群馬県富岡市にある「富岡製糸場」を見学してきました。明治建築では、何かと取り上げられる建築です。
藤森輝信の専門は明治建築、彼の著書、例えば「日本の近代建築」上・幕末明治篇(岩波新書:1993年10月20日第1刷発行)とか、「建築探偵東奔西走」(朝日文庫:1997年1月1日第1刷発行)に、この建築が取り上げられています。
「官営富岡製糸所は、明治の新政府が生糸産業の近代化のためフランスに協力を仰いで明治4年に建設したもので、建物の設計は横須賀製鉄所の技術陣に依頼され、フォロランの部下のオーギュスト・バスチャンが手がけている」(日本の近代建築)。また「昭和62年3月、上州富岡の製糸場がついにカタカタと機械音を立てるのを止めた。操業開始は明治5年だから、115年間、働き続けたことになる。・・・しかし、その機械を容れる建物のほうは、壁一枚、柱一つ変わらず今日まで続いてきた」(建築探偵東奔西走)。
富岡製糸場の外観の写真はよく見るのですが、これは用途としては単に繭の倉庫ですが、やはりポイントはその大きさと構造です。明治5年に建設された建物で、長さ104.4m、幅12.3m、高さ14.8mの木骨レンガ造、切妻造り2階建ての桟瓦葺。基礎は石材を使用、柱は30.3cm角の遠し柱で、小屋組はトラス構造。2階にベランダ式の廊下を付設。1階中央部には中庭に通じるレンガ積みアーチの通路があり、そのキーストーンに「明治5年」と刻字されています。
圧巻はやはり操糸場でしょう。明治5年建設されたままに残っています。長さ140.4m、幅12.3m、高さ12.1m、建築面積は1726.9㎡。木骨レンガ造平屋建てで、切妻造り桟瓦葺。30.3cm(1尺)角の遠し柱で、建物の重量を支えているため、壁にはあまり重量がかからないつくりで、レンガは国内では例の少ないフランス積み、小屋組はトラス構造です。蒸気抜きの窓と、採光のためのガラス窓を配し、基礎・礎石、腰回りは石材、床は現在はコンクリート張りですが、当初はレンガが敷き詰められていました。
増田彰久の「近代化遺産を歩く」(中公新書:2001年9月25日発行)では、富岡製糸場は、操糸場は「工場」に、繭倉庫は「倉庫」にと、2カ所に取り上げられています。その他、ブリュナ館、女工館、診療所などは、木骨レンガ造、寄せ棟造り2階建ての桟瓦葺のコロニアル様式です。ブリュナ館の地下にはワイン貯蔵庫がありました。フランス人が夜、ワインを飲みながら食事をしているのを見て、「外国人が娘の生き血を吸っている」というデマが、まことしやかに流れたそうです。
工場建設を指導したのはフランス人のポール・ブリュナです。明治政府に雇われたブリュナは、建設地を富岡に選定し、フランスから技術者を連れてきたり、洋式の器械を日本人の体格に合うように注文して取り寄せたりしました。設計は横須賀製鉄所建設に携わったフランス人のオーギュスト・バスティアンが担当しました。
操糸場は当時、世界最大の規模を誇っていました。工場建設は明治4年から始まり、翌年7月に完成、10月4日には歴史的な操業が開始されました。操糸場には300人取りの操糸器が置かれ、全体で404人の工女たちの手で本格的な器械製糸が始まりました。
富岡製糸場の操糸場、東・西繭倉庫、外国人宿舎(女工館・検査人館)、ブリュナ館等の主要建物は創業当初の頃のままの状態で良好に保存されています。明治政府がつくった官営工場の中で、ほぼ完全な形で残っているのは富岡製糸場だけです。
「富岡製糸場 解説書(改訂版)」
発行:平成19年12月1日
編集・発行:富岡市