第1日目、神戸の北野異人館街を散策後、バスで倉敷に移動。岡山の後楽園に立ち寄り、その後、1日目の宿泊地である倉敷に移動、ホテルに入る前に倉敷美観地区を散策しました。倉敷には30数年前に2度ほど行きました。従って今回は再訪、ということになります。倉敷川沿いを見て回ったのはもちろん、倉敷の名物である「大原美術館」も見て回りました。実は、ヨーロッパ建築視察旅行で知り合った建築家が倉敷にいるのですが、東京では何度かお会いしているのですが、倉敷ではお会いしたことがありません。
倉敷と言えば、浦辺鎮太郎、当時は「ウラチン」さんという愛称で呼ばれていた人物です。1965年に「倉敷国際ホテル」で建築学会賞を受賞。倉敷の地方建築家から、一躍全国区に躍り出ました。その後次々に話題作を送り出しました。1974年に完成した「倉敷アイビースクエア」は、倉敷紡績の工場を改修して、オシャレなホテルにしたもので、若い女性には大人気の倉敷名物のホテルです。晩年は、横浜でも仕事をしており、「横浜開港資料館」(1981年)や「神奈川近代文学館」(1984年)があります。
倉敷美観地区
大原美術館とエル・グレコ
浦辺鎮太郎の仕事
浦辺鎮太郎(うらべ しずたろう、1909-1991)
岡山県児島郡粒江村(現・倉敷市)出身。京都帝国大学建築学科卒業後、倉敷レイヨン(現・クラレ)に入社し営繕関連部門に勤務。1962年、倉敷レイヨン内に同社社長で同郷の実業家大原総一郎の庇護のもとに倉敷建築研究所(現・浦辺設計の前身)を設立した。1964年に倉敷レイヨンを退社し倉敷建築事務所として独立、1966年に浦辺建築設計事務所と改称した。倉敷レイヨン時代から大原総一郎の構想する倉敷のまちづくりを建築家として支え、1968年の総一郎死去後も大原家や倉敷に関連する建築をはじめ多くの作品を残している。(ウィキペディアより)
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