東京国立博物館平成館で「中国王朝の至宝」展が開催中です。この展覧会は中国で最古の王朝といわれる夏かた宋までの中国歴代の王朝に焦点を当て、それぞれの地域の特質が凝縮された代表的な文物を対比しながら展示するという新たな手法によって、多元的でダイナミックに展開してきた中国文化の核心に迫るという、意欲的な展覧会です。
11月8日(木)、ブロガーを対象にした「特別招待会」に参加してきました。18時30分から受け付け開始、19時からギャラリートーク開始、終了は20時となっていました。ギャラリートークはこの展覧会ワーキンググループのチーフ、学芸企画部長の松本伸之さんが担当、会場内で今回の展覧会の主旨、及び、作品について、分かり易くかつ詳しい説明がありました。
今回の展覧会の「みどころ」は、以下の三つ。
・対決! 2つの王朝
同時代に栄えた2つの王朝の代表的な文物を対決させるという新たな手法で、夏から宋の時代にわたる中国の文化史を展望。中国文明の多元的でダイナミックな展開を体感できること。
・「掘り出しモノ」100%
展示作品は、紀元前2000年から約3000年間の貴重な文化財。国宝級の一級文物は約60%もあること。
・新発見&日本初公開
2001年に発見され現在も発掘調査が続いている金沙遺跡の多彩な文物。2008年に発見されて大きな話題をよび「塔(仏塔)の王様」
といわれている阿育王塔など、日本初公開の作品を含めた最新の発掘成果が観られること。
展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 王朝の曙 蜀vs夏・殷
第2章 群雄の輝き 楚vs斉・魯
第3章 初めての統一王朝 秦vs漢
第4章 南北の拮抗 北朝vs南朝
第5章 世界帝国の出現 長安vs洛陽
第6章 近世の胎動 遼vs宋
第1章 王朝の曙 蜀vs夏・殷
紀元前2000年頃から、黄河中流域の平原、つまり中原には、中国の初期的な王朝が誕生しました。いわゆる夏や殷です。細綴で強靱な造形を備えた青銅器や玉器を作り、漢字の元となる文字をはじめて体系的に用いるなど、中国文化形成の礎となりました。それとほぼ同じ頃、長江上流域にあたる四川盆地、すなわち蜀と呼ばれた地域では、黄河流域の王朝とは別の勢力による国が形成されていました。肥沃な土地によりながら、人の姿をした神や各種の動物を崇め、金を多用した高度な文化をもつ古代蜀の王国です。四川(蜀)と中原(夏・殷)という二つの地域で形作られた特色ある文物を間近に対比することにより、異なる勢力が並存していた初期王朝期の多元的な中国文化の実体を照らし出します。
第2章 群雄の輝き 楚vs斉・魯
殷の後に中原を支配した周の威光が薄れると、各地に諸侯が並び立つ春秋戦国の時代になりました。黄河の下流域では、周の流れをくむ斉や魯が栄え、なお周の伝統を残しつつ、諸子百家といわれるような様々な思想・文化が花開きました。一方、長江の中流域では、黄河流域の諸国とは風俗言語を異にした勢力、すなわち楚が隆盛を誇りました。土着的な信仰を色濃く残し、神秘的な姿をした神や獣を崇め、古来の神話体系を護持するなど、独自の文化を展開しました。いまに残る青銅器や木漆器など、この時代の代表的な文物を選りすぐり、南方の雄であった楚と、中原の伝統に連なる斉・魯の文化を改めて比較しながら、豊饒な古代中国文化の諸相を浮き彫りにします。
第3章 初めての統一王朝 秦vs漢
紀元前221年、それまで黄河と長江の中流域に覇を競い合っていた諸国は、西方から興った秦によって滅ぼされ、ここに中国史上初の統一王朝が出現しました。始皇帝による秦王朝です。秦は、それまで国ごとに異なっていた文字や諸制度を統一し、中央集権国家を実現しました。短命に終わった秦の次に中国全土を治めた漢は、秦の体制を継承、発展しながら国家体制を整備し、また儒教を奨励するなど、統一王朝の永続的な運営基盤を築くとともに、南北や西方へも勢力を伸張し、秦をもしのぐ広大な領域を支配しました。絶大な権力を背景に成立した秦の類い稀な破格の文物と、前後400年程にわたって全土を安定的に統治した漢の古典的な様式美が結実した文物を対照し、統一王朝下で展開した新たな中国文化の特色を俯瞰します。
第4章 南北の拮抗 北朝vs南朝
