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芳澤勝弘著「白隠―禅画の世界」を読んだ!

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芳澤勝弘著「白隠―禅画の世界」(中公新書:2005年5月25日発行)を読みました。 芳澤は、現在Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されている「白隠展 禅画に込めたメッセージ」の監修者の一人です。この著作がなければ、文化村の「白隠展」はできなかったと思われるほど、白隠とその思想、禅画について詳しく書かれています。

それまでの白隠に対する定説を一挙にくつがえした労作だと思います。いや、素晴らしい労作です。


明治以降、白隠の名はその書画に対する興味が先行し、その書画は「力がある」「どっしりとして動じない」「深い」「鋭い」「嶮しい」といった言葉で評されていたが、白隠のすべての作品がそのような性格のものではなく、いわゆる「戯画」と呼ばれるような作品はその範疇にはおさまらないと、として、白隠の禅画は、線の強さ、大胆なフォルムなどの特徴が注目を集め、「どう描かれているか」という観点から見られることが多く、そこに表現されているものの意味、どのような宗教的メッセージが込められているのか、ということはあまり考証されることはなかった、と芳澤はいう。


芳澤は1999年から2003年にかけて、「白隠禅師法語全集」全14巻+別巻索引(禅文化研究所)の訳註の仕事をし、それに関連して多くの白隠禅画を見ることがあり、上のような感想を持ったという。芳澤はこの本の中で何度もいいます。「白隠は芸術家ではない、宗教家である」と。白隠の禅画は、さまざまな表現上の工夫を凝らし、技巧を尽くして、白隠が伝えようとした宗教メッセージにほかならない、ただ美術眼や宗教的洞察力を持って直感的に観察するだけでは、その深意は決して見えてこないものであり、白隠の全著作を味読し、それとの関連を分析することによって始めて、そこに深い宗教的意味が込められているとわかる類のものである、といいます。


「白隠展」のもう一人の監修者である山下裕二は、ギッター・コレクションを扱った「ZENGA帰ってきた禅画」展のカタログを制作する過程の直面した問題について、「白隠展」の図録で次のように述べている。「もっとも大きな問題は、なんとも情けない話だが、賛を読むのがきわめて難しい、とうこと。もちろん、解読につとめようとはしたが、浅学な美術史家にとっては荷が重すぎる」と。そこで、白隠をはじめとする禅画の賛を解読するためにもっとも信頼できる研究者は誰かと調べてみたところ、行き当たったのが、芳澤勝弘だったと述べています。


同じく「白隠展」の図録で、芳澤は次のように述べています。「白隠禅画は絵だけではない、賛という文字がある複合メディアです。絵と言葉とを駆使して、何かに気づかせようという禅的仕掛けなのです。白隠禅画は、見るだけではなく、読まなくてはならないのです」と。山下裕二は芳澤の労作「白隠禅画墨跡」(二玄社:2009年)を大きく取り上げています。白隠の賛は字面だけなら活字に起こすことはできるが、その賛を完全に解読するためには、とてつもない知識が必要であり、芳澤の解読によってはじめて白隠禅画の真の意味が美術史家に対して提示されたと絶賛しています。


僕は昨年の12月22日、つまり初日に「白隠展」を観に行きました。会場の冒頭に展示されていた、信州は下條村、龍嶽寺の「隻履達磨」には度肝を抜かれました。約100点余りの白隠の禅画や墨跡、会場で観た時は何となく通り過ぎていたものが、実は様々な意味が含まれていることが、芳澤の「白隠―禅画の世界」に解説されています。富士山大名行列の隠れた意味、、お多福、布袋、すたすた坊主など、白隠のキャラクターつくり、仕掛けとしての軸中軸、白隠の地獄感、等々、書かれているものは初めて知ることばかりで、納得いくものでしたが、ここでは深入りはしないことにしておきます。


「白隠―禅画の世界」の末尾で芳澤は、次のように書いて締めくくっています。

かつて白隠は27歳のときに、「一切の智者及び高僧にして菩提心無き者は、ことごとく魔道に堕す」という言葉に出会い、菩提心とはいったい何なのかという大疑団を起こした。そして、42歳のときに、菩提心とは四弘誓願の実践にほかならないのだということを悟り、それからの後半生、寸暇を惜しんで、大法財を集めて大法施を行ずる生涯を送ったのである。一見して戯画のように見える白隠の絵画は、決して単なる戯れ絵ではない。そこには、上求菩提、外化衆生という大乗仏教の根本が、さまざまな工夫を用いて、じつに多様に表現されているのだ。そこには大法施を行ずるための大法財という方便である。まさに白隠禅師の暖皮肉、いまなお生き生きとして血がかよっているところの教えなのである。


本書刊行時の芳澤勝弘の略歴は、1945年、長野県生まれ。同志社大学卒業。財団法人禅文化研究所主幹を経て、現在、花園大学国際禅学研究所教授。専攻・禅学、とあります。


本のカバー裏には、以下のようにあります。

禅画はむずかしいと言われる。なかでも、江戸中期に臨済宗を再興した白隠は、特異な画風で知られ、これまで誤って理解されることも多かった。しかし、禅画とは本来「言葉で表現できない禅的メッセージ」を伝えるものである。白隠の禅画も、彼の事跡や著作、その時代背景を丹念に検証することによって、そこにこめられた意図がストレートに浮かび上がってくる。多様な作品を読み解きながら、禅画の世界へいざなう。


白隠―禅画の世界 目次

はじめに

序章  白隠という人

第1章 富士山と白隠

第2章 キャラクターとしてのお多福と布袋

第3章 多様な画と賛

第4章 さまざまな仕掛け

第5章 南無地獄大菩薩―白隠の地獄観

終章  上求菩提、下化衆生

あとがき


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