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Channel: とんとん・にっき
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「東京駅赤レンガ駅舎:保存と復原のデザイン」(再掲)

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少し前からテレビでさりげなく「10月1日に東京駅がオープンします」というCMが流されていましたが、いよいよ10月1日、朝日新聞朝刊には「東京駅丸の内駅舎保存復元 本日完成」という全面広告が載っていました。実は中曽根政権末期には、赤レンガの駅舎を壊してその跡に超高層のオフィスビルを建てるという計画がありました。「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」の運動」やそれを後押しした世論の力が実って、東京駅は保存されることになり、ついては東京大空襲で焼け落ちた左右の大ドームまでをも復元しようということにまでなりました。


東京駅は辰野金吾が明治36年に設計を開始し大正3年に竣工したものです。東京駅はオランダのアムステルダム駅を手本につくられたという話が建築界に俗説として伝わっていましたが、昨年オランダへ旅行したのですが、実際アムステルダム駅を見てみると東京駅とはまったく違うものでした。アムステルダム駅は、オランダ・ルネサンス様式の典型として1889年(明治22年)にサイパースによりデザインされたもの、一方東京駅は、大正3年(1914年)に辰野金吾の設計でつくられたもので、イギリスのヴィクトリアン様式だと藤森輝信は解説し、「東京駅はアムステルダム駅を手本にしていない」と結論づけています。 


昨年12月3日に、武庫川女子大学東京センター主催の講演会シリーズ「わが国の近代建築の保存と再生」へ行ってきてきした。その日は第3回で「大正の近代建築」というタイトルが付いています。「明治から大正へ:転換期の近代建築」として京都工芸繊維大学教授の石田潤一郎さんの講演の後に、ジェイアール東日本建築設計事務所の田原幸夫さんの講演「東京駅赤レンガ駅舎:保存と復原のデザイン」を聞くことができました。その時の模様をブログに書いたことがあるので、以下に再掲しておきます。


講演会シリーズ第3回「わが国の近代建築の保存と再生 大正の近代建築」その2

「東京駅赤レンガ駅舎:保存と復原のデザイン」

田原幸夫 講演 建築家/ジェイアール東日本建築設計事務所


100年を生きてきた建築を、未来へ手渡すという保存、1日たりとも休めない東京駅、竣工まで1年と迫ってきました。東京駅は煉瓦造ではなく、実質的には鉄骨造です。1911年(明治44年)の鉄骨上棟時の写真から推定すると、2m間隔で鉄骨が入っていることがわかります。今で言うSRC造です。東京駅丸の内駅舎の竣工は1914年(大正3年)です。1945年(昭和20年)の第2次世界大戦で戦災に遭い、破壊され屋根が失われます。重要な駅でもあり、戦災復興として1日でも早く復興を遂げなければならないため、とりあえず4~5年持てばいいとして、今まであったドームが無くなり、多面的な屋根に変えて造られました。それが現在まで使われてきてしまいました。現在復原工事が進行中で、2012年(平成24年)に竣工予定です。ホテルは大きくなり、150室のホテルになります。



日本で最初の駅、新橋停車場が1872年に竣工します。1890年に、三菱へ土地が払い下げられます。東京駅は当初、1908年に東京駅という名称ではなく、中央停車場としてつくられました。新橋停車場は東京駅開業時に新橋駅と改称されます。元々あった新橋停車場は汐留駅に貨物駅として改称されます。1923年に起きた関東大震災で汐留駅は焼失します。1925年に東京・上野間が開通します。1926年には、東京駅から皇居へ向かう行幸通りが完成します。丸の内ビルディング(丸ビル)が完成、東京中央郵便局も完成します。次第にオフィスビル街の様相を整えて、100尺(31m)のスカイラインのビル群となり、その後、東京海上ビルを皮切りに、丸の内地区は現在の高層ビル群となってきました。


今回のプロジェクトの概要は、以下の通り。1987年に国鉄民営化、丸の内駅舎がJR東日本の所有になります。1987年に日本建築学会が「東京駅丸の内本屋の保存に関する要望書」を提出。同時に、「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」が発足。1999年に石原都知事が「丸の内駅舎の創建時への復原」を発表。松田JR東日本社長(当時)「丸の内駅舎の復原方針」を発表。2000年に「特定容積率適用区域制度」が創設されます。2001年「東京駅周辺の再生整備に関する検討委員会」、2002年保存復原に関する「専門委員会」が発足します。2003年には国の重要文化財に指定されます。余った容積を周りに使用することで財政的なバックアップが出来、重要文化財を残すことが可能となりました。2007年5月に、丸の内駅舎保存復元工事の起工式が行われました。



