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大江健三郎の「定義集」を読んだ!

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今年の第6回大江健三郎賞受賞は、綿矢りさの「かわいそうだね?」(文藝春秋2011年10月刊)でしたが、大江健三郎と綿矢りさの公開対談が選に漏れて参加することはできませんでした。第1回の長嶋有から第5回の星野智幸まで連続して参加できたのでがっかりしました。そんなわけで、毎年連続して5回、大江さんのお顔を見ることができました。また、世田谷文学館で開催された「知の巨匠加藤周一ウィーク」でも、大江さんの話を聞くことができました。


僕と大江健三郎の本との出会いについて、個人的にならざるをえませんが、ここに書いておきます。今から40数年前、西荻窪の善福寺にあるSさんの家に遊びに行きました。Sさんは大学を出たばかり、僕は高校を出たばかり、つまりSさんと僕は4歳違いでした。Sさんの家は木造2階建て、南側には広い芝生の庭が広がり、典型的な東京郊外の中流のお宅でした。どうしてSさんの家に遊びに行ったのか、今となっては思い出せませんが、2階のSさんの部屋の本棚から、どれでも好きな本を持っていっていいということになり、僕は大江健三郎の文庫本数冊、たしか「奇妙な仕事」「飼育」「死者の奢り」「芽むしり仔撃ち」などが入っていたような記憶がありますが、その他の本もあったと思いますがいただいて帰り、それから大江健三郎を読むようになりました。それがきっかけで、大江健三郎×江藤淳編集の講談社刊「われらが文学」という全集を購入するようになり、僕は戦後文学を読むようになりました。


ここにわざわざ書いたのは、大江健三郎と伊丹十三との出会いが「定義集」に多く書かれているからです。四国の松山高校で2人は出会い、「きみはおもしろいやつだ。友達になろう」と伊丹が言い、大江にフランス語を教えることを思いつき、まず大江に一冊の本をあっさりくれます。それはアルチュール・ランボオの詩集で、その詩集を伊丹は諳記していて、それをテキストにフランス語を大江に教えたという。こんなによくできる高校生がいるものかと大江は感心します。大江がフランス文学者の渡辺一夫の岩波新書(「フランスルネサンス断章」)が面白いことを発見しこの人に習おうと思い立ったのですが、その学者が東大仏文の先生だと言うことを教えてくれたのは伊丹だったという。大江は自分の一生で一番よく教わったのは、まず伊丹君からだった、と告白します。大江は伊丹の妹と結婚します。


実はこの辺は「読む人間」(集英社文庫:2011年9月25日第1刷)に書いてあるのですが、「読む人間」は、第1部は2006年6~12月に毎月1回、ジュンク堂書店池袋本店で行われた講演をものに作成されたもの、従って基本的には話し言葉で書かれています。第2部はやはり講演を元にしたものですが、「後期のスタイルという思想」と「読むこと学ぶこと、そして経験」からなっています。ここで取り上げた「定義集」(朝日新聞出版:2012年7月30日第1刷発行)と、多くの部分で重なっているからです。つまり相補的な関係ということになります。「定義集」は、2006年4月から2012年3月まで、月に1回、朝日新聞朝刊の文化面に連載されたものです。


僕は新聞ではだいたい半分ぐらいは読んでいるかなと思っていましたが、「定義集」を全部通して読んでみると1/3も読んでいなかったことがわかりました。全部で72回、「現地の外からも耳を欹(そばだ)てて」に「あの11日」とあるので、3月11日の東日本大震災以前が60回、以後が12回になります。そこでがらりと変わったのではなく、大江の書かれたものは一貫しています。大江の難解な文章なので、けっこう読むのに時間がかかりました。文学者らしく「新しく小説を書き始める人に」という5項目もありますが、沖縄や広島の原爆、第五福竜丸の水爆経験、核兵器廃絶や原発問題、同時進行していた沖縄の「集団自決」裁判、結果としての勝訴、「九条の会」の運動、等々。渡辺一夫、加藤周一、武満徹、エドワード・サイード、ドストエフスキー、魯迅、レヴィ=ストロース、井上ひさし、たち。


「定義」することについて大江に影響を与えたのは、建築家原広司です。かれは世界の集落調査を徹底して行い、歩き・見つめ・考えたものの集積を、「集落の教え100」(彰国社)という本にしています。例として、大江は原の「飛び火現象」を取り上げて、「遠く離れたところで、似たことが考えられ、似たものがつくられている。同様に、遠い昔に、いま考えられていることを誰かが考えた」とまとめているといいます。原広司の定義を引用して書かれたものに、いま手元にないのですが、たしか「新しい文学のために」(岩波新書:1988年)があります。ちなみに大江のふるさと、内子町大瀬の「内子町立大瀬中学校」は、原広司の設計によるものです。


大江は「定義について」以下のように書いています。

私は若い頃の小説に、障害を持ちながら成長してゆく長男のために、世界のありとあらゆるものを定義してやる、と「夢のまた夢」を書いています。それは果たせなかったけれど、いまでも何かにつけて、かれが理解し、かつ笑ってくれそうな物ごとの定義をいろいろ考えている自分に気がつきます。しかし私が「定義集」の全体で自分の大切な言葉として書き付けたのは、中学生の習慣が残っている、まず本でなり直接になり、敬愛する人たちの言葉として記憶したものの引用が主体でした。


内容紹介
2006年から2012年まで、朝日新聞に好評連載されたエッセイの単行本化。ノーベル賞作家は、中学生時代から老年の今日にいたるまで、人生の習慣としてさまざまな言葉を読み、そして書き写してきた。本書は、なかでも忘れがたい言葉の数々を、もう一度読み直す。たとえば、フランスの哲学者であるシモーヌ・ヴェイユの「どこかお苦しいのですか?」。知的障害のある息子との暮らしのなかで、著者は常にこの言葉に支えられてきた。不幸な人間に対して、好奇心だけではなく、注意深く問いかける。あるいは、徳永進医師との対話で、鶴見俊輔が語った「まなびほぐす」。知識は覚えただけでは身につかず、それをまなびほぐしたものが血となり肉となる。小説家も教育や臨床の現場ではないけれど、言葉で「学び返す」「教え返す」という同じ作業をしているのだ。ほかに『カラマーゾフの兄弟』でアリョーシャが病気で亡くなったイリューシャの葬儀で話した「しっかり憶えていましょう」、ヴァレリーの「精神の自由と、せんさいな教養が、子供への押しつけで壊される」、魯迅の「不明不暗の『虚妄』のうちに命ながらえる」、そして源氏物語の一節から、チェルノブイリ原発事故の小説まで――六十数年、言葉を手がかりにして思索を積み上げてきた作家の、評論的エッセイの到達点。


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