福沢一郎記念館で「福沢一郎は《何を》《如何》に描いたか」を観てきました。この展覧会は、もう終了してしまいましたが、僕は最終日の12月2日に観に行ってきました。世田谷には、画家のアトリエが美術館になったものが幾つかあります。よく知られているのが世田谷美術館分館となった、「向井潤吉アトリエ」、「清川泰次ギャラリー」、そして「宮本三郎記念美術館」の3館です。、「向井潤吉アトリエ」「清川泰次ギャラリー」は、画家が使われていたアトリエがそのまま残されています。「宮本三郎記念美術館」は、新築されています。
「福沢一郎記念館」は、小田急線祖師ヶ谷大蔵駅と成城駅の間の、閑静な住宅地の中にあります。家人がよくここのお宅の前を通るので、以前から知っていたようですが、今回の展覧会に行ってみようということになり、始めて訪れたわけです。この通りにはかつては大邸宅が多くあり、福田一郎を含めて文化勲章受章者が3人もいて、文化勲章通りと呼ぶ人もいるそうです。元々、1941年以来、福田の自宅とアトリエがあったところで、そのままアトリエを開放して、福田一郎記念館としている私設の小さな美術館です。なお、福田の生地、群馬県富岡市には、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館があります。
今回の「福沢一郎は《何を》《如何》に描いたか」展は、福沢の長いキャリアの中から特色のある作品を選んで、テーマとその描き方に対する考察をするということで、それぞれの作品についてパネルで、学芸員による解説がなされています。今回の展覧会の目玉は「踊り」です。図録や出品作品リストもないので、細かいことはわかりませんが、おおよそ10数点の作品が展示してありました。床にアクリル絵の具が散らばる広いアトリエと、応接室のような小部屋にも作品が展示してありました。記念館の方がつきっきりで1点1点、作品を解説してくださいました。また、庭が見られる書斎のような部屋には大きなテーブルがあり、手作りケーキとコーヒーまでご馳走になりました。
福沢一郎は略歴によると、1898(明治31)年、群馬県北甘楽群富岡町(現・富岡市)に生まれます。1918(大正7)年、東京帝国大学(現・東京大学)文学部に入学します。しかし大学にはほとんど行かず、朝倉文夫の彫塑塾に通います。1924年にフランスに渡り、1927(昭和2)年、この頃から彫刻を止めて本格的に絵画制作に取り組むようになります。彼が1931年の独立美術協会展にフランスより出品した絵画は、日本におけるシュルレアリスム絵画の始まりと言われ、日本の若いが形に大きな影響を与えました。
これらの作品はエルンストの手法を応用したもので、科学雑誌の挿絵などをもとに、人や物を組み合わせて描いたものです。福沢は自らの制作とともに、1936年秋頃、本郷に「福沢絵画研究所」を解説、美術を志す若い画家たちを数多く育て上げました。しかし、1941年4月に、福沢はシュルレアリスムと共産主義との関係を疑われ、滝口修造とともに逮捕されます。10月には釈放されますが、研究所は5年足らずで閉鎖になります。この辺りについては板橋区立美術館が、2010年11月、20世紀検証シリーズとして「福沢一郎絵画研究所展」で、詳しく取り上げられました。
福沢一郎は、1991(平成3)年、文化勲章を受章します。1992(平成4)年、没。享年94歳でした。
福沢一郎の代表作の一部
(図録より:今回の展覧会には出品されていません)
ホームページを見ると、以下のようにあります。
福沢一郎(1898~1994)は、一貫して主題(画題)を如何に表現するかということを追究し続けた、日本の絵画史に異彩を放つ作家です。また、昭和初期における所謂「シュルレアリスム絵画」の紹介者としても広く知られています。大正末期から平成へと至る画業において、彼はさまざまに主題と作風を変えながら制作に取り組みました。彼の作品には、同時代の美術、社会、そして人間のすがたが見え隠れします。それは、彼が生涯抱き続けたドライな批判精神により生み出されたものです。また、彼の量感あふれる人体表現や独特な色彩感覚は、日本の洋画史において他に類を見ない特長といえます。
「福沢一郎は《何を》《如何》に描いたか」展
このたび、福沢一郎記念館では、秋の展覧会として「福沢一郎は《何を》《如何に》描いたか」を開催いたします。
福沢一郎の作品を年代ごとにずらりと並べてみると、その変化に驚かされます。とてもひとりの画家が描いたとは、にわかに信じがたいほど、さまざまな素材と表現手法があらわれているのです。しかし、福沢にとってこうした素材が手法が変化すること自体、別段大きな問題ではなかったようです。このことは次のような福沢一郎自身のことばにもあらわれています。「私はテクニックだけの仕事ではなく、テーマを生かして、何を描いたかということをはっきり示したいと思っている。その為には、或る程度具象的でなければならない。しかし又、抽象的に描かねばならぬ場合もある。必ずしも具象にとらわれる必要はない。要するに何を表現するかという事が大事なのである。」 (『福沢一郎作品集 2』1987年 より)
《何を》描くかによって《如何に》の部分はおのずと決まってくる、ということなのでしょう。今回の展示では作品のテーマとなる《何を》だけでなく、あえて《如何に》の部分、つまり表現手法にもスポットをあててみました。福沢の画業のなかで注目すべきユニークな手法をひろい出し作品を選んでみると、面白いことに、彼の得意とする骨太でダイナミックな絵画表現から少しはずれたものが多く集まりました。これらは、まるで彼の画業の「曲がり角」を示すもののようです。しかしそれらを通過することで、彼は晩年の壮大な境地を獲得することができたのです。今回はこれらの作品にあらわれた画家の試みと、その陰にあるエピソードを解説するためのパネルを用意しました。作品とあわせてお読みいただくことで、福沢一郎のさまざまな絵画表現を知る助けになればと考えております。この機会に、ぜひお出かけください。
会 期:10月14日(金)~12月2日(金)11:00-17:00 月・水・金開館
※ 11月23日(水)は祝日ですが開館します。
福沢一郎絵画研究所
進め!日本のシュルレアリスム
2010年11月20日~2011年1月10日
図録
発行日:2010年11月20日
発行:板橋区立美術館