「異邦人」「反抗的人間」等で知られるノーベル賞作家、アルベール・カミユ(1913-1960)は、46歳の若さで自動車事故のためこの世を去った。その際にカバンから発見された執筆中の小説「最初の人間」は、30年以上の長い歳月を経て、1994年に未完のまま出版され、フランスで60万部を売り上げるベストセラーとなり、その後世界35ヶ国で出版、大きな反響を呼んだ。しかも、フランスに住む作家が、生まれ育ったアルジェリアに帰郷する、という設定は紛れもなく自伝であり、カミユの創作の原点を知る上で大きな事件であった。2013年に迫った“カミユ生誕100年”を記念し、遂に映画化されたのが本作である。(チラシより)
僕も若い頃、同年代の人たちと同様、人並みにカミユを読みました。僕は大江健三郎からサルトル、そしてカミユやカフカに入りました。カミユと言えば「不条理」です。「異邦人」や「ペスト」、そして「反抗的人間」や「シュシューポスの神話」でした。「革命か反抗か―サルトル=カミユ論争」もありました。なかでも「きょう、ママンが死んだ」と始まる「異邦人」は何度か読み直しました。主人公のムルソーがアラブ人を射殺し、裁判で殺人の動機を「太陽が眩しかったから」と言う箇所は大いに話題になりました。ルキノ・ヴィスコンティ監督の「異邦人」を観たことも思い出しました。
1957年、夏、仏領のアルジェリアは独立を望むアルジェリア人とフランス人との間で激しい紛争が続いているさなか、(カミユとおぼしき)作家コルムリは、老いた母が一人で暮らす、生まれ育ったアルジェリアに帰郷します。母はいつもと変わらぬ生活を続けており、息子の帰郷を喜びます。父は若くして戦死し、厳しい境遇のなかで病院の下働きをしながらコルムリを育ててくれた母、厳格な祖母、工場で働く気のいい叔父、彼らはみな文字が読めなかった。そうしたコルムリを中学進学へと助力してくれた恩師、アルジェリア人の同級生のことなど、数々の思い出が彼の胸に去来します。コルムリの旅は、アルジェリアの貧しい家庭に育った彼の複雑な生い立ちをたどる、自らの存在理由をたしかめる旅でもありました。
「最初の人間」の意味を、カミユの娘カトリーヌ・カミユは次のように述べています。「貧乏な人たちは人知れず、忘れ去られていく運命を余儀なくされています。この匿名性によって次の世代を背負う人たちはそれぞれ“最初の人間”となるのです。この小説では、息子も父親も二人とも“最初の人間”なのだと思います。父親は孤児院の出身ですし、若死にしたので、息子に何一つ伝えてやれなかったのです。それにこんな言葉もあります。つまりアルジェリアは忘却の土地であり、そこでは誰もが“最初の人間”であると」。アルジェリア人でもありフランス人でもあるという、曖昧な立場の作家コルムリは苦悩しつつ、「争いではなく、共存を」と訴えます。
以下、とりあえずシネマトゥデイより引用しておきます。
チェック:「異邦人」「ペスト」などのフランスが世界に誇る作家、アルベール・カミュの未完の遺作であり自伝的小説を映画化したヒューマン・ドラマ。成功した作家が母のいる故郷アルジェリアを訪れ、フランスからの独立を懸けて戦争を繰り広げる故郷の現状を憂い模索する姿を描く。監督は、『家の鍵』などのジャンニ・アメリオ。主人公の作家を、今村昌平の『カンゾー先生』に出演したジャック・ガンブランが好演。カミュの家族の歴史と思想が、現代もなおくすぶる国際的な問題や自由と平等の定義と呼応する。
ストーリー:1957年のアルジェリア。フランスに住む作家のジャック・コルムリ(ジャック・ガンブラン)は、独立紛争まっただ中の故郷に帰ってきた。母(カトリーヌ・ソラ)は、かつてのアパートに今も暮らしていた。旧友に頼まれ彼の過激派の息子の釈放を政府に掛け合ったコルムリだったが、その息子は断首刑に処されてしまう。そんな中、コルムリは自由と平等のためにラジオで演説する。
平成24年11月1日発行
新潮文庫
著者:アルベール・カミユ
訳者:大久保敏彦
発行所:新潮社
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