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板橋区立美術館で「池袋モンパルナス展」を観た!

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板橋区立美術館で「池袋モンパルナス展」を観てきました。 観に行ったのは昨年、12月17日の土曜日でした。ブログに載せるのはまだいいか、と思っていたら、あれっという間に年を越してしまいました。不徳のいたすところです。まあ、そんなことで「備忘録」として、以下に載せておきます。とはいえ、書き始めるのはまったく僕の思い出話からです。ウソかマコトが、本人にもよくわからない話なのですから・・・。


僕の母親は、佐世保の看護婦養成所を出て北京へ行き、そこで知り合った父と結婚して僕が生まれたというわけです。その母親の看護婦養成所の数少ない友人の一人が、豊島区千早町に一時期住んでいました。母親に連れられて、僕も何度か訪れたことがあります。池袋から立教大学の前を通って山手通りを通り越し、少し行ったところの右側に、うっそうとした木立に囲まれたそのお宅はありました。物静かなご主人と2人で暮らしていました。


娘さんは僕と同い年で、後で母から聞いた話ですが、明治学院大学を出て、その後ある宗教団体の幹部と結婚して、家へ帰ってこなくなりました。僕がその家を訪れたのは、たぶん娘さんが家を出た頃、昭和40年から45年頃だったと思います。その家は、ある画家のお宅を一時期借りて、母の友人が住んでたということでした。これも後で聞いた話ですが、その友人夫婦は道路側の家に住んでいて、母は見たと言いますが、奥にはアトリエがあって、画家が使っていたそのまま手つかずにあったそうです。


千早町には、熊谷守一美術館があります。僕は数年前に一度、訪れたことがありますが、その時は東京メトロ有楽町線要町駅から歩いて行きました。前庭に大きな樹木があり、鉄筋コンクリート造3階建ての建物です。ホームページによると、熊谷守一が45年間住み続けた旧宅跡に、1985年(昭和60年)、次女の榧氏により、個人美術館として開設され、2007年11月に豊島区立になりました。その熊谷旧宅の写真を一度、どこかで見たのですが、それが僕が記憶している母親の友人宅にそっくりなのです。位置的にも立教通りを真っ直ぐ歩いた右側、符合するのです。


まさかそんなことはないとは思いますが、画家から借りていた母の友人宅は、旧熊谷守一邸だったのか、いや、そんなことがあるはずはない、とはいえそこが熊谷守一邸だったのではないとも言い切れません。花の話によると、友人夫妻はもう亡くなっており、娘さんは親の故郷である熊本に帰ったそうです。母も90歳で、記憶が薄れているようです。母が、その友人と手紙のやりとりでもしていたら、その住所を頼りに調べることもできそうですが・・・。


「池袋モンパルナス展」で手に入れた地図「ようこそ、アトリエ村へ!」1941年版と2011年版、それを見ると熊谷守一邸の北側には「つつじが丘アトリエ村」が、南側には「さくらが丘パルテノン」がありました。少し離れた要町側には「すずめが丘アトリエ村」がありました。熊谷守一邸は、「池袋モンパルナス」のまさに「要」の位置にあります。図録によると、今から90年近く前から70年前にかけて、池袋を中心とした西方約2キロを半径とする地域に多くの芸術家が住み着き、100棟以上の貸しアトリエが建設されたという。


言うまでもなく「モンパルナス」はパリにあり、下町で下宿代も安価で、場末の居心地のよさがあったのだろう、この地区に日本人を始め、多くの異邦人芸術家が集まりました。萩原朔太郎は「ふらんすに行きたしと思えど ふらんすはあまりに遠し」と1924年にうたったという。池袋がモンパルナスのようだと気付いたのは誰か? 岡本一平は欧州滞在の経験から「銀座をモンマルトルとすれば、新宿はモンパルナス」と述べたという。池袋に関しては、小熊秀雄はエッセイ「池袋モンパルナス」が嚆矢とされる。会場のビデオでは、以下の歌が流れていました。


池袋モンパルナスに夜が来た 

学生、無頼漢、芸術家が街にでてくる 

彼女のために、神経をつかへ 

あまり太くもなく、細くもない 

在り合わせの神経を――

小熊秀雄「池袋風景」より


展覧会の構成は、以下の通りです。

第1章 小熊秀雄と長谷川利行―東京を見つめた二人の芸術家

第2章 池袋美術家クラブ―画家たちの交流の場

第3章 アトリエ村に暮らした美術文化協会の画家たち

第4章 新人画会―戦時下の画家たち

第5章 吉井忠の日記から―アトリエ村の日々

第6章 寺田政明と古沢岩美―池袋モンパルナスの二人の画家

第7章 池袋モンパルナスの多彩な芸術家―様々な地域、関心


会場で流されていたビデオには、俳優の寺田農が出ていました。寺田農は、寺田政明(1912-1989)の息子です。今回の展覧会では、チラシやポスターに、寺田政明のシュルレアリスム風の作品「芽」が使われています。初期は鮮やかな色彩と大胆な筆致で日本的フォービスムを思わせる作品を制作、後期は茶色や黒を基調に植物や貝や動物が印象的な、マックス・エルンストの影響を受けたシュルレアリスム風の作品を制作しています。


