江國香織の「ちょうちんそで」(新潮社:2013年1月30日発行)を読みました。この本も発売と同時に購入し、一度は読み終わっていたのですが、なかなかブログに書けなくて、再度読み直して書いています。新潮社のこの本の紹介には、以下のようにあります。
取り戻そうと思えば、いつでも取り返せる──闇の扉を開く新しい長編。
いい匂い。あの街の夕方の匂い──人生の黄昏時を迎え、一人で暮らす雛子の元を訪れる様々な人々。息子たちと幸福な家族、怪しげな隣室の男と友人たち、そして誰よりも言葉を交わすある大切な人。人々の秘密が解かれる時、雛子の謎も解かれてゆく。人と人との関わりの不思議さ、切なさと歓びを芳しく描き上げる長編。記憶と愛を巡る物語。
最初の章で、冒頭「隣室の男がやってきたとき、雛子は架空の妹とお茶をのみながら、六番街の思い出について語り合っているところだった。」とあります。最初に読んだとき、なにを思ったのか「架空の妹」のところを鉛筆で“しかけ”と書き込みました。「架空の妹」、冒頭だけでなく最終章まで、要所要所に出てくるのですが、これがなんとなくこの小説の“舵取り”、あるいは“狂言廻し”の役割を果たしているのではないかと思ったからです。ちなみに「“狂言回し”とは、物語において、観客(あるいは読み手などの受け手)に物語の進行の理解を手助けするために登場する役割のこと。場合によっては物語の進行役も務める。」(「feペディア」より)とあります。それらを併せて、直感で“しかけ”と思ったのでしょう。
この物語の主人公は雛子、今年54歳になります。東京からやや離れたところにある、かなり高級な高齢者向きのマンションで、独り暮らしをしています。 妹の飴子は50歳になるはずだが、いま部屋にいる雛子の架空の妹は30歳くらいです(ときどき17歳くらいにも見える)。姉妹は、ミルク紅茶にビスケットをひたして食べています。彼女たちの母親が好んだ食べ方です。隣室の男とは、妻と暮らす丹野龍次という白髪まじりの老人です。しょっちゅう遊びに来るこの男を、雛子は嫌いではない。
雛子には息子が二人います。正直は、午後の日差しのなか、妻と亜美ちゃんと、そしてまだ生後6ヶ月の赤ん坊の娘を、夏の浜辺に連れ出しています。亜美ちゃんは、弟のガールフレンドです。大学生の弟は、夏のあいだ、海の家で働いています。正直と9歳年下の弟は父親の違う兄弟だが、喧嘩らしい喧嘩はしたことがない。父親が、妻の連れ子である正直と、実の息子である弟とに分け隔てなく接してくれたことが大きく、正直は父親に感謝しています。
9月になり、新学期が始まって、なつきは3年生になりました。小島先生には話すことができた。秘密を守れる人なのです。パパにもママにも言えないことを、どうして小島先生には話せるのかはわからない。小島先生はすごく小柄です。大きすぎるサンダルをはいて立つ姿は、お年寄りのようにも子供みたいにも見える。雛子が、髪を「うんと短く」するようになったのは最近のことです。病室で、目をさましたときのことを雛子は憶えています。医者がいて看護師がいて、夫がいました。自分が泥酔して昏倒し、救急車で運ばれたあと、2日間意識が戻らなかったことを知らされました。雛子は家族を捨てたつもりだったし、何年も会っていなかったのだから。
「ねぇさん、ねぇさん」、架空の妹が言葉を重ねて呼びます。「思い出すのやめれば」と言う。「そんなことをすれば悲しくなるだけなんだから。ねぇさんだって、ほんとうはわかっているんでしょう?」。架空の妹の言うことは、いつだって正しいのだから。母親に会いに行くのは、正直なところ気が重かった。母親が家を出て行ったとき、誠は12歳でした。それは、ほんとうに突然のことでした。結局、母親には男がいたのでした。家族を捨て、その男の元へ走ったのでした。帰ってきてもダメなことを、はっきり知っていた気がします。母親の連れ子であり、当時成人していた兄の正直は猛り狂いました。
