小川洋子の「ことり」(朝日新聞出版:2012年11月30日第1刷発行)を読みました。「ことり」は書き下ろし作品で、400字詰め原稿487枚です。題名が「小鳥」ではなく「ことり」とあるところが、人の世界の非情な意味が隠されています。
「小鳥の小父さんが死んだ時、遺体と遺品はそういう場合の決まりに則って手際よく処理された。つまり、死後幾日か経って発見された身寄りのない人の場合、ということだ」という書き出しで始まります。そして小父さんの日常の生活が綴られ、最後に「『大事にしまっておきなさい。その美しい歌は』 そう言って小父さんは二度と目覚めない眠りに落ちた。小父さんの腕の中でいつまでもメジロはさえずり続けていた」と書いて、この切なく静謐な物語は終わります。
「小鳥の小父さん」と呼ばれていた独り暮らしの老人の死から、物語は始まります。近所の幼稚園の鳥小屋を掃除していた小父さんの過去が、少しずつ明らかにされていきます。小父さんは両親が残してくれた家で、ずっと一緒に暮らしていた兄がいました。毎日幼稚園の鳥小屋の前に行き鳥を眺め、毎週水曜日に近所の薬局で棒付きのキャンディーを買っていたこの兄は、ボーボー語という不思議な言葉を喋り、それを聞いた人は例外なく誰もがまごつき、弟以外の誰とも意思の疎通ができませんでした。小父さんは、兄は小鳥と同じように皆が忘れた言葉を喋っているだけだと考えていました。
小父さんはバラ園のあるゲストハウス(古河庭園とおぼしき?)で管理人として働き、お兄さんは家で留守番をする。小父さんとお兄さん、二人きりの生活は23年続きました。小父さんは図書館で鳥に関する本だけを選んで借りて、決まり切った暮らしを続けてきました。図書館の司書さんとの間に、淡い恋も生まれかけます。司書さんをゲストハウスに招き入れたことで、小父さんは会社から服務規程違反で始末書の提出を求められたりもします。
しかし、近所で女児の行方不明事件が起きると、小父さんの周辺の状況は一変します。小父さんのところにも警察が来たりします。幼稚園の裏門の扉は鍵を掛けるようになり、鳥小屋を掃除することも、新しい園長から断られてしまいます。両親から引き継いだ古い家も、荒れ果てていきます。鳥小屋もなくなり、しばらくして60歳を迎えた小父さんは、ゲストハウスの仕事を辞めることになります。
小父さんは、庭先のサンダルに潜んでいたメジロの幼鳥を飼うことになります。メジロは少し怪我をしていましたが、回復していきました。自分以外の何者かが、自分のそばにいる。お兄さんが死んで以来、久し振りに小父さんによみがえってきた感覚でした。お兄さんが生きていればどんなによかっただろう、と幾度となく小父さんは思います。ある時小父さんは、怪我をしたメジロに話しかけている自分に気がつきます。無意識のうちにボーボー語を使っているので自分でも驚きます。小父さんはボーボー語を決して忘れてはいませんでした。もちろんメジロもこのボーボー語を理解しました。
「チィーチュルチィーチュルチチルチチルチィー」とメジロがさえずります。メジロは元気になります。「明日の朝、カゴを出よう。空へ戻るんだ」と小父さんは言います。耳を澄ませているとお兄さんの声が聞こえてくるような気がします。お兄さんの声をもっとよく聞こうとした小父さんは、鳥籠を胸に抱き寄せ、その場に横たわります。「ひと眠りするよ。そうすれば元気になる」、再びメジロは歌い出します。「大事に締まっておきなさい。その美しい歌は」。そう言って小父さんは二度と目覚めない眠りに落ちました。
内容紹介(Amazonより)
12年ぶり、待望の書き下ろし長編小説。 親や他人とは会話ができないけれど、小鳥のさえずりはよく理解する兄、そして彼の言葉をただ一人世の中でわかるのは弟だけだ。小鳥たちは兄弟の前で、競って歌を披露し、息継ぎを惜しむくらいに、一所懸命歌った。兄はあらゆる医療的な試みにもかかわらず、人間の言葉を話せない。
青空薬局で棒つきキャンディーを買って、その包み紙で小鳥ブローチをつくって過ごす。やがて両親は死に、兄は幼稚園の鳥小屋を見学しながら、そのさえずりを聴く。弟は働きながら、夜はラジオに耳を傾ける。静かで、温かな二人の生活が続いた。小さな、ひたむきな幸せ……。そして時は過ぎゆき、兄は亡くなり、 弟は図書館司書との淡い恋、鈴虫を小箱に入れて持ち歩く老人、文鳥の耳飾りの少女と出会いながら、「小鳥の小父さん」になってゆく。世の片隅で、小鳥たちの声だけに耳を澄ます兄弟のつつしみ深い一生が、やさしくせつない会心作。
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