「かっぱ橋道具まつり」へ行ってきました。副題には「かっぱ橋道具街 100周年記念」とあります。いままで何度も行ってはいましたが、いや、驚きました、100周年とは。それにしてももの凄い集客力です。かっぱ橋道具街はたくさんの人で埋め尽くされていました。
以下、「由来」等はホームページからの引用です。
「合羽橋名前の由来」
河童が居たから”かっぱ橋”?実は、名前の由来には2つの説があります。1つめは、金竜小学校跡地辺りにその昔伊予新谷の城主の下屋敷があり、小身の侍や足軽が内職で作った雨合羽を、天気の良い日に近くの橋にズラリと干していたという、「雨合羽」説。もう1つは、お待ちかね「河童」説。曹源寺通称”かっぱ寺”に墓所がある合羽屋喜八のお話しです。今から約180年前の文化年間、合羽川太郎(本名合羽屋喜八)は、この辺りの水はけが悪く少しの雨ですぐ洪水になってしまうのを見かね、私財を投げ出して掘割工事を始めました。なかなか捗らない工事の様子を見ていた隅田川の河童達は、川太郎の善行に感動して夜な夜な工事を手伝ったそうです。そして、なぜか河童を見た人は運が開け、商売も繁盛したといいます。・・・さて、どちらの説がお気に召しました?
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「かっぱ河太郎像の碑」
古来合羽橋は商売とは深い縁で結ばれていた。今から約200年前の文化年間、商人として財を成した合羽屋喜八は、このあたりの水はけが悪く、僅かな雨で度重なる洪水に人々が難儀をしていることを見かね、私財を投げ出し、治水のための掘削工事を始めた。ところが工事は困難を極めなかなか捗らない。その様を見ていた隅田川の河童達が喜八の侠気に感じ、夜な夜な現れては人知れず工事を進め、さしもの難工事もついに完成した。そして、その河童を見た人は、なぜかそれから運が開け、商売が繁盛したという。この故事に鑑み、合羽橋道具街の誕生90年を迎えるにあたり、ご来街のお客様ともども幾久しい商売繁盛を祈念し、台東区の協力を戴き、この地に、かっぱ河太郎像を建立つする。
平成15年10月吉日 東京合羽橋商店街振興組合
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「合羽橋道具街」ホームページ
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KAPPA-BASHI
2012.10
東京合羽橋商店街振興組合