岡田温司の「デスマスク」(岩波新書:2011年11月18日第1刷発行)を読んだ!発売と同時に購入してあった本ですが、なぜか読むのが遅くなってしまいました。が、読み出せば早いもの、一気に読んでしまいました。実は、岡田温司の著作、「ジョルジョ・モランディ 人と芸術」(平凡社新書:2011年3月31日初版第1刷)という本も、発売と同時に購入して、約半分は読んだのですが、そのままで終わっていました。これは「モランディ展」が東日本大震災の影響で流れてしまったということとも関係があるのですが・・・。いずれにしても、「モランディ」は半分までで、その後読んでいないという体たらくです。
さて、「デスマスク」、タイトルが刺激的です。帯には「人はなぜ死顔を留めようとするのか?」とあり、「生と死のあわいを漂う不可思議なイメージの世界」とあります。カバーには、以下のようにあります。
私のものでありながら決して自分では見られない「死に顔」を、かたちとして留めるデスマスク。人はいったい何のために、それを作ってきたのか? 古代ローマの先祖崇拝から中世を経て、近代の英雄と天才崇拝、そして「名もなきセーヌの娘」まで。生と死、現実と虚構のあわいに漂う摩訶不思議な世界をたどる。図版多数。
人はなぜデスマスクをつくってきたのか。宗教的、社会的、政治的、文化的、芸術的、あるいは人類学的に、それはいかなる役割を担ってきたのか。そうした疑問に答えるために岡田は、8つのトピックを用意します。すなわち、古代ローマの先祖崇拝、中世からルネサンスにおける王の葬儀、同時期における教皇の葬儀、ルネサンスに開花した肖像彫刻、フランス17世紀のある宗教運動における特異なデスマスク崇拝、フランス革命とギロチン、近代の英雄・天才崇拝とデスマスク、そして多くの文学者や芸術家たちを虜にしてきた「名もなきセーヌの娘」、それらがこの本の8つの章を構成しています。
そして岡田は言う。「それでは皆さんとともに、生と死、この世とあの世、聖と俗、現実と虚構、可視と不可視、安らぎと恐怖、沈黙と饒舌、美しさといかがわしさのあいだの閾に漂う、デスマスクの摩訶不思議な世界へとしばし旅立つことにしよう」と、われわれをデスマスクの世界へと誘います。
俄然面白くなるのは、第5章「ルネサンスの蝋人形」の項からです。ルナサンス彫刻の先駆者ドナテッロの「ニッコロ・ダ・ウッツァーノ」という彩色されたテラコッタ胸像は、モデルをそのまま生き写しにしたかのようであり、それもそのはず、モデルのデスマスクにもとづいて制作されたものだという。ミケランジェロは弟子によってデスマスクがとられてブロンズに鋳造され、それにもとづいて同じブロンズ製の胸像が制作されたという。歴史の皮肉だとして、向け欄ジェロのデスマスクは、天才や偉人の遺影を末永く後代に伝えようとする近代のデスマスクの先駆けとなった、と岡田はいう。
第7章「近代の天才崇拝」の項では、ナポレオンの3つのデスマスクが紹介されています。1821年、追放先のセント=ヘレナ島でナポレオンは息を引き取ります。翌日死体解剖に回されて、その翌日、デスマスクがとられます。3人の医師によってとられたナポレオンの3つのデスマスク、いったいどれが真正なものかの議論があり、ライフマスクとデスマスクの比較も面白い。18世紀から19世紀にかけて、デスマスクは天才や英雄崇拝と結びついて流行を見せます。同時に、それ自体として、いわば美術作品のようなものとなります。
デスマスクは人を魅了する、だがそれは同時に危険なものでもある。デスマスクは故人を写し取る、だがそれはまたいやがうえにも妄想を誘わずにはいない。デスマスクは過去の一瞬をとどめたものである。だがそれは良くも悪しくも未来へと投影されないわけにはいかない。デスマスクは厳かなものである。だがそれはまたどこかいかがわしい代物でもあるとして、岡田はデスマスクは「両義性」の上で戯れているように思われるとしています。
最後の章にある「名もなきセーヌの娘」(セーヌの身元不明の女)は、19世紀末にセーヌ川で引き揚げられた自殺女性からとられたデスマスクです。この話は僕は始めてこの本で知りました。少女のようにあどけない表情をした娘は、どこか微笑んでいるようにも見えます。いったいこの女性は何者なのだろうか。はっきりしたことは分からないが、この少女のデスマスクは多くのコピーが制作され、多くの文学者や芸術家がそのコピーを所有していた、というほど熱狂したという。生い立ちや家族、職業や経歴など、どれをとっても彼女にはすべてが欠けている。いわば「無」の仮面、それが彼女の正体なのです。それゆえに様様な自問自答によってその「無」を埋めようとする。入水自殺したというのに、なぜ微笑んでいるように見えるのか、興味は尽きません。
岡田温司:著者紹介
1954年広島県に生まれる。1978年京都大学文学部卒業、1985年同大学大学院博士課程修了、岡山大学助教授を経て、現在、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。専攻は、西洋美術史・思想史。著書─「『もうひとつのルネサンス」「芸術と生政治」「フロイトのイタリア」(読売文学賞)、「ジョルジョ・モランディ」(以上、平凡社)、「肖像のエニグマ―新たなイメージ論に向けて」「半透明の美学」「グランドツアー 18世紀イタリアへの旅」(以上、岩波書店)、「モランディとその時代」(吉田秀和賞)「ルネサンスの美人論」「カラヴァッジョ鑑」(編著)(以上、人文書院)、「処女懐胎」「マグダラのマリア」「キリストの身体」(以上、中公新書)ほか。訳書─ロンギ「芸術論叢」(監訳、ピーコ・デッラ・ミランドラ賞、中央公論美術出版)、アガンベン「イタリア的カテゴリー 詩学序説」(監訳、みすず書房)、「事物のしるし」(共訳、筑摩書房)ほか。
目次
はじめに
第1章 古代ローマの先祖崇拝
第2章 「王の二つの身体」
第3章 教皇の身体
第4章 ルネサンスのろう人形
第5章 ジャンセニストの死面
第6章 ギロチンとフランス革命
第7章 近代の天才崇拝
第8章 「名もなきセーヌの娘」
おわりに
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