図録から拾い出してみると、出品作家は38人、よく知っている画家もいれば、始めて名前を聞く画家もいます。よく知っているではなく、聞いたことのある名前の画家(作家/詩人)とでもしておきましょう。小熊秀雄、長谷川利行、難波田龍起、丸木俊、丸木位里、靉光、麻生三郎、松本竣介、寺田政明、等々は、よく聞く画家たちです。松本竣介(1912-1948)も、岩手から1929年に上京し、西池袋に住みます。その後、長崎町に転居します。松本禎子と結婚し、松本姓になり、下落合に転居します。1948年6月、36歳で亡くなります。今回、松本の作品が3点出ていたのは驚きでした。「ニコライ堂」「自画像」「りんご」ですが、「りんご」は彼の名前の「俊」を「竣」に改めた最初の作品です。


驚きと言えば、丸木俊の作品、「自画像(飢え)」と「位里の像2」は、その表情は鬼気迫るものがあります。丸木位里の作品「ラクダ」は、今回の目玉の一つでしょう、圧巻です。丸木の作品は、丸木美術館で「原爆の図」を観ました。また東京国立近代美術館で、今回も出されていた「ラクダ」を観ることができました。その時「ラクダ」については、構図が圧倒的に素晴らしい、と書いたことがあります。丸木俊、位里が「日本の前衛」と称されていたことにも驚きましたが。


麻生三郎の「男(自画像)」と「一子像」、共にこちらを見る目に迫力がありました。もうひとつ麻生三郎の痩せこけた赤い顔の「自画像」や、「モンマルトル」という素描もありました。靉光の「自画像」は東京国立近代美術館にあり、あまりにも有名です。が、同郷の友人だったという丸木位里と交流があったことや、「鳥」のようなシュルレアリスム風の作品があることは、今回始めて知りました。


第3章アトリエ村に暮らした美術協会の画家たちの「美術協会」とは、福沢一郎を中心に結成された公募団体です。福沢一郎は、日本のシュルレアリスムの元祖みたいな人で、先日始めて祖師ヶ谷大蔵にあるそのアトリエを訪れました。いわゆる「福沢一郎絵画研究所」です。靉光、麻生三郎、寺田政明、丸木位里、丸木俊、等々は、時期は前後しますが「池袋モンパルナス」に暮らしていました。全体的の大雑把にいえば、「池袋モンパルナス」の画家たちの作品は、第一次世界大戦から関東大震災を挟んで、結局は第二次世界大戦に前まで、要するに戦時下での弾圧が厳しくなり、自然に終息していくことになります。


第1章 小熊秀雄と長谷川利行―東京を見つめた二人の芸術家


第2章 池袋美術家クラブ―画家たちの交流の場


第3章 アトリエ村に暮らした美術文化協会の画家たち




第4章 新人画会―戦時下の画家たち





第5章 吉井忠の日記から―アトリエ村の日々


第6章 寺田政明と古沢岩美―池袋モンパルナスの二人の画家



第7章 池袋モンパルナスの多彩な芸術家―様々な地域、関心


アトリエ前での集合写真


20世紀検証シリーズNo.3
「池袋モンパルナス展 ようこそアトリエ村へ」
今から約80年前、現在の池袋駅を中心とする一帯に、アトリエ付き住宅が建設され始めました。当時としては画期的なこの物件には、借家人募集のビラや口コミで集まった画学生や、靉光、麻生三郎、寺田政明ら画家、評論家、詩人、演劇関係者などが互いの家や酒場に集い、芸術論を交わしました。その中の1人である詩人の小熊秀雄はこの集落を芸術の都パリのモンパルナスに重ね合わせた「池袋モンパルナス」という詩とエッセイを残しています。ところが、1930年代も半ばになると、日本は戦争の暗い影に覆われ、画家たちの中には召集を受け、兵隊や画家として従軍し、絵画による慰問や戦争協力画を描いた者もいました。また、1930年代を中心に若い画家たちの間で流行したシュルレアリスム風の絵画は、戦時中の文化や思想の統制により発表が難しくなりました。1945年の空襲によりこの地域も大きな被害を受けました。画家たちの中にはアトリエはもちろんのこと、戦前の作品や画材を全て焼失した者もいました。本展では、1930~1940年代を「池袋モンパルナス」で過ごした画家のうち、板橋ゆかりの寺田政明、古沢岩美、井上長三郎と彼らの交友の画家、詩人の作品を展示します。また、アトリエ村に暮らした画家、吉井忠の日記の一部を紹介します。寺田政明、麻生三郎、詩人の高橋新吉らが登場する日記からは、池袋モンパルナスの日々が鮮やかによみがえります。そして、絵画、彫刻、詩、資料の展示に加え、今回は当時のアトリエ付き住宅の間取りをほぼ実物大で体感することができるコーナーも設けます。


「板橋区立美術館」ホームページ


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