板橋区立美術館で「我ら明清親衛隊~大江戸に潜む中国ファン達の群像~」を観てきました。観に行ったの12月16日のこと。東武東上線・東京メトロ有楽町線成増駅北口よりバスに乗って、やや遠いのが玉にきず。催し物が安村敏信館長の個性を反映してか、なかなか一風変わっていて毎回独特のものがあります。マニア垂涎の美術館、といったら言い過ぎか? で、今回は「我ら明清親衛隊」、なぜか「Ming,Qing.」と表記してあります。この展覧会は、年代は明(みん)は1368-1662年、清(しん)は1616-1911年を扱っています。
江戸時代半ばを過ぎると中国から長崎を経由して大江戸に流入した明清の美術や文化が画家たちを刺激して新たな潮流を生み出した、というもの。として出品絵師39人の名前が挙げられています。司馬江漢、谷文晃、渡辺崋山、椿椿山、鍬形蕙斎など、わずか数名の名前は知っていますが、そのほとんどは新しく取り上げられた人物の作品、いや、僕の知らない絵師たちです。さすがは板橋美術館、こういうところに底力を出します。
18世紀に入り中国からもたらされたものが二つ。一つは蘇州版画の流入です。乾隆年間の蘇州版画は絶頂期に達し、大判で多彩な表現を示し、風景版画には西洋の遠近法が銅版画を通して取り入れられました。それらが日本に流入し、江戸の浮世絵版画で出現した浮絵の成立に影響を与えました。もう一つは享保18年の沈南蘋来日です。彼の絵は、中国の伝統的な著色花鳥画に西洋風の写生画法を加味したもので、花鳥の写実的な描写に日本人は驚き、その画法はたちまち日本各地に広まりました。
ロビーに展示してある蘇州版画「蘇州景 新造萬年橋」(町田市立国際版画美術館)から始まります。図録には以下のようにあります。乾隆5年に完成した蘇州の万年橋を右側から描いたもの。橋の完成を祝うパレードが通り、蘇州の町の賑わいが描かれています。西洋銅版画のようなハッチングの刻線と建物の壁面や屋根の線によって、陰影法による立体的な視覚効果が生まれています。しかし、橋の下には影をつけてトンネル部分を表現しながら、人物には影がつけられておらず、光源も明瞭ではない。画面上から下に向かって遠近を表す構図は東洋の伝統的なものであり、遠近法の消失点は設定されずに遠山の描写が継ぎ足されています。彩色は筆で施されています。
今回の目玉は、チラシにも取り上げられている戸田忠翰の「白鴎鸚鵡図」でしょう。大きな白鸚鵡が印象的に描かれています。鸚鵡の止まるのは松のような樹木で、時計草が絡みついています。画面下には点苔を打った岩戸オレンジ色の百合が描かれています。主題の白鸚鵡は、胡粉による羽毛の細密描写や嘴や足の質感など、南蘋風の写実的な表現で描かれていますが、その他の部分は淡泊な描写になっています。忠翰45歳の作。
最も数多く出てくるのが宋紫石、俗称橋本幸八郎。中年近くになって長崎へ行き、「沈氏門裔」に就いて絵を学びます。さらに宝暦5~8年に来日した宋紫岩に入門し、師の名に倣って宋紫石と名乗ったという。門弟も数多く、南蘋画風を地方に広めることに貢献しました。門人は幕臣をはじめ全国各地の半紙、洋画家に転じた司馬江漢など多岐に渡っています。江戸の南蘋派を大流行させた立て役者として、紫石の存在意義は大きい。今回、「葡萄図」「夏富士図」など、9点が出されていました。
もう一つ、鈴木鵞湖の「嫦娥図」。嫦娥は中国古代の伝説に登場する人物で羿の妻。樹幹に腰掛けた嫦娥が憂いのある表情で物思いにふけっています。腕には白兎を抱いています。風に乱れる髪や冠の飾りが美しい。鵞湖49歳の作。
ロビー展示
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展示室展示
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「群鹿群鶴図屏風」:
狩野養信は、江戸後期の狩野派の絵師、狩野栄信の長男、木挽町狩野家九代目。
狩野派の絵師が沈南蘋の作品を模写したことが明らかな例。この図の原図である沈南蘋の「鹿鶴図屏風」は当時将軍家にあったもので、現在は東京国立博物館が所蔵しています。水戸徳川家の要望によって制作されたことが判明しています。「禄」と同音同声の鹿、長寿を象徴する鶴、桃、松、霊芝と吉祥モチーフが同居しています。濃厚な南蘋原図と比較すると、描線、彩色ともに爽やかな描写になっている、という。
「我ら明清親衛隊~大江戸に潜む中国ファン達の群像~」
日本の美術は、歴史的に中国美術の影響を受けながら成立してきました。18世紀半ば、江戸時代半ばを過ぎると、中国から長崎を経由して大江戸に流入した明清(みんしん)の美術・文化が画家たちを改めて刺激し、新たな美術上の潮流を生みだします。その新潮流が、江戸に本格的な民間画壇を成立させる要因の一つとなりました。庶民向けの浮世絵版画の世界では、西洋の遠近法を取り入れた蘇州版画(そしゅうはんが)の風景表現により、遠近を強調した浮絵(うきえ)の発生が促されたと考えられます。ついで清の絵師・沈南蘋(しんなんぴん)が長崎に来舶し、これまでにない写実的な花鳥図を精緻な彩色で描いたことで、後に南蘋派(なんぴんは)と呼ばれる画風が江戸で大流行します。ここに版画ではなく肉筆画を主流とする民間画工が登場したのです。南蘋派の影響の大きさは、狩野派にも沈南蘋の作品を模写した例が見られることや、武家の藩主にも自ら南蘋風の絵を描くものが現れたことからもうかがわれます。さらに谷文晁とその一門は、明清の絵画を咀嚼し、江戸の好みに合わせた表現を模索しました。本展では、明清の美術に影響を受けて熱中した当時の様相を探り、いかに多くの絵師たちが中国美術に憧れていたかを概観します。江戸における明清絵画の親衛隊たちの知られざる活躍をご覧ください。
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江戸文華シリーズno.28
「我ら明清親衛隊~大江戸に潜む中国ファン達の群像~」
2012年12月1日~2013年1月6日
図録
企画:安村敏信(板橋区立美術館)
発行日:2012年12月1日
発行:板橋区立美術館
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