「川村清雄展、記念式典・特別鑑賞会・レセプション 特別招待&図録プレゼント」企画に申し込んだら、運良く招待状が届きました。案内には、次のようにありました。
近代日本美術の知られざる先駆者・川村清雄(1852-1934)は、近年とみに評価が高まっている幻の画家です。本展は、フランス・オルセー美術館からはじめて里帰りを果たす晩年の傑作「建国」をはじめとする代表作や初公開作品を含む約100点の絵画が一堂に会する最大規模の回顧展です。さらに歴史資料約100点を集結し、幕末から明治・大正・昭和へと続く激動の近代史を生きた清雄の人生を立体的に描き出します。美術愛好家のみならず、歴史ファンにも見逃せない展覧会です。
記念式典では、江戸東京博物館の竹内誠館長の挨拶に続き、川村清雄のお孫さんにあたる篠原ふき子さんの挨拶がありました。父親の川村清衛は、先祖伝来の受け継いできた品々を散逸させないよう、戦争中は穴を掘って埋めたりして、保存に努めたそうです。川村清雄の作品の多くは、清衛の決断で寄贈することになったが、余りにも量が多かったので、当初受け入れてくれるかどうか心配だったという。戦前のものは新潟市歴史博物館へ、戦後の作品は江戸東京博物館へまとめて寄贈したそうです。清衛は、幼い時から父の画業を助け、カメラマンとしての職業のかたわら、川村清雄の研究と紹介に尽力されたそうです。
今回の「維新の洋画家 川村清雄」展の担当をした学芸員、落合則子、田中裕二の紹介があり、落合則子によって映像を使って「見どころ紹介」がありました。
「形見の直垂」、清雄は海舟の訃報を聞いて駆けつけ、葬儀では海舟の棺側に従った。本作は海舟の没後直ちに執筆が開始された。中央に白直垂をまとう少女を描き、周辺に「外へ地獄内へ極楽」を描いた古代の棺の上に載る海舟の胸像や愛用の遺品などを配置する。最大の恩人に対する清雄の深い謝意と鎮魂の思いが込められた最高傑作のひとつである。本作品は以後も加筆が続けられ、終生清雄の手元を離れることはなかった。
「徳川家茂像」、清雄が描いた「歴代将軍像」のうち、最初に制作されたもの。将軍の肖像を描くという旧幕臣にとって栄誉ある仕事を遂行するために、清雄は1年の歳月をかけた。
「貴賤図(御所車)」、平安朝の御所車と従者、それを見送る子守(または母子)。滴るような緑と水の表現は、コローの技法に比せられた。小笠原長生は清雄を庇護し、山内侯爵邸内の空き家を与えて絵を描かせた。この作品を制作中に橋本雅邦が小笠原を訪問し、清雄と知己を得る。それが日本美術院での子展開催のきっかけとなった。
「建国」、鮮やかな金地を背景に、剣、鏡、勾玉、桜といったモチーフを散らし、力強く暁を告げる鶏を中央に配したもの。清雄はのの場面を「天岩戸の神話にとった」と述べている。日本的油絵を追求した川村の画業にとって、晩年の記念碑的作品といえる。オルセー美術館からの里帰り作品。
「ヴェニス図」、本展の準備過程で発見された作品。
「聖ガエタヌスに現れる聖家族」、ティエポロは清雄がヴェネツィア留学時代に崇敬して画家のひとり。ヴェネツィアの名家ラビア家にある小さな礼拝堂の祭壇画として描かれた。1887年にラビア家からアッカデミア美術館に移管された。
そして「紺糸素懸威腹巻(川村家伝来)」、川村家では「勝色糸縅腹巻」と伝え、修就が300両で作らせたという。兜の吹き返しや籠手には「丸に九枚笹」の定紋がある。
他に後期展示ですが「晴・雨」、晴と雨を象徴し、破れ日傘の下で蛤を焼く女と山中で蓑笠を着けて馬を曳いて歩く男を対比して描く双幅。箱書は幸田露伴の筆による。昭和4年喜寿展出品作で、その後所在不明であったが、このほど発見された。
