イーユン・リーの「黄金の少年、エメラルドの少女」(河出書房新社:2012年7月30日初版発行)を読みました。本の帯には、短篇の名手イーユン・リーの「千年の祈り」(映画化)に続く最新短篇集、とあります。イーユン・リーの作品は、デビュー作の短篇集「千年の祈り」ともう一つ、「さすらう者たち」という長編を読みました。「さすらう者たち」のブログに書いたものを読み直してみると、発売と同時に購入して読んだが、なかなかブログに書くことが出来なかった、というようなことが書いてありました。今回もまったく同じで、去年の夏に購入し、一度読み、そして暫く間をおいて再度読みましたが、なかなかブログには書けませんでした。
イーユン・リーの略歴は、以下の通り。
1972年北京生まれ。北京大学卒業後に渡米、アイオワ大学大学院で免疫学の修士課程を終えた後に方向転換し、同大学の創作科に入学して英語で執筆するようになる。2005年に発表した短篇集「千年の祈り」で、フランク・オコーナー国際短篇賞、PEN/ヘミングウェイ賞、ガーディアン新人賞などを受賞。また文芸誌「グランタ」で「アメリカでもっとも有望な35歳以下の作家」の一人に選ばれた。現在はカリフォルニア大学デービス校で創作を教えながら執筆を続けている。文芸誌「ア・パブリック・スペース」の寄稿編集者の一人でもある。夫と二人の子供とともに、カリフォルニア州オークランドに暮らす。
篠森ゆりこは「訳者あとがき」で、以下のように述べています。
本書に収められた作品の大半は、大きな転換期を迎えて変貌著しい現代中国を舞台にしている。登場人物が時代や場に束縛されている感があった前作の短篇集と違い、本作では人々がむしろ拠りどころを失い、孤独を深め、過去を懐かしんですらいるようだ。そうして明かされる過去の記憶は、過ぎていく現在と溶け合うように綴られ、たとえ忌まわしい記憶であっても美しさを感じさせる。同時に、未来にじっと目をこらせば必ずなんらかの灯が見え、読後感が優しい。
「黄金の少年、エメラルドの少女」には、イーユン・リーによって英語で書かれた、やや長いのも短いものもありますが、以下の9篇が収められています。
・優しさ
・彼みたいな男
・獄
・女店主
・火宅
・花園路三号
・流れゆく時
・記念
・黄金の少年、エメラルドの少女
一つ一つ作品を見てみましょう。
「優しさ」は、この短篇集の中でも最も長いものです。41歳の独り暮らしの女が主人公です。三流の中学校で数学を教えています。人に心を開くことの出来ない独身女性が、一人で生きていく決意をするに至った過去を回想する物語です。父は20歳も年下の気が触れた母を嫁にもらい、それを見て私は育ちます。ある時、自分が養子であることを、近所に住む心を許した英文学を教えてくれた杉(シャン)教授から知らされます。また軍隊の訓練時代を振り返り、上官だった魏(ウェイ)中尉を思い出したりもします。二人とも、もう亡くなっています。軍隊時代の同僚で歌の上手かった南(ナン)の顔ををテレビで見かけたりもします。
「彼みたいな男」は、年老いた母親と2人暮らしの独身の元美術教師、費(フェイ)師が、共産党員の父親の不倫を激しく告発する実の娘のブログに、自らの辛い過去を思い出し、友情を感じて娘の父親に会いに行きます。費師の父は、文革で大学教授から便所掃除人に降格されて費師の教育は終わります。父は大学の教職に戻されてから2年目に自殺しました。彼みたいな男とは、週に3回、母親を風呂に入れてくれる羅(ルオ)夫人が、費師が羅夫人に夕方までいてくれるように頼んだときに羅夫人が言った言葉、「確かに費師みたいな男性はときには恒例のご婦人の介護から解放されるに値しますよ」からきています。