プロジェクトの理念は、「東京駅周辺の再生整備に関する検討委員会」の方針を受け継ぎます。「東京駅丸の内駅舎保存復原基本方針」は、方針1として、残存するオリジナルを歳代園尊重し、保存に努める。オリジナルでないもののうち、オリジナルの仕様が判明しているものは、可能な限りオリジナルに復原する。等々。また方針2として、安全性、機能性、メンテナンス性等を考慮し、将来を見据えたスペックを設定する。方針1よりも方針2を優先させる場合には、細心の注意を払う、という条項も付け加えられています。


プロジェクトの構成は3つの部分に分かれます。まず、今ある総武線を除いた部分に地下を作り、地上部建物の免震構造とすること。地下部分は確認申請の対象となる。地上部は 重要文化財であり、保存復原方針に従うが、重要文化財であるため特定行政庁は受け付けないので確認申請の対象外です。また戦災で焼失した屋根を復原すること。


計画の3本柱としては「構造計画」「保存復原計画」「施設計画」が上げられます。「構造計画」、丸の内駅舎を駅・ホテル・ギャラリー等として恒久的に活用するために、必要かつ十分な安全性・利便性を確保し、免震構造を採用すること。重要文化財建物を永続的に保存するため、免震構造にするほか、レンガ壁や床組鉄骨などの既存架構を極力活用し、新たな補強を軽減すること、としています。「保存復原計画」、未来へ継承すべき貴重な歴史的建造物として、現存している建物を可能な限り保存するとともに、創建時の姿へ復原する。


「保存」、1、2階の既存レンガ壁体と鉄骨造及び広場側1、2階の既存外壁を保存。「復原」、広場側、線路側の 3階外壁は構造体増設の上、化粧レンガなどで復原。等々、4項目。「施設計画」、建物の保有する歴史的価値を有効に活かし、創建以来の「駅」「ホテル」としての機能、その後それに加わった「ギャラリー」としての機能を未来へと継承する。多様な現代の要求条件に対応するデザイン及び機能、設備を適切に付加し、歴史的建造物の新たなる活用の姿を実現。線路側空間はコンコースとしての有効活用及び丸の内駅舎の機能確保を優先。ドーム空間の復原・再生により、内部空間を活性化し、機能性を控除させる。等々。



1年前の文化庁のホームページには、東京駅丸の内駅舎の重要文化財指定にあたって、単に文化遺産としての価値ばかりではなく、歴史的建造物の保存活用のあり方に新たな方向性を示すものとして、大きな期待が表明されています。「使い続ける重要文化財」のための検討体制、近代建築の活用では「重要文化財は建築基準法の適用除外」が単純には成立しない。つまり、どれが正解かわからない。従って正しいプロセスで行われているかどうかが問われます。バランスを取りながら、第3者のアドヴァイザーを入れた。「決定は、設計者だけに任せてはいけない」ということ。「オーセンティシティ(真実性・真純性)」について。文化財の価値。「復原とは?」「保存とは?」、オリジナルだけではない、手を加えるためにはどうしたらいいのか。


「保存と復原のデザイン」について。「構造計画―文化財と安全性―」、鉄骨レンガ造の保存、軀体の保存・活用、構造設計のクライテリア、免震化計画、等々。「保存復原計画―本物の価値の継承―」、オリジナル設計図の残存状況、3次元測量調査、オリジナルの材料(レンガ、天然スレート、等)、外装保存計画、復原とオーセンティシティ(例として「ラオコーンの教訓」)、「オーセンティシティ(真実性・真純性)」という概念、「復原」という概念、復原部のモックアップによる検証、等々。「施設計画―使い続けるためのデザイン―」、活用と「手の加え方」、歴史的遺産への「手の加え方」、「活用のデザイン」、「南ドーム、完成イメージ」、「線路側外壁面のデザイン」、等々。


「生き続ける文化遺産」、「ストックを豊かに使い続ける」ということは私の持論。「徹底した土地活用」、そして「博物館にはしないこと」が重要です。実例として「三井物産横浜ビル」「グレシャムパレス・ブダペスト」「旧盛岡銀行」「ファン・エートヴェルド内部」「森五ビル」、等々。「グレシャムパレス」は荒れ果てていたが、フォーシーズンズが入り、きれいになった。東京駅も同じデザイナーがかかわっています。「森五ビル」、使い続けるにはサッシュやタイルなど、ここまで変えてもいいのではないか。「使い続けることの意味」、民間の場合、使いやすくなければ結局は残らない。「旧盛岡銀行」、驚くべきことに、普通に銀行として使われています。東京駅丸の内駅舎は1914年の竣工以来、一日も休まず、工事中も駅として使い続けられています。近代の文化遺産に於ける「本物の価値(オーセンティシティ)」を守るためには、建築としての本来の「価値」を維持し続けることが重要である。



(以上は、当日の講演と配布されたレジメに基づいていますが、文責はtontonにあります。)


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東京駅の建築家・辰野金吾伝

東京駅丸の内駅舎保存・復元工事

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