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美術の春「国展87th」を観た!

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ここ数年、わが家では恒例になっている国画会のイベント、美術の春「国展87th」を国立新美術館で観てきました。最終日だったので、午後2時でまさかの終了、扉は固く閉められてしまいました。予想外だったので、彫刻部と絵画部だけしか観られませんでした。ほかに版画部、工芸部、写真部がありますが、プログラムをちゃんと読んでいれば分かることなのに、いやはや残念なことをしました。


「国展」の特徴的なことを挙げれば、出品数が多いこと。このエネルギーはどこから来るのでしょうか。彫刻でいえば、百鬼夜行、ありとあらゆる素材で造られています。形も様々です。テーマもこれといって傾向があるようには見えません。絵画でいえば、なにしろ大きな作品がほとんどです。抽象あり、具象あり、写実あり、コラージュあり、こちらもある種の傾向があるわけではありません。これだけの人が作品にこれだけエネルギーをかけるとは、本当に驚きです。


それはそれとして、こうして作品をピックアップしてみると、ある種の傾向が見て取れるのかもしれません。いや、「国展」そのものの傾向というのではなく、選んだ僕の好みが反映している、というだけのことですが・・・。


彫刻部








絵画部






「国画会」の成りたち:ホームページより
1918年(大正7年)文展から自由な制作と発表の場を求めて、京都の青年日本画家・小野竹喬、土田麦僊、村上華岳、野長瀬晩花、榊原紫峰、入江波光らは在野としての「国画創作協会」をおこし、その通称を「国展」とした。
 創立宣言・・・「各自ハ各自ノ自由ノ創造ヲ生命トス」
 (要旨)   「芸術ノ創作ハ極メテ自由ナラザル可カラズ」
        「本会ハ創作ノ自由ヲ尊重スルヲ以テ第一義トナス」
同協会は1925年(大正14年)土田麦僊と交流のあった梅原龍三郎を招き、さらに川島理一郎を加え第1部を日本画部とし、第2部として洋画部(現絵画部)を設置した(翌1926年が第1回国展に相当)。そして1928年(昭和3年)国画創作協会の解散に伴い、第2部は名称を「国画会」として独立し、通称の「国展」もそのまま継承した。草創期の国画会の果たした在野団体としての役割は、福島繁太郎の影響もあり、毎年のように諸外国の優れた作家たち(マチス、ボナール、ロダン、ブールデル、バーナード・リーチ、ルオー、モネ、ルノワール、シャガール、ピカソ、セザンヌ等々)を特別陳列して世に広く紹介したことが特筆される。この事は内部的に研鑽の資となったのは勿論、対外的にも海外作品に触れることの少なかった当時の美術界には非常に有益な企画でもあった。以後、絵画部に版画部・彫刻部・工芸部・写真部を加え、5部による美術団体として、戦争激化のためやむなく中止した1945年(昭和20年)を除き、毎年春期に都美術館にて「美術の春・国展」を開催し、2005年(平成17年)には79回展に至る。現在、国画会は創立精神である「創作の自由」をモットーに、個性を重視し多様化する表現様式と新しい世代にも呼応する総合美術団体として、広くファンの支持を得ている。なお、会の運営はすべて合議制である。


国立新美術館


国画会

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