国立西洋美術館の版画素描展示室で、「ウィリアム・ブレイク版画展」を観てきました。ちょっと奥まったところにあるので、うっかりすると見過ごしてしまいます。英国ロマン主義運動の先駆ける存在となったウィリアム・ブレイク(1757-1827年)。詩人、画家としても知られるブレイクですが、常にその多彩な活動の中心にあったのは銅版画制作だったということは、今回始めて知りました。
む? 待てよ、ブレイク?、聞いたことがあるよ。たしか大江健三郎も引用しながら小説を書いていたような?ということで、ネットで調べてみると、下のような文章が見つかりました。
大江健三郎はイギリスの神秘主義詩人で画家のウィリアム・ブレイクに造詣が深いことで知られているが、「新しい人よ眼ざめよ」(1983年)はウィリアム・ブレイクの詩を媒介とした連作である。この小説の最後が、「惧れるな。アルビオンよ、私が死ななければお前は生きることができない。しかし私が死ねば、私が再生する時はお前とともにある。」というブレイクの詩句で締めくくられているのを見た。(「大江健三郎における絶望と再生」より)
すかさず、本棚から埃をかぶった大江健三郎の「新しい人よ眼ざめよ」(講談社:1983年6月13日第1刷り発行)を取り出し、パラパラとめくってみました。たしかに「ウィリアム・ブレイクの詩を媒介とした連作」で、読んだ記憶がほんの少しだけ、甦ってきました。なんと28年も前に読んだ、大江健三郎の著作でした。大江健三郎は、英詩人・銅版画家、ウィリアム・ブレイクとの出会いについて次のように書いています。
「人間は労役しなければならず、悲しまねばならず、そして習わねばならず、忘れねばならず、そして帰ってゆかなければならぬ/そこからやって来た暗い谷へと、労役をまた新しく始めるために」。僕がこの一節を、それも全体から離れて読んだのは、大学の教養学部の、最初の学年の時のことだ。(「新しい人よ目ざめよ」39ページより)
そのようにして僕は、ある時、ブレイクをふくむ英詩のアンソロジーを読んでいた。そしてそれまで自分としては知らなかった、ブレイクの長詩の一節を読んで、このスタイルあるいは言葉のかたちと情念こそが、かつて少年時から青年時へのかわりめの一日、あのように激しく自分を撃った詩句と同一だと確信したのであった。確信は強く、その日のうちに僕は丸善に出かけて、ブレイクの全詩集を買うことになった。そしてはじめの数語を見てはすぐ次の詩行に移る仕方で、記憶にある、しかし正確に覚えているというのではない、あれらの詩句の探索をはじめた。翌日には、すでにのべた『四つのゾア』という長詩のうちにそれを確認しえていたのである。(「新しい人よ眼ざめよ」43ページより)
「人間は労役しなければならず、悲しまねばならず、そして習わねばならず、・・・」というブレイクの一節は、大江にとって長男の誕生以降の作品に、大きな現実の問題となってきたわけです。
今回の「ウィリアム・ブレイク版画展」、ブレイクの「エングレーヴィング」技法による作品が31点、その他の作品が6点、展示されていました。圧巻は「チョーサーのカンタベリーへの巡礼」(1810-20年)です。ブレイクが過去に描いたテンペラ画を銅版画にしたもので、ブレイクの版画では最大の大きさです。30人ほどの人物には、市民はもとより、騎士や宗、医者や農夫、そしてチョーサー自身までが描かれています。解説が面白いので、以下に載せておきます。
ブレイクの作品はその他に、「『ヨブ記』の為の挿絵より」が12点、「ダンテ『神曲』のための挿絵より」が7点、出されていました。「ヨブ記」についても、「神曲」についても、コメントする力は僕にはありませんが、これらはブレイク最晩年の作品で、けっこう迫力があります。ブレイクの銅版画は、独特の幻想的、象徴的な世界を構築してみるものを魅了します。線描に芸術の本質を見ていたブレイクは、陰影はもちろん色彩の違いさえも線によって表現することにこだわった、という。