以下、図録の「ごあいさつ」より
川村清雄は、最も早く海外で本格的な油彩画技法を学んだ日本人画家の一人でした。黒船来航前夜の江戸に幕臣の子として生まれ、明治維新で江戸を逐われた徳川宗家に従って静岡に移住しました。明治4年(1871)徳川家派遣留学生としてアメリカへ渡航、その後もフランスとイタリアに学び、都合10年余りの留学生活を送りました。帰国後の清雄は画塾で後進を育てつつ、明治美術会などに作品を発表しました。清雄の作品の特徴は、江戸人の持つ伝統的な美意識を西洋起源の洋画世界に溶け込ませた、和魂洋才ともいえる画風にあります。西洋の油彩画が培ってきた重厚で堅牢な色面と、日本画を思わせる軽快で瑞々しい線との融合は、他の画家の追随を許しません。
しかし、西洋の油彩画を受容し消化する途上にあって揺れ動く明治の洋画界は、日本的な洋画世界の構築を目指す清雄流の挑戦を理解しませんでした。やがて画壇から遠ざかり忘れられた存在となっていった清雄でしたが、主君徳川家達や勝海舟をはじめとするゆかりの人びとは、清雄の人物と芸術を心から愛していました。彼らの庇護のもとに珠玉のような日本的洋画の制作を続ける孤高の画家・川村清雄の姿は、「画家」よりも「絵師」と呼ばれるにふさわしいものであったでしょう。
展覧会の構成は、以下の通りです。
序章 旗本の家に生まれて
第1章 徳川家派遣留学生
第2章 氷川の画室
第3章 江戸の心を描く油絵師
終章 《建国》そして《振天府》
序章 旗本の家に生まれて
第1章 徳川家派遣留学生
第2章 氷川の画室
第3章 江戸の心を描く油絵師
終章 《建国》そして《振天府》
「維新の洋画家 川村清雄」
近代日本美術の知られざる先駆者・川村清雄(かわむら きよお)〔嘉永5年(1852)~昭和9年(1934)〕 ―近年とみに評価が高まっている幻の洋画家です。旗本の家に生まれ、明治維新からまもない時期に渡欧し本格的に油絵を学んだ最初期の画家でしたが、当時の洋画壇から離れて独自の画業を貫いたため、長らく忘れられた存在でした。しかし彼が生涯をかけて追究した日本人独自の油絵世界は、今急速に見直されてきています。 本展は、清雄の最大の庇護者であった勝海舟(かつ かいしゅう)に捧げられた《形見の直垂(ひたたれ)(虫干)》(東京国立博物館蔵)をはじめとする絵画の代表作や初公開作品を含む約100点の絵画が一堂に会する最大規模の回顧展です。とくに注目されるのは、フランスへ渡った晩年の傑作《建国(けんこく)》(オルセー美術館蔵)が初めて日本に里帰りすることです。昭和4年(1929)にパリ・リュクサンブール美術館に納められたこの作品は、《振天府(しんてんふ)》(聖徳記念絵画館蔵)とならび清雄の画業の集大成となった作品ですが、日仏ともにこれまで展覧会場で公開されることがありませんでした。本展はこの秘蔵の傑作を目にすることができるまたとない機会です。さらに、清雄が絵画の理想としたヴェネツィア派最後の巨匠ティエポロの名画《聖ガエタヌスに現れる聖家族》(ヴェネツィア・アッカデミア美術館蔵)が、ヴェネツィアから来日します。また本展では、清雄が守り伝えてきた幕臣川村家資料を中心とした歴史資料約100点を集結し、幕末から明治・大正・昭和へと続く激動の近代を生きた清雄の人生を、彼を支えた徳川家達(いえさと)や勝海舟など人物交流のエピソードを織り交ぜて立体的に描き出します。美術愛好家のみならず、歴史ファンにも見逃せない展覧会です。
図録
平成24年10月8日発行
編集・発行:
東京都江戸東京博物館
静岡県立美術館
読売新聞社
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