山梨県立美術館で「ミレー館(常設展)」を観てきました。といっても行ったのは去年の12月12日のことです。ブログに書くのに、1ヶ月以上も過ぎてしまいました。実は秋の紅葉の時期に昇仙峡を観て、山梨県立美術館でミレーの作品を観ようと思っていたのですが、毎度のことですが、観に行くのがズルズルと遅れてしまったというわけです。ふと思い出して本棚を探ってみたら、「山梨県立美術館 蔵品抄」が出てきました。しかもこれは「開館記念」と表紙に印刷されている超レアものです。日付を見ると、1978年、昭和53年11月とあります。今から35年も前の話です。
その頃数年にわたり、仕事で山梨を訪れていました。そうしたことから開館してすぐに美術館を見ることが出来たのでしょう。今思い出すとその他にも、建築士会の見学会とか、事務所の見学会とかで、山梨県立美術館を訪れていました。当時の山梨県知事は田辺国男さんで、前川事務所に設計を依頼したとき、ルーブル美術館のような美術館にして欲しい、と言ったと、設計を担当した大宇根弘司さんから聞いたことがあります。ちなみに大宇根さんは、山梨の数年後に宮城県立美術館も担当していたようです。前川事務所から独立してからは、町田市国際版画美術館などを設計しています。
昭和47年に置県100年記念事業として県立美術館の建設を決定します。ミレーを軸にバルビゾン派の作品を蒐集する方針が決定されます。アメリカでの競売で「種まく人」と「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」の油彩画2点を計1億820万円で落札しました。名作が落札されたニュースは大々的に報道されます。それに対する意見も、賛否両論がおきました。開館当初からミレーファンが殺到し、空前のミレーブームが起こりました。最近では2011年に、コレクションの中で不足していたミレーの風景画を購入しました。それはさておき、ミレーの美術館として知られる山梨県立美術館、ミレーの収蔵作品は、油彩画11点を含む約70点のコレクションになり、今回それらが一挙公開されていました。所蔵作品を一度に公開するのは1978年の開館以来初めてのことで、絶好の機会でした。
ジャン=フランソワ・ミレーの生涯
ジャン=フランソワ・ミレーは、1814年にフランス北西部のグリュシー村で生まれました。小さい頃から絵を描くのが好きだったミレーは、パリの美術学校へ通い、プロの画家なります。1849年には、パリから少し離れたバルビゾン村に移住。この村で最初に描いた大作が、「種をまく人」でした。1875年に亡くなるまで、ミレーはバルビゾン村に住み続け、農民の姿や生活を描きました。
バルビゾンの画家たち
パリから60kmほど離れたところに「フォンテーヌブローの森」という大きな森があります。その森のまわりにある森のひとつがバルビゾン村です。19世紀前半、この村にはミレーを含めてたくさんの芸術家が集まっていました。彼らは、この村の名前をとって「バルビゾン派」と呼ばれています。
ミレーの作品
風景画の系譜(クロード・ロラン~バルビゾン派)
「ミレーに出会える美術館」
2点の油彩画から出発した当館のミレーコレクション。1978年の開館時より一貫した収集方針の結実として、現在は油彩画11点を含む約70点のコレクションへと成長いたしました。これは、ミレーを所蔵するフランスやアメリカの代表的な美術館と比べても、非常に充実したものと言えます。これらを一挙公開し、ミレーの作品の豊かな世界を紹介する展覧会を開催いたします。
「山梨県立美術館名品選(第二版)」
編集・発行:山梨県立美術館©2006
制作:京都便利堂
編集:山梨県立美術館
井出洋一郎 小野迪孝
佐藤徹郎 守谷正彦
発行:山梨県立美術館
©1978
製作:便利堂