バスを降り、緩やかな坂をのぼりきれば、そこが母親の住む施設でした。誠には、母親がでて行ったときよりも、帰ってきたときの方が耐え難かった。信じられなかったし、一方で、どうしようおなく腹が立った。「正直、子供生まれたよ」と誠が言うと、「そうなの」とだけ呟きます。自分に孫ができたことも知らない母親を、洵は哀れだと思います。「彼女とか、いるの?」と尋ねられ、「いない」とこたえたのは、いる、とこたえて、今度連れていらっしゃいと言われたら面倒だと、咄嗟に判断したからでした。
ミートソースは濃く、味がよかった。極端に短い髪、白地に同色の水玉の散ったブラウスと、こげ茶色のスカート。ブラウスは袖がふくらんでおり(ちょうちんそで、と母親は呼んでいた)、誠が子供だったころから、母親が似たような服を好んで着ていたことを思い出した。「ピアノ、弾いてるの?」と誠は訊いた。母親は「たまーに、私は飴子おばちゃまほど上手には弾けないから」と、微笑みながら言う。
最初からそこにあることに気付いていた、1枚の写真にはおそらくいまの誠とそう変わらない年齢の、娘が二人写っています。雪景色のなかにならんで立って、大きく笑っている姉妹。叔母はまだ学生だったはずだ。二人でイギリスを旅したときのスナップです。行方不明になったというその叔母に、誠は一度もあったことがない。「男で身を持ち崩す嘉慶なんでしょうよ」、祖母はそう言っていました。「誠は、小人を見たことがある?」と、母親が言った。
「でもさ、誠くん、立派に育ってよかったじゃん」と、架空の妹が言う。「私、孫がいるのよ」と、雛子は言う。架空の妹は動じず、「そうみたいだね。おめでたいじゃん」と、あっさり言う。妹―架空のではなく現実の飴子―がいなくなったのは、雛子が再婚した年の夏でした。雛子は、そのとき、妹の居場所を知っていました。妻子持ちの男と駆け落ちして、神戸にいるのでした。あの子を止めることなどできただろうか。一人の男を信じ切ってしまった飴子を?飴子は男としばらく神戸で暮らしていたが、男が妻子の元に突然戻り、その2年後に飴子が今度はほんとうに行方不明になりました。
「雪!」、架空の妹が言い、言うが早いか窓をあけます。「昔さ、二人でイギリスを旅行したとき、大雪が降ったね」と、架空の妹が言った。この部屋に飾ってあるなかで唯一の、現実の飴子が写っている写真だ。雛子の独身最後の冬で、飴子はまだ大学生だった。あれから30年もたつのだ。架空の妹はピアノを弾き始める。賑やかで速い、素朴で陽気な架空の音がピアノからこぼれ、部屋を満たし、雛子は立ったまま目をとじて、前身でそれを聴きとる。現実には存在しない音の一つ一つが、現実に存在する自分の上に、周囲に、次々降りてきては消えるのを感じる。雪のように、記憶のように。
江國香織:略歴
1964年東京生まれ。1987年「草之丞の話」で毎日新聞社主催「小さな童話」大賞を受賞。2002年「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」で山本周五郎賞、2004年「号泣する準備はできていた」で直木賞、2012年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞を受賞。「409ラドクリフ」(1989年フェミナ賞)、「こうばしい日々」(1991年産経児童出版文化賞、1992年坪田譲治文学賞)、「きらきらひかる」(1992年紫式部文学賞)、「ぼくの小鳥ちゃん」(1999年路傍の石文学賞)、「がらくた」(2007年島清恋愛文学賞)、「真昼なのに昏い部屋」(2010年中央公論文芸賞)、「つめたいよるに」「ホリー・ガーデン」「すいかの匂い」「神様のボート」「金米糖の降るところ」など多数。
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