赤坂真理の「東京プリズン」(河出書房新社:2012年7月24日初版発行)を読みました。初出は「文藝」2010年春号から2012年夏号まで連載(2012年春号は休載)。表紙は夏目麻麦の「硝子」、2007年7月にギャラリー椿で初の個展として展示されたもの。ギャラリー椿のホームページには「彼女の作品は、ライトな画風の多い昨今の現代アート界を逆行するような、重厚で圧倒的な存在感を持つ。『望みどおりの色深さとラインがでてくるまでかなりの時間がかかる。その間、絵との対話をずっとしている』という夏目。現実と妄想とのあやうい境界線を描いたような世界観は、心の奥深くにしまい込んだ秘密の記憶を引き出してしまうようだ」とあります。見事に「東京プリズン」の内容を現しているから面白い。
僕がこの本を知ったのは、たぶん、朝日新聞の「文芸時評」(4月25日)で松浦寿輝が「小説の可能性」と題して、赤坂真理の「東京プリズン」について言及していたからだったように思います。その切り抜きが手元にないので、詳細についてはわかりませんが、今月に入ってから本屋で平積みになっていたのを見かけたので、さっそく購入して読んだというわけです。朝日新聞では、「文芸/批評」(7月10日)で「戦争を隠し、閉塞した日本」と題して、吉村千彰が記事を書いていたり、「書評欄」では、いとうせいこうがこの本を取り上げて書評(7月15日)を書いています。また、「論壇時評」では高橋源一郎が「国や憲法 自分で作っちゃえ」と題して、「東京プリズン」を取り上げています。
僕が赤坂真理を知ったのは、芥川賞候補作となった「ヴァイブレータ」(1999年:初出「群像」1998年12月号)が最初だったと思います。もちろん、廣木隆一監督、荒井晴彦脚本、寺島しのぶ主演で映画化された「ヴァイブレータ」も観ました。「東京プリズン」(p111)に、次のような箇所があります。まさに「ヴァイブレータ」の主人公そのまま、つまりは自伝的な体験なのでしょう。
ある日、家を出たきり戻らなかった。適当な乗り物を乗り継ぐと、日本海へ出ていた。・・・遠いところへ行ってしまおうと思っていた。新潟というのはもっと遠い場所だと思っていたら、案外あっさり着いてしまうものだった。3月に、ぼてぼての雪が降っていた。まるで東京のような雪だった。コンピニに立ち寄り、地図を確認する。ああ、東京と新潟って、本州輪切りなんだ、そりゃあっさり突き抜けるなな。独り言を言い自嘲した。
時は1998年3月、難破船のような岬のホテルに泊まり、ロビーで脂じみたブロンドのロシア人の男と会話を交わし、部屋に戻って実家の母親に電話をかけます。「なぜ私をアメリカに送ったの?」と母に言うと、「だってあなたには他に行くところがなかった」と母は言います。他に赤坂真理の作品では、「蝶の皮膚の下」(1997年)と「ヴァニーユ」(1999年)を読んだ記憶があるのですが、本棚を探してもどうしても出てきません。それ以降、赤坂真理の名前は、小説作品としてではなく、朝日新聞紙上で、時折ファッション関係の記事や、時事ネタのコメントなどで見かけてはいました。が、これほどまでに壮大な問題作を書いていたとは、いやはや、驚きました。ということで、赤坂真理の略歴を・・・。
赤坂真理は1964年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。アート誌「SALE2(セール・セカンド)」の編集長を経て、1995年、「起爆者」で小説家デビュー。「ヴァイブレータ」「ミューズ」で芥川賞候補となる。2000年、「ミューズ」で第22回野間文芸新人賞受賞。2003年、「ヴァイブレータ」が廣木隆一監督で映画化された。他の著書に、小説「蝶の皮膚の下」「ヴァニーユ」「コーリング」「彼が彼女の女だった頃」の他、「モテたい理由」「太陽の涙」などがある。
まず、巻頭には「私の家には、何か隠されたことがある。そう思っていた」と掲げられていて、なにかミステリアスな推理小説の始まりのようでもあります。果たして何が隠されているのか、が、この物語の主題と言えます。この物語の主人公は、「ふたりのマリ」です。1980年、15歳のマリはアメリカの学校に単身留学中、教育的配慮で1級落とされていた私が、元の級に戻れる条件として、全校生徒の前で発表することで、それを「アメリカ政府」の単位に代えようというものでした。
それは「天皇の戦争責任」について、周りはアメリカ人しかいない中で、ディベートをすること。天皇とは何か、天皇の戦争責任はあるのか、ということを、自分自身の言葉で言わなければならない状況に追い込まれます。日本人である「私」はどうしても自分の考えをうまく話せません。ほとんどの日本人が忘れてしまったこと、考えまいとしてきたことに、「私」はぶち当たります。日本人としてのアイデンティティーを揺さぶられた「私」は、困り果てて日本にコレクトコールをします。
電話に出るのは結婚と離婚を経験し、下手な小説を書いて生きている45歳の「私」自身でした。ふたりは夢の世界の電話を媒介に、時を超えて交信を始めます。過去の自分と向き合う「私」は、あくまでも彼女の母親を装います。自分の母を演じることで、やがて主人公は少女時代の「私」を通して、母を理解していくことにもなります。赤坂真理は、アメリカで高校時代の1年を過ごし、挫折感を抱えて帰国し、その地であったすべてを呑み込んだままで、今日まで30年近くの時を過ごしてきました。うわべをひたすらよくとりつくろうとする癖は、アメリカで敗残したと思っている負い目からだと思っています。
