二瓶哲也の「最後のうるう年」(「文學界」2012年12月号)を読みました。第115回文學界新人賞受賞作です。いつもなら「選評」を読んでから受賞作を読むのですが、今回はまったく予断なく一気に読み終わりました。二瓶哲也は略歴によると、1968年6月4日生まれ、44歳、新潟県出身、高校卒業、現在、無職、東京都在住、とあります。「最後のうるう年」は、候補作の中でいちばん文章がしっかりしていて、安定感がある。出て来る男たちがうまく書く分けられていて、いやったらしいところを含め魅力がある。性風俗業内の閉じた感じも、そこでの強者弱者のありようもよくわかる、と選考委員の角田光代は選評で述べています。
来週一杯で9年間務めた印刷会社を退職する手筈になっている主人公。渋滞した車の中で、20年近く前に渋谷で一緒に働いていた小笠原を、偶然見かけます。小笠原は自分の中では思い出すこともない、過去の人間になっていました。記憶は20年近くも前の、不安定なアルバイト時代、人生を掌握しようともがいていた時代のことです。小笠原だけではなく、あの頃出会った人間たちは本当に存在したのだろうか、風化し色褪せた輪郭を失いつつある記憶をたぐりよせ、自分勝手に縫合を開始します。
1992年8月、19歳の主人公・三村は、渋谷の円山町のホテル街で、指定のホテルに女の子を送り迎えする仕事をしていました。昼10時から夜7時までの早番シフトで、同僚は小笠原さんとテラさん。自分はスポーツ新聞の「高収入バイト」欄を見てこの仕事に就きました。この店の経営者は他に2軒のデートクラブと愛人バンク、道玄坂のマンションで個室風俗店を経営しているらしい。集金係は吉成という名前だが、誰もが陰でナリポンと呼んでいました。
いつもどおり事務所待機の仕事で朝9時半に出勤すると、引き継ぎメモには「小笠原 休み」と書かれていました。テラさんは事務所に住み込みで働いていて、朝11時の営業開始から翌日の朝4時まで電話番をしていました。インターフォンが鳴り、受話器を取ると「エバラですけど」と男の声がしました。「早番のヘルプに出ろ」と言われたという。小笠原さんの代わりらしい。チェーンを外し、解錠しドアを開けると、丸刈りで目の細い男が立っていました。何度か事務所で見かけたことがあります。「自分、早番の三村。よろしく」というと、エバラは無言で会釈しました。
ヒカルさんをホテルへ送り返ってくると、エバラはアサコさんと話し込んでいました。アサコさんは元小学校の教師で、10月に結婚を控えていました。結婚が決まってから、働き始めたのだという。その了見が理解できなかった。二人の会話を聞くとはなしに聞いていると、アサコさんはエバラを納得させようと必死に話しています。一方エバラは、淡々とした口調でことごとく覆していました。会話の内容は尾崎豊という歌手についてだと判明しました。自分とエバラは交互に送りに出ました。夕方、事務所に小笠原さんから電話が入り、体調が戻り明日は出勤できるということでした。「小笠原のずる欠は、今日一日だってさ」とテラさんが笑います。
ホテルから女の子を連れて帰ってくると、マンションのエントランスでエバラとすれ違いました。「お疲れさん」と声を掛け事務所に戻り、日払いの給料を貰います。急いで事務所を出ると、マンション前の路地の電柱脇に、エバラが立っていました。「俺、今日で仕事最後でさ。首だよ。女たちから苦情が出たんだってさ。一日だったけど、世話になったから一応報告しとこうと思って」と、エバラは言います。渋谷駅までこれといった会話はなかったが一緒に歩きます。山手線に乗り、池袋まで来たときエバラは「少し飲んでいかないか?」という。ほとんど接点のない人間だったが、なぜ承諾したのか自分でも分からなかった。
巣鴨に降り立ち、エバラの行きつけのキャバクラへ入りました。エバラはシオンという女の子を指名します。髪の長い凡庸な顔つきの子でした。エバラは「この前、話した本、読んだ?」とシオンに言う。「人生を変えてくれるような本って、なかなか存在しない。仮に存在しても、うまく出会える可能性は少ない。たとえ本が両手を拡げて俺たちを歓迎していても、俺たち自身が気づかずに通り過ぎてしまう。それはお互いにとって、あまりにも不幸なことだ」。エバラは氷が溶けきって薄くなった水割りを飲みながら言った。彼の風貌からは想像し難い語彙に、自分は強い違和感を覚えました。
駅へ向かう短い時間、エバラは小説について熱っぽく語りました。熱弁に収まりがつかなくなり、コンビニで買ってきた酒を公園で飲みながら、エバラは相変わらず小説の話ばかりしました。「ほんと好きなんだな」と半ば呆れながら言うと、「好きっていうより、小説は多種多様な人生を考えさせてくれる。一人の人間が多様な人生を歩むことは不可能だろ。人生ってものを色んな側面から考えることが好きなんだ」と、エバラは言います。やがて酒も尽きて、自分は帰ることにしました。「また飲もうぜ。電話番号教えとく」とエバラがいった。その翌日、財布の中身を整理し、どうせ二度と会うことはないと思い、エバラの電話番号も捨てました。
