小川治兵衞が、旧古河庭園の日本庭園にかかわっていたことを、ボクは最近になって知りました。あまりにもタイムリーに、鈴木博之の「庭師小川治兵衞とその時代」 (東京大学出版会)が発売されました。実はまだ読んではいないのですが・・・。洋館と洋風庭園は、建築家のジョサイア・コンドルだということは、以前から知っていたのですが、日本庭園の作庭者が、京都の庭師・植治こと小川治兵衞だったとは・・・。リーフレットをよく読めば分かることですが、読んでも頭に入らなかった、というわけです。
「日本庭園」
日本庭園の中心は心字池。優雅な曲線が心を癒します。大滝、枯滝、大きな雪見灯籠が周囲の緑に映えて、付近の風情をいっそう深いものにしています。
「大滝」
10数mの高所から落ちる滝。苑内のもっとも勾配の急な所をさらに削って断崖とし、濃い樹林でおおって深山渓谷の趣があります。曲折した流れから始まり、数段の小滝となり最後は深い淵に落ちるという凝った造りです。「心字池」
「心」の字に似せて、鞍馬平石や伊予青石などで造られた池。池を眺める要となる「船着石」があり、正面には「荒磯」、雪見灯籠、枯滝、石組み、そして背後には築山が見られます。
「枯滝」
水を使わないで山水の景観を表現する「枯山水」の道具立てのひとつが枯滝。心字池の州浜の奥の渓谷に、御影石や青石、五郎太石などで造られています。Clik here to view.

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「旧古河庭園」
武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かして、北側の小高い丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、低地には日本庭園を配したのが特徴です。元々は明治の元勲・陸奥宗光の別邸でしたが、宗光の次男が古河財閥の養子になった時に、古河家の所有となりました。現在の洋館と洋風庭園の設計者は、明治から大正にかけて、鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸などを手がけた英国人建築家のジョサイア・コンドル(1852~1920年)です。日本庭園の作庭者は、京都の庭師・植治こと小川治兵衛(1860~1933年)です。旧古河庭園は、大正初期の庭園の原型を留める貴重な存在であり、平成18(2006)年1月26日に国の名勝に指定されました。
(リーフレットより)
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「庭師小川治兵衞とその時代」
著者:鈴木博之
発売日:2013年05月
発行所:東京大学出版会
小会PR誌『UP』の好評連載を加筆・再構成し,待望の書籍化! 山県有朋,西園寺公望,近衛文麿……国家の最大限の西欧化を推進しつつ,私的には伝統に縛られない和風の表現を求めた明治から昭和前期の政治家・企業家たち.彼らが愛した植治の庭を通して,日本の近代化のあり方を見つめる.建築に歴史的まなざしを注いできた著者による近代化論.