赤坂の父は、家電の製造輸出業を営んでいましたが、プラザ合意後の円高と、バブル景気で逆風を受けて倒産し、そしてその後すぐに病死します。家族は高円寺の家を離れて郊外へと転居します。そうした幾つかの仕掛けによって「私」は、母親は実は東京裁判の資料翻訳をしていたことを知ることになります。「人生が、まっぷたつに分かれているのよ。昭和20年以前の世界と、以後の世界」と母は私に言います。「なにかを隠した人は、すべてに覆いをかけている。自分自身にさえ」。
「天皇の降伏」。1945年8月15日、今では終戦記念日と言われる日、なぜ「敗戦」ではなく「終戦」なのか?あの有名な一節、「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」、主語は誰?英語では主語を省略できない。“ヒロヒト”とは誰だったのだ?私の国で、大人たちはなにかを隠して生きるようになった。何を?私が知りたいのはそのことだった。「私」は図書館で猛勉強をします。「これ」を考えると思考停止になる、というツボがある。日本人全体がそこに触れられるとフリーズしてしまう。それは考えてはいけない問題だ、ということ。「天皇の戦争責任」。何かそこにある気がする。
「私」の背後には、幻視の力で出会う声なき人々がいます。「大君」が「英霊」が、ヴェトナムの「結合双生児」が、そして母親が、「私」に力を与えてくれます。過去と現在がつながります。GHQが書いたという日本憲法のドラフトを見せられたりもします。「これって、まんまじゃん!」と私は驚きます。降伏とは、責任とは?万世一系とは何か?神なのか人なのか?湧き起こる素朴な疑問を、私は愚直に調べていきます。
ラストは当然、「全校公開ディベート」が保護者たちも参加して行われます。「論題―『日本の天皇には第二次世界大戦の戦争責任がある』」と、スペンサー先生は少しもったいをつけて言う。論題は肯定文であるのが決まりで、それに対して肯定側と否定側に分かれて、それぞれが自陣営の正当性を主張するディベートなのです。「I am guilty」、自分の声を、外から聴くように私は聴いた。「私は、日本の天皇ヒロヒトを、第二次世界大戦の戦争犯罪人であると考えます」。これは私が言いたかった言葉であり、言いたくなかった言葉でした。「私」による壮絶な大演説は、天皇論、文明論の核心に触れ、時にはヒロヒトに自分がなりきり、強く訴えます。
「矛盾が矛盾のまま語ることができる器が小説だ」と赤坂は気がつきます。ディベートでアメリカの少年に詰め寄られた私は、システムとしての天皇制に辿り着きます。「戦争はいいことではないが、ダイナミズムを生んでしまうのは確か。科学技術や芸術が飛躍し、言語活動も鍛えられる。リンカーンの演説『人民の人民による・・・』は、命を捧げるに値する政府を信じさせる、一種の発明だと思う。東京裁判の『平和に対する罪』という概念もすごい発明。死の恐怖も端的に表れる。だから、文学の多くは戦争文学なんだと思うんです」と、赤坂は答える。
「私は勝てません。あなた方の力の前に屈するのです。・・・『私たちは負けてもいい』とはいいません。でも、負けるならそれはしかたがない。でも、どう負けるかは自分たちで定義したいのです。それをしなかったことこそが、私たちの本当の負けでした。・・・自分たちの過ちを観たくないあまりに他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ、私たちの負けだったと、今は思います。自分たちの過ちを認めつつ、他人の罪を問うのは、エネルギーの要ることです。でも、これからでも、しなければならないのです。私は人民であり、一人ではありません。人民は負けることはありません。一人が負けても、すべてが負けることはないからです」と私がいうと、会場はしばらく静まり返り、痛いほどのその沈黙を破って拍手が起こりました。
本の帯には、「すべての同胞のために、私は書いた―赤坂真理」として、次のようにあります。
《戦争と戦後》のことを書きたい、すべての日本人の問題として書きたいと、私は、十年以上願ってきた。1964年生まれの私は、戦争を経験した親に育てられた世代の、最後の最後あたりになる。私より年が下になると、今の社会の不具合やその中での個人の生きづらさを、《戦争》や《それによってできた国のかたち》と結びつけて考えることは、難しい。そして、因果がまるでわからないほうが、生きづらさとしては、よりつらいはずだ。だから《戦争》や《戦後》は、それを経験した人たちだけの問題ではない。ある民族や国家が、あれだけの喪失をたった60年や70年で忘れてしまうことは、本当はあり得ない。それでも忘れたようにふるまえたのは、なぜだったのか、そしてそのことは、日本と日本人になにをもたらしたのか?それに迫るには、《小説》しかありえなかった。(「文藝」2012年秋号より)
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