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再び「外国人遊歩規定標石めぐり」!

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3月23日(土)、東京駅9時15分発快速アクティに乗り、国府津には10時23分着、「外国人遊歩規定標石めぐり」に参加してきました。もちろん案内人は山岡光治さん(地図豆店主)です。参加者は総勢16人、うちペアでの参加が5組という珍しい組み合わせでした。これだけ集まれば引率者もやりがいがあると、山岡さんは言います。僕は2010年4月にも参加しているので、今回が2度目ということになります。前回は連絡不十分のためか、総勢5人という小規模なものでした。標石めぐりは46地点、45地点、44地点を見るために、曽我山の急坂や山道を歩くというものです。


道順は、以下の通りです。JR国府津駅→吾妻神社→遊歩NO46測点→新幹線トンネル上から十国峠へ→遊歩NO45測点・三等三角点「高山」→六本松峠→遊歩NO44測点・不動山→登山道との分岐→宗我神社→JR下曽我駅


前回はわけも分からず参加しましたが、今回は少し予習をしてから行きました。案内には「外国人遊歩規程標石めぐり」とあり、これは何を意味するのか? 安政5年(1858)、ペリーの開国要求を受けて各国と日本の間で修好通商条約が結ばれ、そこで決められた一般外国人が自由に行動できる範囲は、開港場から10里(約40㎞)以内でした(「外国人遊歩規程」)。ちなみに「遊歩」とは、健康のための散歩や散策を意味します。「横浜周辺外国人遊歩区域図」(下図)には遊歩境界線が標されています。横浜では「北は六郷川筋を限りとし、その他は各方へおおよそ十里」と決められ、「従是(東西南北)神奈川在留外国人遊歩場十里境内」と書かれた標柱が立てられたという。しかし自由に行動したい在日外国人が、遊歩の規程に難癖を付けます。


これを受けて外務郷は太政大臣宛に、十里というのは厳密な測量ではないこと、標杭も少ないから、建て直せば外国人の不満もなくなるだろうから検討して欲しいと依頼します。内務郷大久保利通は、外務省は何を根拠にしているのかと、議論は平行線を辿ります。両者の間で煩雑なやり取りがあり、結果として再測量を行うことになりました。測量は、横浜県庁旧旗揚点から旧幕時代の「外国人遊歩規程標札」までの間に、三角鎖が組まれ、次いで観測が実施されました。それが「外国人遊歩規程測量」であり同標石というわけです。「日本各地を自由に行動したい」という、ちょっとした要求から始められた測量の標石が、神奈川県下、横浜市、小田原市間に現存しています。その後、諸各国との間で新通商航海条約が調印され(明治27年、1894)、発効したことにより、外国人の内地旅行が自由になり、外国人遊歩規程は廃止されました。





















とんとん・にっき-tizu3 「地図をつくった男たち」

明治の地図の物語

2012年12月25日第1刷

著者:山岡光治

発行所:株式会社原書房











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