漢王朝が滅亡すると、魏・呉・蜀の三国鼎立を経て、晋による一時的な統一の後、華北と華南に王朝が対峙する南北朝の時代になりました。華北では、北方民族が支配する王朝が続き、仏教文化が隆盛するとともに、間断なく流入する外来文化と伝統的な中原文化が融合し、従来の中国にはみられなかった清新な正統を自負する中で、文化の爛熟期を迎えました。また、北朝や外来の刺激に誘発されて、俑や陶磁器の様式に見られるように、伝統からの脱却を図ろうとする機運も芽生えてきました。北朝の大同(山西省大同市)、南朝の建康(江蘇省南京市)というこの時代の中心地域から発見された文物に焦点を当て、南北相互の交流も視野に入れつつ、動乱期の南北でそれぞれの道を歩んだ中国文化変遷の様相を対比します。
第5章 世界帝国の出現 長安vs洛陽
南北朝の対立を終息させた隋の後を受け、再び中国全土を平定した唐は、皇帝を頂点とし、その下に文武百官を秩序正しく位置づけ、地方の隅々まで行政機構を整備するなど、強大な帝国を築き上げました。近隣諸国はもとより、遠く地中海沿岸地域からも入貢(外国の使者が貢物をもって入朝すること)が相継ぎ、諸外国との交流も空前の活況をみました。この時代の都であった長安(陝西省西安市)には、常時1万人もの外国人が暮らしていたといわれ、かつてないほど国際色に富んだ華麗な文化が開花しました。副都として位置づけられた洛陽(河南省洛陽市)も、長安と同様、殷賑をきわめ、諸々の芸術活動が華々しく展開し、また、龍門石窟に代表されるように、仏教や道教の造像も隆盛をきわめました。この時代の息吹を象徴する西安と洛陽という二つの都の文物を取り上げ、唐文化の特質と中国文化史上における意義を探ります。
第6章 近世の胎動 遼vs宋
唐が滅びた後、五代十国という小国が興亡した乱世となりましたが、それを収めたのが宋王朝です。時を同じくして、中国北部では契丹族が勢力を伸ばして遼王朝をうち建て、南方へと進出し、やがて宋を圧迫するようになりました。遼は、漢族の伝統文化や仏教文化の影響を強く受けながら、そこに民族的な要素を溶け合わせて、金銀器や石彫に顕著に見られるように、奔放な力強さにあふれた独特の文化を生み出しました。一方、宋では、漢族の伝統文化を深化させて、書画や陶磁器に代表されるように、深い精神性を備えた新たな境地を切り開き、中国文化の一つの頂点を現出しました。近世の胎動期ともいえるこの時代の南北の文物を対比し、中国文化の多様性と奥深さを眺めてみます。
展覧会場
展示作品
特別出品「阿育王塔」(一級文物)
銀製・鍍金(内部は木組) 北宋時代・大中祥符4年 高119
江蘇省南京市長千寺地宮出土 南京市博物館
南京市の古刹・長千寺の地下から近年出土した新発見の仏塔です。高さが優に1mを超え、この種の遺品の中では最大のものです。阿育王塔は、古代インドのアショカ王(阿育王)が八万四千の仏塔を造立したいという古寺にちなんだものですが、ここに見る形式は、五代(呉越)の銭弘俶が制作させた八万四千塔に倣ったものとみられます。ただし、銭弘俶の仏塔は、高さが30cm内外にとどまり、このような巨大な作例は一つもありません。他を圧倒する大きさ、細部まで克明に表現され、バラエティに富んだ図像、仏骨をはじめとする珍奇で多彩な副葬品など、どれをとってもこの種の仏塔としては規格外の規模と優れた出来映えを誇ります。そのため、中国の関係者は、これを「塔王」(仏塔の王様)と称し、驚異と賛嘆の念をもって接しています。今回、中国政府の特別な計らいにより、地元の南京市以外では始めて公開の運びとなりました。圧倒的な存在感を放つ破格の仏と羽野姿を目の当たりにする、絶好の機会となるでしょう。
日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年
特別展「中国 王朝の至宝」
13億以上の人口を持ち、世界で4番目に広い国土を持つ中国。現在も50を越える民族を抱えながら、巨大な国家として6千年ともいわれる歴史を現代につなげています。黄河や長江といった大河の恵みのもとで高度な文明を発展させてきた中国では、他国にはない独自の文化や思想が脈々と受け継がれてきました。そして、それは私たち日本人の精神的・文化的ルーツにもつながっています。本展では、中国に誕生した歴代王朝の都ないし中心地域に焦点を当て、それぞれの地域の特色ある文物を対比しながら展示し、多元的でダイナミックに展開してきた中国文化の核心に迫ります。国宝級の「一級文物」約60%というスケールで貴重な文物168件をご紹介します。
「金製仮面」(一級文物)
金製 殷~西周時代・前12-10世紀
幅4.9cm
四川省成都市金沙遺跡出土
成都金沙遺址博物館蔵
金の薄板を巧みに加工して、
神か人かの顔を表す。
古代蜀文化の代表的な作品。
ガチャガチャで当たりました!
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