巣鴨で飲んでから1年近く経った頃、エバラから連絡が来ました。池袋あたりで飲まないかと誘われ、報告したいことがあるのだという。池袋の西口にある居酒屋で落ち合い、互いの近況報告の後、「小説が一次審査を通ったんだ」という。雑誌を取り出し、開いてこまごまと人名が並んでいる箇所を指します。自分は始めてエバラという名の漢字が「荏原」だったことを知ります。小説は一次審査は通過したが、二次審査で落選していました。「自分で言うのもなんだけど、一時を通過したってことは、ある程度の才能があるってことだと思うんだ。もっとテクニックを磨いて、次は大賞を取る」とエバラは意気込みます。
エバラは袋から紙の束を出し、「読んでみてくれよ」と、一次審査を通過したという原稿のコピーを出します。題名は「最後のうるう年」、群馬県の温泉町で私生児として誕生した男が上京し、そこで出会う人々との日常を淡々と綴った内容でした。「うるう年ってのは、1年を365日とする太陽暦と、地球の公転周期の差異を埋めるためにある。つまり暦の微修正だ。人生にもそんな修正の時が必要な気がするんだ。そして、その修正が自分の人生にとって最後の修正で、後はうまく進んでほしい。そんなつもりで付けたんだ」と、エバラは言います。これ以後、エバラは煩雑に連絡を寄こすようになり、習作の短篇などを読まされました。
2月に入って栗栖という店長がやってきました。五反田の風俗店で長年店長をしていたというベテランでした。「そんな恰好で、いままで仕事をしてきたのか。客商売だぞ、明日からネクタイをしろや」と言われ、受付部屋を掃除し出した。プレイルームを見て回り、「これが女の子の住んでる部屋か、ここは客を通す部屋だぞ」と言われ、念入りに掃除をさせられます。それが済むと、電話応対のロールプレイング、言葉遣い一つ一つに栗栖の指示が入ります。以後の仕事は苦痛でしかなかった。自分も限界だった。そして楽園を去ることにしました。
自分が店を辞めたのとほぼ時を同じくして、小笠原さんも仕事を辞めました。貯金があるので、しばらくは何もせずに暮らすのだという。自分は毎月の家賃に追われる身なので、新しく池袋にあるカフェバーに勤めることになりました。同僚の上海から来た中国人、周さんがいろいろとアドバイスをしてくれます。小笠原さんも時々、店に来てくれます。キャバクラ嬢だった笹森さんと交際を始めますが、程なくして分かれます。久し振りにエバラから電話があり、店に現れたエバラは、青々とした坊主頭になっていた。「三村しか読んでくれる奴がいないから」とエバラは言って、原稿を取り出します。
雨の降る中、店の外で待っていたエバラは「三村に話しておこうと思ってさ」と言い「修行の道に進もうと思っているのだと、話します。「仲間は大勢いる」そう言って、エバラは修行する団体の名称と主宰者の名前を挙げました。年が明けた早々、関西方面で巨大な地震が発生した。さらに3月、地下鉄の数ヶ所でサリンと呼ばれる猛毒ガスが何者かたちによって散布され、多くの死者、負傷者を出すテロ事件が勃発した。後日、事件への関与が報道された団体と主宰者は、あの夜エバラから聞いた名前だった。
三村から聞いた話を勝手に繋ぎ合わせ、膨らませ、脚色した架空の三村の記憶に。自分はとうの昔に小説創作を諦めたが、不意に昔の癖がでて勝手に物語を作ってしまう。人は変われないものなのかもしれない。元来持っている伸び代の中で、多少の変化を繰り返すだけに違いない。今、三村はどうしているだろう。地下鉄サリン事件が起きた直後、自分が働いていた製パン工場に三村から連絡があった。安否を心配しての電話だった。自分が事件に関与していないか確認の意味もあったのだろう。結局、自分はあの教壇には参加しなかった。今となっては、なぜ修行という妄想に憑かれていたのか自分でもわからない。
角田光代の選評を続けよう。ラストで視点の入れ替えがあり、これは賛否両論だったが、私はこのようにしてよかったと思う。小説などに魅せられなければ異なった20年があったはずで、そのことを荏原自身が何より理解している、その寂寥を感じたのだ。小説など読まない人生の幸福、小説など書かない人生の幸福についてしばし考えてしまった。
また同じく選考委員の吉田修一は、少し長いが、以下のように絶賛しています。この作品(Loserもの)が他の作品と一線を画すのは、登場人物、会話、構成それら全てから(隠しようもなく)滲み出てくる敗北感の強さである。決して味わいたくはないが、思わず嫉妬してしまうほどの敗北感がこの作品には満ちている。主人公は一度だけ新人賞の一次審査を通過したことのある小説家志望の青年であり、またその後の中年である。この間に流れる20年という途方もない時間を、男は「もしかすると小説家になれるかもしれない」という微かな期待だけを頼りに生きる。
「期待」ほど、人生に邪魔なものはない。これさえなければ、容易に別の道が開けることもある。だが男は諦めない。死にものぐるいで食らいつく。「これでダメだったら、きっぱり足を洗うつもりだった」という言葉は、各分野で日の目を見た人たちがよく口にする言葉だが、この「最後のうるう年」からは、そういった最後の賭に出た作者の覚悟が感じられた。そして選考委員として、その覚悟に賭けてみたくなった。諦めない者は無様だが、諦めない者にしか見えない世界がある、と信じたい。