東京センター」ホームページ


とんとん・にっき-muko 武庫川女子大学東京センター主催

講演会シリーズ

「わが国の近代建築の保存と再生」

第9回

近代日本の支配層が愛した小川治兵衞の庭

日時:平成26年1月11日(土)13:00~

場所:日本工業倶楽部会館2階大会堂

プログラム:

○「山県有朋の無鄰菴から始まる小川治兵衛の世界」

  鈴木博之氏(建築史家)

○「小川治兵衛の造園技法と意匠」

  尼崎博正氏(造園家)

過去の関連記事:

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