「獄」は、16歳の娘を交通事故で失った、裕福でインテリの在米中国人夫妻が、母国の農村で代理母を求め、再び子どもを得ようとします。息子を失った健康な若い女性を代理母に選び、子供が生まれるまで一緒に暮らします。代理母の胎内にいる子供をめぐって、二人は互いの囚人なのだと思います。ある日、二人で町へ出かけると、行方不明になった息子と思われるぼろを着た男の子を見て彼女は「名前はなんだい。年はいくつ。親はどこ。家は」と問いただします。彼女は、自分が育てるよりもいい暮らしが出来ると信じて、息子を売ったのでした。
「女店主」は、拘置所前のよろず屋の女店主である金(ジン)夫人は68歳、2年前に夫が亡くなり未亡人になった。恵まれない女性たちに手をさしのべて同居しています。死刑囚の夫との子供を残したいと、処刑前の子づくりの権利を申し立てた若い女性を保護する金夫人は、上海の若い女性記者から取材されることになりました。
「火宅」は、6人は公園で母親同士として知り合い、婚外恋愛に宣戦布告して、浮気夫たちの素行を調べる探偵になることにしました。6人は親しい付き合いを続けてきたが、その女性たちにもそれぞれの過去がありました。6人の老女が私立探偵として成功したという話題が新聞記事になり、テレビ局が短篇ドキュメンタリーとして取り上げました。それを見て、男性の依頼主が現れました。妻と父親の不倫を疑って相談に来た男の訴えを聞いて、彼女たちの団結は揺らいでいきます。
「花園路三号」は、45年前の少女時代に憧れた男性が妻を失ったことを知った女性の心情を描いています。
「流れゆく時」は、義姉妹の契りを結んだ3人の少女たちは、50年後には憎しみ合うようになっていました。それぞれが結婚して得た息子と娘を結婚させようと思っていたのに、息子が娘を殺してしまい、死刑になってしまった事件があったのです。しかし、一番にくまれているのは、事件と無関係だった主人公でした。
「記念」は、今は精神を病む天安門事件の元ヒーローの恋人に会いに行く女性の悲しさを描いています。
表題作「黄金の少年、エメラルドの少女」は、同性愛の対象だった38歳の女性を42歳になるゲイの息子の嫁にしようと思う老女教授。かつては理想的な「金童碧女」と呼ばれたであろう夫婦の娘だった女性は、新たな家族を築く決意をします。中国では理想のカップルを「金童(ゴールドボーイ)碧女(エメラルドガール)」というそうです。
朝日新聞の書評(2012.9.16)で小野正嗣は、以下のようにいいます。
各編からは、一人っ子政策の歪み、人権問題、爆発的な経済成長と増大する社会的経済格差、加熱するネット社会といった、昨今各種メディアでよく報じられている中国社会の姿が垣間見えてくる。・・・だが、欧米の読者を意識してか、あるいはアメリカで英語で書くことで、本国では書きにくい主題により自由に向き合えるからか、やや批判精神の立ち勝る眼差しで中国が見つめられていたように思う。・・・だが、そうした問題が、登場人物たちのそばに確かに感じられつつも、固有の苦悩と喜びを抱えた魂の動き、つまり一人一人の人間に触れることを妨げていないところに本書の身震いするほどの完成度はある。
また、読売新聞の書評(2012.9.24)で角田光代は、以下のようにいいます。
どんな衝撃的な関係も、絶望的な状況も、作者はごくふつうの日常として淡々と描く。そこここに「やさしさ」がちりばめられている。これも孤独と同様、作者は絶妙に描き分ける。人生を賭けた壮絶なやさしさがあり、恋愛によく似たやさしさがあり、残酷なやさしさが、軽い挨拶のようなやさしさがある。善意とは異なるそのやさしさは、過酷な人生を救いはしない。孤独をいやすこともない。ただ、ある。やさしさという言葉の定義を越えて、ただ、あり、そのことに私は力づけられる。
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