「自らの創意に従って制作を進めたブレイクは、異色の存在であったと言えるでしょう。詩とイメージの融合、線描による表現の重視など、独自の芸術理念を追求したブレイクでしたが、こうした志向は、同時代の人々の好みとかけ離れていることがしばしばであり、生前ほとんど評価されませんでした」と解説にあり、「評価されなかった」というところが面白い。
他に、デューラーやルカス・ファン・レイデン、ニコラス・ベアトリゼやジョルジョ・ギージら、ブレイクが傾倒したルネサンスの版画家たちの作品6点も展示されていました。
1.家僕:騎士の息子。優美で華やかな青年。
2.騎士:武勇に優れた高貴なる人物。
3.騎士の従者:従者の鑑というべき男。狩猟法によく通じており、手に弓を持つ。
4-7.女子修道院の下働きの尼と3人の僧。
8.女子修道院長:淑やかな心やさしい人物。
9.17-18.市民たち
10.托鉢僧:りりしい風采。俗っぽく社交的で、ぬけめのない男。
11.僧院長:堂々たる風格を示す。狩猟を好む享楽的人物。
12.免罪符売り:優男風の外見を持つが、実は腕っ節が強く狡猾。
13.賄い人:注意深く買い物上手。法学院の賄いをしている。
14.送達吏:吹出物が一面に出た赤ら顔の男。気の良い人物だが、詐欺師でもある。
15.宿屋タバード館の主人:宿に泊まりあわせた巡礼者一堂に、道中を共にし物語を語りあうことを提案、一緒に旅に出る。
16.船乗り:褐色に焼けた肌を持つ。愉快な男であるが、粗暴な側面を持つ。
19.郷士:美食家で快楽主義者。
20.医者:医学の道によく通じた優秀な医者。
21.農夫:善良で信心深い働き者。
22.法律家:すべてにおいて細心、思慮深く尊敬すべき人物。
23.牧師:貧しいが、高徳で献身的な聖職者。
24.商人:高貴な風采でもっともらしく振舞う。その狙いは自分の儲けを増やすことにある。
25.バースの夫人:5回の結婚経験を持ち、恋の治療法にも良く通じている。
26.粉屋:頑丈な体つきをした力持ち。下品で粗野な男。
27.料理人:料理上手で、ロンドンのビールの味利きができる。
28.学生:痩せぎすで真面目な顔つき。頭の中は学問で満たされているが、財布の中には一銭も入っていない。
29.チョーサー:「カンタベリー物語」の作者。
30.家扶:財産管理の仕事ぶりは容赦なく万全。ひそかに財産を蓄えている。
「ウィリアム・ブレイク版画展」
近代英国の代表的画家、詩人として知られるウィリアム・ブレイク(1757-1827年)は、銅版画家としても多数の作品を残しています。独特のインスピレーションに基づき、幻想的かつ象徴的な世界を構築する彼の版画は、英国ロマン主義を先駆けるものでした。今日に至っても、それらの作品は見る者を魅了してやみません。当時、英国の版画家たちの主な仕事は、画家から提供された原画を忠実に複製することでした。この趨勢に抗い、自らの創意に従って制作を進めたブレイクは、異色の存在であったと言えるでしょう。詩とイメージの融合、線描による表現の重視など、独自の芸術理念を追求したブレイクでしたが、こうした志向は、同時代の人々の好みとかけ離れていることがしばしばであり、生前ほとんど評価されませんでした。しかし、ブレイクは、世間の無理解に苦しみつつも、生涯、自身の理想を貫き通したのです。今回の展示では、旧約聖書『ヨブ記』やダンテの『神曲』のための挿絵をはじめ、当館が所蔵するブレイクの版画をご覧いただきます。また、デューラーやマルカントニオ・ライモンディら、彼が傾倒したルネサンスの版画家たちの作品も併せてご紹介します。この機会に、銅版画家ブレイクの世界をどうぞご堪能ください。
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