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安村敏信の「江戸絵画の非常識 近世絵画の定説をくつがえす」を読んだ!

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安村敏信の「江戸絵画の非常識 近世絵画の定説をくつがえす」を読みました。著者の安村敏信とはどんな人か?


安村敏信:略歴

1953年、富山県生まれ。東北大学大学院修士課程(日本美術史)終了。1979年より板橋区立美術館に勤務。同館館長。江戸狩野派の研究と作品の発掘に携わり、「江戸狩野派の変貌」「宋紫石とその時代」「我ら明清親衛隊」など、江戸絵画の魅力を伝えるユニークな展覧会を数多く企画している。主な著書に、「美術館商売 美術なんて・・・と思う前に」(勉誠出版、2004年)、「もっと知りたい狩野派―探幽と江戸狩野派」(東京美術、2006年)ほか多数。共編著に、「広重と歩こう 東海道五十三次」(小学館、2000年)、「狩野一信五百羅漢図」(小学館、2011年)ほか。


2011年5月に江戸東京博物館で開催された「五百羅漢 幕末の絵師狩野一信」展の関連企画として、シンポジウム「知られざる幕末の絵師 狩野一信」に参加し、安村敏信の風貌に僕は初めて接しました。安村と山下裕二と丁々発止の議論は、満員の会場を唸らせるものがありました。

僕の狩野一信の「五百羅漢」体験は、1回目は、初めて観たことになりますが、平成21年秋、栃木県立博物館で開催された「狩野派―400年の栄華―」展でした。出されていたのは第55幅「神通」と、第60幅「神通」の2幅でした。2回目は平成22年秋、板橋区立美術館で開催された「諸国畸人伝」展で出されていたのは第50幅「十二頭陀 露地常座」と、第55幅「神通」、そして第71幅「龍供」の3幅でした。「仏画の世界に妖しげな陰影法を持ち込み、奇想天外な地獄界や神仏・羅漢の世界を活写したこの100幅は、江戸仏画史上の一大金字塔として今後脚光を浴びることになるだろう」と、安村敏信(板橋区立美術館館長)は解説していました。


今回の「江戸絵画の非常識・・・」でも「常識その十二 五百羅漢図」で、かなり大きく取り上げています。展覧会で統一されていた名は狩野一信でしたが、22歳の時易者逸見に会い、大望を抱く異相があるとして家へ連れて行かれ、長女やすと妻合わせて逸見姓の名乗らせたという。一信を「狩野一信」と記したものはなく、法橋・法眼の宣旨の宛名はすべて「逸見一信」であるという。もう一つ、「五百羅漢図」は安村の見るところ、第八十幅以後がまったく異なるとして、八十一幅からは一信の許可がないままに進められたのではないかと疑い始めた、と記しています。これについてはシンポジウムの時も同様の意見を述べていました。


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安村敏信は、略歴にも書いた通り、板橋区立美術館の館長です。大学で美術史を学び、美術館に勤め、江戸絵画史と格闘してきて、江戸絵画史自体が研究史の浅いジャンルだと気づきはじめたという。それなのに、常識だけはさまざまなところに存在した。その常識がおかしいのではないかと疑ったという。その美術史学の常識を問い直す時期に来ているのではないか、というのは、この本の執筆の目的だったと、安村はいう。「十三の常識」の項目は安村が板橋区立美術館で開催してきた特別展の題名と重なり合うという。


数少ないですが、僕が板橋区立美術館へ行って観た展覧会を下に載せておきます。東武東上線・東京メトロ有楽町線成増駅北口よりバスに乗って、やや遠いのが玉にきず。催し物が安村敏信館長の個性を反映してか、なかなか一風変わっていて毎回独特のものがあります。マニア垂涎の美術館、といったら言い過ぎか? と、以前、書いたことがあります。「明清親衛隊」とか「諸国畸人伝」とか「実況中継EDO」といわれても、これが展覧会の題目なのか、毎回迷うところがあります。府中市美術館の「江戸絵画シリーズ」と板橋の企画もの、なかなかの好敵手です。


僕が最初に板橋に行ったのは「一蝶リターンズ」でした。そこで初めて英一蝶を知りました。沈南蘋も、宋紫石も、板橋で知りました。手元にある「諸国畸人伝」の図録を開いてみると、菅井梅関、林十江、佐竹蓬平、加藤信清、狩野一信、白隠、曾我簫白、祇園井特、中村芳中、絵金、と、10人の画家が取り上げられています。そのうち「江戸絵画の非常識」には「常識十一 奇想派はあった」のなかに、林十江、土佐絵金、中村芳中、佐竹蓬平らが取り上げられて、詳細に解説されています。河鍋暁斎についても、数ヶ所で取り上げられています。


「常識その十錦絵」の項で安村は、次のように言います。肉筆浮世絵の作品のみ目を向けて浮世絵を語ると、どういう風になるだろうかという誘惑にかられている。そのためあえてこの項を立てて、肉筆浮世絵師なるものを叙述してみたいと思う。として、岩佐又兵衞、菱川師宣から始まり、安度・長春・祐信らの肉筆画、鈴木春信、勝川春章らの錦絵、淸長・歌麿・栄之の美人画、俊満と北斎・広重の美人図、国芳・暁斎・芳年・清親、等々、怒濤の肉筆浮世絵の歴史を、さすがに美術史家らしくクールに書き出しています。



目次

はじめに

常識その一

 俵屋宗達の「風神雷神図屏風」は、晩年に描かれた傑作である。

常識その二

 光琳は宗達を乗り越えようとして、琳派を大成した。

常識その三

 江戸狩野派は粉本主義によって疲弊し、探幽・常信以降は見るべきものがない。

常識その四

 応挙が出て京都画壇は一変した。

常識その五

 長崎に渡来した沈南蘋は、三都に強い影響を与えた。

常識その六

 秋田蘭画は秋田で描かれた。

常識その七

 封建社会の江戸では、閨秀画家の場は少なかった。

常識その八

 上方で大成した南画は、谷文晁によって江戸に広められた。

常識その九

 浮世絵は江戸庶民に芸術であり、浮世絵師になったのも庶民である。

常識その十

 浮世絵は後に錦絵といわれるように、版画が主流である。

常識その十一

 奇想派があった。

常識その十二

 東京芝・増上寺の「五百羅漢図」100幅は、狩野一信によって描かれた。

常識その十三

 油絵は明治になってから描かれた。

資料

 将来の美術史へ向けての基礎的事実

おわりに

 参考文献

 所蔵先一覧

 索引


「板橋区立美術館」ホームページ


シンポジウム「知られざる幕末の絵師 狩野一信」を聞く!


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